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不動産・土木・建設・土地建物等綜合スレ

340とはずがたり:2008/05/12(月) 18:06:21
崩壊への序曲は始まった?逆風のなか、生き残り策は 斜陽してゆく舗装業界(上) | 業界を読む
http://www.data-max.co.jp/2008/05/post_1212.html
[特別取材]
2008年05月12日 10:12 更新

公共工事の代名詞と言っても過言ではない舗装工事業界。ただ、公共工事の予算は年々減少し、その影響を受けた舗装業界の逆風は止みそうもない。今年に入り、業界の淘汰に拍車がかかっているのは、その逆境を顕著に表している。福岡県内の舗装業界にフォーカスし、今後の行く末を含めて2回にわたり展望する。

地場中堅の中央舗道
その倒産の経緯は

Company Information
中央舗道(株)
代 表:宇佐川 志郎
所在地:福岡市東区二又瀬新町9-12
設 立:1963年2月
資本金:3,800万円
年 商:(07/4)17億3,657万円

 3月17日に福岡地場の中堅舗装工事業者だった中央舗道(株)が事業を停止、破産手続申請の準備に入り、4月30日に福岡地裁より破産手続開始決定が下った。負債総額は当初の見込みより増加し、約13億円にのぼった。
 同社は、1963年4月に舗装工事を目的として志岐武雄氏が設立した。その後、64年2月に山喜三氏、67年12月に宇佐川芳太郎氏がそれぞれ代表に就いたが、76年7月に梅津昭一氏が代表に就任してからは、長らく梅津体制での経営が続いた。
 しかし、主力事業の官公庁工事の削減政策により、完工高は減少傾向をたどった。そこで、経営の効率化を図るため、アスファルト合財の販売を手掛けていた同社関連会社の日建興業(株)を04年5月に吸収合併した。この吸収合併により、日建興業の代表であった宇佐川志郎氏が中央舗道の新代表に就き、役員も4名から9名へ(08年4月時点では7名)、社員数も16名から32名へと倍増された。
 この合併の結果、売上規模は、04年4月期の6億4,390万円から05年同月期には17億1,870万円と、約3倍近くに拡大。しかし、舗装工事単独での完工高は旧中央舗道時代から大きな変化はなく、約6億2,000万円台を推移する一進一退の業績であった。つまり、合併後の同社の売上高の約64%をアスファルト合材販売が占めていた格好となる。合併後の舗装工事における完工高に大きな増減は見られないものの、最終利益率に着目すると、07年4月期で約0.08%にまで落ち込み、合併前と比較して約半減している。
 また、売上高が約3倍に増大したにもかかわらず当期利益額がそれほど増加していないのは、販売管理コストが倍増したことによる。とくに役員報酬に関しては、合併前後で約4倍に膨れ上がっており、その改善を行なうことが急務とされていた。しかし、その改善がなされないまま低収益な状態が続き、昨今の原材料費の高騰による仕入価格の値上がり分を販売価格に転嫁できず、経営が行き詰まった。
「長年の取引で、その兆候は見えなかった。本当に晴天の霹靂であった」と債権者のひとりは語る。また一方では、「日建興業との合併で経営効率化を目指していたが、役員があの事業規模で9名とは、あまりにも多すぎる。販管費が高騰して然りである。利益も微々たるもので、実際の財務内容より、かなり資金繰りは逼迫していたようだ。07年4月期の財務内容は、利益率以外はとくに問題視する数値は“表面上”無い。短期的な支払能力もあり、純資産も水準値である。しかし、前ほども言った通り“表面上”の数値であり、本当に大丈夫であろうかと疑問視はしていた」(地元業界関係者)という声もある。いずれにせよ、この中央舗道の破綻は地場業界そして関係者にとってショッキングな出来事であったことに変わりない。その連鎖となったのが、次に述べる東洋道路の破綻である。


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