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2007年参院選スレ

4434名無しさん:2009/10/04(日) 13:59:24
http://203.139.202.230/07seiji/07yoya02.htm

8月2日付朝刊
 ▼2 敵失 弱点隠した批判風


 「郡部の反応は予想以上にいい。小泉政権から続く安倍政権の下で、不満はたまりにたまっている」

 参院選の選挙戦序盤から民主党の武内則男氏自身は、選挙カーを走らせる先々で政権批判のうねりを実感していた。問題は、その批判票をどこまで自らに引き付けられるのか―。

 メディアの世論調査がはじき出す支持率は、現職の自民党候補と「互角」から「やや優位」へ。しかし、陣営の誰もが半信半疑。票読みができない“風頼み”の戦いは投票当日まで続いた。

 【写真】国政初挑戦で自民党候補を破り、選挙戦を二人三脚で戦った広田参院議員と握手する武内氏=左(7月29日夜、高知市愛宕山の事務所)

 顔見えぬ候補
 一年前の七月。民主党県連は武内氏擁立を決めたが、主導した平野貞夫代表らには、武内氏でなければならない理由があった。

 表向き「市民統一戦線の構築」を掲げてみたものの「労組頼み」「風頼み」の体質は一年やそこらで変わらない。とすれば、二〇〇四年参院選で民主党が推薦して勝利した無所属の広田一氏を「共闘」の輪から絶対に外せない。その広田氏と厚い信頼関係を築いていたのが武内氏だった。

 ところが、武内氏が県内遊説を本格化させたのは統一地方選後の五月。高知市議として任期を全うしたいとの理由からだったが、五月時点で民主党が行った調査による知名度は「一割程度」。民主党の候補は誰か知っているかと十人に聞いて九人までが「知らない」と答える状況だった。

 「徐々に『民主の候補』として浸透する…」。陣営幹部はこう言うのが精いっぱい。同じ時期、二期十二年の活動実績がある自民党候補は「県内どこを回っても武内の支持者とぶつからん。相手の顔が見えん」と口にしている。

 県都で逆転
 転機は国会がつくり出した。民主党議員の追及で吹き始めた「年金不信」の追い風が、「顔の見えない民主党候補」への知名度と期待値を徐々に押し上げた。

 公示後。武内氏は街頭で「まじめに保険料を納めた国民を裏切った」と政府・与党を批判。格差問題でも「これ以上の地方切り捨ては許さない」と繰り返し、陣営は年金、格差を徹底的に争点化させた。全面支援を約束した広田氏もフル稼働。小沢一郎代表ら党幹部も次々とてこ入れに来援した。

 結果は、郡部での負けを高知市の勝ち分(約一万四千票)で上回る約一万二千票差の勝利。無党派層が厚い県都を制して民主党県連は国会議員不在を解消したが、一昨年の郵政解散・総選挙後の選挙違反事件で「壊滅状態」(平野代表)になった組織の再生へ道筋が見えたわけではない。

 一九九六年の結党以来、衆院選、参院選をそれぞれ四回ずつ戦いながら、立ち上げた市町村支部はなお皆無。武内氏が県連幹事長当時に目指した、連携可能な市町村議員のネットワーク化も頓挫している。

 自民へ民主へ、与党へ野党へ。振り子のように触れる民意。真の市民統一戦線が築けなければ風頼みからは抜け出せない。


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