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議員・選挙関係アーカイブ
1とはずがたり:2004/03/25(木) 02:06
私が選挙に興味を持ちだして以降,てきとーに保存してあった古い(数年前の)資料を貼り付けるスレッド。
皆様の情報提供も歓迎ですが何時の資料かなるべく明記していただくことをお願い

2とはずがたり:2004/03/25(木) 02:09
【00年大阪府知事選 宗教戦争】
=反自自公で動いた宗教団体=
・「大阪府内に約5万世帯の会員を抱える立正佼成会」
・東京であった自民党大会に、立正佼成会や霊友会、「仏所護念会」,「真言宗金毘羅尊流」など自民党を支援してきた有力な宗教団体が欠席した。
・「2300の寺院が加盟する府仏教会」「新日本宗教団体連合会(新宗連、加盟66教団)」の大阪事務所
・「府内に約20万人の会員がいる霊友会」

■自民分裂で宗教団体の“集票戦争”に
2000年1月23日 朝日新聞朝刊
 
 公明党の支持母体である創価学会と対立してきた立正佼成会や霊友会などの宗教団体の動きが、大阪府知事選で目立っている。自民党本部が公明党と相乗りする一方で、自民党府連が独自候補を担ぐという分裂の構図が、「自自公」連立に抗議する格好の舞台となった。会員・信者に支持を呼びかけるだけでなく、集会への動員や電話作戦まで買って出る「反学会」の団体もある。自民党の「お家騒動」の思わぬ余波に、公明・学会側は神経をとがらせている。

 告示を翌日に控えた19日朝、大阪府豊中市の立正佼成会豊中教会に約150人の会員が集まった。府内に約5万世帯の会員を抱える立正佼成会は自民党府連などが推す学校法人役員の平岡龍人さん(59)の支援を、出馬表明の2日後に早々と決めた。

 真言宗の僧籍を持つ平岡さんが「仏教の教えに基づいて大阪を変えたい」とあいさつすると、教会の責任者は「中央が自自公という由々しき状態になっている。平岡さんの立候補はありがたい」とこたえた。

 「選挙期間中、会員以外に3人以上の支援を確保して下さい」「告示直後と中間、そして最後の計3回の電話をかけて確認して下さい」。矢継ぎ早に飛ぶ指示に、会員の一人は「知事選でここまで徹底するのは初めて」と話した。

 同じ日、東京であった自民党大会に、立正佼成会や霊友会、仏所護念会など自民党を支援してきた有力な宗教団体が欠席した。「公明党を含めた今の態勢は支援できない」(仏所護念会)、「自自公は我々の考え方とは違う」(真言宗金毘羅尊流)などが理由。影響は党費の不払いから、総選挙での協力関係の見直しと広がりをみせている。

 23日に告示され、府知事選と投開票が重なる京都市長選は、「共産」対「非共産相乗り」の構図となる見通しで、「反自自公」を打ち出しにくかった。そこに急浮上したのが自民分裂の大阪府知事選。府内に約20万人の会員がいる霊友会は21日に平岡氏の推薦を決めた。「公明党や自民党本部が推薦する候補は推せない。平岡さんが出てくれて、運動にも力が入る」と幹部が打ち明ける。

 立正佼成会は今回の知事選に「創価学会に対抗する意味」を込め、「総選挙で支援するかどうかの判断材料になる」(幹部)として、知事選での自民党国会議員の動きをけん制する。

 2300の寺院が加盟する府仏教会も近く推薦を決める予定で、「各寺では檀家(だんか)にも働きかけるだろう」。新日本宗教団体連合会(新宗連、加盟66教団)の大阪事務所も、平岡氏を支援する方向で本部と調整を進めている。

 元通産官僚の太田房江さん(48)を推薦した自民党本部は、大阪に選挙対策の職員を常駐させるなど、府連の切り崩しに懸命だが、宗教団体の動きには戸惑いがちだ。幹部の一人は「下手に動けば、『反自自公』をアピールしたいという相手の思惑にはまるだけ。刺激するのは得策でない」と半ばあきらめ顔だ。

 一方、関西大名誉教授の鰺坂真さん(66)を擁立した「明るい革新大阪府政をつくる会」はビラなどで、「自自公態勢に乗っている」などと太田さんへの批判を強める。鰺坂さんを推薦する共産党も機関紙「赤旗」などで「政教一体」と公明・学会を批判するキャンペーンを展開している。

 思わぬ「集票戦争」の展開に、公明党と創価学会は不快感を隠さない。学会は首長選では公明党推薦候補であっても「自主投票」が原則だが、今回は国政選挙並みの態勢で太田さんを支援している。関西の創価学会幹部は「今回の選挙は危機的な状況にある大阪にとってだれが知事にふさわしいかを問うものだ。そこに宗教的な対立意識を持ち込むのはおかしい」と批判している。

3とはずがたり:2004/03/25(木) 04:17
【2000年総選挙 栃木県内の宗教団体の対応】
・「四月会」に加盟している(今まで自民党支持だった)立正佼成会、仏所護念会、霊友会などは、いずれも比例区を「自主投票」とする方針
・県内に5つの拠点を持ち、約5万世帯の信者を擁する「立正佼成会」…前回、小選挙区の1区で個人的につながりの深い民主党の簗瀬進氏(1998年に参院議員に転身)を推した。今回は同党の新顔、水島広子氏を推薦する。
・県内で2万から3万世帯の信者がいるという「仏所護念会」…小選挙区は個々に従来の自民党候補を支援
・「霊友会」は、小選挙区は前回と同様、1区の船田元、4区の佐藤勉、5区の茂木敏充の3氏の推薦を5月末までに決める

2000年5月28日付朝日新聞栃木版より
栃木 宗教団体、自民党に距離

 次の総選挙で、これまで自民党を支援してきた宗教団体の「自民党離れ」が県内でも目立っている。「自自公」から「自公保」へと続く公明党との連立政権への反発が原因だ。公明党の支持母体である創価学会に批判的な宗教団体や文化人でつくる「四月会」に加盟している立正佼成会、仏所護念会、霊友会などは、いずれも比例区を「自主投票」とする方針だ。
 ここへ来て、国民主権や政教分離という憲法の原則にかかわる問題をはらんだ森喜朗首相の「神の国」発言も追い打ちをかけ、自民党関係者にとっては頭の痛い問題となっている。

 県内に5つの拠点を持ち、約5万世帯の信者を擁する立正佼成会は、中選挙区時代から自民党を支持してきた。しかし、今回は「公明党と連立を組んでいるので支持できない」(渉外担当者)との理由で、比例区は自主投票の方針だ。

 同会は前回、小選挙区の1区で個人的につながりの深い民主党の簗瀬進氏(1998年に参院議員に転身)を推した。今回は同党の新顔、水島広子氏を推薦する。前回、自民党公認候補を支援した他の小選挙区についてはまだ明確な態度を決めていないという。
 同会の関係者は「公明党との関係にしろ、森首相の発言にしろ、憲法を順守すべき政府のトップが政教分離をどう考えているのか。自民党としても明確にすべきではないか。(26日の釈明の記者会見でも)発言の撤回もなく、納得がいかない。宗教や信仰を持っている人ならば、そういう面は敏感だ」と話す。

 県内で2万から3万世帯の信者がいるという仏所護念会も、中選挙区時代に旧1区で自民党の候補者を支持してきたが、今回は比例区に関しては自主投票にする方針だ。小選挙区への対応は、「今さら他の党に乗り換えられない」ことから、従来通りに自民党の候補者を個々に支持していくことになりそうだという。
 同会の関係者は「森首相の発言については否定も肯定もできないが…」と口を濁す一方、自公保の連立政権については「公明党と手を組んでいる以上、気持ちとしては自民党に抵抗していく。その点には強いこだわりがある」と語る。

 霊友会は、小選挙区は前回と同様、1区の船田元、4区の佐藤勉、5区の茂木敏充の3氏の推薦を5月末までに決める方向だ。政治担当の外郭団体である「インナートリップ・イデオローグ・リサーチセンター」が4月から5月上旬にかけて3氏と会い、政党自体を推すのではなく「個々人を推す」という人物本位の立場で判断したという。
 一方、比例区は自主投票だ。これまでは、前回衆院選や参院選の比例区で自民党を支援していたが、「今回は自公の選挙協力の話があるので」(関係者)との事情で変わった。
 森首相の「神の国」発言について関係者の1人は、世論の強い批判を浴びていることを念頭に、「感想は言われているようなことと同じ。個人的にはびっくりに近い」と話している。

4とはずがたり:2004/03/25(木) 04:20
【2000年総選挙 宗教団体の対応】

個別の自民・民主・自由・無所属の名前は判らないのかねぇ。

06/15 22:40 毎: <衆院選>宗教票の行方 創価学会に期待する自民

毎日新聞ニュース速報

 小選挙区になって重みを増した宗教票の行方が、今回の衆院選でがらりと変わる。7
00万票以上の集票力を誇る創価学会は前回、ほぼ旧新進党一色の支持だったが、今回
は相当数の自民党候補が支援を受けるとみられている。正反対に前回選挙で自民党中心
に200人以上を推薦していた立正佼正会や霊友会は、公明党が推薦した自民党候補を
対象から外し、大幅に推薦数を絞り込んだ。自民党執行部は「手堅い票」として創価学
会票に期待するが、投票率次第では効果が薄まる可能性もある。

 今月4日、千葉県習志野市で開かれた江口一雄氏(自民党前職)の後援会総会で、講
師に招かれる予定だった評論家、俵孝太郎氏のメッセージが読み上げられた。「江口さ
んは、私を講師とする会合を開けば、千葉県内での自公選挙協力を取りやめると言われ
たそうです」。俵氏の講演が中止になった理由を説明した内容だった。

 江口氏は、公明党の政権参加に反対して自民党内に作られた「政教分離を貫く会」の
代表世話人の1人。 俵氏は反創価学会の宗教団体などで作る「四月会」の代表幹事だ
。俵氏は「自民党の鈴木宗男総務局長や中川秀直幹事長代理が、千葉県の2区以外の公
明党との選挙協力がご破算になるので、江口さんにやめてくれと要請したきた」と主張
する。江口氏が出馬する千葉2区は、公明党前職の富田茂之氏とぶつかる自公対決区だ


 自民、公明の選挙協力は、公明党が自民党候補156人を推薦するなど、それぞれの
地域で始まっている。しかし「貫く会」の代表世話人の1人の白川勝彦元自治相の新潟
6区では、公明党新潟県本部が白川氏の対立候補の民主党の筒井信隆氏の推薦を決めた


 公明党の支持母体である創価学会の支持候補は今回、公明党の小選挙区公認候補18
人と改革クラブの3人にとどまっている。ただし公明党の推薦は、支持母体である創価
学会の支持とほぼ連動するとみられている。創価学会幹部は「前回はほとんど新進党候
補を支持して、その後自民党に復党する人が続出し、裏切られたという思いを抱いた会
員が多かった。今回は公明党の推薦は参考にするが、学会としての支持は極力抑えた」
と話す。

 一方、「四月会」に加盟する宗教団体は公明党が連立政権に参加してから、自民党離
れを始めている。霊友会は(1)公明党との連立政権を是としない(2)公明党、創価
学会の支援を受けない――ことを条件に、自民、自由、民主、無所属の合計91人の推
薦を決めた。このうち公明党から推薦を受けた候補はさらに推薦対象から外す作業を進
めている。霊友会は前回の衆院選では比例代表で自民党、小選挙区でも自民党候補を中
心に約290人を推薦していた。

 また、立正佼成会は昨年6月、「『自自公連立政権』は容認できない。これを推進す
る国会議員は推薦できない」との基本方針を決めた。前回の衆院選は自民党を中心に2
51人を推薦したが、今回は自民党議員の推薦を大幅に減らし、自民38人、民主34
人、自由2人、無所属の会1人、無所属10人の計85人に絞り込んだ。

 反創価学会の宗教団体が自民党議員の推薦を減らしたことについて、自民党幹部は「
従来からの宗教票が離れるものの、創価学会の支援を受けれるところもあるので、結果
的にどれだけマイナスになるか分からない」と話している。

  宗教団体の支持・推薦候補の内訳

      創価学会 立正佼正会 霊友会

政党

自民党    0    38    84

民主党    0    34     3

公明党   18     0     0

保守党    0     0     0

自由党    0     2     1

改革クラブ  3     0     0

無所属の会  0     1     0

その他    0    10     3

*共産、社民両党への推薦・支持はなし。霊友会は1日現在の数

5とはずがたり:2004/03/25(木) 04:25
【新進党が結党された後95年の頃の創価学会側の四月会観1】

「地湧」選集

第24章  権 力 欺 罔1995年1月18日

「佼成会が四月会を退会すると加盟教団に逆襲される」!?
「退会したら私は殺される」と布施・佼成会理事が語った

 平成七年一月十二日付『中外日報』は、立正佼成会の理事・布施浩志氏に対するインタビュー記事を掲載している。
 このなかで「四月会」(代表幹事・俵孝太郎氏、正式名称「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」)発足にまつわる内幕が語られている。布施理事は「四月会」結成の中心者の一人だけに、注目される発言である。
 「『四月会』に入れという前に宗教者だけでやろうという話があった。亀井(静香)さんから話があったとき、亀井さんには政治と宗教を分けようと言った。その点に関しては譲らなかった。それで亀井さんの方は『憲法二〇条を考える会』になった。宗教と政治の問題については、霊友会の久保継成理事長が実に熱心だ。久保さんの使いで鎮田(順行IIC所長)氏が呼びかけに来た。久保さんは、宗教者だけでやってもだめだからといって、それで学者・文化人を含めてやろうということになった」(平成七年一月十二日付『中外日報』)
 創価学会つぶしを、亀井静香・現運輸大臣が会長をする自民党国会議員の集まりである「憲法二〇条を考える会」と連携しながらおこなっている「四月会」は、現在においては政教分離を建前にし、それを創価学会攻撃の口実にしているので、表だっては別組織の風を装っている。しかしながら、この二つの組織は発足当初から表裏一体をなすものであったことが、布施理事の発言によって確認できる。しかも、「四月会」は亀井氏が実質的に発起人で、この亀井氏の呼びかけに霊友会理事長の久保継成氏が乗り、立正佼成会の政治担当理事である布施氏に連携を呼びかけたもようである。
 立正佼成会は霊友会の分派であることから、これまで長年にわたり深刻な対立をしてきた。また、教団としての社会的主張も、両教団の間にはさまざまな面で大きな隔たりがあった。立正佼成会は戦中、教祖・庭野日敬が杉並警察署に二週間拘留され、取り調べを受けたことがある。
 一方、霊友会は戦中、大政翼賛運動の先頭に立って、国民を戦争に駆り立てた。その両者の違いは、戦後における政治姿勢の違いとしてあらわれている。立正佼成会は靖国神社の国家護持を目指す靖国法案に反対し、霊友会はそれを推進してきた。
 立正佼成会は、これまで自民党、旧・新生党、民社党、社会党の立候補者を全方位的に人物本位で推してきたが、霊友会はウルトラタカ派教団にふさわしく石原慎太郎氏などの「青嵐会」に属した者など、いわゆる自民党のなかでも右派を選挙で支持してきた。
 このまったく性格の違う、かつ、長年サヤ当てをしてきた二教団が、亀井氏などの自民党国会議員の呼びかけで、「四月会」において野合をなしたのである。この野合が成立したのは、自民党ベッタリの霊友会はともかく、立正佼成会の場合は布施理事が独断専行し、教団を引きずり込んだというのが真相のようだ。
 長年、立正佼成会を代表して政界との折衝をおこなってきた政治担当理事の布施氏は、自民党をはじめとする立候補者より、選挙のたびに金が流れたというのがもっぱらの噂である。現に自民党国会議員のなかには、「布施は金ばかり取って、なにもしない」と嫌悪の情もあらわに話す者がいる。この一言をもっても、布施理事と自民党の癒着が並のものではないことがわかる。

7とはずがたり:2004/03/25(木) 04:26
【新進党が結党された後95年の頃の創価学会側の四月会観2】

 布施理事は、
 「『四月会』から佼成会が退会したら、私は殺されてしまう」(同)
 とも話しているということだ。それほどの政界深層部からの恐怖につき動かされながら、布施理事は「四月会」にかかわっているのである。
 ということは、とりもなおさず「四月会」は、暗闘うずまく政界の深層部の濁流が表社会に噴き出したような存在といえる。政治の暗部に蠢く者らが、紳士然として“信教の自由”を口にし、癒着と脅しの構造のなかで、宗教団体を政治の力学のなかにからめとろうとしているのである。
 布施理事は、
 「教団がやめろと言えば、やめなければならない。しかし、教団としては全体を見ているから、『四月会』のメンバーから逆襲されてはいけないから、と考えているのかもしれない。どう判断するのか分からない」(同)
 と、みずからの責任を回避する弁を弄している。だが実際のところ、立正佼成会が「四月会」を退会すれば、立正佼成会が「四月会」のメンバーのみならず、同会を操る自民党から恫喝されることは目に見えている。
 その権力主義者たちが、“信教と精神性の尊厳と自由を確立する”などといった美辞麗句を口にし、宗教票ほしさのあまり、宗教界に強権をもって介入しようとしているのである。「四月会」に与し、宗教の尊厳をわきまえない政治家に従属することは、すなわち信仰者として死を選ぶことである。
 「四月会」に集まった者たちは、屍の死肉を食する蛆虫たちである。彼らは、健全なる精神と思想信条を有する人々に対しては、とりつく術を持たない。
 立正佼成会内部では、布施理事追放の動きが昨年秋以降、激しくなってきていると伝えられる。「四月会」に同会を巻き込み、創価学会との対立を生み、教団を危急存亡の淵におとしいれたことと、布施理事本人の腐敗が問題にされているという。
 日蓮大聖人曰く。
 「修羅が日月をのめば頭七分にわる・犬は師子をほゆれば・はらわたくさる」(衆生身心御書)
[通解]修羅が日月を呑むと頭が七分に割れ、犬が師子を吠えればかえって腸が腐る。
 
 すでに空中分解しているも同然の「四月会」に、日顕宗の教妙寺住職・柳坂特道、興福寺執事・久保田雄啓らが参加している。謗法と同座することは、狂乱“法主”である日顕が命じたのであろう。
 その「四月会」の集会に坊主らに動員されて参加し、創価学会攻撃のために他宗派の者らの力を頼みながら、「日蓮正宗は唯一の正しい宗教、日顕上人猊下は唯授一人血脈相承のお方」と話す法華講幹部もいる。これはさすがに「四月会」に席を並べる他宗派の人々の笑いをかっていた。
 自分らが他宗派に泣きついていながら、昂然と唯我独尊を言えば笑われるのも無理からぬところ。その矛盾に気がつかぬほど、日顕宗の輩は頭が割れているのである。

8とはずがたり:2004/03/25(木) 04:35
【2000年総選挙 愛媛県内の宗教団体の対応】

・立正佼成会…小選挙区は白紙投票,比例区は自主投票
・霊友会の政治担当団体のIIC…1区、2区と参院選は推薦、3区と4区はIICとしての推薦はないが「地元としてできる限り支援」,比例は自主投票。
・神社本庁…従来方針通り、神道政治連盟国会議員懇談会 の会員を推薦し、県内では衆院3区、比例、参院補選の候補が該当

2000年 6月19日(月) 愛媛新聞社
 自公連立で異変 自民候補に「宗教団体、思惑さまざま」  
 接近・公明の主張反映、評価 創価学会/離反・不信任と推薦見送り 反学会系
 自民党が、創価学会を主な支持母体とする公明党と連立政権を組んだことから、今回の衆参同日選で、従来の県内政党 と宗教団体との距離が大きく変化している。自民と友好関係にあった団体の中には、組織本部に連動して自民候補への支 援を取りやめたところも。一方、前回衆院選までは自民と対立してきた公称約十万という県内学会票が、公明が候補を立てていない衆院小選挙区と参院愛媛選挙区補選でどの候補に向かうかも注目される。
 反学会系の宗教団体などでつくる「四月会」の常任幹事六団体の一つである立正佼成会は昨夏、憲法の政教分離の観 点から「自公連立を容認できない」との見解を発表。佼成会の県内三教会は、今回の衆参両選挙の自民公認候補五人と面談などをしたところ、いずれも連立を容認したため、前回の推薦候補も含め、五人とも事実上不信任の「白紙投票」に決めたという。比例は自主投票。
 自民と佼成会の付き合いは長く、松山教会の鈴木孝太郎教会長は「会員にはそこまでしなくてもとの意見があり苦渋の選択だったが、今回は絶対に容認できなかった」と振り返る。
 四月会常任幹事団体の霊友会も佼成会と同様理由で自公連立に反対。霊友会の政治担当団体のIICによると、前回は ほとんどの自民公認候補を推薦したが、今回は候補個人の考えを聞いて公明党との連立を「よし」とする候補は推薦しなかった。比例も前回は自民を全面支援したが、今回は自主投票。愛媛の自民候補に対しては当初、1区、2区と参院補選は 推薦、3区と4区はIICとしての推薦はないが「地元としてできる限り支援する」ことを決定。ただし、3区候補は公明の推薦を受けたため、地元からIICに「少し考える」と一歩下がった連絡があったという。
 同じく四月会常任幹事団体で、基本的に自民を支援してきた神社本庁は従来方針通り、神道政治連盟国会議員懇談会 の会員を推薦し、県内では衆院3区、比例、参院補選の候補が該当する。県内組織の県神社庁は「連立は政党の判断で、 神社本庁や県神社庁の従来方針とは別」と説明。公明推薦を受けた3区候補については「こちらの推薦が先でもあり、特に問題はない」としている。
 一方、創価学会は五月中旬に衆院小選挙区、参院補選とも自主投票を決定。公明は、自民の要請を受けて3区では自民候補を推薦したが、学会は自主投票のまま。ただ、公明の判断が会員の投票の大きな判断材料にはなるという。政教一致との批判には「公明の連立参加は憲法に反しない」と真っ向から反論する。
 前回衆院選では当時自民が、公明が参加していた新進党を「学会が新進党という皮をかぶり政治の権力を握ろうと画策している」などと攻撃、1区で自民と新進の前職同士が接戦を展開。今回は森喜朗首相の「神の国」発言が学会員の反発を 招いた。学会の片山宏県広報部長は「一部の会員には自民への感情的なしこりはあるだろう」とするが、自民との連立については「公明の主張が政策に反映されていることをプラスに評価する」と分析。「候補によって差こそあれ、衆院小選挙区と参院補選では連立を組む自民候補に票が流れやすいのでは」とみている。

9とはずがたり:2004/07/01(木) 05:10
【2000年総選挙中国地方宗教票】
http://www.chugoku-np.co.jp/00syuin/senkyo/0620b.html
 中国五県に約十七万世帯の会員がいる立正佼成会は十六日、推薦 候補を発表。一九九六年の前回衆院選では自民を全面的に支援した が今回、推薦した自民候補は山口県内の前職一人。「連立政権への 姿勢を候補へのアンケートや面談で調べ、総合的に判断した」と本 部広報課。昨年七月に発表した「(当時の自自公政権を)是とする 国会議員は推薦できない」との見解に沿った。

 五県に七―八万人の会員がいる霊友会も同様の姿勢。ほぼ全員の 自民候補を推薦した前回から一転、政治団体「インナートリップイ デオローグリサーチセンター」(I・I・C)を通じて推薦した候 補は、山口、岡山の自民前職三人。他は自主投票とした。I・I・ C本部は「三候補は、勉強会に積極的に出席してもらっていること などを考慮した」と説明する。

 世界救世教の政治団体である「明社会」は前回、自民候補を推薦 したが、今回は一ランク下げた「支持」にとどめた。外事部は「公 明の政権入りに首をかしげざるを得ないが、基本的に自民支援の考 えは変わりない」とする。

 これに対し、創価学会は「原則は自主投票」(中国広報局)との 立場をとる。だが、公明が中国地方の十三選挙区で自民候補を推薦 しているため、「公明がどの候補を推薦しているかは、大きな判断 材料にはなる」と、学会票が自民に流れる可能性を示唆する。

 一方、浄土真宗本願寺派は「これまでも党派に関係なく個人を推 薦してきた。連立政権への門徒の感情的な問題はあろうが、対応に 変化はない」(広報部)。今回は五県の候補が所属する寺から申請 のあった十二人(十九日現在)を推薦している。政党別では自民八 人、民主、社民、無所属の会、無所属各一人。前回は十五人で、う ち自民は七人だった。

 神社庁の神道政治連盟は「自民支持は変わらない」とし、自民の 国会議員懇談会のメンバーを中心に各県本部が推薦。中国地方は自 民前職、新人合わせて二十人。生長の家は「約十五年前から政治活 動は凍結した」(広島県教化部)と、投票は会員個人の判断に任せ ている。

10とはずがたり:2004/07/01(木) 05:11
【2001年参院選挙宗教票】

●2001年7月29日
参議院選で本会推薦候補13人当選
http://www.kosei-kai.or.jp/news/2001-07/0729-01.shtml

7月29日、第19回参議院選挙が行われ、各政党の新たな議席数が確定しました。参議院の総定数は、昨年10月の公職選挙法改正(定数10削減)によって242議席。今回の選挙では、その半数にあたる121議席が改選されました。参議院選にあたり、本会では、「比例区推薦委員会」「選挙区推薦委員会」が推薦候補者を検討。最終的に、比例区2人、選挙区22人の候補者に対する推薦を決定し、公示後、全国各教会で支援活動が展開されました。その結果、比例区では佐藤道夫氏(民主党)が当選。選挙区では自民、民主、自由の計12人が当選しました。


今回の選挙で「比例区推薦委員会」「選挙区推薦委員会」が推薦を決定した候補者の内訳は、比例区が民主党と「新党・自由と希望」の2人。選挙区が自民党(3人)、民主党(12人)、自由党(2人)、無所属(5人)の計22人です。
このうち比例区では、民主党の佐藤氏が当選。選挙区では、自民党(3人)、民主党(8人)、自由党(1人)の計12人が当選しました。
今回の選挙にあたり、「比例区推薦委員会」(教区および教庁代表らで構成)は、4月上旬、2人の推薦を決定。候補者決定の段階で同委員会は解散し、新たに「政治浄化推進委員会」(構成は「比例区推薦委員会」と同様)を発足させ、会員に対する政治意識の高揚などを図ってきました。7月12日の公示後は、全国各教会で支援活動が展開されました。一方、「選挙区推薦委員会」(選挙区内の代表教会長、渉外部長、壮年部長らで構成)は、順次推薦できる候補者を決定し、7月上旬、最終的な推薦候補者を理事会に報告しました。公示後は、全国の20選挙区で支援活動がなされました。
候補者決定にあたっては、比例区、選挙区とも、「四項目」(平和主義の推進、信教の自由の堅持、政治倫理の確立、行政改革の推進)をはじめとする本会の政治理念に理解を示していること、また1999年の教団見解を踏まえ、「自公保」連立政権に対して明確な問題意識を持っている点などを基準としました。

当選した本会の推薦候補者(政党別、敬称略)
比例区 民主党 佐藤道夫
選挙区
自民党 保坂三蔵(東京)、谷川秀善(大阪)、林芳正(山口)

民主党
岡崎トミ子(宮城)、小林元(茨城)、谷博之(栃木)、
角田義一(群馬)、山根隆治(埼玉)、鈴木寛(東京)、
榛葉賀津也(静岡)、松井孝治(京都)

自由党 森裕子(新潟)

(2001.7.30記載)

http://www.niigata-nippo.co.jp/2001sanin/saninsen29.html
■首都圏街宣
 白川氏は、推薦する宗教団体、立正佼成会の全国支部を回り組織票を固める。同会が約千人を動員し、首都圏で街頭演説を積極的に行うなど、知名度アップや「反創価学会票」の取り込みに全力を挙げる。
 県内では、かつての選挙区の上越市や十日町市で、従来の後援会関係者に対し「この選挙は自由を守る戦い。新潟6区だけの問題ではなく全国民の問題」と参院くら替えに理解を求めた。
 21日、長岡市内の街頭演説には自由党の渡辺秀央選対委員長が応援演説。「自由党の票が減っても、白川と書いてほしい」と共闘姿勢を強調。白川氏が選挙区で自由党の森裕子氏を推薦したことへの配慮を示した。

11とはずがたり:2004/07/01(木) 05:14
【2003年総選挙宗教票1】

●2003年11月14日
第43回衆議院議員総選挙を終えて――松原外務部長が会員に向け談話を発表
http://www.kosei-kai.or.jp/news/2003-11/1114-02.shtml

衆議院の解散に伴う第43回衆議院議員総選挙の投開票が11月9日に行われ、各政党の新たな議席数が確定しました。今回の総選挙では、自民党が議席を減らしたものの「自公保」の与党で絶対安定多数を確保、一方、野党では民主党が議席数を大きく伸ばし、二大政党化が一層進む結果となりました。立正佼成会では、選挙に際し、政治浄化活動の基本姿勢、四項目の政治課題に基づいて、各教会(推薦委員会)が推薦候補者を選定しました。各党派別の推薦候補者は、自民党56人、保守新党1人、民主党86人、社民党2人、無所属の会1人、無所属6人の計152人。このうち当選者は、自民党44人、民主党70人、社民党1人、無所属1人の計116人となり、7割以上が議席を得ました。総選挙を終え、松原通雄外務部長は会員に向けて談話を発表しました。


[松原通雄外務部長談話]
このたびの衆議院総選挙に際しまして、各推薦委員会はじめ会員の皆さまに多大なご尽力を頂きました。心より御礼申し上げます。
各推薦委員会では、本会の政治浄化活動の基本姿勢と「平和主義の推進」「信教の自由の堅持」「政治倫理の確立」「行政改革の推進」という四項目の政治課題、さらに教団本部からの情報提供等に基づいて、推薦候補者の選定が行われました。教会の主体的な判断による選定が、今回さらに定着したと考えております。
皆さまのご理解とご協力、熱意のおかげさまで、152人の推薦候補者中、116人が当選いたしました。一部には残念な結果もありましたが、「健全な野党をつくり上げ育てていくことができる人材」「与党を内側から改革し浄化していく人材」の双方の観点から、よりよい政治を目指し、政界に緊張感をもたらそうと取り組んだ本会の姿勢は、十分に示すことができたのではないかと思います。
今回の選挙では、注目された政権交代には至りませんでした。今後も政権は「自公」の与党で運営されていくものと思われます。本会は一貫して、特定の宗教団体による影響が大きいと言われる政党の政権への参加は好ましくないと考えており、この点から、政権の枠組みには今後も注視してまいらねばなりません。また、政治の腐敗を防止し、一層の緊張感をもたらすためにも、政権担当能力のある野党の育成という視点を持ち続けることが大事であると考えます。
特に今回は、各党が政権公約(マニフェスト)を示し、政策を競いました。新政権がその公約をどのように実現していくか、また、それぞれの党のスタンスは矛盾なく主義の通ったものであるかなど、今後、その行く先を見極めていくことが必要です。私たちにとり、推薦議員の活動に注目し、日常的にも議員との対話を通して相互理解を深めることが大切になってまいります。政治は、主権者である国民の意思が反映されるものでなくてはなりません。
その意味からも、今回の投票率が伸び悩んだことは残念であり、私たちはさらに、棄権防止を呼びかけてまいらねばなりません。会員として、一国民として政治意識を高めていくことが一層求められております。
今後も、本会は、人々の幸せと平和な社会の実現に向けた菩薩行として、政治浄化活動に取り組んでまいります。皆さまの一層のご理解とご協力をお願い申し上げます。

12とはずがたり:2004/07/01(木) 05:15
>>11-12(11の続き)

[当選した推薦候補者]
[自民] 赤城徳彦 甘利明 石原伸晃 伊藤達也 今津寛 岩崎忠夫 江渡聡徳 衛藤晟一 大島理森 小野晋也 尾身幸次 梶山弘志 亀井善之 河野太郎 河野洋平 高村正彦 小坂憲次 桜井郁三 左藤章 佐藤剛男 島村宜伸 自見庄三郎 下村博文 菅原一秀 高木毅 武部勤 竹本直一 田中和徳 谷畑孝 谷垣禎一 中馬弘毅 永岡洋治 中川昭一 根本匠 原田義昭 平沢勝栄 保利耕輔 町村信孝 松宮勲 宮下一郎 武藤嘉文 森山真弓 山際大志郎 渡辺具能 

[民主] 安住淳 荒井聰 五十嵐文彦 池田元久 石井一 泉房穂 稲見哲男 井上和雄 生方幸夫 枝野幸男 大島敦 大谷信盛 大出彰 岡田克也 奥村展三 加藤尚彦 金田誠一 菅直人 菊田真紀子 岸本健 木下厚 玄葉光一郎 小平忠正 五島正規 小宮山泰子 小宮山洋子 近藤昭一 佐藤謙一郎 佐藤公治 末松義規 鈴木克昌 首藤信彦 仙谷由人 高井美穂 武正公一 武山百合子 田島一成 玉置一弥 樽井良和 辻恵 手塚仁雄 土肥隆一 中川正春 長島昭久 仲野博子 中野譲 長安豊 西村智奈美 鳩山由紀夫 藤田幸久 肥田美代子 平岡秀夫 平野博文 古川元久 古本伸一郎 細野豪志 細川律夫 前原誠司 松崎公昭 松野信夫 松野頼久 水島広子 室井邦彦 山岡賢次 山井和則 横路孝弘 吉田泉 吉田治 若井康彦 若泉征三 

[社民] 横光克彦

[無所属] 加藤紘一
計116人(政党別 敬称略)

(2003.11.14記載)

http://www.yomiuri.co.jp/election/general2003/news/20031106ia23.htm
 ◆反創価学会系、民主接近や自民回帰◆

 一方、創価学会に批判的な立正佼成会は、公明党が推薦した候補は原則として推薦しない方針だ。その結果、推薦した民主党候補は前回の35人から87人に大幅に増え、自民党候補の56人(前回35人)を上回った。

 民主党は、「自民党が創価学会頼みを強めていることへの反発が背景にある」(幹部)と見ている。

 仏所護念会教団は、推薦を依頼してきた自民党の元議員が創価学会にも支援を要請していたため、推薦を見送ったケースもあったという。これに対し、霊友会の外郭団体で政治などを担当する「インナートリップ・イデオローグリサーチ・センター」(IIC)は1日付の機関紙で、「比例選は自民党へ」と明記した。

 一方、自民党を支持してきたMOAは「自民党公認候補は原則支援する方針。野党候補は一切支援しない」(関係者)としている。


http://www.chunichi.co.jp/03seikyoku/tknews/ibk/ibk03110601.html
 立正佼成会の水戸教会(水戸市)では、自民、民主両党の候補者ポスターが並ぶ。同じ選挙区ではないが、1、4区が自民、2区は民主党候補。連立樹立を機に、それまでの自民一党支持をやめたために起きた現象だ。責任者は「候補者と話しをしてからだれを応援するか決めている。次回も同じとは限らない」と説明する。

http://www.shinshukyo.com/webup/back03/main03/2003.12.05.htm
先の衆議院選挙の全日仏候補者推薦について、推薦119人(自民89、民主26、無所属4)のうち98人(自民73、民主24、無所属1)が当選したことが報告された。全日仏は自自公連立政権発足以来、候補者推薦を取りやめていたが、今年5月の理事会で推薦再開を決議している。

14とはずがたり:2004/07/01(木) 05:41

地殻変動   政党支持団体
(5)立正佼成会、神道政治連盟   ねじれ生む自公連立
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/kikaku/014/6.htm


 「大学教員だった自分の経験を生かし、民間企業と大学の連携強化、教育面での改革を行い、日本の笑顔、将来繁栄する基盤作りを行いたい」

 五月三十日、八潮市の立正佼成会三郷教会で、参院選比例代表選に民主党から立候補する元東大助教授の藤末健三氏は、「明日の日本を考える」と題した約一時間にわたる講演を行った。

 教会関係者は「子供時代のエピソードから親を大事にする姿勢まで、誠実でクリーンな候補の素顔をアピールできた」と、初めて立正佼成会が推薦した民主党の比例選候補予定者に合格点をつけた。

 立正佼成会は、法華三部経を教典とする宗教団体で、長らく自民党の支持団体として知られてきた。しかし、一九九九年に小渕内閣が、創価学会を支持母体とする公明党と自民、自由(当時)の三党連立内閣を組んだことに反発、「自自公連立内閣を容認できない。これを是とする国会議員は推薦できない」という教団見解を発表した。

 以来、選挙での支持も自民党から民主党へと徐々に比重を移し、今回初めて、参院選の比例選で藤末氏と朝鮮日報日本支社長だった白真勲氏の二人の民主党候補に推薦状を出した。

 立正佼成会は全国の教会を東日本は白氏、西日本は藤末氏と二つに分け、選挙運動を展開している。県内を統括する埼玉教区(林總太郎教区長・約十一万世帯)は本来東日本のブロックだが、知名度の低い藤末氏の応援をすることになり、藤末氏が五月初旬から六月三日まで県内十五の教会を回って歩いたのだ。

 しかし、自民党から民主党への切り替えに、地方の各教会関係者の中には簡単には割り切れない思いが残る。ある関係者は「比例選は本部が決めたことで候補もきちんと挨拶(あいさつ)に来てくれたので、みんな名前を書くだろうが、選挙区選に限っては、本部から『この候補を支持しろ』といってきても通る話ではない」と明かす。

 立正佼成会の県選挙区推薦委員会は五月初旬、埼玉選挙区で民主党公認の島田智哉子氏の支持を決め各教会に通達した。が、三郷教会での島田氏のあいさつが一、二分で終わったことを見ても、藤末氏との温度差は明らかだ。

 教会の幹部は「昔なじみの地元の県議や市議から選挙区で自民党支持を頼まれたら断れないかもしれない、要は候補者がどれだけ熱心に来るかだ」と語る。

 逆に、自民党支持を決めながらも、自公連立に割り切れない思いを残す団体もある。

 神社の神職を中心とした神道政治連盟(神政連)は一九六九年の設立から、自民党の候補者を支持してきた。

 五月十三日、さいたま市大宮区にある静かな森に囲まれた、氷川神社の参道横にある神政連県本部。県本部長を務める大滝村の三峯神社宮司の中山高嶺氏が、十五人ほど並ぶ役員を前に「関口昌一議員が昨年の補選に続き立候補をする。神政連としても、頑張ってまた応援したい」と支持を求めたところ、関口氏の支持が異論もなく決まった。

 関口氏自身、昨年十月の参院補欠選挙当選後、神政連の主張に賛同する神道政治連盟国会議員懇談会に入ったことも支持の材料だった。

 神政連によれば県内には約二千の神社があり、一神社につき総代と言われる祭礼時の手伝いをする者が五人から十人いる。すべてに関口支持が行き渡れば、一万から二万人が動員される計算だ。しかし、中山氏は、「自公連立内閣をおもしろくないと思う者がいるのも確かだ。地元にそれぞれ事情があり強い締め付けができるものでもない」と語る。

 度重なる政権の組み替えは、支持団体の中にねじれを生んでいる。

 立正佼成会 1938年設立の在家仏教教団。国内に239教会、会員世帯数205万世帯(2002年12月31日現在)。埼玉教区には15教会、約11万世帯の信者がいる。

 神道政治連盟 皇室と日本の伝統文化を守り、靖国神社に対する国家儀礼の確立を目指すなどの運動を続ける全国組織。県本部の会員は約2500人。

15とはずがたり:2004/07/01(木) 05:43
《決戦前夜 03総選挙やまぐち》宗教団体、動き活発に 小選挙区対応に慎重姿勢
http://www2.asahi.com/senkyo2003/localnews/yamaguchi/OSK200310190013.html

 次期総選挙に向け宗教団体の動きが活発になってきた。連立政権で2度目の総選挙となる公明党の支持母体・創価学会は比例票の掘り起こしに懸命だ。立正佼成会や、山口市に本部をおく新生佛教教団は小選挙区で支援を決めた。連立の是非が問われた前回に比べ宗教界の「学会vs.反学会」の構図は薄まったとの見方がある。教団側は組織票が利用されるのを避けて、立候補予定者の考えや対応をより慎重に見極めているようだ。

◇比例に見返り求める声も

 公明党・創価学会の目標は比例中国に立候補予定の前職桝屋敬悟、同斉藤鉄夫、新顔笹井茂智3氏の当選だ。公明党の前回の比例票は県内で11万3千票。今回は14万票を目標に設定し、相当の上積みが必要だ。特に宇部、下関、岩国各市で掘り起こしをねらう。

 16日、公明党は山口4区の安倍晋三氏(自民)推薦を発表した。「安倍さんは幹事長として小選挙区で公明党の立候補予定者を応援演説するなどしてくれたからだろう」と学会関係者は解説する。

 公明党は14日には前回推薦した2区の佐藤信二氏(同)からも推薦願を受け、推薦するかどうか検討中だ。

 小選挙区で他党の候補者を支援し、バーター(取引)として比例区で公明党に投票してもらう−−。同党が比例票を増やす戦略の1つだ。

 ただ、学会内には「こちらが出す分に比べ、もらう分が少なくなり、非常に不公平だ」として、バーターには慎重な声もある。小選挙区での支援について学会幹部は「比例でどれだけの見返りがあるのか。公明党は推薦基準や理由をはっきり示してほしい」と話す。

   ×   ×

 立正佼成会は10日の衆院解散前後に選挙区ごとに推薦候補を検討する推薦委員会を開き、1区で高村正彦氏(自民)、2区で平岡秀夫氏(民主)の推薦を決めた。3、4区は自主投票の方針だ。

 同会は特定の政党を支持しない。公明党の連立政権入りには批判的な立場だ。前回総選挙の推薦は自民、民主、自由などの83人で、96年の251人から大幅に減った。自公保連立への考えやイラクへの自衛隊派遣の賛否をチェックし、直接本人に会って確認するなど念を入れたという。

 東靖憲・山口教会長は「平和主義、信教の自由など、私たちが目指すものと候補の訴えが一致していることが一番重要だ」と話す。

 高村、平岡両氏に対しては新生佛教教団も支持を打ち出した。教団は3区で河村建夫氏(自民)、4区で安倍氏も支持する。前回総選挙では反創価学会を鮮明にし、公明党や学会に近い候補の「落選運動」も展開した。

 教団幹部は言う。「前回は全国的に反学会で動いた団体が多かったが、今回はそれほどではない。ただ、自民は組織的な集票力が低下している。党の公認を得れば大丈夫という時代は終わり、自分で票を集めようと必死だ。通った後も選挙前の姿勢をきちんと貫くのか見守りたい」

 (10/18)

16とはずがたり:2004/07/01(木) 05:47
2001.07.06 ■2001参院選 小泉旋風(4)
選挙協力 自民変質、困惑隠せぬ公明
http://www.sankei.co.jp/databox/01sennkyo/07/0706-02.html

「比例代表は、公明党の福本潤一さんと書いてください」
 参院選広島選挙区から出馬する無所属新人の元キャスター、柏村武昭氏は、広島市内で開かれた公明党の参院選比例代表候補、福本氏の会合でこう声を張り上げた。
(中略)
小泉純一郎首相の誕生で自民党内の空気は一変。「創価学会票より小泉人気に乗った方が無党派層に食い込める」(幹部)と「公明離れ」のムードが徐々に広がりつつある。

※  ※

 一方で、自公協力が進展している選挙区も存在する。鹿児島もその一つ。「奄美大島では自民党との選挙協力が期待以上に進んでいる。口約束だけでない盛り上がりだ」と公明党幹部は言う。

 「連立が強固であれば、必ず当選できることを示していただき、小泉政権の使命が果たされることを期待している」

 六月十六日、那覇市内の会合で自民党の野中広務元幹事長は甲高い声で連立の意義を強調した。

 沖縄選挙区で自民党は西銘順志郎氏を擁立し、比例代表では公明党の遠山清彦氏を支援する選挙協力を行うが、両人の名前が印刷された名刺を作製するほどで、橋本派幹部は「選挙協力の模範選挙区」と呼ぶ。

   ※  ※

 平成十一年秋の自自公連立政権発足以降、自民党と距離を置いてきた立正佼成会、霊友会など反創価学会系の宗教団体に自民回帰の兆しがみられるようになった。

 立正佼成会がこれまでに推薦を決定したのは自民党を離党し「新党・自由と希望」を立ち上げた白川勝彦氏と民主党の佐藤道夫氏ら二十一人で野党議員が多い。

 しかし、小泉政権の誕生で「これまでより話し合う機会は増えていくだろう」とし、今月上旬の最終決定では自民党候補の推薦を増やす意向だ。

 霊友会も自民党現職、橋本聖子氏の推薦を決めている。
(後略)

17とはずがたり:2004/07/01(木) 05:55
http://www.weeklypost.com/jp/991105jp/news/news_6.html

長野補選は羽田孜民主党幹事長の長男、雄一郎氏が自民党候補の深沢賢一郎元県議を大差で破り、鳩山由紀夫民主党代表は「自自公連立に対する国民の批判は強い」と勝利宣言した。
 が、選挙戦の舞台裏では自民党と民主党の宗教団体票の奪い合いが展開された。
  自民党候補の深沢氏は反創価学会の宗教団体、立正佼成会の会員である。
 深沢氏擁立の背景を自民党森派の幹部がこう語る。
「羽田王国と呼ばれる長野で羽田家のプリンス、雄一郎氏の知名度は抜群だ。それに対抗するために宗教票を味方につける戦略をとった。深沢氏であれば長野県下で5万世帯といわれる立正佼成会の支援に加え、連立のパートナーの公明党を通じて創価学会の票を得ることができれば勝算があるという読みだった」
 創価学会と立正佼成会という対立する2団体の票を狙ったのである。
 実際、公明党は深沢氏を推薦し、折しも選挙期間中に死去した立正佼成会の創始者・庭野日敬氏の葬儀には鶴岡洋公明党参院議員会長と西口浩創価学会副会長が異例の参列をした。
 ところが、当の立正佼成会側が会員の深沢氏への推薦を見送った。それというのも、民主党側は熊谷弘幹事長代理を中心に、立正佼成会に対して羽田氏支援を求める工作を密かに進めていたからである。熊谷氏は民主党内に『宗教と政治を考える会』を結成して公明党批判を展開する一方で、反創価学会の宗教団体に対し次の総選挙で民主党への支援を要請している。
 立正佼成会にも、長野補選で公明党批判をすることを条件に羽田氏支持を求めたのである。工作は成功するかに見えた。
 大どんでん返しが起きたのは、選挙戦終盤。民主党中枢幹部の証言だ。
「羽田幹事長と創価学会は新進党時代からパイプが太い。そのため、創価学会が本気で深沢候補を支援することを恐れて、雄一郎氏が極秘に地元の学会幹部にあいさつに行った。立正佼成会側は羽田氏が公明批判に消極的なことに不信感を募らせていたところに、その情報が漏れて支援の交渉は完全に失敗し、熊谷さんは激怒した」
 その結果、立正佼成会と創価学会はともに、自主投票の方針をとり、自民党、民主党は、いずれも思惑が外れて宗教票を失う結果になったのである。

18とはずがたり:2004/07/01(木) 06:01
民社系で公明の支援を受けた筈の木俣氏は今回立正佼成会の支援を受けるようですな。
>名古屋市中区にある宗教団体、立正佼成会の名古屋教会。2階のロビーには、民主党比例の立候補予定者、
>藤末健三氏のポスターとともに、同党公認の愛知選挙区の立候補予定者、木俣佳丈氏のポスターが並ぶ。
>  同会は今回、木俣氏に推薦を出した。6年前は県内で20万票を動かすという公明党の支援で
>トップ当選した木俣氏だが、今夏の参院選は10万〜11万世帯といわれる立正佼成会が支援する。
>  かつては自民党と親密な関係だった立正佼成会だが、自公連立後は公明党への反発から民主党の支援を
>明確に打ち出している。同会広報グループ(東京)は「比例区は(民主党の)白真勲氏と藤末氏を推薦して
>おり、比例区と選挙区を連携させていく」と言い切る。

[審判’04−参院選あいち]
http://mytown.asahi.com/aichi/news02.asp?c=38&kiji=154
揺らぐ自民支持団体
日歯連 汚職事件混乱続く
建設業界 「小泉改革」逆風に
立正佼成会 自公連立で見切り


  自民党の集票を支えてきた業界団体や宗教団体が、今夏の参院選に向けて足並みを乱している。日本歯科医師連盟(日歯連)の汚職事件や、3年前の参院選の郵政関係者による選挙違反事件で、組織選挙への風当たりが強まっているだけではなく、「小泉改革」や自公連立が、従来のような自民支持を鮮明に打ち出せない原因になっている。

  「まだ何の方針も決まっていないし、動いてもいない。自分自身、今は距離を置いている」

  今夏の参院選について、県歯科医師連盟のある幹部は、こう話す。

  診療報酬をめぐる汚職事件で、日歯連の臼田貞夫前会長らが逮捕、起訴された。日歯連は今回の参院選比例区に立候補予定だった、日本大学助教授の笹井啓史氏の擁立断念を11日に決め、混乱が続いている。

  県内では、県歯科医師連盟が推す歯科医の比例区現職、大島慶久氏が愛知選挙区への転身を目指し、自民党県連予備選で2位になったが、汚職事件の余波から立候補断念を余儀なくされた。連盟には今も複雑な感情が残り、党側も従来のような強力な支援は望めない状況だ。

   ■  ■

  郵政関係の職域支部、自民党県大樹支部は、比例区で東海郵政局長も務めた元郵政官僚、長谷川憲正氏を支援する。5月21日には本人を招き、県内3カ所で集会を開いた。

  3年前の参院選では、当選した元近畿郵政局長高祖憲治氏を支援した現役の同郵政局幹部らが公職選挙法違反(公務員の地位利用)容疑などで逮捕され、高祖氏が引責辞任した。この苦い経験を踏まえ、同支部は今回、活動主体を厳密に特定郵便局長OBや現役職員の家族に絞り、長谷川氏の名前の浸透を図る。

  選挙区では、自民党県連の予備選でも推した浅野勝人氏を支援する。県連からは県連推薦の古井戸康雄氏への支援も求められているが、「この段階で2人支援に切り替えるのは混乱を招く」(支部幹部)。

   ■  ■

  自民党の集票マシーンだった建設業界は、道路公団民営化や公共事業削減で逆風の中にある。

  県内最大の業界団体「県土木研究会」は、旧建設省出身で、自民比例の脇雅史氏を支援する。3年前の参院選は、県内から旧建設省出身の自民候補に全国3位の8千票を出し、力を見せつけた。

  土木研の目標は、中小業者に一定の公共工事を受注させるよう定める「官公需法」の維持だ。

  松井守夫会長は、自民党を支持する一方、小泉政権による道路公団民営化は反対する。「我々の力を票で示し、政策に反映させたい」

  景気の低迷で業者数自体が減っている。松井会長は「『仕事がなくて選挙どころじゃない』という会員もいる。だからこそ選挙を頑張ってほしいのだが……」。

   ■  ■

  名古屋市中区にある宗教団体、立正佼成会の名古屋教会。2階のロビーには、民主党比例の立候補予定者、藤末健三氏のポスターとともに、同党公認の愛知選挙区の立候補予定者、木俣佳丈氏のポスターが並ぶ。

  同会は今回、木俣氏に推薦を出した。6年前は県内で20万票を動かすという公明党の支援でトップ当選した木俣氏だが、今夏の参院選は10万〜11万世帯といわれる立正佼成会が支援する。

  かつては自民党と親密な関係だった立正佼成会だが、自公連立後は公明党への反発から民主党の支援を明確に打ち出している。同会広報グループ(東京)は「比例区は(民主党の)白真勲氏と藤末氏を推薦しており、比例区と選挙区を連携させていく」と言い切る。

(6/15愛知総合)
(6/15)

19とはずがたり:2004/07/01(木) 06:02
かっくいい!>「やりますよ。イラクの自衛隊派遣は、宗教家として容認できない」と突き放した。

http://www5.hokkaido-np.co.jp/seiji/2004saninsen/inside/files/20040615.php3
「宗教票」獲得に血道 札幌、岩見沢
2004/06/15(火) 朝刊
 「この年になると、宗教に興味を持つようになってね」。六日、岩見沢市内で開かれた宗教法人「松緑神道大和山(しょうろくしんとうやまとやま)」(本部・青森県)の集会。道選挙区で三選を目指す民主党の峰崎直樹は、約八百人の信者と同じ席で、教主・大和松園(やまとしょうえん)の話をメモしていた。

 札幌からの移動も含め約五時間だったが、ステージでのあいさつの機会はなかった。それでも峰崎が労力を惜しまないのは、宗教への興味以上に、大和山が立正佼成会と近いからだ。

 立正佼成会北海道教区の信者は約十万人とされる。そこが今年一月、峰崎推薦を決める一方、春には大和山など新日本宗教団体連合会(新宗連)に加盟する宗教団体に峰崎支援の協力要請した。

 立正佼成会は長年、自民党支持だったが、民主党に急接近している。自民党が公明党と連立政権を組み、立正佼成会と対立する創価学会が自民党と距離を縮めたためだ。

 自民党も巻き返しを図る。五月上旬、自民党の有力衆院議員が札幌市厚別区の立正佼成会札幌教会を訪れた。

 「民主党支援らしいですね」とけん制する自民党議員に対し、同会幹部は「やりますよ。イラクの自衛隊派遣は、宗教家として容認できない」と突き放した。

 こうした同会の支援は峰崎の三選戦略の柱だが、陣営には複雑な空気も漂う。六年前の参院選で、峰崎は創価学会の支援を受けたからだ。陣営幹部は「公明党批判はしない」と学会も気遣う。

 立正佼成会はこの空気を察知し、幹部は「(峰崎陣営には)学会から票をもらえば、確実に分かりますよと伝える」とくぎを刺す。

 企業や労組の組織力が衰えるのと比例して、重みを増す宗教票。その反面、宗教界の関係は極めて微妙だ。峰崎陣営はその間合いの取り方には悩みながらも、宗教票の取り込みに血道を上げる。=敬称略=

(麻岡光久)

20とはずがたり:2004/07/01(木) 06:07
=2004年立正佼成会推薦候補=(今のところ判明分)
比例=藤末・白
選挙区=峰崎・郡司(上の表現だと支援?)・島田・蓮舫・輿石・芝・木俣

21とはずがたり:2004/12/04(土) 22:03
【2003年総選挙 新進石川】
2003年総選挙のスレってどこでやってたっけ?政権交代スレで議論してたみたいだけどあそこは最近は社民・共産ウオッチスレになっているのでこちらにレス。

地方政界では顔が見える分完全な喧嘩状態になってしまわないのが生き残りには必要なんでしょうかねぇ。新進石川も非自民ながら県知事選や参院選では自民党と共闘,しかし石川1区では奥田Jrを協力push。
やっぱ政治は煽り文句ですねぇ。
>必要なのは講釈ではなく惹句だ。

衆院選「液状化する民意」断層の顕在(4)軍師
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/kikaku/053/4.htm
政界30年、術策たけ◆宇野邦夫・新進幹事長

 新進石川幹事長の県議・宇野邦夫(60)は、したたかな政治家である。惹句(じゃっく)にたけ、情熱的な、老練の策士である。石川一区で民主党・奥田建が自民党・馳浩を二千七百票余でかわした第四十三回衆院選開票日の夜、自民党のある県議はほぞをかんだ。「宇野一人にしてやられた」

 二日前の七日、奥田の総決起集会。金沢市下本多町のホールで、顔を紅潮させた宇野が約四千人の聴衆にほえていた。「二区の番犬はいらない」

 中選挙区時代、現二区の森喜朗と奥田の父・敬和が繰り広げた森奥戦争の記憶をあおるのが軍師の戦法だった。政策は候補に任せる。必要なのは講釈ではなく惹句だ。「森のコピー」「二区の舎弟」。各地の演説で馳は森のかいらい候補に仕立てられていた。
    ◎
 高度成長期、富山の清涼飲料水メーカーに有能な営業マンがいた。乱立するボウリング場の商談を徹底的に狙い、北陸三県の大半を抑えた。他社が秋波を送ってきた。しかし過労を感じたその営業マンは七三年秋、あっさりと金沢市内の広告会社に転職した。

 通産相・田中角栄が「日本列島改造論」を発表したその年の暮れ、第三十三回衆院選があった。地元建設会社の社長と転職先の役員が顔見知りで、選挙戦を手伝わされた。向かった先の事務所に社長の兄、敬和がいた。四十四歳、衆院議員一期目。気性が激しく、すぐ小突かれた。しばしの我慢と仕事に徹した。敬和は、資金の工面や組織の指揮までこなす手腕を静かに見ていた。「宇野、お前を一人前にしてやる」。再選を果たした後、秘書になれと言われた。
    ◎
 宇野たちが中央政界との関係を絶ち切る県議会派・新進石川を発足させたのは、敬和が胃がんで死去する六か月前の九八年一月である。
 九三年、新生党を作った敬和に続き、自民党県連を分裂させた県議の旗頭が、同党金沢支部長の宇野だった。
 翌年三月の県知事選では副知事・谷本正憲を推した。敬和は「竹馬の友」とする自民党参院議員が出馬するため渋い顔をしたが、「自民に対抗して勝たないと意味がない」と押し切った。新生党発足の日、「日本の政治が変わる」と日記に刻んだ。しかし、細川政権以降の政界は離合集散。九六年暮れに新進党を離脱した敬和に宇野は言い放った。「中央の都合でころころ変わっては有権者を納得させられない。ついていけない」
 新進党の名が消えてから、新進石川を作った。「新進党こそが政権交代の理念を持っていた」。時代錯誤にも映る古い名称には、そんな思いが込められている。発足までの経緯には、敬和との複雑な距離感が横たわっている。
    ◎
 県議会は三年前から自民党に過半数を握られたままだ。「地元で自民一党独占を排除するためには、国政選で新進石川の存在を見せつけなければならない」。宇野は今回の衆院選をそう位置づけていた。昨年六月に病に倒れた後遺症をおして、リハビリ施設に通いながら臨んだ選挙戦だった。
 民主党県連は今、「新進石川との合流の可能性が高まった」と感じている。知事選で共闘する自民党からは「連携を解消すべき」との声が強まっている。宇野はしたたかな政治家である。「政党が我々を選ぶのではない。我々が政党を選ぶ」。そう語るだけで、新進石川の次の姿をまだ見せようとはしない。
(敬称略)

22片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:20
>>21
石川3区に関し、http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089950050/229-235

以下、長崎4区に関してアーカイブ。

23片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:22
任期満了まで1年 予想顔ぶれと情勢
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/062201.html

 来年六月二十四日の衆院議員任期満了まで約一年。九月の自民党総裁選を軸に、年内解散も取りざたされる中、各候補予定者の動きが慌ただしさを増している。本県選出の現職議員は、小選挙区の四人と比例代表二人の計六人。政党別では自民三、民主、自由、社民各一で与野党伯仲の構図。次回は今のところ、現職六人に加え、共産が全選挙区に公認候補を擁立。長崎1区で現職参院議員がくら替え出馬を目指し、2区では社民が初めて候補者を擁立。3区も自民県議が出馬を模索し、4区は自民現職、元職の公認問題など、各選挙区とも構図の変化が予想される。先の統一地方選の争点となった「政治とカネ」をめぐる一連の事件が、国政選挙に影響を及ぼすかも注目される。

長崎1区 倉成、高木、西岡各氏 選挙協力の行方に注目

 民主現職の高木氏、自民元職の倉成氏に加え、前回参院選の比例代表で国政に復帰した自由の西岡氏が出馬を明言。民主、自由両党の選挙協力の行方が注目される。

 仮に現職の高木氏に一本化されても、西岡氏の個人票は主に自民支持層のため倉成氏に流れる可能性が強い。高木氏陣営には、候補者調整をせず自民票を分断した方が得策との考えもある。西岡氏は、前回衆院選は小選挙区だけの立候補で落選したが、次回は比例との重複立候補の可能性もにおわせている。

長崎2区 現職・久間氏に熊江氏が挑戦

 八選を目指す自民現職の久間氏に、県教組出身で社民新人の熊江氏が挑む。党本部の強い意向で若手の擁立を検討していた民主党県連は十五日、擁立を断念した。

 前回空白区の解消を目指す民主、社民ブロックの候補者選考は、昨年末に社民が熊江氏の擁立を発表。民主は他選挙区での共闘態勢が揺らぐのを恐れ、最終的に熊江氏の支援を選択した。

 党政調会長代理、衆院有事法制特別委筆頭理事として露出度の高い久間氏に対し、熊江氏は知名度アップに懸命。

長崎3区 虎島、犬塚、山田各氏 田口氏も党公認争う構え

 自民の虎島氏、自由の山田氏の現職二人と、前回落選した民主の犬塚氏に加え、自民県議の田口一信氏(54)が出馬をうかがう。

 かつて虎島氏の選対本部長を務めた田口氏だが、「現職の高齢を指摘する声がある。有権者の気持ちに応えられる党であるべきだ」とし、五期目を目指す虎島氏と党公認を争う構えを見せている。

 前回比例で当選した山田氏は選挙区での勝利を目指し、国政報告会などを開催。犬塚氏は実業家としての仕事の傍らこまめに地域を回っている。

長崎4区 北村、宮島氏 調整難航か 比例の今川氏は再挑戦

 自民現職の北村氏と、元職の宮島氏が立候補を予定している。二人が所属する堀内派を中心に、どちらか一人が比例に回るよう党本部が調整を図るとみられるが、これを受け入れるかどうかは比例名簿での上位登載が「絶対条件」となりそう。

 調整が失敗に終われば、両氏が立候補した前回同様、保守分裂による激戦は必至だ。

 社民からは比例区選出の今川氏が、社民と連合長崎の支援を受け再挑戦。共産も候補者を擁立する構え。自由も検討している。

24片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:23
社民党県連の定期大会 2、4区の必勝目指す
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/070701.html

 社民党県連(広川豊代表)は六日、長崎市内で定期大会を開き、この秋にも予想される次期衆院選について長崎4区に立候補予定の現職、今川正美氏=比例九州=と長崎2区に擁立する県連副代表、熊江雅子氏の小選挙区での勝利を目指す―などとする大会決議を採択した。

 広川代表は長崎1、3区で民主党候補に協力し2、4区で支援を受ける民主党との選挙協力について「自民党政治を倒すという共通目的を達成するためだ。社民党の存在を発揮し全力で戦いたい」と強調した。

 長崎1区に立候補する現職の高木義明民主党県連代表も来賓として出席し「党の違いはあるが、自民党の圧勝をなんとしても防がなければならない」と支持を訴えた。

 今川氏は「今度の選挙は社民党にとって剣が峰の戦いだ。必ず選挙区で勝ち抜きたい」、熊江氏は「被爆県の責務を果たすため『平和と護憲』のキーワードでぶつかっていきたい」とそれぞれ決意を誓った。

25片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:28
民主、社民両党と連合長崎などが六者懇を結成
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/071701.html

 民主、社民両党県連と連合長崎、県平和運動センター、県友愛連絡会、県中連懇話会の労働四団体は十五日、長崎市内で会合を開き、次期衆院選と来夏の参院選で共闘する衆院選・参院選対策六団体懇話会(六者懇)を結成した。衆院選で長崎1区から4区の統一候補全員の当選に向けた取り組みを急ぐ方針を確認した。

 衆院選の年内実施がささやかれる中、県内の非自民、非共産の政党、労働団体が、これまでの国政選挙での実績を踏まえあらためて結成した。座長に就任した上谷繁之連合長崎会長は「衆院選は早ければ十月、遅ければ来年春といわれているが、いつ解散されても戦える態勢づくりが大切だ。皆さんの知恵を借り必勝を期したい」とあいさつした。

 衆院選では、長崎1区に高木義明氏=民主現職=、2区は熊江雅子氏=社民新人=、3区は犬塚直史氏=民主新人=、4区は今川正美氏=社民現職(比例九州ブロック)=の四人を統一候補として推薦する方針を確認した。次回会合は七月末の予定。

26片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:30
北村、宮島氏一本化へ 自民県連、4区の公認問題
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/091401.html 【佐世保】今秋にも予想される次期衆院選を前に、自民党県連は十三日、佐世保市内で長崎4区の地域支部長会議を開いた。現職の北村誠吾氏(56)、元職の宮島大典氏(40)による4区の公認問題で、県連が今月内にも選挙対策委員会を開き、候補者一本化の調整を図ることや、選挙区の公認から漏れた場合は無所属では立候補せず、比例区に回ることを確認。北村、宮島両氏とも県連の決定に従うことを了承した。

 調整では、どちらが公認を勝ち取るかに加え、比例区に回る立候補予定者については比例名簿の上位登載が見込めるかが焦点となる。宮島氏は「調整がうまくいくことが前提。そうならなければ、いろいろな事態が想定される」と無所属での立候補にも含みを持たせており、なお保守分裂選挙の要素もはらんでいる。

 会議は非公開で行われた。出席者によると、「前回のような保守分裂選挙だけは避けたい」「公認問題が決着しないと活動できない」と一日も早い調整を求める声や、両氏が4区で激突した前回衆院選では党本部に公認決定を委ねた反省から「県連が責任を持って決めるべきだ」との意見が上がったという。

 会議後、八江利春県連幹事長は「両氏と両氏が所属する堀内派の意見を聞きながら、今回は県連で白黒をはっきりさせたい。早く調整し、本県の全候補者が当選できるよう挙党態勢を組みたい」と話した。

 4区公認候補の座をめぐっては、両氏が九月、4区内の全地域支部にそれぞれ推薦願を提出。水面下での駆け引きが続いている。
2003年9月14日長崎新聞掲載

27片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:32
佐世保で今川氏の選対結成集会 社民県連
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/091803.html 【佐世保】社民党県連(広川豊代表)は十七日、次期衆院選長崎4区に同党公認で立候補を予定している今川正美衆院議員(56)=比例九州=の4区総合選対結成集会を佐世保市内で開き、選挙区での必勝を誓った。

 本県の全選挙区で選挙協力を結んでいる社民、民主が、次期衆院選に向け選挙区総合選対を設置するのは初めて。労働団体や民主党県連とつくる六団体懇話会(代表・上谷繁之連合長崎会長)から約百人が出席した。

 選対長に選出された社民党の森信也県議らは、あいさつで「自民党をぶっ壊すと言って登場した小泉内閣が壊したのは平和憲法であり、国民の生活」と自民批判を展開。今川氏は「皆さんの力を合わせれば勝てないはずはない。必ずいい結果が待っていると自信を持ちながら戦っていきたい」と呼び掛けた。
2003年9月18日長崎新聞掲載

28片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:37
自民党県連が公認申請を通知
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/091801.html

 自民党県連は十七日、県内の各地域支部に対し、次期衆院選の立候補予定者の公認を申請するよう通知した。二十五日で受け付けを締め切り、二十七日開く選挙対策委員会に諮る。

 今のところ、長崎1区は元職の倉成正和氏(52)、2区は現職の久間章生氏(62)以外に立候補予定者はおらず、両氏の公認が確実。

 3区は現職の虎島和夫氏の引退に伴い、党県議の田口一信氏(54)が既に公認申請済み。しかし、県議会議長の谷川弥一氏(62)も非公式ながら出馬の意思を示しており、動向が注目される。

 4区は現職の北村誠吾氏(56)、元職の宮島大典氏(40)がいずれも党佐世保支部に公認申請する予定で、調整は難航しそう。党県連は十七日、両氏が所属する堀内派に、選対委までに一本化するよう要請した。
2003年9月18日長崎新聞掲載

北村氏が公認申請 長崎4区
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/091901.html

 【佐世保】次期衆院選に長崎4区から立候補を予定している自民現職の北村誠吾氏(56)は十八日、自民佐世保支部に公認願を提出した。

 元職の宮島大典氏(40)も近く、同支部から公認申請する予定。小選挙区制度で、同一政党の複数の立候補予定者が同じ支部に公認願を出すのは珍しく、同支部や自民県連の対応が焦点となる。

 両氏による保守分裂の激戦となった前回衆院選では、北村氏は佐々支部、宮島氏は佐世保支部を通じて県連に公認申請。公認を獲得した当時現職の宮島氏を、無所属で出馬した北村氏が破り初当選した。

 今回、佐世保支部に提出した理由について北村氏は「佐世保が私の政治活動の中心。4区内の地域支部でも有権者が最も多い」と話した。

 同支部は二十六日に総務会を開き、対応を協議するが、両氏の支持者が混在するだけに難航も予想され、支部で一本化せず、県連に判断を委ねる公算が大きい。

 4区ではほかに、社民現職の今川正美氏(56)=比例九州=、共産新人の中尾武憲氏(60)が立候補を予定している。
2003年9月19日長崎新聞掲載

自民元職の宮島氏が公認申請 長崎4区
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/092501.html

 【佐世保】次期衆院選に長崎4区から立候補を予定している自民元職の宮島大典氏(40)が二十四日、自民佐世保支部に公認願を出した。

 現職の北村誠吾氏(56)も十八日に同支部に公認願を提出しており、大票田を抱える同支部の「お墨付き」をめぐって、支部段階で両氏が競合する事態となった。

 同支部は二十六日に総務会を開き、対応を諮るが、両氏の支持者が入り交じり、調整は困難な情勢だ。

 前回は両氏による保守分裂の激戦となり、支部内に亀裂が生じただけに、関係者の間には「支部内に火種を残さないためにも県連で協議してもらった方がいい」との空気が広がっている。このため支部総務会では一人に絞らず、二十七日の県連選挙対策委員会に判断を委ねる公算が大きい。

 4区ではほかに、社民現職の今川正美氏(56)=比例九州=、共産新人の中尾武憲氏(60)も立候補を予定している。
2003年9月25日長崎新聞掲載

自民党佐世保支部は一本化せず 長崎4区
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/092703.html

 【佐世保】自民党佐世保支部(梯正和支部長)は二十六日、佐世保市内で総務会を開き、次期衆院選に長崎4区から立候補予定の現職の北村誠吾氏(56)、元職の宮島大典氏(40)から出された公認願の取り扱いを協議。支部では公認候補を一本化せず、二十七日の県連選対委に調整を委ねることを決めた。

 前回衆院選では佐々支部を通じ県連に公認申請した北村氏が、今回は佐世保支部に提出。大票田を抱える同支部の“お墨付き”をめぐり北村、宮島両氏が支部段階で競合する事態となり、総務会の対応が注目されていた。

 出席者によると、両氏の支持者が支部での一本化を求めたが、最終的には「公認問題で支部が割れれば、選挙戦で挙党態勢が組めない」との意見で一致。両氏とも県連に推す形で決着したという。
2003年9月27日長崎新聞掲載

29片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:41
調整の舞台、永田町へ 自民長崎4区公認問題
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/092802.html

 【佐世保】次期衆院選長崎4区に立候補を予定している現職の北村誠吾氏(56)、元職の宮島大典氏(40)をめぐる自民党の公認問題は、県連が党本部に候補者選定を一任した。公認問題は派閥の意向が強く影響するとされ、両氏が所属する自民党堀内派がどう判断するのか。候補者調整の舞台は永田町に移る。

 「どちらかが比例区に回ったときに、名簿の上位が確保できるのかという問題がある。ガタガタして(党本部の心証に)マイナス面をつくらない方がいい」。二十七日、諫早市で開いた選挙対策委員会を終えて記者会見した八江利春県連幹事長は、地元での感情的対立を避け、かつ比例名簿の上位を狙うには二人を同時に党本部に推薦することが得策であることを強調した。

 選挙区、比例区で両氏をともに当選させたいとの思惑だが、4区の公認問題で県連が党本部にげたを預けるのは、一九九八年の補選から数えて三回連続。「主体性はないのか」―。北村氏を推す県議の一人は選対委の会場を出てくるなり、不満をあらわにした。

 党本部の候補者選定基準では、選挙区の公認候補は現職優先が基本。北村氏は選対委の結論について「現職なので選挙区に出してください、と素直にお願いしたい。結果はおのずと出ると思っている」と話した。

 一方、「比例名簿の順位は元職より現職の方が有利。党本部が二人を当選させようと考えるならその点を考慮して調整するだろう」との見方もある。宮島氏は「しこりを生まないための大所高所からの判断と思う。高く評価したい」と希望をつないだ。

 党本部は十月二日に各都道府県連からの公認申請を締め切り、候補者決定の作業に入る。
2003年9月28日長崎新聞掲載

北村氏が小選挙区、宮島は比例区へ 長崎4区自民公認問題 
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/100401.html

 【東京支社】次期衆院選長崎4区に立候補を予定している現職の北村誠吾氏(56)と元職の宮島大典氏(40)をめぐる自民党の公認問題で、両氏が所属する堀内派は三日までに、北村氏を小選挙区、宮島氏を比例区の公認候補とする方針を固めた。党本部は七日にも開く選挙対策小委員会で、同派の方針を受け、両氏の公認を内定する見通し。

 自民県連は、両氏の公認問題について「選挙区を先に決めると、比例でいい名簿順位を確保できない恐れがある」などとして、県連での一本化を見送り、党本部に決定を委ねている。

 北村氏を小選挙区の公認とする方針が固まったことで、今後は宮島氏の比例名簿の順位の調整が焦点となりそうだ。

 堀内派の方針について、北村氏は「派閥や党の決定に従いたい」としている。宮島氏は「派閥からまだ内示はない。二人を当選させたいとの総論だけで、手法をどうするかは聞いていない」とし、無所属での出馬など選挙区の公認から漏れた場合の考えについては「比例の順位の打診があってからの判断となる。それまでは選挙区で出ることを前提に活動を続けていく」と話した。
2003年10月4日長崎新聞掲載

30片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:46
宮島氏の比例名簿登載順位が焦点
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/100802.html

 【佐世保】次期衆院選長崎4区の自民党の公認問題は七日、「現職優先」の党方針通り、現職の北村誠吾氏(56)で事実上決着。比例名簿の登載順位をめぐり、党内で水面下の駆け引きが白熱する中、焦点は選挙区公認から漏れた元職の宮島大典氏(40)の順位争いに移った。

 「よその県では比例で二議席もらっているところもある。われわれも比例の票を出しているわけですから、それなりに遇してもらいたい」。九月二十七日、諫早市内のホテル。4区の公認問題を党本部に一任することを決めた県連選対委終了後の記者会見で、田浦直会長は党に注文を付けた。背景には、本県出身の比例議員がいないことへの不公平感がある。

 前回、比例九州(定数二一)で自民が得た議席は七。名簿の上位六人が比例だけの純粋候補で、選挙区との重複候補は一人が七位に単独で登載された以外、全員が横並びの八位だった。結果、宮島氏を含む八位組は一人も復活当選を果たせなかった。順位一つで当落の明暗が分かれるだけに、候補者を抱える各県連や派閥にとって当選圏内の名簿登載は絶対条件だ。

 自民では、比例九州選出の堀之内久男元郵政相、大原一三元農相の長老議員二人が今期限りでの引退を表明。二つの特等席が空く格好だが、関係者によると「復活当選の機会を増やすため重複候補の順位を上げるべきだ」との主張が党内にあり、純粋候補にとっては厳しい順位も予想されるという。

 小泉、安倍人気の一方で、「政治とカネ」の事件に対する批判、民主と自由の合併効果という要素もあり、比例での自民の当選枠は不透明。加えて連立政権を組む公明との絡みもある。純粋候補として比例に挑む大分県の新人、佐藤錬氏は「自民は選挙区で公明の票をもらう代わりに、比例では公明の票をつくらないといけない。比例での当選は前回並みと見ておいた方がいい」。

 前回は北村氏との公認争いに勝ち、選挙区公認として戦いながら無所属で出馬した同氏に敗れた宮島氏。今回、比例公認が内定した七日、宮島後援会は、佐世保市内で十三日に開く千人規模の集会の準備などに追われた。「選挙区でも比例でもいい。とにかく当選してほしい」。七十歳代の男性支持者は祈るように話した。
2003年10月8日長崎新聞掲載

北村氏に内定 長崎4区自民公認問題決着
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/100801.html

 【東京支社】自民党は七日、党本部で選対小委員会を開き、次期衆院選に向け候補者調整を行った。現職と元職の二人が公認申請した長崎4区は、現職の北村誠吾氏(56)の公認が内定。元職の宮島大典氏(40)は比例代表に回ることが内定し、今後は比例名簿順位の調整が焦点となる。

 長崎1区は元職の倉成正和氏(52)、同2区は現職の久間章生氏(62)、同3区は新人の谷川弥一氏(62)の公認が内定。

 選挙区の公認内定について、北村氏は「公認が正式に決定すれば、県内のすべての公認候補が当選するように最大限努力していきたい。宮島氏の比例名簿の上位確保も含めて挙党態勢で選挙に臨みたい」と話した。

 一方、宮島氏は「選挙区の公認をもらえると思っていただけに残念。元職なので比例の順位が低くなるのを懸念している」と語り、比例順位が固まるまでは選挙区出馬の準備も続けていく考えを示した。

 選対小委は、十日の衆院解散を前提に、同日に選対本部会議を開いて第一次公認候補を決定、公認証書を渡し、十四日の全国幹事長会議で本格的な選挙態勢に入る段取りを確認した。
2003年10月8日長崎新聞掲載

31片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:48
“揺れる”宮島氏 長崎4区、構図固まらぬまま異例の前哨戦
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/101501.html

 【佐世保】自民前職、社民前職、共産新人の三人が名乗りを上げている衆院選長崎4区は、解散後も対決の構図が固まらないまま前哨戦を繰り広げる異例の事態となっている。自民の比例公認となった元職の宮島大典氏(40)が、比例転出か選挙区での無所属出馬かの態度を明確に示さないからだ。

 「(選挙区で)やり返してやりたいという思いもあるが、(浪人生活で)最も悔しかったのは政治家のバッジが得られなかったこと。比例名簿の上位を頑張って勝ち取っていきたい」

 佐世保市で十三日、宮島氏の後援会が開いた女性の集い。前回、保守分裂選挙に敗れた同氏は、約千五百人(後援会発表)の支持者を前に、比例転出の意思を固めたともとれる発言をした。

順位次第では

 来賓の前党副幹事長、南野知恵子参院議員も「宮島君のこの先の人生を親のエゴで誤らせないようにしていただきたい」と述べ、選挙区からの立候補を求める支持者をやんわりけん制、比例出馬への布石が敷かれたかに見えた。

 だが、集会後の取材で本人の口から、比例転出への明確な意思表明の言葉は出なかった。

 「比例名簿の順位を見極めたい」と、順位次第では無所属出馬に踏み切るとの含みを持たせる宮島氏。陣営の一人は「党人として政治活動を続けたいという思い、前回の選挙や今回の公認争いで周囲や派閥に裏切られたとの気持ちのはざまで本人も揺れている」と心境を代弁する。

冷ややかな声

 これに対し、自民関係者には「無所属では戦えない。負ければ政治家生命が絶たれる」「選挙区出馬を口にするのは名簿の順位を上げるためのアピールではないか」との冷ややかな声もある。

 前回、比例九州(定数二一)で自民が獲得した議席は七。今回、党は比例への純粋候補として七人を公認しており、選挙区との重複候補を上位にどれだけ登載するか今後の調整の鍵となる。自民市議の一人は「復活当選を含め比例での当選は八人がぎりぎりの線」と見る。

 比例か選挙区か、宮島氏自身の決断が注目される中、後援会は十四日、JR佐世保駅前に選挙事務所を移すなど、決戦に備えた準備に追われた。
2003年10月15日長崎新聞掲載

宮島氏は比例へ意向固める 
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/101801.html

 【佐世保】衆院長崎4区からの立候補を模索していた自民党元衆院議員の宮島大典氏(40)は十七日、比例九州ブロックの同党公認候補に転出する意向を固めた。同日、佐世保市役所で記者会見し、「(比例転出か選挙区への無所属出馬かの)態度を留保しているわけではない。比例名簿の登載順位が一つでも上がるよう努力していきたい」と述べた。

 宮島氏は、長崎4区の公認争いで前職の北村誠吾氏(56)に敗れたことについて「結果は受け入れるしかない。(選挙区と比例のすみ分けで)二人とも当選するのが理想と思う」と述べた。また、「今回は(投票用紙に)宮島大典と書いてもらう代わりに、宮島を当選させるため、自民党と書いてもらわなければならない」とも話し、比例での自民票獲得に全力を挙げる考えを示した。

 党本部が決める比例名簿順に対しては「はしにも棒にも掛からないような可能性のない順位に置かれることについては、私にもプライドがある」とし、小選挙区出馬への含みも残した。
2003年10月18日長崎新聞掲載

32片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:52
“迷走”終止符も不協和音 宮島氏が比例出馬を正式表明
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/102501.html

 【佐世保】衆院長崎4区は、二十四日に自民元職の宮島大典氏(40)が選挙区での無所属出馬を断念し、比例区から立候補することを正式表明したことで、自民前職の北村誠吾氏(56)、社民前職の今川正美氏(56)、共産新人の中尾武憲氏(60)の三人による対決の構図が固まった。宮島、北村両氏の公認争いに始まった自民の“迷走”に一応終止符が打たれた格好だが、関係者の間には不協和音が聞こえる。

 「こら、おまえ」

 「おまえとは何だ」

 北村、宮島両氏の公認問題を話し合った九月二十六日の自民佐世保支部総務会。両氏の支持者がつかみ合い寸前の言い合いになり、場は一時険悪な雰囲気になった。結局、県連に判断を委ねることで事なきを得たが、両氏が激突した前回衆院選のしこりが支部内に根深く残ることを象徴する場面でもあった。

 「宮島さんが無所属で出馬するのなら、どちらに付くか、自民関係者も踏み絵を突き付けられただろう。選挙区と比例のすみ分けで選挙活動がやりやすくなる」。二十四日、佐世保市内であった宮島氏の後援会事務所開きに向かった自民県議は安どの表情を見せた。

 だが、会場の女性党員は「北村さんは(宮島氏が初当選した一九九八年の)補選で宮島選対の責任者を務めながら、前回選挙では党に反旗を翻し、対立候補として出馬した。選挙区で北村さんを応援するのは抵抗がある」。感情的対立はなおもくすぶる。

 一方、こうした自民党内の“内紛劇”に野党陣営は冷ややかだ。社民前職の今川氏は「主張と政策で戦うわけでもなく、有権者不在の争い」。共産新人、中尾氏の選対責任者、山下千秋氏(55)も「内部の調整機能が働いていない。自民党という組織そのものの求心力がなくなってきている」とみる。

 宮島氏は二十四日、比例転出表明の記者会見に散髪した頭で臨み、「自民票を一票でも多く獲得できるよう全力を尽くす」と心機一転の姿勢を見せた。北村氏も「挙党態勢に向け区切りがついた」と話すが、掛け声とは裏腹に、自民は火種を抱えたまま二十八日の公示日を迎える。
2003年10月25日長崎新聞掲載

宮島氏、比例名簿39位に 自民選対本部発表 
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kiji/102803.html

 【東京支社】自民党の選挙対策本部は二十七日、衆院選の比例代表各ブロックの名簿を発表した。党公認候補として比例九州ブロックから立候補する意思を表明していた元職の宮島大典氏(40)は同ブロック三十九位に登載された。

 名簿によると、上位五人まで比例だけの純粋候補を並べ、六位に小選挙区との重複候補三十三人を横並びで登載。純粋の宮島氏はその次にランクされ、純粋と重複を合わせた立候補者計三十九人の最下位となった。

 本県各小選挙区と重複立候補する倉成正和氏(52)、久間章生氏(62)、谷川弥一氏(62)、北村誠吾氏(56)は、いずれも横並びで六位登載。

宮島氏「最悪の結果」 支援者も怒りの声続出

 【佐世保】自民党本部が二十七日に発表した比例九州ブロックの名簿で、自民元職の宮島大典氏(40)は三十九位と「当選の可能性がゼロ」(宮島氏)の極めて厳しい順位となった。報告を受けた支持者からは党への怒り、反発が渦巻いた。

 宮島氏は同日夜、佐世保市内で開いた後援会会合で、集まった支援者約九十人に報告。「最悪の結果。皆さんにただただおわび申し上げる」と無念さをにじませ、党には「憤りをおぼえる」と不信感をあらわにした。

 順位を初めて知らされた支援者からは「涙が出るほど悔しい」「(小選挙区の自民候補者の応援は)もうボイコットしたい」と怒りの声が続出。「後援会組織を固めて次(の選挙)に備えないといけない」などと離党を促す意見や結束を呼び掛ける声が相次いだ。

 会合を終えた宮島氏は取材に対し、離党を求める声などが上がったことについて「今後の対応にはこれから考える」と述べ、小選挙区への無所属出馬については「(断念を)一度決めたこと」と否定した。
2003年10月28日長崎新聞掲載

33片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:55
決戦の秋 秒読み衆院選▽長崎4区
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kikaku1/02.html

 「責任ある県連、再生自民党というのなら、棚上げでは無責任だ」

 十三日、自民県連が佐世保市内で開いた長崎4区の支部長会議。次期衆院選に4区から立候補を予定している現職の北村誠吾、元職の宮島大典の公認問題への対応について、県議の一人が強い口調で注文を付けた。宮島が初当選した一九九八年の補選、北村と宮島による保守分裂選挙となった二〇〇〇年の前回と、4区の公認候補者選定を党本部に一任してきた県連にくぎを刺したのだ。

 これに対し、県連選対委委員長代行でもある参院議員の松谷蒼一郎は、こう本音を漏らした。「二人は同じ堀内派。本当は派閥で調整していただくのがすんなりいくと思うのですが…」。それから二週間後の二十七日、県連選対委は二人から出されていた公認申請について結論を出さず、三たび、党本部に判断を委ねることを決めた。

 「(違法献金事件で揺れた)県連の信頼回復のためにも、白黒をはっきりつける」。支部長会議では強い決意を示していた幹事長の八江利春は、選対委を終えた諫早市での記者会見で前言を翻した。「どちらかが比例区に回ったときに、名簿の上位が確保できるかという問題がある。ガタガタもめてマイナス面をつくらない方がいい」

 挙党態勢に悪影響するような地元での感情的対立を避け、かつ比例名簿の上位を狙うには二人を同時に党本部に推薦し、まずは当選確実な順位を確保した方が得策、との判断。元職の宮島を県連段階で比例と決めれば、比例区での他県の自民候補者との順位争いに不利との思いからだが、県連での「北村公認決定」を疑わなかった北村支持者らは「(最初から党本部に棚上げする)出来レースだ」と不満を漏らす。

 「それなりの実りがあるだろうと思っている」。報道陣に囲まれ、気を取り直すように語った北村。常々、「比例名簿の順位は現職の方が有利。二人を当選させようと考えるなら党もその点を考慮する」と話していた宮島の表情とは心なしか対照的だった。4区の公認問題は県連の思惑、分裂選挙の危機をはらみながら大詰めを迎える。

 「政策論争抜き、有権者不在の勢力争いだ」。社民現職の今川正美=比例九州=は、過熱する自民の公認問題を冷ややかな目で見る。八月初旬から国政報告会を精力的に開き、総合選対も結成した。新民主や労働団体の選挙協力を受け、選挙区での当選を目指す。共産新人の中尾武憲も街頭演説などをこなし、既に選挙区内を一巡した。

 ウオーミングアップを済ませ、早々とスタートラインについた今川と中尾。自民候補はまだ姿を見せない。(敬称略)
2003年9月29日長崎新聞掲載

34片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 13:57
決戦の構図 衆院選 直前情勢▽長崎4区
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/kikaku4/04.html

 「宮島大典さんが、こうしてこの場においでくださいました。大変な喜びとするところです」

 二十五日、佐世保市民会館であった自民前職、北村誠吾の総決起集会。来賓の自民元職、宮島大典と壇上で固い握手を交わした北村は、超満員の支持者を前に上機嫌だった。

 北村との長崎4区での公認争いに敗れた宮島は、比例公認に決まった後も比例名簿の順位次第で選挙区への無所属出馬に含みを残していた。4区出馬断念を正式表明したのは前日の二十四日。北村は自身の総決起集会に宮島を誘った。

 宮島とともに所属する堀内派の会長代行、丹羽雄哉と必勝の拳を上げ、三人で融和をアピールした北村。だが、宮島陣営のある党員は「投票用紙に北村とは書けない」と言い切る。前回衆院選で党を割って出馬した北村に、宮島支持者の多くは今も強い反感を抱き続ける。

 対立感情がくすぶり、挙党態勢が揺らぐ自民。「完全に氷解することはできないかもしれないが、しこりを残さないよう最大限の努力をする」。北村は自らにもそう言い聞かせる。

 「民主党は『論憲から創憲へ』と言っています。理解が難しい表現です」

 二十日、佐世保市内のアーケード。社民前職、今川正美の応援に駆け付けた土井たか子党首は、護憲の立場から民主を皮肉った。

 だが、この日の夜、民主系の労組幹部らも出席した今川の総決起集会で、トーンは変わった。「民主党と選挙協力しながら小泉内閣を倒さないといけない」。土井は声を張り上げ、両党の共闘態勢を強調した。国会で議席を減らし、じり貧状態の社民。議席を死守するには民主との連携が不可欠との厳しいお家の事情がのぞく。

 今川は前回、北村と宮島の戦いで保守票が割れたことで惜敗率が上昇し、比例で復活当選を果たした。今回、4区での保守一本化が選挙戦にどう影響するのか。「政権交代で年金、医療などの生活、雇用不安をなくし、国民の暮らしを守るという目標は社民も民主も同じ。共闘で勝機は十分にある」と選対事務局長の藤戸勝義は強気だ。

 消費税の増税反対などを訴える共産新人の中尾武憲。「社民は村山内閣(当時)時代に消費税率を引き上げた。今回、民主との選挙協力で社民がどこまで党の政策を貫き得るのか、甚だ疑問。野党の在り方が問われている」。選対責任者の山下千秋は独自路線で自民と社民に挑む。(文中敬称略)
2003年10月27日長崎新聞掲載

35片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 14:42
2003年衆院市町村別(小選挙区、比例)
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/syoukai.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2003/syuin/hirekai.html

2000年衆院市町村別(小選挙区、比例)
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/2000senkyo/senkyoku.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/2000senkyo/hirei.html

【思いつくままにまとめ】
比較すると、北村は、2000→2003で特に都市部で票を伸ばす。宮島の強かった都市部票をうまく攫った模様。
今川は県全域で、たぶん反自民票を増やしたが、伸び脚乏しい。下に書くように、社民の比例票は約20000票なので、選挙区での54557票は民主推薦・野党統一候補として成果はないことはない。
(2000年の今川は、社民比例票から数千票しか上積みできてない。このときも民主党の候補はいなかった)
ただ、北村は自民の比例66417票から3万票以上の上積みを見せている。民主好き社民嫌いの票を得ているようだ。
宮島は、佐世保市・松浦市・生月町などで強い。北村は小値賀町・宇久町・佐々町などを大票田としている。

↓は参院選の比例票についての長崎新聞解説である。
2003衆院選比例は私の概算によれば、自民66417票、民主46093票、社民19748票。
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/2004/sannin/kiji/071401.html 【長崎4区】

 得票率は自民党38・5%(六万二千八百六票)に対し、民主党33・2%(五万四千百六票)。次期衆院選で、前回議席を失った元職の擁立を固めている社民党は6・7%(一万八百九十七票)にとどまった。自民党から民主党に移った元職も、党公認での出馬を模索しており、野党共闘の成否が戦いの様相を大きく変えそうだ。

36片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/22(水) 15:03
このあと、宮島は参院選で民主・犬塚の当選に向けて尽力し、全国的な風もあり犬塚が当選。
宮島は評価を得、長崎四区公認候補の候補として認められる過程にある。
ただ、民主と社民の関係がこの選挙区の影響で一気に変わってしまう可能性が大きい。
自民から手のひらを返しただけの宮島に社民が乗ることはできないだろうし、民主も勝ちうる選挙区を協力区にすることはできないからだ。
北村は相対得票率の15%程度ある公明票をきっちり得られればまず優位に立つだろう。

宮島氏が自民党離党届提出〜民主党入り表明
http://kyushu.yomiuri.co.jp/nsurf/nsurf42/nsu4201/nsu420122b.htm

 昨年十一月の衆院選で、比例選九州ブロックに立候補、落選した自民党元衆院議員・宮島大典氏(40)は二十一日、自民党佐世保支部に離党届を提出した。その後、記者会見し、民主党に入党したうえで次期衆院選長崎四区で民主公認での立候補を目指す考えを明らかにした。

 宮島氏は離党の理由について「小泉内閣の改革に期待してきたが、国民へのしわ寄せばかりで真の改革にはほど遠く、自民に限界を感じた」と説明。また、昨年の衆院選長崎四区で公認争いに敗れ、比例選名簿の順位も三十九位と最下位だったことにもふれ、「(離党する)根底の一つ。自民には派閥、長老政治があるのが現実だ」と批判した。

 民主入りについては「政治家、政党は国、地域を良くするための手段。改革の本家を自任する民主から国政復帰を目指したい」と述べた。入党の時期については「できるだけ早く手続きを取りたい」とした。

  ◇     ◇

 県内の民主、社民両党は、昨年の衆院選でお互いの候補を支援し、七月の参院選でも社民が民主新人の犬塚直史氏を推薦する方向で検討するなど、協力を続けている。宮島氏の動きは、両党の今後の選挙協力に影響を与える可能性もある。

 社民党県連合の今川正美代表は「民主が参院選で(犬塚氏への)協力を求めておきながら、衆院選四区では戦うというのなら、枠組みが壊れる。民主がどういう意図なのか、慎重に見極めたい」とした。

 これに対し、民主党県連の川越孝洋幹事長は「宮島氏が四区の候補になるかどうかは先のこと。(両党と労働四団体でつくる)六者懇の枠組みは生きており、争わないように今後、話し合いたい」としている。

 一方、自民党県連の三好徳明総務会長は「本人が決めたことなので、コメントしようがない。個人的に親しいだけに、残ってほしかった。自民時代のようには、支持者がついてきてくれないと思うのだが……」と疑問を投げかけた。

37とはずがたり:2004/12/22(水) 16:08
>>23-37
大作お疲れさまです。
政策総研付属研究掲示板に相応しい中身になってきて管理人と致しましても嬉しい限りであります。

特に>>26の6者懇を構成する団体が民主・社民・連合・総評(平和運動センター)・友愛とあと一つどうしても判らなかったので非常にすっきりしました。それにしても「県中連懇話会」って何でしょう?
ググッてみても当該記事しか引っかからないし。。

さて注目は4区宮島氏公認で自民党の宮島支持者がどれだけ離叛するのか,又社民と民主の6者懇を舞台とした共闘関係がどうなるかでしょうね。。たとえ社民が擁立に踏み切っても2000年の様な構図になれば北村氏が民主票を集めて当選したような構図になると踏んでいるのでしょうけど,しこりは長崎1区や参院選にも影響しますしね。

因みに長崎4区の結果は以下の如し。

2003年選挙得票
1 北村誠吾 自民 前 100,767 当選
2 今川正美 社民 前 53,557
3 中尾武憲 共産 新 9,284

2000年選挙得票
1 北村誠吾  無所  新   66,515  当選
2 宮島大典  自民  前   62,595  
3 今川正美  社民  新   39,808  比例区当選
4 山下千秋  共産  新   9,757  
5 赤木一生  自連  新   8,312  

1996年選挙得票
1 金子原二郎 自民  前  95117  当選 =知事転出
2 松田九郎  新進(自)元  56403  
3 山崎泉   民主(社)前  29424  
4 中尾武憲  共産  新   7092  
5 藤浪敬司  自連  新   825  

以下考察
96年と00年はほぼ投票総数は不変で18〜19万票。03年で16万票に減っているのでこの2万票が宮島票。少なくとも熱烈な宮島票+選挙戦が盛り上がった事による投票増分でしょうかね。
社民との折り合いが付かないと仮定して一番参考になるのは選挙構図が似ている00年でしょうから,これに
今川―反自民票・民主組織票→宮島
宮島―自民票→北村
北村―反自民保守系無党派票→宮島
と票の移動が交錯するする事になりましょうか。
社民が3万票前後に低下して宮島・北村が6〜7万票で拮抗ですかねぇ。ただ2000年の北村氏が無所属と云う事で民主支持層にも自民支持層にもアピールできたのに対し次期衆院選の宮島氏は民主にコミットメントしてしまったのでその辺がどう有権者に判断されるかでしょうか。

38片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/23(木) 07:24
>>37
私のリサーチによるところ、中連とは中立労連のことです。

39とはずがたり:2004/12/23(木) 07:37
>>38
おはようございます。情報提供感謝。
へぇ,総評に同盟に中立労連迄!?
冷戦期の労働運動がそのまま残ってる感じですねぇ。
三菱重工など軍需産業を抱え組織の統一が難しかったのでしょうか?

40片言丸 (/3J5SzQQ):2004/12/23(木) 13:48
>>39
中立労連自体は、連合発足にあたり解散していますが、「中立労組連絡会(中連)」を設置。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/58/rn1988-066.html
その後連絡会も地域によっては解散。(参照先ページでは1993年)
http://www.kumagaya.or.jp/~jeiusa/info/history/history1.htm
しかし組織は残存している模様。(参照先ページでは2002年2月9日)
http://wakahide.com/report/2002-0119_0216/report_mian.html

旧中立労連関係以外にも「中立」を標榜するところはあるみたいですが、友愛と並んで書かれてることを見ても本件ではこちらでいいんじゃないでしょうか。

41とはずがたり:2004/12/24(金) 06:56
共産党系団体が政党支持からの中立を標榜するケースがままあるように思えますが,この場合はそれはないですし中立労連の残りと見て良いんでしょうねぇ。

42とはずがたり:2005/01/14(金) 16:14
公明…自民と協力深化・連合とも繋がり
自民党本部…安倍氏を投入,ご機嫌を取る
自民党地区支部…死去した奥谷後継擁立を図る
連合…暗黙に公明支援

(1)軸足 疑心ぬぐえぬ自公協力 (03/10/31)
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/01.html

 「震災で最も神戸のために働いた人。自民党の私が証明します」
 衆院選が公示された二十八日朝、兵庫2区の公明前職赤羽一嘉(45)の出陣式で、ベテラン神戸市議が声を張り上げた。
 前回、赤羽は、連立与党と、非自民勢力の連合・五党協議会(五党協)という二重の選挙協力に支えられ、当選した。
 しかし、今回、民主は新人泉房穂(40)を擁立。五党協の崩壊で労組支援への期待は厳しくなり、自公協力へとシフトする。
 「赤羽さんと同じ与党でよかった」。解散翌日、自民の「選挙の顔」、幹事長安倍晋三が赤羽の決起集会に来援し、聴衆を喜ばせた。県連幹事長末松信介も「身内よりも先に駆け付けた。何よりの誠意だ」と強調した。

 だが、地元の自民関係者には不満がくすぶる。急逝した故奥谷通(比例)の後継擁立に解散直前まで動いた一部市議は出陣式を欠席。「(後援会の)名簿交換までは無理だろう」と限界を見据えながらも赤羽陣営は合同選対などで具体的な協力を自民に迫る。

 一方、連合兵庫は泉を推薦せず、傘下の産業別労組に支援の判断を委ねた。公明の県本部幹部は言う。「(公明支援は)暗黙の了解。応援してくれる労組をあえて切る必要はない」
 「今回、民主の候補をよろしくと言われても、どんな人かも分からない」。ある労組幹部も公明との協力継続を示唆する。
 神経をとがらせる自民は、解散前、公明に五党協離脱を迫った。だが、県本部幹事長の野口裕は「今回、五党協は成立しない。それが何よりの答えだ」と明言を避ける。
 軸足は、あくまで自民。だが民主とは激突しても、連合との縁は切りたくない。公明の本音がのぞく。
 「今回は『選択肢ができた』と期待を感じる」。そう話す泉は、逆に自民支持層の取り込みも狙う。
 前回赤羽に約一万三千票差に迫った共産新人平松順子(54)は「憲法を改悪しようとしている民主も自公政治と同じだ」と批判を強める。
◇       ◇       ◇
 「社会保障制度改革は公明の力が大きい」
 1区の自民前職砂田圭佑(69)は二十八日、出陣式で公明を持ち上げた。
 民主前職石井一(69)とは三度目の激突。小選挙区ではまだ勝てず、前回の石井との差は二百六十五票。因縁の対決の行方を左右するのが、二万票ともいわれる公明支持票だ。
 公明は党幹事長が立つ8区で民主新人を支援する石井に、「一票も入れない」(市議)と敵意をあらわにし、砂田への傾斜を強めつつある。
 一方、石井は同日、神戸市内での事務所開きで「自民は公明に頭を下げた」と激しく批判。だが石井も、「すべて砂田に行くわけではない」と、公明との古くからのつながりに期待を残す。
 共産新人北岡浩(61)、護憲派結集を呼び掛ける無所属新人原和美(53)は、いずれも憲法改悪阻止などの訴えに力を入れる。
 自公のきずなは強まるが、連合を仲立ちに、民公協力が再び動き出す可能性は消えない。1、2区での“実績”は、そのバロメーターになる。
◇       ◇       ◇
 「マニフェスト(政権公約)」が注目を集める衆院選。与野党激突の構図は兵庫でも鮮明だ。政権をかけた決戦を追う。(敬称略)

43とはずがたり:2005/01/14(金) 16:16
(2)「若さ」 崩せるかベテランの牙城 (03/11/01)
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/02.html

 演壇に立った民主党代表菅直人はまず、兵庫10区で擁立した新人岡田康裕(28)の若さに触れた。
 「眼(め)が光っている。日本を変えようとする若い志がみなぎっている」
 十月二十二日、JR加古川駅前。激励を受けた岡田の声も熱を帯び、矛先は自民前職渡海紀三朗(55)へと向けられた。
 「地盤(組織)、看板(知名度)、かばん(資金力)を取るのか。私の熱意、情熱、誠意を選んでいただくのか」
 内閣再改造前まで文部科学副大臣を務め、五期目をうかがう渡海。政権をかけた戦いに、岡田は「若さ対実績」という対立軸を持ち込んだ。
 渡海は、「若さ対実績」の対立軸には乗らない。演説でも四期の実績はさらりと触れる程度で、「構造改革を推進したい。成果が見えてきた」と訴える。県内同党候補では唯一、比例重複を返上、「地域の代表」にこだわる。
 抜群の知名度。全域に張り巡らされた後援会組織。今回、連合・五党協議会の崩壊により公明党という新たな支持母体も得た。公示日、東播二市二町で出陣式を開くなどオーソドックスな選挙スタイルを貫く。
 一方の岡田は、選挙戦術でも渡海とは対照的だ。選挙区に居を移して約一年。事務所は加古川市内一カ所のみ。支援を受ける連合東播への依存は避け、ボランティアに支えられた選挙にこだわる。
 「無党派層にこそ聞いてほしい」と岡田。組織回りよりも街頭で政策を訴えるスタイルを好む。ある労組委員長も「組織選挙は限界。今回は新たな選挙スタイルのテストケース」と話す。
 10区は、四月の県議選で三十代の現職と新人が当選した地域。七十七歳で、今回不出馬を表明、岡田に譲る形となった塩田晋(比例、旧自由)が前回得た約三万票の行方も勝敗のかぎを握る。
 世代対決の様相にも、共産新人星原幸代(61)は「体力、気力とも自信はある」と意に介さない。
◇       ◇       ◇
 「議員は名誉職ではない。現場で働ける人材を送り出してほしい」
 ニュータウンと田園地帯を抱える4区。神戸市西区、地下鉄西神中央駅前で十月、民主新人高橋昭一(39)が、世代交代の必要性を訴えた。
 防災担当相で保守新前職井上喜一(71)に初めて挑む高橋。自転車部隊の先頭に立つなど、「若さ」を前面に打ち出し、ベテランの牙城(がじよう)切り崩しに懸命だ。
 長年、井上を支えてきた連合・五党協議会は崩壊。ニュータウンでは、三十代という年齢への歓迎ムードも感じる。共産新人山本純二(37)も「行動力で証明する」と、各地で演説を重ねる。
 しかし、北播磨では新人二人の挑戦に、異なる受け止めもある。農村部が多く、各種団体の組織構成も年功序列的な色合いが濃い地域。「若過ぎる」といった有権者のつぶやきも聞こえる。
 「政治は、若さではない。信念を実現する気力と情熱があるかだ」と井上。自然災害や大事故への即応が求められる重要ポストだが、できるだけ選挙区に入るようにするなど、「備え」は怠っていない。
(敬称略)

44とはずがたり:2005/01/14(金) 16:18
>篠山市では市議十人以上が梶原を支援する。前回の二人から急増。
>自民系市議は「二人をてんびんにかければ、自然な判断だろう」とみる。

(3)「1+1=?」 合併効果 試される民主 (03/11/02)
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/03.html

 「この戦いは自分の選挙でもある。私の政治信念を受け継いでもらいたい」
 十月三十日夜、兵庫県美方郡浜坂町であった、5区の民主新人梶原康弘(47)の個人演説会。元衆院議員吉岡賢治(65)は絶叫し、過去二回戦った梶原の手を握り締めた。
 美方郡は自民新人谷公一(51)の出身地域。自由公認で挑んだ前回、梶原は谷の父洋一(76)の厚い壁に阻まれ、但馬での得票はわずか二千票余に過ぎなかった。
 梶原が期待を寄せるのが、民主、自由両党の「合併効果」だ。前回の選挙結果を単純計算すれば、吉岡、梶原の合計得票は谷を上回る。
 ただ連携には時間が十分だったとはいえない。労組へのあいさつ回りを重ねた梶原に対し、吉岡の不出馬表明は公示十日前。篠山市の後援会事務所には公示後になってからも労組の推薦状が届く。陣営は「走りながらやるしかない」と悲壮な覚悟を打ち明ける。
 「出遅れ」は谷も同じだ。県職員を辞し、父の後継に決まったのは公示二カ月前の八月下旬。自民関係者らの予備選で一本化され、名前と顔の浸透に懸命だ。梶原の父も元参院議員で、世襲批判は強烈には出ていないが、克服したとは言い難い。
 但馬の谷、丹波の梶原―。自民・民主激突の構図に郷土意識が絡み、状況を複雑にする。
 「但馬から国会議員をなくしてはならない。吉岡票をどれだけ取り込めるか」と谷陣営の幹部。
 篠山市では市議十人以上が梶原を支援する。前回の二人から急増。自民系市議は「二人をてんびんにかければ、自然な判断だろう」とみる。
 共産新人西中孝男(54)は元三田市議。二人の“地盤”を意識しながらも「三田で足場を固め、但馬、丹波にも食い込みたい」と意気込む。
◇       ◇       ◇
 「公明の小選挙区候補十人の中で、兵庫8区の私が最も厳しい」
 十月二十日、尼崎市内の体育館。公明幹事長で前職冬柴鉄三(67)は七千人を超す支持者らに“窮状”を切々と訴えた。
 前々回は自民、前回は無所属で立った民主新人室井邦彦(56)との三度目の激突。過去二回の得票差は約一万五千、約二万五千票。だが冬柴を推してきた非自民勢力の連合・五党協議会(五党協)は崩壊、労組票の行方は流動化した。
 「こちらには票が増える要素はない。合併効果があるのかないのか、不気味だ」。冬柴陣営は危機感を募らせる。
 合併を「千載一遇のチャンス」ととらえる室井陣営も手ごたえを測りかねている。自民、自由、民主と党籍を変えてきた室井への候補一本化をめぐるしこりに加え、「元自民」という過去に拒否反応を示す支持者や労組も少なくない。
 「政権選択」の構図を象徴するように、解散以降、冬柴には自民幹事長安倍晋三らが応援に駆け付け、四日には首相小泉純一郎も尼崎に入る。一方の室井にも、民主代表菅直人や、旧自由党首小沢一郎らが来援する。
 社民前職北川れん子(49)と共産新人庄本悦子(49)は、組織票が流動化した状況を好機とみて、支持拡大を目指す。
 党の合併で誕生した、二人の「民主候補」。それぞれの現場で、結束力が試される。 (敬称略)

45とはずがたり:2005/01/14(金) 16:18
実際はどうだったんでしょうかね?
>三万強とされる6区の公明票。伊丹は旧新進時代から公明と良好な関係にある小池、宝塚は市村、川西は自主投票―。五党協維持へ、巧みなバランスが働いたのだという。
>「うちの票は政権の枠組み通りに行かない」。解散後、公明関係者が市村を推す民主系地方議員に耳打ちした。阪上は九六年総選挙では公明、創価学会を激しく批判。「市村と学会は悪くない」。議員は公明支持票の取り込みに動く。
>対する阪上は演説のたびに「公明推薦」を強調する。公示後、伊丹市内で公明の県、市議らが開いた演説会で、今までの言動を陳謝。学会内では「阪上支持」の申し合わせが広がりつつあるという。
(5)「百合子票」 個人人気 どう取り込む (03/11/04)
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/05.html

 「やっと小選挙区から立候補できました阪上です」
 兵庫6区の自民前職阪上善秀(56)は公示日の十月二十八日、第一声で支持者らの笑いを誘った。そのころ、比例近畿に単独で立つ環境相小池百合子(51)は、阪上への応援演説を一分足らずで終え、他選挙区への車中にあった。
 県内最多の有権者を抱える6区。小選挙区制導入後は、小池が二回連続で制した。一九九六年は阪上を約八千票差で、二〇〇〇年は民主新人市村浩一郎(39)を約一万票差でそれぞれかわした。
 「三年前、阪上は何もせんかった。小池が今回応援せんでもイーブンや」。政党関係者は明かす。当時、保守党だった小池との与党間の候補調整は難航。阪上が比例に回ったが、小選挙区では「阪上」と書かれた無効票が多かった、ともささやかれた。
 昨年末、小池は自民へ。6区の候補者調整が注目を集めたが、内閣改造後の十月初め、国会内で二人は文書を取り交わした。次回は“小選挙区は小池、比例は阪上”。そして、小池は阪上の選対副本部長に就いた。阪上は「今は同じ自民。わだかまりはない」としながらも、小池票の行方に神経をとがらせる。
◇       ◇       ◇
 前回初挑戦の市村は小池に肉薄したが、小池の地元・伊丹で九千票差をつけられた。
 非自民の連合・五党協議会(五党協)の枠組みで、民主は8区で公明前職を支援。6区では市村が五党協統一候補だったが、公明は同じ与党の小池を推薦するという“ねじれ”が生じた。
 「それは表向き。実は、公明の水面下の投票行動は三市ごとに違っていた」。ある陣営幹部が解説する。
 三万強とされる6区の公明票。伊丹は旧新進時代から公明と良好な関係にある小池、宝塚は市村、川西は自主投票―。五党協維持へ、巧みなバランスが働いたのだという。
 「うちの票は政権の枠組み通りに行かない」。解散後、公明関係者が市村を推す民主系地方議員に耳打ちした。阪上は九六年総選挙では公明、創価学会を激しく批判。「市村と学会は悪くない」。議員は公明支持票の取り込みに動く。
 対する阪上は演説のたびに「公明推薦」を強調する。公示後、伊丹市内で公明の県、市議らが開いた演説会で、今までの言動を陳謝。学会内では「阪上支持」の申し合わせが広がりつつあるという。◇       ◇       ◇
 前回は小池ら女性候補が四人、男性は市村一人だった。逆に今回、唯一の女性候補となったのが社民前職中川智子(56)。市議やスタッフで結成した女性部隊と街頭に立つ。
 「小池さんと私とはキャラクターが違う」。北朝鮮による日本人拉致事件への対応などが問われた社民だが、中川はテレビ出演などで培ったタレント性も生かし、無党派層への支持拡大を図る。
 共産新人大塚寿夫(64)は好機とみる。「知名度がある小池さんは無党派層にも浸透していた。阪上さんは自民らしい人。むしろ戦いやすい」
 過去二回、小池の得票は八万五千―九万票。大半が“百合子票”ともいわれる個人人気に支えられていた。あるじなき票の行方をめぐって、各陣営の思惑が交錯する。(敬称略)

46とはずがたり:2005/01/14(金) 16:21
姫路市長選で相乗りに反旗を翻した松本氏でお陰で連合からの支援は鈍いが政治家としては確実に男を上げたとみる。

(6)「王国」 切り崩し、三度の対決 (03/11/05)
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/06.html

 「市長と戸井田は対立している。松本を当選させなければ、市長選で勝った意味が半減する」

 二日夜、姫路市・白浜地区。兵庫11区の民主前職松本剛明(44)の演説会で、地区の有力者、濱中英男・姫路商工会議所副会頭が力を込めた。

 白浜地区は、かつては自民の故河本敏夫元国務相の地盤。引退後は自民元職戸井田徹(51)が勢力を伸ばした。松本にとっては、防衛庁長官を務めた父十郎時代を含めて初の演説会だったが、予想外の盛況となった。

 濱中は、四月の市長選で当時の現職を破った石見利勝・姫路市長の後援会長。もとは自民支持だったが、松本が党方針に反して石見を推したのを機に、松本支持に回った。

 「石見市長は、保守王国切り崩しの切り札」と意気込む陣営。石見も、松本の演説会の三分の二に出席を予定するなど、支援を鮮明にする。

 一方、戸井田は市長選の影響回避に躍起だ。十月二十八日の出陣式は石見にも出席を依頼。松本の出陣式と掛け持ちした石見のあいさつは熱が入っているとは言い難かったが、陣営は「出席したことに意義がある」。市長選をめぐって戸井田と対立した自民県議の姿もあった。

 「市長選が縁で私を応援するようになった人もいる」と戸井田。

 松本も後遺症と無縁ではなかった。十月三十一日夜、戸井田の演説会が同じ地域で開かれたが、参加者数では松本が劣った。「連合系労組の不参加が響いた」と陣営。

 前回、松本の初当選を支えた連合は、市長選の支持をめぐって対立した影響から、動きは鈍い。ある労組関係者は明かす。「応援は見せかけ。実質的な活動はしない」

 一方、市長選で石見を勝手連的に支援した共産新人竹内典昭(28)も「石見」を支持拡大の足掛かりに期待する。
◇       ◇       ◇
 「背中が凍り付いた」。12区の自民元職河本三郎(53)は前回の敗戦を振り返る。無所属の会前職山口壮(49)は、初当選の喜びを「奇跡が起きた」と表現した。
 河本は、派閥の領袖を務めた故敏夫の三男。「河本王国」とも呼ばれた強力な保守地盤を受け継いだ。一方の山口は相生市出身だが、特筆できる地盤は持たない。前々回の初対決は、河本が一万票以上の差で制し、前回は山口が五千四百票余りで競り勝った。
 山口は、自治会など組織選挙を採らず、選挙運動とは無縁だった四、五十代の主婦層らを味方につけた。
 今回、雪辱を期す河本。「従来のやり方だけでは勝てない」と、山口の手法を意識して選挙区を歩き、ミニ集会を重ねる。女性や無党派層の獲得で巻き返しを図る構えだ。
 山口陣営の幹部は、河本の組織力にも警戒を緩めない。
 「地域を回って築き上げた草の根には自負がある。だが『王国』の看板は、まださびついてはいない」
 11、12区ともに、前職と元職が一勝一敗で迎える因縁の対決。「王国」の将来をも左右する決戦の行方は、今回も無党派層がカギを握る。
 四月の統一選で、12区の市町議が過去最多に増えた共産新人太田清幸(48)は「党への期待は高まっている」と政策主体の戦いを繰り広げる。(敬称略)

47とはずがたり:2005/01/14(金) 16:22
(7)埋没の危機 党の命運かけ背水の陣 (03/11/06)
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/07.html

 公示翌日の十月二十九日、地元・西宮に戻った社民党首土井たか子(74)は午前八時から駅前に立ち、午後七時まで十カ所以上で街頭演説をこなした。選挙期間中の兵庫7区入りは計五日。うち三日は終日地元での活動に充てる。前回選挙の二日(計六時間四十分)から格段に増えた。
 労組関係者に頭を下げ、街頭で「憲法を守ろう」と訴えた後は、人垣に入って握手を繰り返す。「手を握って、ぬくもりを伝えてこそ一票に結び付く」。陣営の一人は険しい表情でつぶやく。
 中選挙区制時代を含め連続十一回当選。前回は、次点の候補者に十万票近い差をつけて圧勝した。その土井がかつてない“逆風”にあえぐ。
 北朝鮮による日本人拉致事件への対応のまずさや、党のホープだった辻元清美元衆院議員と自身の元政策秘書が秘書給与詐取事件で起訴され、非難を一身に浴びた。「辞職も考えた」という土井だが、結局、出馬を決断。ポスト土井の当てもなく、辞任はそのまま党の崩壊を意味した。
 それでなくても「政権選択選挙」といわれる今回、社民など小政党は、その存在意義が問われている。「護憲」を掲げ続ける土井は、自らの立場を“第三極”と説明しながらも、「小泉内閣を倒すため民主党を支援する」と強調。五日には「民主党と連立を組み、政権に参加する」との考えを明言した。
 その民主の推薦を得た土井だが、野党結集のパートナーとなるはずが、6、8区では結局調整がつかず、民主、社民の候補者が競合。社民は各選挙区でなお数万の得票力を持つだけに、政権交代を前面に掲げる民主の兵庫での選挙戦略に微妙な影を落とす。
◇       ◇       ◇
 土井のアキレス腱(けん)ともいえる「拉致事件」への取り組みを掲げ、真正面から挑むのが自民新人大前繁雄(61)。元県議の大前は、帰還事業で北朝鮮に渡った日本人妻の里帰り運動に取り組む中で拉致の実態を知り、一九九六年、真相究明を求め、県議会で初めてこの問題を取り上げた。
 十月二十九日、JR西ノ宮駅前で開かれた街頭演説には幹事長安倍晋三とともに、被害者の有本恵子の両親が応援に駆け付け、「最初に旧社会党にお願いに行ったが、何の返事もなかった。子どもたちを取り戻すため、大前さんを国政の場に」と訴えた。
 大前も「有本さんの両親から、ぜひとも選挙に勝ってほしいと訴えられた」と、拉致問題を前面に打ち出し、社民への攻勢を強める。
 念願の自民公認を得て、与党候補となった強みも最大限に生かす。7区で三万を超える集票力を持つ公明が推薦。ある公明市議は「比例に投票する人の大半は大前に入れるはず」との見通しを語る。◇       ◇       ◇
 「二大政党」による埋没の危機に直面するのは共産も同様だ。新人の礒見恵子(46)は「自民、民主のどちらが政権を担っても、政策の本質は変わらない」と二大政党制を否定する。返す刀で、「土井さんは護憲といいながら“創憲”を主張する民主の推薦を受けている」と批判する。
 党の命運を左右する戦い。最後まで懸命に駆け続けるしか、道はない。 (敬称略)

48とはずがたり:2005/01/14(金) 16:24
政策協定の話し迄は行ったんだな。。
>畠中の出馬は、保守二人の対決に微妙な影を落とす。当初、雪辱へ「民主の候補擁立を避けたい」と願う西村と、民主の「自民を当選させない」との思惑が一致。
>両者は接触を重ね、政策協定の話が持ち上がった。だが、最終的に西村は、「首相指名で菅直人とは書けない」と拒否。民主は、決裂直後に畠中の9区での擁立を決めた。

(8)割れる保守 再度の対決、情勢混とん (03/11/07)
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/08.html

 「世代交代の時代。彼にこそ自民党で活躍し、小泉内閣を支えてほしい」
 十一月一日、明石市のJR大久保駅に近い大型商業施設前。前財務相塩川正十郎が熱っぽく訴えた。傍らで、兵庫9区の無所属新人西村康稔(41)が大きくうなずく。
 一方、小泉再改造内閣で文部科学副大臣に就任した自民前職宮本一三(72)。「内閣の一員として、改革を後押しする」。公示日の十月二十八日、出身地の三原郡での出陣式で声を張り上げた。
 選対本部長で同郡選出の県議永田秀一は「政治家として一番脂が乗っている。今回、当選すれば大臣も目指せる」と三期の実績を強調した。
◇       ◇       ◇
 保守層を二分して繰り広げられる戦い。前回は、宮本が約五千票差で激戦を制した。
 三年前、公認をめぐって激しく争っただけに、宮本は県連会長のときに党本部に早々と申請、公認を得た。国交相石原伸晃ら閣僚や、総務会長堀内光雄ら党幹部が相次いで来援。同じ派閥の元党幹事長古賀誠も「教育改革に欠かせぬ人材」と持ち上げた。
 宮本陣営は「比例は公明へ」とも訴え、推薦を得た公明票を「追い風」に期待する。
 一方の西村は「小泉内閣が改革を進める限り、当選後は自民党で活動する」と明言。幹事長安倍晋三を「兄貴分」と慕い、「私を待ってくれている」と公言してはばからない。
 半面、前回は、最後まで自民公認にこだわった西村だが、無所属での立候補を逆手に取る。淡路では自民有力者とのパイプを強調するが、明石の新興住宅地に入ると一転、“自民色”を薄め、「しがらみの無さ」をアピールする。「古い政治が壊れ始めている。今こそ政治を変える時だ」と街頭で連呼する視線は、無党派層を見据えている。
 二人の再対決に、自民支持層の亀裂は広がる。厚い保守地盤を誇る淡路島。だが津名郡選出の県議北浦義久は西村を支持するなど、9区の市議、町議らの多くが両陣営に分かれる。
◇       ◇       ◇
 7区で出馬準備を進めながら、民主が社民党首土井たか子推薦を決めたことで、9区に転じた新人畠中光成(31)も民主支持層への浸透、無党派層への支持拡大を急ぐ。
 畠中の出馬は、保守二人の対決に微妙な影を落とす。当初、雪辱へ「民主の候補擁立を避けたい」と願う西村と、民主の「自民を当選させない」との思惑が一致。両者は接触を重ね、政策協定の話が持ち上がった。だが、最終的に西村は、「首相指名で菅直人とは書けない」と拒否。民主は、決裂直後に畠中の9区での擁立を決めた。
 若さと松下政経塾出身の経歴を掲げ、「政権交代」を前面に打ち出す畠中。同時に、陣営は「西村への一票は、自民に投票するのと同じだ」と訴えることも忘れない。
 「三人の主張に大差はない」とする共産新人筧直樹(55)は、「憲法九条改悪反対」などを掲げ、有権者に第三の選択肢を示そうとする。
 海峡をはさんで、決戦の波は高い。制するのはだれか。投票日は二日後に迫った。

(敬称略)

49とはずがたり:2005/01/14(金) 16:26
>>42-49
【03年総選挙兵庫県情勢】
決戦の秋(とき) 神戸新聞社
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/index.html

「マニフェスト(政権公約)」が注目を集める衆院選。与野党激突の構図は兵庫でも鮮明だ。政権をかけた決戦を追う。(敬称略)
 
(8)割れる保守 再度の対決、情勢混とん (03/11/07) >>48
(7)埋没の危機 党の命運かけ背水の陣 (03/11/06) >>47
(6)「王国」 切り崩し、三度の対決 (03/11/05) >>46
(5)「百合子票」 個人人気 どう取り込む (03/11/04) >>45
(4)主導権 「脱組織」の理想と現実 (03/11/03) >>44
(3)「1+1=?」 合併効果 試される民主 (03/11/02) >>43
(2)「若さ」 崩せるかベテランの牙城 (03/11/01) >>42
(1)軸足 疑心ぬぐえぬ自公協力 (03/10/31) >>41

50とはずがたり:2005/01/23(日) 03:40
96年,00年の広島県に於ける連合の推薦状況
>連合は前回、4区を除く六選挙区で候補を推薦。5区の民主前職 以外は全員、新進の候補だった。
>今回は1、5、7区で民主新人、 3区で社民新人、6区で自由新人を推薦する。
>一方、4区の社民新人と、前回は新進だった2区の無所属の会前職は推薦を見送った。

連合推薦 複雑に分かれる
1・5・7区民主 3区社民 6区自由
尾引く政党の離合集散
http://www.chugoku-np.co.jp/00syuin/senkyo/0615c.html

 衆院選で連合広島(森川武志会長)が推薦する小選挙区の候補 が、県内では民主、自由、社民の三党に分かれている。連合の政党 支援は「民主が基軸」だが、選挙区事情や連合本部の意向が絡み、 複雑な「支援模様」を描く。前回衆院選で推薦した新進が解党する など、政党の離合集散が尾を引いている。

 5区の民主新人が呉市内で開いた出陣式。「今回、県内七選挙区 で五人を推薦したが、5区の候補が最大のエースだ」。連合広島の 森川会長は、あいさつの中で「エース」を繰り返した。県内では、 この新人と3区の社民新人の推薦を最初に決めた。

 当初、5区には民主と社民が新人擁立の構えを見せていた。「労 働界の勢力を二分し、とても自民に対抗できない」(森川会長)と 連合が調整に乗り出した。社民が5区に立てない見返りに連合が3 区新人を推薦し、民主は3区に擁立しない―。この条件で連合、民 主、社民が折り合った。

 連合は前回、4区を除く六選挙区で候補を推薦。5区の民主前職 以外は全員、新進の候補だった。今回は1、5、7区で民主新人、 3区で社民新人、6区で自由新人を推薦する。一方、4区の社民新人と、前回は新進だった2区の無所属の会前職は推薦を見送った。

 2区前職と6区新人については五月三十日、「共産を除く非自民 勢力の総結集」を掲げる連合本部から、文書で推薦要請が届いてい た。連合広島は「6区新人からは推薦依頼があったが、2区前職は なかった」と説明。組合費を給料から天引きするチェックオフ制の 禁止などを主張する6区の自民前職に対抗する思惑もあった。

 「3区社民は調整の結果で例外」と、軸足を民主に移した連合広 島。しかし、約十七万四千人を抱える加盟労組の一部は今も社民、 新社会と三分裂する。今回は新社会が候補を擁立せず、「連合票」 の行方は前回にも増し見通しにくい。

51片言丸 (/3J5SzQQ):2005/01/23(日) 11:35
http://www.jomoty.com/cgi-local/battle2/glight.cgi
[792] バカの壁は高い。 投稿者:へえすけ [秋田・河辺] 投稿日:2004/02/12(Thu) 00:18

「大曲」という名前は全国ブランドだったのに、合併で名前が消えてしまってホントに惜しいと思っていた。

「大仙市」なんて言っても当分の間、誰にもその名前が分からないだろうと思っていたら、なんと「146人議会」一発で、その名前が日本中に知られてしまった。

今日、本荘市のある議員と話をしたところ、「大仙市も1年の在任特例を使ったことだし・・・」と、「由利本荘市」も132人の議会で行きたいそぶりだった。
まったく、本荘の議員も「バガゲ」ばかり多くて困る。
フツーの人にとって、大仙の「146人議会」の評価はきわめて低い。
おそらく100人中の99人は「いらない」と言うだろう。

ある人は「大仙の決定は秋田の恥です」と言い切ったが、私もそう思う。
由利本荘市の議員待遇を決めるとき、物笑いや恥かきのたぐいに習うべきか、さすがに由利本荘市はスマートだという、尊敬や賞賛を得る道を選ぶべきか・・・、誰が考えても分かりそうなものだが、どうやら由利本荘市も「バカゲ連盟」に入りそうだ。



ところで、選挙の予想をするのが好きなので、早々と参院選を占う。
今まで、一般的な参院議員の評価では、「金田は選挙に弱いが、滋宣は強い」というものだった。
ところが、対抗馬が鈴木陽悦となると、「滋宣は強い」とも言ってられない。
本荘のミニコミ誌に載っていた滋宣氏の写真を30代の女性何人かに見せたところ、誰だか分からなかった。
ところが「鈴木陽悦って知っているか?」と聞いたところ全員が「AKTの白髪のアナウンサーだった人」と、知名度と顔の認識度は圧倒的に陽悦氏の方が高い。

実力的には、大蔵省の超エリートだった金田勝年と比べると、「調子はいいけれど霞ヶ関での実力はね・・・」と一格下。
週刊誌でロシア視察買春疑惑が報道されたことがあったのも滋宣氏のイメージダウン。
「秋田県のために金田は落とすわけには行かない」という首町達は多いが、滋宣氏への肩入れ度はそれよりも低いと見た。

滋宣氏のポイントは演説のうまさ。前回の選挙演説は聴いていて感心した。
かたや、陽悦氏はアナウンサーで「話のプロ」だが、どうも話し方が軽い。この辺が選挙戦までにどう修正されるか、注目。

ま、そのあたりがうまくいけば、おそらく1区は鈴木陽悦の大差勝ち。

2区は野呂田地盤と言うこともあって滋宣優位だが、鹿角・大館など、陽悦が足しげく通ったところも多く、陽悦健闘の結果、滋宣の中差勝ち。

3区は滋宣氏の奥さんが仁賀保出身(前に象潟と書いてしまった)なので、由利側は地縁・血縁もあるが、何しろムラオカ引退が響いて柱が無くなった。
しかも、先の衆院選では雄平仙には足を踏み入れなかったということから、自民党支持者の中にはかなり反発しているものもいるし、各首町達は専ら知事サイドで固まっている、ということでかなりの差を付けて陽悦の勝ち。

ということで、鈴木陽悦氏が5万〜8万の差を付けて勝つと第一回目の予想をした。

52片言丸 (/3J5SzQQ):2005/01/23(日) 11:36
[837] no title 投稿者:へえすけ [本荘・由利] 投稿日:2004/07/15(Thu) 23:50
[729]で
『1区は鈴木陽悦の大差勝ち。

2区は野呂田地盤と言うこともあって滋宣優位だが、鹿角・大館など、陽悦が足しげく通ったところも多く、陽悦健闘の結果、滋宣の中差勝ち。

3区は滋宣氏の奥さんが仁賀保出身(前に象潟と書いてしまった)なので、由利側は地縁・血縁もあるが、何しろムラオカ引退が響いて柱が無くなった。
しかも、先の衆院選では雄平仙には足を踏み入れなかったということから、自民党支持者の中にはかなり反発しているものもいるし、各首町達は専ら知事サイドで固まっている、ということでかなりの差を付けて陽悦の勝ち。

ということで、鈴木陽悦氏が5万〜8万の差を付けて勝つと第一回目の予想をした。』
と書いた。

・・・で、1区はそのまま当たり!(本音では、ダブルスコアで、ここだけで5万の差がつくと思っていた。ある意味では滋宣の大健闘、または終盤の陽悦家族へのネガティブキャンペーンが功を奏したか)

2区は能代と山本郡と北秋田郡の森吉・田代・合川で負けただけで、全体的には陽悦の勝ち。
特に野呂田のお膝元の能代で1300しか離せなかったことと、二田から譲り受けた地盤の南秋・男鹿に野呂田の影響力が全く見えなかった。野呂田も力がなくなって、ムラオカへの道をたどっていると感じた。鹿角・大館などは予想どうりで、当たり半分、はずれ半分。

3区は夫人の出身の仁賀保3町は滋宣大差勝。由利郡も優位だったが、ムラオカがいなくなった本荘では陽悦の圧勝。(自民候補の得票が相手に10ポイントも離されるのは初めて)
雄平仙は、御法川取り込みの効果も全くなく、滋宣大差負け、と言うことで、3区の予想も当たり! 

年金やイラクなどいろいろあったが、2月に立てた予想がほとんどそのまま通用するなど(はずれたところも予想よりも自民党が落ち込んだから)、自民党の選対はまったくのアホだね。

『自民党が本気でまとまれば勝てる』と言ったところで、次の知事選では完全に 「×」
(誰を候補者に立てたらいいのかさえ分からない)

次の衆院選1区は 「マナブちゃんに金田をぶっつけて、金田の後釜の参院には同情票の滋宣」という強力布陣を敷くだろうが、マナブちゃんに陽悦をくっつけてべたべたに街を歩かせる。参院には西木正明、と言う手を使えば金田も滋宣も吹っ飛ぶ。

3区の民主候補は柳葉俊郎。これで御法川もムラオカJrも壊滅する。3区レベルなら県議のカドワキでも勝てるが、3区にギバちゃん、参院に西木なら、1〜3区全体の民主を高揚させる。

2区は民主系にどういう人材がいるか実はよく知らない。けれども、野呂田も力が落ちている。野呂田Jrならもっと非力。しかも野呂田の苦手な南秋・男鹿が選挙区になったこともあって、場合によっては秋田県の自民党が(東北比例区の二田をのぞいて)壊滅することもあり得る。

来年の合併新市長は知事選挙と同時期。知事選挙とセットで、続々とテラダ派の首長が誕生すると思う。
そういう中で自民党が『本気でまとまっても』、全く勝てないだろう。

秋田県の自民党国会議員が、あの二田だけ、という悲(喜?)劇の足音が近づいている。

53片言丸 (/3J5SzQQ):2005/01/23(日) 11:39
[838] no title 投稿者:へえすけ [本荘・由利] 投稿日:2004/07/16(Fri) 01:14
久しぶりの書き込みなので[ワード検索]で過去の書き込みを読んでみた。

[780]では御法川に対しては、『野呂田が、村岡から取り上げたおいしいえさ(3区支部長)を「いつでもあげるぞ」とお誘いを掛けてくるでしょう。
ま、これも『毒饅頭』みたいなものですが、果たして御法川が食うか食わぬか。

喰えば『食あたり』を起こしそうな気がしますが・・・。』と書いてあった。

その後、御法川がまんじゅうを食いたさに自民党に入ってしまった訳だが、小泉首相まで来て貰った大曲で、応援した滋宣が陽悦に13.5ポイントも差を付けられるなどはまったくの『食あたり』。

太田町でさえ負け込んだくらいだから、滋宣を巻き込んだだけではなく、この次は御法川が『中毒死』するのは確実。

今回の選挙では滋宣応援を勝って出たムラオカJr2敏英も全く不評だったのだから、民主に入っていれば、この次は安泰だったのに、ホントにバカだねと思う。


[862] no title 投稿者:シロスケ君 [秋田・河辺] 投稿日:2004/12/07(Tue) 18:23
シーゲルさん、村岡ジュニアっつうのは兼幸さんじゃなくて、秘書やってた次男の方ね。野呂田センセに自民3区の事務所から後援会事務所を追出されたの知ってるでしょ。今密かに横手のご近所に事務所造る計画があって図面まで上がってるんだけど、親父サンの件で延期になってるんですよ。で、シーゲルさん家のそばに自宅建てるとかいう噂もチラホラあって・・・。そこまで横手にこだわるっつう事は・・・
??そう!次男が立つ次の選挙は雄平仙に力を注いだ選挙にするっつう事なんですね〜。みのサンに雄平仙を全部喰われる前に、ここで一発歯止めかけといて、後は本荘由利の古典的村岡ファンの票で巻き返す!その時点で親父の問題が解決してたら、自民と手打ちして比例で出る。その犠牲者が、二田センセでしょ。ゼネコン上がりの村岡ジュニアは建設業界からはしこたま評判悪いから、今更業界戦法は無理があるし、ここは地域密着型、草の根戦法でもっていくのだろうと・・・。ただこれをできるのが、横手の親方スケシロさんが地元に居ないうちなんですよ。以上、想像ですけどね^^

54とはずがたり:2005/01/23(日) 17:42
>>52-53
次回衆院選・参院選共に期待できそうですな。

>特に野呂田のお膝元の能代で1300しか離せなかったことと、二田から譲り受けた地盤の南秋・男鹿に野呂田の影響力が全く見えなかった。野呂田も力がなくなって、ムラオカへの道をたどっていると感じた。

>3区は夫人の出身の仁賀保3町は滋宣大差勝。由利郡も優位だったが、ムラオカがいなくなった本荘では陽悦の圧勝。(自民候補の得票が相手に10ポイントも離されるのは初めて)
>雄平仙は、御法川取り込みの効果も全くなく、滋宣大差負け、と言うことで、3区の予想も当たり!

これが出来れば面白いけど。。

>3区の民主候補は柳葉俊郎。これで御法川もムラオカJrも壊滅する。
>3区レベルなら県議のカドワキでも勝てるが、3区にギバちゃん、参院に西木なら、1〜3区全体の民主を高揚させる。

55片言丸 (/3J5SzQQ):2005/01/23(日) 18:57
蒲島研究室
政治関連データ・資料書庫
http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/data/index.html

(・∀・)イイ!!

57杉山真大 (sB4AwhxU):2005/01/25(火) 09:50
>>55
覗いて見ましたけど、選挙公報を(諸派・無所属まで)よくも集めたり、ですね。
「しょむ研」の水泡氏にも教えておこう。

58とはずがたり:2005/01/31(月) 00:31:02
96.10.06
http://www.sankei.co.jp/databox/election/tuika/1006tuika.html

■社民、7人の推薦決定

 社民党は五日の持ち回り三役会議で、衆院選に立候補する他党の公認候補七人の推薦を決めた。これで同党の公認候補は四十二人、推薦は九人になった。

 推薦候補は次の通り(敬称略)。

 [自民党公認]三重1区 川崎二郎(前)▽同4区 田村憲久(新)

 [さきがけ公認]長野1区 田中秀征(前)▽同3区 井出正一(前)▽滋賀2区 武村正義(前)▽同3区 笠原吉孝(新)▽熊本4区 園田博之(前)

■社民・北関東ブロック比例候補に市川氏

 社民党埼玉県連は五日、衆院選比例代表の北関東ブロックの単独候補として市川博美・同県連幹事長を擁立することを決め、党本部に公認申請した。北関東ブロックで同党が比例単独の公認候補を立てるのは初めて。

 同ブロック四県のうち、栃木、群馬県連は小選挙区、比例代表とも民主党支持を打ち出している。茨城県連も小選挙区は民主党を支持、比例代表は小選挙区ごとの総支部に対応を任せる方針で、選挙区、比例代表とも社民党で戦うとしているのは埼玉県連だけとなっている。

59片言丸 (/3J5SzQQ):2005/02/05(土) 00:29:27
西尾政英ブログの一節。
住氏はさきがけ系に近かったのでしょうか?

2005/1/31 20:32
>1998年のあのときも“北陸決戦”といわれ、お隣の石川一区では奥田敬和代議士が逝去され、ご子息建氏の出馬で弔い合戦。それと同時実施の故 住博司氏の後継(当時、出陣式で菅直人代表は「この戦いは、利権の後継、世襲の後継、志(当時「新党さきがけ」に集結したかった故住博司氏の思いを指して)の後継のどちらを選ぶかの戦いだ」と私の草稿どおり訴えてくれました)を争う総選挙でした。

60とはずがたり:2005/02/13(日) 18:21:38
http://www.iwate-np.co.jp/kikaku/seikai.html
<2001年12月>
「修復」の波紋揺れる県政界

上 <12月13日>
−衝  撃−「小沢氏は政治の師」
冷えた関係一転連携へ

 「今後も自民党の協力を得て、県政運営に当たっていく」。11日夜。盛岡市内の料亭で開かれた県議会自由民主クラブ会派の忘年会。増田知事は和やかに議員らと酒を酌み交わした。
 一夜明けた12日、増田知事は自由党との関係修復に向け、同党幹部との会談に臨んだ。席上、これまでの政治姿勢に「反省」の弁を表明し「小沢党首は政治の師」とまで言い切った。

 知事は1995年に旧新進党推薦で初当選。99年の前回は自民、自由、民主、社民、公明5党と県議会無所属会派・政和会の推薦を得ながら、小沢一郎自由党党首と「自由党を中心に選対を構築する」と合意。しかし、実際は後援会主体の選挙戦を展開したため、自由党とは冷えた関係が続いていた。

 県民の高い支持率を誇る知事だが、政治基盤は決して盤石ではなく、本県の国政選挙で勝利を重ねる自由党には常に「脅威」を感じていたとされる。

 特に注目していたのが1年3カ月後に迫った次期知事選の同党の出方。「自由党は次に候補を立てるんでしょうか」。知事は自民党関係者にこう漏らしたこともあった。

 一方の自由党県議団も表面的には「対知事」という筋論を展開しつつも、本音は「知事との連携」を模索、複雑な状況にあった。

 今月1日、大船渡市で藤原良信幹事長の後援会会合が開かれ、来賓として招かれた知事は約700人の女性支持者を前に「7年前、私は小沢新進党幹事長(当時)の政治姿勢に共鳴して岩手に来た」と強調。16日に迫った同党県連大会を前に関係修復への環境整備は整いつつあった。

 一方、知事と自由党の関係修復に他党、他会派は「衝撃」を受けた。

 知事と前日、杯を重ねた県議会・自由民主クラブの菊池勲代表は「政権与党はどこなのか。あちら(自由党)に行って県政運営にメリットがあるのか」と反発。

 知事を結集軸とする無所属会派・政和会の瀬川滋氏は「知事が次の選挙だけ見るようではいけない」と懸念。社民党の小原宣良幹事長も「初当選時のような体制になったら前回の選挙は何だったのか」と不信感をにじませた。

  ◇    ◇

 増田知事と自由党県連が12日、約2年半ぶりに関係を修復した。2003年4月の次期統一地方選を1年3カ月後に控え、県政界が揺れる。今回の修復で「県民党」を標ぼうする知事と各党との「距離」は今後どうなるのか。「修復」の波紋を検証する。

61とはずがたり:2005/02/13(日) 18:21:58

http://www.iwate-np.co.jp/kikaku/seikai.html
中 <12月14日>
−初 心− つきまとった「恩義」 注視される今後の対応

 「初心」ー。
 12日夕。東京・赤坂の個人事務所で小沢一郎自由党党首(同県連会長)は、増田知事が初当選した6年半前を思い浮かべていた。

 1995年5月。関係者だけの祝勝会出席のため盛岡市を訪れた小沢党首は東京への帰り際、増田知事に「初心を忘れないでほしい」と語った。

 1つは「支援してくれた県民の皆さんの真心と誠意を忘れてはいけない」。もう1つは「選挙で選ばれた政治家として『政治信条』をきちんと持ってほしい」。

 「政治信条」とは改革を掲げる旧新進党と一緒に戦い、自民党推薦候補に勝ったという経緯を指した。

 99年春の知事選を控え、前年の暮れに合意したはずの「自由党中心に選対構築」を破棄され、知事と冷え切った関係が続いていた小沢党首。

 同年秋の県連大会で「遺憾だ」と表明後、知事について言及することはめったになくなった。

 一方、知事もこれ以後「和解は無理」とあきらめ、いったんは既成政党とは別な独自の姿勢、そして県民党を貫くことを決断した。

 ごく一部の関係者に「自民党と自由党が連携し対立候補を立ててくれた方が戦いやすい」と言い切った時もあった。

 しかし、虚勢を張ってみても、政治の「井戸を掘ってくれた」小沢党首に対しては「恩義」の重さが常につきまとった。

 12日、自由党県連幹部らとの会談を終えた知事は「好きなように書いて」と報道陣に語り、「鎧(よろい)かぶと」を脱いだ。県庁関係者が「あれだけ機嫌のいい知事は見たことがない」と言うほど、高揚を隠さなかった。

 小沢党首と増田知事。時に「親子の関係」とさえ言われる。一般的には今回の知事の発言で、2人の間に修復の扉は開いたかに見える。

 知事が合意を破棄してから約2年半が経過した。両者が負った古傷はすでに固まったとの見方もある。

 13日。東京・赤坂の党本部で小沢党首は語った。「知事が吐露した心情が本物であれば、今後の(知事の)対応で分かる」。「初心」という意味合いを知事はどう受け止めているのか。「第一ハードルは超えたが…」と互いに自問自答しているに違いない。

62とはずがたり:2005/02/13(日) 18:22:17

http://www.iwate-np.co.jp/kikaku/seikai.html
下 <12月15日>
−混 迷− 政和会 動揺大きく 増田知事と関係冷却化

 県庁知事室を何とも言えない冷ややかな空気が覆っていた。12日午前。県議会・無所属会派「政和会」(長谷川忠久代表、10人)の来年度予算要望。増田知事と議員らは冗談も交わさず、わずか5分で終了した。

 知事と自由党のまさかの関係修復。知事を「よりどころ」としてきた所属議員は「自由党の単なるセレモニー」と平静を装いつつも、内心の動揺は大きい。

 政党にとらわれず「増田県政を支える」という一点で前回統一地方選の1年前、1998年4月に11人(当時)で結成した。

 新進党時代から県内に揺るぎない基盤を築いてきた自由党だが、政権獲得への展望が見いだせない。県議らの求心力は小沢一郎党首から増田知事へ移りつつあった。

 自由民主クラブと自由党会派が16人の同数できっ抗する県議会(定数51)にあってキャスチングボートを自認。自民クと連携し正副議長を選出するしたたかさの一方で、政治的には「一枚岩」ではない。

 小沢党首はこうした状況を踏まえ今年2、3月、一部の政和会所属議員を東京に招き、自由党との連携を強く働きかけた。

 「2年後に血で血を洗うようなことはしたくないんだがな」。

 次期県議選で候補者擁立をちらつかせて連携を迫る手法に、政和会内は反発。知事を「結集軸」に結束を強めたかに見えた。しかし、その「軸」が大きく揺らいだ。

 「知事ははしごを外す気ではないか」。会派内には知事に対する不信感も芽生え始めた。

 「知事の考えは尊重するが、県民党というスタンスは失わないでほしい」と増田寛也後援会連合会の高塚猛幹事長。前回知事選で自自両党の矢面に立ちながら、後援会主体の選挙戦を展開しただけに心境は複雑だ。

 13日。氷雨降る東京・永田町で15人の自民党県議団が来年度予算陳情のため各省庁、党本部回りを続けていた。

 「おれたちは県のため、県民のために地道に活動している。なのに知事の行動は何だ。むなしい」。菊池勲幹事長は語気を強めた。

 次期統一地方選を1年3カ月後に控え、県政界は「混迷」の度合いを増している。(終わり)

(報道部・菅原智広記者、東京支社・川村公司記者)

63とはずがたり:2005/02/13(日) 18:24:23
http://www.sankei.co.jp/databox/election/98senkyo/html/0630-01.htm
6月27日 朝刊
■【98参院選】票争(1)“自由党王国”
くさび打たれた「模様見」 [1998年06月27日 朝刊]
●岩 手(一−5)
山田 文子42自由連県代表諸 新
阿部 静子65党県連副代表社 新
椎名 素夫67元政党代表無 現
菅原 則勝40党県常任委員共 新
中村  力36元衆院議員無 新


 盛岡市のある建設会社に今月二十二日、同業者から電話が入った。「今回の選挙ど うする?」。反応をうかがう様子の相手に、「うーん。やっぱり模様見だな」、社長 はこう答えた。一昨年の衆院選では、社をあげて旧新進党系の候補者を応援したのに …。

 自由党の小沢一郎党首の地元岩手県は、“小沢王国”と呼ばれた。しかし、今回の 選挙では、現職で再選を目指す椎名素夫氏が自由党を含む一切の政党の推薦を拒否。 自由党が、候補者擁立断念に追い込まれたことで小沢氏の影響力低下が語られ、旧新 進党を支持していた企業や団体に動揺が起きている。

 改選議席一の岩手選挙区は、椎名氏と新人で自民党、青年自由党の推薦を受けた元 衆院議員の中村力氏ら五氏の争い。しかし、事実上、椎名氏と中村氏の一騎打ちとい われる。

 県内の主要業界団体や公共事業関連企業は、これまでの選挙なら小沢氏の系列候補 か自民党候補を支援した。ところが今回は、大きな集票力を持つとされる建設産業政 治連盟と農協政治連盟が椎名、中村の両氏をともに推薦。他の団体や企業にも支援や 推薦の一本化をせず「両方の陣営に保険をかける」(農協関係者)形が目立つ。「模 様見」なのだ。



 「樋下さん。自民党に戻る潮時じゃないか」

 岩手県議の樋下正光氏は三月下旬、盛岡市で開いた後援会の会合で、多数にこう言 われた。その時は即答を避けたが、樋下氏はそれからまもなく自民党に復党願を申 請、受理された。

 樋下氏は自民党盛岡支部長を十年間務めるなど生え抜きの自民党員だった。しか し、平成七年四月に離党、ほかの無所属議員とともに非自民党系会派をつくった。 「小沢さんがいずれは天下を取るのではとの夢があった」からだという。

 それが、昨年末の旧新進党の解党と自由党の結成−。「自由党が衆院で四十人とな った今となってはねえ。来年の県議選を考えると…」。樋下氏は今回は中村氏の支援 に回った。



 同県の自由党は自主投票となったが、系列県議十一人が椎名氏を推薦、衆院旧二区 を中心に椎名氏支援の動きが強い。「われわれがその気になれば二十万票を動かすこ とができる」と県議のひとりは影響力の低下を否定する。

 小沢氏と椎名氏は父の代から“四十年戦争”と呼ばれる激しい戦いを中選挙区時代 の衆院旧二区で繰り広げてきた。だが、椎名氏の参院転出で衆院は小沢氏、参院は椎 名氏という「すみわけ」(県議)ができた。今回の選挙では、小沢系があげて椎名氏 を支援するはずだった。

 しかし、新進党時代の昨年九月に小沢氏との間で推薦を合意しながら、椎名氏は直 前に推薦を断った。自由党系県議からは「椎名氏の推薦拒否は、あからさまな小沢党 首への縁切り宣言」という声も漏れる。

 中村陣営は「この好機を利用しない手はない。“小沢王国”に楔(くさび)を打 つ」(選対幹部)という。

 岩手県では、七年に旧新進党推薦の増田寛也知事が自民党推薦候補を破って以来、 「旧新進党系の議員がわが世の春をおう歌してきた」(自民党系議員)。しかし、旧 新進党解党を境に変化が生じている。

 一月の自由党結党時に新進党県議二十一人のうち八人が自由党への入党を拒否。自 民党岩手県連は、四月中旬に友好関係にあった別会派と合流し、数のうえで自由党系 と並んだ。

 「増田知事も『県民党』を掲げ始めた。いつまでも小沢さん寄りではいかんと判断 したんだろう。参院選を機に一気に巻き返し、その勢いを来年の統一地方選での知事 選、県議選につなげたい」。自民党県議の鼻息は荒い。



 選挙区、比例代表あわせて自由党の国会議員が三人、岩手県と並んで“自由党王 国”といわれた和歌山県。ここでの選挙戦は、自民党公認で現職の前田勲男氏に自由 党公認で新人の鶴保庸介氏らが挑む。

 自由党選対幹部は「和歌山は勝てる見込みのある数少ない選挙区。和歌山で落とす ようなら、ほかの選挙区では公認候補を当選させるのは難しいだろう」と漏らす。小 沢自由党は正念場を迎えている。(笠原健)

64とはずがたり:2005/02/13(日) 18:31:35
http://www.iat.co.jp/Sj98/981224.html
1998年12月24日(木)
キャスター(西村、土岐)
ヘッドライン

自由党の小沢党首と増田知事、2回目の会談。
 自由党の小沢党首と増田知事との会談は、東京赤坂の自由党本部で午後4時前から始まり、2時間以上経った現在も行われている。会談の内容などについてはまだ明らかになっていない。
 来年の知事選を巡っては、増田知事は10月末に小沢党首と会談した際に「11月末までに県政の政策をまとめたい」と知事選への出馬を打診していた。
 しかし、先月23日の出馬表明までに、増田知事から小沢氏側に十分な説明がなかった上、増田知事が政策を軸に各党と連携する政治姿勢をみせたことなどから、増田知事の推薦をめぐって小沢氏の最終的な判断に注目が集まっていた。
 なお、増田知事の推薦については、明日、自民党が小渕首相から増田知事へ直接推薦状を交付するほか、民主・社民の各党県連も明日、推薦状を交付することにしている。

共産党、菅原氏、知事選に立候補を表明。
 今日県庁での記者会見で決意表明した菅原則勝(のりかつ)氏。菅原氏は胆沢町出身の40歳で、岩手大額を卒業後、党県委員会盛岡地区委員長や国政対策委員長などを歴任。現在は党県委員会常任委員で、今年夏の参議院選挙岩手選挙区に党公認として立候補、共産党候補としては県内最高のおよそ6万7000票を獲得したが落選している。
 菅原氏は福祉の充実やコメの関税化反対などを公約にあげており、「告示日まで政策の中身を訴えて勝利のために全力を尽くしたい」と豊富を語った。
 来年4月の知事選には既に現職の増田寛也氏が立候補を表明していて、現時点では増田氏と菅原氏の一騎打ちの公算が強まっている。

65とはずがたり:2005/02/13(日) 18:33:28

http://mytown.asahi.com/iwate/news02.asp?c=13&kiji=91
①父の遺志継ぎ出馬決意

 94年12月5日。建設省紛争調整官の増田寛也は、翌年春の知事選への立候補を決意し、18年間務めた建設省を退官、盛岡入りした。

 決断までの時間は短かった。11月末、新生党代表幹事の小沢一郎が会長を務める「新党協議会」は、県農政部長高橋洋介への説得が不調に終わったことを受け、社会党との共闘を打ち切り、候補として名前が挙がっていた増田を単独で擁立する方向に動く。面会を求められた増田は、小沢の秘書高橋嘉信、協議会座長の県議吉田洋治らと29日夕、都内のホテルで会った。3時間半に及ぶ話し合いの中で、両親が生まれた岩手への思いを語った。吉田は「政治家の血が流れている」と感じた。

 「妻にも相談せず一人で決めた。でも、おやじの背中を見ていなければ、政治の世界に足を踏み入れることはなかった」

 やはり中央官僚だった増田の父・盛は、32年前に農林省を退官。全漁連の専務を経て、63年の知事選に立候補している。参院議員を務めた千田正との一騎打ちは、県を二分する激戦となり、わずか1万4千票差で敗れた。小学6年生だった寛也は、開票が深夜に及んだこともあり、東京の自宅で翌朝になってから結果を知った。

 のちに首相となる鈴木善幸に師事した盛は、寛也が都立戸山高校2年だった68年、参院選に立候補。初当選を果たし、以降3期18年間参院議員を務める。東大に進んだ寛也は、74年の参院選で選挙事務所の仕事を手伝い、母・京子と共に県内を巡った。選挙へのかかわりは、この時が初めてだった。

 寛也は77年に建設省入り。79年に国土庁に出向して、土地局土地利用調整課の係長に就任。国土利用計画法に基づいて、投機目的の土地取引を抑える仕事を担った。この時の課長補佐が、現総務省自治財政局長滝野欣弥だった。

 「さわやかな好青年で正論を言う。人を不快にさせることがない。知事になるとは思わなかったが、父親が国会議員だとは聞いていた。今から考えれば、なるべくしてなったかもしれない」と滝野はいう。

 86年の衆参同日選で自民党の公認争いに敗れ、無所属で出馬した盛は落選。91年9月23日、心不全で死去する。遺品を整理していた寛也は、盛が県内の農家を一軒一軒訪ね歩き、その家族構成や経営の現状を克明に記録した大量のノートを見つけた。地元農業の現場を歩いた父の足跡だった。

 父の死から3年。寛也は盛が務めた県漁連を手始めに、推薦要請のあいさつ回りを始めた。

     ◇

 県内政治家の人脈地図をたどる「岩手の政脈」。第3部は知事就任から今年で10年になる増田寛也に光をあてる。

(肩書は当時。敬称略)
(2/1)

66とはずがたり:2005/02/13(日) 18:35:52

④知事同士の連携を重視
http://mytown.asahi.com/iwate/news02.asp?c=13&kiji=94

 01年12月16日。知事選への対応を巡り、98年末から関係が冷え切っていた知事増田寛也と自由党党首小沢一郎が、盛岡市内のホテルで3年ぶりに会い、握手を交わした。記者団に公開する形で設定された「儀式」だった。

 修復に動いたのは、自由党県連幹事長の藤原良信だった。この年、増田に会った藤原は「いずれ知事を辞める時が来るだろうし、知事以外の何になっても、きっと心にわだかまりを持ってしまう。小沢先生をどう思っているんですか」と問いかけた。増田は「小沢先生は政治の師。最初の気持ちは変わっていません」と応じた。藤原は東京と岩手を往復し、増田と小沢の意向をそれぞれに伝えた。

 「自民党が推薦した候補に対抗するという『改革』の考え方が変わったのか。変わったのなら、それも生き方だからそれでいい。(増田は)これまで応援してくれた人をどう思っているのか。それが確認できればいい」

 2人の握手は、こうした小沢のメッセージを伝え聞いた増田が、小沢にわびる形をとって実現した。会談の直後、自由党県連大会のパーティーに出席した増田は「小沢党首のもと、変革期に力を発揮していることに敬意を表する」と持ち上げた。記者たちに感想を問われた増田は「やっと、他党と同じぐらいの距離になった」と語った。

 増田はこの年の1月、「がんばらない宣言 いわて。」を発表。全国紙に全面広告を出して注目を浴びた。職員同士の人事交流を行った三重の北川正恭が進める行政改革を参考に、政策評価システムを本格導入した。

 北東北3県連携が本格化したのもこの時期。青森の木村守男、秋田の寺田典城の知事同士の連携をてこに、産業廃棄物税の導入、福岡、札幌、韓国への合同事務所創設などを進めた。

 東大教授月尾嘉男が働きかけた「地域から変わる日本」推進会議に加え、02年7月には慶大教授榊原英資を中心に、「改革派」を標榜(ひょう・ぼう)する知事でつくる「地方分権研究会」に参加。岐阜の梶原拓、三重の北川、高知の橋本大二郎、宮城の浅野史郎……。メンバーの多くが、いつも顔をあわせる仲だ。

 増田との関係を「北上兄弟」と表現する浅野は「年齢、地理的な近さ、考え方、境遇も似ている。同じクラブ活動に属しているようなもので、ふと見ると隣にいる。最も親近感がある」という。

 知事同士の結びつきは、酒やゴルフではなく、事務所や会議室ですぐ本題の政策論議に入るスタイルだという。「ウエットな感情で支配されるグループでなく、どこかで何かと戦っている思いを共有した、仕事上の付き合い」と増田。この政治姿勢は、県政界で増田への「逆風」を巻き起こすことになる。

(肩書は当時、敬称略)

(2/4)

67片言丸 (/3J5SzQQ):2005/02/15(火) 17:56:02
2001参院選長崎
 参院選の公示まであと二日。長崎選挙区に立候補予定の五人は、既に本番さながらの激しい前哨戦を繰り広げている。各陣営の戦略は―。
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/2001s/kikaku/zenya/01.html
田浦陣営集会で浸透度測る 小泉人気上滑りを警戒
 舞台上には「さあ変えよう 小泉と共に」のスローガン。X―JAPANの音楽に合わせ、スポットライトを浴びて登場する田浦直(64)=堀内派=。三日、長崎市公会堂であった田浦の総決起大会は、小泉一色だった。

 「風がなんだかよく分からないが、せっかく吹いているのだから利用しない手はない」(松谷蒼一郎・橋本派)。

 「小泉の改革は、具体的にどこをどう変えるかというのが示されていないのが難しいところ」(久間章生・橋本派)。

 「総裁選は党内の戦い。いくら激しくやっても後は一枚岩だ。小泉改革に具体性がないというのは、経過でしかない」(虎島和夫・森派)。

 本県選出党国会議員のあいさつは、派閥の違いによる小泉政権への微妙なスタンスの違いをにおわせた。それでも小泉旋風には逆らえない。

 森政権が低支持率にあえいでいた、つい三カ月前、「参院選は消化試合」(党県議)と勝利をあきらめかけていた田浦の周辺だが、今は「風」をあてにした「根拠のない楽観ムード」(党県議)が漂っている。個人後援会が運動の主体となる衆院選に比べ、参院選は地域との密着度が低く、票読みが難しい。党県連の職域、地域支部を頼る田浦陣営にとって、支部が人集めを請け負う大集会は、浸透度を測る重要なバロメーターとなる。公示前のヤマ場と位置付けた三日の大会は、ほぼ満席だった。

 翌四日、諫早市で開いた県央地区の総決起大会も、会場から人があふれた。だが、あいさつに立った党県連幹事長の浅田五郎は、むしろ危機感を募らせた。

 浅田は諫早湾干拓事業推進の立場を明確にしながら「(対立候補の)光野が勝つと、排水門が開くことになる。よろしいですか、皆さん」と呼び掛けた。会場は無反応。田浦も従来の演説パターンを変え、諫干にも触れたが、拍手はまばら。締めくくりのガンバローコールを待たず、多くの人が会場を後にした。「最後まで雰囲気がつかめなかった」。田浦はぼやいた。

 十八日、小泉が田浦の応援のため来崎する。党県連は長崎市の市公会堂前広場で一万人集会を開く。「田浦の選挙が危ないから応援に来てくれる。小泉人気に頼り過ぎると足元をすくわれかねない」。浅田は陣営の引き締めに躍起だ。(敬称略)
7月10日掲載

68片言丸 (/3J5SzQQ):2005/02/15(火) 17:57:55
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/2001s/kikaku/zenya/02.html
光野陣営 市民派もアピール 小泉旋風に危機感募る
 週末の買い物客でにぎわう八日午後の長崎市の繁華街。「こんな時だからこそ政治家をよく見比べてほしい」。無所属で出馬予定の光野有次(52)の応援で駆け付けた、民主党代表の鳩山由紀夫が人垣の市民に訴えた。

 改革を旗印に国民の高い支持を得る小泉首相を前面に押し出した自民党の選挙戦。鳩山は、小泉政権の改革の具体策のなさや、自民の選挙戦を政策のない戦いと批判。「何だかよく分からない選挙になっている」と小泉人気の前に争点がぼやけた選挙戦を表現した。

 光野は、連合長崎や民主、社民党県連など非自民勢力でつくる参院選対策六団体懇話会(六者懇)の統一候補として一月下旬に出馬表明。初陣となった三年前の参院選より三カ月早い出足で組織内の浸透を進めた。関係組合員六万三千人を中心に、末端役員まで含めて職場、地域で選挙の意義を訴え続けてもいる。

 「相手が田浦なら勝てる」。陣営は当初こう分析した。しかし、森政権後、突然吹き始めた小泉人気の旋風で状況は一変した。国民の政治への関心の高まりが指摘されるが、「無党派・無関心層」の票の行方が見えないからだ。

 陣営には、東京都議選の自民勝利で示された小泉効果に対し、大都会と長崎は異なるとの見方の一方で、見えない風の行方に危機感を募らせる。

 総合選対事務局長の有川勝は「六万人の組合員と議員が持ち場で最大限の運動をすれば票は出てくる」と強調。一方、陣営関係者は「光野の政策の訴えが有権者に響かない恐れがある」と、小泉の人気投票の様相を帯びる選挙に懸念を示す。

 光野は前回の参院選で自民現職を猛追したが、約二万七千票差で涙をのんだ。だが、長崎、佐世保両市では自民現職を抑えて三万票近くの差を付けた。両市を最重点地区と位置付ける陣営は二十二日、女性の支援者だけが街頭で運動する取り組みも計画している。

 八日、鳩山と繁華街を練り歩いてから二時間後、光野は再び街頭に出た。囲むのは、勝手連で支援する「でてこいネットワーク」のメンバー。同市の事務所に会社員や主婦らが思い思いに立ち寄り運動の輪を広げている。

 「選挙カーから降り、手袋もやめてほしい」。同ネットワークの八幡敏夫は最近、陣営関係者にこう提案した。組織色を薄め、市民派として支援を広げたいとの思いからだ。組織選挙と市民運動による支援の輪の広がり。小泉人気の風に立ち向かうには、この両輪の歯車がどうかみ合うかもカギとなりそうだ。(敬称略)
7月11日掲載

69片言丸 (/3J5SzQQ):2005/02/15(火) 18:00:29
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/2001s/kikaku/zenya/03.html
3陣営
小川 「党への期待実感」
松本 「草の根運動徹底」
田中 「街頭演説一本で」
 「ここまできた以上、頑張るしかないと決意を新たにしている」。公示日直前の大安の吉日を選んで、九日に県議会議長に県議辞職願を提出した田中広太郎(53)=無所属=が記者会見で参院選への決意を語った。

 十年近く前から、国政への思いを胸に、新聞のお誕生欄を頼りに“お祝いレター”を送る地道な活動を続けてきた田中。昨年夏の出馬表明後、表面上の目立った動きはなかったが、「表で旗を振るだけが選挙ではない。金や組織がなくても勝てることを証明したい」。

 「公示後、街頭演説一本で戦う」と、これまでの水面下の動きから有権者の前に打って出る。小さな離島も含めて各地をくまなく回り、小泉政権の道路特定財源や地方交付税の見直しを「地方に不利な政策」とし、「公共事業も必要」と地方重視の姿勢を訴えていく。

 「党が躍進する可能性もある戦い」。共産党県委員会委員長の深町孝郎が六日、県後援会決起集会で参院選の情勢を分析した。同党は、東京都議選で議席数を大幅に減らしたが、野党で一党だけ昨年の衆院選に比べて得票率を押し上げたことを根拠としている。

 同党公認で出馬予定の小川貴美子(51)も会場の支持者を前に「県内を三巡した。各地でいろんな人たちの政治への怒りや党への期待を実感した」と手ごたえを語り、「国民に負担や切り捨てを押しつける冷たい政治は許せない」と意気込んだ。

 先月下旬から今月初めにかけて、選挙期間中に立ち寄ることができない地域を重点的に回り、本番に備えた。

 自由連合公認の松本幸子(46)は九日、正式に出馬表明。出遅れの感は否めないが、二十五年間看護の現場で培った経験を生かし、「介護保険の一割の自己負担は高齢者にとって大きく、医療費の自己負担増も高齢者の生活に影響を与える」と医療や福祉面の制度充実などを訴えていく。

 福岡市に自宅があり、選挙期間中は小学一年の長男と県内で民宿暮らし。「大きな組織はなく、徹底的な草の根運動で商店街などを回って地域の人たちと接し支持を求めていきたい」

 自民の田浦直(64)と非自民の光野有次(52)の二人を中心に、激しい前哨戦を繰り広げてきた長崎選挙区。いよいよきょう十二日、選挙戦本番を迎えた。三陣営もそれぞれの手法で争いの渦に割って入ろうとしている。(敬称略)
(報道部・徳永英彦、三浦祐二が担当しました)
7月12日掲載

70片言丸 (/3J5SzQQ):2005/02/15(火) 18:01:30
長崎県 (1−5) 開票終了
当 356,934 田浦  直 自堀前
  195,670 光野 有次 無 新
  46,199 田中広太郎 無 新
  44,262 小川貴美子 共 新
  25,265 松本 幸子 連 新

71とはずがたり:2005/02/24(木) 04:01:46
1992年7月10日
労働者の力 第35号
http://www.interq.or.jp/leo/sinter/old/pow35.htm
参院選
東京、広島で相次いで反PKO法の候補擁立
東京では弁護士の内田雅敏さんが
市民運動を背景に出馬
 われわれは先号において、現在闘われている参議院選挙の核心問題が、日本自衛隊=軍隊の海外派兵の突破口であるPKO協力法への対応にあることを訴えた。PKO法案強行採決に踏み切った自公民三党ブロックに対する社会党の抵抗は、社民勢力結集論による「連合の会」方式の選挙共闘の押し付けに抵抗する広範なうねりを呼び起こし、問題となっていた東京、広島の両選挙区で相次いで、それぞれにタイプは異なるが、反PKO法候補の擁立へと結実した。東京では市民運動のイニシアチブにより弁護士の内田雅敏さん、広島では社会党県本部の総意を体現して、県本部組織部長で日本婦人会議の栗原君子さん。森田擁立反対をめぐって揺れ動いてきた東京選挙区では、明確にPKO法反対をかかげる内田候補の出馬によって、多くの市民運動や非・反連合の労働運動が内田支持で動きだし、選挙情勢は一挙に流動化した。PKO法・自衛隊海外派兵は選挙戦の焦点となり始めた。われわれは、東京選挙区において、上田耕一郎候補とともに内田雅敏候補への支持をよびかける。一人でも多くの自衛隊海外派兵反対の候補の当選をめざして。 

衝撃を与えた参院社会党の闘い

 自公民三党は、自ら提出したPKO協力法案の修正案をなんらの実質討議を行わずに強引に成立させた。六月に入って、参議院は大荒れに荒れた。
 社会党参議院などの抵抗は、記録的な牛歩戦術を貫徹し、テレビ報道を通じて与えた印象は、まさに衝撃的であった。長らく永田町政治の、あるいは国対政治の枠組みに浸り続けてきた議員集団にとって、あのようなまでの抵抗戦術が敢行されるとは、予測をはるかに越えた事態だった。
 自公民三党の議事日程のスケジュールは大幅に遅れ、仮に参議院社会党が明らかにしていた諸議決案件のすべてが提出され、かつそのすべてに記録的な牛歩が貫徹されるなら、PKO法案の採択が不可能になるのではないかという観測まで飛び出していた。
 一つの案件の議決が十二時間にも達するという前代未聞の牛歩戦術、議場閉鎖された中での生理的、体力的限度までの抵抗戦術に全国の関心が集中したのは当然だった。自公民三党の言い分は、ただ審議時間の長さのみを主張するだけであり、この法案の性格についての真摯な検討を進めようとするものではなかった。反対に、いかに問題点が明るみに出ないように、論議ぬきで事を進めようとする意向が見え見えだったのである。
 参院社会党の抵抗の貫徹は、共産党の同調にとどまらず、進民連も同調し、そして連合参議院が公然とは背を向けることができない事態をつくりだした。

72とはずがたり:2005/02/24(木) 04:02:06

参院での闘いを支えた
市民と労組の運動

 連日、参院議員面会所前にはPKO法案反対を叫ぶ市民が集まり、法案採択への抗議と社会党などの反対党への激励を続けた。憲法を活かす会を中心として急きょ結成された「PKO法案を廃案へ全国実行委員会」は社会文化会館(社会党本部会館)を結集場所として、随時集会と請願行動を組織した。集会と行動には、鮮明に「PKO法案の廃案」をめざす、社会党系や無党派市民、そして明確な「連合」系列ではない労働組合活動家が多数結集し、これまた連日の動員を続けた共産党系団体と重なりあいながら請願行動とデモを繰り返した。
 議面前の狭い空間には、あたかもかつての安保闘争を思い起こさせる雰囲気が充満した。ここでは、社会党が運動の結集軸となった。普段は社会党離れを隠さない多くの市民団体や運動体が総体として社会党への応援団となったのである。
 その理由は重層的だが、少なくとも社会党の運動構造が、一方における連合派労働組合が牽引する傾向と、他方における非・反連合型運動とへの分解を深めたことの影響が大きかった。
 憲法を活かす会それ自身が社会党、社民連を横断する「護憲派」議員によって構成され、これが社会党内部における旧来型派閥構造を越えて形成されたこと、市民や非・反連合の労働者との提携を深めることをその運動スタイルとして積み重ねてきたこと、民社党との妥協に傾斜する党の大勢に対する公然たるチェック機能を表現したことなどの結果であった。
 もちろん、こうした状況は、あくまで院内と議面前という相対的に狭い空間の現象にとどまっていた事実を無視することは公平ではない。
 労働組合が直接法案阻止にむけて行動をしたことはない。全国行動が大規模に組織されたということもなかった。あくまで、院内そして議面前に限定された行動という大枠を越えなかった、といわざるをえない。そうして、その波及力はテレビを通じた、参院社会党の徹底的頑張りに発したといえる。社会党・総評構造といわれた戦後の大衆運動構造が歴史的に崩壊し、積極的なイニシアチブとその伝播、および大衆運動とのヒードバックの機能が失われた状況を深く反映することだった。
 しかし、こうした状況への反発は、すでに土井委員長時代の性格に表現されたものだ。機構が連合によって占拠されるという制約を持ちつつ、そしてその制約が土井委員長時代を終わらせたのも事実だが、にもかかわらず、そうした連合によるハイジャックへの反発が構造化されていることが、憲法を活かす会の成立と「全国実行委員会」運動の基盤となったのだった。
 
党の危機におびえ
自民党にすりよる公明、民社

 参院社会党の闘いは、政党としての社会党が、労組構造を越えた広がりで存在しなければならないという、あたりまえの事実を引き出した。連合の重しは一日ごとに失われていった。
 より正確にいえば、社民結集論が意味してきた社会党の民社路線への従属という構造は、参院での闘いを通じて民社党がいかなる政治選択をするのか、というものへと変化した。
 連合参議院もまた、社会党を民社路線に引き寄せる媒介という役割から、事実上社会党にひきづられる存在へ変化した。民社党は自公民路線に純化せざるをえない状況に直面してしまった。彼らは、それ以外の道を見出せなくなったのである。
 PKO法成立が意味したものは、「現実路線」に急傾斜した公明党、および企業主義組合に基礎をおく民社党のいずれもが、いまや自民党の補完物とならざるをえないこと、そうであればこれらの政党の存在価値はほとんどないも同然だということを改めて示したことだった。
 現実路線が自民党との違いを見出せないことの代名詞にほかならない以上、これらの政党は自らを積極的に訴えるものを持たないに等しい。
 公明、民社の両党ともに、同日選挙の脅しにおののいた。同日選挙なし、との御墨付きにすがることにのみ、彼らは自公民ブロックによる法案成立強行に踏み出した。まさに党利党略の永田町政治の典型であろう。
 社民結集論は大きな打撃を受けた。社民連が最終局面において社会党との全面的な共同歩調をとり、かつ七月三日に社会党との再合流の可能性を含んだ院内会派結成の取り決めを結んだこともその現れであるだろう。

73とはずがたり:2005/02/24(木) 04:02:36

牛歩戦術のバランスシート
流れを変えた物理的抵抗

 参院の「物理的抵抗」を中断し、衆院での法案強行に対する闘いも不十分であったことの代替物が、社会党・社民連の衆院議員総辞職だったことは否定できない。
 戦術抵抗が中途挫折的に終わったことには、背景として、各種世論調査が当初、牛歩戦術に対する否定的傾向を表現したことがあげられよう。これから各種マスコミは一部を例外として、競って牛歩という戦術抵抗への批判に傾斜した。
 たしかに多数派が明確に存在している以上、議場戦術にのみに依存した法案阻止には限界が伴う。議場戦術で阻止できると考えるのであれば、それに対しては議会における民主主義の観点からの、常識論的な批判が集中するであろう。各種マスコミ論調はそのようなものだった。
 だが反面、そうした戦術が、当面の多数派の切り崩しのために必要な時間を稼ぎだしているものだ、という観点はどう扱われたであろうか。
 明らかに、自公民三党は時間が経過するなかでの反対論の増大と自らの陣営の動揺の増大を恐れた。いかに論議の時間を最小限におさえるか、これが彼らの戦術だった。これもまた、議会における民主主義という観点からは批判されなければならないはずのものだ。だが、この観点からする常識論的な批判をマスコミがとりあげることは、ほとんどなかった。
 ともあれ、参院社会党の劇的な抵抗は社民連を共同歩調にひきこみ、連合参議院をも自衛隊との別組織案の立場からする法案反対の立場に立たせた。のみならず、より重大なことは、PKO法が持っている自衛隊海外派兵と現行憲法との関連、および社会党が主張するに至った国民世論の判断を仰げ、という論調への賛同が急激に拡大したという事実である。以上の見地は各種世論調査ではほぼ五〇%を越える。
 社会党の闘いは無駄ではなかった、といえる。戦術抵抗は、それが中途半端に終わったかどうかの評価は別にして、それなりの効果をあげたのである。これは院外の大衆運動が弱体化してきていた状況にあって、正当に評価されるべきである。
 事実として、会期中に自公民ブロックを動揺させるまでには至らなかったが、自民党では、福島選挙区の自民党参議院議員がその後離党表明を行うという事態が潜在的に存在していたし、また公明党のサイドにおいても、婦人部を中心に内部動揺がなかったわけではない。中西珠子議員は公然と法案反対の立場を表明もしていたのだ。
 そして社会党系列においてはまた、社民再編論への抵抗が格段に強まった。それは連合の会型選挙方式の亀裂をもさらけだす一方、社民結集論の論理に抗する具体的動きの登場の契機となった。このことが、広島選挙区、東京選挙区での社会党系列からする独自候補の擁立に、具体的に示されたのである。

争点であるPKO法
露呈した連合の会方式の矛盾
 
 参院選挙は、日本の選挙制度の仕組みからして、社会党が主張するようなPKO法の是非を問う国民投票という性格を正確に表現することは不可能である。だが、ほかに方法がない以上、擬似的表現の役を負わされざるをえない。参議院選挙の争点は、まさにPKO法、自衛隊海外派兵の是非をめぐるものとされなければならない。
 この意味からいって、連合の会方式に対して、社会党陣営における反民社の独自候補擁立の動機は十分すぎるほどだといっていい。
 連合の会方式に対する民社党サイドの動きは露骨であった。PKO法反対候補の擁立を絶対に認めないという通達が流された。富山選挙区がその典型である。それにひきかえ、社会党本部は、PKO支持候補であろうと連合型候補を支持するという態度を崩してはいない。この落差は大きい。
 党本部の態度と地方の動きのずれは、下からの独自候補擁立をうながした。
 広島では、現職の野田議員擁立が挫折した。これには自治労本部サイドからの圧力があった。しかし、県本部は非公然ではあれ、独自候補擁立を決行した。
 東京選挙区では、以前からあった森田ではない独自候補の声は市民運動サイドからの擁立へと具体化した。
 内田候補である。田議員は社民連を離党し、また社会党護憲共同の国弘議員もまた公然と支持活動を行っている。
 連合およびその組織的な影響下におかれている東京都本部は、組織統制の圧力で内田擁立の動きを阻止しようとしている。連合内部からは、内田支持党員は除名だ、という脅しがなされている。党組織とは無関係な労働組合である連合の内部からである。それだけ連合サイドの危機感が強い。

74とはずがたり:2005/02/24(木) 04:03:16

反・非「連合」の運動を
体現する内田選挙

 内田擁立は、連合シンパ以外の社会党員や、非党員、無党派市民の多くに共通する感情に応えたものである。東京選挙区に連合型として森田を擁立するという話が登場して以降、社会党都本部内外で反対の声が高まった。
 本来、ほとんど右翼思想の持ち主といってもいい森田をかつぎだしたのは民社党の塚本グループである。自民党以上の再軍備論者である塚本グループの「タマ」にとびついた連合は、強引に都本部に森田をおしつけた。
 今年に入って、「当選後の会派所属」をめぐって、民社と社会党の駆け引きはまさに見苦しいものがあった。結局、確認書は、それぞれが勝手に説明できるように、違ったもの二通がつくられる始末であった。都本部での反対の動きは潰され、党外の声も無視された。森田擁立は、党内外での抵抗を潜在したまま、既定事実として動きだしていた。広島が、県本部ぐるみで民社の小西擁立に抵抗し、野田擁立で最後までふんばったのに対して、東京の場合は、都本部が森田擁立で動いたという違いがあった。東京での社会党独自候補擁立の動きは相対的に弱いものにならざるをえなかった。
 それゆえ、あるいはそうであるからこそ、東京選挙区における社会党系候補は党外の市民運動のイニシアチブと、比較的党機構から自由である田、国弘両議員の意志が合流する形となったのである。
 党機構は連合機構に足をかけている。その連合組織の大半はPKO法案における社会党の対応に対して、明らかに反対の姿勢であった。だから、反PKO法の社会党系運動が高揚したとき、それを表現する具体的表現は連合派の勢力範囲の外部に形成されなければならないことになっていった。
 PKO法案阻止の運動の高揚は、社会党の基盤内の、連合に囲いこまれていない領域からの噴出である。森田に抗する明確にPKO法案反対運動をストレートに表現する候補、それは連合による革新運動のハイジャックに抗する行動の表現に結び付いていく。

反PKO法の運動を
体現する内田選挙

 内田選挙は、反PKO法案の高揚の直接の産物である。それは市民運動のイニシアチブによって、時間の切迫と競って急きょ組織された。
 人も金も組織もない。当然、事前活動の時間もない。ボランティア、市民の資金カンパによって支えられている。選挙体制も寄り合い所帯だ。
 だが、流れは明確にある。全都規模で革新無党派議員が動きだしている。都労連組織のかなりの部分が公然、非公然に内田支持の動きを示している。全労協も、広島と並んで内田支持を決めた。市民運動は当然にも内田支持の流れにある。
 いままで選挙運動にかかわることを避けてきた、作家の澤地久枝さんや広瀬隆さんが推薦に名をつらねた。
 内田選挙がどれだけの広がりと波及力をもって限られた選挙期間で浸透できるかは、はっきりいって未知数だ。だが、少なくとも、社会党勢力という戦後革新の伝統的勢力が、連合という大労組機構を通じて自衛隊容認、海外派兵支持へと変質させられることに抗する党内外の具体的運動がここに始まったのであり、その波及力は相当なものだということはできる。
 同時に、選挙論戦の焦点であるはずのPKO法、自衛隊海外派兵を後景に押しやることをねらった各政党のもくろみもまた、内田候補の登場によってより困難になった。森田陣営はPKO法にほおかぶりをできなくなった。そしてその度合に応じて、民社党とのあつれきを増幅させざるをえなくなっている。
 選挙直前までは、共産党の上田耕一郎候補の孤軍奮闘状況であった反PKO法のアピールは、ここに内田候補の登場によって、明らかな論点として浮上した。
 われわれは、今参議院選挙では反PKOの政党、候補の支持という基準が決定的だと主張してきた。そして、反PKO法、自衛隊派兵反対の候補が広島と東京において具体的に登場した。それも社民結集論に抗しての登場という姿に、今選挙の論点が象徴されている。
 東京選挙区において、われわれは、上田耕一郎候補とならんで内田雅敏候補支持を呼びかける。

75とはずがたり:2005/02/24(木) 04:03:31

記者会見資料より

内田雅敏さんの横顔

 ちみもうりょう、利害打算のこの世の中にあって、これほど、ぼくとつ、素直な弁護士も珍しい。
 金にならない、マイナーな事件も断わらず引き受けてきた。
 その人権感覚は多くの人たちに広く深く共感を呼んでいる。
 山登りを趣味として、日曜日は少年ラグビーのコーチをするという多才な人でもある。もちろん、家事、育児も時間の許すかぎり、実行するこまめさもある。
合宿などでみせたそうめん作り、ねぎのみじん切りなどの技は、余人をよせつけないものがあり、「おかたい」イメージがある弁護士という職業観を一変させた実践は、女性たちの間に語りつがれている。
 横断歩道を渡ろうとしている素敵な女性に突如プロポーズし、いろいろあっただろうが、その女性が今の夫人、美代子さんである。
 鉄兵(高三)、ゆうき(高一)、駿介(小四)の三人の子持ち。
 四十七歳。小平市在住。

略歴

一九四五年 愛知県生まれ
一九六八年 早稲田大学法学部卒業
一九七五年 弁護士登録(東京弁護士会所属)
東京弁護士会の国選弁護委員・人権擁護委員
日弁連人権擁護大会実行委員、国際人権セミナー運営委員を務め、現在、日弁連接見交通権確立実行委員会事務局長として、人権問題を中心に精力的な活動を続けている。
 主な論文に「『弁護士抜き』裁判の危険性」(『月刊労働問題』)、「デュープロセスと接見交通権」(『法学セミナー』)などがある。
 著書としては、講談社現代新書『弁護士』がある。
 この著書は選挙事務所で大量販売中。
 なお、三里塚開港を阻止した一九七八年三月二十六日の闘いでの多数の逮捕者の弁護活動にもあたられた。感謝。
内田候補の当選へ
市民選対の活動盛り上がる

 六月二十九日、慌ただしい立候補表明のわずか二日後、総評会館の二階会場は内田さん擁立を確認し、具体的に選挙運動を手作りで作り上げようとする市民が急きょ結集し、満員の盛況となった。
 緊急の連絡にもかかわらず、二百人を越える個人や運動団体からの参加者は、それぞれ区、市町村単位で参加登録を行い、早速ポスター貼り体制づくりに向けた東西南北、三多摩での連絡体制のための意見交換や資金カンパの相談などがあちこちでくりひろげられる。
 会場では、戦争末期、秋田の花岡で中国人強制連行者が蜂起した「花岡事件」シンポジウムに出向いて不在の内田弁護士に代わって、四谷法律事務所の同僚である内藤弁護士が熱弁をふるう。
 なにしろ六月二十三日に田議員を交えた出馬要請、翌二十四日出馬決定、二十七日記者会見で発表という次第で、事務所全体がめんくらう事態だとのことだそうだ。
 全労協議長の山崎道人さんもかけつける。日本文化会議の中島誠さんも、熱気にあふれたアジテーションを行う。
 市民サイドの擁立運動の中心をになってきた宮本なおみさん、福富節男さんが、人、金、組織、時間のないところから、まさに手作り選挙で闘い抜く内田選挙への経過を報告し、選挙戦への意思結集をはかる。
 福生市議の遠藤洋一さんが、具体的な選挙活動のノウハウを説明する。会場から、早速明日からどういう活動が可能なのか、事前のポスター作成を急ぐべきだ、といった質問がいっせいに飛び出す。司会者の答えは、一切準備がない、地区で個人でその積極創意を具体的に生かしてほしい、とのきりかえしだ。
 事務所、ポスター、法定ビラ、選対形成、事務所体制、人、金、選車……すべてがこれからといった慌ただしい雰囲気が全体に伝播し、資金カンパ用紙や領収書、著書『弁護士』販売予約申し込み書などがまたたくまになくなる。
 市民選対は、まさに騒然と出発した。

76片言丸 (/3J5SzQQ):2005/02/24(木) 19:03:43
藤波氏引退、自民公認争い本格化
5区後継者に山本、中川両氏が意欲 2003年 7月 27日
http://www.chunichi.co.jp/hold2003/syuuinsen/news/mie/030727.html

 山本教和県議(55)か中川正美県議長(52)か。二十六日、政界引退を表明した藤波孝生・元内閣官房長官(70)=三重5区、無所属=が元秘書の山本氏を後継指名した。中川氏も出馬に少なからず意欲を見せているが、ともに伊勢志摩地方を地盤とする自民党の現職県議。今秋にも予想される衆院選の「受け皿」となる自民組織がフル稼働するには、候補者の一本化がどうしても必要で、藤波氏の引退表明で同党の公認争いが本格始動した格好だ。(衆院選取材班)

 伊勢市の神宮会館であった藤波氏の後援会「朝(あした)の会」の総会では、藤波氏に代わり、弟の俊也さんが用意した原稿を代読。約六百人を前に、壇上の山本氏を名指し、「真面目さ、一生懸命やる態度を大事にしたい」と後継指名した。

 山本氏もあいさつで「この地域のために頑張りたい」と応じ、支持者たちから「出馬表明と感じた」との声が上がった。

 だが、自民党公認の落ち着き先が決まっていないためか、藤波氏の記者会見に同席した山本氏は「これから支援者と相談しなければならない」とあくまで慎重な態度。

 一方、中川氏も周辺に立候補へ向け積極的な姿勢を示しており、同氏を支持する古参自民党員は「政治力、知名度、行動力に勝るのは中川さん」ときっぱり。

 「なかなか公認は決まらないかも」との観測が出始めており、この日、田村憲久・自民党県連会長も「藤波先生が後継指名しても、正式な出馬の話はない。コメントのしようがない」と慎重に言葉を選んだ。

 対する民主党は、旧経済企画庁出身で経済協力開発機構(OECD)に出向中の金子洋一氏(41)を立てる方針。同党県連の中川正春代表は「自民党が(藤波氏の後継指名を)どう判断し、最終的にだれを出してくるかまだ分からない。それを見守りたい」と静観の構え。東海比例の山村健衆院議員(46)や共産党の新人長坂正春氏(52)も立候補の予定だ。

◆「40年一生懸命 悔いなし」

 藤波氏の記者会見での一問一答は次の通り。

 −引退を決めた最も大きな理由は

 「四十年(の節目)。体力が落ちたこともある。公人の立場で健康のことを考えた」

 −四十年間を支えたのは何か

 「支援者の気持ち。長い間、世話になった。一生懸命やってきたので、後悔はない。支援者の顔を見て、つくづくそう思う」

 −政治生活の中で印象深かったことは

 「一つはリクルート事件。『バカな話があるか、自分は何もしてないのに』とは思った」

 −有罪判決を振り返ると

 「最高裁が有罪と言うなら、法治国家の国会議員としてその通り振る舞おうと思った。この十月に執行猶予が切れれば無罪と同じ。世間では藤波は悪い人物に映っているだろうが、事実関係では無実と確信している」

 −山本教和県議を後継に指名した理由は

 「まじめに一生懸命、政治に取り組む人柄。系列だからではない」

 −山本県議が自民党公認になれるよう努力するのか

 「県選出の国会議員や野呂知事らに『頼むよ』と話すなど、健康が許せば活動する」

77片言丸 (/3J5SzQQ):2005/02/24(木) 19:06:45
自民公認候補に三ツ矢氏
衆院5区 2003年 8月 28日
http://www.chunichi.co.jp/hold2003/syuuinsen/news/mie/030828.html

 七月下旬の藤波孝生・元官房長官(70)の引退表明からにわかに活発化した衆院三重5区の自民党公認争いは二十七日、“ダークホース”的存在の国交省航空局監理部長の三ツ矢憲生氏(52)への一本化で決着した。藤波氏と元衆院議長・田村元氏(79)がそれぞれ推した元秘書の県議二人は、出馬しない見通しになりそうだ。両氏の“代理戦争”を嫌った5区内の市町村長が三ツ矢氏の公認支援に動き、三すくみ状態となった公認争い。苦悩した党県連の判断は、地元に配慮し、党組織の「総意」も重視した結果となった。(衆院選取材班)

 5区の公認選びは三ツ矢氏、藤波氏が後継指名した山本教和県議(55)、田村氏が推す中川正美県議長(52)の三人を対象に、党国会議員と県連三役、さらに5区内の県議の計十一人で協議した。

 党県連で記者会見した田村憲久県連会長(衆院議員)は「三人を一人に絞るのは苦渋の選択だった。誰に決まるのか、寸前まで(選考委員の)誰にも分からなかった」。

 最終手段の投票の用意もされたが、田村会長は「十一人の総意で三ツ矢さんに決まった」と強調。投票によるしこりを避けられたことに、ホッとした表情をみせた。

 決定の背景として、田村会長は「地域組織の意見を聞き、尊重しないと決められない。(県連が)ポンと持ってきて、『この人に』と言うわけにはいかない」と、5区の地域支部の意見がポイントだったと明かした。

 さらに、県企業庁の三重ごみ固形燃料(RDF)発電所の爆発事故を引き合いに「県政を揺るがす問題に、しっかりした議会対応が必要な時に、現職県議が(衆院選に)出るのはどうかという意見があった。参院選に県議が一人転出し、さらに衆院選もとなると」と、県議会の勢力減退を避けたいとの意向もみせた。

 「(藤波、田村両氏の)意向を気にせず決めた」とも述べ、三ツ矢氏をかついだ伊勢市長らの動きにも「決定に影響は与えていない」と、あくまで県連独自の判断であることを強調した。

 山本、中川両県議については「ともに『決定に従い選挙に協力する』との誓約書を出してもらった。理解してもらえると思う」と、衆院選勝利のため、三ツ矢氏支援に一枚岩となれることに自信をみせた。

関係者『これで動ける』

 三つどもえの争いだった衆院三重5区の自民党の公認候補に二十七日、国土交通省航空局監理部長の三ツ矢憲生氏(52)が決まり、5区の関係者からは「一本化された。これで動ける」との声が上がった。

 先月下旬、藤波孝生・元官房長官が後継指名した山本教和県議、田村元・元衆院議長が推す中川正美県議長、そして伊勢市長ら四首長の後押しを受けて急浮上した三ツ矢氏による公認争いは迷走。決着の行方は、この日の選考委員会まで全く分からず、5区内には「田村、藤波両先生には義理と恩義がある」(伊勢志摩のある首長)と模様眺めのムードが漂った。

 一本化が決まり、首長は「応援させてもらうことになるかも」。別の首長からは「党が混乱せず、選挙ができてよかった」と安どの声も。

 三ツ矢氏は「二十五日に田村憲久県連会長にも会い、出馬の意志を伝えた」とし、陣営では今秋の総選挙へ向け早速、態勢を整えたい構えだ。

 一方、中川、山本両氏は、県連への公認申請時に「決定に従い、選挙に協力する」との念書を提出しており、出馬を見送る見通し。“意中”の候補とは違う決定に、田村・元衆院議長は「県連の決定が公正ならば、それに従う」とし「三ツ矢君も高く評価されるべき学識や人柄だったのだろう」と話した。

 中川正美県議長は後援会関係者に結果を報告した際、「残念だが、受けざるをえない」と話したという。

78片言丸 (/3J5SzQQ):2005/02/24(木) 19:07:13
(続き)
「非常に残念」

山本教和氏

 藤波氏に後押しされながらも、公認から外れたことについて山本教和県議は「5区現職の議員である藤波先生の意向が反映されず、非常に残念。今後のことは、この件であいさつした方々や周囲とも話しながら、少し考えさせていただきたい」と述べた。

「何も言えぬ」

中川正美氏

 田村氏が推した中川正美県議長は「何も申し上げることはありません」と言葉少なに話した。

歓迎する地元首長

 三ツ矢氏擁立に動いていた伊勢市長ら地元四首長たちは、今回の決定を「5区の将来を十分に考えて出された決定」(奥野英介小俣町長)と歓迎している。

 「できることは百二十パーセントやらせていただく」と、辻三千宣二見町長は意気込む。水谷光男伊勢市長は「義理や人情ではなく、5区に新風を吹き込んでほしいという有権者の思いをくみ取って判断されたのでは」と話し「推薦した責任があるので、四市町村として相談しながら、(三ツ矢氏を)支援していきたい」と述べた。

衆院三重5区公認決定までの経緯

7月26日 伊勢市で開いた後援会総会で藤波孝生・元官房長官が引退を表明。後継に山本教和県議を指名

  30日 山本県議の公認申請が自民党県連に出る

8月5日 伊勢市で中川正美県議長が田村元・元衆院議長と一緒に集会。中川県議長が出馬に意欲

  16日 津市のホテルで自民党県連の候補者選考委員会。山本、中川両県議以外にも適任者が入れば選考に加えることを決める

  21日 三ツ矢憲生氏の公認申請が自民党県連へ出る

  22日 中川県議長の公認申請が出る

  22日 三ツ矢氏擁立へ向け伊勢市で伊勢市長ら4首長が集会

  27日 自民党県連が党本部へ三ツ矢氏の公認推薦を決定

79片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2005/06/11(土) 19:25:05
まぁ面白いと思いました。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/kikaku/022/
不羈不奔・椎名素夫回顧録
 屈指の外交通として知られ、昨夏、政界を引退した椎名素夫・前参院議員が、読売新聞社のインタビューにこれまでの政治活動を振り返った。歴代首相の思い出や外交の舞台裏、父悦三郎・元自民党副総裁、選挙戦での悲哀――。繰り出す秘話は尽きなかった。

80とはずがたり:2005/06/12(日) 02:00:15
いや〜面白いっすねぇ。
>たとえ話だよ。
どうみても「証言」にしか聞こえないw

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/kikaku/022/4.htm

 おやじはこんなたとえ話もしていたな。総裁選にしろ、当時は批判を浴びた金権選挙。佐藤後継を狙う福田さんが来ると「一つお願いします」というようなことを言って、内ポケットに手をやり、ちらっちらっと札束を見せるようなことをする。で、「あなたをやってもいいよ(支持してもいい)」と言おうものなら、「ありがたい。それなら、受け取り(領収書)をもらいたい」という感じだった、と。

 田中さんは「先生、一つ今回はおれを男にしてください」なんて頭を下げて、ぱーっと帰っちゃう。「あれあれ」と目を丸くしていると、あとに金が置いてある、とね。たとえ話だよ。

81とはずがたり:2005/06/12(日) 11:54:02
>>71-75

『世界革命』1996年4月15日号1432号より
http://www.jrcl.net/web/frame06d.html
第17回全国大会決議―当面する情勢とわれわれの課題
日本革命的共産主義者同盟(JRCL)第17回全国大会決議

II 「総与党化」構造の進展と新しい政治潮流
1 「平和・市民」の敗北が突き出したもの

 (1)昨年4月の第16回大会決議の中で、われわれは、社会主義革命運動の一サイクルが終焉し、自民党の分裂、社会党の政権参加を大きな転換点とした「総与党化」状況の中で、分散化した個々の抵抗運動が政治的には「平和主義的リベラル民主主義」と規定される質で展開されざるを得ないと捉えた。そうしてわれわれはこうした運動に内在しつつ、それを「よりよい資本主義」の方向に意識的に推し進めようとする傾向を批判しながら、運動のラディカル化をはかるとともに、国政の場においても「総保守化」への「対抗的政治勢力」を「護憲派」や市民運動、地域運動、左派労働組合運動などを横断的に結集した「選挙ブロック」として登場させる必要性を主張した。
 そこではこの「対抗的政治勢力」も「平和主義的リベラル民主主義」という政治性格をもって形成されざるをえないことも含意されていた。
 具体的には「社会主義政治連合」に参加する諸党派をふくむ「市民の政治」全国ネットが進めていた「新しい市民的政治勢力の形成」あるいは「市民派と護憲派の合流」構想を基盤に「公選法上の政党」を形成し、国会に議席を獲得する闘いを九五年参院選の中で実現しようとした。
 93年の細川連立政権成立直後から始められ、小選挙区制反対運動を経て、94年から具体化していた「護憲派と市民派の合流」のための試みは、社会党を出自とする「護憲派」自体の分裂等々の紆余曲折を経て、旧「護憲リベラル」の議員を前面に立てた「平和・市民」の選挙戦として表現された。一部は「平和・市民」形成の努力から離れて、「護憲・みどり・農の連帯」の分裂選挙を行った。
 しかし、参院選挙の結果は東京選挙区で田英夫氏の当選をかちとったものの、比例区では目標としていた2%を突破して議席を獲得することができなかったばかりか、1%をも突破することができず、「平和・市民」の選挙運動は惨敗に帰結した。
 
 (2)「平和・市民」の敗北は、参院選直前に行われた統一地方選での青島幸男、横山ノック両候補の当選に示された「無党派現象」に拝脆した抽象的な「市民の政治」「市民の政党」というキャッチフレーズが「総与党化状況」や「既成政党離れ」に切り込むものとはなりえなかったことを示した。
 東京では、92年の反PKO闘争の後を受けた内田雅敏選挙を担った市民運動勢力や全労協の左派労組勢力を「平和・市民」の運動に十分に結集することもできなかった。「平和・市民」の敗北は、残った議員グループもいまや「総与党化」の枠組みの中での“リベラル勢力”形成の展望、つまり「保守リベラル」勢力の一翼に自ら位置するしかない、という現実に端的に示されている。「平和・市民」は次の国政選挙を「平和・市民」として取り組むことはできず、公選法上の政党としては存在しえないことを確認して、昨年末ひとまず解散することになった。
 「平和・市民」の敗北はまた、国政の場に「対抗的政治勢力」を登場させるためには地域運動、市民運動、左派労働組合の基盤がきわめて未熟であることを端的に明らかにした。それは今日の大衆運動の後退・分散状況の反映でもある。それは、十六回大会が指摘した「平和主義的リベラル民主主義」という抵抗運動の政治性格のレベルのそのままの延長線上に、批判勢力を国政の場に「総与党化」状況に切り込む現実的選択肢として登場させることがきわめて困難であることを示すものともなった。

82とはずがたり:2005/06/29(水) 16:51:42
【2001.06.22 ■激戦区ルポ 2001都議選(4)新宿区】
http://66.102.7.104/search?q=cache:877uhvdyiTIJ:www.sankei.co.jp/databox/01togi/gekisen/joho0622.html
自・民とも公認のもつれ/手堅い共・公の現職
無所属候補は独自色強調

 都議選告示日の十五日午後六時、小泉純一郎首相は国会審議などのため、各党党首より大幅に遅れて新宿駅西口で「第一声」を行った。二千人以上の聴衆を前に、「改革には若い力が必要」と三十五歳の自民新人候補への支持を訴えた。

 都議選には自民現職四十一人が立候補したが、新宿区の現職は唯一公認を受けず、自民は区議団幹事長の長男を公認。現職は無所属で出馬した。区議団も“公認対非公認”で対立。一部区議が議会会派から離脱、分裂状態になった。

 元文相の与謝野馨党支部長は「現職は昨夏、辞意を表明し、常任役員会で慰留したが再度、辞退を内容証明で提出。現職を推す区議団も少数派で了承された」と選考経緯を説明し、「現職側に区議がついたとされるが、それはない。区議団の結束は固い」と自民分裂を否定する。

 一方、公認漏れとなった現職は「慰留しながら新人候補の決定の報告は、私にはなかった。区議団幹事長と与謝野氏の密室人選に激怒し、支部の上意下達の体質を変革させるため再選をかける」と反論する。

 現職が出馬を決意した背景には、昨年末、融資保証制度をめぐる出資法違反事件で逮捕され、今年二月都議を辞職した山崎泰前都議(無所属、民主系)の“不出馬”が大きく影響している。「無所属でも現職候補者は有利と踏んだのでは」(有力区議)との見方も。

 一部団体では「前代未聞の公認騒ぎで、両陣営に推薦を出した」と戸惑いを隠せず、“自民対決”はヒートアップしている。

 山崎都議の辞職で、民主系同士もバトルを展開。民主党公認候補と、前回民主党公認で出馬、約七百票の僅差で山崎氏に敗れ、次点に終わった民主系候補が無所属で立候補した。

 海江田万里・民主党都連会表の強力な要請で出馬した公認候補は同氏の知名度を武器に二人三脚で戦う。民主系区議団の支援と労組(連合)出身で、新宿に三万人とされる連合会員の組織固めも強化している。

 前回民主公認のA候補は落選後、中村敦夫参院議員秘書となり、同氏の支援で無党派層へ訴えるが、「小泉人気で、無党派層に微妙な影響がでている」と中村議員。無党派票の行方に憂慮している。

 自民、民主対立の戦いを横目に前回首位と二位当選の共産、公明両現職は手堅い選挙戦を展開する。公明は「都政の職人」と自称する都議会の重鎮だ。浜四津敏子代表代行が「父」と呼び、党の議員六十五歳定年制もクリアする“特例”で十一期目を目指す。

 共産候補は、乳幼児医療費助成や遺伝子組み替え食品表示義務化などの実績を強調。候補は「小泉人気は関係ない。手ごたえはある」と自信をのぞかせる。

 ほかの無所属候補はそれぞれ独自色を強調。B候補は新党結成の元閣僚の草案作りに参画し、教育改革を訴える。同C候補は一昨年の都議補選にも出馬、議会改革を目指す。同D候補は、首相公選制を訴え、自転車での選挙戦を展開。同E候補は学生を中心としたスタッフと若さをアピール。同F候補は「脱政党」を訴えている。=おわり
         ◇
 ◇新宿区       (4−11)
秋田 一郎35 会社役員   自新
逸見 彰彦43 会社役員   無新
富田 俊正42 団体事務局長 民新
根本 二郎53 参院議員秘書 無新
松永 裕二36 団体役員   無新
藤井 雅義35 市民団体代表 無新
中沢 公彦32 作家     無新
藤井 富雄76 党常任顧問  公現
西川 嘉純25 会社員    無新
              (由)
大山とも子45 党都議団役員 共現
羽曽部 力73 会社役員   無現

83とはずがたり:2005/07/11(月) 20:16:32
2003年衆院選特集北海道10区(留萌・空知管内)

市長の協力狙い火花
http://www5.hokkaido-np.co.jp/seiji/2003syuinsen/inside/main10_2.html
(2003/11/02(日) 朝刊)

 公示前日の十月二十七日、岩見沢市長の渡辺孝一は定例記者会見の席上、こう言った。

 「明日から私は入院するよ」

 渡辺独特のジョーク。だが、自民、民主の両党から向けられる熱い視線を避けたいとの本音がちらりとのぞく。

 渡辺は元科技庁長官、故渡辺省一の長男。前回の衆院選前には旧道10区(空知管内)で、自民党新人の山下貴史と激烈な公認争いをし、敗れた。この時のしこりは選挙戦に微妙に影響し、自民党が一枚岩になり切れなかった一因といわれる。

 昨秋の市長選。渡辺は当時の現職能勢邦之と戦い、約四千票の大差で勝利した。能勢は自民が推薦、民主が支持。しかし、水面下で連合が渡辺を支えたのは周知だ。この経緯もあって今衆院選で、道10区の民主党前職、小平忠正陣営は渡辺の「恩返し」に期待する。実際、渡辺と小平の「選挙協力」は、今春の道議選・滝川市で実現した。かつて省一の秘書を務めた大河昭彦を、市職労をはじめとする連合が支援、自民党現職を破ったのだ。渡辺は岩見沢市でも、民主党道議候補にかなり肩入れしたとされる。

 一方、今回も小平と戦う山下陣営は過去の因縁を払しょくした上で、渡辺と小平の「握手」をなんとか断ち切るための懐柔策を練る。

 十月十九日。山下の応援に駆けつけた派閥会長の亀井静香は、岩見沢で開かれた南空知総決起集会でのあいさつを終えると足早に会場を後にした。向かった先は、美唄市内の渡辺の実家だ。

 「(亀井は)仏壇に線香を上げた。仁義だよ」と自民党関係者。

 渡辺の後援会役員には自民党支持者もおり、周辺は「市長には静観を決め込んでもらう」と、等距離外交を渡辺に説く。

 渡辺が表向き身動きできないよう、外堀が埋められつつあるのは確かだが、果たして−。両陣営は渡辺から目を離していない。(敬称略)

84とはずがたり[TRACKBACK]:2005/07/14(木) 04:23:11

友愛会が政和会として自由更に民主と距離を置き,今回の補選でも社民を応援するhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1042226470/r2237など距離を置いているのはこの元民社の菅原喜重郎氏をひきづっているのか!?

〈中〉さまよう労組 2003.10.9 
結束の道筋見えず
http://www.iwate-np.co.jp/syuuin/shuuin03/seikenn.htm

 「小異を残して大同につく」。民主、自由両党の合併合意書に盛られた言葉だ。中央で民主党支持の方針が打ち出された連合岩手(安藤勝夫会長)だが、本県はいまだに「小異」を引きずる。

 「政権奪取に向け小沢(一郎)さんと一緒にやろう、という気持ちになかなかなれない。過去の経緯はそう簡単に消せない」。労組関係者はこう複雑な思いを吐露する。

 一つには1997年に旧新進党を解党した小沢氏の手法。もう一つは、かつて旧民社党公認で支援したにもかかわらず、同党を離党した旧自由党の元衆院議員・菅原喜重郎氏をめぐる問題。

 今月始め、盛岡市内で民主党支持労組の懇談会が開かれた。連合岩手加盟の九産別労組が参加し、合併した旧自由党県連関係者も加わり、2時間余り意見交換した。

 参加した労組代表の一人は「政権交代が射程に入っている。胸につかえているものは抑えよう」と融和を説いたものの、旧自由党関係者を前に、建前と本音の使い分けをせざるを得ないのが本当のところだ。

 旧同盟系の岩手友愛会(片山直美会長)も民主党支持が基軸だが、4月の県議選で無所属会派・政和会を推薦。片山会長は「民主党、政和会の関係をどう整理していくか戸惑う」と悩む。

 このため友愛会票を基盤とする政和会代表の吉田洋治県議(盛岡選挙区)も、旧新進党県連幹事長を務めた経歴を持つとはいえ、静観の構えだ。

 連合岩手の組織構成は主に社民党支持の旧総評系が大きな力を持つ。同党は1、4区に候補擁立を決め、「また裂き」をさらに複雑にする。

 自民か、非自民かの政権選択が焦点となる次期衆院選だが、組織・団体が機能しなくなった一つの「象徴」がこうした労組の姿に表れる。

 社民党が仮に2、3区で候補を出せない場合、非自民という「野党共闘」で民主党候補を支援するのか。

 社民党支持労組でつくる平和環境県労組センターの森越康雄議長は「小沢氏は自民党時代も遠い存在だった。『服』を着替えたからといって、簡単ではない」と語る。

 常に政界再編を主導してきた小沢氏に対する警戒感は消えない。しかしだからといって自民党と組めるわけでもない。

 一枚岩になりきれない実態、支持政党をめぐるねじれ、存在感埋没への焦り…。かつて終盤の3日間で猛烈な力を発揮すると言われた「3日選挙」を支えた面影はない。

85名無しさん:2005/07/14(木) 09:50:24
>84 野党2議席独占狙いで民主が身を引く戦略なのでは。
岩手の民主は、他県の民主と違って自民党以上の組織を持っている政党。
それに民主の看板で浮動票も期待できるし。

連合岩手、推薦1人に 県議補選

 県議選盛岡選挙区の補選(改選2)は、2つの推薦枠を持つ連合岩手(佐々木敏男会長)が、無所属で岩教組中央執行委員小西和子氏(52)=社民党推薦=1人の推薦に絞る見通しとなった。連合が支持する民主党が公認候補の歯科医師三浦陽子氏(53)の推薦要請をしなかったことから、反自民で連合票の分散を防ぎ、民主、社民で2議席確保を目指す狙いがあるとみられる。
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2005/m07/d13/NippoNews_9.html

86とはずがたり:2005/07/14(木) 11:33:49
>>85
成る程,逆に社民との協力が深化する契機となるやもしれませんね。
流石日本最強の民主党組織のある岩手,やることが大人だなぁ。

87とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:07:54
代理戦争に自民党圧勝 永岡氏当選の陰に山口会長
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo01.html

◆遺恨◆
 山口会長と中村元建設相の遺恨は、二〇〇〇年の総選挙にさかのぼる。談合絡みの埼玉土曜会事件をめぐり、中村元建設相が「あっせん収賄罪」で逮捕された。一審有罪判決を受け、自民党県連は農水省エリート、永岡氏を擁立して党本部に公認申請した。
 一九九六年十月の総選挙では、判決前ということもあって、県連は「中村推薦」を決める。結局は、中村元建設相側が「迷惑をかける」と断り、トーンが弱い「支持」とし、対抗馬を立てずに再選に協力をした。
 田中角栄・元首相、藤波孝生・元官房長官…。自民党は、不祥事で離党した大物に、有罪判決後も対抗馬を立てない。そうした「文化」の流れからすれば、永岡擁立は中村系にとって裏切りに映る。選挙では、会長を「独裁者」と非難した。
 中村派県議は追放されるが、処分保留中の昨年暮れに、中村氏が山口会長の地元、岩井市の県議選に対抗馬を擁立した。同派県議も同調すると、県連から公認されず、選挙後に除名処分が決定。新たな遺恨が、七区の吉原氏支援につながった。

 ◆逆襲◆
 山口会長にとって、あるいは自民党県連にとって、この選挙は負けられない戦いだった。勝てば緩みかけた手綱が引き締まり、負ければ圧倒的な影響力に陰りが強まる。県政全般や県連内、七区の力関係が微妙に変化しかねないのだ。
 総選挙で反逆した中村派県議は、県議選で一増の六人となり、七区では山口派、中村派各四人の均衡が、「三対五」と劣性になっていた。改選後の県議会では、実力者の川口三郎元県議会議長が参画。七人で、「自民県政クラブ」が発足。県連の対抗勢力が誕生した。
 彼らの吉原氏支援はその延長にある。「山口降ろしはサブテーマ」と公言した。総選挙のようにはいかなかったが、中村氏が出所後に復帰を狙えば再戦必至。山口会長は「また勝負だ。この勢いでいきたい」と自信をのぞかせる。
 「会長は、追い込まれるたびに権力を強めてきた。ゼネコン汚職で、竹内前知事が捕まった直後も、川口さんが反乱したが、あっという間に鎮圧され、会長の力が圧倒的に強まった」との声は根強い。永岡、中村直接対決で、最終決着することになるかもしれない。

 ◆温度差◆
 当選が決まり、満面の笑みを浮かべ、万歳する永岡洋治氏がテレビに映る。直後のインタビューで目頭を潤ませた。エリート官僚を捨て、政治の道を志して苦節八年。三度目の挑戦で得た栄冠だった。
 しかし、そんな永岡氏を見ながら、「やはり田舎の選挙、選挙区事情が分かっていない。次が本当の勝負。大変だぞ」との声が聞こえる。公認した自民党、推薦した公明党など、初当選を支えた関係者の間からも…。
 永岡氏の選挙スタイルは、街頭や小集会で政策を訴えるのが主体。普段からの戸別訪問、選挙期間中の握手などを好まない。当選後も、「この選挙で七区は変わったと思う。これからの選挙は政策中心…」と自信をのぞかせた。
 が、エリートゆえの盲点も多い。自民党県連関係者は言う。「政策なんて誰も聞かない。人柄を見る。真面目でも、冷たく映って損」。事実、参院補選と合同の街頭演説や集会だと、人垣は決まって岡田氏に。支持の温度差は大きいようだった。

88とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:08:19

圧勝の陰に巨大組織 永岡氏の議席維持、次が試練
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo02.html

 ◆別動隊◆
 選挙戦の最中、総和町の永岡選挙事務所は、とうてい勝ち戦のムードではなかった。「本当に大丈夫なのか」。そう思った来訪者も少なくない。公明党県本部の石井啓一代表もその一人。ほとんどの人が、大接戦を予想していた。
 ところが、結果はライバルの吉原英一氏に二万票差。常駐の自民党本部職員らは開票前日の二十六日、「七万五千対五万五千」とピタリ言い当てた。吉原陣営の追い上げも、巨大組織には及ばなかった。
 閑散として熱気に欠けた事務所と、 予想外に離れた得票。この激しい落差は、選挙を戦った実動部隊が事務所とは別にあったことを物語る。実際、五十人の同党県議や元県議が、慣れない七区の党支持者らを訪ね歩いた。
 中央からは、小泉純一郎首相はじめ、党三役や派閥領袖クラスも連日来県。公明党県本部も最終的に、かなりのテコ入れを行った。


吉原氏の猛追及ばず 取り込めなかった「中村票」
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo03.html

 ◆熱気◆
 四月二十四日夜、岩井市の総合体育館が熱気に包まれた。吉原英一氏の個人演説会に、四千人の支持者らが集まったのだ。トレードマークのジープによる街頭活動、水面下の動き主体が、最終盤に浮上して加速した。
 壇上には、中村喜四郎元建設相派ら、反山口会長の県議七人が初めて集結。中村派の森田悦男県議は「これで勝てます」と自信を示し、川口三郎県議も「(山口武平・自民党県連会長)に、時代が変わったことを知らせたい」と訴えた。
 「熱気がぜんぜん違いますね…」。会場を埋め尽くした支持者らに、偵察に来た自民党関係者は青ざめた。「話もこなれている。選挙慣れしてますね」「永岡さんにも、これだけの柔らかさがあったら…」。口調が愚痴っぽくなった。…

◆中村票分散◆
 投開票前日の四月二十六日夜、岩井市の吉原選挙事務所では、選挙戦最終盤の手応えを感じていた。
 が、開票直後にテレビは「永岡当確」。大手新聞の出口調査では、吉原氏に流れた「中村票」は四割台。永岡氏らにも分散、自民支持層の五割前後、公明支持層の七割前後は永岡氏が得、吉原氏は自民支持層三割前後で及ばない。…
 決起集会でも、登壇した農協幹部や県議ら、中村派に迷いが見え隠れした。「土着の吉原氏は、中村さんにとって一番の強敵。一期交代と言っても、当選すれば自民入りで反古かも…」。支持者の不安も、自民党の壁を崩せない一因だった。

 ◆敗北の起源?◆
 一つの噂が、県政界関係者の間を流れた。「吉原さんは昨年秋、参院補選の件で橋本知事を訪ねた。山口会長は、『衆院は吉原さんでも』と思っていたが、これで可能性は消えたようだ。知事と会長は微妙な関係だから…」と。
 吉原氏は父子二代の首長。父、三郎氏は一九五五年から七〇年まで、四期十五年にわたって岩井町長を務め、自身も七八年から九四年まで、四期十六年間を岩井市長として過ごした。地元政界のサラブレッドと言っていい。
 衆院が中選挙区制だった時代、山口会長は赤城派、吉原氏は丹羽派で対立もしたが、基本的には「県議は山口、市長は吉原」ですみ分けてきた。吉原氏が、石塚甚太郎市長に敗れて以降も、関係悪化することはなかったのだが…。
 先の集会でも、中村派ら反山口系県議らは、山口会長を明に暗に批判したが、吉原氏は選挙を通じて会長批判を避けた。中村派は「負ければ、吉原に次はない」と言ったが、「県内有数の逸材。惜しい」の声も。今後の対応が注目される。

89とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:08:34

中村派”代理戦争”に敗退 支持者らに戸惑いと不安
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo04.html

 ◆宣戦布告◆
 「中村派と丹羽派が合体すれば、何も恐れる必要はないだろう」。四月二十四日夜、中山利生衆院議員派の実力者、川口三郎県議はそう叫んだ。吉原英一氏の演説会。自民党県連の山口武平会長に対し、事実上の宣戦布告だった。
 演壇には中村派の染谷清氏、江田隆記氏、半村登氏、森田悦男氏、臼井平八郎氏、長谷川典子氏ら、自民党県連に反目する県議が並んだ。JA茨城むつみ常任理事、中村派の阿久津善太郎氏も、「中村先生のいない間…」と、吉原氏支持を力説した。
 吉原氏自身は会長批判は口にしなかったものの、中村派の反山口会長派県議は、七区補選を明確に「代理戦争」と位置づけた。中村派は前回総選挙で、県連の永岡洋治氏推薦を無視し、中村氏支援で動いたのを境に、会長と各自が個人的遺恨を持った。
 集会後、ある中村派県議は「三月末に中村事務所の秘書から、『今回は動かないでくれ』と言われ、『中村さんのために県議をしているのではない。地域住民のためにやっている』と即座に断った」と明かした。「代理戦争」は複雑さを極める。

 ◆密約説と不安◆
 あるうわさが七区内を流れた。「吉原さんはショートリリーフで、中村さん出所後は合併後の市長に回る。今回の選挙はその前哨戦。市域が広がれば、石塚仁太郎(岩井)市長より知名度が高くなる」と。真偽は不明ながら、説得力を持って伝わった。
 「吉原さんは出馬表明当初、『それでもいい』と言っていた」「今回は吉原で行く。中村が出てきたら、またその時だ」「中村が出られるかは時の世論しだい。判断基準は言えない」。中村派県議の発言も、密約説に妙な真実味を与えた。
 しかし、中村支持者には迷いがあった。「A級の後援会幹部は、うわさを肯定的にとらえて、吉原支持で動いたが、末端では戸惑いが大きかったようだ。一般有権者には、選挙区や議席の私物化にしか映らない」。自民党選対はそう言った。
 演説会でも、JA茨城むつみの阿久津常任理事は「中村先生不在の間、託せるのは吉原さん」としながらも、「吉原さんを選んだ理由は特にない」「(中村後援会へ)働きかけはしない。『私はこうする』と言うだけ」と繰り返した。

 ◆衝撃の世論◆
 「実刑確定は甘くないな」。選挙戦が折り返した二十日過ぎ、大手新聞各紙が載せた世論調査に、中村派関係者らの顔がこわばった。中村氏が刑期を終え、出所後に復帰を望む声が少数だったからだ。
 それらによると、七区全体の有権者では、わずか26%前後に過ぎない。前回、「中村」と書いた人で五〜六割台だった。中選挙区時代なら、問題ない支持率だが、現在は定員一の小選挙区制。一騎打ちでもないと厳しい数字だった。
 中村派県議らは、「吉原は負けたら次がない」と強調。ライバルの田中勝也・元県議は、前回総選挙の買収事件に絡み、連座制の適用を受けてまだ出られない。「非中村票」が分散しないため、この数字では復帰に不安が残るのだ。
 吉原氏が当選なら、自民党堀内派入りが予想された。「政治家の約束など当てにならない。そのまま続ける可能性はある。そうなれば、永岡より強敵になるのは確実だ」。中村派県議の一人は、そうささやいた。そんな支持者の不安も、中村票の分散に作用したようだ。

90とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:09:01

加藤氏、敗北に落胆なし 総選挙狙い目的達成?
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo05.html

 ◆3倍増◆
 四月二十七日夜、「永岡当選」をテレビの速報が伝えた。加藤真砂子氏の得票は約半分で三位。水海道市の事務所で、加藤氏は「有権者に浸透しなかった」と唇をかんだが、選挙区事情を知る関係者の間では、「かなりの善戦」との認識が強いようだ。
 翌日朝の新聞は「惨敗」とする記事が多かったが、両党にとって七区は不毛の地。前回総選挙で、自由党から出た元自民党参院議員、野村五男氏は約一万二千七百票だった。加藤氏の得票は野村票を三倍増させた、とも読める。
 自由党は、前回総選挙の県内比例で十九万八千票を獲得した。一九九八年参院選比例票から倍増したが、県連は選挙後に幹部間の内紛で解散。一昨年の参院選も幹部が対立し、加藤氏の得票は十万票にとどまった。
 今回の選挙は、民主党や連合茨城が支援し、四人の中で唯一の女性候補とはいえ、三万五千票はなかりの善戦といえる。加藤氏も「参院選より、かなりの票が取れた」と強調、手応えを感じている様子だった。

 ◆空中戦◆
 選挙戦は、党中央や民主党などが頼りだった。事務所は、党中央の選対が切り盛り。渡辺秀央・選対委員長兼幹事長代理が、ほぼ入り浸り状態で選挙区を駆け回った。民主党県連幹部も相次いで訪れ、合流を視野に両党の連携ぶりを見せた。
 七区は「中村王国」であり、「自民党王国」でもあった。中選挙区時代の旧三区は、赤城派、丹羽派、北沢派、中村派が競合し、定数五のうち三議席が指定席。労組の組織率も低い。七区エリアは特に、非自民にとって不毛の地といえる。
 加藤氏は二年前、参院選に出たとはいえ、地元の水海道市を除いて知名度は低い。人手も少ないため、ドブ板選挙にも限界がある。小沢一郎党首ら、両党幹部の高い知名度で票の上積みを図ることに徹した。
 小沢党首は二度三度と選挙区入り。民主党も告示後、岡田克哉幹事長が出陣式に出席し、期間中には鳩山由紀夫・前代表、最終盤の二十六日には菅直人代表も駆けつけ、街頭でマイクを握り、加藤氏への支援と政権交代を訴えた。

 ◆展望◆
 加藤氏の当選は、最初からあり得なかった。陣営の中にも、信じた人は皆無に近い。では、いったい何のために出馬したのか? 「次回総選挙への布石」だという説がある。参院補選、来年の参院選では、当選の可能性がないからだ。
 一つのうわさがある。「そもそも、最初から次期総選挙が狙いでは。この得票と惜敗率なら、重複立候補さえすれば、比例区で当選は可能なはずだ」と。単なる結果論ではない。出馬表明した当初からの観測だった。
 惜敗率とは、当選者に対する各自の得票比率。実際、加藤氏の得票を惜敗率に換算すれば、当選した永岡洋治氏の約五割に当たる。次期総選挙でも、同程度の結果を得られるならば、衆院に議席を得る可能性があるわけだ。
 民主党は加藤氏を推すから、惜敗率が高くなる公算が大きい。その分、六区の二見伸明・元運輸相が苦しくなる。相手は自民党現職であり、民主党も独自候補擁立の方針だからだ。「苦悩解消は両党合流しかない」の声も聞こえる。

91とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:09:16

「不戦敗」も戦略のうち 次期参院選にらむ
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo06.html

 ◆渡りに船◆
 加藤真砂子氏を、自由党との統一候補と位置づけ、準公認扱いで支援した民主党も、当初は独自候補を模索していた。県連というよりも、政権交代を掲げる党本部主導で…。本部の公募候補だったが、表明直前に家族の反対で断念している。
 県連は、今回の衆参補選とも、独自候補擁立に熱心さが欠けた。三役らに積極性が薄い上、支持母体の連合茨城が、組織内候補を立てた取手市長選に集中。支援は得にくい。組織が弱く、自前で選挙も苦しかった。
 しかも、来年夏には参院通常選が控える。県連副会長を務める連合組織内議員、郡司彰氏が現職なだけに、「参院補選への候補擁立は筋が通らない」と連合側もけん制。衆院七区を含め、当初から後ろ向きの姿勢が目立った。
 そこに、急浮上したのが加藤氏。これも党中央主導型だったが、不戦敗のそしりを免れ、希望をつなぐのに最良の選択肢だった。「自由党との選挙協力、統一会派や合流の試金石になる」。渡りに船だったわけだ。

 ◆すみ分け◆
 民主党には当初、加藤氏に違和感があった。四年前の県議選で、自由党籍を持つ加藤氏を、連合茨城や公明党と共に推薦したが、二年前の参院選に自由公認で立候補。民主現職、小林元代表代行と対決したため、「裏切られた」との思いが強かった。
 しかし、二〇〇一年夏の参院通常選で、頼みの連合に衰退が見え、その後も民主党の退潮は止まらない。来年夏の参院通常選は、自民党の二人擁立がほぼ確実。そこに、加藤氏が前回に続いて立てば、郡司氏の議席維持に危険信号がともる。
 加藤氏も、参院選での得票は当選ラインの半分未満。前回総選挙・県内比例で、自由党は十九万八千票を得たが、自公選挙協力への反発から自民党支持者が一時的に浮気した結果だった。参院選で自民、民主の壁を崩すのは不可能に近かった。
 そこに、すみ分け論が浮上する。ある労組幹部は指摘した。「郡司さんは民由社、加藤さんも民由の統一候補が可能だ。郡司さんは、かなり優位な選挙を展開できるし、加藤さんも惜敗率を高め、衆院の議席を得る可能性が出てくる」。

 ◆軍師不在◆
 「こんな好機を逃すとは、今の民主党県連には軍師がいない。吉原(英一)さんを推せば、不毛の七区にクサビを打てるのに…」。県連が加藤氏の推薦を検討しているころ、連合茨城系労組の幹部にそんな声があった。
 「中村さんが復帰を目指す際、一番やっかいな相手は、自民党公認で当選した吉原さんだろう。土着政治家は定着しやすく、中村さんの出る幕がなくなりかねない。私が中村派なら、代理戦争で限りなく接戦を演じ、最後は永岡さんが勝つ作戦を練る」と。
 彼はさらに続ける。「一番いいのは、民主党の推す吉原さんが接戦をものにする場合だろう。次回は永岡(洋治)さんと三つどもえとなる。中村さんの復帰はそれが最も容易。民主が推せば(中村派は)水面下で動くよ。そして、われわれは支持を定着させればいい」。
 無論、あくまで机上の空論だが、公明党県本部の石井啓一代表は、一連の想定を聞いてこう言った。「そうならなくて良かった。その仕掛けをされたら、吉原さんが勝った可能性もある。政局になりかねない」。

92とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:09:32

結局,社民党は選挙協力に参加せず,でそのときの地方選でも地方議員も安泰だったのかな?

川口玉留氏はちゃんと当選を果たしているようだ
http://www4.ocn.ne.jp/~tama1/

民由社協力は実現せず 報道先行で社民党内が反発
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo07.html

 ◆連携模索◆
 自由党の加藤真砂子氏は当初、民主党と連合茨城の推薦に加え、社民党の支持をも得られる手はずだった。三党の県内幹部らが協議して、自民党、公明党、保守新党の自公保連立に対抗、「民由社統一候補」とする話もあった。
 もちろん、戸惑いもあった。護憲が党是の社民党にとって、改憲を口外する自由党は、感覚的に自民党よりも遠い存在。「テーマごとの国会内共闘はあっても、公認候補を支援することはあり得ない」というのが常識だった。
 そこで、自由党本部の渡辺秀央選対委員長が、社民党本部の渕上正雄選対委員長に要請。県内でも民主党県連の大畠章宏代表、自由党の二見伸明・元運輸相、社民党県連の川口玉留代表らが会談し、「小異を残して大同につく」で一致した。
 背景は、ゼネコン汚職裁判で、中村喜四郎・元建設相が有罪確定、議員失職したのに伴う選挙の特殊性。反金権の党が、「不戦敗」ともいかず、独自候補を立てる力もない。連立与党の圧倒的な数を前に、野党間協力の必要に迫られてもいた。

 ◆統一戦線◆
 三党が期待したのは、国政での野党議席増、国会共闘に限らない。県議会の八割など、圧倒的な数を誇る茨城自民党、強固な保守地盤に風穴を空けるのが目的。相互の選挙協力を行い、地方議員を増やそうとした。
 「少し古めかしい表現だが、反自公保統一戦線を結成する。加藤さん支援と、統一地方選の相互支援も決めたい」。三党県代表、幹事長クラスが会談した三月末、社民党県連の川口玉留代表は、三党の選挙協力の意義を強調した。
 本部に当たる党全国連合も、その意義を認めていたようだ。本部選対も県連首脳らも、「憲法観の違う他党の公認候補を、『推薦』することはできないが、『支持』なら十分に検討の対象となる。ダメなら『協力』でもいい」と言っていた。
 民由両党と違い、今回の衆参統一補選で、支援を受ける選挙区はない。県内に限れば、来夏の参院通常選や衆院選でも、ギブ&テイクどころかギブ&ギブが実情。それだけに、市町村議選が重要で、とりあえず土浦市議選で、川口代表を推すことが語られていた。

 ◆うたかたの夢◆
 「明日の常任幹事会で支援を決める」。川口代表は熱っぽく語ったが、その二月二十一日の常任幹事会を欠席し、大嶋修一幹事長も遅刻で、加藤氏支援は議題にもならない。当日朝の新聞が、「加藤氏推薦決定へ」と報じ、県内の党員らが猛反発したためだった。
 「『推薦』と『支持』は似て非なる。天地ほど違うと言っていい」。ある労組幹部は言う。推薦は通常、選対に人を出すことを意味し、支持は事務所にポスターを張り、チラシを置くなどのほか、内々に投票を呼び掛ける程度となる。
 最近、名前だけの推薦が増加。「支持」まで踏み込めない場合の「協力」「指向」と、様々な政治用語が発明されているが、基本は推薦と支持の二つと言っていい。そして、組織政党はその違いに敏感だった。
 まして、改憲の自由と護憲の社民は距離が大きい。「憲法改正問題は将来の課題。先送りし、現状の問題を優先する」。川口代表、二見・元運輸相は一致したが、公認に準ずる推薦となれば、古参党員らの反発は免れない。市町村議選の相互支援も消滅した。

93とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:09:49

公明の存在感、衆院7区は微妙に 公認、推薦の全員当選
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo08.html

 ◆貢献度◆
 「一万票差なら、うちの存在感も示せ、感謝されたんでしょうがね。二万票差だからな…」。四月二十七日夜、参院補選に圧勝した岡田広氏の事務所で、公明党県本部の石井啓一代表、鈴木孝治副代表がつぶやいた。
 同党は衆院七区補選で永岡洋治氏、参院補選で岡田広氏と、国政で連立を組む自民党の新人を推薦。七区で、吉原英一氏が二十四日に開いた集会で四千人を集めると、改めて最終的にテコ入れ。
 茨城七区は、ライバルも自民系ながら、敗北なら小泉内閣がガタつき、自民党内の権力闘争から、政局が不安定になりかねない。それは避けたかった。
 同区の公明票は二万五千票だが、自分の党以外に入るのは、「最大で二万票程度」とされる。接戦なら相手に感謝されるが、永岡氏と吉原氏の差は約二万票だった。自民は自力勝利を確信。微妙な票差に、公明幹部の表情も複雑だった。

 ◆与党意識◆

 四月十日告示の参院補選、十五日告示の衆院七区補選。岡田氏、永岡氏の出陣式の壇上で、石井代表は自民党の山崎拓幹事長、保守新党の金子善次郎・副幹事長と並び、連立与党の一体ぶりをうかがわせた。
 壇上には、国家老格の足立寛作代表代行らの姿も。選挙期間中には鈴木副代表、井手義弘幹事長らも選挙区入り。本腰を入れた運動を展開している。推薦とはいえ、準公認といえる力の入れようだった。
 蜜月ぶりだが、かつては苦い経験も。二〇〇〇年の総選挙では、初めての自公選挙協力で、県内の自民党候補を支援したが、落選した選挙区をめぐり、自民側は「マイナスだった」。公明期待の比例得票増はわずか。相互不信が強まった。
 しかし、自公連立は長期化し、政策協議や国会対策、〇一年の参院通常選…。中央で協力を積み上げ、今回は初めて自民党県連が、県本部へ正式に支援依頼も。すっかり与党意識も強まった。

 ◆第一党◆
 公明は今回、県内の衆参統一補選、統一地方選で完勝を収めた。衆参の補選、首長選の推薦候補ばかりではない。市町村議選も、十八市町で公認四十人を擁立。全員当選で改選数に五つ、前回より二つ上乗せし、県政界での存在感が増した。
 これで県内の地方議員は、県議を含め百十一人と過去最多に。ライバルの共産党は、当選者数の二十六議席、県内地方議員の八十四人も四年前と同じ。両党の差は、四年前の八から二十七に開き、県内第一党争いに一応の決着がついた。
 得票数も、前回より約一万一千票(18.2%)増。十六市町議選の得票が過去最高を記録。得票率も、水戸、日立、土浦、古河、龍ケ崎、牛久、鹿嶋、江戸崎で10%を超えたほか、江戸崎、土浦では目標の絶対得票率一割も達した。
 「うちは上位当選が不可欠。近い将来に合併も見込まれ、当選可能でも候補擁立を抑えた。目一杯立てても、全員当選は可能だが、後に候補者調整が不可欠となるし…。それでも、今年中に百二十人まで増える」。ある幹部は自信を示した。

94とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:22:17

どっちにしろ民主・連合系が候補者を立てなかった特殊事情下の事だからね。

共産、参院は史上最高得票 公認、推薦の全員当選
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo09.html

 ◆17万票◆
 十七万二千四百五十五票。参院補選で、共産党県委員会書記長の小島修氏が獲得した票だ。…同党の候補としては、参院通常選、同補選、知事選を通して史上最高だった。
 同党は、旧社会党の安保政策転換以来、反対票・批判層からの支持を吸収する。一九九六年の総選挙以降、国政選は全県で十万票以上が定着。地方選も躍進し、二〇〇一年には県内の県議、市町村議が初の計九十人に達した。
 だが、〇一年の参院選では、選挙区で約六万七千票、比例区で約五万九千票と後退。今回は衆参統一補選、水戸市長選も重なって苦しむ。
 それだけに、初の十七万票台に幹部らの表情もほころぶ。「…もうひと頑張りで議席に届く」。

 ◆落差◆
 参院補選の大躍進に比べて、衆院七区補選は惨敗と言って良かった。二〇〇〇年六月の総選挙に続き、再挑戦の稲葉修敏氏は…六千八百九十票。前回の一万五百票を約四千票も減らした。…小島氏は、七区で三万二千四百七十五票を獲得した。同区で善戦した自由党新人、加藤真砂子氏の三万四千六百八票に匹敵。稲葉氏は、小島氏の五分の一に近い。
 党県委員会は「自民党と中村派の代理戦争に飲まれた」とみる。

 ◆再浮上?◆
 統一地方選は、かなりの善戦だった。共産党は今回、十六市町議選で三十人を立て、改選数を一つ減らしたが、前回と同じ二十六議席を維持。水戸市長選も、過去最多の一万六千票、取手市長選も五千票を上回った。
 議員選の候補者数が、四年前に比べて七人少なく、県内の政治関係者間では、「守りの選挙」との指摘もあったが、擁立した十六市町議選中七つで定数削減。日立、鹿嶋が四、水戸が三、下館、古河、水海道、五霞が二つ削減されている。
 その中で、下館では初めて三人、水戸も前回と同じ四人、古河も前回と同じ三人を擁立。…積極的な選挙戦だったとも言える。
 今回は、過去最多だった前回に並ぶ二十六議席で、地方議員総数も前回と同じ八十四人に。公明党との差は、四年前の八が二十七に拡大したものの、県委員会の幹部らは…表情が明るい。

岡田氏が史上最多得票 補選で来夏通常選の票固め
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo10.html

 ◆空前◆
 最終的に、岡田氏が得た票は七十一万七千を数える。これまで、県内の参院選での最高記録は、一九七五年の補選で郡祐一氏が得た約五十六万八千票だった。その記録を超えること約十一万票。空前の大量得票となった。
 他の全県一区選挙と比較しても、上回るのは一九六三年の知事選で、岩上二郎氏が得た八十一万六千票だけだ。参院通常選の最高は、二〇〇一年に狩野安氏が得た五十四万票。橋本昌知事は、九七年の五十八万九千票が最高だった。
 岡田氏は、県議選で二万八千票、水戸市長選が六万票と、全て記録を塗り替え、今回も記録更新を狙っていた。

 ◆気配り◆
 告示前、結城市の永岡洋治演説会で、同市の平塚明市長が、永岡氏に触れずにあいさつを終え、握手を求める永岡氏に背中を向けた。市長は自分の会合に、岡田氏を呼んでも永岡氏は呼ばない。中村喜四郎・元建設相の影を見せつけた。
 だが、対応の差は他にも原因がある。ある自民党関係者は言った。「目線や腰の低さ、柔らかさが違う。県連大会も、一時間前に来て握手する岡田さんと、遅刻直前に壇上に来た永岡さんじゃ、会場からの拍手が三倍は違ったはずだ」。
 参院議員秘書上がりの岡田氏は、典型的な気配り型の政治家。自らも、「信条は御用聞き政治」と明言する。「自ら農業委員にまで、電話で選挙協力を頼んでいる。選挙で、彼に勝てる人はいない」。県内のある首長はつぶやいた。
 当選した夜、選対本部長の関宗長・党県連副会長は、「岡田さんの人柄が評価された」と強調。自身の市長選得票記録は今回、加藤浩一氏の七万八千票に抜かれたが、岡田氏の参院票のうち、水戸で八万二千票と加藤票を上回った。岡田人気の根強さを物語る。

 ◆衝撃と余波◆
 …民主党県連は、別の意味で心配の種が増えた。「…野党票が割れると、自民党の二議席独占が現実味を増す」と。
 七十二万票は、…自民党県連などが、総力を上げた結果でもある。「かつて、竹内(藤男・前)知事は、参院で五十三万取った種田誠氏を恐れた。知事選前に神経戦があるかも…」。そんな声も聞こえる。

95とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:24:51

県連と県庁の勢力争いとかがあるのか。
>>94
>七十二万票は、岡田人気だけによるものではない。自民党県連などが、総力を上げた結果でもある。
>「かつて、竹内(藤男・前)知事は、参院で五十三万取った種田誠氏を恐れた。知事選前に神経戦があるかも…」。
>そんな声も聞こえる。
は県連と県庁の対立のことに触れたもののようだ。

無所属の大半は党員 公認減でも痛手なし
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo11.html

 ◆大勝利◆
 「大勝利ということだよ」。十二日夕、大洗町の大洗パークホテルで、自民党県連の懇親会が開かれた。山口武平会長ら県議、衆参統一補選で当選した永岡洋治氏、岡田広氏、水戸市長となった加藤浩一氏らが出席。上機嫌だった。
 実際、同県連にとって選挙結果は悪くない。衆院七区補選では、宿敵の中村喜四郎・元建設相派と対決。永岡氏が、吉原英一氏に約二万票差をつけた。参院補選も、岡田氏が約七十二万票で、共産党の小島修氏に圧勝した。
 市町村長選は現新六人を推薦し、敗北は新治村の御田寺義也氏だけ。水戸市は加藤氏が初当選、山方町で三次眞一郎氏、七会村で阿久津藤男氏が再選を果たし、日立市は樫村千秋氏、十王町も和田浩一氏が無投票当選した。
 市町村議選も、常陸太田市の十五人を筆頭に、水戸市で四人、古河市で二人と計二十人を公認した。当選者は十九人。常陸太田で一人を落としただけだった。市町村議選は個人選挙だが、こちらも完勝と言っていい。

 ◆入れ替え◆
 今回の統一地方選は全国的に、四年前より脱政党色が強かった。とはいえ、茨城は全国有数の自民党王国。首長選推薦は前回同数だが、定数削減もあってか、議員選は公認候補数、当選者数ともやや数が減った。
 選挙戦で自民を名乗ったのは、水戸市が前回と同じ四人だが、常陸太田市が十五人、定数二減の古河市が二人と、それぞれ前回より二人少ない。江戸崎町は、前回の四人がゼロに。これに伴い、当選者も前回の二十四人から四人減った。
 とはいえ、自民党は自分党連合会。選挙に出たい人が、自ら後援会を組織し、公認を得て党に参画する。「議員から見れば自分党、支持者から見れば先生党」の指摘も。旧社会党や公明党、共産党など、典型的な組織政党や、民主党とも党の在り方が全く違うわけだ。
 公認の候補、当選者が減っても、実勢にはほとんど影響がない。県連の大高松男事務局長らは強調する。「無所属の多くは党員。県議さんや国会議員との関係も深く、ほとんどがうちの議員さんと変わりない」「公認と実質自民党が入れ替わっただけだ」。

 ◆直結◆
 「県都・水戸に史上初めて、自民党県連に直結した市長が誕生した。加藤さんは、山口会長直系と言っていい。橋本知事の再選戦略も、ちょっと狂ったんじゃないか」。複数の県政通がそうささやく。
 岡田氏も、自民党参院議員秘書、同党県議を経て水戸市長になった。加藤市長と似たものなのだが、出馬に至る過程が全く違うという。岡田氏は従来通り、地元主導の擁立劇だったが、加藤氏は県連の影が大きいというのだ。
 同市長選をめぐり、一つのうわさが密かに語られている。「県出身の市長が増えた。県職員の市町村派遣も、竹内知事時代よりも各段に多い。橋本知事の再選戦略だろうが、県都を県連が押さえたことで、またまた水面下の神経戦が続く」と。
 別の関係者も推測を交える。「加藤さんは、県連から選択を迫られたらしい。『市長を取っても、将来の幹事長でもいい』と。ぜいたくな悩みだけど、県連の本音は市長だったと思うよ」。選挙は複雑な政治力学を垣間見せる。

96とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:28:22

むぅ新社会党涙だなぁ。。

社民はこの時は協力できずだったが03総選挙では民主が候補者を立てられなかった梶山の4区へ1区で出馬予定だった大嶋修一を回して1区とバーターしたが惨敗。
次はどうなるか?

社会党分裂の傷跡深く残る 民・社は停滞、新社は後退
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo12.html

 ◆県都進出◆
 国政の野党第一党、民主党が県都・水戸市に初の議席を得た。県議選は、四年半前と昨年暮れに続けて苦杯をなめ、四年前の前回市議選では擁立もできなかっただけに、上々の結果と言ってもいいだろう。
 民主党は今回の統一地方選で、公認七、推薦七の計十四人で臨んだ。数は前回と同じだが、公認は三から七に増えている。公認に限ると、下館市で一人落としたものの、日立市の四人、水戸市、牛久市の一人と計六人が当選した。
 しかし、定数を四つ減らした日立市では、前回七人いた労組系無所属が三人に激減。無所属の推薦から、公認に切り替えた候補が二人おり、実数は差し引き二人減ということになる。その上、市民派の推薦候補を一人落とした。
 公認、推薦十四人の当落は十二勝二敗と、前回の十三勝一敗から後退している。党県連の事務長役、坂田勝巳常任幹事は「全体では増えていない」とし、前日立市議の千葉広常任幹事も「厳しい見方をしないといけない」と戒めた。

 ◆踏みとどまる◆
 社会党から分裂した民主党、社民党、新社会党のうち、本流といえる社民は、苦戦を伝えられた水戸で現職、新人各一人を当選させて勢力を維持した。全県で、四人を公認して全勝している。ある労組幹部は「よく踏みとどまった」。
 とはいえ、連合茨城主流をはじめ、従来は社会党を支えた労組は、民主党へのシフトがいよいよ強まった。党員の高齢化も進みつつあり、単独で党勢拡大するのは難しく、労組や野党間の協力が不可欠となる。
 そんな背景もあり、衆院七区補選に絡み、民主党と自由党の三党で連携を模索した。自由党本部の渡辺秀央選対委員長、民主党県連の大畠章宏代表が働きかけ、県内の三党が二月にトップ会談を実現。民由社の協力で仮合意した。
 衆院七区補選の自由新人、加藤真砂子氏への支援が、常任幹事会へ諮る前に報道され、古参党員たちから猛反発を食う。統一地方選での三党協力も消えた。今回の選挙には響かなかったが、今後に展望を持たせるには、野党協力の再構築が不可欠なようだ。

 ◆ダメージ◆
 新社会党は、いっそう厳しい局面を迎えた。初代委員長、矢田部理・元参院議員ら、国会議員がゼロになって以降、地方からの再生を目指し、数年来取り組んできたが、土浦市で虎の子の議席を失った。計り知れないダメージと言っていい。
 国会議員のいない同党は、公選法の政党要件を失い、国政選挙の議席回復も、現状では極めて厳しいが、前回の統一地方選では公認三人を立てて土浦、下館両市で新人二人を当選させている。地方から党勢を固める戦略だった。
 そのため、今回は両市の現職二人、前回も立てた県都・水戸に加え、牛久市には参院選に立てた候補を擁立。議席倍増を狙ったが、かなり善戦をしながら、当選ラインに達せず、下館の一議席を守ったにとどまる。
 土浦では、現職が九十六票差の次点に泣いた。水戸市では、女性会議のメンバーを立てて、党支持者以外の票も集め、前回実績より二百三十票上乗せ、順位も三十四位に上げたが、削減された定数三三に阻まれた。党分裂の傷は深く、再生の道は厳しそうだ。

97とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:29:12

http://64.233.167.104/search?q=cache:sRXWpric8EcJ:www.yomiuri.co.jp/election/local2003/latter2/yj08.htm
茨城県・市長選開票結果

水戸市  (選管確定)
得票数
(得票率) 氏名 年齢 現職肩書き 所属 現新別 当選回数
当 78,092 加藤 浩一 60 前県会議長 無所属 新 1
  16,585 小室 たか 53 党市副委員長 共 産 新  

古河市  (選管確定)
得票数 氏名 年齢 現職肩書き 所属 現新別 当選回数
当 17,916 小久保 忠男 56 市長 無所属 現 2
  14,864 中田 俊男 67 乳業会社長 無所属 新  

水海道市  (選管確定)
得票数 氏名 年齢 現職肩書き 所属 現新別 当選回数
当 10,099 遠藤 利 75 市長 無所属 現 3
  8,700 永野 博敏 53 元市職員 無所属 新  
  6,648 神林 弘 61 会社役員 無所属 元  

取手市  (選管確定)
得票数 氏名 年齢 現職肩書き 所属 現新別 当選回数
当 9,916 塚本 光男 50 元市職員 無所属 新 1 =連合全面支援
  7,364 大橋 幸雄 75 市長 無所属 現   =元自民党県議
  7,249 藤井 信吾 43 元保険会社員 無所属 新  
  5,151 塚越 恵子 58 前県議 無所属 新  
  3,138 岡田 重信 64 会社社長 無所属 新

98とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:31:53

連合茨城復権へ手掛かり 取手市長に労組幹部
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo13.html

 ◆身内が市長に◆
 取手市長選で、連合茨城の下部組織、県南地協の議長、塚本光男氏が初当選を果たした。元自民党県議の現職市長、大橋幸雄氏に約二千五百五十票差をつけ、連合にとっては、初の組織内市長誕生だった。(とは註:内実は政治勢力のねじれを含む複雑なもの>>99)
 三選を果たした水海道市長、遠藤利氏も元関東鉄道労組委員長。直系で、労働界の実力者だったが、市長になった時は現役を退いている。会長職にとどまり、関鉄労組は組織内としたが、連合としては準組織内の扱いだった。
 しかも、土着の遠藤氏と違い、塚本氏は元々が新住民。市役所の職員とはいえ、市内の組織人員もさして多くない。上滑りの不安もあったが、連合茨城が総力を挙げ、接戦の予想を覆して市長の座を射止めた。
 遠藤氏も安定した戦いで、若い次点候補に約一千四百票差で三選。茨城町長選も、職員組合や議会と対立した現職、木村睦氏と全面対決し、不利とされた予想の中、自治労県本部が町議会と組んで、連合茨城が推薦した元県警幹部、佐藤順一氏の初当選を実現した。

 ◆初の組織割り◆
 定数が三つ削減された水戸市議選では、民主党一人、社民党二人、民主推薦の労組系無所属一人と、初めて推薦した候補に、連合主導で傘下労組の振り分けを行った。過去二回の県議選、総選挙のように、共倒れは避けたかった。
 労組の組織割りには訳がある。二〇〇一年夏の参院選以降、労働界や民主・社民の退潮傾向は明らか。加えて、民主の新人は二十五歳、社民の新人も三十一歳と若い。知名度に限界があり、組織票を担保して底上げする必要があった。
 特に、労組の組織力結集に腐心する。責任労組に選対本部長、事務局長を割り当てた。民主の新人には全逓や情報労連、社民の新人は茨教組と私鉄、無所属現職は出身の電力総連など。社民の現職は、推薦依頼が遅れたが、出身の自治労が切り盛りした。
 労働界はかつて、同市議会に社会党五人、民社党一人の計六議席を持っていた。定数が三つ削って最初の選挙だけに、四人全員の当選は上々の結果と言える。連合茨城政治センターも、「力強い支援、協力が見事に結集したと自賛する。

 ◆勝率93%◆
 連合茨城は今回、衆院七区補選一人、市町長選六人、市町議選二十六人の三十三人を推薦した。首長選は無競争を含めて全勝で、全体でも衆院補選を含め三十勝三敗。地方選だけの勝率は93・8%だった。完勝と言っていい。
 統一地方選は、労働界の復権を賭けた戦いだった。一昨年の参院通常選では、民主党現職の小林元氏を、順当に当選させたものの、比例選挙の県内得票では、初めて公明党に敗れて第三党に。全国的にも惨敗だった。敗れれば、連合の政治力は地に落ちかねない。
 特に、来年は参院通常選が控える。現職の郡司彰氏は、元県農協労連書記長。連合としても、身内中の身内だけに落とせない。笛吹けど踊らない昨今の労組だが、取手や水海道の市長選、茨城町長選、水戸市議選などでは本気になった。
 それだけに、同政治センターも結果を前向きに評価する。十五日に大洗町で開かれた三役会議、執行委員会では、岡野文昭事務局長が「特に、取手市長選は展望を切り開く勝利」と総括。総選挙、参院選に向けた早めの準備を訴えた。

99とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:32:14

取手市長選で政党混迷 背景に地域事情と怨念?
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo14.html

 ◆ネジレ現象◆
 昨年十二月三十一日。水戸市梅香にある県労働福祉会館四階の連合茨城に、三区選出の自民党衆院議員、葉梨信行氏の後継者とされる女婿、葉梨康弘氏が海老沢政次会長を訪ねた。連合茨城の執行委員、県南地域協議会の塚本光男議長と共に。
 用件は四月の取手市長選で、塚本氏を担ぎ出すための打診だった。「本当に、連合も一緒にやってくれるんですか」。葉梨氏はそう迫り、海老沢会長も承諾。会長は既に同月十八日、塚本氏の相談にゴーサインを出していた。
 基本的な陣形は固まったものの、出馬表明までかなりの時間がかかる。というのも、塚本氏は市採用で市民となった新住民。地元に根差すのは夫人の家系だが、その父は大橋氏の後援会幹部だった。説得するのに一苦労したようだ。
 結局、自民党の葉梨衆院議員、鶴岡正彦県議、同系の菊地勝志郎元市長が、連合幹部の塚本氏を担ぎ出し、民主党の小泉俊明衆院議員は、元自民党県議の大橋幸雄市長を支援した。ネジレも極まる選挙戦と言っていい。

 ◆内紛の起源?◆
 葉梨氏や鶴岡氏は保守本流。民主、社民両党に近い労組幹部には抵抗がある。当初、菊地元市長の子息を考えたし、鶴岡氏を推す声もあったが、「いかにも対立の構図に映る」と、中間派的な塚本氏に白羽の矢が当たった。
 背景は、大橋市政への不満だとされる。具体的には、市町村合併をめぐり、周辺市町村から孤立したためだった。「大橋市長では、取り残されてしまう。吸収合併を言っては、周りが乗ってこない」。鶴岡氏は、周囲にそう語っていた。
 実際、塚本氏の選挙公約は、広域行政の積極推進を掲げ、合併をも示唆する記述もあるが、保守分裂の真相を他に求める声も。「表面のタテマエ以前に、葉梨氏と大橋氏の対立があった」と言うのだ。
 ある自民党関係者は言う。「三区は、葉梨さんと中山利生さんが世代交代期。葉梨さんは、婿さんを地元秘書とし、先行しようと市長就任を狙い、自派の大橋さんに猛反発を食う。大橋さんは総選挙で、民主党の小泉さんを支援した」。

 ◆交錯の連鎖◆
 混乱と対立は、自民・保守だけではない。民主・連合の陣営も内紛を抱えた。民主公認、連合茨城推薦で、衆院議員となった小泉氏は、以前から親しい大橋氏の支援に回る。告示の十五日も、大橋氏の出陣式に出席。壇上に立った。
 小泉氏は元々、自民系市議だったが、四年前の県議選で民主、公明、自由の三党と連合の支援を受けて次点。前回総選挙では、民主党公認、連合茨城推薦で、重複立候補の比例区で当選した。貸し借り関係も複雑だったのだが…。
 塚本陣営も、政党に支援を求めなかった。同市は茨城都民ら新住民が多い。総選挙では、民主の追い風を受け、小泉氏が葉梨氏の得票を上回り、定数二六の市議会は共産党が第二勢力。住民意識は都内に近く、自陣の混乱を脱政党戦略に変えた。
 五人の有力候補が乱立し、大橋氏優位が伝えられたが、四年前に大橋氏を推した公明党が、「中立」を宣言することで、前回市長選の得票構造が大きく崩壊。塚本氏のソフトムード、連合の全力投球もあり、大接戦の予想を覆した。

100とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:33:42
>>98-100

>年内にも解散・総選挙があり得る。早い時期だと、この余韻は残りそうだ。厳しい
善戦である。葉梨・中山のコスタリカが崩れてってのもあるかもしれぬ。またこの辺は茨城の中でも東京に近い都市型選挙区であるし

■2003年選挙得票
1 葉梨康弘  自由民主党 新 102,315 当選
2 小泉俊明 民主党 前 92,306 比例区当選
3 上野高志 日本共産党 新 14,546

民主党、また内紛状態 取手市長選で応援割れる
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo15.html

 ◆自主投票◆
 民主党県連は、取手市長選で迷走した。支持母体の連合幹部、塚本光男氏が立候補。こぞって支援するはずが、地元の小泉俊明衆院議員は、市議時代から大橋幸雄市長と近い。押しの強い小泉氏に、寄り切られて「自主投票」を決めた。
 選挙の扱いを決める常任幹事会には、めったに顔を出さない小泉氏が出席した。関係者の話を総合すると、「塚本の後には、自民党の葉梨(信行衆院議員)がいる。カイライだ」「勝てっこない」とまくしたてたという。
 無論、推薦を求める声もあったが、代表の大畠章宏衆院議員、代表代行の小林元参院議員、副代表の郡司彰参院議員、幹事長の長谷川修平幹事長は労組、県庁など組織出身で割におとなしい。小泉氏の激しさに口ごもるだけだった。
 小泉氏は「大畠も、小林先生も、郡司も、長谷川も何も言っていない。民主党県連は一致している」と強調。別の出席者は反駁する。「小泉さんは、大声でねじ伏せようとし、他の国会議員や県議は反論しないだけ。いつものことだ」。

 ◆どっちも…◆
 対決の構図は複雑を極めた。小泉氏は、「塚本さんのバックは自民党。筋を通すべきだ」と言うが、ある関係者は「大橋さんは実質自民。小泉さんも復党のうわさがある。言えた義理か」。言わば、目クソ鼻クソの議論だった。
 大橋氏は、葉梨派の元自民党県議。小泉氏も、葉梨氏、大橋氏に近い自民系市議だったが、前回総選挙に民主党公認で立ち、葉梨氏、中山利生衆院議員ら、自民党長老に世襲批判を浴びせた。大橋氏は、小泉氏の支援に回り、葉梨氏との反目を決定的にする。
 それでも、運動員を動員し、ポスターを張り、チラシを配り、支持カードを書き、電話をかけ、支持を呼び掛けるなど、最大限の協力をしたのが連合だった。中心にいたのが、県南地域協議会議長の塚本氏。貸し借り関係も単純ではない。
 結局、小泉氏は以前からの関係を重視。地元では、川口浩県議と大橋支援に回ったが、結果は塚本氏が大差で初当選を果たした。ある関係者は言った。「連合を甘く見た。労組は最近、めったに力を出さないが、本気になればこんなものだ」。

 ◆決別宣言?◆
 「どんな事情があるにせよ、我々が支えてきた仲間に、弓を射るような行為は極めて残念だ」。一日の水戸市三の丸。茨城教育会館のメーデー集会で、連合茨城の海老沢政次会長は、壇上の小泉氏を事実上名指しで批判した。
 骨肉の選挙戦直後だけに、当初は党、連合共に誰もが小泉氏の欠席を想定。会長あいさつも、予定稿はもっと激しく、事実上の決別宣言となるはずだったが、本人を前にして遠慮した表現に改めた。
 さすがに、強気一点張りの小泉氏も、会長あいさつはショックなのか、顔が見る見る青ざめ、目を激しくしばたかせて落ち着かなかった。出席者からは、「愛の鞭」のささやきと共に、「除名だ」の怒声も上がった。
 実際、労働界の怒りは凄まじい。県内どこへ行っても、「小泉が裏切った」の話題が渦巻く。県連に不安の種が増えた。「年内にも解散・総選挙があり得る。早い時期だと、この余韻は残りそうだ。厳しい」。ある県連幹部はつぶやいた。

101とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:34:04

えらい複雑やねぇ。。結局保守の人脈の対立が主で労組・民主は従なんだよなぁ。。

茨城県議会議員選挙(2002年12月8日)
◇水海道市(定数1)
当 11390 長谷川典子(無新、59歳、初当選)=中村派市議
   8337 杉田光良(自現、65歳) =山口武平・遠藤市長(関鉄労組出身)

水海道市  (選管確定)
得票数 氏名 年齢 現職肩書き 所属 現新別 当選回数
当 10,099 遠藤 利 75 市長 無所属 現 3 =武平・私鉄総連
  8,700 永野 博敏 53 元市職員 無所属 新
  6,648 神林 弘 61 会社役員 無所属 元

水海道市もねじれ選挙 市長選と衆院は連動
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo16.html

 ◆延長戦◆
 水海道市は政争が激しい。市長選は過去四回、元労組幹部の遠藤利氏、中村喜四郎・元建設相に近い前市長、神林弘氏の激しい一騎打ちで二勝二敗。五度目の対決は、市職員の永野博敏氏が加わり、三巴(どもえ) の戦いを遠藤氏が制した。今回は、暮れの県議選の延長線だった。県議選は、自民党県連の山口武平会長、中村喜四郎・元建設相が、水海道市でも激しい代理戦争を展開。中村派が推した市議、長谷川典子氏の前に、会長側近の自民現職、杉田光良氏が涙を飲んだ。
 しかも、単なる「山口・中村戦争」ではない。市内のある事情通は、市長選の前哨戦だったと証言する。「杉田さん、遠藤さんは、後援会の関係者がほとんどダブっている。反遠藤派は、市長選に活路を求めて中村派と組んだ」。
 遠藤氏の前職は、私鉄総連の関東鉄道労組委員長。私鉄は社民党に近いが、遠藤氏と自民の関係も深い。遠藤氏の出陣式で、杉田氏は壇上に上がらなかったが、選挙戦の最中に山口会長が来る計画も。永岡洋治氏が、衆院七区で苦戦。実現しなかったが…。

 ◆笛吹けど…◆
 分裂状況は、保守派・自民系に限らない。連合茨城と民主党県連は、市長選で遠藤氏、市議選で高杉徹氏、衆院七区補選も同市の開業医、自由党新人の加藤真砂子氏を推薦した。連動できればいいのだが、複雑な人間関係がそれを阻止する。
 遠藤氏と関鉄労組、水海道地域協議会は、加藤氏との関係がかんばしくない。対立の起源は八年前の市長選。遠藤氏と近所の加藤氏が、神林氏の応援をしたと噂された。デマと分かるが、溝はそのまま埋まらず、高杉市議とも仲は良くない。
 しかし、加藤氏の父は先々代市長、落合庄次市長の後援者で、遠藤氏は落合後継と、かつては親しい関係だった。九四年の県議選は、加藤氏に側面協力したが、九八年の県議選は、民主、連合が推薦しても、地協が動かない今回の構図に。
 このため、加藤陣営は人手に苦しむ。組織のない自由党は、本部の渡辺秀央選対委員長が再三、連合茨城の海老沢政次会長に支援を要請。海老沢会長は、「思いはわかるはず」としたが、現場は笛吹けど踊らずの状況だった。

 ◆後継は誰?◆
 古い遺恨で、自由党の望んだ結集は破たんする。市長選は事実上、村山・橋本内閣風の自社連立路線。衆院補選は、民主党との合流や七区、参院選の相互協力など、両党の思惑が先行するばかりで、支持組織の足元には連動しなかった。
 それでも、加藤氏は同市で一万二千票を得てトップ。市長選の遠藤氏より二千票近く多い。七区全体でも、当選した永岡氏の約半分を得た。総選挙で重複立候補し、ほぼ同数を確保できれば、比例区で議席を得る可能性が残る。
 同時に、昨年暮れの県議選と今回の市長選、市議選の結果、四年後に微妙な影響があるようだ。ある事情通は言った。「遠藤さんは七十五歳。四選はない。神林さんは、今回三位となったことで、次の芽はなくなったと言える」。
 別の政治関係者も指摘した。「以前は、長谷川さん後継説があったが、県議選の流れから難しいだろう。次点の永野(博敏)さんも、有力候補には違いないが、市議選でトップ当選した高杉さんも、後継者の資格を得たんじゃないかな」。

102とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:34:36

水戸市長選、加藤氏に水面下の反発 無投票回避した水戸市市長選
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo17.html

 ◆史上最高も…◆
 水戸市長選は、前県議会議長の加藤浩一氏が、圧倒的得票で念願の初当選を果たした。得票は七万八千九十二。共産党新人、小室たか氏に六万一千五百票差をつけ、岡田広氏の持つ六万票の記録を更新した。
 とはいえ、喜んでばかりはいられない。同日選挙となった参院補選の水戸市分で、岡田氏は八万二千百九十二票を獲得した。その差はちょうど四千百票。ソフトで女性受けする岡田氏、無骨で横柄と誤解される加藤氏の差でもある。
 しかし、二人の得票を分ける要因は、他にもあったとの説がある。「笠原に計画中の巨大商業施設だよ。加藤さんは開発業者と親しい。中心商店街や下市など、旧市街地の支持者に反発があったようだ」。ある市議はつぶやいた。
 「隣町と合併しても、エリア人口や商圏人口は変わらない。郊外に巨大施設ができたら、我々は消費者を奪われて壊滅する。今だって、県庁移転と南口開発で四苦八苦なのに…」。商店経営者らの嘆きが、二人の票差に影響したというのだ。

 ◆クーデター未遂◆
 既存商店街の反発を背景として、クーデター計画も練られていた。当初、うわさされたのが複数の若手市議と弁護士ら。次いで、実業家らの名前が挙がった。「有力者が出れば勝てる」。市議会でも、そんな声が上がっていた。
 それでも、加藤氏の大本命は変わりない。本来なら、三期前に転出予定だったが、岡田氏に先を越され、前々回と前回も岡田氏の参院選、知事選転出がなくなり、ズルズル先送りされたが、地元への思いは変わらない。満を持していた。
 そのさなか、一月二十日に加藤氏が県会議長へ就任。ハクつけ人事批判が水面下に起こる。「断るべきだった。『市長選に出るから』と断った方が格好いい」。市議会の市長与党には、今でもそんな声がある。
 一方、別の解釈も聞こえた。「将来の幹事長と市長。自民党県連は、加藤さんに選択を迫ったらしい。ぜいたくな悩みだが、巨大商業施設に絡み、支持者に『市長転出は筋違い』の声もあった。議長就任は、それも影響しているのでは…」。

 ◆直前立候補◆
 今回は、直前まで無投票がにおった。共産党の出方も微妙で、党県委員会も「苦しい」を連発。市議会筋や市役所内でも、「共産党が出さないと無投票だ。県都の市長選がそれでいいのか」。四月初旬までそうささやかれていた。
 「(共産の)中庭(次男)さんは、商業施設問題を全く追及しない。以前、この問題は共産党が激しく迫った。今回は、市長選に対抗馬を出す気はないんだよ。厳しく追及しては、出さざるを得なくなるから」。そんなうわさが市議会に流れた。
 ある市議は解説する。「あちこちで定数削減され、党勢の維持・拡大が大変だからね。衆参補選が年二回に集約され、今回は茨城で二つ重なり、戦力が分散してしまって苦しい。市長選だって、岡田さんの参院転出に伴うものだし…」。
 結局、保守系の対抗馬擁立が不発に終わり、四月九日に小室氏が、「無投票当選はさせない」と出馬表明した。市議選、参院補選と連動させ、市長選では同党候補としては過去最多の一万六千五百票を獲得。市議選も目減りを抑え、票割りで四議席を死守してみせた。

103とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:35:43
>>102
>うわさされたのが複数の若手市議と弁護士ら。次いで、実業家らの名前が挙がった。
誰だったのでしょうかねぇ・・

104とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:35:54

茨城町長戦で佐藤氏当選 「町政刷新」の訴え実る
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo18.html

  ◆嫌気◆
 茨城町長選は、無所属新人の元県警幹部、佐藤順一氏が初当選を果たした。告示直前に新人の前町議会副議長、高橋良雄氏が立候補を表明し、一時は「反対票が分散して現職の木村睦氏が有利」とも観測も流れたが、結果は下馬評を覆した。
 選挙戦の争点は、「木村町政」の評価一本だったと言える。木村氏は四年前、町政刷新を掲げて初当選。当初から、町議会や町幹部、町職員組合と対立を繰り返し、毎年のように予算案が否決された。「根回しなし」は町政混乱を招いた。
 町民には、町議会や町幹部、町職への批判、木村氏への根強い支持もあるが、「根回しなし」はいたずらな混迷を生む。「小泉人気でも、改革が進まないのが良い証拠。まして、対立を改革と言うようでは…」。ある政党関係者は指摘した。
 町民も、対立に嫌気が差したようだ。「普通、新人二人なら現職優位だろ。校舎問題の滋賀県豊郷町長選がいい例。第三の候補は、現職の戦略とのうわさもあったが…。八百票差は、『いいかげんにしろ』ということだろう」との声もある。

 ◆自爆覚悟?◆
 佐藤氏を支えたのは、町議と町役場関係者、町職員組合などだった。議会は、立候補した高橋氏を除く全員。町内外の団体も多くが支援した。連合茨城も推薦し、町職が加わる自治労県本部も、全力投球で選挙戦に取り組んだ。
 集会への動員は一騎打ちの様相だった。告示の四月二十日朝は、一千人を数えた木村氏に比べ、三百人程度で遅れを取るが、同日夕の出陣式は一千二百人を動員。「平日だから、朝夕を単純比較できないが…」。読めない選挙戦に苛立った。
 しかも、佐藤陣営には不安がつきまとう。選挙戦の途中、「佐藤氏は勢いがない。むしろ、高橋氏の方が…」のうわさも立つほどだった。新人二人の主張は、議会との対立解消を柱とし、「正常化」で良く似ている。危機感を深めた。
 そのためか、自治労関係は町職員組合に加え、応援部隊も茨城町へ次々に乗り込んだ。「負ければ、人事で制裁が待ってるのに、『座して死を待つよりはいい』と、自爆覚悟で出掛けて行くんだからね」。自治労傘下の労組幹部がつぶやく。

 ◆正常化◆
 開票の結果は、佐藤氏が約九千票、木村氏が約八千二百票、高橋氏が約一千八百票だった。町民の「安定志向」もあり、高橋氏の得票は伸び悩んだ。

105とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:36:18

水戸市 編入2005.2.1 水戸市, 東茨城郡 内原町
城里町 新設2005.2.1 東茨城郡 常北町, 桂村, 西茨城郡 七会村 新町は東茨城郡所属←七会村では笠間市との合併を主張する動きも。更に将来は水戸との合併も。
那珂市 編入/市制2005.1.21 那珂郡 那珂町, 瓜連町
常陸太田市 編入2004.12.1 常陸太田市, 久慈郡 金砂郷町, 水府村, 里美村
常陸大宮市 編入/改称/市制2004.10.16 東茨城郡 御前山村, 那珂郡 大宮町, 山方町, 美和村, 緒川村 ←太子町は単独。山方町で太子町との合併を模索する動きも
笠間市 新設2006.3.19 笠間市, 西茨城郡 友部町,岩間町

>県都には、岩上二郎知事時代、竹内藤男知事時代から、「水戸・日立百万都市構想」「水戸・ひたちなか七十万都市構想」があった。岡田広前市長は以前、水戸市、茨城町、常澄村、大洗町の頭文字を取り、「MITO」構想を提唱している。
内原に続き茨城町とも合併交渉へ。ひたちなかや大洗と合併して政令指定都市を目指しては如何?

山方町長選、現職当選で合併に弾み 山方、七会など心配解消
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo19.html

 ◆決着◆
 山方町長選は、無所属現職の三次真一郎氏が、四年前に接戦を演じた同新人、小河原欣也氏を退けて再選された。三次氏の約三千五百票に対し、小河原氏は約二千五百二十一票。一千票以上の差がつき、ライバル対決が決着した。
 同時にそれは、同町周辺の合併が進むことをも意味する。というのも、山方は、大宮町と御前山村、緒川村、美和村との合併を目指して、既に法定合併協議会を発足させた。このまま合併となれば、これが最後の町長選となる。
 今回の選挙戦で、小河原氏は告示直前に立候補を表明した。選挙公約には町村合併問題が含まれる。主張の基本は、お隣り大子町との関係。「生活圏の大子町との合併も検討すべきだ」。町長交代なら、枠組みが変わりかねなかった。
 当然、町内ばかりではなく、法定協議会を共にする四町村、合併を進める県も結果は気になる。それだけに、関係者は現職当選の報には安どの表情だった。「よかった。これで後戻りはない」。ある県庁幹部もそうつぶやいた。

 ◆順当勝ち◆
 肝を冷やしたのは、山方町だけではない。七会村長選も、結果いかんでは合併に影響が予想された。常北町、桂村との合併を決めた無所属現職、阿久津藤男氏に対し、同新人の小林千尋氏が、笠間市との合併を掲げて出馬表明する。
 対抗馬は元村議。一定の知名度はあるものの、なにぶんにも直前立候補だった。本来なら、大きな危機にはならないが、無投票当選有力とされただけに、準備も万端というわけにはいかない。争点が合併に絞られたのも気になった。
 七会は既に、城北地域の常北、桂と任意合併協議会を設置している。人口の多い笠間との合併では、村域から市議がほとんど出せない。熟慮の結果だが、村民には笠間を望む声も多い。「生活圏は笠間市だ」。小林氏の主張は驚異だった。
 結果は、阿久津氏が約一千百票、約七百票の小林氏と、四百票以上の差がつく。合併論争より、信頼による順当勝ちだった。「将来は水戸市と合併することになる」。阿久津氏は、二段階合併論を唱え、改めて城北合併に意欲を示した。

 ◆50万都市構想◆
 合併を促進する選挙結果は、現職町村長の再選だけではない。水戸市の加藤浩一氏は、周辺市町村との合併前提で、「五十万都市を目指す」と宣言。取手市の塚本光男氏も、「広域行政推進」を公約した。合併への環境は整いつつある。
 県都には、岩上二郎知事時代、竹内藤男知事時代から、「水戸・日立百万都市構想」「水戸・ひたちなか七十万都市構想」があった。岡田広前市長は以前、水戸市、茨城町、常澄村、大洗町の頭文字を取り、「MITO」構想を提唱している。
 一昨年、ひたちなか市との合併論が、水戸市議会で相次ぐ政争になり、ひたちなか市の議会、行政で合併推進の声が急激にしぼんだ。佐川一信市長時代、岡田市長時代を通じて、大洗町、常北町との合併も頓挫。デリケートな問題ではある。
 「五十万都市構想」とて、相手がなければ絵に描いたもちにすぎない。ひたちなか市は市長が交代し、すぐ合併できる環境ではない。しかし、茨城町長に合併を公約した佐藤順一氏に対し、加藤市長は、南側にも視野を広げることを示唆する。

106とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:36:49

結局4市町村での合併は破綻して別々に合併したのか・・。

土浦市 編入2006.2.20 土浦市, 新治郡 新治村
かすみがうら市 新設/市制2005.3.28 新治郡 霞ヶ浦町, 千代田町
稲敷市 新設/市制2005.3.22 稲敷郡 江戸崎町, 新利根町, 桜川村, 東町←美浦村が合併協議から離脱


新治村・合併の枠組み白紙化も どうなる新治や美浦、五霞
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo20.html

 ◆異変?◆
 新治村長選で異変が起きた。四期目を目指した無所属現職、御田寺義也氏がまさかの落選となった。わずか七十四票差。当選したのは同新人の完賀浩光氏。土浦市中心の合併に疑問を挟み、「住民投票の実施」を掲げていた。
 この対決は因縁深い。二十年前は、三選を目指した当時の村長と、汚職で失脚した元職が一騎打ちになった。結局、元職が返り咲きを果たし、現職は現金買収事件で摘発される。現職が完賀氏の父親、元職の事務局長が御田寺氏だった。
 以来二十年間、同村長選は前回まで五期連続で無投票。村民が政争を嫌ったのだが、御田寺氏の四選なら、土浦市、千代田町、霞ケ浦町との合併が決まる。そこに、完賀氏が「待った」をかけた。「つくば市との合併を望む声もある」と。
 当初は、現職安泰も言われたが、しだいに「接戦」の様相となる。結果は、三千九十六票対三千二十二票。御田寺氏には悔やまれる惜敗だった。ある県幹部は言う。「ずっと無投票当選で、選挙戦となるのは初めてだったからな」

 ◆ブレーキ◆
 今回の地方選は、「合併の是非」が最大の争点とされた。県内で合併が最大の争点となった首長選は新治村と山方町、七会村の三町村長選だけ。結果は、現職の二勝一敗だった。完賀氏も「合併は必要」とするが、「住民投票」となると、土浦中心の合併は微妙になる。
 実際、二日に初登庁した完賀氏は、「スケジュールにはこだわらない。住民に納得してもらえなければ、法定協議会に参加できないこともある」と強調した。つくば市の藤沢順一市長も歓迎の意向。枠組みが白紙に戻る可能性も出てきた。
 五霞町の「越県合併」にも微妙な影が。相手の埼玉県幸手市議選で、この合併に慎重な市議が多数派を占めた。しかも、上位当選者が集中する。一方、親五霞派の多くは下位に甘んじた。住民投票になぞらえば、厳しい結果と言える。
 幸手市の住民アンケートでも、久喜市との県内合併派が58%と多い。市議会の勢力も逆転を許した。白紙の危険もある。県内は、心配と嬉(うれ)しさ半々に見える。越県合併には橋本知事も理解を示しつつ、「残って…」が本音だったからだ。

 ◆独立宣言◆
 美浦村でも、無投票当選を果たした上野武雄村長が、再選直後に合併協議からの離脱を示唆。二十三日には、村の合併検討委員会で、「住民の意向」を強調し、村単独行政継続を表明した。事実上の「独立宣言」と言っていい。
 同村は、稲敷郡東部五町村で協議してきたが、村民意識調査の結果は、「単独行政」を含む慎重論が約七割。村長は「住民が望んでいない」とする。村内の日本中央競馬会の施設が、財政の豊かさを担保し、「独立心」を支えているようだ。
 全国的には、総務省主導の「大合併」に反発が根強い。二月には、長野県で反対派町村が全国集会を開催。「強制合併反対」を訴えた。小規模市町村から、権限と財源を奪う国側の私案は、全国町村会と同町村議長会の反対で頓挫している。
 茨城は全国有数の自民党王国。正面からの強制合併批判はないが、原子力施設群が財政を潤す東海村が、「単独行政」を宣言しているほか、本音は独立志向の自治体も少なくない。美浦村の動きが、他市町村に飛び火するかも知れない。

107とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:39:51
http://members.at.infoseek.co.jp/tohazugatali/seiji/2003ibaraki.html

◇水戸市(定数5)
当 18074 加藤浩一(自現、60歳、五選)=岡田(水戸市長→参院議員)系→水戸市長転身
当 15050 鈴木孝治(公現、49歳、四選) 
当 10598 大内久美子(共現、53歳、三選)
当  9626 木本信男(自現、58歳、三選) 
当  9213 川津 隆(自現、51歳、三選)  
   8986 舘 静馬(無新、35歳)  
   4832 岡野直治(民新、55歳) 
   4351 玉造順一(社新、31歳)→水戸市議選出馬当選
   1592 正村雅彦(無新、62歳) 

◇日立市(定数5)
当 16360 井手義弘(公現、46歳、三選)
当 15221 長谷川修平(民現、46歳、四選)
当 11946 今 一男(民現、55歳、再選)
当 11811 福地源一郎(無新、54歳、初当選)=日立市議?
当 10614 菊池敏行(自現、56歳、再選)
   8163 小森喜四朗(無新、自推薦、42歳)
   4755 内山英信(無新、51歳)=元日立市議会議長
   3473 藤田邦良(共新、51歳)
   2515 大和田知裕(無新、41歳)
   2063 村上昌宏(無新、由推薦、38歳)

速くも県議選転出説 大量票の市議にうわさと自信
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo21.html

 ◆記録破り◆
 水戸市議選で、県内の常識が一つ破れた。高橋靖氏が五千二百五十三票と、県内の市議選史上初めて、五千票の大台を突破して見せたのだ。もともと、高橋氏は県議選転出に意欲を持つ。県議会への切符を手にしたと言ってもいい。
 高橋氏は初当選以来、三回連続でトップ当選した。前回の四千五百票も過去最多だが、五千票超えは驚異的とも言える。同じ旧常澄村の現職一人が勇退。その分の上乗せがあるにしても、それだけで説明できる数字ではない。
 鳩山邦夫・元文相の秘書出身。元芸能人の(高木)エミリー夫人が、今回も応援に駆けつけた。人当たりもいい。旧常澄出の保守派だが、市全域やJR東労組ら、幅広い層の支持を集め、旧新進党関係者が「衆院でも…」とした人気を誇る。
 親分筋の加藤浩一氏が今回、県議から水戸市長に転じ、県議に転出する障害はない。「県議選で当選は固いはず。一年四カ月後の補選か、三年半後の本選挙は分からないが、県議選転出は間違いないだろう」。ある関係者はそう言った。

 ◆予備軍?◆
 転出のうわさは高橋氏に限らない。例えば、水戸市議会で三回連続二位の佐藤光雄氏。東京電力労組出身で、他の連合系労組幹部らは、以前から「出れば当選間違いない」とする。本人は否定するものの、水面下の有力候補には違いない。
 佐藤氏は初当選の時から、高橋氏とトップ争いを繰り返してきた。やや差が開き、目標の「四千票」に届かなかったものの、それでも前回よりやや票を伸ばしている。三千九百九票は、他の同僚議員を圧倒する得票と言っていい。
 東電労組は以前から、「県議はつくらない」としてきた。それでもうわさが絶えないのは、得票力だけが理由ではない。「水戸市議会は伏魔殿。一期目から、政争に巻き込まれて苦労した。嫌になる時もあるはず」。同僚議員らはそう推測する。
 市町村議の転出先が県議会とは限らない。首長選転出のうわさもある。例えば、水海道の高杉徹氏。「二千票」の目標は未達成だが、長谷川典子氏が県議に転出したこともあり、念願のトップ当選を果たし、「次は市長」とする関係者は少なくない。

 ◆転入◆
 転出がうわさされる人がいる一方、県議選に敗れて出戻りした大物市議、県議選から市議選に転身した若手もいた。日立市議会の実力者、内山英信氏は出戻り組、水戸市議に初当選した社民党新人、玉造順一氏は転身組の典型と言える。
 内山氏は、日立市議会の元議長。昨年暮れの県議選に立候補して惜敗した。去就が注目されたが、約二千八百票を得て十二位で当選した。選挙後、市議会の保守系が合同。「一方の実力者が、県議に転身した影響もある」とささやかれる。
 玉造氏も昨年の県議選で苦杯をなめた。四年前も口説かれたが、立候補表明間際で断っている。十二月が初挑戦だったが、民主党との間で調整できず、両党が候補者を立てたことで、連合系労組ら支持層も割れて落選した。
 水戸市職員組合幹部が言う。「『県議選の票が残っていた』は間違い。市町村議選は末端まで系列化され、浮動票がないので国政・県議選より困難。組織票も限られているし…。出処不明の票もある。次へ向けて固める必要がある」

108とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:40:57

女性議員数は史上最多の出馬 世代交代も着実に進む
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo22.html

 ◆男女共同参画◆
 女性の政界進出が、茨城でも本格化してきた。前々回からの傾向だが、今回は補選を含む二十市町村議選のうち、十七市町村で史上最多の五十五人が出馬。当選者の四十七人も記録更新だった。市長選にも、共産党系の二人が出馬している。
 八人出て六人当選した牛久市、五人全員が当選した下館市、五人出て四人当選した水戸市、四人全員が当選した石岡市、江戸崎町など、軒並み立候補者数、当選者とも過去最高となる市町が続出。定数が減る中、女性の存在感が増している。

 ◆削減と若手台頭◆
 水戸市で二十五歳の議員が誕生した。民主党新人の川崎篤之氏。共産党新人の江尻加奈氏も二十九歳、社民党新人の玉造順一氏が三十一歳…。現職にも三十歳代が三人おり、平均年齢は約五十三歳と、四年前より約三歳歳若返った。
 若手進出は水戸に限らない。二十歳代は古河市の一人、三十歳代も江戸崎町に三人、日立市、古河市、石岡市、下館市、水海道市、鹿嶋市、明野町に各一人誕生した、四十歳未満の当選者は十八人に上る。各議会に新風を吹き込みそうだ。
 これと裏腹に、長老や中堅の勇退も目立つ。水戸では保守系や共産党、社民党の実力者ら十人が一挙に辞めた。

 ◆連呼自粛◆
 選挙戦でも、変化の芽が見えた。日立市の保守系二会派が、公費負担の選挙カー自粛を申し合わせた。強制でなく、使った候補もいたし、他には広がらなかったが、県内初の「試み」として注目される。
 というのも、名前の連呼は騒音だし、道路渋滞の一因になり、市民生活の迷惑でもある。同市は、選挙カーに車と運転手、燃料代が公費から出る。候補者一人当たり七日間で四十五万一千五百円支給される計算。行政改革の流れを意識した行動だった。
 申し合わせたのは、保守系の「21活世会」「政友クラブ」。当時、議長だった佐藤三夫氏の提案で、両会派内で検討を重ね、所属議員全員の合意に達する。ハンドマイクを用い、辻説法中心の運動を模索した。
 もっとも、「全員が守らなかった。完全に守ったのは、言い出しっぺやベテラン」。ある選挙通は言う。実際、選挙の柱は知人の囲い込みで、地域の選挙になるほどその傾向は強い。連呼の優先順位は二〜三番手だが、選挙戦を変えていくかも知れない。

無党派・浮動票を意識 党派色薄めに各陣営腐心
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo23.html

 ◆脱色合戦◆
 今回の統一地方選は、全国的に「政党離れ」が指摘された。改革派知事らが、具体的政策を掲げて、マニュフェスト運動を展開。政治の閉塞(へいそく) 状況打破を目指したが、政党不信の無党派層を狙い、選挙対策の意図も合わせ持っていた。
 茨城は、全国有数の自民党王国。マニュフェスト派は皆無ながら、取手市長選では面白い動きがあった。元自民党県議の現職、大橋幸雄氏が「住基ネット反対」を表明。ジャーナリスト、桜井良子氏らの運動に賛同してみせた。
 全国的には、保守派中心の運動だが、イメージに非保守的に映る。「新住民、茨城都民などの無党派層を意識。連合系の塚本(光男)氏、共産党系の塚越(恵子)氏から、票を少しでも奪う作戦だったのでは…」との推測もあった。
 その塚本氏も、民主党県連内の分裂状況から、同党や社民党へ推薦を求めず、前共産党県議の塚越氏も、党派色を薄めて推薦で出馬する。結局、大橋氏から公明党が離れたこともあり、より色の薄い塚本氏に軍配が上がった。

109とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:41:49
選挙の集中は無党派層を選挙に生かせる効果はあるが自治体の費用や中小政党にとってはマイナスなのだねぇ。。

http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo24.html
信任投票、無投票も続出 現状維持望む民意か
 ◆無風◆
 国政選挙でも、「相乗り」と通じる動きが。岡田広氏の参院補選出陣式には、自民党の山崎拓幹事長と、公明党、保守新党の与党幹部が顔をそろえた。壇上ではないが、野党の社民党県連元幹部も出席。事実上の「信任投票」だった。

選択肢不在を生む力学 3重4重選挙で負担増も
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/senkyo25.html

 ◆策略?◆
 半世紀ぶりに無競争となった日立市長選をはじめ、十王町長選、利根町長選、波崎町長選、美浦村長選と、五つの市町村長選が無競争となった。市町村議選でも、石下町議選がやはり無投票。住民自治や民主主義の観点から言えば問題となる。
 茨城は、他の都道府県と違い、統一地方選に知事選や県議選が重ならないが、それでも首長選は市長選が五つ、町村長選も八つと、計十三あった。うち五市町村、町村長選に至っては、半数の四町村が無投票となったわけだ。
 しかも、当初は七会村長選、新治村長選も無競争と言われた。合併が既定方針になると、新しい首長の任期は短く、助役採用の有無も不明で、選挙に立つメリットも少ない。両村は合併確定前で、流れを変えようと新人が立った。
 水戸市長選すら、一時は無競争の可能性がささやかれる。共産党の動きも鈍かったから…。「政府の策略だよ。選挙が重なると、野党の選挙協力がやりにくく、戦力分散で無投票や無風区も続出する」。ある県庁幹部はつぶやいた。

 ◆底上げ効果◆
 無論、マイナス効果ばかりではない。投票率には集中効果があった。参院補選は39・61%。前回参院選の50・18%には遠く、四割にも満たないものの、一九九二年の参院補選は、22・34%だっただけに、かなり高い投票率と言っていい。
 市町村別に見れば、効果は一層はっきりしてくる。村長選、村議選とのトリプル選挙だった七会村は、村長選に引っ張られて94・86%となった。町長選と重なった山方町も90・25%、村長選のあった新治村も79・06%と高い。
 市長選、市議選、衆院七区補選の四重選挙だった水海道市、古河市はそれぞれ77・52%と69・94%、町長選、町議補選のあった茨城町も67・09%、市長選、市議選のあった水戸市も50・71%、市長選と重なった取手市も50・64%と、比較的高い投票率を記録した。
 一方、参院補選だけの自治体は、神栖町が14・20%、つくば市が14・66%、守谷市が14・89%、北茨城市が16・11%、阿見町が16・86%…。「集中した選挙、特に市町村長選が、投票率を底上げした」。ある選挙管理委員会職員は言う。

 ◆自治体の悲鳴◆
 選挙集中のツケは市町村に回った。いくつもの選挙が重なり、ポスター掲示板や投票箱が足りずに、新たに買い込んだ自治体すらある。開票時間が遅れるため、職員の残業手当もバカにならない。負担増に自治体の悲鳴が聞こえた。
 そもそも、自民党や総務省(旧自治省)は、昔から一貫して選挙集中を狙ってきた。目的はタテマエ上、「費用をかけない」「投票率を上げる」などだが、投票率への効果は別として、費用負担面ではむしろ逆効果となっている。

110とはずがたり@03年衆参統一選/統一地方選:2005/08/02(火) 03:48:23
すげぇ。。25回連載。。
>>87-110

【連載 審判と底流 検証・衆参統一選/統一地方選】
http://joyo-net.com/rensai/senkyo/

111とはずがたり:2005/08/02(火) 04:11:43
中村ははっきりと今回は寝ろと発言してたんだな。。

選挙2003ルポ
衆院茨城7区補選 「中村喜復帰戦略」影落とす
http://www.yomiuri.co.jp/election/local2003/feature/fe09/fe09_09.htm

[衆院茨城7区補選候補者]
 元建設相・中村喜四郎(54)の失職に伴う衆院茨城7区補選(27日投票)は新人4人が出馬している。行き場を失った「中村票」は動くのか、眠ったままなのか、陰のキーマンは再起を期して服役中の中村だ。(佐藤 昌宏、古河通信部・森重 達裕、敬称略)



 「中村王国」――。衆院茨城7区はこう称される。

 両親とも茨城県選出参院議員の中村は、衆院中選挙区制時代、7回の衆院選でトップ当選が6回。科技庁長官、建設相などを歴任、自民党竹下派(現橋本派)の将来の総裁候補の一人だった。しかし、94年3月、ゼネコン汚職で自民党を離党、逮捕された。小選挙区制に切り替わった96年の衆院選は公判中にもかかわらず10万票、2000年の前回は8万8000票を得て9回目の当選を果たした。

 その中村は1月、最高裁であっせん収賄の懲役1年6月が確定、失職した。中村は後進に道を譲る気はなく、来年6月にも刑期を終え、公民権を回復すれば、その後の衆院選に出馬する考えだ。

 中村の“戦略”は、補選に影を落としている。

 政党の支援がない吉原は先月、前回衆院選で中村を支援し、自民党を除名になった無所属県議の一人を訪ね、こう頭を下げた。

 「(中村復帰まで)ワンポイント・リリーフで結構だ。どうか支援をお願いしたい」

 茨城7区内の4市8町村選出の県議は9人。自民党4人に対し、無所属中村系は5人を占める。この5人の「ため書き」が今月に入って、吉原の選挙事務所に張られた。

 15日、岩井市の工場跡地で開かれた吉原の出陣式では中村系県議の一人が「中村がいない今、吉原に頼もう。選挙の勝ち負けは『中村票』の行方が決める」と訴えた。

 地域の活性化を訴える吉原はジャンパー姿だ。選挙中はジャンパーを着用した中村のイメージを自らと重ね合わせようとしている。

 しかし、「中村票」がこれによって動くわけではない。

 服役中の中村から「今回の補選は静観してほしい」との意向が秘書を通じ、中村後援会「喜友会」の主だった幹部に伝えられているからだ。

 中村と同じ境町に住み、喜友会地区会長を務める安井茂一郎は「中村の帰りを、皆で待ちたい。今回、『中村喜四郎』と投票用紙に書く人も多いんじゃないか」と見る。

 自民党公認を得た永岡は、前回衆院選で中村と戦っただけに、中村の支持者を敵に回さないように気を使う。

 15日の総和町での出陣式で、永岡は「しがらみを持たない私が当選することで、政治とカネの問題に決着をつけたい」と主張したが、これ以上は踏み込まなかった。

 中村とは犬猿の仲で知られる県議13期目の自民党県連会長・山口武平も「カネと政治の問題がマスコミでうんぬんされているが、まことに残念な補欠選挙だ」などと述べるにとどまった。

 永岡が展開するのは徹底した組織型選挙だ。選挙事務所には、各支持団体の推薦状約160枚が届いている。今回は公明党の推薦も得た。

 永岡を後押しする自民党江藤・亀井派会長代行の亀井静香は、17日の同派総会で、「出陣式に自民党全県議が出席し、100%の体制でやっている。(上滑りの)危険に注意しなければいけない」と引き締めを図った。

 永岡は「中村抜き」の補選に勝っても、いずれ返り咲きを目指す中村との対決が待ち受ける。永岡陣営には「一度当選し、与党の立場で組織を固めれば、中村とも十分戦える」との思惑があり、次期衆院選が年内か来年前半なら、中村と戦わずに「連続当選」という期待も膨らむ。

 一方、加藤は15日の水海道市での出陣式で、「小泉政権を倒すため、野党共闘で頑張って行かなければならない」と訴えた。自由党党首の小沢一郎、民主党幹事長の岡田克也らも駆けつけた。

 野党内には、加藤が一定の成績を残せば、民主、自由両党の合流構想に弾みがつくとの見方もある。

112とはずがたり@03総選挙千葉10区:2005/08/07(日) 11:26:44
2003年 10月 26日 
激戦区を歩く
<10区>政策論争なき激戦
http://www.chunichi.co.jp/hold2003/syuuinsen/tknews/cba/cba03102601.html

 保守王国が分裂している。これまで盤石な選挙戦で三選を果たした自民前職の林氏に対し、四月の県議選で四選されたばかりの谷田川氏が無所属で名乗りを上げ、自民県議の大半が支持。国会議員(党本部)対県議(党県連)の構図が出来上がり、王国を二分する争いが展開されている。

      ■

 二十日夕方、成田空港近くのホテルで自民党10区支部主催の林氏応援集会が開かれた。人気の安倍晋三幹事長も招かれたが、会場の約七百席のうち、空席は五十以上も残ったまま。党成田支部長成尾政美、同支部幹事長湯浅伸一の両県議らに用意された席だった。

 「私があいさつしなければならないことをおわびします」と切り出した同支部の河野廣副支部長は「支部長と幹事長が対立陣営に回り、支部としてまったく機能していない」と陳謝。林氏は「このねじれ現象を続けさせてはいけない。10区現象が県内や全国に広がり保守が同士打ちをしていれば、民主党に油揚げをさらわれる。勝って襟を正したい」と訴えた。

 その翌日も林氏は地元の銚子市で石原伸晃国土交通相を招いて集会を開催。党本部の相次ぐ応援を受けて千人を超す参加者を集めたが、ここでも林氏は「自民党員でありながら対立候補を応援するのは、党規違反と言わざるを得ない」と谷田川氏陣営を非難した。

      ■

 一方の谷田川氏にも言い分はある。「自民党は開かれた政党といいながら、現職優先で公認が決まるのはおかしい。民主主義なら誰にもチャンスは与えられるべきだ。党として戦うなら予備選挙を実施すればいい」と主張。林氏が指摘する共倒れの危険性にも「10区に限れば、保守が敗れることはない。保守同士が競うことで、より強くなる」。谷田川氏を支援する県議も「県連は、谷田川さんと同じことを何年も前から党本部に言ってきた。この戦いに勝利して、現状に風穴をあけたい」と話した。

 七月、成田市内のホテルに千八百人の参加者を集めて開いたパーティーで谷田川氏は正式に出馬表明したが、自民県議は四十三人が集結。元衆院議員の水野清氏や故山村新治郎氏の妻、増代氏に加え、小林攻・成田市長らも出席した。「地域主導の国政」を標ぼうする谷田川氏は「何もしてこなかった現職に、地元の政治家がいかに不満を持っているかの表れだ」と力を込めた。

      ■

 保守分裂でかつてない激しい争いになった10区だが、政策論争は影を潜めている。

 林氏は三期十年の実績と内閣改造後の副大臣就任を強調し「経験豊富な林と新人のどちらを選びますか」と訴える。二十五日も小泉首相を成田市に迎え、政策よりも党本部の支援を前面に保守層の取り込みを図る。

 谷田川氏も「私は今でも自民党員」と言うように、政策的には自民そのもの。無所属で出るため自民の政権公約を口にできなくなっているが、このことも政策論争を二の次にする一因になっているようだ。

 両陣営の間では、谷田川氏のいとこに当たる故山村衆院議員と、林氏の父大幹氏が議席を争った中選挙区時代までさかのぼって支援を取り付けようとするなどの動きが活発化。当初は谷田川氏支持を表明していた県議や首長の一部が林氏の陣営に取り崩されたり、動きが鈍り始めたりしているといい、政策論争なき激戦が繰り広げられている。

      ■

 「保守分裂は大きなチャンス」という民主新人の中沢氏は「雇用問題など党のマニフェスト(政権公約)を推進するが、成田空港を抱える10区だから、環境問題を中心に訴えたい」としている。

 共産新人の坂本氏は「農業県千葉の中でも、10区は広い農村地域がある。農家をしっかり支えることを最大の公約にする」として、10区内の十八市町村を精力的にまわり支持を訴えている。

  =おわり

 (加藤 裕治、出来田 敬司、山田 和宏、吉田 宇洋が担当しました)

 ◇千葉10区立候補予定者(銚子市、佐原市、成田市など)

    林  幹雄 56 国土交通副大臣 自前<3>
    中沢  健 48 (元)朝日新聞記者 民新
    坂本 弘毅 59 党県委員    共新
    谷田川 元 40 県議      無新

113とはずがたり@03衆院選福島1区:2005/08/09(火) 21:48:28
●民主県連、金子氏(保原町議)擁立へ
http://www.minyu.co.jp/morning/0307gatsu/0719m.html
 民主党県連(和田洋子代表)は18日、福島市の県連事務所で、1区総支部の候補者擁立選考委員会を開き、元衆院議員の金子徳之介氏の二女で、保原町議の金子恵美氏(37)を衆院選福島1区の公認候補として擁立することを内定した。20日、福島市で開く常任幹事会で正式決定し、出馬要請する。金子氏は、20日夜に保原町で「重大な決意を発表する」として後援会を招集しており、要請に対する態度を表明するもよう。同選挙区では自由新人で福島市議の石原信市郎、共産新人の山田裕両氏が立候補を表明しているほか、自民現職の佐藤剛男、無所属新人の亀岡偉民両氏の立候補が確実となっている。 

金子氏擁立決定/民主県連
http://www.minyu.co.jp/morning/0307gatsu/0721m.html
 民主党県連(和田洋子代表)は20日、福島市で常任幹事会を開き、金子徳之介元衆院議員の二女で、保原町議の金子恵美氏(38)、保原町字旭町=の衆院福島1区からの擁立を正式に決めた。同県連は連休明けに、党本部に金子氏の公認を正式に申請。同党の1次公認を受ける。擁立決定を受け金子氏は会見し「地域福祉に取り組んできたが、法や制度の壁がある。大きな壁に挑戦していかねばと考えた。また変革の志半ばで倒れた父の気持ちを継ぎたいとも思った」と国政出馬の動機を語り「政治を身近に取り戻したい」と抱負を述べた。

114とはずがたり@03衆院選福島1区:2005/08/09(火) 21:48:45

1区 混戦に危機感、焦り 各陣営が”背水の陣”
http://www.fukushima-minpo.co.jp/topix/0311syuin/
2003年10月13日(月)掲載

  衆院の解散を受け、県内政界は事実上の選挙戦に突入した。立候補予定者は選対との打ち合わせや後援会回りなどの活動を本格化、十一月九日の投票日に向けて一気に走り出した。小泉改革の継続か、政権交代か。自民と民主のせめぎ合いは県内五つの選挙区にも波及し、いずれも激戦の様相を呈している。前職同士の争い、混戦、因縁の対決…。生き残りをかけた一カ月決戦の情勢を探った。

 衆院が解散して最初の日曜日となった十二日、自民前職の佐藤剛男(66)、民主新人の石原信市郎(36)、無所属の会新人の亀岡偉民(48)は雨模様の早朝から競い合うように支持者や催し会場を回った。

 1区ではさらに共産新人の山田裕(48)が立候補を予定、社民も擁立を目指しており、県内五つの選挙区で立候補者が最多となる可能性も。混戦模様が各陣営を突き動かし、熱を帯びた前哨戦が演じられていた。
 「今度の選挙は政治家としての分かれ目になる」。四選を目指す佐藤は心の高ぶりを感じていた。小泉再改造内閣で内閣府副大臣兼首相補佐官のポストに就き、「もう一歩で大臣」との思いがあるからだ。
 しかし、はやる気持ちとは裏腹に今までにない危機感も抱いていた。民・由合併で統一候補となった石原、広い選挙区をすでに何巡もしている亀岡。佐藤の目には、二人の存在がこれまで以上に脅威に映る。
 ピリピリした雰囲気は選対本部全体に漂い、十一日に開かれた第一区選挙区支部の会合では選対幹部の一人が「この活動スケジュールでは市議選程度の票しか集まらない。これでは勝てない」と一喝、戦術の練り直しを迫る場面も。

 「ここで負ければ築き上げたすべてを失う。支持者に申し開きができない」。佐藤は初心に帰り、規模の小さな運動会や祭りなどにも顔を出すなど、新人並みの活動をしている。
 「自分の後ろには志を果たせなかった仲間がいる」「勝利は私に課せられた義務だ」。十一日の民主党県第1区総支部合併記念大会を終えた石原は迷いが吹っ切れたように言い放った。
 石原には民・由合併による候補者調整で、立候補断念を強いられた保原町議・金子恵美の存在が大きくのしかかっている。金子支持者や旧民主関係者の間からは「何で石原なんだ」との不満や怒りの声が漏れ、石原は衆院解散の前日まで金子に対する気がねを口にしていた。
 しかし、合併記念大会が石原の気持ちを切り替えさせた。総支部長・石原、副総支部長・金子の体制が決まり、二人が握手を交わすと、会場からはひと際大きな拍手が沸き起こった。
 候補者調整から一カ月余り。「これからはただ突っ走るだけ」。自由に籍を置いていた石原は民主との合併の利を生かし、これまで縁遠かった労組へのあいさつ回りも精力的にこなしている。


 「これほど政治家になりたいという思いが強くなったことはない。何としても勝ちたい」。亀岡は背水の陣を敷き、今回の選挙にかけている。四回目の挑戦。平成十二年の前回から三年半余り、地をはうように選挙区内を歩いてきた。
 前回の選挙では確かな手ごたえを感じ取っていた。しかし、開けてみれば佐藤に約二万票差の次点。自らの可能性を確信する一方で、自民前職の壁の厚さや選挙の厳しさをまざまざと見せつけられた。
 「選挙は一日でひっくり返る。最後の最後までアクセルを緩められない」。苦い教訓は亀岡に「歩き足りない」との焦燥感をもたらし、支持者回りやイベント会場へと向かわせている。
 解散後、陣営内の緊迫の度合いは一段と増した。悲願達成に向け、過去三度の選挙戦で築いた支持基盤に加え、若手、女性層を中心にした新たな勢力の取り込みも目指している。

115とはずがたり@04参院選福島1区:2005/08/09(火) 21:49:05

/上 そして3人が残った /福島
http://66.102.7.104/search?q=cache:urBROI0yah4J:202.221.31.69/seiji/senkyo/saninsen/archive/news/2004/06/17/20040617ddlk07070260000c.html
 ◇消えた大乱立構想

 「自民党公認の2人に無所属の(佐藤)雄平さん、そして民主党の新人。4人で2議席を争う大激戦になっていたかもしれないのになぁ……」。候補者の選挙事務所で、陣営幹部のある県議がいたずらっぽく笑った。

 改選数2の参院選福島選挙区に今回出馬表明しているのは自民・岩城光英氏(54)、民主・佐藤雄平氏(56)の両現職と共産新人・阿部裕美子氏(57)だけだ。

 98年の参院選は自民公認2人と非自民統一候補の佐藤氏ら計8人が争い、3年前の01年参院選でも自・民両現職に社民推薦の新人や自民党離党組の前県議2人らが絡む8人による選挙戦となった。それが今回は一転して候補者3人による「最少決戦」となり、無風選挙と言う陣営すらある。しかし、そこに至る過程には、自民、民主両党と佐藤氏が駆け引きを繰り広げた前哨戦と、幻と消えた大乱立構想があった。

 「今回は玄葉さんに拉致され民主党で頑張ってます」。6月12日、古殿町で開かれた玄葉光一郎衆院議員の国政報告会。冗談交じりにあいさつした佐藤氏にどっと笑いが起こったが、拉致という言葉に佐藤氏の複雑な胸中がのぞいていた。

 佐藤氏は民主公認で出馬するのか? 民主党は参院選を政権交代のステップと位置づけ、全都道府県での公認擁立を指示。98年参院選で民主・社民・公明の非自民統一候補として当選した佐藤氏の民主入りは自然な流れに見えたが、結論は3月末までもつれ込んだ。

 「6年前に応援してくれた社民に配慮したい」。佐藤氏は慎重な理由をこう説明し続けた。加えて、30年にわたって渡部恒三衆院議員の秘書を務めた佐藤氏の支持層は、自民支持基盤の建設業界や市町村長にも広がっている。彼らの支持を失いかねない民主公認ではなく、無所属のまま出馬する道を模索していた。

 しかし事態は佐藤氏の思惑を超えて動き始める。業を煮やした民主党は1月の県連常任幹事会で渡部譲幹事長が「雄平さんが無所属にこだわるなら、別の公認擁立も考える」と発言。「保原町議の金子恵美さんがいい」と名前を挙げて議論を始める支部も出始めた。

116とはずがたり:2005/08/13(土) 16:06:08
【「社民党兵庫県連正常化支部連合」関係資料集1】

2002年10月2日 水曜日 更新
http://www5.ocn.ne.jp/~amasdp/seijouka-menu.htm
 「社民党兵庫県連合正常化支部連合」は、社民党兵庫県連合の非民主的・反党的行為を糾弾し、兵庫の社民党を改革・正常化するために、2001年6月24日、阪神地区(尼崎、伊丹、西宮、宝塚、川西、各支部)を中心に結成されました。以来、2002年9月16日まで、党活動ゼロの県連合に替わり、参議院選挙、アフガニスタン救援基金募金活動、有事法制反対集会など、党全国連合の方針に従い、精力的に活動してきました。

 一方、県連の正常化・改革への取り組みとして、正常化連合は、党組織委員会の事情聴取に応じると共に、全国連合の指導・仲介を尊重しながら、兵庫県連合との話し合いに応じてきました。決裂・再会談と行きつ戻りつの「紆余曲折」を経過して、02年7月から、再度、全国連合の仲介案を元にした話し合いに入り、ついに、9月16日統一大会開催にこぎ着けました。曲がりなりのも統一大会を開催、私たちは、同日、「正常化連合」をひと先ず解散しましたが、この大会寸前まで、県連合側の横暴で、決裂寸前の危機がありました。

 正常化連合は、県連合の横暴に怒りを秘めながら、大会出席予定の土井党首を始め全国連合の誠意に応えて、「苦渋の決断」として、県連合本部派の6名中4名の役員占拠をやむを得ず承諾し、分裂を回避したわけです。このように、再建の前途に、不満や不安を抱えつつ、9月16日の大会開催前に、私たちは「正常化連合」を解散しました。

 もちろん、一定の改革はありました。改革前の「神戸地区在籍の某労組支部党員」の数の力で、何でも可能の状況には、かろうじて、一定の歯止めは掛かりました。しかし、神戸地区の社民党の惨状(市会議員ゼロで、実質的に民主党の大応援団の機能しかない)が改善される可能性は極めて低い状況です。

 神戸地区の社民党の状況如何によっては、また私たちの活動を再開しなければならないかもしれない。こうした状況への準備のためにも、全国の仲間に、社民党改革への他山の石として、兵庫の私たちの戦いの記録をそのまま、残すこととしました。

117とはずがたり:2005/08/13(土) 16:06:30
【「社民党兵庫県連正常化支部連合」関係資料集2】

われわれは、なぜ「党県連合」と絶縁したのか(再論)
                                            正常化連合通信 第4号掲載
(1)「連合5党協」にひれ伏す 党県連合
http://www5.ocn.ne.jp/~amasdp/genjou1.htm
主体性ゼロの社民党兵庫県連
 兵庫県では,96年の衆議院選挙に際し、労組連合体の「連合兵庫」を中心にして、連合5党協(発足当時は、社会党、公明、兵庫民社、民主党<民改連を含む>、新進党と連合兵庫)が結成され、「非自民」勢力の結集による議席獲得を目指した。(連合5党協は現在は、民主党・社民党・公明党・保守党・自由党と連合兵庫)

 土井現党首以外の多くの社会党国会議員が民主党への離脱を志向していた県内の社会党の現状からも、労組を中心としての非自民選挙共闘には、当時の社会党地域支部からとくに異論はなかった。しかし、候補選定に当たって、社民党への理不尽で不当な扱いが、このときから発生した。

 96年衆院選での連合5党協での社民党公認候補の認証は、県内12選挙区中、土井たか子党首1名だけであった。当時、党の尼崎支部は8区から社民党候補擁立の方針は確定していたし、県南西部の選挙区にも立候補意思を鮮明にした現職候補がいたが、出身労組を通じて断念させられたと聞いている。(96年選挙では、中川議員は近畿比例区候補であった)

 96年の衆院選で、党県連合幹事会は、こうした地域支部の候補者擁立の現実を無視して、民主党候補当選を最優先させるための
「連合5党協推薦の社民党公認候補1名」を唯々諾々と承認し、各地の立候補要請を抑圧する側に立っていた。

 とくに8区(尼崎)では、党尼崎支部に何の事前相談もなく、公明党の冬柴候補推薦を一方的に取り決め、バーターで、神戸で民主党候補への公明党票の取り込みを画策した。勝手に社民党票を民主党に流し込む、党員・支持者・選挙民を無視した、社民党員にとって、破廉恥で屈辱的な手口・県連の罪科はこのときから始まった。

 つまり兵庫の国政選挙候補の選定は、反自民へ向けて、各党が真剣に協議、時には激論を経て最終的に納得して結果を確認する方法でなく、「社民党だけに犠牲を強いて、他党はえびす顔」の候補者選定が、党外のどこかで決まって、社民党が丸飲みさせるシステムだったのである。

 つまり、「連合5党協」路線は、社民党にとっては、候補推薦は1名だけに圧縮され、他の地域での社民党支持票の「他党候補への大判振る舞い」だけが押し付けられる、理不尽なものであった。党県連は、こうした結果を丸飲みするためだけの存在だった。

それでも、96年当時は、非自民候補勝利のためという大義名分のため、下部党員は我慢できた。ところが、2000年の衆院選では、既に自民党と連立している保守党・公明党候補を「連合五党協」候補として推薦し、党県連は、再びこれを丸飲みし、全国連合の指針に従い、候補者を擁立して闘おうとする宝塚(現職 中川)・尼崎(新人 北川)からの両候補の公認を徹底的に否認しつづけたのであった。

118とはずがたり:2005/08/13(土) 16:07:00
【「社民党兵庫県連正常化支部連合」関係資料集3】

社民党兵庫県連合正常化支部連合(2001.8.31 発足)
http://www5.ocn.ne.jp/~amasdp/seijouka2.htm
所在地  〒660-0893  兵庫県尼崎市西難波町1丁目3-20 社民党尼崎支部 内
                         Tel  06-6419-3200  Fax  06-6419-5370
役 員 
  代   表   今西 正行 (8区代表・兵庫県議会議貞)
  副 代 表   尾嶋  猛 (6区代表・伊丹市議会議員)
  幹 事 長   片 岡 保夫(7区代表・西宮市議会議員)
  副 幹事長  古谷   仁(6区幹事長・宝塚市議会議員)
    〝     塩見  幸治(8区幹事長・尼崎市議会議員)
  幹   事   荻野 数美(伊丹支部)
    〝      北上 哲仁(川西支部)
    〝      田村 幸雄(宝塚支部)
    〝      阪本  武(西宮支部・西宮市議会議員)
    〝      小柳 久嗣(尼崎支部・尼崎市議会議員)
    〝      井奥、雅樹(束播地区・高砂市議会議員)
         ****************************************************
  顧   問   中川 智 子 (衆議院議員・6区)
     〝    北川 れん子(衆議院議員・8区)

119とはずがたり@2005年山形県知事選:2005/08/14(日) 02:44:36

激震:05年知事選/4 太平の眠り覚ました分裂選 /山形
http://64.233.179.104/search?q=cache:-I6dvLSKGYMJ:www.mainichi-msn.co.jp/chihou/yamagata/archive/news/2005/01/28/20050128ddlk06010221000c.html

 「『松浦さん、あなたの政治生命も終わりですね』。そういわれて私は涙をこぼした」。17日の余目町での高橋和雄氏の個人演説会。高橋氏支援に回った松浦安雄県議会議長は、斎藤弘氏を支援する加藤紘一衆院議員から告げられた言葉を悔しそうに聴衆に訴えた。

 松浦氏は一時期、加藤氏とともに金森義弘副知事擁立に動いた。加藤氏も「松浦氏は『今の知事とは合わない』と副知事を擁立しようとした。それがダメになると、サッと知事についた。(斎藤氏という)別の選択肢が立つとは思っていなかったんだ」と振り返る。これまで後援会の一部が重複するほど親密だった両者の関係は、知事選が進むにつれ、深い溝が生じていた。

   ◇  ◇

 庄内の自民党県議6人のうち、加藤氏秘書の経験がある3県議以外は現職支援に回った。さらに酒田後援会の竹内輝博会長が辞任を表明し、高橋氏支援に回るなど、一時は「加藤王国」とまで呼ばれた庄内に大きなヒビが入り始めた。

 これまで自身の選挙で支援を受けた政治家との間に感情的対立を生み出してまで新知事を誕生させた加藤氏。「昔の山形は夫が決めれば、奥さんもそれに従うのが選挙だった」と指摘する加藤氏は、組織で戦うこれまでの選挙手法に限界を感じていた。だが、地盤・衆院山形3区での斎藤氏の得票数は、高橋氏を1万6000票下回るなど、「新たな選挙手法」の結果を出すことは出来なかった。

   ◇  ◇

 一方、加藤氏とは逆に、地盤の山形市で斎藤氏が高橋氏に約1万5000票の差をつけた遠藤利明衆院議員。鹿野道彦衆院議員との代理戦争をどのように制したのか。

 後援会にほとんど相談することなく斎藤氏支援を決めた加藤氏に対し、遠藤氏は斎藤氏からの支援要請後も後援会の意見を慎重すぎるほどに吸い上げてから、斎藤氏支援の決断を下した。

 1月3日、山形市内で行われた鹿野衆院議員の新年会。高橋氏は「自民だろうが民主だろうが、私の目の黒いうちは、ずーっと鹿野でいく」と鹿野氏を持ち上げた。「あの知事の一言で、後援会の士気が上がった」と遠藤氏の関係者は指摘する。多くの無党派層が「変化」を求める中、結束した後援会が有機的に動き、「大票田での勝利」という斎藤氏当選の最大の要因を作り上げた。

   ◇  ◇

 「自主投票」を選択した結果、ほとんどの県議が高橋氏を支援し、衆院議員3人が斎藤氏を支援するという「衆院議員対県議」という分裂の構図になった自民党県連。県政への3衆院議員の影響力は確実に強まるだろう。「勝てば官軍」と、すでに斎藤氏に歩み寄ろうとする県議もいる。

 政治家が政治生命を懸けて戦った保守分裂選挙は、3期12年という太平の眠りを覚まし、政治の宿命ともいうべき権力闘争の一端をのぞかせた非情な世界でもある。=つづく
毎日新聞 2005年1月28日

120とはずがたり@2003年総選挙宮崎:2005/08/17(水) 11:56:18

■1区(上) 公示直前情勢が一変
2003年10月31日
 「一万票負けているところからのスタートを、ぜひご理解いただきたい」。
 
 公示の二十八日。中山陣営の選対本部長・外山三博は出陣式で、三千人以上が集まった熱気に流されることなく、支持者に潜む楽観ムードを懸命に打ち消した。
 
 同じころ、米沢サイドでは、後援会連合会長の永田兼一が「社民が候補擁立を見送り、保守系からは二人が立った。絶好のチャンス」と鼓舞し、それを継いだ選対本部長の井上紀代子は「米沢は本当に運のいい男」と上げ潮の勢いを強調した。
 
 中山を推薦する団体の関係者は「同じ選挙区で同じ候補が二回勝てば、敗者に次はない」。それが、米沢の比例復活で巡ってきた三度目の対決。
 
 「社民の不在が、過去の戦いではっきりさせた二人の力関係を真っさらにした。初顔合わせと同じだ」
 
 中山は、三千票差で米沢をかわした前々回(一九九六年)を経て、二〇〇〇年の前回は米沢に一万五千票差をつけ、圧倒。支持者の多くが「中山時代の到来」を確信、胸に刻んだが、公示直前、情勢は一変した。
 
 「米沢対中山の構図だけでとらえられ、社民候補がいない緊急事態の重みが十分伝わっていない。二連勝したことで『中山は大丈夫』という声が独り歩きするのが怖い」と陣営。
 
  前回社民候補が取った約二万五千票が米沢に一方的に傾けば、ひっくり返る。危機感は強い。
 
 連合宮崎が米沢推薦を決め、社民票は非自民の米沢に流れるのでは、という大方の見方に対し、米沢本人は冷静に構える。
 
 「相対的に追い風になっていると実感しているが、(六年間の)空白で態勢が出遅れた。彼我の差はない」
 
 確かに連合宮崎の内部は一枚岩ではない。社民支持労組のある役員は「本部から『米沢は推すな』と言われたが、反自民非共産で大同団結し、米沢で組織を固める」。
 
 一方、別の労組の幹部は「社民候補と激しく競り合ってきた米沢へのアレルギーは、今もぬぐいきれない」と複雑な心境を吐露する。
 
 「正面の敵(米沢)と戦おうと思ったら、後ろから足を引っ張られるような選挙」。
 
 社民の決定が発表された十八日、中山は保守系新人が立候補した前回も口にした言葉を繰り返した。今回も同じように小城が参戦。もどかしさがにじむ。
 
 その小城は、宮崎市商店街振興組合連合会(宮下広計会長、約五百店)の推薦を得るなど、中山支持層の一部を切り崩す。
 
 米沢側は「自民が旧来から展開してきた組織戦崩壊の兆し。宮崎の選挙構造も随分変わってきた」と歓迎。そこに「政権選択選挙」に埋もれまいとする野田が、憲法改正、消費税増税反対を掲げ、政策論戦に持ち込む。
 
 さらに、戦いの行方を大きく左右する公明票は態度を保留。両陣営は「誠意を持って選挙協力の姿勢を示す」と口をそろえる。
 
 解散前後で様変わりした1区情勢。大票田・宮崎市を主要舞台に、混迷を深める。

121とはずがたり@2003年総選挙宮崎:2005/08/17(水) 11:56:53

■1区(下) 決定力大きい公明票
2003年11月1日
 自民から前職、新人の二人が立候補、国政初の民主・社民統一候補も名乗りを上げた二年前の参院選宮崎選挙区。
 
 激烈を極めた選挙は、県内主要票田で公明票の「援護射撃」が効き、保守が分裂状態に陥りながらも議席を死守した。
 
 まとまった票が一挙に動く公明票は、政治への無関心層が増大する中、その「決定力」を際立たせる。
 
 それ以来の国政選挙となる今衆院選。公示を三日後に控えた十月二十五日、公明党県本部は衆院選小選挙区への対応を表明。
 
 代表の長友安弘は「宮崎1区はまだ継続協議中」と述べるにとどまり、選挙区で唯一、明確な方針が示されなかった。
 
 長友は「仮に自主投票となっても、連立政権の枠組みから、民主には行かないだろう」としながらも、「選挙協力の動きが見えてくるか、そこだけだ」と、中山陣営をけん制した。
   
 社民の候補擁立断念で、公明票の決定力を最重要視する中山陣営は、長友の言葉を百も承知だ。選対本部長の外山三博が先頭に立ち、集会や会議で「比例は公明で」と声をからす。
 
 「選対本部長の立場では、中山を通すことがすべて」と言い切る。本県の自民前職が比例名簿に名を連ねた前回二〇〇〇年と違い、より組みやすい環境も整っている。
 
 公明が与党入りするまで、友党関係を続けてきた米沢は「即、中山推薦になっていない。それだけこちらに気を掛けてくれているということだろう。好意に感謝している」。
 
 米沢陣営は選挙協力の具体的な対応の検討を重ねている段階だが、「長い付き合いがあり、今衆院選でもいい感触を得ている。誠意を持って対応したい」と公明との信頼関係に自信を持つ。
 
 対照的に、組織選挙を否定する小城は、政党、団体へ推薦願を出さない独自スタイルを貫く。
 
 「選挙区と比例票のバーターは有権者をばかにしている。国民は政党間の政治的駆け引きに嫌気がさしている」(陣営)。地道な座談会を重ね、宮崎市の浮動票にターゲットを絞る。
 
 約二十四万の有権者が暮らす宮崎市。七月の知事選直前に宮崎日日新聞社が実施した世論調査では、「支持政党なし」が四割を超えた。いわゆる無党派層が約十万人潜在する。
 
 社民候補の不在など、幾つかのマイナス材料を抱える中山陣営にとって、北朝鮮拉致問題への取り組みで知られる内閣官房参与・恭子夫人の存在は、逆風を受け止め、大票田で追い風を起こす可能性を秘めた存在だ。
 
 陣営は「特に女性票。中山が弱かった未開拓の層で上乗せできる」と期待。団体や業界に力を借りる組織型選挙と同等に、後援会の拡充にも力点を置く。
 
 米沢はマニフェスト(政権公約)を武器に切り込む。「これまではどれだけ有権者と握手するか、に重きが置かれていた」と言う選対本部長の井上紀代子は「マニフェストを通して候補や政党の考えを示す。手の届かなかった層にアプローチできる」。
 
 事務所でマニフェストを求める有権者も増えてきた。が、その浸透は「まだ手応えとして分からない」という。
 
 さまざまな角度で大票田に向き合う陣営。この三連休に一つのヤマ場を迎える。

122とはずがたり@2003年総選挙宮崎:2005/08/17(水) 11:57:16

黒木=児湯(黒木地盤)・西都(上杉地盤)・JA児湯、たばこ耕作組合・公明党県本部・高鍋地区建設業協会・大原一三・上杉光弘
江藤=県北・自民2区支部推薦・JA尾鈴、西都・永友一美県議(児湯郡)・畜産業界

■2区(上) 支持ねじれ票読めず
2003年11月2日

 「児湯・西都で七割取らないと勝負にならない」。児湯郡区選出の県議だった黒木の陣営は地元での最低条件を挙げる。

 最大のライバルは、県北地区を地盤に絶大な影響力を持つ江藤。厳し過ぎるほどのノルマは、危機感の大きさを物語る。

 黒木陣営の危機感をよそに、十月四日には自民2区支部が江藤推薦を決定。次々と相手陣営に組織票が傾く中、模様眺めの団体も多く、黒木陣営には後援会の主体となるJA児湯、たばこ耕作組合のほかは支援の声が集まらなかった。

 同じJAながら尾鈴、西都は江藤につく。児湯郡区選出県議のうち永友一美は江藤陣営の選対本部長になり、また坂口博美は後援会との調整が不調に終わり本格的な黒木支援が期待できなくなった。

 状況が一転したのは、公示直前の十月二十五日。公明党県本部が黒木推薦を決めたことで陣営から重苦しさが消えた。

 高鍋地区建設業協会も支援に動き出しており、「これでようやく戦える状況になった」と活気づいた。

 だが、前回(二〇〇〇年)、江藤の父で前職の隆美(78)に推薦を出しながら、比例票で十分な協力を得られなかった公明は「黒木は大丈夫か」と懸念。

 逆に黒木陣営は「公明は本気でやってくれるのか」と不安視。疑心暗鬼を振り払うため、黒木は三十一日、高鍋町内で支持者を前にマイクを握った。

 傍らには党県本部代表の長友安弘と党国対委員長の東順治。「恩は返さなければならない。比例に公明党と書いてください」と声を張り上げた黒木に、そのひと言を待っていた公明関係者から拍手がわき起こった。

 引退した前衆院議員大原一三や参院議員上杉光弘関係者の本格的な応援も受け、勢いは確実に増している。

 対する江藤は隆美の影響力が大きい畜産業界を動かして激しい攻勢をかける。

 JA尾鈴幹部が町選対本部長を務める川南、都農は畜産農家も多く有利に展開。西都・児湯地区で五分に持ち込みたい考えだが、公明の動きは計算外だった。
 
 選対本部長の永友は「痛いな。影響は最小限にしないと…」と警戒する。

 注目が集まるのは上杉の影響力が大きい大票田の西都市。十月十六日に江藤、二十一日に黒木の集会が市内の同じ会場で開かれ、いずれの壇上にも上杉の姿があった。

 「拓君に勝利の栄冠を与えていただきたい」「健司さんを(国会に)送り出すよう仲間の一人としてお願いしたい」と両候補を激励。来年に控えた自らの選挙を見据える。

 同市の畜産関係者の数は、タバコ耕作者の倍以上。JAも江藤支持に動き、表面的な組織力では江藤有利にみえるが、集会参加者の数では黒木が大幅に上回り勢いを見せた。

 両陣営とも票の流れを読みあぐねており、急きょ出馬した土井に対しても、黒木陣営は「“江藤離れ”の票を持っていかれるのでは」と懸念する。
 
 農家主体に動く選挙戦。施設園芸や畜産、畑作などぞれぞれに密接な関係があり「牛を飼いながら葉タバコを作る人もいる。誰に入れるかは結局個人の考え。どの組織も一枚岩ではない」とある陣営関係者。
 
 「畜産対タバコ」の選挙構図で簡単にくくれない支持者のねじれが複雑さを増している。

123とはずがたり@2003年総選挙宮崎:2005/08/17(水) 11:58:26

■2区(下) 保守系の色分け鮮明
2003年11月4日
 公示日夜、延岡市で開いた江藤の出陣式。千人を軽く超える支持者に向かい、前職で江藤の父隆美(78)がマイクを握った。

 「せがれに兄弟をつくってやれなかった。ここにいるみなさんが兄になり、弟になり、おじになり、おばになって支えてほしい」。切々と語る声に、長年、選挙を支え続けてきた年配の支持者の目がうるむ。

 川南町以北の強固な地盤は、団結力を誇った隆美の後援会、隆政会がつくった。九万九千人と選挙区内最大の有権者を抱え、民主勢力も強い延岡市。

 後継者である江藤は父の後援会を横滑りさせ、自身と同年代の支持者らで構成する組織と融合。農民連盟や建設業協会など有力団体の推薦を受け、他を圧倒する態勢を整えたはずだった。

 「選挙はオヤジ(隆美)の代まで」。そう言い切る支持者の“江藤離れ”を最小限に食い止め、うまく引き継げたのか。江藤陣営は「選対本部の設立が遅れた。すべてを束ねるコンダクター(指揮者)がいない」と巨体ゆえの悩みを吐露する。

 不安を打ち消すように、大小さまざまな集会を連日開き、票固めを徹底する。

 自民公認を争った黒木陣営はこのすきを突き、「隆美氏の支持者がすべて拓氏の支持者ではない。正面から切り崩す」と声を上げる。県北地区で知名度の低い黒木。不利を覆す切り札として、参院議員上杉光弘の後援会が堂々とフル回転する。

 延岡市を舞台に保守系が争う昨今の選挙は、常に江藤派と上杉派の戦いとしてくくられてきた。両氏の表立った指示がなくとも、敏感な支持者は色分けを鮮明にさせてきた。

 今回も同じ構図が繰り返される。公示直前、延岡市で開いた黒木の決起集会では、系列県議が「東九州自動車道整備の遅れは県政、国政が一本化されていなかったからだ」と露払いをした後、上杉後援会の延岡地区ブロック長が「県知事選も参院選もわれわれが推す候補が当選した。この選挙では黒木を推す」と宣言した。

 他地区では前面に出てこない上杉後援会の動きが延岡市で活発な理由は、ほかに浸透の足掛かりがない現実の裏返しともいえる。公明県本部の推薦でにわかに活気づいた黒木陣営。

 江藤陣営の佐藤克敏延岡地区選対本部長は、保守系二人と民主の争いを「昔の中選挙区そのもので、極めて厳しい選挙」と位置付け、引き締めに躍起だ。

 「選挙疲れで投票率は上がらない」と、どの陣営も見方は一致する。その影響を最も受けそうなのが、無党派層の取り込みを狙う土井だ。

 大幅に出遅れた土井が票の積み上げを期待できるのは出身地であり、民主を支える旭化成労組のおひざ元でもある延岡市しかない。

 しかし、集票の核となる労組は準備不足のまま選挙戦に突入し、個人演説会も五日まで予定がない。市民活動で培った人脈が票に結び付くか、いまだ見極められないのが現状だ。

 前回、民主女性候補は、延岡市で江藤の批判票も取り込み約一万九千票を獲得した。比例と連動した選挙活動で無党派層、女性票の上積みができれば、同市での三つどもえの争いはさらに激化し、選挙結果をも左右しかねない。

124とはずがたり@2003年総選挙宮崎:2005/08/17(水) 11:58:41

持永=和見後援会・広瀬勝貞大分県知事・中川昭一
古川=堀之内後援会・公明党の一部・安藤忠恕支持者の支援・額賀福志郎

■3区(上) 組織票の流れに変化
2003年11月5日
 「準備期間が短く、状況は厳しい。ぜひ、皆さんのご支援を…」。持永の日南後援会の役員は集会のあいさつのたびに、こう繰り返す。古川が八年間で広げてきた支持層は想像以上に分厚い、そう感じているようだ。「草の根」を身上としてきた古川と、「組織力」で前職の父和見(76)を支えてきた持永陣営。今衆院選でこの構図が逆転しつつある。

 公示日の十月二十八日夜、古川が選挙戦最初の集会の場所に選んだのは出身地、串間市。長く二大派閥が勢力を競ってきた同市だが、この日の集会では「地元から衆院議員を」と両派閥の中枢がそろって壇上に並び、串間での一致団結した古川支持を印象付けた。

 「(自民、公明などからの)推薦は夢のようです」。串間市を含む南那珂で広く団体、組織から推薦を得て支持層を広げる古川は心中を披露した。

 県農民連盟はまゆう支部、南那珂医師連盟など地元団体も独自に古川を推薦。中でも医師連盟は、これまで自民公認候補を推す方針だったが、公認不在の今回も、あえて支持を一本化。和見が強いと言われた医療・福祉関係者をも支持層に取り込んだ。

 また、古川は七月の知事選で当選した安藤忠恕を支援。この時築いた安藤との協力関係は今衆院選に影響を与え、「串間での古川支持を加速させている」と指摘されるほどだ。

 一方の持永は公示日の翌日、日南市の後援会事務所前で、県南一市二町から約二百人を集めて出陣式を行った。

 同日は、知名度の低さを補おうと、区内を分刻みで駆け回った。奪われかけていた北郷、南郷町でのばん回にも力を入れ、北郷町は和見時代からの流れで福祉分野、南郷町は外浦漁協や漁業関係者に強い影響力を持つ元県議を味方に付け、攻勢をかけている。

 七日には南郷町で個人演説会を開く予定で、後援会幹部は「北郷、南郷町で五分で戦いたい」と意気込み、日南市での劣勢を最小限にとどめたい構え。

 小林市文化会館で三日に開いた古川の決起集会では、都城市での決起大会にも臨んだ参院議員小斉平敏文らのほか、市長の堀泰一郎、県建設業協会会長の山本修らが顔をそろえた。

 小林市では前回、古川が和見に三百四十票近い差をつけた。「(一区に回った)中山の支持者が持永と書けず、古川を支持した」と、中選挙区時代の名残とみる向きは多い。

 古川陣営は今回、組織票による上積みに期待するものの、「知事選がいい例。組織力があっても楽観できない」と不安ものぞかせる。

 持永は出馬表明から時間が短く、えびの市で組織づくりに手間取った。候補者が和見から哲志に代わり、「知らないところで決まった」と不信感を抱く支持者も多く、県議中野一則ら有力者が公示前に選対幹部就任を辞退する事態をも招いた。

 しかし、西諸県の町村を含めて“持永ブランド”の人気は根強く、同市の後援会は終盤に入り「予想以上の手応え」と活気づいている。当初から「盛り上がりに欠ける」と危機感を募らせた小林市の後援会も、地道な支持拡大に力を注いでいる。

 井福は選挙区を回りながら、党の主張を熱心にアピールするが、古川、持永の勢いが勝る。両者の争いは大票田・都城で激しさを増している。

125とはずがたり@2003年総選挙宮崎:2005/08/17(水) 11:58:58

■3区(下) 大票田取り込み必死
2003年11月6日

 公示三日後の十月三十一日午後七時すぎ。都城市の持永の事務所では、父・和見(76)と縁の深い経産相の中川昭一、経産省時代の上司で大分県知事の広瀬勝貞らが「哲志さんを国政へ」と支持を訴えた。

 広瀬はこの後、会場を移動。演説を終えると持永も広瀬を追って会場を後にした。この夜、広瀬と持永は同市内の三カ所で演説会をこなした。戦況を大きく左右する大票田を回り、顔と名前を浸透させる細やかな戦術だった。

 選挙区のほぼ半数約十五万七千人の有権者を抱える都城市と北諸県郡。各陣営が“本丸”ととらえ最重要視する。古川を支援する前職の堀之内久男(78)と和見の“代理戦争”は、ここでも共産の井福を引き離し、事実上の一騎打ちを演じている。

 古川は和見と対決した前回、追い風を感じつつも和見に都城市で約一万四千票、北諸五町で約八千票の差をつけられ、友好団体を中心に組織力を駆使した自民党の党営選挙の壁の厚さに泣いた。

 今回、公認は逸したものの自民推薦を取り付け、知事選を勝利した安藤忠恕支持者の支援、加えて公明党県本部の推薦も得て環境が一変。陣営は前回と違う雰囲気を感じている。

 しかし、当初こそ組織の後ろ盾の面で出遅れ気味の持永を先行した感があったものの、「選挙戦に入り市内を中心に細かな演説会をし、電話の声掛け作戦などもまめにしている」と、和見の選挙を超える持永陣営の動きの良さに危機感も漂う。

 公示後、主に都城市外で遊説していた古川は三連休最後の三日、満を持して市内を回った。夜は同市で決起大会を開催。大勢の支持者を前に、公明党県本部幹事長の新見昌安らに続き、堀之内の縁で応援のため来県した自民党政調会長の額賀福志郎が声を上げ、古川も「私に政治家としての正しい力を授けてください」と訴えた。

 「古川は確かに前回まで草の根だったかもしれない。しかし、安藤の草の根とは訳が違う。付け入るすきは残されており、巻き返す土壌はある」。知事選で元出納長側についた持永陣営参謀の一人は話す。

 持永は公示前二カ月に満たない時期で出馬表明。和見の後援会連合会会長が「一期当選させるまで」との条件で持永の後援会会長に横滑りするなど準備不足は否めなかった。

 八年間、地元を歩いた古川に対し「負けるわけにはいかない。勝つためにできることは何でもする」と持永本人が意欲的に動き、陣営も「選挙に対する姿勢がいい。これは、ものが違う」と追撃への士気が高まる。

 持永陣営は「堀之内色が強まったことで離れる有権者もおり、選対内は戦略を一本化できていない」と好機とみる。一方の古川陣営は「無理に一本化はしない。当選の最終目標に向かって押し上げればいい」と悲願達成へ動く。

 候補の資質に自信を持つ両陣営は「知ってもらえれば必ず支持される」と、スタッフを総動員し、電話や法定ビラ配布などで無党派層取り込みに力を注ぐ。

 五日夜、今度は持永が市内で大規模な決起大会を開き、大勢の支持者を集めた。投票日まであと三日。両陣営とも確かな手応えを得ようと、最終盤の攻防に入った。(敬称略)

126とはずがたり@2003年総選挙宮崎:2005/08/17(水) 12:01:15

>>120-126
連載 「激戦 03衆院選宮崎」
http://www.the-miyanichi.co.jp/special/syugiin/gekisen.html

 衆院選は二十八日、公示された。ベテランの引退で新人が多数立候補、激戦を繰り広げる。各選挙区の戦いぶりを追った。(敬称略)

>>120-121 1区
>>122-123 2区
>>124-125 3区

127とはずがたり:2005/08/26(金) 12:21:42
棚橋氏の公認申請/県連に2区支部/地元県議らは反発/総選挙
http://www.jic-gifu.or.jp/np/g_news/200310/1002.htm#4

 自民党総裁選の対応をめぐる西濃県議団との亀裂で、公認問題が注目される衆院岐阜2区の自民現職棚橋泰文氏(40)の第2選挙区支部役員会総会が一日、大垣市内で開かれ、公認候補として推薦することを決め、県連に推薦書を提出した。しかし、地元の党郡市支部の支部長を務める県議らは「決定を承知していない」としており、二日に開かれる県連の執行部会・常任総務会合同会議では、推薦書の取り扱いについて厳しい声が上がるのは必至の情勢となっている。

 公認申請は県連を通じて党本部に上げられ、本部が決定する。県内選挙区で手続きが遅れていた2区ではこの日、西濃の選挙区支部の役員ら約百五十人が集まって協議し、推薦を決めた。会合には、党郡市支部の支部長を務める県議の出席はなかった。

 選挙区支部長でもある棚橋氏は「役員会総会での公認推薦の決定は、前回選挙と同様であり、正規の手続き。速達郵便で総会の開催案内も出している。支部長が来ていない党郡市支部は他の役員が出席していた」と話しており、決定の正当性を説明している。

 だが、地元の複数の県議らは「承知していない」とし、「各党郡市支部で調整もしていない」と反発。県連の要職にある県議が多いことから、党本部への公認申請を決める二日の県連の会議では認めないことも予想される。

 正当性を主張する棚橋氏は「県連で握りつぶすことのないよう、県議の先生らの良識を信じている」と話している。

《岐阜新聞10月2日付朝刊社会面》

128とはずがたり@2003年総選挙兵庫:2005/08/29(月) 03:45:18

(4)主導権 「脱組織」の理想と現実 (03/11/03)
http://www.kobe-np.co.jp/senkyo/2003/ren2/04.html

 会場を埋めたのは、やはり労組関係者だった。十月三十日、神戸市須磨区で開かれた兵庫3区の民主前職土肥隆一(64)の決起集会。「今回は党主導型の選挙。労組にはバックアップをお願いしたい」。土肥のあいさつには、複雑な思いが込められていた。

 「党主導」―。民主の県議、市議が日常活動で積み重ねた支持を集め、国政選挙につなげる。指摘され続ける労組依存体質からの脱却。「政党本来の姿であり、新しい選挙のモデル。試練を乗り越えられれば…」。だが土肥の描く理想には、危うさもつきまとう。

 土肥自身、過去四回の選挙は、県内最大規模の兵庫県教職員組合(兵教組)のみこしに乗った戦いだった。非自民勢力の連合・五党協議会(五党協)の統一候補として、公明の支援も受けてきた。

 しかし今回、「政権交代」を掲げた民主は、全選挙区擁立の方針を貫く。県内の公認候補は十人。労組出身者はゼロ。擁立過程で、五党協の維持を視野に自重を促す連合兵庫と激しく意見が対立した。公明、保守新党の前職と競合する2、4、8区で候補擁立を決断した県連代表、土肥への風当たりは強かった。

 九月十日に発表された連合兵庫の一次推薦に土肥の名はなかった。二週間後に推薦を得たものの、傘下の労組への推薦依頼はさらに遅れ、労組と党でつくる選対組織が発足したのは、解散から十二日後だった。

 選対の構成も、労組主体から県議、市議が責任を担う態勢に変えざるを得なかった。労組が一手に引き受けてきたビラ配り、ポスター張り、街頭演説の日程調整なども市議らにゆだねられた。

 一方、「民主基軸の政権交代」を政治方針に掲げて総選挙に臨む連合。五党協、特に公明との連携にこだわって民主の現有議席を失うような事態になれば、組織内で責任の押し付け合いにもなりかねない。「組合のメンツにかけても落とせない」(労組幹部)。ばらばらになりかけた主要労組が、「土肥当選」を照準に動き出したのは、公示日の前日だった。
◇       ◇       ◇

 「五党協崩壊」に道筋をつけた土肥への反発を強める公明は、先に仕掛けた。公示五日前、土肥に二度目の挑戦をする自民新人井川弘光(62)の推薦を決めた。投票直前になって支持の方針が出た前回と比べて“破格”の扱い。井川陣営も、「今度こそいける」と勢いづいた。

 だが、公示後も公明との表立った「連携」の機会はなかなか訪れない。一方で、公明からは2区の前職の推薦を依頼するはがきや室内用のポスターが次々と届くなど、支援要請の圧力は強まる。

 「公明党の皆さん、よろしくお願いします」。街頭で、演説会場で、支持獲得に向けて懸命に頭を下げる井川だが、自身へのエールはなかなか聞こえてこない。「手応えが感じられない」。陣営は焦りの色をにじませつつ、自公協力に期待をつなぐ。

 共産新人森田多希子(48)は、地元の女性県議らとこまめに街頭宣伝を展開。元職が引退した三万票を超す新社会支持票も含め、「女性票の受け皿に」(陣営)と、無党派層の浸透拡大にも力を注ぐ。(敬称略)

129とはずがたり@2003年総選挙愛知:2005/08/29(月) 03:46:55
2003年 8月 28日 
民主の衆院選出馬予定者らに推薦状
連合愛知
http://www.chunichi.co.jp/hold2003/syuuinsen/news/aichi/030828.html

 今秋にも予想される衆院解散・総選挙と、来年の参院選に向けて、連合愛知は二十七日、民主党の出馬予定者に対し、名古屋市熱田区の事務所で推薦状を手渡した。

 推薦されたのは、衆院選が全十五区の計十五人。民主と自由との合併後に民主公認候補として15区(豊橋市など)から出馬予定の都築譲さん(自由)も含まれる。一次推薦から漏れていた7区(瀬戸市など)の小林憲司さんは、二次推薦された。

 この日は出馬予定者らが堀下猛会長から推薦状を受け取った後、組合員らに「自民党政権をつぶす」「政権交代なくして日本は変わらない」などと、選挙戦への決意を表明。必勝を誓い合った。

 この後、民主党県連と連合愛知の「合同選対本部」の発足会議が開かれ、次期衆院選に向けた方針について協議した。

130とはずがたり:2006/10/16(月) 12:36:44
<変わる変える 迫る衆院選1>
棚橋の“乱” 義理人情に縛られず
http://www.chunichi.co.jp/03seikyoku/news/gifu/031004.html

 「もう少し、大人の政治家になってほしい」

 二日、岐阜市の自民党県連本部。次期総選挙に向け、衆院岐阜2区(大垣市など)の現職棚橋泰文(40)の党本部への公認申請を見送った党県連の幹事長猫田孝(63)は、棚橋への苦言を呈した。

 当選九回と現職最多を誇る大垣市選出の県議猫田は、過去二回の総選挙で、棚橋の選対に自らの選対を送り込み、全面的に支えてきた。その棚橋が、九月の自民党総裁選で“反乱”を起こし、若手候補擁立に走った。

 党県議団は、前党県連会長の藤井孝男(60)を一致結束して支援した。藤井が得た地方党員票十五票のうち、県内の獲得票は半数近い七票。党県連幹部として藤井氏選対の中核を担った西濃地区の県議たちは、その原動力となった。猫田らの目には、地元出身の候補で、同じ橋本派の先輩の藤井を支持しなかった棚橋の行動は「情や義理を欠く」と映った。

 西濃県議団長の岩井豊太郎(59)は「県内党員・党友の83%が投票し、藤井さんがその76%を占めた。これが岐阜県の民意。地元から送り出されている以上、棚橋さんも同じ行動を取るべきだった」と批判する。

   ◆  ◆

 地元県議から集中砲火を浴びる棚橋だが、総裁選後も県議らとの接触を避ける一方、西濃地区の市町村後援会の役員に、総裁選での自らの行動を説明してきた。

 「声の大きい人に言われたから、それに従うというのは間違っている。政治家として、自分の座標軸で考え行動した結果なんです」。九月二十七日夜、垂井町文化会館で開かれた国政報告会でも「信念」を強調した。

 党青年局長を務める棚橋は就任以来、全国各地を回り、若手党員の生の声を聞いてきた。週末のたびに戻る地元では喫茶店での「カフェ・ミーティング」で、党員でない子育て世代や若者の声に耳を傾ける。そこでは、育児や教育への不安、二十−四十歳代の間に急速に広がる年金制度への不信感を肌で感じてきた。

 若手総裁候補の擁立は不発に終わったが、総裁選に出た四候補への公開討論会を企画、若手の意見をぶつけた。投票では「次善の策」として、構造改革を推進する小泉総理に一票を入れた。

 「しがらみ政治やボス政治、一部の人の利益だけを反映するような古い体質から、どんな世代の有権者からも支持されるような自民党に変えたかった」と、棚橋は今総裁選の行動について心情を吐露する。

   ◆  ◆

 騒動を心配する周囲は「(地元県議に)事前に一言断っておけば済んだ話。コミュニケーションがなさすぎた」と、棚橋の「未熟さ」を指摘する。一方、強硬手段に出た西濃県議団側も、振り上げたこぶしの下ろしどころを探るが「意地の張り合い」(大垣市議)で、今のところ、歩み寄りの気配はない。

 「政策新人類」と呼ばれる世代の棚橋。従来の自民党の政治家が、「利」とともに、有権者を引きつける常とう手段としてきた「義理人情」の世界に絡め取られないよう、必死で抵抗しているようにも見える。政治は人間相手の仕事、と理解しながらも−。

 次期総選挙では、自民対新民主の対決が注目される。だが、棚橋は別の対決も視野に入れる。「対立軸は『世代』。古い自民党と新しい自民党との闘いです」

  (文中敬称略)

   ×  ×

 衆院解散が十日にも予想される。衆院の小選挙区すべてを自民党が独占し、「保守王国」と言われ続けてきた岐阜県。だが、「王国」も確実に時代の波にさらされている。間近に迫る衆院選を前に、変化の芽を探った。

 (この連載は、有賀博幸、小沢伸介が担当します)

131とはずがたり(1/2):2006/10/16(月) 14:46:21
1980年・1981年
http://www.eda-jp.com/books/usdp/3-8.html
「新自由クラブ・民主連合」

 ダブル選挙で圧勝した自民党は、新総裁に鈴木善幸という意外な人物を選んだ。「万年総務局長」 の異名を持つ鈴木新総裁は、何よりも党内の「和」を大切にした。が、これは裏から見れば「波風立てない党運営」至上主義ということでもあった。田中・福田・鈴木の主流三派に乗って巧みにバランスをとる姿を、マスコミは「ヤジロベー内閣」と呼んだ。

 ところが、与野党伯仲時代には幾分声を抑えていたタカ派が、自民党が圧勝したとたんに活発に動き出した。「ヤジロベー」は、力の強い声高な勢力の方向へ傾斜する体質を持つ。自民党の右傾化が目立ちはじめた。

 ダブル選挙後、連合論はすっかり影をひそめていた。特に公明党は、選挙中、社会党と民社党とのブリッジ役をつとめた結果、股裂き状態となり、議席を減らしたため、「連合」という言葉はタブーでさえあった。

 そうした中で佐々木民社党委員長は、十月十三日には、公・民・新自ク・社民連の四党首脳会議を開催したり、十二月の公明党大会に出て、「私としては、ガラガラと混ぜて、ポンと新しいものが一本できないか、という気持だ」と、来賓挨拶の中で「連合」 への執念を見せていた。

 一方、新自由クラブも、鈴木政権に対してははっきりと対決姿勢をとった。一九八一年二月の新自由クラブ全国代議員大会で、田川誠一代表は、「自民党の中の軍事大国化の“うねり”に対しては、同じ保守勢力、同じ自由主義勢力である新自由クラブこそが“防波堤”となるべき使命を担わねばならない」と発言している。宇都宮徳馬選挙を社民連と共同で戦って以来、新自クの“軍縮・平和”路線は、より鮮明になってきていた。

 一九八一年五月、鈴木首相は訪米し、レーガン大統領と日米首脳会談を行った。

 帰国後、日米共同声明の中の「同盟関係」という表現について野党やマスコミに突っ込まれた鈴木首相は、本会議で「同盟関係には軍事的な意味はない」と答弁。ところが伊東正義外相は、「日米安保条約が基調にある以上、軍事的な意味は当然ある」と答弁したから、野党は「閣内不一致」と騒ぎ出した。

 結局、伊東外相は辞任。鈴木首相は園田直厚相を横滑りさせて、伊東の抜けた穴を埋めた。ところがこの園田外相がマニラで、例の日米共同声明について「声明は条約・協定・覚書とは異なる。外交上の拘束力はない」と失言してしまったのである

 鈴木・園田コンビに外交を任して大丈夫か、という声が自民党内から聞こえてきた。

 こういう外交面でのほころびぶりと較べて、着々と進んでいたのは行政改革であった。中曽根行管庁長官は、土光敏夫を臨調会長に、瀬島龍三を委員という肩書の“参謀”に口説き落とした。鈴木首相は土光臨調会長が出した「行政改革の四条件」を呑み、「政治生命を賭けて答申実現につとめます」と言ってしまった。この一言で、単なる首相の諮問機関に過ぎない臨調が超権威的色彩を帯びるのである。

132とはずがたり(2/2):2006/10/16(月) 14:46:46
>>131-132

 一九八一年の夏から秋の臨時国会に向けて、院内統一会派結成の動きが活発になった。公明・民社・新自ク・社民連で統一会派をという話は、民社党から社民連に早い時期に持ち込まれ、社民連は賛成していた。

 ところが、当の民社党の中は一様ではなく、春日常任顧問は最終的には「中道四党で新党結成」、その前段階としての「四党統一会派」構想であり、佐々木委員長も同じ。一方、塚本書記長・大内政審会長は、「民社の支援組織・同盟と公明の支援組織・創価学会とは肌合いが違いすぎる」と慎重で、党ぐるみの動きにはならなかった。

 そういう時に、コマネズミのように動き出したのが新自クの山口敏夫幹事長である。山口幹事長は、「何が何でも四党にこだわっていては時機を逸してしまう。この際、三党で統一会派を組んで、公明党はアレルギーが消えるまでブリッジで、というのはどうだろう」と説いた。

 一時はこの線で実現するかに見えたが、これを知った公明党は怒り出すし、民社党も「四党統一会派結成」を中執委で決めている。そう簡単に方針を変えるわけにはいかなかった。

 結局、新自由クラブと社民連の二党だけで統一会派へ向けて動き出すことになる。新自由クラブとの統一会派へ向けての話合いは、九月に入って本格化した。両党の政策等の調整は、新自ク側は山口幹事長・柿沢弘治政策委員長・田島衛国対委員長、社民連側は楢崎書記長・江田副代表・阿部選対委員長が窓口となった。

 まず話し合われたのが新会派の名称であったが、「新自由・民主連合」(略称、新自連)と決まった。

 政策のすり合わせは、江田と柿沢の間で行われたが、「安保・防衛」など基本政策で容易にまとまらなかった。この段階で柿沢は江田に対してポロリと本音をもらしている。

 「新自由クラブの立党の精神は保守を革新することにあった。社民連もまた、革新を革新するのが目的ではなかったのか。今回の統一会派については、私自身は納得できぬものがあるが、政策をまとめる作業は私の任務だから最後まで責任を果たす」

 九月二十一日、「新自由・民主連合」が発足しようとする直前、新自クの山口幹事長がとび込んで来て、「依田実議員が、名称を新自由クラブ・民主連合とせよ、と言い張って挺子でも動かない」と言う。

 社民連側としては心外であったが、記者会見の時間も迫っている。楢崎書記長が皆をなだめて、この長々しい名称を呑んだ。

 結成式は、赤坂のホテル・ニュージャパンで行われた。新会派の役員は、代表・山口新自ク幹事長、国対委員長・田島新自ク国対委員長、国対副委員長・甘利新自ク総務委員長および阿部社民連組織委員長。

 新自ク十一名、社民連三名、計十四名による衆院内統一会派は誕生したが、この十四名は数時間後に十三名になる。柿沢政策委員長が離党したのだ。

133とはずがたり:2007/12/13(木) 22:11:26
'03県議選 告示迫る <9> 弘前市(定数6) 有力8人が激戦展開へ
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/kikaku2003/03nen-kengisen/03nen-kengisen_09.htm
(2003/03/28)

◆選挙結果
弘前市(中津軽郡を含む) 定数6−候補8 (選管確定)<自民3/6>
当 13,062 岡元 行人 38 無所属= 自民 新① 木材業 自由民主党←岩木川左岸の河西地区・木村直系
当 11,514 相馬 金昌一 66 無所属 現⑥ 税理士 真政クラブ→弘前市長選出馬当選
当 10,593 三上 隆雄 69 無所属=社民 現② 元参院議員 社民・農県民連合←04参院選では田名部支援
当 10,384 三上 和子 65 共産 現③ 党県常任委員 日本共産党
当 10,067 西谷 洌 58 自民 元3 薬局社長 自由民主党
当 10,012 山内 崇 47 自民 現3 県監査委員 自由民主党←木村批判の先頭に立った・元社会党推薦
□ 9,738 川村 悟 55 無所属= 連合青森 新 前弘前市議・東北電力出身
□ 7,402 蒔苗 宏 55 無所属= 県協・無会 新 紙製品卸業 ←一月の知事選で横山北斗候補を応援して自民を離党・津島恭一氏が支援。勇退する自民県議芳賀も支援

 弘前市選挙区は中郡を含み定数六。現職二人が退く一方、元職一人と同市議から転進を図る新人三人が出馬を表明。有力候補八人で六議席を争う少数激戦が予想される。今回退く芳賀富広(77)は五期、下田敦子(62)は三期を務め、九九年県議選ではそれぞれ九千七百票と一万千六百票で、合計二万千三百票余を集めた。芳賀支援者の一部は新人蒔苗宏(55)の支援に回るとみられるが、下田は後継者について「まったくの白紙」としており、二人の票の行方が候補者の当落を左右しそうだ。
 また、争点の一つである木村守男知事の女性問題を、知事の地盤・津軽の中心地でどう訴えていくかにも注目が集まる。
 前回無所属でトップ当選だった自民の山内崇(47)=二回=。二月定例会の木村知事の不信任決議案で賛成票を投じ、木村系列からの“離脱”を宣言。木村派からの集票が薄れる可能性はあるが、昨年の年明けから小まめに集会を開き、支援組織づくりに努めてきた。
 同じく自民公認で出馬する同党弘前支部長の元職西谷冽(58)=二回=は前回十票差の次点に泣いた雪辱を期す。基盤の商工関係や薬剤関係、旧竹内派の支持固めに力を入れる。
 自民推薦で挑戦する新人岡元行人(38)は木村系。知事の長男・木村太郎衆院議員の盟友を強調。「政治に不満のある同世代の受け皿になる」と若さを前面に出し、地元の同市河西地区への浸透を図る。
 同じく新人で木村系の川村悟(55)は東北電力出身。連合の推薦を受け、自民とは一線を画す。出身の河西地区はじめ各地で後援会づくりを精力的に進め、草の根運動の広がりに期待する。
 もう一人の新人蒔苗は知事選で現職を推薦した自民を抜け、二月に出馬表明。反木村を鮮明にして県民協会の推薦を受けた。芳賀や西谷を支援していた田沢後援会が支持に回るほか、知事選に出馬した横山北斗や弘前大生の勝手連的な応援も受ける。
 共産の三上和子(65)=二回=は積極的に街頭活動をこなし、木村県政を批判。下田の引退で、女性候補は一人だけとなった。根強い革新の支持層に加え、女性問題批判で無党派層を掘り起こし、党勢拡大を狙う。
 三上隆雄(69)=一回=は無所属ながら社民、連合の推薦を受ける。知事選に合わせて事務所を構え、準備を進めてきた。労組票のほか出身の中郡や、農業関係者からの得票も計算している。
 無所属の相馬金昌一(66)=五回=は本格的な選挙準備活動が三月中旬と遅れたが、日ごろの税理士の仕事を通して幅広い人脈を築いており、この強みを生かして六選を目指す。
(敬称略)

134とはずがたり:2007/12/13(木) 23:06:48
2006.07.08
山内弘元代議士の通夜に思う
http://mikami.cocolog-nifty.com/talk/2006/07/post_fedf.html

すでに日付が2日変わってしまいましたが、6日夕に相馬村最初で最後の代議士、山内弘さんの通夜に参列しました。

労組活動から県議4期を経て、土井社会党ブームに乗って衆議院に当選したと書けば順風満帆に見えますが、県議選で落選したり、引退後に息子である崇県議ともども当時は新進党であった木村太郎代議士支持に回ったりと波乱万丈で一筋縄でいかない、まさに政治家らしい方でした。
ただ、小学校入学前後の数年を山内家の二軒隣で過ごした私にとっては、政治家というより生業であるヤマミ商店の「おとちゃ(=お父さん)」であり、私が村議となってからも当時と同じ坊主扱いだったのが、逆にうれしく感じたものでした。
また、その政治活動と生業を支えてきたお母さんには、子どもの頃からかわいがってもらい、最近でも自民党の掲示板の上に長慶苑の夏まつりのポスターを貼ってもらうなど目にかけてもらっているので、最期の看病のご苦労をねぎらってきました。

その通夜の席には、木村前知事も参列していました。
喪主である崇さんは知事のセクハラスキャンダルの際に辞職の急先鋒に立ち、そのまま木村衆とは袂を分かったいきさつがあるのですが、その恩讐を超えて県議同期の訃報に足を運んでくださる度量に、改めて感服しました。
そういう懐の大きさも、政治家として大事だと感じた通夜でした。

135とはずがたり:2008/01/15(火) 14:47:00
2003年の頃の記事

07年の改選では総定数が48から44へ減らされる中,自民は25から21と減らし微かに過半数に届かず民主は5から7へと議席を微増させた。
http://www.news.janjan.jp/election/0705/0705010713/1.php

奈良 なら Nara
保守王国にも二大政党制の波 有権者の意識「変化」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/kikaku/019/42.htm

 今年は選挙の年だった。春の統一地方選や衆院、知事選など、県内で行われた選挙は、国政、地方を含め、全部で四十六件。長引く不況に厳しい地方財政、市町村合併など、政治に課せられた課題は山積みとなる中、有権者の意識がどう変わってきたか、「選ばれる側」はそれをどう受け止めているのか。(石田 政司)

 「県連の改革を進めたい。奈良と似たような土壌の他都道府県連の実情を調査してほしい」

 統一地方選直後の今年五月、自民党県連の中尾恂事務局長は、執行部の役員からこんな指示を受けた。改革の柱は「小選挙区支部をどう位置づけるか」。同党の組織図は党本部―県連―市町村支部の上意下達方式で、小選挙区支部は蚊帳の外に置かれた形。県連内では「県連と小選挙区支部の連携がうまくとれない」という声があった。

 同党県連は滋賀や和歌山などの体制や規約を調査し、来年の参院選後に新体制を作りたいとしている。しかし同党県議は言う。「衆院選の前に何とかするべきだった。大物県議が主導権を握ってきた従来の体制では、もう有権者の声に応えられない」

 その結果が衆院選の“敗北”だった。

 十一月九日に投開票された衆院選。自民党は独占していた四小選挙区のうち、一、二区で民主党候補に敗れた。二区で敗れた滝実氏は比例選で復活当選したものの、保守王国・奈良にも国レベルの二大政党制の波が押し寄せたと言える。

 出口武男・自民党県連会長は「県民は、生活に近いところでは安定を、国政には変化を求めている。意識の差をどう受け止め、変わっていくかが課題」と選挙結果を振り返る。

 一方の民主党。衆院選では議席を増やしたが、県議会では五議席で、自民党の二十七議席には遠く及ばない。「相変わらずの連合奈良の組織と『風』頼み。まだ、県内で根をおろしたとは言えない」とある自民党県議は指摘する。中村哲治・民主党県連会長は「今後は国政から市町村政まで、それぞれのレベルでしっかり仕事をし、連携させ、無党派層を民主党支持者にしていきたい」と話し、変化の必要性を説く。

 地方選では、自民党など三党推薦の柿本善也氏が知事選で勝利、県議選で自民党が初めて過半数を獲得するなど、ほとんどが現職や有力候補の順当勝ちに終わった。しかし、変化の兆しはある。

 知事選で四選を果たした柿本氏は、衆院選との同時選挙で60%を超える投票率となったこともあり、自身過去最高の約三十四万票を獲得、勝利した。しかし、衆院議員を三期務め、民主党を離党し「改革派」を旗印とした前田氏は約五万票差まで追いつめ、奈良市では柿本氏の得票を上回った。

 柿本氏は「相手は選挙のプロ。厳しい選挙になるのはわかっていたこと」とするが、後援会幹部は語る。「組織をきっちり固めたのに、こんなに差が縮まるとは。前田氏は有権者が何を求めているかをよく知っていた。これだけ多くの県政批判の声があがったことは肝に銘じねば」

136とはずがたり:2008/04/19(土) 22:24:51
裁判の結果はどうでいまどうしてるんでしょうかねぇ。

谷川敏通
渡辺美智雄氏の側近中の側近として、各省の大臣秘書官を歴任
96年宮崎2区に新進党から出馬。民主が擁立した候補なんかよりもよっぽど良く得票してるけどその後出てこないのはどうしたことかと思っていたがどうやら選挙違反で捕まったらしい。
http://blogs.yahoo.co.jp/ryuuzei/47676873.html
http://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E8%A8%BC-%E9%80%AE%E6%8D%95%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%8B%E2%80%95%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E9%81%B8%E3%81%AB%E3%81%A6%E9%81%B8%E6%8C%99%E9%81%95%E5%8F%8D%E3%80%82%E9%80%AE%E6%8D%95%E3%81%AE%E7%9E%AC%E9%96%93%E3%81%8B%E3%82%89%E5%8F%96%E8%AA%BF%E3%81%B9%E5%87%BA%E6%89%80%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%80%85%E3%81%97%E3%81%84%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E8%B0%B7%E5%B7%9D-%E6%95%8F%E9%80%9A/dp/4756901263

137とはずがたり:2008/06/27(金) 23:25:47
広島スレより

64 名前:黒いウジ虫[] 投稿日:2008/06/27(金) 10:47:55 ID:GzczrOVC
過去三度の県会議員選挙福山市域の票をチェックしてみたんだけどね、
福山は噂以上に部落解放同盟が強いねえ、これじゃあ
福山=部落の町、なっちゃうよ(笑 へへへ♪

広島県議会議員選挙(福山市選挙区) 1999年04月11日投票
当 19,764 宇田 伸 42 無所属 現 福山ガス役員
当 16,176 田辺 直史 49 公明 現
当 16,135 浅野 洋二 51 公明 新
当 15,895 石田 幹雄 59 無所属 現 (民主党系)NKK労組顧問
当 15,631 中津 信義 51 自民 現〈元〉蔵相秘書官・代議士秘書
当 14,763 門田 峻徳 56 自民 新 学校法人理事長〈元〉市教育委員長
当 13,010 辻 恒雄 49 共産 現
当 12,935 川上 征矢 60 自民 新 〈元〉建設相秘書官
当 12,016 渡壁 正徳 58 社民 現 〈元〉市職労書記
11,536 竹田 浩二 55 自民 現 県遺族会長
11,121 戸田 一郎 78 自民 現 製菓会社会長・福祉法人理事長
8,513 江草 恭子 65 社民 現 〈元〉中学教諭
8,235 小寺 好 61 新社 新 新社会党県役員〈元〉県高教組委員長

65 名前:無党派さん[] 投稿日:2008/06/27(金) 10:49:13 ID:GzczrOVC
広島県議会議員選挙(福山市選挙区) 2003年04月13日投票
当 20,043 宇田 伸 46 自民 現 ガス会社役員▽福山JC理事
当 16,361 渡壁 正徳 62 無所属 現 (社民党系)社民党県副代表
当 15,911 門田 峻徳 60 自民 現 学校法人理事長▽市教委委員長
当 15,650 田辺 直史 53 公明 現
当 15,244 浅野 洋二 55 公明 現
当 14,558 石田 幹雄 63 無所属 現 (民主党系)労組役員
当 13,346 中津 信義 55 自民 現 蔵相秘書官
当 12,309 辻 恒雄 53 共産 現
当 11,888 川上 征矢 64 自民 現 建設相秘書官
8,625 大元 光代 59 無所属 新 (新社会党系)ジェンダー・フリー市民団体代表


66 名前:黒いウジ虫[] 投稿日:2008/06/27(金) 10:49:51 ID:GzczrOVC
広島県議会議員選挙(福山市選挙区 9→11 2増) 2007年04月08日投票
当 22,483 宇田 伸 50 自民 現 福山瓦斯株式会社取締役
当 16,785 田辺 直史 57 公明 現
当 16,436 渡壁 正徳 66 無所属 現 (社民党系)元市職労書記
当 16,143 内田 務 55 無所属 新 (民主党系)元JFE福山労組副委員長
当 16,004 浅野 洋二 59 公明 現
当 15,083 平 浩介 52 自民 現 クロダルマ株式会社取締役
当 14,114 辻 恒雄  57 共産 現
当 13,082 門田 峻徳 64 自民 現 学校法人福山学園理事長
当 12,926 松岡 宏道 51 自民 現
当 12,733 中津 信義 59 自民 現
当 10,777 川上 征矢 68 自民 現
9,918 山下 真澄 57 無所属 新 (新社会党系)部落解放同盟県副委員長
5,396 藤井 正已 51 自民 現

138とはずがたり:2008/07/29(火) 21:02:43

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/2614の別紙記事

民主 石津氏擁立を断念
次期衆院選
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20080216-OYT8T00822.htm

 民主党県連(大畠章宏代表)が、次期衆院選の茨城2区から党公認で出馬するよう要請していた元大洋村長、石津政雄氏(60)の擁立を断念したことが16日、分かった。石津氏が母親の健康状態などを理由に出馬しない意向を大畠代表に伝えた。大畠代表もこれを了承し、党本部に公認内定の取り消しを申し出た。

 当初、石津氏は出馬に前向きな考えを示し、県連は1月下旬、石津氏の公認を党本部に申請し、党本部から内定が出ていた。鳩山幹事長を迎えた11日の記者会見で、公認を発表する予定だったが、石津氏が当日になって「出席を見合わせたい」と申し出たため、発表は先延ばしになっていた。

 大畠代表は読売新聞の取材に「本人の意思は固く、これ以上要請はしない」と話した。

 県連は、24日開催予定の党大会で全7選挙区の公認候補を発表すべく、絞り込みを進めてきたが、石津氏の擁立断念で、事実上無理になった。また、先月公認申請した1区の元経済産業省職員、福島伸享氏(37)に対する党本部の公認内定もまだ出ていない。

 2区の候補者選定は白紙の状態で、県連は仕切り直しを余儀なくされる格好だ。党関係者からは見通しの甘さを指摘する声も聞かれ、支持者からの批判が高まりそうだ。
(2008年2月17日 読売新聞)

139とはずがたり:2008/07/29(火) 21:06:03
07年参院選長崎
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089893576/2864とか

約10万の公明票 各陣営、取り込み躍起<揺らぐ政>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200407040175.html

 1議席を3人が争う17日間の選挙戦は、折り返し点を過ぎた。11日の投開票に向けて各陣営が注目するのが、長崎選挙区に候補を立てていない公明の支持層の動向だ。公明推薦を得て都市部での支持拡大を目指す自民現職。自公連立政権への批判を強め、公明支持層の離反を狙う民主、共産の新顔。過去の国政選挙で集めてきた10万前後の公明票に、各陣営が触手を伸ばしている。

 6月25日午後、JR長崎駅前。共産新顔の選挙カーに、客待ちのタクシー運転手が近寄った。
 「マイクを握らせてくれ」。運転手は陣営幹部に声をかけた。公明の支持者だと名乗った。「不景気で食うや食わずなのに、連立政権は年金をむちゃくちゃにした。腹立たしさを訴えたい」

 共産は今回、選挙区での活動をテコに比例区で5万(→現実には3.4万票に止まる)の得票を目指す。昨秋の衆院選(→3.7万票)より1万3000票も多いのは、小泉政権への批判票の増加を見積もったからだ。陣営幹部は「自民と公明は年金制度改革と称して庶民を見放した。平和への思いで重なる公明支持層を取り込みたい」と話す。
    ■
 公示直前の6月21日、公明党県本部は自民現職の推薦を決めた。「のどから手が出るほど欲しかった」と陣営幹部は喜んだ。
 6年前の参院選。自民現職の得票は27万1000余。民主、公明、社民が推した無所属新顔に約2万7000票差に迫られた。長崎、佐世保、諌早の各市で、新顔に敗れたのが原因だった。
 最近の衆参選挙の比例区で、公明は県内で10万票前後を得てきた。公明の有力支援団体の創価学会は県内に5万世帯の会員がいるとも言われる。その多くは、長崎市など都市部に集中している。
 しかし、自公両党の選挙協力は一筋縄ではない。自民は今回、比例区に33人の候補を立てた。その出身は経団連、医師連盟など職域団体が中心。旧運輸、旧自治、旧郵政各省のOBもいる。自民現職の陣営幹部は「『比例は公明へ』なんて、口が裂けても言えない。できる範囲で協力していくしかない」と漏らす。
    ■
 「近所に公明の支持者がいたら、かならず声をかけてほしい」。公示直前、民主新顔の陣営幹部は、事務所を訪ねた支持者に声をかけた。
 公明支持者向け限定の呼びかけの文句も決まっている。「年金制度改革は国民のことを考えていない。政治家と官僚、業界がもたれあう時代は終わった。今回はどうか協力をお願いします」。公明批判の言葉はない。
 自民現職に迫るには、公明が地力を持つ都市部を押さえたい。陣営幹部は「公明は『平和の党』と言いながら、小泉首相が主導した自衛隊のイラク派遣を容認した。多国籍軍への参加さえも、許してしまった。失望を感じている公明の支持者が狙い目だ」。
    ■
 「被爆地を抱える長崎で、小泉政権の政策は評価されるのか」。公明党県本部の関係者も気をもんでいる。自衛隊のイラク派遣や年金改革を進めた連立内閣への支持者の採点が、比例区での公明の得票に影響しかねないからだ。
 ある幹部は「自衛隊のイラク派遣と多国籍軍への参加問題。そして集団的自衛権の容認を視野に置いた憲法改正の動きを信条として受け入れない支持者がいるのは事実」と打ち明けた。
 「だが」と幹部は続けた。「小泉首相の行き過ぎにブレーキをかけられるのは、どの政党なのか。そこを理解してもらうしかない」
 (07/03)

141とはずがたり:2008/10/02(木) 23:10:51
>>140
ありがとうございます。面白いですね〜。
まだとは総研もなかったのか引っかかりませんなぁ。みてみると開設は02.06.18だ。。
最初の頃からgoogle気に入って使ってたつもりだけどデザインにも記憶がないですね。。

142とはずがたり:2008/10/02(木) 23:11:39
まちがってsageてもた。まぁ一番目なんで関係ないですけど。

143とはずがたり:2008/10/04(土) 13:03:19
10年前に在庫僅少では残ってませんかねぇw

http://www.asahi.com/information/senkyo98cd.html
CD-ROM
asahi.comで見る
'98参院選のすべて

1998年7月23日 

 朝日新聞社は、第18回参議院通常選挙(1998年6月25日公示、7月12日投開票)に当たってインターネット情報サービス「asahi.com(アサヒ・コム)」を通じて提供してきた、選挙結果やニュースなどの記録を、CD-ROM「asahi.comで見る '98参院選のすべて」として、7月23日に発売しました。

 インターネットで提供した情報を、ネットワークに接続することなく、いつでも簡単に表示できる CD-ROM の形式で提供するデジタル出版物で、asahi.comとしては「'96総選挙のすべて」「第21期囲碁名人戦全棋譜」「長野冬季五輪全記録」に続く第4作です。

 このCD-ROMには、候補者(政党)の市区町村別得票数、朝日新聞の全国版、地方版の主要記事、関連資料など2000ページを超すデータが、asahi.comでお届けしたのと、ほとんど同じ形で収録されています。グラフ類も豊富で、インターネットならではのビジュアルな画面も楽しめます。針路が見えない日本の政治のいま、を考える基本資料として、家庭や学校、職場で、ご活用ください。


ウィンドウズ95、マッキントッシュ両方のパソコンに対応しています。さらに候補者(政党)の市区町村別得票数を、加工可能なデジタルデータにした特別版もあります。 インターネット用のブラウザ(表示ソフト) Netscape Navigator 4.04 と Microsoft Internet Explorer 4.01 も組み込まれており、ネットワークに接続しなくても、パソコンにこのCD-ROMを読み込ませて、手元で asahi.com の選挙画面を読み出すことができます。


<主な内容>
1. 47選挙区と比例区の開票結果
各党の最終獲得議席数、候補者の得票グラフ入りの開票結果のほか、選挙区の各候補、比例区の各党の市区町村別の得票数の表付き。前回'95年参院選の開票データも収録しており、今回の選挙との比較もできます。

2. ニュース記事と企画シリーズ
「ただよう 98選挙」「政党って何だろう」「にっぽん問題を考えるとき」のほか、「シリーズ 参議院な人々」など大阪、名古屋、西部本社版からも多角的な連載記事を収録。「3つのキーワードで検索した記事集」(投票率を考える/過半数で顧みる/重い1票の格差)も付いています。

3. クリック! 選挙列島
日本地図の各都道府県をクリックしていくと、各選挙区のデータや地方版記事へ。各選挙区や比例区の候補者一覧から、知りたい人物の名前をクリックすると、略歴などのプロフィルが分かります。

4. 過去の参院選データ集
前回参院選のデータのほか、参院勢力分野の推移、候補者数と競争率、有権者数と投票率、不在者投票者数の推移、歴代内閣(竹下内閣以降)の支持率などもグラフ付きで。

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144とはずがたり:2009/02/02(月) 21:46:45
2789 名前:千葉9区[] 投稿日:2009/02/02(月) 21:44:13
懐かしい記事でも
97年沖縄の記事:新進党に仲村がいたころ・・・

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-87089-storytopic-86.html
自民県連が仲村氏(新進党)に復党を要請
1997年5月13日
自民党県連の伊良皆高吉幹事長、嘉数昇明副会長は12日、新進党県連会長の衆院議員・仲村正治氏を後援会事務所に訪ね、自民党に戻って一致団結するよう正式に要請した。仲村氏は「後援会、県議団と話し合ってみたい」と言明。申し入れに対し真剣に検討する考えを初めて示した。西銘順志郎氏ら「西銘派」の復党に続いて、「仲村派」を率いる仲村氏が自民党に復帰すれば、県内政局は激変、来年秋の県知事選の行方にも大きく影響するだけに、動向が注目される。同問題で、自民党県連が仲村氏に直接要請をするのはこれが初めて。 席上、伊良皆幹事長は「沖縄の将来を決める上で今ほど重要な時期はない。この時期に県内の保守勢力が分散しているのは沖縄のためにならない。今こそ手を取り合って大同団結すべき時だ。沖縄の未来を築くため、再び一緒になってほしい」と申し入れた。 関係者の話を総合すると、仲村氏は保守が分裂している現状に憂慮を示した上で「沖縄の将来を思う気持ちは同じだ。県議団と話し合ってみたい」などと答えた。 新進党県連からは大工廻朝栄政審会長が立ち会った。 要請を終えた伊良皆幹事長は「仲村氏から、前向きの感触を得た。保守合同が実現できるように全力を尽くす」と語った。 新進党の県議団は、4月19日に仲村氏を交えて復党問題を協議。県議団の中からは「新進党が政権を取れるとは思えない。今が戻る好機だ」との意見があったものの「中央政局の状況を見極めてから判断すべきだ」「衆院選、県議選で友党の公明や創価学会から支援を受けている。裏切ることになるので、軽々には論じられない」など、慎重論が大勢だった。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-90222-storytopic-86.html
新進党県連、分裂状態に
1997年9月16日 新進党県連会長の衆院議員・仲村正治氏(66)は16日午後2時から那覇市のホテルで記者会見し、新進党を離党し自民党に復党することを公式に表明する。会見に先立ち同日正午から、後援会事務所で役員会を開き、自民党への復党の意思を報告する。
仲里利信、具志孝助、大工廻朝栄の3県議は16日付で新進党を離党。新進党県連は事実上分裂する。県議団は同日朝、議員総会を開き、今後の所属会派の在り方などについて話し合う。
引き続き新進党にとどまる新進党県連幹事長の外間盛善、同政務会長の新垣哲司両県議は「仲村氏の離党が決まれば、県連の役員会を開いて、組織を再構築していく」と説明。今後の選挙で仲村氏を支持していくかは「一般的には党が違えば難しい。新進党候補が出なければ配慮の余地もあろうが、どうなるか分からない」(外間氏)と述べている。
仲村後援会の屋宜宣貞会長は「保守支持層以外の方々からも支援を受けたので、中途での離党は筋が通らない」などとして、16日の役員会の席で、後援会長を辞任する。
仲村氏は15日、屋宜後援会長ら役員を訪ね「16日に役員会を開き、新進党からの離党と自民入りについて報告したい」と意向を伝えていた。
一方、自民党県連の嘉数昇明幹事長は「沖縄の1番大事な時に、仲村氏の実績、キャリアを生かせないことは沖縄にとって損失だった。仲村先生の決断を高く評価する」とコメントしている。

145千葉9区:2009/02/02(月) 22:04:18
宗男が平成会のプリンスだった頃・・・
http://tokachi.co.jp/kachi/jour/sosenkyo/1.htm
'96 総選挙激戦区ルポ[1]
13区(釧根地区)

27日召集の臨時国会で衆議院が解散し、総選挙は10月8日公示、20日投票を前提に動き出している。小選挙区比例代表並立制が導入される旧5区は11区(十勝)、12区(網走)、13区(釧路、根室)に分かれるが、今回は12、13区の戦いについてリポートする。
“国替え”鈴木氏が攻勢

「単純に得票数では、北村さん(直人、新進党代議士)が8万票で、私は2万票と勝負にならないのが最初の見方。だが、1年半ここに住んで、地元としてそれなりに認知され、はずかしくない戦いはできる。相手の背中は見えてきた。もう少しだ」。総選挙の日程がほぼ確定した19日午後、1週間ぶりに釧路入りした自民党の鈴木宗男は同市役所でこう強調した。 13区の前回(93年)

自民3派結集がカギ

旧5区の中で唯一、与野党の主要3党が候補者を立てる釧路・根室管内の13区。新選挙制度で、十勝(11区)出身の鈴木が13区に“国替え”となり、各党しのぎを削る三つどもえの激戦区に転じている。

前回選挙(1993年)の釧根の得票数は、北村が8万498票でトップ。次いで岡田篤の実父、岡田利春の6万573票で、鈴木は1万9千833票。これに自民の中川昭一、武部勤の得票を加えると5万878票。カギを握る自民3派の結集について「協力体制はきちんといっている。釧路はもともと中川一郎(故人、元農林水産大臣)先生の金城湯池。やりやすい」とさえ言う。

これに対し、北村事務所事務局長の須原敏弘は「中川さんや武部さんの支持者は必ずしも自民ではなく、人柄で選んでいる。連携が全てうまくいっているとは考えにくい」と、経済界を中心とした基盤に加え、新進党比例区から立候補する市長の鰐淵俊之と連携し、支持層の充実と拡大を図る構えだ。また、陣営では「これから地域のためになる代議士を育てていく意味でも、北村を当選させてほしい」と、鈴木が自民党比例区の1位で当選が既に担保されているため、小選挙区の北村、新進党比例区1位の鰐淵と合わせて「釧根から3代議士」を主張する声も出ている。

「本当の地元」訴え

一方、鈴木は「比例区の担保は戦うものとして勇気づけになる。ただ、自民党は選挙後も与党であり、野党が出ても釧路のためにはならない」と語り、鈴木宗男釧根連合後援会会長石田栄一も「釧根には有力な政治家はおらず、国の予算も過去10年間伸びなかった。しかし、鈴木代議士が来てくれたことで、今年の開発予算は45億円増えた」と主張。北村陣営では「本当の地元はうちで、10年間築いてきた後援会の信頼は大きい。だが、確かに政権与党の強引さには厳しいものがある」(須原)と警戒感を強めている。

さらに、総選挙後に行われる釧路市長選も複雑に絡む。市長鰐淵俊之の後継選びは、市前助役の後藤敏夫と前道議の綿貫健輔の2人が出馬表明し、北村派同士で争われる。北村陣営は「市長選は総選挙の後のこと。まず代議士の当選をお願いするだけだ」と冷静を装う。一方の鈴木は双方の支援には明言していないが、「逆に(市長選の両陣営が)総選挙でどう動くかが一つの試金石となる」とけん制している。

リベラル結集へ

こうした保守系のせめぎ合いをよそに、民主の岡田陣営はリベラル勢力の結集に奔走している。90年の衆院選で旧社会党は3派で約8万票を得票。選対本部長の岩崎守男(前道議)は「うちは新人だが、過去の結果をみても実績は十分ある。保守同士のせめぎ合いをむしろ、追い風と考えて支持を訴えたい」と強調、「新しい時代に合う候補の将来性でプラスアルファすれば勝てる」と、無党派層を含めた支持拡大を狙う。

オール与党批判

また、共産の石川明美陣営は「国民の声がとおる政治」をテーマに懇談会を開催。消費税問題のほか、地域的な問題として米軍基地矢臼別移転に反対、「この問題では鈴木が推進の立場で、他の候補は一応、反対を唱えているが、オール与党化は変わりない」(同党釧根地区委員長工藤一夫)と批判している。(文中敬称略、政経部=児玉匡史)

146千葉9区:2009/02/02(月) 22:04:53
http://tokachi.co.jp/kachi/jour/sosenkyo/2.htm
'96 総選挙激戦区ルポ[2]
11区(北網地区)

「この12区は武部さんが自民党公認。党人として、公認が何としても勝利するよう応援するのは当然。私の立場を理解してほしい」。20日、13区から出馬する鈴木宗男は北見市内で行われた網走管内連合後援会総会の席で、事実上初めて、武部勤への協力姿勢を支援者に打ち出した。
武部と、民主党から出馬する永井哲男の一騎討ちが予想される北網・12区。前回の武部は北網地区で7万3千500 票。これに対し、11区の中川昭一と、鈴木の合計得票数は4万票。保守票の一本化が武部にとって、選挙戦を有利に戦う第一歩だ。 12区の前回(93年)

保守票一本化へ

過去の選挙では、北村直人(新進党)を加えた4派が激しいしのぎ合いを演じてきた。特に「12区ではこの13年間、中川でも永井でもなく、武部との戦い」(選挙関係者)というほど、反武部色が濃い鈴木支援者とのシコリの解消が左右する。鈴木も支援者の心境を考え、タイミングをうかがってきた。

武部の秘書高橋克博は「中川さんとも、後援会のビールパーティーに出席し、互いにエールを送り合った。(保守一本化は)一歩一歩前進している」と強調する。22日には、旧5区の自民党では一番乗りで、選対本部の事務所開き。票田の草刈りに本格的に走り出した。

これに対し、永井の北見事務所長の相馬宏幸は「保守4派は長年の歴史的な背景がある。鈴木、中川、北村を支援してきた人が本当に武部となるのか」と対立の根深さを指摘する。

対立の根深さも

昨年の道議選で、保守4派が選対で机を並べる場が準備された。しかし、武部は別候補を自民党公認で擁立。3派(中川、鈴木、北村)対武部の構図が生まれた。その反発は北見市長選に波及し、武部が全面支援する現職と、3派に永井の支持母体・平和運動センターが加わり、擁立した新人とが対決。武部側が惨敗を期した経過がある。

武部陣営は「それぞれの選挙で、投票行為は違う」(高橋)としながらも「シコリが全くないと言えばウソになる」。危機感が存在しているのも事実だ。

ただ、相馬は「(反武部が)すぐに永井となるとも言えないが」とも語る。武部との前回の1万1千票差を挽回しなければならない永井陣営は北網の池本、岡田の5千票の取り込みと、北村を含めた保守票5万4千をどの程度取り崩すかがカギをにぎる。

保守票期待できる

党、旧地区労の平和運動センター、農民連盟の3軸の選挙態勢は変わらないが、前回の日本新党並みの風が今回の民主党でつかめるのかも課題。「従来の社会党として戦うよりは保守票が期待できる。プラス要素と見ながら、そこを伸ばしていく」(相馬)。既に9月に入り、専従者が常駐するなど臨戦態勢。支持拡大に動いている。

割って入る共産

共産党の村口照美陣営は農林水産、教育など各分野のシンポジウムを開くなど、候補、後援会が全有権者と対話する姿勢を続けている。共産党が勝利した東京都の狛江市、足立区の首長選の追い風も受け、「自民党に吸収されたオール与党の悪政への反発、共産党の政策に対する共通理解が高まり、依然とは違う手応えを感じている」(同党北見地区副委員長、佐藤栄士)。武部と永井の“激戦”に割って入る。

初めての小選挙区比例代表制。各陣営は「地域にとって何が必要でそれには誰が良いのかを訴えていく」と口を揃える。政党選挙と言われる小選挙区制だが、一方で「地域の代表を選ぶ」点で無党派層を含め有権者の意識が読み切れない戸惑いも渦巻きながら、“オホーツクの灯”がにわかに燃え上がってきた。(敬称略、政経部=橘康隆)

147千葉9区:2009/02/03(火) 23:27:34
2002年白井・尼崎市長初当選時
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/jichi/repo/index.html
地方に吹く 無党派の風
 全国各地の選挙で、「脱政党」を掲げた首長が次々に誕生している。十一月には熊本、新潟、尼崎の三市で無党派市長の当選が相次いだ。右肩上がりの財政の時代が終わり、政党が新たな展望を示せない閉そく状況が続く。来春の統一地方選に向け、「無党派、脱組織」の流れはどこまで加速するのか。四十二歳の女性候補が五党相乗りの現職市長を破った尼崎市を訪ね、「風」の行方を探った。

(荒木紀貴)

▽「組織型選挙は終わったのか」

市政のかじ取りについて北村事務局長(左)と打ち合わせをする白井さん


 かつては重化学工業で栄えた四十六万都市の兵庫県尼崎市。JR東海道線立花駅前の一角にある小さな平屋建てが、新市長に選ばれた白井文さん(42)の事務所である。借家で看板もないが、白井さんはスタッフとの打ち合わせやマスコミ取材に追われ、活気にあふれる。
 「透明性のある市民のための政治姿勢が共感を呼んだ。横浜や熊本、新潟に続き、尼崎にもそよ風が吹いた」。後援会事務局長を務める商店経営北村仁さん(49)は、三週間が過ぎた選挙戦を振り返る。

 白井さんは告示二カ月前の九月に立候補を表明。支援の申し出があった共産党からは支持を受けるにとどめた。「脱政党」を前面に掲げ、大型再開発事業の見直しや福祉重視を訴えた。

 自民、公明、保守、民主、自由の五党の推薦を受け、三期目を目指す現職の宮田良雄さん(75)が組織固めに力を入れるのと対照的に、駅やスーパーの前で市民に直接訴える選挙戦を展開。市民グループや無党派市議のほか、主婦らの勝手連の協力を得て出遅れをばん回し、十七日の投票では約五千票差で現職を破った。

 「新しさと若さを演出した相手の戦略に負けた。現職有利の前評判が油断につながった」。宮田陣営の選対事務局長を務めた団体役員堂本嘉巳さん(64)は、苦々しい表情を浮かべた。

 ▽投票率が過去最低

 投票の三日前の総決起集会。八百五十席の会場は千二百人であふれ、壇上には知事や県議、市議らが顔をそろえた。二百十八の各種団体、企業、労組の推薦もあったが、上滑りの結果に、今も納得がいかない。

 さらに衝撃を受けたのが、32.25%と過去最低だった投票率。投票率が下がると、組織票のある候補が勝つのが選挙の常識だが、票は伸びなかった。「引き締めたつもりだが、組織の人間が投票に行かなかったのだろう。組織で選挙を動かす時代は終わったのか」。堂本さんは自問する。

 立花駅前で客待ち中のタクシー運転手井上康博さん(60)は白井さんに投票した一人。「長野県の田中康夫知事を見ても、時代は動いている。尼崎の沈滞ムードを変えてほしいから」と胸の内を明かした。

 ▽冷ややかな市議会

 白井さんは就任早々、新年度予算の編成作業が待ち受ける。一般会計の約8%に当たる百五十億円の歳入不足が予想され、手をこまねいていれば二年後には財政再建団体に転落する。

 市議会は、大半の議員が現職を応援した経緯もあり冷ややかだ。最大会派・新政会の谷川正秀幹事長(39)は「市民サービスのカットを打ち出した現職を批判するばかりで、百五十億円の穴をどう手当てするのか対案を示していない。しっかりチェックしていく」と話す。

 一方、選挙で白井さんを支持した市職組の東新均書記長は「行政のプロが市民のための政治をするとは限らない。市民の視点からの改革を」と期待する。白井さんは十二日、市長に就任。

148千葉9区:2009/02/03(火) 23:28:01
白井文 新市長に聞く


しがらみ脱却が共感を呼んだ。お金の使途変える。
 「尼崎を変えよう」と訴えて市長に初当選した白井文さんに勝因や抱負を聞いた。

 ―十二日に市長に就任します。今の心境は。

 「しっかりしないといけない」と、責任の重さを痛感している。市役所も市長も市民のためにあるという基本を徹底し、信頼される市役所に変えていきたい。

 ―勝因は何ですか。

 「これを造ります」「あれも整備します」とは一切言わず、既成概念やしがらみを脱しようと一貫して言い続けたのが共感を呼んだ。どこの自治体も同じだと思うが、そこそこのハードはそろっている。国や県の金を引っ張ってきて、サンタクロースのような話をする時代ではない。そのことを有権者が一番よく知っていた。

 ―最も実現したいことは何ですか。

 お金の使い方を変えること。再開発事業などの速度を緩めてでも、福祉や教育など市民の生活に役立つことを重視していく。四年後の国体向けに県が市内に計画するプール建設も、見直しを提案する。「県のお金だからいいじゃないか」という意見もあるが、そう言っている限り、政治は変わらない。

 ―市民のための市役所づくりについては。

 二階にある市長室を一階に移し、ガラス張りに変える。市民が納得できるように、政策が決まっていく過程もガラス張りにしていく。市長の退職金は三千五百万円から五百万円に減らし、二台の市長公用車は一台にしたい。天下り先の外郭団体の統廃合や特別職の報酬減額など、考えている案は事務方に提示している。

 ―来年度は百五十億円の歳入不足が予想されます。穴埋めできますか。

 市側から範を示していくことが必要だ。そのうえで、徹底的に情報公開し、市民と意見交換しながら行財政改革の具体策を考えていく。ただ、来年度予算の編成作業は差し迫っている。自分のカラーがある程度出せるのは二〇〇四年度からになるかとも思う。

 ―市議会からは「具体策が見えない」という批判も出始めています。

 発想に違いがあるし、ある程度の対立は覚悟している。市民の立場で是々非々で議論をしていきたい。二期八年はやらないといけないと思っており、その中で結果を出したい。

 しらい・あや 全日本空輸の客室乗務員として11年間勤務。退社後、人材コンサルタント業を起こす。93年、市議会ぐるみの「カラ出張」への怒りから出直し市議選に無所属で立候補し、当選。2期8年を務めた。尼崎市出身。42歳。




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貝原俊民前兵庫県知事 展望欠く政党 求心力なき組織
 無党派旋風は、かつては国政や大都市部の首長選挙だけだったが、今や地方でも大きなうねりになっている。地方選挙で根強い集票力があった経済団体や労組などが、今や機能しなくなっているのではないか。

 有権者は少子高齢化や環境問題、危機的財政に不安を感じる一方、今までの政治体制では解決できないとの不信感を持っている。「新しい人なら何かやってくれるのでは」と期待を抱き、無党派や市民派の候補に票を投じている。

 ただ、新人たちが明確な展望や政策を持っているかというと必ずしもそうではない。有権者の期待に応えられるだけの結果がついていくのかどうかは疑問も感じる。もし有権者の期待に応えられなかったときは、「誰が市長になっても政治は変わらない」と、さらに無力感やしらけが広がる結果になってしまう。

 右肩上がりの経済は終わり、時代は変わった。しかし既存政党は閉そく状況を打開する新しい展望を示せていない。与野党の対立軸が見えにくく、自民党を支える経済界や民主党を支える労働組合も求心力を失い、混迷している。

 日本文明は米国のような成長至上主義ではない側面を持っている。政党が、日本人に合った国づくりの明確なビジョンを示さない限り、無党派や若い候補が当選し、政党に担がれた候補が落選する今の流れは続いていくだろう。(談)

149千葉9区:2009/02/03(火) 23:29:19
上と同じページですが、2002年の相次ぐ無党派首長誕生に関する記事
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/jichi/repo/index.html
脱政党・組織の首長相次ぐ
「無党派」や「市民党」を掲げた無所属新人候補が、政党などの支援を受けた候補を破って当選した今年の主な首長選


  3・31 横浜市長選で、元衆院議員の中田宏氏(37)が、4選を目指した現職(72)=自民、公明、社民、保守推薦=を破る
  4・21 山口市長選で、元県議の合志栄一氏(52)が、自民、民主、公明、社民推薦の前助役(63)と共産推薦の市民団体代表(68)を抑え当選

  6・23 大竹市長選で、元市議の中川洋氏(52)が、大手企業労組の支援を受けた会社社長(56)=公明推薦=と前助役(62)を破る




 11・10 熊本市長選で、元自民党県議の幸山政史氏(37)が、自民、公明、保守推薦、社民支持を受けて3選を目指した現職(62)を破った=写真=。投票2カ月前に立候補を表明し、自民を離党。市民グループの支援が頼りの「無党派」で戦い、1万6000票の差をつけた。
 交際費問題などで現職の政治姿勢を批判。「情報公開を徹底し、民間の知恵で行財政改革を断行する」と訴えた。投票率は49.06%で、過去最低だった前回の32.33%を大きく上回った



 11・10 新潟市長選で、元新潟日報論説委員の篠田昭氏(54)が、自民、公明推薦の前助役(65)、共産推薦の元市議(62)を抑えて当選した=写真=。「特定の政党や団体の支持は受けない」として、ボランティアを中心に選挙戦を展開。市政の継承を掲げ、労組や経済界の支援を受けた前助役に、約5000票差で競り勝った。
 投票の2カ月前に立候補表明。「ガラス張りの市政に変え、情報公開度全国一に」と改革姿勢をアピールして無党派層の支持を獲得。組織戦で先行した前助役を追い抜いた。投票率は前回を2ポイント上回る39.18%
 11・17 庄原市長選で、元市議会議長の滝口季彦氏(61)が自民、公明推薦の現職(70)に競り勝つ

 11・17 尼崎市長選で、「無党派」を掲げた白井文氏(42)が、自民、民主、公明、自由、保守の推薦を受けて3期目を目指した現職(75)を破る

150千葉9区:2009/04/19(日) 23:29:17
青森市長選関連を調べてたらこんな記事

http://mainichi.jp/area/aomori/news/20090406ddlk02040003000c.html
ガラスの村:六ケ所村1万人集会から20年/3 91年知事選 /青森
 ◆「反核燃」天王山の91年知事選

 ◇「権力がつぶしにかかった」 敗北機に既成事実化
 89年12月の六ケ所村長選に続き、反核運動にとって天王山となったのが91年の知事選(1月14日告示、2月3日投開票)だった。

 争点は、村長選に続いて核燃料サイクル施設の建設の是非。4選を狙う現職の北村正哉氏(当時74歳)=自民公認、民社支持=は「推進」、弁護士の金沢茂氏(同54歳)=革新系無所属、社会・共産推薦=は「白紙撤回」、自民党前参院議員の山崎竜男氏(同68歳)=保守系無所属=は「凍結」を訴えた。三つ巴で戦うのは村長選と同じだった。

 金沢氏の選対事務局幹部を務めた駒田正義さん(68)=現・社民党青森総支部幹事長=は、核燃施設を建設させないための最後の勝負と位置付けていた。ただ、労働者、農家、市民グループが一体となる選挙戦は難しかった。当時、県農協青年部協議会の幹部だった松本淳司さん(52)は「『反核燃』ののぼりにはいろんな組織が集まってきた。一つに束ねるのは容易ではなかった」と話す。

 推進派からの切り崩しもあった。金沢氏を推した元旧浪岡町長の平野良一さん(80)は、「『金沢選挙』でテレビに顔が映った人は、企業の締め付けをくって表に出られなくなった」と打ち明ける。親族が職場で配置転換などに遭い、「カンパぐらいで勘弁してくれないか」と参加を断って運動に消極的になった人も出てきた。

 松本さんも「兼業農家は建設現場で働いている人がほとんど。『金沢(支持を)やめたら仕事をあげてもいい』みたいな業界からの圧力は結構あった」と話す。駒田さんも「本気で権力がつぶしにかかってくるというのをひしひしと感じた」と推進派の力の大きさを話す。

 結果は、一体となった自民党と電力業界から強力な支援を受けた北村氏が32万5985票を獲得。次点の金沢氏(24万7929票)を7万8000票あまり突き放し、4選を果たした。

 天王山での敗北は大きかった。社会党は91年4月の県議選でも反核を旗印に12人の候補者を立てたが、当選したのは無投票となった1人だけ。歴史的大敗に駒田さんも「完全に流れが変わった」と思った。当時、社会党現職県議で選挙に出た今村修さん(67)=青森市=も「知事選が終わってから空気が変わっているなと思う場面がよくあった。勝てると思ってやって勝てなかったショックは大きかった」と振り返る。

 農業者たちも、県農協・農業者代表者大会で核燃施設の白紙撤回を求める動議を可決した88年12月当時の勢いを失っていた。松本さんは「知事選に向けて運動してきたが、目的がなくなった。運動してきた組織にも疲れが出てきた」と当時の限界を話す。

 そして、反核燃運動がしぼみ出したこの91年から、核燃事業の既成事実化が雪崩を打つように始まった。(※肩書は当時のまま)=つづく

151千葉9区:2009/04/19(日) 23:29:43
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20090405ddlk02040004000c.html
ガラスの村:六ケ所村1万人集会から20年/2 「国策」賛否迫った村長選 /青森
 ◇「白紙撤回」わずか341票 反核のともしび消える
 「学校の先生とかが六ケ所村に転勤になると、『行きたくない』と言って辞めちゃう人もいたと聞く。『カラスも飛ばない村』(=カラスの食べるエサもないほど貧しい村)という例え話を言う人もいた」。1958年に宮城県桃生町(現石巻市)から村に入植し、後に七戸町に移住した酪農業の佐々木敏(さとる)さん(64)は、電気がなく、ランプ生活が2〜3年続いた当時の貧しい暮らしを振り返った。

 それから約30年後の89年12月、村民は巨大プロジェクトの「国策」を受け入れるかどうかの選択を村長選で迫られていた。最大の焦点は、核燃料サイクル施設の建設の是非。推進を訴えて5選目を目指す現職の古川伊勢松氏(当時73歳)=自民公認=と、「凍結」を訴える新人の土田浩氏(同57歳)=保守系無所属、「白紙撤回」を掲げる新人の高梨酉蔵氏(同73歳)=革新系無所属、社会推薦=による三つどもえとなった。

 漁業生活者が多い村北部の泊は、かつて海域調査の受け入れをめぐって漁民が対立するなど、村では住民運動のシンボルだった。泊に住む種市信雄さん(74)は「結納まで交わしたのに、片方の家が推進派、もう一方が反対派と分かり、ご破算になったという話もある」とエピソードを語った。

 投票率は過去最高の94・02%で、村にとって天下分け目の戦いとなった。結果は土田氏が3820票で、古川氏を306票上回って初当選。「白紙撤回」の高梨氏は341票しかなかった。この選挙で泊の反核運動のともしびも消えた。種市さんは「(土田氏が『凍結』という)中間的な言葉を選んだために仲間がうまく取り込まれ、ほとんどが『凍結』に回った」と唇をかむ。「1万人集会」から8カ月後のことだった。

 種市さんと同じく、泊で激しい反対運動を展開した坂井留吉さん(83)は「(土田氏は)凍結すると言っていたが、当選したらすぐ推進に変わった」と悔やしさをにじませた。佐々木さんは「同じ核燃反対でも、『反対』と『凍結』の間でしこりが残り、修復を試みても無理だった」と村にとっての潮目の変化を語った。

 4年後の93年12月、土田氏は対立候補に3倍以上の差をつけて再選された。しかし、投票率は前回より26ポイントも低い67・93%。盛り上がりに欠け、村民の関心はもはや薄れていた。

 それから15年あまり。佐々木さんは「お上の言うことに反対するというのは、盾突くというふうにみられた。田舎で何かがあれば隣人に助けてもらう。なかなか本気で反対する人はいなかった」という。坂井さんは「六ケ所は働く場所がない。あるのは日本原燃関係の会社くらい。『危険よりも生活』ということでのみこまれた」と話す。今、村で表立った反対運動をしている人はほとんどいない。(※肩書は当時のまま)=つづく

152千葉9区:2009/04/21(火) 22:56:46
http://mainichi.jp/area/aomori/archive/news/2009/04/04/20090404ddlk02040115000c.html
ガラスの村:六ケ所村1万人集会から20年/1 反核燃のうねり象徴 /青森
 ◇コール連呼「天が動く」 熱狂の後、しぼむ運動
 県議会全員協議会で原子燃料サイクルの立地受け入れを決めて4年後の89年4月9日、元旧浪岡町長だった平野良一さん(80)は午前5時ごろ、仲間と自宅を出た。向かった先は六ケ所村。集会場に敷物を敷き、途中で買ったおにぎりや缶コーヒーを広げた。ピクニック気分だった。

 社会党県本部書記長だった今村修さん(67)は、集会主催者として早朝、村の尾駮(おぶち)浜に着いた。人数を集めるため、事前に関係団体に働きかけていたが、浜が埋まるか心配だった。しかし、全国から反核燃の労働者や農民、市民グループらが集結し、集会が始まるころには1万人に膨れ上がっていた。

 午後0時35分、小雨のなかで集会は始まった。人の数だけ熱気はあった。壇上のあいさつは似たり寄ったりで、笑いながらヤジを飛ばす人もいたが、約8キロのデモ行進に移ると、参加者は「六ケ所を核のゴミ捨て場にするな」「核燃サイクル基地建設阻止」などとシュプレヒコールを連呼。平野さんは声の大きさに「天が動くんじゃないか」と思った。

 参加者はこの後、「人間の鎖」で核燃料サイクル施設の予定地を囲んだ。今村さんは「全部を取り囲めたのはこの時くらいだったと思う」と話す。

 1万人もの人が村に集まったのはなぜか。当時を知る人は「労働組合の動員力と農業団体の団結力が大きかった」と振り返る。この年は消費税の導入問題で「マドンナ旋風」が国政選挙で吹き荒れ、社会党(当時)が躍進した年でもあった。

 しかし、地元で強固な反対運動を続ける種市信雄さん(74)は、熱狂的な集会のなかで、「この問題を本当に知っている人はほとんどいない。気持ちだけでは闘えない」と感じていた。平野さんは「『ゴミ捨て場は嫌だ』という感情論が中心だった。これから建設されるものを止めようという段階だったから、大半の参加者は危機感より物見遊山の要素が多かったのでは」とみる。

 「1万人集会」は反核燃運動のうねりを象徴するものとなった。しかし運動がしぼむ危うさと表裏一体だった。この後、反核燃派の選挙敗北や事業着工による既成事実化などで、反対派の動きは次第に弱まっていった。=つづく

  ◇   ◇

 全国から六ケ所村に1万人が集まった「『4・9反核燃の日』全国集会」から丸20年。使用済み核燃料再処理工場は本格稼働が近付いている。しかし、高レベル放射性廃液を閉じこめるガラス固化体の製造はトラブルが続き、施設周辺での活断層の存在も指摘されている。放射性物質をのみ込み、ガラス細工のように扱いが難しい再処理工場。集会から20年の節目の年に反核燃運動を振り返り、核燃事業を見つめた。(この連載は後藤豪が担当します)

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 ■六ケ所村の核燃料サイクル施設をめぐる主な動き■

1985年 4月 9日 県議会全員協議会が原子燃料サイクルの立地受け入れ決定

  86年 4月26日 旧ソ連・チェルノブイリ原発で事故

  88年12月29日 県農協・農業者代表者大会で核燃施設の白紙撤回を求める動議可決

  89年 4月 9日 六ケ所村で「1万人集会」

     12月10日 六ケ所村長選で核燃施設の「凍結」を公約した土田浩氏が「推進」の古川伊勢松氏らを破って初当選

  91年 2月 3日 知事選で「核燃推進」の現職・北村正哉氏が4選

      9月27日 ウラン濃縮施設に原料の天然六フッ化ウラン初搬入

  92年12月24日 国が日本原燃に対し再処理の事業指定

  95年 4月26日 フランスから日本に返還輸送された高レベル放射性廃棄物のガラス固化体入り容器が、六ケ所の貯蔵施設に初搬入

2006年       映画「六ケ所村ラプソディー」の上映始まる

 ※名称などは当時のまま

153千葉9区:2009/04/21(火) 22:57:28
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20090407ddlk02040122000c.html
ガラスの村:六ケ所村1万人集会から20年/4 閉塞感漂う市民運動 /青森
 ◇「変な人がやっている」 無関心層に訴え遠く
 六ケ所村の核燃料サイクル施設の建設を推進する候補者が91年の知事選で勝利した後、核燃事業は着々と進められた。同年9月、ウラン濃縮施設に原料の天然六フッ化ウランが初搬入。92年12月に国が日本原燃に再処理の事業指定をし、95年4月にはフランスから返還輸送された高レベル放射性廃棄物のガラス固化体入り容器が村の貯蔵施設に初めて運ばれた。

 蓬田村の松本淳司さん(52)=県農業者政治連盟幹事長=はある日、夕食を取りながらテレビを見ていた。ウラン搬入などの「既成事実」が伝えられ、腹立たしい思いに駆られていた。すると、当時、小学生だった次男健吾さん(22)が「パパ、今まで何やってきたの。動いちゃったじゃん」と言った。

 遊びたい盛りの子供たちには「大事なことだ。大きくなれば分かる」と言い聞かせ、毎週のように反核集会に参加してきた。家族を犠牲にしてきたのだ。それだけに、次男が真顔で言った言葉に反論できなかった。事実を認めたくないほど悔しく、涙が出た。松本さんは今、「結果が出ない戦いを続けているうちに、あきらめが出ていた」と振り返る。

 県内の反核運動はすべて消えたわけではない。しかし、使用済み核燃料再処理工場の本格稼働が近付き、反核の波を起こすには程遠い状況といえる。

 今年3月14日、青森市新町1のさくら野百貨店青森店前で、市民団体が月例の街頭活動をした。使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再利用するプルサーマル計画の導入に関し、電気事業連合会(東京都)が計画時期の明示を取りやめて副知事に事情説明をするなど、対応が右往左往したことを批判した。しかし、立ち止まる通行人はほとんどなく、ビラを配るメンバーを避ける人もいた。街頭に立った市民団体「核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会」代表の沢口進さん(63)=野辺地町=は「人には頼るけど、自ら動こうとする人がどんどん減っている」と嘆く。

 今月4日、青森市内であった「第24回『4・9反核燃の日』全国集会」で、主催者団体は再処理工場の本格稼働阻止を訴え、参加者はシュプレヒコールを上げてデモ行進した。しかし、変わり映えしない旧来のやり方に「こういうやり方は引いちゃう」とこぼす参加者もいた。

 市民団体「核燃サイクル阻止一万人訴訟原告団」事務局長の山田清彦さん(52)=三沢市=は「無関心層には『変な人がやっている』くらいにしか思われていない。間違ったことを言っているつもりはないが、限られた人にしか伝わっていない」と頭を抱える。沢口さんは「市民に訴えるデータがない弱さがある。ある程度、推定でしかものが言えない」と、市民団体の弱さを指摘する。

 閉塞(へいそく)感が漂う市民運動。何とか道を切り開こうとしている人たちもいる。=つづく

154千葉9区:2009/04/21(火) 22:57:52
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20090408ddlk02040003000c.html
ガラスの村:六ケ所村1万人集会から20年/5 新たな反核のスタイル /青森
 ◇「周り巻き込み生活変える」 ソフト路線で訴え
 使用済み核燃料再処理工場から直線で約6キロ先にある六ケ所村の観光チューリップ園「花とハーブの里」で3〜5日、「自然エネルギー学校」が開かれた。自分たちで自然エネルギーを作り出し使いこなすことを目指し、全国から28人が参加。太陽電池の製作に挑戦し、水車の設置に向けた現地調査や有機資源を使ったバイオガスプラントの学習などをした。

 県内初のこのイベントを企画したのは、合同会社「花とハーブの里」。代表を務める菊川慶子さん(60)は、86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故で放射能汚染の危険性を知った。「自分が何もしないのは無責任だ」と思い、90年3月、千葉県松戸市から故郷の六ケ所村に一家5人で移り住んだ。「国策」の賛否を問うた89年12月の村長選の直後で、村の反核運動は壊滅状態だった。

 最初は何をすればいいか分からなかった。しかし同年12月、村内の核燃反対の動きを伝える情報誌「うつぎ」を仲間と作って全戸配布し、活動を本格化させた。93年ごろから自宅裏の畑にチューリップを植え、毎年5月、「チューリップまつり」も開いている。

 昨年1月には「花とハーブの里」を法人化。今年は地場産業としてルバーブのジャムを売り出すつもりだ。「六ケ所のものは食べたくない」という都会の人たちに、「ここで住んでいる人たちは、ここで作ったものを必然的に食べる。逃げられないんだ」ということを伝えたいからだ。

 菊川さんの試みは、従来の市民運動と一線を画している。なぜか。菊川さんには崩せない一線があるという。シュプレヒコールは否定しないが自分にはできない。同じ思いを持っていても「あそこには近寄りがたい」と思われかねないからだ。でも一方で、何もしていない人からすれば、自分たちはシュプレヒコールをする人と同じに見えるのではとも思う。解決の糸口は見えないままだ。

 東京都出身の高坂明雄さん(53)は、スタッフとして3月下旬から菊川さんの家に住み込みで働いている。サラリーマンを辞め、自給自足の生活を目指していたが、91年2月の知事選のころから反核運動に加わった。

 初めは座り込みの抗議行動などをしたが、権力には立ち向かえない現実にぶつかり、菊川さんのようなソフト路線に切り替えた。村の食べ物を通じて核燃の問題を伝えようと考えた。結婚を機に首都圏に帰ったが、自然と共生するエコロジカルな生活にもう一度身を浸そうと、十数年ぶりに村に戻ってきた。

 菊川さんは、貴重な存在が戻ってきてくれてうれしかった。「無関心な人は、一番楽な生き方をしているだけ。世の中を変えるには、放射能汚染の恐ろしさを意識した人たちが周りを巻き込みながら自分の生活を変えていくしかない」と、菊川さんは生きるための軸足を語る。

 菊川さんは、3年前に公開されたある映画に出演した。その映画は、従来とは異なるスタイルの反核の「芽」となった。=つづく

155千葉9区:2009/04/21(火) 22:58:19
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20090409ddlk02040097000c.html
ガラスの村:六ケ所村1万人集会から20年/6 映画で問題知り活動へ /青森
 ◇「サーフィンできなくなるよ」 継続するには楽しさを
 06年に公開されたドキュメンタリー映画「六ケ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督)は、核燃の問題を多くの人に考えさせるものとなった。使用済み核燃料再処理工場の誘致で揺れる村民の姿を丹念に追い、建設に対する賛否の声を偏りなく拾い、人体への影響や地球環境、地方と雇用のあり方などの問題を多層的に鋭く提示した。

 自然との協調を模索するNPO「地球とともに」(宮城県石巻市)代表で会社員の武藤北斗さん(33)=同県東松島市=はこの映画を初めて見た時、「知っちゃった。知らない方が楽に生きていけるのにな」と、大変な問題を突きつけられた気がした。

 それまで市民運動にかかわったことはなかった。だが「この映画はたくさんの人に見てもらわないと」と思い、家族の手を借りて自主上映を始めた。何度も見ているうちに、核燃サイクル事業の輪郭が見えてきた。「これは黙っていられない」と焦燥感に駆られた。

 自主上映はこれまで、宮城県内で6〜7回開いた。観客の中にいたサーファーと話すうちに、「海を汚さないでほしい」との気持ちがストレートに伝わってきた。勉強会や浜辺のクリーン作戦など互いの企画に参加し合い、交流が深まった。武藤さんは「当時は1人で活動していた。サーファーたちの助けがなければ、続けていなかったかもしれない」という。

 そうした「反核サーファー」の一人、八戸市の武山拓(ひろし)さん(35)は5年前、再処理工場から出る放射能の危険性を知った。オーストラリアや日本などの若者らが核のない未来を祈り、ウランの産地・オーストラリアから被爆地の広島や長崎まで歩く「国際平和巡礼」のメンバーが八戸市に来た時のことだ。彼らの話を聞き、映画の撮影中だった鎌仲監督から「六ケ所のこと知らないの。ほっといたらサーフィンできなくなっちゃうんだよ」と教わった。

 それから数年後、県内ほぼすべてのサーフショップを回り、再処理工場の問題を説明した。しかし「今さら知ってどうしろっていうの」「お前、何言ってんの」という反応だった。何が起きているか理解していない人も多かった。一生懸命アピールすれば理解してくれると思っていたが現実は甘くなく、心が折れそうになった。

 それからはスタンスを変えた。継続させるには、どこかに楽しさがないと難しいと思った。若い人に頭ごなしに言っても伝わらない。サーフィンの初心者に波乗りの気持ちよさを教え、「こんなきれいな海に放射能が流れてくるって知ってる? 困らない?」と切り出す。するとほとんどの人が話に耳を傾け、「そうっすね」と自然に理解してくれる。

 今は身の丈に合った活動が大事だと思っている。自分の能力を超えて活動しても続かないからだ。「わざわざ型を作らなくてもいい」。サーフィンを楽しみ、サーフショップも営みながら、武山さんは自然体なスタイルを模索している。=つづく

156千葉9区:2009/04/21(火) 22:58:58
原子力スレのほうが良かったかな?
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20090410ddlk02040004000c.html
ガラスの村:六ケ所村1万人集会から20年/7止 県外でストップ!再処理… /青森
 ◇県外で「ストップ!再処理」のうねり
 ◇「力関係変化で止められる」 みんなと一緒に実現へ
 県内の反核運動が低迷するなか、県外では市民の中に「ストップ! 再処理」のうねりが出ている。

 05年2月、岩手県の「三陸の海を放射能から守る岩手の会」が発足した。世話人で盛岡市の元教諭、永田文夫さん(66)は「再処理をやめてほしい」との一点にポイントを絞った。あれこれ求めても焦点がぼけるし、「脱原発」というと引いてしまう人が多いからだ。

 永田さんらは同年9月、▽環境アセスメントをしっかりやってほしい▽アクティブ試験(試運転)は慎重に−−などを青森県と日本原燃(六ケ所村)に申し入れる請願書を岩手県議会に出し、全会一致で採択された。永田さんは「自覚があれば行動に移れる。知ってしまったからには動かざるを得ない、という状況を作りたい」と考えている。

 ドキュメンタリー映画「六ケ所村ラプソディー」が公開された06年、「三陸・宮城の海を放射能から守る仙台の会」(わかめの会、仙台市)が設立された。同会は昨年3月16日、三陸沿岸にある3県の市民団体が一堂に集まった初のイベントを仙台市内で共催した。

 テーマは「海に空に放射能を捨てないで!」。アフリカの打楽器を鳴らし、「ストップ 再処理」と声を上げて行進した。カーニバルのようだった。夜は、竹で作ったドームで色とりどりのキャンドルを包み、全国から寄せられた布書きのメッセージを壁に張った。ステージでは音楽家8組のライブもあった。

 企画責任者だった同会の広瀬剛史さん(34)=仙台市=は「新しい手法として画期的だった。集会の成功で会は市民権を得た」と胸を張る。この様子はインターネットサイト「ユーチューブ」の動画で流れ、大阪の市民団体が手法を踏襲した。

 同会は今年2月、盛岡市で「六ケ所村ラプソディー東日本サミット」も企画。映画を見て再処理工場を止めたいと思い、何をしていいか分からずにいる人たちのために、新しい政策の立案とネットワークの作り方を伝えることを目標にした。

 集まったのは、北海道から関東までの約180人。「市民版原子力政策大綱の策定」「再処理を止めるためのデータバンク作り」など四つのアクションプランを参加者と作った。同会の布田剛さん(34)=宮城県岩沼市=は「みんな、こういう場を求めていたんだな」と実感した。

 昨年12月には岩手の会と協力し、国会議員に呼びかけ人になってもらい、国と市民との直接対話が実現。中央への働きかけも進めている。広瀬さんは「青森は20年間、よく頑張ってくれた」と思う。岩手のメンバーは「海に放射能を捨てないで」と市民が思えるようにしてくれた。次は自分たちも継承し、実現していく番だと思っている。広瀬さんは「力関係が変われば止められる、との見通しがあるからやれる」と結んだ。

 事実上の国策で「ガラスの村」が抱えることになった再処理工場の問題。市民の活動がどんな結果をもたらすかは未知数だが、本格稼働を前に、市民らは従来と異なる受け止め方で新たな動きを生み出している。=おわり

 (この連載は後藤豪が担当しました)

157千葉9区:2009/05/16(土) 10:55:12
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090515-00000057-zdn_n-sci
政治家もmixi活用 中川秀直さんが公認アカウント取得
5月15日17時4分配信 ITmediaニュース

 自民党の中川秀直元幹事長が、mixiの公認アカウントを取得し、日記に政策や日常のできごとをつづっている。ミクシィによると、公認アカウントを取得した政治家は初。

 中川元幹事長の公式ブログによると、「若い世代の人たちにも、もっと政治に興味をもってもらい、もっと政治に参加してもらうため」に始めたという。

 日記は、一部を除いてマイミクシィのみに公開。マイミク申請すると自動で許可メッセージが届き、すべての日記を読めるようになる。5月1日のアカウント開設から15日の午後3時30分の時点までに、70人がマイミクになっている。

 日記には、新聞記事を読んだ感想や、政治家としての決意のほか、好きなお酒や最近見た映画などプライベートの話が写真とともに書かれている。 最終更新:5月15日17時4分

158とはずがたり:2009/05/23(土) 21:17:14
2年程前の記事

県内4地区を振り返って 福岡 北九州 筑後 筑豊
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2007unity/fukuoka/20070424/20070424_001.shtml

 第16回統一地方選が終わった。県内で実施された選挙は知事、県議、市町村長、市町村議など計52。統一地方選を通して何が見えたか。県内4地区をそれぞれ統括する記者が振り返った。
    ×      ×
 ●県内でも2大政党化 今後、活発な政策論争必要 福岡

 自民対民主の対決構図が国政選挙だけではなく、地方選挙でも鮮明になったことが今回の1つの特徴だ。

 知事選では、自民、公明が実質的に支援する現職の麻生渡氏(67)に対し、民主が推す新人の稲富修二氏(36)らが挑み、麻生氏が圧勝。県議選、福岡市議選では、推薦候補を大幅に増やした民主が議席を倍増させる一方、自民などは議席を減らす結果となった。県内でも国政と同様に二大政党化に向かっている。

 今回の統一地方選から、首長選でマニフェスト(具体的な公約)のビラ配布が解禁されたことも特徴の1つ。知事選や太宰府市長選などで活用された。

 ただ、知事選では、雇用を創出し県民所得引き上げなどを訴える麻生氏と、「多選問題」を重視する稲富氏の政策論争がかみ合わず、県民の関心が高い福祉対策などのテーマが置き去りにされた感は否めない。

 今後の選挙では、有権者が何を望んでいるかを踏まえ、マニフェストを活用した活発な政策論争が必要だ。 (地域報道センター・武井良範)
    ×      ×
 ●くすぶる自治体の合併 北九州
 「平成の大合併」後、初の実施となった今回の統一地方選。北九州・京築地区では合併前の17市町村が現在は13市町になり、地域の姿は変容した。だが、「合併」が地域の重要課題として依然、くすぶっていることが浮き彫りになった。

 全国で初めて県知事からの勧告を受け、豊前市との合併の是非が争点となった吉富町長選では、容認派と慎重派が正面から激突。合併を選択せず、単独での運営を決めた芦屋町の町長選でも隣接自治体との合併の是非が1つの争点に浮上した。

 背景には自治体運営の不安が挙げられよう。北海道夕張市の財政再建団体への転落は、遠い町での出来事ではあるまい。程度の差こそあれ、財政悪化に苦しみ、先行きが不透明な自治体には、合併という選択肢は簡単には切り離せない。

159とはずがたり:2009/05/23(土) 21:17:38
>>158-159
 だが、吉富町長選で「押しつけの合併はごめんだ」との声が出たように、官主導の進め方に対する批判も根強い。選挙を終えた今こそ、住民全体で地域の将来を議論し、為政者はじっくりと耳を傾けてほしい。 (北九州支社・鎌田浩二)
    ×      ×
 ●低調の背景に定数過多 筑後

 筑後地区は無投票の選挙が多かったのに加え、各地で「投票したい候補者がいない」と、戸惑う有権者の声を聞いた。

 プレ統一選となった1月の久留米市長選も無投票で現職が再選。周辺4町と合併後初の市長選だったが、与野党相乗りの構図だった。県議選も筑後地区は11選挙区のうち8選挙区が無投票。大牟田市・三池郡区や久留米市区では共産新人の立候補で選挙戦にはなったが、激戦といえたのはベテラン県議が引退して新人3氏が競った三潴郡区だけ。全体的に低調だった背景には、候補者の人材不足というよりも、県議の定数が多すぎると感じた。

 市町村も定数42に64人が立候補した久留米市議選ですら「投票したい候補者がいない」との声を聞いた。議員の大半は資産家や政党員で、費用のかかる選挙実態を考えれば、普通の生活者は立候補しにくいのも現状だ。それを変えることができるのは議員たちだが、自らの議席を失いかねない改革に動く気配はない。有権者が声を上げない限り、政治は遠い。 (久留米総局・坂田恵紀)
    ×      ×
 ●「夕張ショック」が波及 筑豊

 約1400キロ離れた北海道の“夕張ショック”が、同じ旧産炭地の筑豊にも波及した。「第2の夕張にしてはならない」。統一地方選を通して、筑豊の候補者たちは口々にそう訴えた。

 炭鉱閉山後、新しい産業を根付かせるのに苦戦している筑豊地区。どの自治体も財政は火の車だ。一方で石炭六法失効後の激変緩和措置は、3月で終了した。もう国に頼れない以上、旧産炭地は自らの足腰を強くするしかない。そこで筑豊の統一選では、行財政改革が最大の争点になった。

 その結果、直方、田川両市長選では現職が圧勝した。両市とも市町村合併が挫折し、行革に本腰を入れ始めたばかりだ。有権者は、現職が1期目でまいた行革の種をどう育てるか、ひとまずその手腕に託したようだ。

 一方で、行革には痛みが伴う。川崎町長選では、行革で町財政を黒字転換さ
せた現職が敗れた。その先に明るい展望がなければ、痛みに耐えるにも限界がある。行革と活性化にバランスよく取り組むことが「第2の夕張」を回避する道だろう。
 (筑豊総局・堺成司)


=2007/04/24付 西日本新聞朝刊=

160とはずがたり:2009/05/23(土) 21:18:13
同じく2年程前の記事。

新宮町長 中野氏、小差の4選 川崎町長 手嶋氏、4選を阻止 4市長選は現職・後継
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2007unity/fukuoka/20070423/20070423_001.shtml

 統一地方選の後半戦で行われた県内の4市長選と15市議選(総定数339)、5町長選と18町議選(総定数266)は22日投開票され、各市町の新しいかじ取り役が深夜に相次いで決まった。4市長選は、20年ぶりの選挙戦となった太宰府市長選で新人の井上保広氏が初当選した。残る3市長選はいずれも現職と新人の一騎打ちで、直方市長選は向野敏昭氏、田川市長選は伊藤信勝氏=自民、民主推薦、春日市長選は井上澄和氏と、いずれも現職が大差をつけて当選。現職の強さを見せつけた。

 太宰府市長選は、現職が引退して新人による三つどもえとなった。「財政再建」や「改革」を争点に、各陣営が激しい論戦を展開したが、後継指名を受け「市政の発展」を訴えた井上氏が逃げ切った。

 地域づくりなどを争点に現市政の継続か転換かが注目された直方、田川、春日の3市長選は、選挙戦で現職陣営がいずれも「実績」を強調。各種団体の支援を広く集め、組織固めなどを徹底して序盤から安定した戦いを進めた。

 一方、川崎町長選では元社民県議の手嶋秀昭氏が、保守層にも一部支持を拡大。4選を目指した自民、公明推薦の現職を破って初当選を決めた。豊前市との合併問題が最大の争点だった吉富町長選は「町民との議論が必要」と合併に慎重な姿勢を貫いてきた新人の今冨寿一郎氏が合併容認の現職を突き放した。2001年度から赤字経営が続く芦屋競艇をはじめとする財政再建策が争われた芦屋町長選は、波多野茂丸氏が初当選した。

 また、新宮町長選では現職の中野昌昭氏が4選を決め、糸田町長選は現職の伊藤良克氏が再選を果たした。

 県選管によると、4市長選の平均投票率は60.71%、5町長選は74.97%だった。


=2007/04/23付 西日本新聞朝刊=

161とはずがたり:2009/05/23(土) 21:19:00
「新定数」で大激戦 合併後初「在任特例」の“恩恵”なく
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2007unity/fukuoka/20070419/20070419_002.shtml

 ●嘉麻市議選・九州一狭き門 定数26に44人 福智町議選・全国一競争率 定数20に39人

 今回の統一地方選挙で、合併後初の議員選が実施されている福岡県筑豊地区の嘉麻市と福智町が、大激戦に揺れている。嘉麻市は定数26に44人が立ち、競争率1.69倍で九州の市議選で最も狭き門。さらに、定数20に39人が乱立した福智町は競争率1.95倍に達し、こちらは全国の市町村議選で最激戦区に。「乱立選挙で、当選ラインが見えない」(各陣営)という手探り選挙の中、各候補は「1票でも上積みを」と選挙区の隅々を駆け巡っている。
     ◇
 ▼顔見えぬ選挙
 今回の統一選では、全国各地で、「平成の大合併」に伴う議員の在任特例を適用し、議員数が一時的に膨らんでいた市町村で激戦となっている。

 嘉麻市は1市3町、福智町は3町が合併し、いずれも昨年3月に誕生した。合併時の議員数はそれぞれ65人と46人だったが、今選挙は嘉麻市が定数26、福智町が同20と法定定数内で実施されることから一気に激戦模様となった。

 「これまでは親せきが多ければ勝てるくらいの選挙だった。今回は(選挙が大きくなり)有権者の顔が見えない」。嘉麻市議選のある陣営幹部はこう漏らす。

 同市では、合併後の激変緩和のため、今回は旧市町の枠で4選挙区が設けられた。各区ともに前回旧市町議選よりも議席が11−8減り、生き残り戦の様相だ。
 「当選ラインに入るには今までの3倍の票が必要。こんな選挙は初めてだ」と幹部は語る。

 ▼浮動票を争奪
 各陣営の関心は、引退する議員の支持者など浮動票の行方に注がれる。同市では改選期を前に、3月に辞職した議員が13人、今月で引退する議員が11人いる。基礎票にどれだけ上積みできるかが勝利の鍵を握るだけに、各陣営ともあの手この手で浮動票の獲得に躍起だ。

 ある現職は、ほかの3選挙区の候補1人ずつと“提携”。互いの選挙区に住む親族や知人などを紹介し合っている。「少しでも確実な票はしっかりと抑えたい」

 また、別の現職は選挙期間中、50回以上の街頭演説を目標に掲げる。前回選挙の3倍以上の数という。「広い田舎を選挙カーで回るより、人が集まるスポットで公約を訴えた方が効率が良い」との思惑だ。

 だが、各陣営とも様変わりした選挙戦への戸惑いは隠せない。後援会名簿に前回の倍の有権者を集めた現職は「有権者の受けはいいが、票につながる実感がない」と首をかしげる。「浮動票を相手にしているからか、どうしても、有権者がほかの候補も応援しているように感じてしまう」

 ▼旧町の枠超え
 福智町でも戦いは激烈だ。こちらは全町1選挙区となったため、旧3町の枠を超えて票の争奪戦が続く。各陣営はこれまで足を踏み入れたことがなかった地域にも選挙カーを出して浸透を図る。

 町民からは「候補者が多すぎて、誰がどんな主張をしているやら訳が分からん」「立て看板が道路に増えすぎて見苦しい」など、過熱選挙にうんざりした声も出始めた。

 ある現職は「ほかの町にいた候補がどんな選挙戦をしているかは、想像もつかない。とにかく地元でどれだけ票を伸ばすかが勝負」と語る。

 (筑豊総局・一瀬圭司、田川支局・河合仁志)

=2007/04/19付 西日本新聞朝刊=

162千葉9区:2009/05/25(月) 23:05:45
過去の宗教政党:真理党を振り返ってみる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86%E5%85%9A
1990年衆院選
候補 選挙区 得票数 最下位
当選候補の
得票数 惜敗率
富田隆 埼玉1区 484 125594 0.39%
杉浦茂 埼玉2区 553 109398 0.51%
大内利裕 埼玉3区 303 68132 0.44%
広瀬健一 埼玉5区 397 80499 0.49%
遠藤誠一 千葉4区 508 130684 0.39%
松本知子 東京1区 276 51940 0.53%
松葉裕子 東京2区 360 76285 0.47%
満生均史 東京2区 58 76285 0.08%
石井久子 東京3区 398 65259 0.61%
麻原彰晃 東京4区 1783 66337 2.69%
上祐史浩 東京5区 310 77426 0.40%
松田ユカリ 東京6区 202 65409 0.31%
鎌田紳一郎 東京6区 71 65409 0.11%
山本まゆみ 東京7区 536 108037 0.50%
杉浦実 東京7区 232 108037 0.21%
村井秀夫 東京8区 72 44152 0.13%
宮本公恵 東京8区 99 44152 0.22%
坪倉浩子 東京9区 272 81724 0.33%
名倉文彦 東京9区 188 81724 0.23%
新実智光 東京10区 205 91160 0.22%
岐部哲也 東京10区 139 91160 0.15%
飯田エリ子 東京11区 494 129169 0.38%
佐伯一明 東京11区 217 129169 0.17%
秋山伸二 神奈川2区 487 107171 0.17%
中川智正 神奈川3区 1445 113661 1.27%

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%AC%AC4%E5%8C%BA_(%E4%B8%AD%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA)
東京都第4区 (中選挙区)

第39回衆議院議員総選挙 (1990年2月18日実施)
当落 得票 候補者 年齢 政党 経歴
当 78,114 粕谷茂   自由民主党 前
当 73,929 石原伸晃   無所属 新
当 72,165 高橋一郎   自由民主党 前
当 69,131 外口玉子   無所属 新
当 66,337 沖田正人   日本社会党 新
61,311 松本善明   日本共産党 前
58,863 大久保直彦   公明党 前
29,333 岩附茂   社会民主連合 新
11,508 田中良   進歩党 新
4,830 細木久慶   スポーツ平和党 新
3,636 日高達夫   無所属 新
2,831 藤原和秀   無所属 新
1,783 麻原彰晃   真理党 新
747 町田徹   無所属 新
285 高岡紀代子   地球維新党 新
218 森田優一   地球維新党 新
182 重松九州男   日本世直し党 新

163千葉9区:2009/06/09(火) 23:56:40
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/senkyo/gekisen/main/01.html
ねじれる風 大 分

「改革」への警戒感強く

 ■「各論」に触れず
 「小泉純一郎首相の人気で、わが候補の知名度はようやく相手と互角になった」
 参院選が公示された十二日。大分市内の公園で開かれた自民党新人、後藤博子氏(53)の出陣式で、同党大分県連の堀田庫士幹事長は「小泉効果」をことさら強調した。
 ところが、後藤氏本人を含め、登壇した九人はだれ一人として小泉改革の「各論」には触れなかった。高速道路などの基盤整備が遅れた大分では、小泉改革のうち、とりわけ道路特定財源の見直しに触れることはタブー視されているからだ。
 建設業関係者ら約八百人が見守る中、小泉首相の祝電が読み上げられた。だが、拍手は近くの国道の騒音にかき消されるほど小さかった。
 「まだ、選挙情勢は厳しい。建設業者らは『不況で苦しい』と訴えている」と、堀田幹事長は梅雨空を見上げた。
 ■漂う反発ムード
 知名度が低い新人の後藤氏が、四選を目指す社民党のベテラン梶原敬義氏(64)にどこまで迫るのか―。ほかに共産、自由連合の新人二人が立候補した大分選挙区は、自民党が「小泉旋風」の真価を問う決戦場として全国の注目を集めている。
 二月末に無所属での出馬を表明した後藤氏が、自民の再三の公認要請を引き受けたのは六月半ば。森喜朗内閣を嫌い続けた後藤氏は記者会見で「小泉改革に共鳴した」と述べ、公明党も推薦を決めた。
 公示日には、田中真紀子外相が後藤氏応援のため大分入りし、沿道を埋めた聴衆に「みなさんが政治から逃げては駄目なんです」と真紀子節でアピール。十八日には小泉首相みずから来県し、風を呼び込む戦略だ。
 だが、地元では「風」はねじれながら吹いている。自民党を支援する業界団体には「小泉改革」への反発ムードが漂っているからだ。
 「百人の従業員の生活を預かる経営者として、道路財源見直しは許せない。千票の集票割り当てが来ているが、三百票で十分だ」。地場の建設会社社長(57)は、そう言い放つ。
 ■とりでを死守へ
 一方、社民党にとって大分は、今や全国で三議席しかない選挙区のとりでの一つ。村山富市元首相のおひざ元でもあり、「死守」が至上命題だ。
 梶原氏は公示日の出陣壮行会で、小泉改革に対する建設業界などの足並みの乱れを意識しながら「公共事業削減は地方の切り捨てにつながる」と強調した。支援者が手にした「かじわらの通信簿」と題するリーフレットには、具体的な道路名が書かれ「尽力しました」と印刷されていた。
 社民党県連合の久原和弘幹事長は「小泉人気に対抗するには、実績を地道に訴えていくしかない」という。別の県連合幹部は「(村山元首相の)自社さ政権時代、公共事業の要望は『百二十パーセント通っていた』といわれていた。大分の業界団体は社民党に好意を持っているはず」と村山政権の“遺産”に期待する。
 全国的な改革ムードの高まりをよそに、改革の余波や「痛み」をめぐって揺れる選挙戦の舞台裏―。自民党陣営の幹部は「業界団体はとりあえず自民を応援し、参院選後に小泉改革への不満を一挙に噴出させるでしょうね」と、早くも選挙後の波乱を予測する。 (大分総局・東伸一郎)

◇     ◇

 今世紀最初の国政への審判であり、「改革」のあり方を問う第十九回参院選が幕を開けた。冷え切った経済を再生し、地域や暮らしに活力を取り戻すため、各陣営は何を訴え、どんな選挙戦を展開しているのか―。列島各地と九州の激戦区をルポした。

164千葉9区:2009/06/09(火) 23:57:16
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/senkyo/gekisen/main/02.html
民主分裂 京 都

革新支持層を奪い合う

 ■労組まで割れた
 赤いチェックのシャツに白たすき。公示日、民主党新人の元通産官僚、松井孝治氏(41)は上着、ネクタイなしで京都市内の事務所前に立った。
 「自民党政治と官僚体制を外から変えよう」。脱官僚イメージを狙ういでたちと裏腹に、表情は硬い。当選確実の前評判が一転して激戦に。何度も頭を下げる姿には、焦りが感じられる。
 京都選挙区の四議席(二議席ずつ改選)は長年、自民、共産両党で二分してきた。そこに一九八九年の反消費税選挙で、連合京都を軸に非自民、非共産勢力を結集した笹野貞子氏(68)が初当選した。連合型候補はその後、九五、九八年の参院選で連勝。当選した候補は民主党入りし、議席は民主二、自民、共産が一ずつとなった。
 民主党に激震が走ったのは昨年末。公明党の与党入りで連合型選挙を断念、現職の笹野氏を比例代表に回し、地元経済界にパイプを持つ松井氏を擁立することで態勢立て直しを図ったが、笹野氏が転出を拒み、無所属での出馬を表明したのだ。支援労組も割れた。
 松井氏は毎朝駅頭に立ち、無党派票の上積みを狙う。その後ろを「敵は松井」とばかりに、笹野氏が追う。小泉旋風に立ち向かう野党第一党の民主党。しかし京都での分裂選挙は、同党の求心力の低下をまざまざと見せつける。
 ■奪回のチャンス
 民主党の分裂に、共産党は勢いづく。京都はもともと、共産党に近い蜷川虎三元知事の府政が七期続いた革新地盤。それがこのところ伸び悩み、昨年の衆院選でも選挙区の一議席を失った。
 「今回は、笹野氏に奪われている参院議席を奪回するチャンス」(若宮修・共産党府委選挙事務長)。共産党新人の河上洋子氏(44)は既に府内を四巡した。
 昨年の「南」「みやこ」二信金破たんにより、府内の関連倒産は百社を超えた。改革に伴う「痛み」は、ここではすでに現実化している。「小泉批判票を集めれば自民にも勝てる」と陣営は強気だ。
 京都の地で伝統的に分厚い革新層を、「反小泉」を掲げる民主、共産、無所属の有力候補が奪い合う構図だ。有権者はどの候補を「反小泉」の代表と認めるのか。京都選挙区は、小泉改革への“挑戦者”を決める戦いの場でもある。
 ■危機感から一変
 高さ三メートルの小泉純一郎首相のポスター。ビルには「改革断行、小泉総裁とともに」の巨大スローガンが躍る。自民党現職の西田吉宏氏(67)の選挙事務所は、小泉一色だ。
 西田氏は、反消費税のあらしが吹き荒れた八九年、新進党ブームの九五年と、二度の逆風選挙を生きのびた。今回も森政権当時は、がけっぷちの危機感が募っていた。ポスターは府議や市議とのツーショットばかり五十種類つくり、森派の参院会長でありながら「森隠し」を徹底していた。
 それがかつてない追い風に一変。今では「怖いのは上滑り」(選対の植田喜裕府議)と余裕さえ見せる。西田氏がこのままリードを保つのか、野党候補との混戦にもつれ込むのか。京都の夏は例年以上に暑い。(東京報道部・三村龍一)

165千葉9区:2009/06/09(火) 23:57:56
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/senkyo/gekisen/main/03.html
乱立混迷 福 岡

真っ向ぶつかる8陣営

 ■改革の先陣争い
 公示後、初の日曜日となった十五日、福岡市・天神の西鉄福岡(天神)駅前に人の輪ができた。「私が小泉改革のシンボル」と声を張り上げたのは自民党の比例代表候補、舛添要一氏(52)。テレビ出演で知られる「有名人候補」だ。
 舛添氏は北九州市出身。「福岡から改革ののろしを」と呼びかける舛添氏の隣で、福岡選挙区(改選数二)の無所属新人で自民党推薦を受けた古川忠氏(52)が手を振った。だが、古川氏が舛添氏と並んで遊説するまでの道のりは長かった。
 古川氏は昨年末の立候補表明以来、公認を求め続けた。しかし、先に公認を受けた新人の松山政司氏(42)を推す麻生太郎政調会長らと、古川氏を支える山崎拓幹事長の代理戦争的要素も絡み、古川氏が推薦を手にしたのは公示二日前だった。
 分裂を象徴するように、舛添氏は十四日には松山氏とともに北九州市の街頭に立った。小泉改革の先陣争いを繰り広げる両氏は、舛添氏来援ひとつとっても「依頼したのはこっち」(古川陣営)「唯一の自民公認として後押しを受けた」(松山陣営)と、なおもさや当てを重ねている。
 ■野党協力ならず
 天神の百貨店前に十三日夕、民主党の菅直人幹事長の声が響いた。「小泉さんに勝ってこそ、本物の政権交代だ」。横には比例代表候補の大橋巨泉氏(67)と福岡選挙区の同党新人、岩本司氏(37)。三千人もの聴衆からは「頼んだぞ」の掛け声も飛び、小泉人気への対抗策に苦慮していた陣営幹部は「やっと一息」と久々の笑みを浮かべた。
 森喜朗政権時代には、政治の刷新を訴え「二議席独占も」とささやかれた野党陣営。ところが、小泉人気で情勢は一変。選挙協力が成立せず、乱立した野党間の競合も懸念材料としてのしかかっていたが、公示をはさみ党首クラスや有名人候補者が連日、福岡入りし反転攻勢に打って出始めた。
 この日、同じ場所に現れた自由党の小沢一郎党首は、同党新人の古賀潤一郎氏(43)への支援を求めた。十四日は大学教授の田嶋陽子氏(60)が社民党現職の三重野栄子氏(75)とアベック作戦。共産党新人の津野豊臣氏(57)の陣営も志位和夫委員長の来援を計画する。
 ■もう1人の主役
 八陣営が「選挙サンデー」で走り回った十五日、福岡選挙区に新たな波紋が広がった。現職の木庭健太郎氏(49)を比例代表に回し、選挙区での対応が注目されていた公明党が松山、古川両氏を推薦する方針を固めたことが明らかになった。
 福岡県内の公明票は当選ラインに匹敵する四十万票前後とみられるだけに、各陣営の表情は喜びや落胆などさまざま。公明組織に向けて「両氏に半分ずつ割るのだろうか」など新たな関心も寄せられ始めた。
 支持母体・創価学会の地元幹部は「両氏推薦といっても比例代表とのギブ・アンド・テークが原則。どれだけ木庭票を出してくれるかだ。民主党とも旧新進党時代のつながりがある」と思わせぶりな口調で語る。過去四回連続で当選(一九九八年の無所属を含めて)の実績がありながら、福岡選挙区から姿を消した公明党が「もう一人の主役」として乱戦の混迷ぶりを一層複雑にしている。 (地域報道センター・竹森太一)

166千葉9区:2009/06/09(火) 23:58:29
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/senkyo/gekisen/main/04.html
「本流」争い 宮 崎

波乱に揺れる保守王国

 ■公明票の争奪戦
 「模様眺めしている団体も、これでやっと、どっちが自民本流かはっきり分かったはずだ」
 公示二日後の十四日。自民党新人、小斉平敏文氏(51)の陣営幹部は、満面の笑みを浮かべて、宮崎市と周辺六町の公明党支部で組織する同党県第一総支部の松下康弘総支部長らを迎えた。
 同総支部が「連立の枠組みを尊重する」として、自民党公認から漏れた無所属現職の長峯基氏(60)ではなく、小斉平氏の支持を決めたからだ。
 公明党県本部は公示前日、「自主投票」を決めたが、党の比例候補と自民系選挙区候補との地域レベルでのバーター協力をにらみ、支部独自の推薦や支持は容認している。
 宮崎県南部の拠点都市・都城の公明支部は「長峯氏支持」。県北の延岡支部は「小斉平氏推薦」。第一総支部の小斉平氏支持でバランスが微妙に揺らぐ中、自民系二陣営による公明票争奪戦は激化する一方だ。
 ■全面戦争に発展
 今月三日、自民県連党紀委員会は、長峯氏を推薦する延岡、日向など四支部長の離党勧告処分を決定。長峯氏の外堀を埋める作戦に出た。ところが、これらの支部を地盤とする江藤・亀井派会長の江藤隆美氏(76)が猛反発。堀之内久男県連会長(76)にねじ込み、処分通知の発送は見送られた。
 長峯氏の選対本部には自民県議三十一人のうち過半数の十六人が副本部長として名を連ねる。「露骨だ。代理戦争が全面戦争に発展してしまった」。小斉平氏陣営の幹部は頭を抱える。
 分裂劇の背景にあるのは、小斉平氏の後ろ盾となり、県政界に強い影響力を持つ上杉光弘参院議員(59)と、その対抗勢力の確執。二十二年前、当時の現職知事が受託収賄容疑で逮捕(控訴審で無罪確定)された「黒木事件」以来、県保守政界に影を落とし続ける積年の“権力抗争”が、参院選をきっかけに表面化したのだ。
 双方の陣営は「公認は正式な手続きで決定した」(小斉平氏陣営)「公認漏れは県連の横ヤリだ」(長峯氏陣営)と応酬。過熱する本流争いに、県庁幹部は「どちらが勝っても県政は荒れる」と危ぐする。
 ■変動するライン
 自民党の分裂劇をにらみ、旧社会、民社時代からの確執を引きずってきた社民、民主両党は、県内の国政選挙で初めて共闘。無所属統一候補として新人で元民放キャスターの東治男氏(56)を擁立した。両党は「自民から議席を奪回する千載一遇の好機。今回を逃せばチャンスは二度とない」と口をそろえる。
 東氏の出陣式には、旧社会党参院議員の野別隆俊氏、旧民社党委員長の米沢隆氏も姿を見せた。十六日夕には、鳩山由紀夫民主党代表、中西績介社民党副党首がそろって宮崎市で街頭演説。内輪もめで党中央の幹部が応援に二の足を踏む自民党をしり目に、結束をアピールした。だが、猛烈な“小泉旋風”が、陣営の勢いをそぎがちだ。
 昨年の衆院選で両党が獲得した比例票は約十八万。自民は衆院議員の個人票を合わせると三十万以上の底力をもつが、票の割れ方次第で当選ラインは変動する。共産党新人の馬場洋光氏(32)、自由連合新人の木幡豊氏(45)も、比例と連動しながら支持拡大に懸命。二十万票前後とされる当選ラインをめぐる攻防の行方は、まだ見えない。(宮崎総局・前田徹)

167千葉9区:2009/06/09(火) 23:59:02
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/senkyo/gekisen/main/05.html
実像隠し 埼 玉

抵抗勢力か、改革派か

 ■唯一の参院議席
  「典型的な抵抗勢力とみられても仕方ない」 自民党埼玉県連の幹部でさえこう認める同党現職の佐藤泰三氏(77)は十五日、JR大宮駅前で、数千人の群衆を前に声を張り上げた。 「首相の応援をいただき、これ以上の幸せはございません。聖域なき構造改革を実現し…」 ちょうどその時、小泉純一郎首相が会場に到着した。「純ちゃーん」の大声援に、佐藤氏の声はかき消された。 「もし小泉政権でなかったら間違いなく落選だった。小泉さまさまだ」 同県連顧問の松永光元蔵相は自ちょう気味に言う。昨年の衆院選で自民党候補が民主党に次々と敗れた同県。自民党は国会議員数で民主党に拮抗(きつこう)するところまで追い込まれた。 今回、改選数三を自民、公明、共産各党の現職と民主、自由両党の新人らが激しく争う。佐藤氏の議席は、唯一残る参院の自民党議席だ。
 ■派閥は離脱せず
 五月上旬、埼玉県内の自民党系県議や市議に、一通の手紙が配られた。「埼玉県だけ、小泉改革の流れに逆行していいのでしょうか」 手紙の主は早川忠孝氏(55)。昨年の衆院選で自民党から出馬、落選した。早川氏は「佐藤氏は橋本派で、抵抗勢力そのもの」と批判。「小泉改革を真に推進するのは私だ」と訴え、無所属での出馬を急きょ決めた。 同じく自民党系無所属で落選した小宮山泰子氏(36)は自由党からくら替え出馬し「佐藤氏を嫌う保守票の取り込みを狙う」と公言。共産党の阿部幸代氏(53)の陣営は「三カ月前と今の佐藤氏の、一体どこが変わったのか」と皮肉る。 佐藤氏の「実像」をめぐる舌戦。一番懸念していたのは、実はほかならぬ自民党だった。六月二日、同党県連の支部長会議で、出席者が次々と佐藤氏に迫った。 「橋本派を抜けるべきだ。はっきりしろ」 揺れ動いた揚げ句、佐藤氏は結局、派閥にとどまった。
 ■首相の「顔」だけ
 今、小泉首相のポスターがずらりと張られた選挙事務所の外壁に、佐藤氏の「顔」は一枚もない。十三日夕、街頭応援に駆け付けた自民党比例代表の著名候補が「小泉首相には自民党の中に敵がいる。佐藤さんが落ちたら小泉改革を支える議員が一人減る」と訴えると、道行く人々に佐藤氏は無言で頭を下げ続けた。 ただひたすら自分を押し殺し、小泉人気に乗ろうとする佐藤氏。元県議の山根隆治氏(53)を擁立する民主党は「今までの政治活動で改革の姿勢なんて見たこともない。『佐藤隠し、派閥隠し』だ」(陣営幹部)と語気を強める。 抵抗勢力か、小泉改革の推進者か―。身内にさえ不満がくすぶる佐藤氏を、小泉旋風がどこまで押し上げるのか。無党派層が圧倒的な首都圏でも保守回帰が進む中で、「抵抗勢力」批判の声はかすみがちだ。(東京報道部・宮崎昌治)

168千葉9区:2009/06/09(火) 23:59:32
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/senkyo/gekisen/main/06.html
代理戦争 岩 手

党首前面、かすむ候補

 ■誇りを捨てても
  「ありゃあ、禁じ手だよ」。新人五人が立つ岩手選挙区(改選数一)で、県内の公営掲示板に張られた自民党の玉沢徳一郎氏(63)のポスターに、他陣営から批判が集まっている。
 選挙ポスターには通常、候補者だけが写る。ところが、玉沢氏のポスターには人気の小泉純一郎首相と玉沢氏が並んで写っているからだ。
 玉沢氏は現職閣僚だった昨年の衆院選で、自由党候補に敗れた。参院へのくら替えを狙う今回は政治生命をかけた戦い。「玉沢氏は守旧派のイメージが強い。それを転換できるかが勝敗のカギ」と自民党県連の中屋敷十幹事長代理はいう。
 候補者本人の色を薄め、小泉カラーを前面に出す戦略はポスターに限らない。連日、深夜に開く陣営の反省会。「握手は必ず両手で」「礼は深く腰を折って」…。陣営幹部から玉沢氏に厳しい注文が飛ぶ。上着も純白のジャンパーに替えた。演説は自らの実績や政策より、小泉改革の説明に時間をさく。衆院当選七回のプライドさえ捨て去ったかに見える姿は、危機感の裏返しでもある。
 ■対決構図は不変
 岩手県は、県選出国会議員が自民党一人に対し自由党四人の「小沢王国」。県南部を地盤にする小沢一郎自由党党首が一九九三年に自民党を離れて以来、各選挙で小沢勢力と自民党がしのぎを削ってきた。今回も「自・自対決」を軸にした構図に変化はない。
 自由党が十五日の日曜日、県都・盛岡市で開いた女性支持者の集会。「三カ月前に出馬の決意を固め、故郷に戻ってきました」という元農水官僚の新人平野達男氏(47)のあいさつに、会場から「頑張ってー」と声援がわいた。
 現職が引退する自由党にとって今選挙は議席死守の戦い。平野氏は四月に立候補表明して以来、県内に張り巡らされた同党支持の企業や後援者のネットワークを国会議員や県議とともに回ってきた。
 それでも、広い県内に名前を浸透させるのは容易でなく、頼みはやはり小沢氏の“威光”だ。平野氏は「党首の日本一新の具体化に生涯をかける」と強調。小沢氏は十七日に地元入りしたばかりだが、陣営の高橋令則参院議員は「何度でも来援を」と期待する。
 ■「票が読めない」
 民主党の組織が脆弱(ぜいじゃく)な同県では、これまで「反自民」票の多くを自由党が吸収してきた。橋本内閣の経済失政が批判を浴びた三年前の参院選比例代表では、自由党が二十一万八千票余り(自民党は約十四万二千票)を獲得。今回も県都などの浮動票が勝敗のカギを握るが、「小泉人気で、その行方が全く読めない」というのが両陣営の一致した見方だ。
 選挙協力がどれだけ実効を上げるかも不透明。平野氏を推薦する「民主党いわて」は「労組票の多くは社民党候補に流れる」とみる。公明党も十六日にようやく玉沢氏推薦を決めたが、過去に創価学会批判を展開した同氏への抵抗感は少なくないという。
 自民党が千載一遇のチャンスを生かすか、それとも自由党が底力を見せるのか―。党のトップを前面に掲げた代理戦争が過熱する中、候補者本人の姿は有権者から見えにくい。(東京報道部・中島邦之)

169千葉9区:2009/06/10(水) 00:00:05
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/senkyo/gekisen/main/07.html
自公蜜月 沖 縄

正念場を迎えた「革新」

 ■悲願の議席奪還
  沖縄県沖縄市の繁華街。公示から一週間たった十八日、強烈な日差しを浴びながら自民党新人の西銘順志郎氏(51)が声を張り上げた。
 「遠山さんとは、兄弟みたいなお付き合い。二人一緒に国政に送ってください」
 横に並んだ公明党比例代表の新人、遠山清彦氏(32)が続けた。「西銘さんともども勝たせてもらって沖縄のために尽力したいんです」。二人が組んだ手を振り上げると、支持者の拍手がわき起こった。
 衆参合わせて四度目の国政選挙への挑戦で「政治生命をかける」と広言する西銘氏。沖縄選挙区(改選数一)で自民党系候補が四連敗中の同党にとって議席奪還は悲願だ。
 かたや、同選挙区に自前の候補を持たない公明党は、遠山氏の重点区を沖縄に置いた。県内の目標二十万票は、昨年の衆院選比例代表で公明党が獲得した県内得票の四倍近い数字。
 「のどから手が出るほど相手の票がほしい」。そんな両党の思惑が重なって選挙区と比例代表の自公協力が成立した。
 ■保守台頭の一因
 基地問題を軸に「保革対決」の構図が色濃く残る沖縄。両勢力が拮抗(きっこう)する中で、影響力を持つのは公明党の動向だ。
 二年半前の知事選、昨年の那覇市長選、今年二月の浦添市長選…。県内の大型選挙で自民党系候補は公明党の支援を受けて革新現職を次々と打ち破ってきた。革新共闘から保守・中道に軸足をずらした公明党の“転身”が、県内の「保守台頭」の原動力になった。
 それだけに、参院選を「今後の信頼関係の試金石」と位置付ける公明党に自民党は気遣いを見せる。
 「比例候補は自民党二十七人だけじゃない。遠山さんを加えた二十七プラス一」。各地でこう訴えて回る仲村正治自民党沖縄県連会長。公明党沖縄県本部の金城勉幹事長も満足そうに語る。
 「これまではギブ・アンド・ギブだったが、ようやくギブ・アンド・テークの形ができつつある」
 ■改革の影に照準
 「確かに厳しい。しかしひるんではいけない」。西銘、遠山両氏が蜜月(みつげつ)ぶりをアピールした十八日夜、無所属現職の照屋寛徳氏(56)は那覇市の個人演説会でこう訴えた。
 「野党協力」の枠組みで民主、社民、自由の推薦を受けて再選を目指す照屋氏。国会での質問回数百六十四回。弁護士の経歴を生かした鋭い弁舌には定評がある。
 だが、六年前、支持を受けた公明党は西銘氏推薦に回った。共産党の新人嘉陽宗儀氏(58)と「革新票」を奪い合う形に。そして小泉旋風―。身内からも「ここで保守化の流れを食い止めたいが、基礎票で劣るのは認めざるを得ない」との声が漏れる。
 危機感を強める陣営は小泉改革の“影”の部分を徹底的に攻める戦略だ。「日米地位協定を運用改善で済ませようとする小泉純一郎首相は沖縄の痛みに鈍感だ」「聖域なき構造改革を掲げながら、基地問題には全く触れない」―。個人演説会の壇上からも小泉首相へ厳しい批判が相次いだ。
 これに対し、西銘氏は二十四日、小泉首相を招き那覇市で街頭演説会を開く予定。公明党幹部も並び「自公協力をアピールして一気に終盤戦になだれ込む」と陣営幹部。
 ただ、天王山の知事選を来年に控え「参院選は保革対決の今後を占う正念場」と位置付ける両陣営とも、小泉旋風が民意をどう動かすのか、まだ読み切れていない。 (那覇支局・柴田建哉) =おわり

170千葉9区:2009/06/10(水) 00:03:29
宗教団体とか調べてたら2001年参院選ルポ発見
時は小泉ブーム真っ只中 911テロ前であり、もう遠い昔ですね。

171とはずがたり:2009/06/10(水) 00:51:28
この頃は未だ国政選挙毎にスレ立てる習慣が無かった所か,俺がやっと議員板に入り浸り始めた頃っすね。
あの頃は俺も未だ30かそこらで若かったっす。いやぁ時の流れは速いわ(´・ω・`)

172とはずがたり:2009/06/10(水) 01:32:28
ソースは俺のパソのHD。

>宗教団体の立正校正会は16日、(恐らく00年)総選挙の推薦候補者を発表した。今回の衆議院選挙の推薦候補者は、全国で85人。全300選挙区のうち、約3割となった。 …推薦候補者は、自民党(38人)、民主党(34)、自由党(2人)、無所属の会(1人)、無所属(10人)の計85人。前回の衆議院選挙(96年)での推薦候補者は、自民党(228)、民主党(17)、その他(251-(228+17)=6)あわせて251人。前回の選挙に比べ、今回の推薦候補者は、166人減少したことになる。

>反創価学会系の宗教団体でつくる「四月会」に参加する霊友会(公称会員・200万人)、仏所護念会教団(同・60万世帯)は15日までに、衆院小選挙区の推薦候補を決めた。 両団体は、前回衆院選では自民候補288人全員を推薦したが、今回は霊友会が自民38、民主3、自由1、無所属8の計50人、仏所護念会教団が自民約20と自民候補の推薦を大幅に減らした。

【トピックニュース】
連立へ大反発!?自民党推薦激減(00年衆院選)

宗教団体の立正校正会は16日、(恐らく00年)総選挙の推薦候補者を発表した。今回の衆議院選挙の推薦候補者は、全国で85人。全300選挙区のうち、約3割となった。 同教団の各教会の推薦委員会での検討を経て、同教団理事会に報告された推薦候補者は、自民党(38人)、民主党(34)、自由党(2人)、無所属の会(1人)、無所属(10人)の計85人。13日の公示後、佼成平和研究所から各推薦委員会に推薦候補者全員の氏名が正式に通知した。 前回の衆議院選挙(96年)での推薦候補者は、自民党(228)、民主党(17)、その他(251-(228+17)=6)あわせて251人。前回の選挙に比べ、今回の推薦候補者は、166人減少したことになる。これは同教団理事会が昨年7月に発表した、『「自自公」連立政権を容認することはできない。よって、これを是とする国会議員は推薦できない』との姿勢が貫かれたため。 同教団ではこれまで、自民党議員を中心に推薦をしてきたが、今回はわずか38人にとどまり、前回より大幅に減らした。逆に、野党の民主党候補の推薦は前回の17人から34人に倍増した。 自民党候補の内訳は、加藤、山崎派がそれぞれ9人と最も多く、公明との連立に批判的な加藤紘一氏や平沢勝栄氏らの名前もみられた。また山崎拓氏、小泉純一郎氏らも含まれていた。 また反創価学会系の宗教団体でつくる「四月会」に参加する霊友会(公称会員・200万人)、仏所護念会教団(同・60万世帯)は15日までに、衆院小選挙区の推薦候補を決めた。 両団体は、前回衆院選では自民候補288人全員を推薦したが、今回は霊友会が自民38、民主3、自由1、無所属8の計50人、仏所護念会教団が自民約20と自民候補の推薦を大幅に減らした。自民候補の六割近くが公明党推薦を得たことなどが影響しているものと見られる。 同じく四月会メンバーである神社本庁(加盟・八万社)の政治団体である神道政治連盟は自民候補158人を推薦しており、前回(自民百72、無所属1)並みの自民支援体勢を組んでいる。

173とはずがたり:2009/06/10(水) 01:38:24
その後のズブズブぶりを振り返るにわらっちまう記事だ。此も俺のHD内にあったもので本来のソースが判らないんだよなあ。
>石原氏が≪都議会解散≫まで視野に入れて公明党や創価学会に厳しい姿勢で臨めるかどうか、宗教戦争の火ぶたはまさに切って落とされたばかりだ。

【1999石原都知事初当選】
 <特報・東京のニューフェイス−−石原慎太郎氏が新都知事に>
1 既に始まった公明党の石原取り込み作戦

 東京都知事選が終盤押し迫った頃、公明党・創価学会幹部の間には、池田大作名誉会長の“御託宣”として「かつての社会党・共産党の推薦の美濃部亮吉都知事がわれわれに頭を下げたように、石原氏が当選してもいずれ学会に協力を求めてくる」という見通しが広く伝わった。
 本稿締め切り時点で選挙の最終結果は明らかではないものの石原慎太郎氏当選は確実な情勢で、自民党とともに明石康候補を担いだ公明党にとっては、石原氏当選なら都知事選は3連敗となる。石原氏が敗れた側に「頭を下げてくる」とは、石原知事誕生による学会の危機感の裏返しの強がりとみることもできる。
 石原氏を押し上げた原動力は霊友会、仏所護念会、立正佼成会など創価学会と対立関係にある宗教団体であり、その意味で都知事選は石原vs明石の≪宗教代理戦争≫だったといっても過言ではない。負けた公明党・学会側が危機感を募らせるのは当然だろう。
 反創価学会3教団は自民党とともに『四月会』を結成してこれまで激しい学会批判を展開し、選挙では自民党を支援してきた。しかし、今回は自民党の明石支援要請を断わって一斉に石原支持に回った。
 都内70万票といわれる創価学会に対し、霊友会は約10万票、仏所護念会で数万票、立正佼成会は20万〜30万票を持つとみられているが、その3教団が総力をあげて選挙戦を展開したのである。
 が、石原氏にとってはむしろこれからが宗教戦争の本番を迎える。
 都議会では公明党が自民党とガッチリ手を組んで多数派を形成し、公明党を野党に回しては議会は空転してしまう。そればかりではない。都庁内には公明党・学会の見えざる人脈のネットワークが張りめぐらされ、敵に回せば都政は即座に機能麻痺する。
 自民党都議が語る。
「知事が任命する副知事も公明党系が1人、自民党系1人、中間派1人という慣例があり、局長人事にも公明党は大きな影響力を持っている。そのため都庁官僚も幹部は公明党シンパか、自民党系かという色分けがなされており、そうした人脈が人事に反映される。議会と官僚が一体化している現実では、たとえ石原さんが公明党・学会の影響力を排除しようとしても不可能だ」
 青島幸男氏は都知事選への出馬断念の直後に、周辺に、
「都政は都民のものではなく、しょせんは自民党と公明党の利権の分捕り合いの場だ」
 と絶望的な現実を嘆いていたというし、かつて革新系の美濃部都知事は公明党系の副知事を拒否したために副知事が決まらないという事態に陥り、最終的に池田大作氏と会談して協力を求めた。
 冒頭の公明党・学会内で伝えられている「美濃部も頭を下げた」とはその時のことを指しており、石原氏がどんなに頑張っても反学会の姿勢を貫くことはできないという池田氏の自信もその点にある。
 しかし、石原氏を支援した反学会3教団側はあくまでも石原氏に公明・学会との対決姿勢を求める構えだ。
 石原氏が≪都議会解散≫まで視野に入れて公明党や創価学会に厳しい姿勢で臨めるかどうか、宗教戦争の火ぶたはまさに切って落とされたばかりだ。

174とはずがたり:2009/06/10(水) 01:38:41
<特報・東京のニューフェイス−−石原慎太郎氏が新都知事に>
2 ガイドライン法案審議への影響

 官邸と党をあげて明石氏を立てた都知事選敗北の衝撃は中央政界を揺るがしている。窮地に立たされているのは自公枢軸路線を突っ走ってきた野中広務官房長官と森喜朗自民党幹事長ら執行部派だ。
 石原vs創価学会の都政対立がエスカレートした場合、公明党首脳部には「負けるとわかっている明石を推薦したのは国会の自公路線を守るためだが、都議会で自民党だけ石原氏と組んで、われわれが野党に追い込まれることになれば、中央での自公関係も破綻する。公明党は完全野党に回らざるを得ず、ガイドライン法案も成立しない」という強硬論が高まっている。
 ガイドライン法案審議で国会空転の事態なら、小渕内閣は瀕死の事態となり、総裁再選どころではなくなる。
 そのため自公両党の間ではいかに石原氏を説得して公明党・学会と“手打ち”をさせるかの工作が始まっている。焦点は石原氏と公明党常任顧問で“都議会のドン”といわれる
藤井富雄氏との会談だ。
 公明党幹部の話である。
「党首脳部が都知事選自主投票に傾く中で、ひとりで明石氏推薦を主張したのが藤井さんだ。明石氏が終盤で票を伸ばしたのは学会が動いたからで、自民党に恩を売った。しかし、当の藤井さんは敗戦の責任を問われている。
 そこで石原・藤井会談で関係修復が必要になる。
 条件はガイドライン法案の修正と成立だ。小渕首相は4月29日の訪米前に法案修正のうえで衆院を通過させたがっているが、わが党は4月25日の統一地方選投票日までは選挙に全力をあげなければならない。そこで4月26日から28日の間に、法案修正と石原・藤井会談を同時にまとめたいと野中さんに打診している」
 石原氏の頭越しに、自公の間ではガイドライン法案成立=小渕政権の安泰と、都議会での公明党の与党入り=創価学会の権益保持が取引されようとしているわけである。
 ところが、当の公明党にも野中氏にも石原氏を説得できるだけのパイプがない。
 そこでにわかに注目されているのが亀井静香元建設相の存在だ。亀井氏は反学会組織『四月会』の中核メンバーで、都知事選では村上・亀井派が石原氏を支援していたことはなかば公然の事実である。
「亀井は最初から執行部を揺さぶるために明石に対抗して石原擁立に動き、自由党には自主投票を働きかけて側面支援させた。その作戦が成功し、まさに自公を決裂させて小渕内閣を死に体化させるか、石原を説得して自公関係修復の仲介役を演じるかという政局のキャスティングボートを握った。亀井は野中に石原を説得するかわりに総裁選前倒しによる森幹事長以下の執行部更迭、大幅内閣改造を要求している」
 森派幹部は亀井氏の狙いをそうみているが、都知事選終盤、野中氏が小渕首相、小沢一郎自由党党首、亀井氏らと相次いで会談して慌ただしく動いたのも、政権の危機回避と事態収拾に懸命になっているからに他ならない。
 これに対して森氏や加藤紘一前幹事長らの執行部派は総裁選前倒しに反対し、加藤氏はさらに自自連立解消と、新たな公明党や民主党との連携を主張して、またもや自民党は分裂状態に陥りかけている。
 石原氏が公明党との関係修復に動いた場合、それが即、自民党内で亀井氏ら反主流派の“クーデター”の駆け引きに利用される。
 他方、あくまで石原氏が強硬姿勢を示すなら、自公路線は崩れ、小渕内閣崩壊と自民分裂という政界大激震につながる。どちらに転んでも「石原都知事」の動向は、小渕内閣と政権与党の帰趨に直結することになる。 政権維持に汲々とする「野中官邸」と、派利派略に凝り固まった自民党内の権力抗争に、石原氏が否応なく引きずり込まれてしまうとすれば、石原氏のいう「東京からの反乱」など、水泡に帰すことはいうまでもない。

175とはずがたり:2009/06/10(水) 01:38:51

<特報・東京のニューフェイス−−石原慎太郎氏が新都知事に>
3“横田基地返還”公約で緊張するアメリカ大使館

 米国大使館では、都知事選序盤の世論調査で石原氏優勢の見方が強まると、ただちに≪石原知事の誕生が日米関係に及ぼす影響≫について詳細な分析にとりかかり、本国の国務省に提出する分厚いマル秘の研究リポートを作成していたというのである。
 米国大使館筋としかいえないが、こう語る。
「リポートは大使館の政治担当セクションが中心になってまとめており、厚さは1センチにもおよぶ。国務省は対米強硬派の石原氏が有権者の支持を集めていることが、日本のナショナリズム台頭につながるのではないかと危惧しており、石原氏のこれまでの著作から思想や政策の傾向を分析し、本当に横田基地返還を要求するかどうか、その場合の日本政府と国民の反応はどうなるかなどの検討を加えている。リポートは選挙結果の分析を行なったうえで最終的にはオルブライト国務長官に上げられることになるだろう」
 米国がそれほど敏感になっているのはなぜなのか。
 実は横田基地返還をめぐって石原氏と米国が対立するのは今回が初めてではない。
 羽田内閣時代の94年。当時野党だった自民党は基本政策練り直しのために『21世紀委員会』を組織し、委員長代理を務めた石原氏は、
<首都の近郊に膨大な土地を占めている横田基地は日本の航空事情からしても当然返還されるべき>
 という報告試案を発表した。ところが、その内容に激怒した当時のモンデール駐日大使が自民党に厳重抗議し、自民党はおわびの訪米団を送るハメになったのである。
 当時、石原氏は運輸大臣経験者として運輸省に強い影響力を持っており、試案取りまとめには、運輸省幹部や航空業界など官民あげた協力があったといわれる。しかも、横田返還は、91年の都知事選で現職の鈴木俊一都知事を支援した石原氏が、鈴木氏に公約に盛り込むよう迫った“いわくつきの政策”でもあった。
「野中さんは現実的ではないというが、横田は戦略基地としての役割を終えており、霞が関や経済界には、本格的な滑走路を備えて関西国際空港の1・5倍の面積がある横田を民間転用できれば、首都圏の空港不足を一挙に解消できるという議論が根強くある。しかも、運輸省は首都圏第3空港の計画を具体化させ、候補地選定をまさに進めているところであり、石原氏が本気で横田の民間転用を都政の柱に位置づけて国民に呼びかけ、政府が後押しすれば現実味を帯びる。しかし、ガイドライン法案審議や沖縄の普天間基地移転問題を抱えており、議論するにはタイミングが悪すぎる」
 自民党の有力運輸族議員はそう見ている。
 米国の過剰反応は、横田が“返還可能”な基地であるからこそではないのか。
 石原氏が沖縄基地の全面返還を主張した大田昌秀前沖縄県知事のように、米議会や国防総省に乗り込んで基地返還要求を突き付けるような事態になれば、それこそ全国の基地で返還要求が高まりかねない。
 日米安保問題に詳しい東京国際大学の原彬久教授がこう語る。
「沖縄には米国の極東戦略上、まだ多くの基地が残っているが、本土の基地はこれまでにかなり縮小されてきている。石原氏は、横田基地の必要性はかなり減少し、返還を要求して当然なのに、政府が国民に何も説明しないのは怠慢だと、重要な問題提起をしている。とはいえ、横田返還問題は国の安全保障にかかわるだけに、政府も石原氏を抑えようとするだろう」
 石原vs米国の対決に否応なく小渕内閣も引きずり込まれるという指摘である。日本ばかりか米政府をも相手取っての戦いに、石原氏は勝つことができるのか。

176とはずがたり:2009/06/10(水) 01:39:13
>>173-176

<特報・東京のニューフェイス−−石原慎太郎氏が新都知事に>
4 都庁官僚が仕掛けた罠

 伏魔殿と称される都庁舎に「都政大改革」を掲げて乗り込む石原新知事に都民が最も期待しているのは、官僚の操り人形と化した青島氏とは違う≪NOと言える知事≫であることを身をもって示すことだろう。
 都議会の自民―公明ラインと不離一体の関係を保ってきた都庁官僚たちは、これまで都知事選挙でも、なかば公然と自・公が推薦する候補を支援する体制をとってきた。
 都庁官僚たちは、明石氏の当選がないとみるや、すかさず「石原知事」に備えての≪両面作戦≫にシフトしていたというのである。
 都庁内部では石原氏の出馬表明直後に、それまで明石支援で動いていた何人かの幹部が石原陣営にしきりにアプローチしていたことから、「首脳部が送り込んだ石原対策のための忍者部隊ではないか」と話題になっている。
 議会対策担当部署の幹部が、その理由をこう語る。
「石原氏は、臨海副都心開発は推進の立場だし、職員のリストラも他の候補ほど厳しいことはいっていない。基本的には受け入れ可能な知事だといえる。が、石原氏は都庁の情報公開を徹底すると強調している。食糧費やタクシー代などは、すでに問題のあった時期の文書は廃棄処分になっているからいいが、もし、臨海副都心開発に関わる内部文書などまで公開されると、都政の根幹が揺らぎかねない」
 都財政が破綻寸前にまで悪化している最大の元凶が2兆5000億円という巨費を投じた臨海開発にあることは明白だが、その計画がどのように庁内で検討されたかや、開発に関わる第3セクター3社の詳細な経理内容などは一切明かされていない。しかも、それら第3セクターは都庁官僚の最大の天下り先でもある。
 だからこそ、官僚たちにしてみれば、新知事を味方につけ、闇は闇のままにしておく必要があるのだ。自民党が石原知事を恐れる理由も、やはりそこにある。
 前出・政策部門幹部はこう付け加えた。
「石原支援は自民党に知られることを前提とした動きだ。自民党にしても、石原氏が知事になることが避けられないならば、早く手打ちする必要がある。われわれがその先陣を切り、新知事誕生後に自民党に対して、“知事にはすべてご理解いただいております”と報告すれば、それで三方が丸くおさまる」  したたかな官僚たちは、自民党の苦しい立場をも利用して自らの権益保持に突っ走っている。

177とはずがたり:2009/06/10(水) 01:41:58
>>173-177
ソースは「週刊ポスト/1999.4.23」の様である。

178とはずがたり:2009/07/16(木) 01:29:55

評者◆前田和男
竹下登の死
No.2902 ・ 2009年01月24日
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2902&syosekino=1330

 鳩山にとってはできれば来たくなかった選挙区であった。鳩山は自民党時代竹下派に所属していた。東京ならいざ知らず、かつての「親」が病床に臥しているところで「親の敵」の応援に入るのは、政治の世界では、いや島根のような伝統的地域にあっては許しがたい「忘恩行為」になるからだ。鳩山の第一声にはその苦渋があらわれていた。
 「中海の干拓中止を堂々と掲げて戦う勇気のある政治家こそ求められている」と錦織をもちあげたうえで、「官僚主導の公共事業をばらまく古い政治に決別して民主政治を創造することが(引退した竹下登元首相への)一番のご恩返しだと思っている」と竹下への配慮を忘れなかった。
 しかし、必死の自民党は、鳩山の「忘恩行為」をついて、さらに「骨肉の兄弟げんか」を仕掛けてきた。弟の鳩山邦夫を選挙戦本番の最中、大票田の出雲市に送りこんできたのである。鳩山邦夫は動員された聴衆を前に「兄由紀夫は、世話になった人の恩を忘れ、裏切った恩知らずであり、道義心のない人だ」と叫んで拍手喝采を浴びた。
 さらには、こんな口コミ・キャンペーンが展開された。いわく、錦織が勝てば、地元の電機工場はリストラで三分の一になる、農家にはぶどうの苗が回ってこない、商店も立ちゆかない。病院はつぶれる……。
 それでも竹下登の後継・亘は接戦から抜け出せないでいた。このままでは元総理の後継が敗れるかもしれない。そこで思いもかけないことがおきる。
 それが偶然のなせるわざだったのかは神のみぞ知るだが、選挙期間中の六月一九日、竹下登が急死するのである。死因は脊椎変形症による呼吸不全。享年七六。
 事実は小説よりも奇なり、いや政治は小説よりも奇なり、である。錦織は耳を疑った。こんなことがあるのかと、なぜ一年間も生きのびられた人が選挙の最中に死ぬのか。しかも、初七日が投票日だとは。これでは喪章で「香典代わりに一票を」と同情票を集められてしまう。
 竹下の死は海外でも伝えられた。
 一九日付の米紙ニューヨーク・タイムズは「日本の戦後政治の伝説的キングメーカーの一人が死去した」「故田中角栄元首相とともに一九六〇年代以降の日本の政治を特徴付ける利益誘導型政治の主要な設計者」。またロサンゼルス・タイムズは「背後から政治を操る人形師(パペット・マスター)」「自民党権力闘争のひとつの時代の終焉」と報じた。

179とはずがたり:2009/07/16(木) 01:30:23

 いっぽう日本では、一般紙に加えてスポーツ紙も大きくページを割いて伝えた。それはこれまでの「元首相の死」を超えた「事件性」をみてとったからに他ならない。日刊スポーツの記事の一部を以下に掲げる。
>>178-179
自民党執行部や旧小渕派では「竹下氏の牙城を死守する」として亘氏の当選に全力を挙げており、今後は「弔い選挙」と位置付けテコ入れを図る構えだ。亘氏はこの日、2区南部の農村部を遊説。「勝つことが手向けになる」と涙ながらに訴えた。約50人の聴衆、陣営幹部は「圧勝して登先生の恩に報いなければ」と話した。一方の錦織陣営では「1人の人間の死を悼む」と弔意の張り紙を掲げた。しかし、竹下氏の死去で「古い政治の打破」という戦いの軸が揺らぎ、弔い合戦の風を警戒せざるを得ない状況となっている。

 結果は以下のとおりだった。
当 竹下亘 自新 112,774
  錦織淳 民元 51,026
  佐々木洋子 共新 6,857

 錦織の危惧とマスコミの指摘が的中。やはり「弔い合戦」となり、前回竹下登と最後の戦いをしたときよりも票差が広がり、ダブルスコアの惨敗となった。惜敗率でも前回を大きく下回る四五・二四%で、比例復活もできなかった。

●主戦場からの撤退

 この選挙結果は錦織には骨の髄まで徹えた。敗戦後、思案のすえ、主戦場から撤退を決意。翌二〇〇一年(平成一三)七月、参院選に全国比例区に出馬。六万六〇二八票を獲得するも、一五位で届かず。そもそもこの参院選で民主はさほどふるわず、総得票数で九〇〇万票弱、得票率にして一六・四%を獲得。当選者は八名で公明党と同数だった。ちなみに自民党は総得票数二一〇〇万票強、得票率三八・六%、当選者は二〇名であった。民主党の一位当選者は大橋巨泉で、それ以外は大手労働組合の組織を背景にした候補者ばかり。ツルネン・マルティ(九位)、幸田シャーミン(一二位)などの著名人候補も錦織同様、落選の憂き目にあっている。
 さらに、〇三年(平成一五)一一月、〇五年(平成一七)九月には東京一七区(江戸川区)から民主公認で立候補するも、いずれも、以下のようにダブルスコア以上の大差で落選する。
第四三回衆議院議員選挙
2003年(平成15年)11月9日東京17区 確定得票数
当 平沢勝栄 自前 58歳 142,916
  錦織淳 民元 58 歳 65,269
  菅野勝祐 共新 58歳 22,316
第四四回衆議院議員選挙
2005年(平成17年)9月11日東京17区 確定得票数
当 平沢勝栄 自前 60歳 161,324
  錦織淳 民元 60歳 67,300
  小島佐知子 共新 61 歳 27,597
(文中敬称略)

180とはずがたり:2009/07/16(木) 01:31:23

評者◆前田和男
錦織の「政治的死」
No.2903 ・ 2009年01月31日
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2903&syosekino=1348

 それにしても錦織の持論である「科学万能主義からの脱却の可能性を秘めた田舎」から「科学万能主義に毒された都市」へお国替えをしてから、善戦すらかなわない惨敗つづきというのは、なんとも皮肉なことだった。
 そして、錦織は、二〇〇五年の総選挙をもって政界から事実上引退を余儀なくされ、これをもって竹下登は錦織淳に対して政治的なとどめをさしたのである。
 冒頭で本稿の展開をミステリーに見立てて、五五年体制の最後の申し子、竹下登元首相の「生物学上の死」がさきがけの可能性を体現する錦織の「政治的死」を招来したかもしれないと推理したが、どうやらこれは証明されたようだ。同じく冒頭で、こう問いかけた。元首相からすればとるに足りない「小物」を政治的に殺めなければならなかったのはなぜか? ミステリーの重要な要素である「犯人」の「動機」であるが、これも明らかだ。これまで縷々紹介してきたように、錦織は「小物」ではない、ほうっておくと「危険人物」になると、竹下とその陣営は身にしみてわかっていたからであろう。
 ミステリーの基本である犯人の特定と動機の解明はこれでできた。だが、大団円に至って、まだ解かれていない謎がある。それは犠牲者の「反応」である。なぜ、錦織は島根で立ち続けずに撤退したのか、だ。「弔い合戦効果」は一回限りのものである。踏みとどまっていたら、「失地回復」の可能性は大いにあったと思われる。これについては、錦織は、こう総括する。

 「人生のひとつ節目として清算をする必要があるという考えからだったが、今考えても、なにを血迷ってあんなことをしたのか。結果としては、非常に中途半端な選択を迷いながらしてしまった。やらなかった方がよかったという気が個人的にはしている。」

 錦織ほどの男でも政治判断を誤ることがある。そして、一度誤ると、あとは坂を転げるように政界の場外へとはじきとばされてしまう。第一回で紹介した松原脩雄もそうだが、そうした優れた政治家がこれまでどれほど決断と選択を誤って活躍の場を永遠に失ってしまったことか。政治とはげに過酷なものだとつくづく思う。
 これは筆者の推測だが、妻への「思いやり」も撤退の大きな理由のひとつだったかもしれない。地方の選挙区で「代議士の妻」であることは、想像を絶する過酷なストレスを受ける。東京生まれの東京育ちの妻が島根の「田舎」で、しかも元首相という超大物と三回、足掛け八年も闘い続けるということがどれほどのストレスか。筆者も地方の選挙の現場を何度も体験しているので、よく知っている。そんな妻の心労を慮ったであろうことは大いに考えられる。もしそうだとしても、それを責めることは誰にもできない。むしろそれは錦織の妻への愛情であり、錦織の人間性の証しであろう。
 しかし、それよりも錦織を血迷わせたもの、それは「竹下登とその一統」の「執念」ではなかったか。筆者が推測する妻のストレスもその執念によって引き起こされたものであり、その意味でも「竹下登とその一統」の執念がすべての元凶であるといっていいだろう。その執念がどれほどすさまじいものだったかを、錦織は自身のメールマガジンでこう記している。

 「(二〇〇〇年の総選挙で野中広務は、考えられ得るあらゆる手段を使ったが、)その全貌はいずれ明らかにしたいと思うが、今はまだ生々し過ぎて世に公表出来ない。野中の政治家としての動物的カンと戦闘力はなかなかのもので、ある意味では〝敵ながらあっぱれ〝というべきか(経世会流政治独特の手法も随分学ばせていただいたし、彼らには〝禁じ手〝などはなかった)」

 竹下登とその一統は、島根から錦織を撤退させたらそれでよかったはずなのに、それでは満足しなかった。竹下が死してもなお追撃の手をゆるめず、三回の選挙で錦織を「これでもかこれでもか」と叩き潰し、政治家としての息の根を止めたかのように見える。げに竹下の執念はすさまじいと思わせるものがある。
 そういえば、竹下と錦織の故郷、島根は、「怪談」で知られるラフカディオ・ハーンの終いの住処であり、古くから多くの怪奇譚を生んできた地でもある。錦織と竹下との間に繰り広げられた物語は、「政治は小説よりも奇なり」の新手にして一級の怪談として、つけ加えられることになるだろう。

181とはずがたり:2009/07/16(木) 01:32:03
>>180-181
●錦織の体験と蓄積を政界再編に生かせ

 物語に「落ち」がついたところで、本来なら、これをもって「錦織淳とさきがけと政界再編をめぐる物語は全編の終わり」である。しかし、取材後、ライターの立場を超えて、思わず錦織を説得にかかっていた。
 いわく、錦織がわずか三年三ヶ月政権の中枢にあって体験し挑戦して血肉にしたこと、また落選中に元首相とがっぷり四つに組みながら蓄積したことは、錦織個人のものでありながら、実は錦織のものではない。政界再編に挑みながら途中で斃れた多くの人々とつくりあげてきた「共有財産」である。さらにいえば、「よくやった、がんばった」という回顧の対象であってはならず、未来に役立てられるべきものである。政界から引退を余儀なくされたからといって、ほったらかしにしておくのは、いかにも「もったいない」。なんとか社会に還元できないものか。
 政治家として直接復帰するかどうかは別にして、錦織の経験と蓄積を今こそ政治再編・活性化のために生かせないものか。それが、政権交代後の日本の政治をより豊かにするはずだ。このままだと政権交代はしたけれど、要領よく勝ち残った政治家たちが要路をしめ、日本の政治はかえって貧しくなりはしないか。
 そんな疑念をぶつけてみると、錦織からはこんな反応が返ってきた。
 パキスタンで教育支援活動を続けている妻と現地に行くと、最近はとみに緊張が高まっているのを肌で感じる。これも9・11後のブッシュ政権の独りよがりな「民主主義の輸出」がもたらしたものだ。イスラム原理主義は、オスマントルコ崩壊以降アラブの敗北の歴史から生み出された。中東を武力で押さえ込もうとすればするほど、イスラム原理主義が成長していく。いっぽう日本では小選挙区制で生み出された金太郎飴のごとき政治家たちが、無為無策のアメリカに追随してかえって国益を損なっている。マジメに考えれば考えるほど苛立ちがつのるという。
 錦織が「現役時代」にかかわった政治課題はいまだ未解決のものばかりだ。未解決どころか事態はますます深刻化している。不良債権処理しかり。中海干拓問題にはじまった巨大公共事業の負の遺産しかり。そして錦織のライフワークともいうべき中東問題しかり。
 不良債権問題については、貸し手の側からだけでなく借り手の側からも解決してこそ真の日本経済再生が達成できるという信念のもとに、弁護士として具体的な問題解決に取り組んでいる。
 無駄な公共事業の見直しについては、諫早湾・有明海の再生と日本の自然再生有明海漁民・市民ネットワーク顧問として、また諫早・有明弁護団として、有明海の再生に取り組んでいる。
 まだまだ錦織にはいくらでも出番はある。本人にも活躍の場、貢献の場を望む気持ちは大いにあるとみた。
 錦織を政治的に完膚なきまでに叩き潰した竹下の執念はそろそろとけてもいい頃だ。竹下の執念の呪縛がとけ、形はなんであれ、錦織が政治的に蘇る日が近いことを祈っている。

※追記

 錦織淳氏の妻・峰子さんがこの一月二日に亡くなった。通夜の席では、峰子さんが死の直前まで全霊をかけていたパキスタンでの学校建設の写真が紹介され、ひきもきらない会葬者に深い感銘を与えた。享年六十。二十歳をはるかに超える平均余命を考えると、無念の死であったろう。
 本連載でも記したが、東京生まれで東京育ちの峰子さんが夫とともに、島根の「田舎」で、しかも元首相という超大物と三回の選挙を、足掛け八年も闘い続けるということがどれほどのストレスだったか。
 淳氏も、元首相との壮絶な闘いが妻の寿命を縮めたのではないかと悔悟の念に襲われた。しかし、弔問に訪れた共に選挙を闘った地元の「同志」から、「あれだけの厳しい選挙に耐え抜けたからこそ、世界で最も危険な地域で教育支援活動ができたのではないか」と慰労され、心の重荷がいくらかなりともおりたという。
 本連載のもう一人の主人公は、名前こそ出なかったが、錦織峰子さんであった。合掌。
(文中敬称略)

182とはずがたり:2009/09/14(月) 20:26:55
統一補選 衆院福岡6区 関連記事
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0210/fukuoka6/kiji/kiji_17.html
衆参7選挙区 情勢と立候補予定者の顔触れ
(2002/10/10付 朝刊)

 ●4候補の攻防激しく 福岡6区 自民陣営の動き鈍く 山形4区 首相が地元てこ入れ 神奈川8区

 ▼福岡6区  自民新人の荒巻隆三氏(29)は、自民の県議や市議を軸に浸透を図るが、「やっとエンジンがかかりつつある」(後援会幹部)状態。隣接する7区の古賀誠前幹事長が旧福岡3区時代に築いた6区内の後援会も本腰を入れ始めた。
 知名度で勝る民主現職の古賀一成氏(55)は、連合と後援会が両輪となって組織票固めを進めている。ただ、党代表選後の党内混乱や、古賀氏自身の比例代表から小選挙区への「くら替え」がどう影響するか。
 三度目の挑戦となる共産新人の丸林秀彦氏(60)は、街頭演説などを精力的にこなし、支持拡大に努めている。
 無所属新人の延嘉隆氏(29)は、団体や企業からの推薦は受けず、「草の根選挙」に徹する構え。6区有権者の半数を占める久留米市での知名度は上がりつつあるが、小郡市や大川市など周辺の浸透はもうひとつだ。

荒巻 隆三29 元会社員  自新(公・保推)
古賀 一成55 元党副幹事長民現(由推)
丸林 秀彦60 党地区役員 共新
延  嘉隆29 元議員秘書 無新
     ◇

 ▼山形4区

 辞職した加藤紘一元自民党幹事長の政界復帰をにらみ、候補者調整が難航した自民は本部主導で弁護士の新人、寒河江孝允氏(57)を推薦候補として擁立した。寒河江氏は前回総選挙で民主から立候補、加藤氏と争っただけに「動きは鈍くならざるを得ない」(自民県連幹部)との見方が強い。党本部が加藤支持票をまとめられるかが焦点になりそうだ。
 民主の新人斎藤淳氏(33)は自由推薦と社民県連支持を得て「野党統一候補」の態勢を整えた。勝手連的組織もつくり、反自民を看板に無党派層取り込みを図る。共産の須藤美也子氏(67)は元参院議員の知名度を背景に「政治とカネ」の問題を前面に「自民離れは進んでいる」と訴える。

斎藤  淳33 エール大院生 民新(由推)
須藤美也子67 元参院議員 共新
大野 泰弘46 団体役員  無新
寒河江孝允57 弁護士   無新(自推)
     ◇

 ▼神奈川8区

 前回の衆院選で自民から立候補し、テレビ出演などで知られる、橋本龍太郎元首相秘書官の江田憲司氏(46)は「純粋な無所属」をアピールして名乗りを上げた。自民県連は「裏切られた」と非難。党員予備選で選ばれた獣医師の山際大志郎氏(34)は組織型選挙で対抗する。十二日に小泉純一郎首相が応援に入り、選挙戦に勢いをつける。
 民主の元慶大大学院助手、折田明子氏(27)は「第三の選択肢として支持を得られる」(県連幹部)と無党派層の取り込みを狙う。共産の党県常任委員、宗田裕之氏(43)は支持拡大を目指す。松下政経塾出身の会社員、大森興治氏(45)も九日に出馬表明し、混戦となった。

山際大志郎34 獣医師   自新(公・保推)
折田 明子27 元慶大院助手民新(由推)
宗田 裕之43 党県常任委員共新
江田 憲司46 大学教授  無新
大森 興治45 会社員   無新
     ◇

183とはずがたり:2009/09/14(月) 20:27:16
>>182-183

 ▼新潟5区

 自民、公明、保守推薦で無所属の元衆院議員、星野行男氏(70)と民主、自由、社民推薦の無所属新人の神奈川大教授、石積勝氏(52)、共産の新人の桑原加代子氏(55)が争う。
 星野氏は小千谷市長を四期、衆院議員二期を務め、知名度は高い。旧新進からの転身で自民がまとまるかがかぎになる。石積氏は「野党統一候補」として、四月の参院新潟選挙区補選での統一候補勝利の勢いを維持したい考え。自由党議員の後援会や社民系労組を足掛かりに支持拡大を図る。桑原氏は二回の参院選出馬を生かし、得票増を狙う。議員辞職した田中真紀子前外相が前回衆院選で獲得した約十三万八千票の行方が当落を決める。

桑原加代子55 党県常任委員 共新
星野 行男70 弁護士    無元(自・公・保推)
石積  勝52 神奈川大教授 無新(民・由・社推)
     ◇

 ▼大阪10区

 自民の元産経新聞記者、松浪健太氏(31)は公明、保守の推薦も受けた「与党統一候補」。自民が党を挙げて支持団体に働き掛けるほか、公明の組織票の力を得て議席奪取を狙う。
 民主の元高槻市長江村利雄氏(77)は妻の介護経験から介護保険の見直しを主張。約十五年間の市長としての知名度に加え、労組中心に民主の組織票を固める。
 共産は「暮らしと景気」の向上を訴える元衆院議員、菅野悦子氏(59)が小泉政権批判を展開、復活を目指す。無所属で一部自民市議が推す元高槻市議、吉田康人氏(38)は、自民の松浪氏公認で陣営内に亀裂が生じている。辞職した辻元清美前衆院議員の社民票、無党派層の行方が焦点。

松浪 健太31 元産経記者 自新(公・保推)
江村 利雄77 元高槻市長 民新(由推)
菅野 悦子59 党中央委員 共元
高谷  仁45 著述業   無新
水谷 洋一49 会社社長  無新
吉田 康人38 元高槻市議 無新
     ◇

 ▼参院千葉

 元政策秘書の汚職事件により引責辞任した井上裕前参院議長の議席維持を狙う自民の県議、椎名一保氏(50)と民主、自由、社民など推薦の諸派、都市計画プランナー、若井康彦氏(56)が激突。共産の党県常任委員、浅野史子氏(32)も加わり激戦となった。
 県議会で多数派を占める自民県議らが来年四月の統一地方選に向けて、自らの態勢固めを兼ねて椎名氏を強力に支援。組織力を生かした選挙を展開する。若井氏は堂本暁子知事を生み出した市民グループと共闘。自民の金権政治打破を訴える。民主党代表選の混乱が無党派層へ与える影響が気掛かり。浅野氏は若さを武器に女性や無党派層の取り込みに力を入れる。

椎名 一保50 県議    自新(公・保推)
浅野 史子32 党県常任委員共新
若井 康彦56 都市計画家 諸新(民・由・社・む推)
松永也州彦70 著述業   無新
     ◇

 ▼参院鳥取

 国政選挙二回、知事選と過去三回の立候補経験がある自民推薦の無所属で地元紙役員、田村耕太郎氏(39)が知名度を生かして優位な選挙戦を進める。自民県連は自主投票としていたが、党本部が頭越しに田村氏の推薦を決定したことに一部の県議が反発。無所属の元県会議長、藤井省三氏(61)を支援。保守票の激しい取り合いになりそうだ。
 民主、自由、社民など推薦で諸派の会社役員、勝部日出男氏(53)は米子東高校の同窓生が勝手連的な支援組織を結成。県西部で浸透しつつある。鳥取で初の共闘を実現した民主と社民が連合とともに後方支援を担う。共産の党県常任委員、市谷知子氏(34)は前回参院選を上回る得票を目指す。

市谷 知子34 党県常任委員 共新
勝部日出男53 会社役員  諸新 (民・由・社・む推)
田村耕太郎39 地元紙役員 無新 (自推)
藤井 省三61 元県会議長 無新
     ◇
 【注】党派の略称は、自民「自」、民主「民」、公明「公」、自由「由」、共産「共」、社民「社」、保守「保」、無所属の会「む」、諸派は「諸」、無所属「無」。

184とはずがたり:2009/09/24(木) 09:36:16

「データで見る4区」

上.投票率 (2003/10/22)
1%違えば4100票が動く/北播磨では下落の一途
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0310miki/01.html

 4区の投票率は、小選挙区が始まった前々回59・3%、前回は57・6%と下落傾向にある。北播磨と神戸市西区を合わせた有権者は九月二日現在、四十一万八千五百二十一人。投票率が1%違えば、約四千百票が動くことになる。なかでも、北播磨の衆院選投票率は旧3区時代も含め過去五回、低迷の一途をたどる。

 五回前の一九八六年、北播磨は82・4%と、県平均を大幅に上回った。しかし、回を重ねるごとに下落し、前回(二〇〇〇年)では63・0%。十四年間で20ポイントほども下がり、県平均との差はほとんどなくなった。

 北播磨の各市町別にみると、比較的高い八町と加西市、低い三市に分かれる。三市の中でも、八六年からの“下げ幅”が最も大きい西脇市。前回は県平均より低い55・7%で、同じ年に行われた市議選(77・6%)と比べても、大きな差がついた。同市選管は「国政への関心のなさに加え、4区は同じ候補が毎回、圧勝し、選挙の盛り上がりに欠ける点が影響しているのでは。啓発には力を入れているのだが…」と頭を抱える。

 一方、西区。有権者数は4区全体の約四割を占める激戦地だが、過去二回とも、50%台前半にとどまった。十年前と比べ人口が約五万人増えるなど新住民の割合が高いこと▽無党派層の若者が多いこと―などが、動向に影響しているとみられている。

 「政権選択選挙」「マニフェスト選挙」といわれる総選挙が迫る。有権者はどう動くか。

 ある陣営はこう予想する。「選挙への注目度は高く、4区全体で若干上がる。特に西区は無党派層が投票に行き、3―5%ほど上がるだろう。北播磨は“飽和状態”であり、西区で投票率が上がった分をどれだけ取れるかが勝負だ」

◇       ◇       ◇

 小選挙区となって三回目の衆院選が二十八日に公示される。北播磨(四市八町)と神戸市西区が一つとなった兵庫4区。農村部、都市部ニュータウン―と政治風土は異なる。その違いを前回選挙などの数字から比較してみた。


中.小選挙区得票 (2003/10/23)
「西区票」の行方に注目/北播磨は前職の基盤強固
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0310miki/02.html

 北播磨で76・7%、神戸市西区で46・4%、4区全体は64・8%。

 前回の二〇〇〇年衆院選で、保守新前職の井上喜一さん(71)が獲得した得票率だ。「圧勝」を物語る数字といえるが、見方を変えれば、北播磨と西区とで約30ポイントの差が開いており、支持基盤の強弱もうかがえる。

185とはずがたり:2009/09/24(木) 09:36:52
>>184-185
 前回選挙では、自民が公認候補の擁立を見送った。井上さんは自民、公明の推薦を受けた上、兵庫県独特の連合・五党協の推薦も得た。井上さんの獲得票は十四万三千四百票余り。新進候補として自民、民主、共産の各候補と戦った一九九六年の前々回より、約三万二千票を上乗せした。

 前々回からの小選挙区制で、北播磨と西区は新たな一つの選挙区となった。北播磨は中選挙区の旧三区時代からのつながりがあるだけに、井上さんの地盤は固い。

 一方、西区でみると、前々回、井上さんの得票数は約二万七千七百票。次点とは約五千七百票差と競り合った。前回は選挙戦前半、個人演説会を西区に集中させるなど対策を立てた。約一万二千票を上乗せし、次点に約一万票の差をつけたが、陣営からは「がっちり固めている北播磨に対し、やはり西区は課題」との声ももれてくる。

 一方、立候補を予定する二新人は、北播磨と西区でどう戦うか。民主新人の高橋昭一さん(39)は「西区の方が民主党への期待が高いと感じる。まずは、西区で勝たないと“戦えない”。しかし、北播磨で善戦しないと選挙には“勝てない”」とみており、4区全体を地道に網羅した戦いで挑む方針という。一方、共産新人の山本純二さん(37)の陣営は「西区が最大の決戦場。公示後は西区を中心に支持を訴える」と西区に重点を置いて戦う構えだ。

 迫る衆院選では、これまで非自民、非共産の立場で井上さんを推薦してきた「連合・五党協」の枠組みが事実上、崩壊した。井上さんは引き続き自民、公明の推薦を受けるが、民主が公認候補を立てて臨むことで、前回とは“戦いの構図”に変化がみられる。

下.比例得票 (2003/10/24)
民、自 北播磨で逆転も/政治風土の違いくっきり
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0310miki/03.html

 保守層が多いとされる農村部の北播磨と、ニュータウンの神戸市西区。両者の政治風土の違いが浮き彫りになるのが、比例政党別得票率だ。

 前回の二〇〇〇年衆院選。北播磨では自民が22・3%でトップだった。これに対し、西区のトップは民主で26・3%。自民は15・7%と、民主との差は10ポイント余り開いた。その差が影響し、4区全体では民主が1・7ポイント差でトップになった。近畿ブロック全体でみると、自民が23・6%でトップだったものの、民主も0・3ポイント差で迫った。

 4区の特徴は前職井上喜一さん(71)の“井上色”が強い点にある。前回、井上さんは保守から立候補。県全体で保守の得票率は1・6%と低迷したのに対し、北播磨では11・7%を獲得、西区でも3・3%を得た。なかでも、井上さんの地元の加西市では保守がトップの自民に十四票差の二位になり“井上色”を際立たせた。

 来る衆院選では、自由の合併で一回り大きくなった民主が長期政権を保つ自民に挑む対決色が濃くなっている。「政権選択」が争点の一つに急浮上した。前回の選挙でみると、民主と自由の得票率を足すと、西区では36%余りとなり、自民の二倍以上になる。北播磨でも、自民に5・9ポイントの差をつけて逆転する。

 今回の選挙はどのようになるか。ある陣営の幹部は「西区で、民主党が大幅に得票を伸ばすのではないか。北播磨では、自民党がどれだけ粘れるかが焦点となる」と予測している。

 一方、前回、北播磨と西区とも一定の支持を集めていた共産、社民。しかし、今回はこれまでと様相が異なるという。クローズアップされている“二大政党の戦い”に埋没してしまうのではないか―との危機感を募らせている。

 共産のある地区役員は決意を新たにする。「状況が厳しいのは実感している。自衛隊派遣や消費税増税が論議されている今だからこそ、自分たちの主張を訴える“踏ん張り時”だ」

186名無しさん:2009/10/31(土) 23:46:18
2001年参院選スレがないので(板設立前だから当たり前だが)、このスレに間借りさせていただきます。
主に、吉川真由美出馬関連の記事をウェブ上に保存している方のホームページから引用。

【2001年参院選 群馬選挙区】

一覧
http://k-ohno.com/link2%20in%20frame.html

http://k-ohno.com/kiji/01-05-20-1.html
[選挙]参院選 自民党・中曽根氏系県議18人、吉川真由美県議に出馬要請 /群馬
2001.05.20 地方版/群馬 25頁 (全444字)
 ◇「一両日中に回答」

 7月の参院選で、群馬選挙区で自民党2人目の候補擁立を模索している中曽根系県議18人でつくる県政塾は19日までに、県議の吉川真由美氏(36)に正式に出馬を要請した。要請を受け、吉川県議の後援会は18、19の両日会合を開き、吉川県議の出馬について検討したという。吉川県議は「(要請に対し)前向きに取り組みたいとは言ったかもしれない」と述べたものの、「後援会の意向をまとめているところ。後援会の意見と私の考えを合わせて回答したい」と話し、一両日に結論を出す方針という。

 吉川県議は出産直後であることや、父親の元衆院議員、熊川次男氏が民主党県連会長代行を務めていたことなどから擁立に難色を示す声も聞かれていたが、19日、熊川氏が離党届を出したことなどから、出馬が決まれば自民党が公認することは確実と見られる。

 同選挙区では現職の山本一太(自民)と角田義一(民主)、新人の小笠原真明(共産)の3氏が出馬を表明しており、吉川県議が出馬すれば激戦となることは必至だ。【大貫智子】

毎日新聞社

熊川次男・会長代行の離党届を受理−−民主党県連 /群馬
2001.05.20 地方版/群馬 25頁 (全256字)
 民主党県連会長代行の熊川次男・元衆院議員は19日、県連に対し離党届を提出、受理された。21日に開かれる常任幹事会で正式に決まる。また、熊川氏が推薦した県連役員6人も同氏に同調し、離党の意向を示しているという。

 熊川氏は、自民党から参院選出馬が取りざたされている吉川真由美県議の実父。民主党県連の境野貞夫幹事長が19日朝、「任意で辞表を出すのが適切」と熊川氏を説得し、同氏は昼すぎに「一身上の都合」を理由に離党を申し出た。

 またこの日、県連では役員選挙委員会を開き、角田義一会長、境野幹事長の留任の方針を決めた。

毎日新聞社

187名無しさん:2009/10/31(土) 23:46:59
>>186

2001年8月1日(水) 付け 上毛新聞ニュース
2001参院選検証(中)/無念
http://k-ohno.com/kiji/01-07-31-2.html
自民党県連の参院選選対本部発足に伴い、決意表明する吉川真由美氏=6月11日、前橋・県政会館
http://k-ohno.com/kiji/01-07-31-2.jpg

 惜敗した自民党新人の吉川真由美氏の得票が、二位で当選した民主党の角田義一氏を上回ったのは藤岡市や佐波、多野、吾妻、利根、碓氷などの九郡市。市町村単位では玉村町と万場町でトップに立った。いずれも中曽根康弘元首相系の県政塾県議の地元。系列の底力が一応は示された。

 しかし、大票田の前橋、高崎、桐生、伊勢崎、太田の各市では、自民党の山本一太氏を支える故福田赳夫元首相系の組織票、角田陣営の労組票の壁を崩せなかった。角田氏との全県の得票差は約二万八千票。その八割近い約二万一千三百票が五市での差となり、勝負の明暗を分けた。

 「都市部の無党派層への浸透」を最大の目標とした吉川陣営。その敗因は、「時間が足りなかった。群馬は都会型の選挙と違って、短期決戦で風を起こすというわけにはいきにくい」(笹川尭県連会長)という言葉に尽きる。

 だが、二十二万票余の得票を、自民党県連内の多くが「大健闘」と受け止める。選挙戦では中曽根弘文選対事務長が吉川氏とともに七十市町村を飛び回った。「弘文さんがあれだけ汗をかいてる姿に、黙ってみていられなくなった」と選対の運動員。知名度の低さと出遅れというハンディを抱え、アクセル全開で引き出した二十二万票だった。

 選対は中曽根弘文後援会や系列県議を中心とする「プロ集団」と、吉川氏の個人後援会員を中心とする「勝手連の素人集団」の二段構え。ポスターや遊説車両のデザイン、遊説コースの設定などで意見が食い違うことも多かったという。一部県議から「アマチュアの選挙」との批判も出る中、勝手連側では主婦、OLら他陣営の手が届かない層にアプローチした。

 当初、「前橋市の得票は山本氏の半分にも届かないのでは」との見方もあった。吉川氏の実父の熊川次男元衆院議員が衆院選に民主党から出馬した経緯などから、熊川氏と戦った系列のはざ間で“地元の利”を生かせない状況にあったからだ。それが、草の根の集票で山本氏(市内約四万千七百票)と九千票差に。「風」は起こせなかった。しかし、「新しい選挙の仕方で風穴ぐらいは開けられたように思う」と金田賢司選対本部長は総括する。

 「大化けするかどうか…。失敗すると勝負にならない票で惨敗する」(県政塾県議)―との不安を抱えて突入した選挙戦。結果は大化けでも惨敗でもなく、「あと一歩」だった。

 吉川氏は「今後のことはこれからじっくりと考えたい」と話す。中曽根弘文氏は「本人が今後どう考えるか分からないが、国会議員としての資質は十分にある」と言い切る。「次のチャンス」は不透明だが、政局が流動化する中、党県連には国政をうかがう“新しい一枚のカード”が生まれたことは間違いない。

188名無しさん:2009/10/31(土) 23:47:37
>>187

http://k-ohno.com/kiji/01-05-16-1.html
2001年5月16日(水) 付け 上毛新聞ニュース
吉川県議の擁立決定 中曽根系県議団、出馬を要請
 七月に予定される参院選群馬選挙区(改選数二)で、中曽根康弘元首相系県議グループの県政塾(山口清会長、十八人)は、無所属県議の吉川真由美氏(36)の擁立を全員一致で決め、正式に出馬を要請したことが十五日、明らかになった。吉川氏は後援会の了解が得られれば、一両日に出馬の意思を表明する。

 県政塾は吉川氏の擁立にあたり、推進派と慎重派が半々できっ抗していたが、幹部と慎重派との断続的な話し合いを通して一本化へ前進。さらに系列県議全員で対応を協議し、一部慎重な意見を含みながらも最終的には満場一致で擁立を決めた。

 吉川氏に対しては県政塾幹部が週明け早々、前橋市内の自宅を訪問し、正式に出馬を要請した。吉川氏は早ければ十六日から後援会との協議を始め、参院選出馬を決定するとみられる。

 吉川氏は参院選で山本一太氏に次ぐ自民二人目の公認候補に位置づけられ、後援会などとの調整が順調に進めば、十八日の党県連県議団総会に党本部への公認申請が諮られる。

◎山本氏支援の態勢づくり協議 政策同志会

 自民党の故福田赳夫元首相系県議グループ・政策同志会は十五日、前橋市内で緊急総会を開き、七月に予定される参院選群馬選挙区で、すでに擁立を決めている現職の山本一太氏(43)への支援態勢づくりを協議した。

 同志会は三月末以降、中曽根康弘元首相系県議グループ・県政塾の候補者擁立作業を見守ってきたが、県政塾が無所属県議の吉川真由美氏(36)を擁立することになったのを踏まえ、グループとしての取り組みを強化することにした。今後、若手や前橋市区選出の系列県議が先頭に立って選対づくりなどを急ぐ方針。

◎2議席独占へ取り組み強化 自民北関東青年議員会

 本県と茨城、栃木三県の自民党若手県議で組織する北関東三県青年議員会(石原条・本県会長)は十五日、伊香保町のホテルで会合を開き、参院選の選挙対策などで意見を交換。本県については吉川真由美氏の出馬を見込み、現職の山本一太氏とともに二議席独占に向けた取り組みの強化を確認した。

 選挙対策では岩井均氏が党本部や県連の意向を受け二人擁立に至った経緯を説明。さらに、選挙期間中に「小泉総理や田中真紀子さんを県内に呼んでこられるようにしたい」と述べ、党改革の機運を県民にアピールする選挙戦の展開を訴えた。吉川氏の出馬をめぐっては、実父の熊川次男元衆院議員が民主党県連会長代行を務めていることから、自民公認が見込まれる吉川氏との関係で熊川氏に善処を期待する意見も出た。

http://k-ohno.com/kiji/01-05-19-3.html
5月19日
自民中曽根系の吉川県議 出馬要請受け入れ 党が公認へ

 自民党の中曽根系県議団「県政塾」は十八日、今夏の参院選群馬選挙区選(改選数二)で、県議の吉川真由美氏(36)(無所属)に正式に出馬を要請した。要請した同塾の山口清会長によると、吉川氏は要請を受け入れる意向を示したという。山崎幹事長ら同党本部執行部は吉川氏を公認する方針だ。同選挙区選の自民党候補は、現職の山本一太氏と吉川氏になり、同党は改選数の二議席独占を狙うことになる。

189名無しさん:2009/10/31(土) 23:48:10
>>188

http://k-ohno.com/kiji/01-07-30-6.html
7月30日
山本さん 余裕の再選
組織票手堅く上積み
花束を掲げ支持者にこたえる山本さん(29日午後9時20分)
 参議院選挙は二十九日、投開票が行われ、五候補が立候補した群馬選挙区選(改選数二)は、自民党の山本一太氏が再選、民主党の角田義一氏が三選を果たした。自民党のもう一人の候補、吉川真由美氏も追い上げたが、前議員二氏の知名度に及ばなかった。今回の参院選は、小泉首相の掲げる「聖域なき構造改革」が最大の争点で、県内でも、自民党が「小泉人気」に乗って二議席獲得を目指し、衆参選挙区の完全独占を狙ったが、県民の選択は与野党双方に議席を分けさせる結果となった。比例選は、投票方法が政党名か候補名かを選ぶ「非拘束名簿式」に変更された影響で、大勢判明が三十日未明になった。開票が始まると、各候補の選挙事務所には大勢の支持者が詰めかけ、速報に一喜一憂した。県内の投票率は58・74%で、三年前の前回選挙を1・96ポイント下回った。

 「やった! 再選だ!」――。前橋市大渡町の山本一太さんの選挙事務所に「当確」の知らせが入ると、集まっていた支持者から歓声が沸き上がり、会場は爆発的な喜びに包まれた。

 美保子夫人とともに支持者の前に現れた山本さんは「厳しい戦いでしたが、再選を果たせたのは皆さんのおかげです」と感極まった様子。さらに、「これから国会で、皆さんの期待にこたえられるように努力したい。小泉首相の構造改革をしっかりと支えたい」と、かれた声を振り絞った。

 初当選を果たした六年前は、父・富雄さんの急逝を受けて後継候補に担ぎ出された。選挙直前には元首相の福田赳夫さんの訃報(ふほう)も重なり、福田系議員団と後援会は「弔い合戦」に燃え、トップ当選を勝ち取った。

 しかし、今回は自身の実力が試される選挙。さらに、中曽根系議員団が前県議の吉川真由美さんを担ぎ出したことで、激戦区となった。福田系と中曽根系とがぶつかり合う「福中激突」の構図の中で、山本さんは奇抜なパフォーマンスを控え、県内各地の後援会や企業をこまめに回る組織型選挙に徹し、効率よく票を上積みした。「自民党の議席は一つ」と危機感を訴えるとともに、小泉改革の若き担い手であることをアピールしたことも実を結んだ。

190名無しさん:2009/10/31(土) 23:48:39
>>189

http://k-ohno.com/kiji/01-07-31-6.html
自民・山本氏、民主・角田氏が当選

 民主が自民の2議席独占を阻んだ。小泉純一郎首相の改革が有権者の暮らしに与える影響を争点に29日、投開票された参院選の群馬選挙区(改選数2)は、自民前職の山本一太氏(43)が再選、民主前職の角田義一氏(64)が3選を果たし、議席を維持した。自民新顔の吉川真由美氏(36)は、「小泉人気」を背景に民主から議席を奪おうとしたが、出遅れが響いて支持を広げられなかった。共産新顔の小笠原真明氏(52)と自由連合新顔の土屋春世氏(60)も、得票を伸ばせなかった。投票率は58・74%だった。


 山本氏は、中曽根康弘元首相系の県議らが5月に吉川氏の擁立を決めたことで危機感を強め、故福田赳夫元首相系の県議らが中心になって陣営をまとめ、トップ当選した。

 小泉首相の「直系」を強調し、改革イメージを前面に打ち出した。得意とする外交分野に加え、農業など地元を重視する姿勢を意識したことも功を奏した。

 県議の約半分を占める圧倒的な支持基盤を背景に、地元の吾妻郡を含む西毛地域だけでなく、東毛地域でも支持を広げた。

 角田氏は、小泉人気の逆風の中、衆参両院で県内唯一の野党議席を守った。

 選挙戦では、小泉政権批判を強調。構造改革で予想される失業や倒産といった「痛み」、靖国参拝、集団的自衛権の行使といった問題について訴え、「改革」の先行きに不安を持つ層の票を取り込んだ。

 民主党本部も角田氏を「最重点区」候補に指定し、公示前後に鳩山由紀夫代表が4回、菅直人幹事長も2回県内入りするなど、異例の支援態勢を敷いた。比例区の非拘束名簿式の導入により、連合を中心とする労組が、近年にない厳しさで組織をまとめ上げたこともプラスに働いた。

 吉川氏は「女性の視点から小泉改革に参加したい」と訴え、中曽根弘文参院議員や系列の県議が中心になって支援組織を整えた。

 しかし、4月末に出産、その直後に県議(一人会派、前橋市区)を辞しての立候補表明で、全県的には知名度が不足していた。さらに、中曽根系の支援を受けたことが、99年の県議選立候補時に支持を得た無党派層からマイナスと評価された。期待していた小泉人気の無党派層の票も大半が山本氏に流れ、終盤には田中真紀子外相を招いて逆転を図ったが及ばなかった。

 小笠原氏と土屋氏は初の選挙戦。両党の候補者はいずれも3年前の参院選で無党派層の支持を集めたが、3人の有力候補の間で埋没し、大幅に得票を減らした。
(7/30)

191名無しさん:2009/10/31(土) 23:49:12
>>190

http://k-ohno.com/kiji/01-07-30-5.html
2001年7月30日(月) 付け 上毛新聞ニュース
参院選群馬選挙区 前職2人が当選
 第十九回参院選は二十九日投票が行われ、即日開票の結果、群馬選挙区(改選数二)で自民党前職の山本一太氏(43)と民主党前職の角田義一氏(64)が、自民新人の吉川真由美氏(36)、共産党新人の小笠原真明氏(52)、自由連合新人の土屋春世氏(60)を破り、当選を果たした。山本、角田の両氏は前職の実績と知名度を生かし、吉川氏との事実上の三つどもえの激戦を制した。山本氏は連続二回目、角田氏は連続三回目の当選。角田氏は県内唯一の民主の議席を死守し、吉川氏は出遅れを必死にばん回したが、あと一歩及ばなかった。当日有権者数は百六十万四千七十三人で、投票率は58・74%。前回(一九九八年)に比べ1・96ポイント下回った。

 小泉純一郎首相の国民的な人気と、80%を超える空前の内閣支持率の状況下で公示(十二日)された参院選。森内閣時とは一転し、「攻める与党、守る野党」の構図で選挙戦に突入した。群馬選挙区でも、自民が小泉人気を追い風に「前回に続いての二議席独占」を狙って、県議(当時)の吉川氏を擁立。「衆参合わせて県内で唯一の議席死守」を目指す民主との間で、生き残りをかけた戦いとなった。

 こうした中で、山本氏は故福田赳夫元首相系の国会議員と県議グループ・政策同志会の支援を取り付けたほか、経済・職域団体を網羅した後援会・選対組織を構築し、選挙戦序盤から優位に戦いを進めた。

 中曽根康弘元首相系県議グループ・県政塾が吉川氏を担ぎ出したことで、危機感を募らせた角田氏。民主県連に加えて連合群馬が初めて角田支持で一本化し、社民党の選挙協力や立正佼成会の支援を得て、猛追する吉川氏をかわした。

 吉川氏は四月末に第二子の長男を出産。五月下旬に出馬を決め、実質的な選挙戦は六月十二日に県議を辞職してから。自身の後援会を中心に若者、女性票の獲得を目指し、草の根選挙で風を起こしながら中曽根系の組織を生かす方針だったが、前職二氏に大きく出遅れてのスタート。日増しに知名度も高まり、支持を広げたものの、“時間”の壁に泣いた形となった。

 共産の小笠原氏は「景気回復のため消費税を3%に引き下げる」など、党の公約を全面に押し出して支持の拡大を図ったが、大きなうねりにはならなかった。前回、有馬良一氏が獲得した十三万七千票に大きく及ばず、六年前の四万千票はかろうじて超えた。

 出馬表明が公示直前となった土屋氏は、事務所を置いた館林市を中心に東毛地区での浸透を図り、「医療・福祉の充実」を訴えた。

http://k-ohno.com/kiji/01-05-05.html
参院選で新人の人選を継続
自民党の中曽根系県議が確認
 自民党県連の中曽根元首相系県議のグループはこのほど、夏の参院選に向けて県連二人目の新人候補の擁立作業を継続する方針を確認した。

 参院選群馬選挙区で自民は、現職の山本一太氏が再選を目指しているが、同グループが主体となって女性著名人を中心に「第二の候補」を模索してきた。だが、人選は難航し、総裁選が行われたこともあって今後の対応を検討していた。

 小泉新政権の発足で、党内で参院選へのムードも高まっておりグループは引き続き擁立を目指すことで一致した。群馬選挙区では山本氏のほか民主の現職・角田義一氏、共産新人の小笠原真明氏が出馬表明している。

192名無しさん:2009/10/31(土) 23:50:14
>>191

http://k-ohno.com/kiji/01-08-02-1.html
[選挙]参院選 民主党・角田義一氏が議席死守、自民党の独占ならず

 ◇逆風はねのけ−−自民「2議席」独占ならず

 ◇自民・山本氏トップ再選−−新人・吉川氏は涙

 自民党の「2議席」独占ならず――。29日に投開票された参院選は群馬選挙区(改選数2)で、自民公認の山本一太氏(43)と民主公認の角田義一氏(64)が当選し、前職2氏が議席を守った。山本氏は強固な組織力を生かして都市部、郡部でまんべんなく支持を集め、前回(95年)に続き、連続トップ当選を果たした。自民公認の新人、吉川真由美氏(36)は、中曽根康弘、弘文両氏の後援会組織を後ろ盾に「若さ」「女性」を前面にアピールしたが、出遅れが最後まで響いた。共産公認の小笠原真明(52)、自由連合公認の土屋春世(60)両氏は伸び悩んだ。選挙区の当日有権者数は160万4073人。投票率は58・74%で、3年前の参院選(60・70%)を下回った。

 前橋市下沖町にある角田氏の選挙事務所では、支持者らが緊張した面持ちで開票速報を見守った。午後10時20分ごろ、待ちに待った当確の知らせが流れると「よしっ」「やった」と支持者らから拍手が巻き起こった。

 約10分後、同市内の支持者宅から角田氏が事務所に現れると、再び割れんばかりの拍手と「角田コール」が渦巻いた。旧社会党委員長の田辺誠・総合選対委員長が「正義が不正義を撃滅した」とあいさつした後、角田氏は支持者とバンザイ三唱。「県民の良識の勝利。本当にありがとうございました。非常に重い責任を感じるとともに、小泉路線に対し、日本が間違った方向に行かないようにしていきたい」と力強く抱負を述べた。

 角田氏は、昨年6月の衆院選後から早々と選挙準備を開始。前哨戦から「小泉改革は弱者切り捨て」と真っ向から与党の政策を否定し「自民の2議席独占を絶対に阻止する」と訴えた。民主党本部も群馬選挙区を重点地区と位置付け、鳩山由紀夫代表が公示前後に計4回、菅直人幹事長も2回にわたって応援に駆けつけるなど、角田氏は党の全面支援を受けて選挙戦を繰り広げた。

 一方、最大支援組織の連合群馬傘下の労組は、比例候補と角田氏をセットに名前を浸透させ、各労組も「小泉人気」に危機感を抱き、組織を引き締めた。

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 ◇山本氏「群馬発の改革を」

 午後9時15分すぎ、真っ黒に日焼けした山本氏が前橋市大渡町の選挙事務所前の広場に現れると、支持者から一斉に「おめでとう」と歓声が上がり、大きな拍手に包まれた。笹川尭自民党県連会長、尾身幸次沖縄・北方、科学技術担当相らが祝福に駆け付けた。

 山本氏は昨年5月に早々と党公認を受け、福田系県議を中心とした堅固な組織力を生かして地盤を固めた。自身の政治理念などをつづったホームページを使った「インターネット選挙」に加え、同氏が作詞作曲した歌を流しながらの「音楽遊説」など若者層への浸透にも力を入れた。

 当選に沸く事務所で、山本氏はかれた声で「厳しい選挙だったが、みなさんのおかげで勝たせていただいた。公約通り群馬発の日本改革を進めたい」と抱負を述べた。

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 ◇吉川氏「私の魅力、経験不足」

 小泉人気の風を受けて自民2人目の候補として出馬した吉川氏だったが、あと一歩及ばなかった。前橋市元総社町の事務所に姿を現した吉川氏は「敗れたのは私の魅力の少なさか、若さゆえの経験不足かと思う。想像以上に群馬は広かった」と深々と頭を下げた。選対事務長の中曽根弘文参院議員らが握手を求め、労をねぎらった。

 中曽根系県議らの要請に応え、6月1日に出馬を表明したが、出遅れが響いた。選挙戦は、育児中であることを強調し「家庭内にこもっている女性の声を政治に反映させたい」と訴え、20〜30代を中心に女性票の取り込みを図った。弘文氏の後援会がてこ入れするなど懸命だったが、無党派層を取り込めなかった。

 事務所内の男性支持者からは「次回こそ」と意気込む声も聞かれた。

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193名無しさん:2009/10/31(土) 23:50:58
>>192

 ◇小笠原氏「小泉改革では国民が不幸に」

 小笠原氏は、前橋市古市町1の選挙事務所で朗報を待った。しかし、刻々と伝えられる開票結果に、事務所内は次第に落胆ムードに。選挙戦では「反小泉改革」を掲げて自民との対立軸を鮮明に打ち出してきた。

 しかし、懸命の訴えも届かず落選が決まると、小笠原氏は「消費税減税など景気の回復を訴えてきたが、力が及ばなかった。景気を回復してほしいという思いを実感したが、票に結びつかなかった。小泉改革でいけば国民が不幸になってしまう」と述べ、頭を下げた。

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 ◇落選の土屋氏、支持者の労ねぎらう

 土屋氏は館林市本町3の選挙事務所で、テレビの選挙速報を見守った。落選が決まると、支持者に礼を述べ、これまでの労をねぎらった。出馬表明は公示の3日前。自身が勤務する埼玉県羽生市の病院の診療域の館林市、邑楽郡を中心に「医療と福祉の充実」を訴えたが及ばなかった。

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 ◇選挙区開票結果=選管最終発表

当 362,947 山本一太  43 自前

当 250,203 角田義一  64 民前

▽ 222,191 吉川真由美 36 自新

   45,647 小笠原真明 52 共新

   18,467 土屋春世  60 自連新

 (無効42708)

………………………………………………………

 山本一太(やまもと・いちた)43 自前[森](2)

 (1)党青年局長代理・党外交副部会長(2)国際協力事業団職員、参院議員秘書、党遊説局長、外務政務次官(3)草津町(4)米ジョージタウン大院=[公]

 角田義一(つのだ・ぎいち)64 民前(3)

 (1)弁護士、党県会長(2)県議3期、社会党県委員長・党総務局長・参院国対副委員長、法務政務次官、参院党新緑風会幹事長(3)前橋市緑が丘町(4)京大法

……………………………………………………

 ◇名鑑の見方 氏名、年齢、党派、前元新別、派閥、当選回数、(1)肩書(2)経歴(3)現住所(4)最終学歴、=政党の推薦・支持

………………………………………………………………………………………………………

194名無しさん:2009/10/31(土) 23:51:13
>>193

 ◆県民の声

 景気対策に老後の問題、教育課題。当選した2氏には、有権者は切実な注文や要望を突きつけている。

 ◇子持村横堀の会社員、佐藤理夏さん(27)

 最近レジャー施設に行っても人が少ない。世の中「不景気、不景気」でみんなお金を使わなくなっている。当選した人には、景気回復に努力してほしい。

 ◇大泉町北小泉の会社員、村田多恵子さん(30)

 投票は行ったが、正直選挙には興味ない。ただ小泉首相になって今までと変わったなと思う。不景気で最近ボーナスが減ってきた。小泉さんは景気回復をやってくれると思う。消費税はこれ以上、上げないで。

 ◇伊勢崎市上泉町の遊技業経営、浜口雅弘さん(36)

 景気回復が死活問題だ。サービス業は、心が豊かにならないと、金を使ってもらえない業種。景気が良くならなければ、今の仕事がなくなってしまう。いつまで景気低迷が続くのか。先行き不安でいっぱいだ。

 当選した人にはまず、低迷している株価などの対策を望みたい。株は重要な景気指標のひとつ。株価上昇のための対策をしっかりやってもらい、みんなが景気が良くなってきたと思えるようにしてほしい。

 ◇沼田市薄根町の会社員、金子国忠さん(47)

 景気に活力が出るようにしてほしい。不況の現状を打破してくれるような政党が必要だと思う。その点で、小泉純一郎首相の推進する「聖域なき構造改革」は、何とかしてくれるんじゃないかと期待を寄せている。今、マスメディアをはじめ、国民はみんな小泉さんに注目し、人気が高い状況なのだから、このチャンスを生かして、みんなが一丸となって国を変えられるようにもっていければいいんじゃないだろうかと考えている。

 ◇高崎市中居町2の調理師、井ノ口美代子さん(57)

 医療と介護の問題を大切にしてほしい。幸い共働きですが、子育てで、これまで思うように貯金もできず、退職後の生活が心配です。最近、テレビを見ていても、若い人が起こす事件が目立ちます。子供たちや孫たちのためにも、学校教育を見直して、日本をもう少しまともで、安心して暮らせる国にしてもらいたい。私たちは選挙を通してしか政治に参加できません。選挙で選ばれた人は、国民の声を政治に反映させてほしい。

 ◇前橋市表町1の無職、斎藤弘さん(65)

 年金で暮らしているが、景気が回復せず、金利が上がらないと、この先どうなるか老後が心配だ。小泉改革に伴って失業者が出るのは、仕方ないことかもしれないが、本当に景気が良くなるのか疑問だ。政治家は選挙の時には立派なことを言い、頭を下げるが、政策を実行に移そうとすると、政治家同士の力関係の問題になって、約束が実現されてこなかった。日本がこれだけ苦しい今だからこそ、公約はしっかりと実現させてほしい。

 (この記事には表「各候補者市町村別得票数」があります)

■写真説明 競り合いの末に当選を確実にし、バンザイする角田氏(左)=前橋市の事務所で29日午後10時35分

■写真説明 肩を落とし、あいさつする吉川氏=前橋市の選挙事務所で29日午後10時40分

■写真説明 当選確実となり、花束を突き上げる山本氏=前橋市の選挙事務所で29日午後9時20分

195名無しさん:2009/10/31(土) 23:51:45
>>194

中島政希衆院議員(ついに!)のホームページより
http://homepage2.nifty.com/seiyu/monthly27.html
懸念される民主党群馬の行方

 昨日、民主党群馬県連は熊川次男県連会長代行の離党届を受理した。同氏の長女で県議の吉川真由美さんが、中曽根系県議団に擁立されて自民党公認候補として参議院選挙に出馬することとなったからである。これを熊川氏の背信行為であり除名処分にせよ、との議論もあったが、親子といえども別の政治的人格であることを考慮すれば、「離党届受理」が適当というのが執行部の結論だった。さらに、熊川氏に続いて同氏を支持する県連常任幹事会メンバーの4分の1が離党し、民主党群馬県連が大分裂するという事態に立ち至った。

 群馬の民主党は、平成8年9月に鳩山氏がさきがけを離党した際、行動を共にした私が代表として創立し、約1年後に社民党を離党した角田参議院議員らのグループを迎え入れ、私は代表の座を角田氏に譲って代表代行となった。その後平成10年の秋に中央での新民主党形成の流れを受け、旧新進党系の熊川元代議士の後援組織と、旧同盟系労組を基盤とする民社協会の茂木前橋市議らとが合流して、今の民主党群馬県総支部連合会ができた。

 私はその際、代表(会長)代行の地位を熊川氏に譲り、常任顧問に就任した。

 民主党が、社民党の衣替えでもなく、労組の利益代表でもないことを、対外的に保障する党の顔としては、私よりキャリアの長い熊川氏の方が適任と考えたからである。

 熊川氏とその与党の離脱は、3年前に今の民主党群馬県連を立ち上げた際の4本柱(旧社民、旧さきがけ、旧新進、旧民社)の一つがすっぽり抜け落ちたことを意味する。馬の背の荷に例えれば、左右に均衡に乗っていた荷物(右には中島、熊川、左には角田、茂木)が、片荷になり、左の荷が重過ぎて、このままよろよろ進むと馬が左の崖に落ちてしまう危険が生じた。

 熊川氏の背信行為は許しがたい。ただ世間には、同氏や吉川県議のような人材を包含できなかったことを、民主党群馬の狭量と批判する声もある。それは正しい理解ではない。しかし「所詮は民主党は労組の党ではないか」との疑念が一層広がることは避けられない。私はこれは民主党群馬結党以来の危機だと感じる。

 私はこの分裂で傷ついた民主党群馬のイメージを回復するためにどうすればよいか真剣に考えたが、結局私自身が空席となった会長代行に就く以外にないという結論に落ち着いた。そして来るべき県連大会(5月26日)の役員改選で会長代行職に立候補することにした。

 私が敢えて会長代行職を求めるのは、労組を母体とせず、更に多少とも「変化」「新しさ」「広がり」「可能性」「多様性」といったイメージを発信できる人材は、今のところ他に見当たらないと自負するからであり、また熊川氏とその与党の離脱により、閉じられようとしている民主党群馬の「右側の窓」を開ける役割は私にしか果しえないと確信するからである。

196名無しさん:2009/10/31(土) 23:51:55
>>195
 熊川氏が去った今、私と私以外の県連幹部役員の決定的、本質的相違は、私だけが、労組出身でも、労組を母体としてもいない、唯一保守政治の中から出てきた人間だということだ。これは民主党群馬の構成要素の中での私の存在が、代役のいない、異質性をもった稀少な存在であることを意味している。私はそのことから派生する私に専属的な使命を深く自覚せざるを得なかった。

 党内には、私よりも優れた人材がいないわけではない。しかしここで、もし万一、県連の顔である三役(会長、会長代行、幹事長)が、旧社会党出身者や労組出身者だけで占められたときの、民主党群馬の対外イメージがどのようなものになるか、そのマイナスは計り知れない。

 「群馬の民主党は社会党の衣替えにすぎない」とか「民主党は労組の党だ」とかいう世評や批判(それは事実でないが)を補強するような人事は、この際絶対にしてはならないのだ。小泉ブームの下で、魅力的な若手候補や女性候補と無党派票を争う厳しい参議院選挙を目前にしている今の時期においては、なお更のことだ。

 この私の認識は、この3年間行動を共にしてきた県連幹部役員への信頼感や、労働組合運動への評価とはまったく別の、客観的認識の問題なのである。

 今度の県連大会は、新たな民主党群馬県連結成大会の意味を持つものと言っても過言ではない。今回の県連大会では、県民にこれからの民主党群馬の行方を示す清新なメッセージを発信できるか否か、が厳しく問われている。そして、分厚い議案集や長演説より、県連首脳の人事こそが、外に向けての最大のメッセージとなるのである。

 私は昨日の民主党県連五役会議(最高幹部会)で、他の役員との間で極めて激しい議論を戦わせた。私以外の役員の、危機認識は薄く、私との認識の差はあまりにも大きかった。執行部の四半人を失うという事態は、政党支部にとって尋常な危機ではない。そのような危機の中でさえ、小さくなった党の中で、更に小さくまとまろうとする事なかれ主義でしか、人事を考えられないようでは、群馬の民主党に明日はない。

 私は、自分の「会長代行就任を認めないなら、規約の規定に基づき、県連大会での党員選挙で決めろ」とまで極論して、譲らなかった。実際、公開下で、役員選挙を行うことは、決してマイナスではない。むしろ県連の多様性と可能性をアピールする絶好のイベントとなるはずだ。

 政治、政策路線の対立は結局人事に集約される。その路線闘争で妥協するようでは、所信は貫けない。私も時には、こういうごり押しとも言える強硬で頑迷な行動をとることがある。こういうところが、私が学者でない所以だ。

 先日、政治史を専攻する学生のF君と話したとき、こう言った。「歴史には、つまらない局地戦に命を懸けて一生を終わっちゃった政治的才能が一杯いる。オレは一人の歴史家としては、そういう人間にも愛着を持っているんだよ」。                       (平成13年5月22日 記)

197名無しさん:2009/10/31(土) 23:52:23
>>196

新進党と群馬県連中曽根派について。

第22回参議院議員選挙(2010年)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1202752370/540
540 名前:とはずがたり[] 投稿日:2009/09/26(土) 10:51:22
新進党は旧中曽根系が結構参加してましたよね。中曽根系群馬自民の野党的立場が伝統なんでしょうか。

【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1240552224/2283
2283 名前:とはずがたり[] 投稿日:2009/07/26(日) 01:26:48
>>2273 >>2250-2252
元々新進党群馬は旧中曽根系に食い込んで成立してましたよね。
今回も色々あって自民主流派vs自民非主流派+民主の色分けが浮き上がってきた感じもあります。茨城と一寸似てるか。

1996年総選挙群馬県各選挙区の新進党候補(5区は擁立せず)
1区熊川次男2区笹川尭3区笹川博義(笹川尭長男)4区駒井実

とはさんまとめページhttp://tohazugatali.at.infoseek.co.jp/seiji/gunma02.html
>駒井実=中曽根系
40日抗争http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7643/siryou1.html
>【中曽根派】熊川次男
嘘つき解散http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%98%E3%81%A4%E3%81%8D%E8%A7%A3%E6%95%A3
>渡辺派 笹川尭
◆自民党:党内政局 その151◆http://ranran2.net/app/2ch/giin/1220877390
>14 :無党派さん :2008/09/08(月) 22:16:28 ID:7t5bA/cS
>笹川・小坂・石破は旧渡辺派時代からの盟友だな。

199名無しさん:2012/11/20(火) 14:28:42
2012年衆議院選挙
共同通信トレンド調査連続5回・第一回目11/17.18・第二回11/24.25・第三回12/1.2・第四回12/8.9第五回12/12.13日
問2小選挙区計20
民10.9自24.0生1.8公2.1共1.6み2.5社0.6維6.0減0.1国0.1大0.1風0.1太1.0日‐改‐他‐無0.5いない4.1未定43.0わ1.5
問3比例区計19
民10.8自23.0生1.8公4.0共1.9み2.0社0.7維6.8減0.2国0.1大‐風0.1太1.0日‐改‐他0.1ない2.8未定43.0わ1.7
問7あなたには日頃、支持してる政党がありますか、それともありませんか。 ある29.7・ない69.1
問8
問7で「ある」と答えた人に聞く、それは、どの政党でしょうか計17
民20.6自48.5生3.4公11.2共4.3み2.5社2.0維3.3減0.4国0.6大‐風0.2太0.7日‐改‐他‐わ2.3
問9問7でないと答えた人に聞く、あえて支持するとすればどの政党ですか計18
民13.9自23.2生1.9公0.5共1.6み3.8社0.2維11.3減0.6国‐大0.0風0.1太3.0日‐改‐他0.2ない38.1わ1.6
野田24.3・63.5・12.2
野田32.1安倍35.0わ32.9
必ず71.7できるだけ24.7
1754/1217

200名無しさん:2012/11/20(火) 14:42:44
共同トレンド11/17.18
首相無党派野田33.9安倍29.0・
支持ある、民主党支持層民66.2・自2.7維2.6未24.3
支持ある、自民党支持層自81.2民0.2維2.2未定12.5
支持ある、維新支持層維90.7未定9.3
無党派層自15.7民9.4維7.6未定54.3
男性自29.0女性50.9未定
ブロック北海のみ民
太陽東京1.9

201名無しさん:2012/11/22(木) 04:57:19
問7〜問9から計算した政党支持率

政党支持率/無党派の好意政党率/和

民主 19.79 19.99 39.78
自民 11.77 *8.58 20.36
公明 *2.95 *1.53 *4.48
共産 *1.56 *1.29 *2.85
社民 *0.80 *1.00 *1.80
みん *1.64 *3.18 *4.81
国民 *0.64 *0.53 *1.17
た日 *0.20 *0.76 *0.96
新日 *0.00 *0.00 *0.00
改革 *0.08 *0.35 *0.43
無党 **.** **.** 19.29

202名無しさん:2012/11/22(木) 05:00:55
問7〜問9から計算した政党支持率

政党支持率/無党派の好意政党率/和/(前回)

民主 18.09 19.11 37.20 (39.78)
自民 11.85 *9.36 21.21 (20.36)
みん *1.17 *4.08 *5.25 (*4.81)
公明 *3.39 *0.45 *3.84 (*4.48)
共産 *2.54 *2.38 *4.92 (*2.85)
社民 *1.09 *0.57 *1.66 (*1.80)
国民 *0.16 *0.34 *0.50 (*1.17)
た日 *0.52 *0.51 *1.03 (*0.96)
新日 *0.81 *0.79 *1.60 (*0.00)
改革 *0.00 *0.17 *0.17 (*0.43)
無党 **.** **.** 16.67 (19.29)

203名無しさん:2012/12/15(土) 21:29:46
(BS11、インサイドアウト)毎日新聞調査。 12/11
http://twitpic.com/bl9gds/full
比例投票先
未来  16%
自民  14%
民主  13%
維新  11%
共産   9%
みんな  9%
社民   4%
公明   4%
無回答 19%

204ナイキ フリー:2013/10/26(土) 13:53:06
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205チバQ:2013/10/27(日) 23:36:27
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130504/elc13050410430000-n1.htm
【ニッポンの分岐点】
政党政治(1)小選挙区比例代表並立制
2013.5.4 10:38 (1/3ページ)

小選挙区比例代表並立制導入で合意した後の共同記者会見を終え、握手する細川護煕首相と河野洋平自民党総裁(左) =平成6年1月29日
 ■土壇場の合意、中選挙区に終止符

 昨年12月の衆院選の「一票の格差」をめぐり、広島高等裁判所などが「選挙無効」判決を下すに至り、国会では衆院選挙制度の改革が一大テーマに浮上した。どの選挙制度を導入するかは政党政治の形に大きな影響を与える。政治家の当落を左右するだけに、いつの時代も合意形成は難航し、対立と混乱が繰り返されてきた歴史がある。

 ■並立制の原点

 平成6年1月29日未明、雪の降りしきる中、衆院別館で始まった記者会見。自民党総裁、河野洋平と政治改革関連法案をめぐる合意書の署名に臨んだ首相(日本新党代表)の細川護煕は笑みを見せて語った。

 「ペンは借り物ですが中身は大幅に自民案に譲歩させていただきました」

 細川と河野のトップ会談は前日の午後7時過ぎ、国会内の常任委員長室でスタートしたが、妥結したときには時計の針はすでに午前零時近くを指していた。ほぼ70年続いた中選挙区制の廃止と、小選挙区に比例代表を組み合わせた小選挙区比例代表並立制の導入が決まった瞬間だった。

 合意案のベースとなったのは、平成元年6月に設置された選挙制度審議会(第8次)の答申だった。きっかけとなったのは昭和63年に発覚したリクルート事件。リ社子会社の未公開株譲渡で利益を得たとして、収賄側の政治家、官僚が続々と起訴され、国民の政治不信は頂点に達した。

 首相、宇野宗佑は「金のかからない政治活動と政策中心の選挙」の実現に向けた改革案作成を諮問した。8次審はそれまでとは違い、政治家を排除し、学界、メディア界などで委員を構成したのが特徴だった。委員を務めた産経新聞会長の清原武彦は振り返る。

 「審議の期間中、小選挙区制導入に反対する旧知の国会議員に呼ばれ、つるし上げをくらったことが何度かあった」

 それでも8次審は中選挙区制による同一政党候補者の「同士討ち」が利益誘導やカネのかかる選挙を生みだし、政治腐敗の温床となった−として、同制度の廃止で一致。発足3カ月後には小選挙区比例代表制を軸に検討を進める流れになった。

 問題は小選挙区と比例代表のどちらを中心とするかで、委員の意見も分かれた。学界関係者らは「民意の正確な反映」を重視し、実質的な比例代表である小選挙区比例代表「併用制」にこだわった。これに対し、ジャーナリスト出身の委員らは「並立制」を強く主張。そのうちの一人、時事通信出身の政治評論家、屋山太郎は、「併用制は少数政党の乱立を招くだけで、ダイナミックな転換はできない」と考えた。結局、政党・政策本位で政権交代を可能にする選挙という理念を実現する観点から、次第に「並立制」が受け入れられていった。

206チバQ:2013/10/27(日) 23:36:54
 ■細川の決断

 8次審は翌2年4月、首相の海部俊樹に政治改革案を答申する。その柱が(1)小選挙区比例代表並立制を導入(2)定数は500程度。うち6割を小選挙区、4割を比例代表とする(3)比例代表の選挙区は全国11ブロックに分割する−だった。

 だが、海部、続く宮沢喜一政権下でも改革を実現できなかった。

 「自民党には自浄作用がない」

 滋賀県知事から国政に転じた武村正義らは5年6月、宮沢内閣不信任案が可決されると自民党を飛び出し、新党さきがけを結成した。日本新党代表、細川護煕とともに小選挙区250、比例代表250を基本とする並立制導入を旗印に各党に政権参加を呼びかけた。

 この結果、8党会派が結集し、細川連立政権が誕生する。ところが並立制を盛り込んだ政治改革法案は衆院を通過したものの、参院本会議では与党の社会党から20人が反対、欠席など造反し、参院で12票差で否決される。

 衆院解散か総辞職か−。細川は崖っぷちに立たされた。両院協議会での与野党の修正協議も不調に終わり、細川は河野との会談に賭けた。

 「仮にこの土壇場の局面で政治改革法案が葬られることにならば、国民の政治不信は極限に達する」(細川護煕『内訟録』)

 細川は8次審答申を基にした自民党案−小選挙区300、比例代表200で比例代表を全国11ブロックに分割−をすべて受け入れたのだった。

 ■残る課題

 平成8年の初実施以来、並立制下での衆院選は昨年12月で6回を数えた。

 清原は「どの選挙制度にも一長一短があるが、政権交代可能で、カネのかからない選挙をはじめある程度、目指したことを実現している」と語る。

 ただ、「死に票が多いなど審議会で当初から議論されたように小選挙区制度にも問題点はある」とも認める。特に、小選挙区で落選しても比例で復活するゾンビ議員を生んでいるとして、重複立候補は問題視されている。清原によると、この仕組みは答申の直前になって「議論する間もないどさくさ紛れのうちに盛り込まれた」という。

 首相、安倍晋三も4月9日の衆院予算委員会で「小選挙区の振れがあまりにも多い」と指摘したが、昨年の総選挙で自民党が圧勝したのもこの制度によるところもあった。安倍は自民党結党以来、初めて首相に再登板した。その自民党が「保守合同」で昭和30年に結成されたとき、動いた一人が安倍の祖父、岸信介だった。次回は「保守合同」に焦点をあてる。=敬称略(肩書は当時)(原川貴郎)

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