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製紙産業スレッド

403 荷主研究者 :2010/12/31(金) 01:17:40
天塩川木材工業はかつて美深駅で専用線コンテナ扱い(S39.10〜S55.10)をしていた荷主である。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/135/1.htm
2007年11月6日 読売新聞
拓銀破綻10年<1>景気回復 乗り遅れ
企業、淘汰は進む

破産した天塩川木材工業の空き地に立つ松浦義信さん。後ろは当時の名残をとどめる出荷工場

 町を南北に貫くJR宗谷線を挟んで、上川・美深町の風景は好対照を見せる。美深駅の西側は商店が軒を連ねるが、かつて道内を代表した木材販売会社「天塩川木材工業」の本社などが置かれていた駅の東側は、広大な空き地が広がる。工場、社宅のほか、プールや野球場まで備えて「天木(てんもく)のまち」と呼ばれていた場所は、今やわずかに出荷工場の跡地が、往時の名残をとどめているだけだ。

 天木は1944年に設立された。町の約85%を占める山林資源と、円安・ドル高を背景に、60年代には合板の米国向け輸出で潤った。最盛期には約600人の社員を抱え、道内に2工場、道内外に5支店を構えた。しかし、80年代に入ると、木材資源の枯渇と低価格輸入材の攻勢で、競争力はみるみるうちに低下した。97年11月、メーンバンクの北海道拓殖銀行の破綻(はたん)が、青息吐息の経営にとどめを刺した。同月末、資金源を断たれた天木は、100億円を超える負債を抱えて旭川地裁に自己破産を申請――。

*    *

 天木の元専務、松浦義信さん(75)は「そもそも天木は、時代についていけなかった。ワンマン経営の弊害も大きかった。拓銀破綻は、倒れかかった天木の背中を押す出来事だった」と振り返る。

 バブル経済崩壊後、道内の企業は長い不況の波にのみ込まれた。保有する不動産価格の下落や、売り上げ不振などで、本来なら倒産してもおかしくない企業を、拓銀は銀行としての採算を度外視して必死に支えた。そのおかげでようやく生き続けていた企業が、あまりにも多かった。天木は、まさにそういった企業の一つだったのだ。

 天木が好景気に沸いていた59年、1万5000人近かった美深町の人口は、5346人(10月末現在)と半分以下に減り、過疎に拍車がかかる。

*    *

 拓銀破綻で、天木同様、同行をメーンバンクとしていた企業はどこも大きな岐路に立たされた。中堅ゼネコン「地崎工業」、道内大手百貨店「丸井今井」は、その最たる例だ。行政や政治家も巻き込んで存続の道が模索され、地崎は北洋銀行、丸井今井は北海道銀行を中心に支援体制が再構築された。拓銀破綻の余波は、10年が経過し、ようやく落ち着いたように見える。

 北海道大学の浜田康行教授(金融論)は「関係者には痛みを与えたが、拓銀破綻後、道内企業の淘汰(とうた)は比較的大きな混乱を招かず進んだ」と評価する。一方で、浜田教授は「拓銀破綻をきっかけにした金融の再編で、道内の金融業界は不良債権処理など自らの経営改善に追われ、新規の有望企業発掘などに手が回らなかった。その結果、道内企業は全国的な景気回復の波に乗り遅れ、いまだ苦境から抜け出せないでいる」とも強調する。


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