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地域綜合スレ

4920とはずがたり:2017/04/16(日) 20:39:02
二宮尊徳の報徳精神は第二次大戦に利用されて印象悪くしちゃったよなあ。。

600農村を再生した報徳仕法、現代に活かす10の教訓。 (No.1031)
http://blog.revitalization.jp/?eid=810928
2015.09.18

人口縮小社会において、縮小する600もの農村を再生した取り組みが、かつて江戸時代にありました。

自ら自然災害が原因で衰退し、その苦労で両親をなくした一人の少年は、自らの手で薪を売り、田を耕し、失った田畑を買い戻して、家を復興させます。少年は青年となり、その手腕を買われ、依頼された借金に喘いでいた藩の重臣の家計も見事に再生。その後、藩主からの命を受けて今の栃木県に移ります。

その頃、天明・天保の大飢饉などにより、北関東から東北などを中心に多くの農村が廃村の危機に陥っていました。地元生産力の要である田畑は荒れ、各藩の財政は重税を貸してもなおりずに借金を続けて破たん寸前までに追い込まれ、そのような悪条件から多くの住民は土地を離れて、他の土地へと移住していってしまいました。残る人々の人心は荒み、勤労意欲もなく、賭博に走り、わずかな利得を互いに奪い合うという有り様になっていました。

そのような環境下で、彼は移り住んだ衰退する三ヶ村の再生までをも達成します。

その噂は広く多くの人々が知ることとなり、全国各地の農村から再生依頼が押し寄せます。最初の頃は個別の申し出についても個別対応していたものの、もはや全てに対応することは不可能。弟子を集め、自らが取り組んできた農村の生産力再生と金融手法、さらに租税に関わる藩財政改革までをも体系的に整理し、その手段を細かくまとめたマニュアルを作成します。

それこそが「報徳仕法」です。
報徳仕法は、その後、弟子たちを中心に問題を抱える藩や農村に積極的に採用され、実に600もの農村を再生したと言われています。

関係書籍などを全部をまとめるのはいきなりは難しいのですが、ひとまず10の教訓としてまとめてみました。
その面白さを垣間見ていただければと思います。

【報徳仕法・現代に活かす10の教訓】

(1) 補助金は地域生産力を低下させる

彼は、自分が派遣される先に向けて支給されている支援金について、停止するように殿様に進言しています。
殿様がお下しになるから、地元の役人も農民もそれをいかに自分がもらうかということばかりを考えるようになる。といっています。貧しい地域が、自らの自らの生産力をもって生活を豊かにし、地域全体の再生につなげていく。それに集中させるためにも、補助金をやめてくれなければ、私はいかない、と云います。

これは今の地域でも同じですね。
地域で生産力を拡大するのではなく、単に補助金などの制度活用ばかりが議論され、やってみたら大赤字。地域はますます衰退したりするわけですが、その補助金関係で仕事をして得をする人たちがいる。役人もそれが仕事。民間でもそれをもらって何かをやるほうが生産力を拡大して儲けるというよりもてっとり早い。だからますます生産力がマイナスになり、財政負担も拡大する。

江戸も今も変わらないですね。

(2) 基礎税収に対応した、継続可能な地域財政計画を約束する

彼は、まず各世帯を周り、困窮の状況を図るとともに、過去の長期にわたる収穫記録から豊作、凶作の平均を求め、田畑の生産力分析を行います。生産力にもとづいて、妥当な租税を改め、基礎的な租税合計額を算定。それをもって、各藩の今の基礎税収にあたる歳入を算出し、その基礎税収額を下にして歳出予算計画を見直します。いわゆる収支均衡予算の策定を行います。彼はこれを「分度」と呼び、全ての仕法のスタート地点としていました。
もしこれを行わなければ、いくら民が生産力を拡大しても、結局は重税を課されるか、藩が高利貸などからさらに借金し続けることになり、不健全財政が継続し、結局のところ、民間は働けど生活が改善せず、生産意欲が奮起しないと考えたからです。当時は、既に借金地獄の藩も多く、商人などから決して安くない金利で金をかりつづけ、その返済でさらに重税を課していくという悪循環に陥っていたからです。

彼は「三年の蓄えなくして、その国、国にあらず」という中国古典からの引用もしています。


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