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海上コンテナ鉄道輸送

386 荷主研究者 :2008/11/16(日) 23:45:36

http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000240801090001
2008年01月09日 朝日新聞
【新年企画 それは港から始まった】その7 仙台と横浜 「物流」

日夜操縦するメガ・コンテナクレーンを背にする道脇兵介さん=横浜港南本牧埠頭で
コンテナ航路の利用拡大のため、仙台港と横浜港とを行き来した山本幹さん=仙台市宮城野区で

  えんじ、青、白…。色とりどりのコンテナがターミナルに何段にも積まれひしめく。おもちゃ箱が無造作に積まれているようだ。大型クレーンが、その数十トンのコンテナを積み下ろす作業を繰り返していた。
  東北の海の玄関、仙台港。
  いまの活発な姿とは裏腹に、コンテナ航路が就航したばかりの90年当時は、ターミナルさえなく、小型クレーンで積み下ろしするだけだった。
  「何で仙台港を使ってくれないんだ」。港に面する海運会社で働く山本幹さん(55)は、出張先の横浜港でため息をついていた。当時、港からわずか十数キロ離れた工場で造られたタイヤは、仙台港ではなく、約400キロ離れた横浜港までトラックで運ばれ、輸出されていた。
  1859年の開港で、横浜は外国からの人、文化などとともに、モノの拠点となった。一方、仙台港の開港は1971(昭和46)年と、100年以上の違いがある。
  仙台港にコンテナ航路が就航すると、タイヤ原料のゴム樹液はアジア各地から直接運ばれるようになった。でも、製品の国外への運び出しは依然、横浜港からが主流だった。
  山本さんは仙台港を使う企業を増やそうと、東北各地を飛び回った。
  しかし、「横浜港に製品を運ぶ方法を決めたのは本社。従うだけ」とつれなかった。山本さんは毎月のように横浜を訪れ、「仙台から横浜まで船で運べば、物流コストはトラック輸送の半分に下がる」と、本社の担当者に利点を説明して回った。

               ◇ 

  97年、風向きが変わった。北米へのコンテナ船が仙台港に寄港するようになり、タイヤや食料品など東北を拠点とするメーカーが徐々に、仙台港を使うようになった。
  90年は約780本(20フィート換算、以下同)だったコンテナ取扱量が、06年には約16万8千本。毎年のように過去最高を塗り替えるようになった。
  「横浜港にかなわないが、国内コンテナ船の需要はまだまだ増える。仙台が地方港のモデルになるチャンスは十分ある」
  山本さんは仙台港の可能性にかけている。

               ◇


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