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政治思想総合スレ

1■とはずがたり:2002/12/07(土) 02:10
ウヨ・サヨ・保守・リベラル何でもありで且つ冷静に。思想史なんかも歓迎で。

457とはずがたり:2014/08/17(日) 10:58:13
福田め,いいこといってるじゃあないか。
この手の批判を謙虚に受け止めて前提として成立しているとした上で,人智への信頼を持ちたいと俺は思ふのである。

2014.8.16 13:01
【賢者に学ぶ】イデオロギーになりえない 保守派が「保守主義」という矛盾
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140816/lif14081613010019-n1.html

 劇作家の福田恆存(1912〜1994年)は、保守の本質について極めて正確に指摘している。すなわち保守は「主義」、つまりイデオロギーになりえないと。

 「私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ」(「私の保守主義観」)

 当然だ。保守とはイデオロギーを警戒する姿勢のことである。保守は常に疑い、思考停止を戒める。安易な解決策に飛びつかず、矛盾を矛盾のまま抱え込む。保守の基盤は歴史や現実であり、そこから生まれる《常識》である。

 彼らは革新勢力の《非常識》に驚き、「乱暴なことはやめましょう」と警告する。つまり、保守は常に革新勢力の後手にまわる宿命を負っており、特定の理念を表明するものではない。福田によれば、保守は改革主義の火の手があがるのを見て始めて自分が「保守派」であることに気づくような存在なのだ。

 一方、革新勢力は、歴史や現実の中に障害物や敵を見出(みいだ)す。よってその外部に「歴史観」「世界観」を設定する必要がある。

 近代とは、自由・平等・人権といった理念を完全な形で実現しようとする運動であるが、その背後にあるのは、歴史に法則(見とほし)が存在するという信仰、すなわち進歩史観だ。

 こうした思考回路を根本の部分で拒絶するのが保守である。

 「保守派は見とほしをもつてはならない。人類の目的や歴史の方向に見とほしのもてぬことが、ある種の人々を保守派にするのではなかったか」(同前)

 しかし、不幸にもあえて「保守」の立場を明確に打ち出さなければならない時代がやってきた。「歴史の進歩」というスローガンの下、《常識》の破壊が急速に進んだからだ。

 この「あえて」という部分が消滅したところに、俗流保守主義は発生する。

 彼らは自分たちの正義を愛し、徒党を組み、理想を声高に叫ぶ。過去から目を逸(そ)らし、「新しい国」の創生を訴える。

 福田はイデオロギーに堕した「保守主義」、および十年一日「保守的」スローガンを唱えて自己愛に浸る俗流保守主義者を深く軽蔑し、避けた。

458とはずがたり:2014/08/17(日) 10:58:34
>>457-458

 本来の保守主義は、自由や平等の節度なき拡張を批判してきたはずだ。しかし戦後、特に冷戦構造下において、思考が捻(ね)じ曲げられた俗流保守主義者は、臆面もなく「際限なき自由」およびグローバリズムを唱えだすようになった。彼らは革新勢力と同様の腐臭を放ちながら、伝統の破壊に勤(いそ)しむようになる。挙句(あげく)の果てには憲法に「理想と未来の姿」を盛り込むなどと発言する首相まで登場した。

 福田は、戦後保守の欺瞞(ぎまん)を見抜いていた。

 「保守派は見とほしをもつてはならない。人類の目的や歴史の方向に見とほしのもてぬことが、ある種の人々を保守派にするのではなかったか」(同前)

 しかし、不幸にもあえて「保守」の立場を明確に打ち出さなければならない時代がやってきた。「歴史の進歩」というスローガンの下、《常識》の破壊が急速に進んだからだ。

 この「あえて」という部分が消滅したところに、俗流保守主義は発生する。

 彼らは自分たちの正義を愛し、徒党を組み、理想を声高に叫ぶ。過去から目を逸(そ)らし、「新しい国」の創生を訴える。

 福田はイデオロギーに堕した「保守主義」、および十年一日「保守的」スローガンを唱えて自己愛に浸る俗流保守主義者を深く軽蔑し、避けた。

 本来の保守主義は、自由や平等の節度なき拡張を批判してきたはずだ。しかし戦後、特に冷戦構造下において、思考が捻(ね)じ曲げられた俗流保守主義者は、臆面もなく「際限なき自由」およびグローバリズムを唱えだすようになった。彼らは革新勢力と同様の腐臭を放ちながら、伝統の破壊に勤(いそ)しむようになる。挙句(あげく)の果てには憲法に「理想と未来の姿」を盛り込むなどと発言する首相まで登場した。

 福田は、戦後保守の欺瞞(ぎまん)を見抜いていた。

「だが、保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分化したとき、それは反動になる。大義名分は改革主義のものだ。もしそれが無ければ、保守派があるいは保守党が危殆(きたい)に瀕(ひん)するといふのならば、それは彼等が大義名分によつて隠さなければならぬ何かをもちはじめたといふことではないか」(同前)

 当時も今もきちんと理解されたとは言い難い福田の指摘を、このご時勢だからこそ、正面から捉える必要があるのではないか。

適菜収(てきな・おさむ)
 昭和50年、山梨県出身。早稲田大で西洋文学を学び、ニーチェを専攻する。卒業後、出版社勤務を経て、現在は作家・哲学者として執筆活動に専念。「日本を救うC層の研究」「日本をダメにしたB層の研究」、呉智英氏との対談「愚民文明の暴走」など著書多数。


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