したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

選挙・議員関連情報スレ

1■とはずがたり:2002/11/04(月) 21:34
とりあえず気付いたニュースなどを張り付ける事にしておく。

3989名無しさん:2015/11/18(水) 23:24:04
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151118/k10010310881000.html
政治や選挙教える教材 高校生に配布
11月18日 14時42分

18歳から選挙権を得られるようになったのを受けて、新たに有権者になる高校生に政治や選挙について教えるための教材の発送が始まり、18日、受け取った高校が早速、生徒たちに配りました。
選挙権を得られる年齢が18歳以上になり、来年夏の参議院選挙から適用されるのを受けて、文部科学省と総務省は、高校生に政治や選挙について教えるための教材をおよそ370万部作り、17日から全国の高校に向けて送り始めました。
早いところでは18日に教材が届き、このうち千葉県流山市の県立「流山おおたかの森高校」には、午前中に全校生徒分の1000部余りと教員向けの指導用の資料30部が届きました。
受け取った公民の担当教員は、早速、2年生の生徒たちに配って、「来年の夏の参議院選挙から投票に行く人もいますが、この教材を授業で使って選挙や政治の仕組みを学んでいきましょう」と呼びかけていました。
生徒の1人は「投票には行ってみたいと思いますが、選挙の仕組みとか政治のこととか、よく分からないことが多いので、授業を通して勉強していきたいです」と話していました。
この教材は来月中旬までには全国の高校に届けられる予定で、新たに有権者になる高校生の主権者教育が本格化する見通しです。

3990名無しさん:2015/11/19(木) 22:41:02
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151119/k10010312571000.html
主権者教育を小さい頃から 検討チーム発足
11月19日 22時00分

18歳から選挙権が得られるようになるのを受けて、文部科学省は、小学校や幼稚園でも地域や町づくりのことなどを学ぶ「主権者教育」を取り入れていこうと、19日、プロジェクトチームを立ち上げ、具体的な方法を検討することになりました。
文部科学省で開かれたプロジェクトチームの初会合には、関係部局の担当者ら12人が出席しました。冒頭、義家文部科学副大臣は「小さい頃から主権者教育を始めることで、社会の担い手という意識を成長段階に応じて高めていきたい」と趣旨を説明しました。
文部科学省は、新たに有権者になる高校生への教育に加え、さらに年齢が低い小学校や幼稚園でも地域や町づくりのことなどを学ぶ「主権者教育」を取り入れていくことが大切だとしています。19日の会議でも、出席者から「小学校の総合学習の授業で、地域の課題など身近なテーマを積極的に扱ったらどうか」などといった意見が出されました。
プロジェクトチームでは今後、子ども会や町内会、それに家庭との連携などを議論しながら、具体的な方法を検討し、年度内に取りまとめを行いたいとしています。

3991名無しさん:2015/11/21(土) 17:09:17
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151119-00010001-seijiyama-pol
通常国会1月4日開会では年始の挨拶が……国会議員はた迷惑!?
政治山 11月19日(木)11時30分配信

 臨時国会の召集見送りを決めた安倍首相は、来年1月4日に通常国会を早期召集する方針を明らかにしました。ここ数年は1月下旬の開催が続いていた通常国会ですが、そもそも1月開会が常態化したのは平成に入ってから。1990(平成2)年以前の通常国会は41回中40回が12月開会。1回の例外は1952年で、8月に開会されています。これは当時、「会期中に任期満了する場合、前倒しして召集する」という規定があったためです。

1990年までは12月開会が義務だった
 1月開会となったのは、国会法で「12月中」と定められていた召集日が、1991年に「1月中」と改められたため。これにより、予算案の提出期限も「12月中」から「1月中」に改正されました。1月中に改正された理由は、国家公務員が年末年始の休日(12月29日から1月3日まで)に入るため、国会も連動して自然休会状態となり会期日数が無為に経過することが問題視されたことによります。

 1月下旬の開会であれば年始の地元挨拶をじっくりできるため、国会議員にとっても好都合ですが、来年の開会が4日となればそうもいきません。7月改選の参議院議員にとっては地元回りをしたくて仕方がないところでしょうが、本来の政治活動を全うしたうえで、堂々と選挙準備に入ってほしいものです。

憲法52条「通常国会は年1回召集」の規定、過去に4回も違憲!?
 「国会の常会は、毎年一回これを召集する」と憲法52条で規定されています。ところが、過去に開かれなかった年が1969年、1972年、1983年、1991年の4回あります。今のご時世なら「憲法違反だ!」と大騒ぎになるところですが、ここでも憲法解釈を巡り2つの説が対立しています。「毎年一回」というのを(1)暦年で考えるか、(2)通常国会の召集間隔が1年と考えるか、です。1991年のケースは国会法改正で「12月中」から「1月中」に繰り延べされた間隙の年だったためですが、他の3回は通常国会召集の詔書公布後に衆院が解散。総選挙後の特別国会召集により実現しませんでした。国会法2条の2では、「特別会は、常会と併せてこれを召集することができる」と特例規定を定めていますが、適用されませんでした。

 野党が今回、憲法第53条後段の「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は召集を決定しなくてはならない」に違反しているとして反発する臨時国会の召集規定も、今回を含め3例の守られなかったケースがあるなど、日程絡みの「違憲」を粗探しすれば、疑わしいケースはぽろぽろと出てきます。1991年のケースについて、衆参の法制局は「法改正による特例的な1回限りのことであり、(中略)例外的事態として憲法第52条に抵触しない」と答弁しています。

 安倍首相がアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席するため11月18日からフィリピンに出発する外交日程は以前から決まっていました。日本側の意向でそれを簡単にキャンセルするようでは国際社会での信用が失われます。憲法規定の理想と日程調整の現実という隔たりは、容易には埋めがたいのかもしれません。少なくとも、三が日明けてすぐに通常国会を開会する方針の安倍首相に、「国会軽視だ」と叩かれるような考え方がないことは読み取れます。

<フリーライター 上村吉弘>

3992名無しさん:2015/12/16(水) 20:27:33
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015121600861
政党機関紙に明暗=自民対象外、公明・共産は適用-軽減税率

 消費税の軽減税率が新聞にも適用されることを受け、各政党の機関紙は、公明、共産両党が適用対象、自民党が対象外と、発行頻度によって明暗が分かれた。
 16日に決定した与党税制改正大綱は、軽減対象となる新聞を「定期購読契約を結び、週2回以上発行されるもの」に限定。この線引きに従うと、日刊の「公明新聞」(公明党)と「しんぶん赤旗」(共産党)は消費税率8%に据え置かれる。これに対し、自民党の「自由民主」は週刊のため、税率は10%に引き上げられる。
 これに関し、自民党の宮沢洋一税制調査会長は「残念」と述べ、公明党の斉藤鉄夫税調会長は「基準を満足している政党や宗教団体の機関紙は対象になる」と指摘するにとどめた。一方、共産党の穀田恵二国対委員長は「軽減税率以前に、増税をやめろというのが基本的立場だ」と強調した。 (2015/12/16-19:34)

3993とはずがたり:2015/12/20(日) 23:30:12
<訃報>森本晃司さん73歳=元建設相
http://news.goo.ne.jp/topstories/politics/85/da5da964e90d11eb929178103ba7d548.html
(毎日新聞) 12月19日 22:25

 元建設相で公明党衆院議員などを務めた森本晃司さん(73)が18日、出張中の東京都内のホテルで死亡しているのが見つかった。関係者への取材で分かった。病死とみられる。通夜、葬儀の日時は未定。

 1983年に衆院・旧奈良全県区で公明党から初当選して4期、98年から参院議員(比例代表)を1期務めた。同党院内総務、旧新進党常任幹事などを歴任。94年には羽田内閣で建設相を務めた。

 2004年に政界を引退した後、奈良県立大の客員教授として観光学を教え、同県明日香村で観光ボランティアに携わるなど地元に尽くした。【矢追健介、塩路佳子】

3994名無しさん:2015/12/21(月) 23:38:30
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2015122100557
政党要件

 政党要件 政治団体が法律上の「政党」として扱われるための条件。政党助成法や政治資金規正法で、(1)所属国会議員が5人以上(2)国会議員が1人以上で、かつ直近の衆院選か過去2回の参院選で得票率が2%以上-のいずれかを満たす団体を「政党」と定義している。公職選挙法もほぼ同じだが、(2)の対象となる参院選を過去1回としている点が異なる。
 政治結社としての政党は誰でも自由に設立できるが、国から政党交付金を受け取るには、政党助成法の政党要件を満たす必要がある。また、公選法の政党要件を満たした団体は、政見放送などで有利な取り扱いを受けるほか、衆院選で小選挙区と比例代表の重複立候補ができるといったメリットがある。(2015/12/21-16:42)

3995名無しさん:2016/01/01(金) 08:11:16
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016010100016
主な政治日程

【1月】
 4日  通常国会召集
中旬?  2015年度補正予算成立?
24日  沖縄県宜野湾市長選投開票
【3月】
11日  東日本大震災から5年
月末?  16年度予算成立?
     安全保障関連法施行
【4月】
24日  衆院北海道5区補選投開票
【5月】
26日  伊勢志摩サミット(27日まで)
【6月】
 1日  通常国会会期末
19日  18歳選挙権施行
【7月】
上旬?  参院選投開票?
25日  参院議員任期満了

(2016/01/01-00:32)

3996名無しさん:2016/01/01(金) 08:12:35
>>3995

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016010100015
参院選へ与野党攻防=くすぶるダブル選、緊迫も-今年の政局展望

 2016年の政局は、最大の政治決戦となる夏の参院選をにらみ、与野党が4日召集の通常国会を舞台に激しい攻防を繰り広げる展開となる。安倍晋三首相が参院選に勝利して長期政権への足場固めを狙うのに対し、民主党は野党共闘を進めて反転攻勢をうかがう。首相が参院選に合わせて衆院解散・総選挙に踏み切るとの臆測もくすぶり、政局が一気に緊迫する可能性もはらむ。
 「築城3年、落城1日」。首相は1日付の年頭所感でこう自戒した。長い時間をかけて築き上げたものも、瓦解(がかい)するときはあっという間という意味で、緊張感を持って政権運営に当たる決意を示したものだ。
 昨年9月、国論を二分した安全保障関連法を成立させたことで落ち込んだ内閣支持率は安定軌道を回復し、「安倍1強」に変化は見られない。だが、首相が18年までの党総裁任期を全うし、政権を担い続けるには、参院選勝利は欠かせない。
 このため、通常国会で15年度補正予算案の早期成立、16年度予算案の年度内成立を果たし、5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)を成功させ、これらを成果として万全の態勢で選挙になだれ込む-というのが首相の基本戦略だ。
 これに対し民主党などは、17年4月の消費税率10%への引き上げと同時に導入される軽減税率に必要な1兆円規模の財源が確定していないことを問題視。15年度補正に盛り込まれた低所得高齢者向けの1人3万円の臨時給付金も「選挙目当てのばらまき」と批判を強める構えだ。農家などに痛みを強いる環太平洋連携協定(TPP)も、野党にとっては格好の追及材料だ。
 今年前半の重要選挙の影響も見逃せない。米軍普天間飛行場の地元で移設問題が争点となる沖縄県宜野湾市長選が24日に迫り、県内移設反対派が勝利すれば安倍政権には痛手となる。衆院北海道5区補選(4月24日投開票)では、議席を死守したい自民党に対し、民主党など野党が統一候補擁立を模索、参院選の行方を占う総力戦となる。
 ◇ダブルなら違憲状態も
 こうした中、与野党が注視するのが衆参ダブル選の可能性。世論の反発や景気の落ち込みが予想される消費税増税後の衆院解散を避けるなら、夏の参院選との同時実施が安倍政権にとって「得策」(自民党幹部)との見方からだ。通常国会会期末の6月1日に解散すれば、公職選挙法の規定により、7月10日の同日選が可能となる。
 ただ、首相にとってハードルがないわけではない。最高裁が昨年11月の判決で「違憲状態」と指摘した14年衆院選の「1票の格差」是正が間に合いそうにないことだ。衆院の第三者機関は14日、格差是正を含む選挙制度改革案を大島理森議長に答申、与野党協議がスタートするが、各党の利害が絡んで難航は避けられない。
 そこで自民党内では、首相に解散へのフリーハンドを持たせるため、(1)2月に公表される15年の国勢調査速報値を基に選挙区割りをやり直す1票の格差の「緊急是正」で当座をしのぐ(2)制度改革を盛り込んだ関連法案の成立まではこぎ着け、司法に対し「国会の努力」をアピールする-案が取り沙汰されている。
 改革道半ばで衆院を解散すれば野党の反発は必至で、世論の批判も招きかねない。それでもダブル選への臆測が消えないのは、首相が14年11月の電撃解散で与党を圧勝に導いた抜き難い記憶があるためだ。与野党は夏に向け、首相の胸の内をあれこれ忖度(そんたく)することになりそうだ。 (2016/01/01-00:31)

3997名無しさん:2016/01/19(火) 21:12:51
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160119/k10010377851000.html
政党助成金 10党に320億円余交付へ
1月19日 17時41分

ことし(平成28年)各党に交付される予定の政党助成金は、10の政党に対し総額320億円余りで、自民党におよそ172億円、民主党にはおよそ77億円がそれぞれ交付される見通しです。
政党助成金は、政党助成法に基づき、毎年1月1日現在で、所属している国会議員の数や過去の国政選挙の得票数に応じて、総務大臣に届け出を行った政党に対し交付されるものです。
ことし届け出を行ったのは10の政党で、総額320億1400万円が交付されます。これを基に、各党に交付される予定の政党助成金の額を試算すると、多い順に、
▽自民党が172億2000万円。
▽民主党が76億9100万円。
▽公明党が29億7200万円。
▽維新の党が20億5200万円。
▽日本のこころを大切にする党が5億6000万円。
▽おおさか維新の会が4億8500万円。
▽社民党が4億7100万円。
▽生活の党と山本太郎となかまたちが3億3200万円。
▽改革結集の会が1億2100万円。
▽新党改革が1億500万円。
共産党は、政党助成金の制度に反対して助成金を受け取っていません。
一方、去年まで政党助成金を交付されていた、日本を元気にする会は、党所属の議員が4人となり、政党助成法上の政党要件を失ったため、ことしは交付されません。
政党助成金は、このあと国会に提出される国の平成28年度予算案が成立すれば、年4回に分けて各党に交付されます。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016011900785
自民へ過去最多の172億円=16年政党交付金、元気は要件喪失

 総務省は19日、政党助成法に基づき、10党から2016年分の政党交付金の受給申請があったと発表した。交付金総額は320億1400万円(100万円未満切り捨て、以下同じ)で、時事通信の試算では自民党172億2000万円(前年比1.0%増)、民主党は76億9100万円(同0.3%増)となる。
 自民党が受給する額は、1995年の制度開始以降で最多となる。維新の党は、おおさか維新の会と改革結集の会が分離したことで20億5200万円となり、同23.0%減少。おおさか維新は4億8500万円、改革結集は1億2100万円となった。
 所属国会議員が4人となって政党助成法上の政党要件を失った日本を元気にする会は交付金を受け取れない。
 政党交付金配分額は、1月1日現在の所属国会議員数や、前回の衆院選と直近2回の参院選の得票数を基に算出し、支給は年4回に分けて行う。政党交付金制度に反対している共産党は申請していない。他の党への配分予定額は次の通り。
 公明党29億7200万円▽日本のこころを大切にする党5億6000万円▽社民党4億7100万円▽生活の党と山本太郎となかまたち3億3200万円▽新党改革1億500万円。 (2016/01/19-19:15)

3998とはずがたり:2016/02/21(日) 12:41:20
ここ?

杉村太蔵、慶応大大学院合格
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/02/21/0008824104.shtml
2016年2月21日

 タレントの杉村太蔵が21日、TBS系「サンデージャポン」に出演し、慶応大学大学院に合格したことを発表した。

 司会の爆笑問題・田中裕二から話を振られると、「私事で恐縮なんですが、このたび、慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程博士課程に合格させていただきました。4月から大学院生として研究生活を」と報告。2年ほど前から挑戦していたといい、「なかなか結果が出なかった」と苦労した末の合格だったことを明かした。

 杉村は札幌の高校を卒業後、筑波大学にスポーツ推薦で入学したものの、中退している。

 同大学大学院に進んだ芸能人としては過去に、メンタリストのDaiGoや元ザ・タイガースのメンバーの瞳みのるさん、フリーアナウンサーの進藤晶子らがいる。また、お笑い芸人のエドはるみも4月から同大学大学院システムデザイン・マネジメント科へ進学することになっており、杉村とは“同級生”となる。

3999名無しさん:2016/03/12(土) 15:47:49
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date3&k=2016031000798
大内啓伍元厚相死去=旧民社党委員長、86歳

 旧民社党委員長や厚相を務めた大内啓伍(おおうち・けいご)元衆院議員が9日午後9時1分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。86歳だった。東京都出身。葬儀は18日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は妻たつ子さん。
 早大法卒。旧社会党(右派)職員を経て民社党結成に参加。76年衆院選で旧東京2区から出馬し、初当選。当選6回。党書記長などを歴任して90年に委員長に就き、93年の非自民連立政権樹立に尽力した。細川、羽田両内閣で厚相を務めた。 
 民社党などが参加した94年の新進党結成には加わらず、自由連合を経て自民党に入党した。(2016/03/10-19:03)

4000名無しさん:2016/03/12(土) 16:10:21
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160312-00087730-diamond-soci
不倫政治家の明暗に学ぶ「正しい言い訳」「ダメな言い訳」
ダイヤモンド・オンライン 3月12日(土)8時0分配信

● 育休不倫議員・宮崎健介氏は おそろしく要領が悪かった? 

 実は「不倫」を理由とした議員辞職は、憲政史上では宮崎健介氏が初めて。過去にもスキャンダルで話題になった議員は数あれど、なぜ、宮崎氏だけが辞職にまで追い込まれてしまったのか。そこには様々な要因が絡んでいる。

 宮崎氏は「オンナ癖が悪い」ということで有名だったが、それは他の不倫政治家たちも同じだ。では何が問題だったのか。宮崎氏は、何をやるにも「要領が悪かった」のだ。

 たとえば2006年、1人目の妻・加藤鮎子氏と結婚したとき、宮崎氏は姓を加藤に変えている。これは妻の父親である加藤紘一氏の地盤を引き継ぎ、政治家になるための準備であると容易に推測できる。しかし、宮崎氏はこの野望を自らの手でぶち壊した。

 普通の人間であれば、こういった特殊な環境に身を置いた場合、どれほどオンナ癖が悪かろうが、最低限の用心はする。約束された輝かしい未来を捨ててまで、性欲を優先するような愚行には走らず、走ったとしても要領よくバレないようにやるだろう。しかし、宮崎氏はそれができなかった。それゆえ2009年に離婚し、せっかくの国政への道が閉ざされてしまったのだ。

 その後、自民党の公募議員として、2012年に国政デビューを果たし、同期の金子恵美議員との結婚を経て、2015年12月に「育児休業の取得」を宣言するところまでは、順調にことを運んでいた。だが、その直後に不倫スキャンダルを引き起こしてしまった。しかも、金子氏が早産のために緊急入院していた最中の不貞行為だったので、政治家としても、夫としても、そもそも人としてその信用は失墜したのである。

 こういった経緯で2月12日、宮崎氏は会見を開いて議員辞職を表明するが、ここでも大ポカをやらかす。謝罪だけに徹すればいいところ、次のような傲慢なセリフを吐いたのだ。

 「一から出直して、いつの日かまた、私の理想とする政治を追い求めることのできる資格を与えていただけるように出直していきたい」

 謝罪会見の場で、こんな再チャレンジの意欲を示されても、有権者は応援する気になるどころか「反省していない」とみなし、余計に怒りを掻き立てられるだけだ。辞職をしてまで謝罪を行った意味は消え失せ、再選のチャンスを己の手で潰した形となった。

4001名無しさん:2016/03/12(土) 16:10:38
>>4000

 そもそも辞意の表明も、所属する自民党京都府連には相談をせずに行ったというのだから、今後の支援も望むべくもない。結局のところ、宮崎氏が議員を辞職した最大の理由は、はなはだしいまでの「要領の悪さ」だったのである。

 しかし逆に、ここで過去の不倫政治家たち全員が「要領が良かった」といえば嘘になる。むしろ、宮崎氏のようなダメな言い訳に終始したり、あり得ない過ちを犯したりした者もいる。では、そんな不倫議員たちは、なぜ、今も選挙に当選し、のうのうと議員を続けていられるのだろうか。かつて話題となった不倫議員の面々を、時系列に沿い、生き残りの“秘訣”を順に追っていこう。

● 「政界失楽園」の船田元氏が 女性票を失っても復活できた理由

 まずは1996年、不倫行為が「政界失楽園」と称され、大きな注目を集めた自民党議員・船田元氏。祖父に衆議院議長や自民党副総裁を務めた船田中氏をもち、自身も25歳で初当選、39歳で経済企画庁長官として史上最年少で入閣を果たしたサラブレッドだ。

 エリート街道を歩み続け、「将来の首相候補」「政界のプリンス」とまで呼ばれていた船田氏だが、彼の過ちは1996年の夏に起きた。参議院議員・畑恵氏との不倫恋愛を大々的にスクープされたのだ。しかもメディアの取材でその関係を否定したために、いらぬ反感も買ってしまう。さらには1999年3月に妻と離婚し、5月に畑氏と再婚をした。そのため女性の支持率が大幅に下落し、翌年の選挙で初めて選に漏れてしまったのである。

 2003年に再選を果たすも、その後は入閣もできないばかりか、2009年に再度落選。2012年に再び国政の場に復帰してからは、自民党の憲法改正推進本部長に就任するなど、ようやく日の目を見るようになってきたのだ。

 船田氏も、宮崎氏ほどではないが、選挙を翌年に控えているにもかかわらず、長年連れ添った妻を捨て、浮気相手と再婚するなど、とても危うい行動をしている。それでも2度にわたる当落劇を経て、いまだに議員を続けていられるのは名門の世襲議員であり、祖父から引き継いだ地盤が強固だからである。これは宮崎氏が持っていない要素であるが、“腐ってもプリンス”といったところだろう。

● 「モナ男」こと細野豪志議員、 生き残り術は“寄らば大樹の陰”

 続いては、2000年に民主党公認で初当選して以来、着実にキャリアを重ねてきている細野豪志議員。民主党政権下の2011年には環境大臣に就任し、2014年には自身の派閥である自誓会を旗揚げ、2015年には民主党代表選挙に出馬するなど、波に乗っている政治家だ。

4002名無しさん:2016/03/12(土) 16:11:01
>>4001

 そんな細野氏は2006年、人気キャスター・山本モナ氏と、濃厚な路上キスを重ねている現場を写真週刊誌に撮られてしまった。不倫旅行先の京都でも、山本氏と仲むつまじく肩を寄せ合い、手を取り合って散策する熱々ぶりが報道され、“モナ男”の別称で広く世間を騒がせたのだ。当時、奥方との結婚10周年を祝う大切な節目であるにもかかわらず、こういった節操のない行動に走った細野氏には、世論はもとより、党内からも多くの批判が集中していた。

 だが反響の大きさに比べ、この不倫劇の代償は思いのほか小さかった。まだ政治家としては3回当選しただけの若手にもかかわらず、細野氏は政策調査会長代理の任を降りただけで済まされているのだ。しかもその翌年には、まるで何事もなかったように党役職に復帰し、さらに2009年には総選挙でも再選、その上同年に党組織委員長、企業団体対策委員長、副幹事長など、民主党の要職を任されているから驚きだ。

 通り一辺倒の謝罪をしただけで、名門一族出身でもない細野氏が、なぜここまでの高待遇を受けていたのか。それはひとえに“卓越した人たらし術”によるものだろう。

 細野氏は政治家としては、手始めに同じ京都大学法学部の先輩である、前原誠司氏に師事を仰いだ。そして前原氏が党代表に就任するとともに、党役員室長に任命された。しかし、ひとたび前原氏が失脚したとみるや、今度は後任代表の小沢一郎氏に鞍替え。同役職を続けつつ、小沢氏に気に入られた結果、スキャンダルの後にも選挙当選、党の要職を授かるなどの手厚いプッシュを受けることができた。

 さらに、小沢氏が失脚したあとは菅、野田両内閣でも要職を任されるように上手く立ち回り、現在も、党代表を争った岡田克也氏のもとで、政策調査会長の職をこなしている。

 つまり細野氏は、めまぐるしく情勢が変わる政界において、代表レースの勝ち馬をいち早く見極め、全力で擦り寄りつつ“己の地位を保証させる”という、極めて堅実な手法を徹底して行ってきたのだ。だからこそ、世論の批判などはものともせずに、党内で磐石の地位を築き上げることができた。もし、このスキルを宮崎氏が持っていたとしたら、情勢は大きく変わっていたことだろう。

● ホステスとの醜聞で絶体絶命に 後藤田正純氏を救った妻の愛

 さて、最後は自民党の副幹事長・後藤田正純氏。後藤田氏は、大叔父が元副総理や警察庁長官などを勤めており、船田氏と同じく「政界のプリンス」と呼ばれ、将来を期待されていた世襲議員だ。さらに妻は美人女優の水野真紀氏で、2004年に結婚し、翌年には長男を授かっている。後藤田氏は、まさに公私ともに順風満帆な人生を歩んでいたのだ。

4003名無しさん:2016/03/12(土) 16:11:23
>>4002

 しかし、後藤田氏も例に漏れず、元来のオンナ遊びが祟って2011年に不祥事を引き起こす。六本木のバーで若いホステスと、不倫キスに勤しんでいる姿をスクープされてしまったのだ。しかも、男女共用トイレに2人で立て籠り、20分間の間、一歩も外へ出てこず、そのまま家族以外は立ち入り禁止の議員宿舎に連れ込んで、朝まで一緒に過ごしたのだ。ここまでくると、どんな言い逃れもできない。妻である水野氏への、裏切り行為にほかならない。

 当然、後藤田氏は、当時就いていた党内の役職をすべて辞任。そしてタイミングの悪いことに、不倫行為が発覚した翌年には、総選挙も控えていた。後藤田氏は一夜の火遊びによって、家庭も仕事もすべてを失いかねない、人生最大の危機に陥ったのである。

 だが、そのピンチを救ったのは、妻の水野真紀氏だった。彼女は不倫報道を知るや否や、すぐに夫の地盤である徳島に飛び、支援者たちにお詫びして回ったのだ。そして総選挙が始まってからも徳島に何回も通い、応援演説で夫の不貞行為の許しを請うた。そしてその甲斐あってか、2012年の選挙では、2位に2万票近い差をつけて大勝できたのだ。後藤田氏がいまも議員活動に励むことができるのは、妻である水野氏の尽力のお蔭である。

● 不倫騒動終息に効くのは「寛大な妻」?  そもそも不倫しなければいいのだが……。

 こういった、妻の並々ならぬ行動力によって、不倫騒動から救われた政治家は他にもいる。かの第42代アメリカ合衆国大統領、ビル・クリントン氏だ。クリントン氏は1992年、モニカ・ルインスキー氏との“不適切な関係”を糾弾され、大統領としては実に130年ぶりとなる弾劾裁判にかけられた。しかし、そんな夫を妻・ヒラリー氏は許し、地に落ちた大統領の名誉回復のために心血を注いだ。

 実は、不貞行為における名誉回復に関しては、このように「妻」のバックアップが最も功を奏している。そもそも有権者たちの怒りは「妻への裏切り」に対してである。だから妻が許しさえすれば世論も納得し、怒りは無事に静まるのだ。結果はご存じのとおりだが、不倫政治家にとって一番必要なスキルは“寛大な女性を見抜き、妻にする”ことかもしれない。

 結局のところ、政治家が不倫をしたにもかかわらず、その政治活動を続けられる秘訣は「言い訳の良し悪し」というよりは、家柄や活動スタイル、有能で寛大な妻の存在など、外因的な要素に頼るところが大きいようだ。だが、まともに考えてみれば、もともと不倫さえしなければ何の問題もなく、すべては上手くいくハズなのである。

 不倫に走る男性は、もともと自分本位の傾向が強い。妻を騙して快楽を求めるようなエゴイストが、国のために献身的に働けるかというと、どうも疑問を感じてしまう。理想論かもしれないが、民の代表たる政治家であれば、やはりその精神は清廉潔白であってもらいたいものだ。

西山大樹

4004名無しさん:2016/03/12(土) 16:48:54
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160310/k10010438591000.html
大内啓伍 旧民社党委員長が死去
3月10日 19時33分

旧民社党の委員長や厚生大臣などを務めた、元衆議院議員の大内啓伍氏が、9日夜、肺炎のため、東京都内の病院で亡くなりました。86歳でした。
大内氏は、旧民社党の結党に参加し、党の職員として政策の立案などを担当したあと、昭和51年の衆議院選挙で旧東京2区から立候補して初当選し、通算で6期、16年余りにわたって衆議院議員を務めました。
この間、昭和60年には、当時の塚本委員長の下で党の書記長を務め、平成2年には、党の委員長に就任して党勢の回復に努めました。
そして、旧民社党が、平成5年に細川連立政権に参加した際には厚生大臣として入閣し、続く羽田内閣でも再任されました。旧民社党は、その後、新進党に合流するため解党しましたが、大内氏は新進党には参加せず、自由連合を経て自民党に入党していました。

4005名無しさん:2016/04/02(土) 21:10:03
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016040100930&g=pol
民進に交付金97億円=16年の配分決定-総務省

 総務省は1日、政党助成法に基づき2016年分の政党交付金配分額を決定した。自民党は172億2000万円。旧民主、旧維新両党が合流して先月結成した民進党は97億4300万円で、旧維新から昨年分かれたおおさか維新の会は4億8500万円となった。4回に分けて支給されるが、夏の参院選結果を踏まえ再計算される。(2016/04/01-17:40)

4006名無しさん:2016/04/03(日) 21:22:56
>>4004

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016032900233&g=pol
故大内啓伍氏に正三位

 政府は29日の閣議で、9日に死去した大内啓伍元厚生相を正三位に叙することを決めた。大内氏は生前、勲一等旭日大綬章を受けている。(2016/03/29-10:41)

4007名無しさん:2016/04/23(土) 14:10:26
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016042000656&g=pol
8党に79億円=総務省

 総務省は20日、政党助成法に基づく2016年の政党交付金の第1回分として、8政党に計79億7300万円(100万円未満切り捨て、以下同じ)を支給した。また、政治団体「改革結集の会」に特定交付金3000万円を支給した。
 政党交付金は年4回に分けて支給され、今年は夏の参院選後に配分が再計算される。共産党は申請していない。各党への支給額は次の通り。
 自民党43億500万円▽民進党24億3500万円▽公明党7億4300万円▽おおさか維新の会1億2100万円▽社民党1億1700万円▽生活の党と山本太郎となかまたち8300万円▽日本のこころを大切にする党1億4000万円▽新党改革2600万円。(2016/04/20-16:47)

4008とはずがたり:2016/05/04(水) 16:36:18
佐藤元通産相が死去=栄作元首相の次男
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160504-00000000-jij-pol&pos=4
時事通信 5月4日(水)0時19分配信

 第2次橋本内閣の通産相などを歴任した元自民党衆院議員の佐藤信二(さとう・しんじ)氏が死去したことが3日、分かった。

 関係者が明らかにした。84歳だった。山口県出身。

 佐藤栄作元首相の次男で、安倍晋三首相からは従叔父に当たる。1974年の参院選で全国区から立候補し初当選。79年、衆院にくら替えし、旧山口2区で当選した。竹下内閣の運輸相として初入閣。98年の自民党総裁選では梶山静六元官房長官を推し、父が率いた佐藤派の系譜に連なる小渕派を離脱した。05年の郵政国会では民営化に反対し、衆院本会議採決を欠席。解散後の衆院選には立候補せず、政界を引退した。

 父がニクソン米大統領と交わした有事の際の核持ち込みに関する「密約」文書を自宅に保管しており、09年に一部メディアを通じて公表した。

4009名無しさん:2016/05/05(木) 18:51:47
>>4008

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050400262&g=pol
「首相の言葉は重い」=語り続けた佐藤元通産相

 「首相の地位、言葉は重い」。死去した自民党の佐藤信二元通産相が晩年、しばしば口にした言葉だ。佐藤氏がこう思うに至ったのは、二つのエピソードがきっかけだ。
 一つは、父の佐藤栄作元首相から聞かされた話。首相になった栄作氏が「政治の師」である吉田茂元首相を神奈川県大磯の私邸に訪ねると、吉田氏は部屋に招き入れるなり、黙って下座についた。栄作氏が座るのをちゅうちょしていると、吉田氏はこう言って上座につかせ、首相の職の重さを教えた。「佐藤君にではなく、日本国の首相に敬意を表しているのです」
 もう一つは、若手議員時代のこと。原稿を棒読みすることが多かった当時の鈴木善幸首相に「なぜ自分の言葉でしゃべらないのですか」と尋ねてみた。すると、鈴木首相は秘書官の用意した原稿に自身で筆を入れたものを「棒読み」していることを明かした上で、「首相の言葉は重く、永遠に残る。だから一字、一句を大切に話している」と説明したという。
 親戚である安倍晋三氏が2006年に初めて内閣を発足させると、「お友達内閣」とやゆされ、首相と閣僚が友達同士のように接する場面が目立った。しかし、佐藤氏は安倍首相に敬意を表し、苦言を呈することはなかった。時がたち、退陣を経て12年末に政権に返り咲いた安倍首相は「安倍1強」と言われるまでの強力な権力基盤を確立。自信の裏返しか、答弁席から野党議員にやじを飛ばして挑発し、物議を醸すこともある。安倍首相が再登板を果たしたとき、佐藤氏は既に病床にあり、その後の姿を見てはいないだろう。
 「構うことはない」が佐藤氏の口癖で、攻めの政治家だった。その象徴が、橋本龍太郎首相(当時)の退陣表明を受けた1998年の自民党総裁選。栄作氏が率いた佐藤派の系譜に連なる小渕派が立てた小渕恵三氏ではなく、うまがあった梶山静六氏を敗北覚悟で支援した。電力業界の激しい反対にあって挫折したものの、電力改革に最初に本気で取り組んだのは通産相時代の佐藤氏だ。4月からの電力自由化を見届けると、長い闘病生活を終え、旅立った。(時事通信解説委員・高橋正光)。(2016/05/04-16:17)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160504/k10010508361000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_013
佐藤信二元通産相が死去
5月4日 4時13分
自民党の元衆議院議員で、通産大臣や運輸大臣を務めた佐藤信二氏が、4日までに亡くなりました。84歳でした。
佐藤氏は佐藤栄作元総理大臣の次男で、大学卒業後、会社員を経て、昭和49年に参議院選挙の旧全国区に立候補して当選しました。その後、昭和54年の衆議院選挙に旧山口2区から立候補して当選し、通算で8回当選しました。
この間、昭和63年には竹下改造内閣の運輸大臣として初入閣し、第2次橋本内閣では通産大臣を務めました。
その後、平成17年7月の衆議院本会議で、当時の小泉総理大臣が「改革の本丸」と位置づけた郵政民営化関連法の採決が行われた際、欠席し、この年の9月に行われた衆議院選挙には立候補せず、政界を引退していました。

4010名無しさん:2016/05/15(日) 12:44:24
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016051001000&g=pol
若者へアピール競う=与野党議員、対話集会で

 自民、民進、公明、共産各党の若手議員が10日、東京都町田市の玉川大で開かれた学生らとの対話集会に出席し、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられる見込みの夏の参院選をにらみ、若者を意識した重点政策などを競って訴えた。
 与党側からは、自民党の福田達夫氏が「高齢者への政策から若い人が活躍できるように政治資源を分配する」、公明党の遠山清彦氏が「若者と女性が活躍できる社会をつくりたい」とそろって強調した。これに対し、民進党の木内孝胤氏は「公共工事から教育、人への投資に切り替える」と主張。共産党の辰巳孝太郎氏は安全保障関連法の廃止を求めた。
 学生側からは「安保法で何が変わるのか分からない。安倍晋三首相はうやむやにしている」「公共工事を削って大丈夫なのか」といった意見が出た。(2016/05/10-21:48)

4011名無しさん:2016/05/22(日) 17:18:58
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160517/k10010524681000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_093
堀内光雄元通産相が死去
5月17日 20時48分
自民党の元衆議院議員で、通産大臣や労働大臣を務めた、堀内光雄氏が、17日午後、東京都内の病院で、間質性肺炎のため亡くなりました。86歳でした。
堀内光雄氏は山梨県出身で、会社役員などを経て昭和51年の衆議院選挙に旧山梨全県区から立候補して初当選し、通算で10回当選しました。この間、宇野内閣で労働大臣として初入閣し、第2次橋本改造内閣では通産大臣を務めました。
平成12年秋には、いわゆる「加藤の乱」をきっかけに、当時所属していた加藤派が分裂し、堀内氏は古賀元幹事長らと新たな派閥を結成してみずから会長に就任しました。堀内氏は、特殊法人改革に伴って、石油公団の廃止を求めるなど経済分野で政策の提言を行いました。
一方、小泉政権では、党の総務会長として小泉総理大臣を支えていましたが、次第に政治手法が独裁的だとして批判を強め、平成17年の郵政民営化関連法の採決では反対票を投じました。このため、いわゆる郵政選挙では自民党の公認は得られず無所属での立候補となりましたが10回目の当選を果たし、翌年復党しました。
しかし、平成21年の衆議院選挙では敗れ政界を引退していました。堀内氏は、17日午後体調を崩し、都内の病院に運ばれましたが4時すぎ亡くなりました。

4012名無しさん:2016/05/22(日) 21:47:03
>>4011

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016051800621&g=pol
故堀内光雄氏の合同葬

 故堀内光雄氏(富士急行社主、元通産相、元自民党総務会長、17日死去)の堀内家、自民党、富士急行の合同葬 30日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は長男光一郎(こういちろう)氏。香典は辞退する。
 お別れの会は6月15日午前11時から山梨県富士吉田市新西原5の6の1の「ハイランドリゾート ホテル&スパ」で行う。(2016/05/18-15:43)

4013名無しさん:2016/06/04(土) 20:22:51
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160601/k10010542581000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_054
今期かぎりで引退の国会議員 これまでに16人
6月1日 16時46分
NHKのまとめによりますと、今度の参議院選挙に立候補せず、今期かぎりでの引退を予定している議員は、これまでのところ、選挙区選出が8人、比例代表選出が8人の、合わせて16人です。
政党別に見ますと、自民党が5人、民進党が8人、公明党、おおさか維新の会、生活の党がいずれも1人となっています。
このうち、自民党では、岸宏一参議院予算委員長のほか、自民党の会派を離脱している脇雅史前参議院幹事長が引退します。
民進党では、法務大臣などを歴任した江田五月元参議院議長、旧民主党の幹事長などを歴任した輿石東参議院副議長、それに北澤俊美元防衛大臣、直嶋正行元経済産業大臣らが引退します。
また、公明党では荒木清寛参議院国会対策委員長、おおさか維新の会では江口克彦参議院議員、生活の党では主濱了副代表が、それぞれ引退します。
岸氏「情報公開法成立が感慨深い」
参議院予算委員長や厚生労働副大臣などを務めた岸宏一さんは、「町長だったときに日本で初めて情報公開条例を作ったが、その20年後に国会で情報公開法を成立させたことが非常に感慨深かった。また、予算委員長として、最後の審議となった熊本地震に対応する今年度の補正予算を初めて反対なく成立させることができたのも、けじめがついた思いだ」と振り返りました。そして、岸さんは「今後の議員には、国民から信頼される、誠実で、正直な政治家となることを期待したい」と述べました。
脇氏「野党時代が印象深い」
自民党の参議院幹事長などを務めた脇雅史さんは「18年は長いような気もするが、あっという間で、政権を何としても倒さなくてはいけないという思いでやった、野党時代の3年間が印象深い」と述べました。また脇さんは、各会派で作る協議会の座長として参議院の選挙制度改革に取り組んだことについて、「最高裁判所から『違憲状態だ』と言われ、何としても判決に沿う選挙制度を作ることが使命だと思い、いろいろな案を示したが、参議院自民党が判決は構わないという方向に動いていったことは非常に意外だった」と振り返りました。そして、脇さんは「若い議員には何をおいても、国家、国民のために全力を注ぐ志を持った人に育ってほしい」と述べました。

4014名無しさん:2016/06/04(土) 20:23:01
>>4013

江田氏「政権交代が一番印象に残る」
参議院議長や法務大臣などを務めた民進党の江田五月さんは「政権交代が一番印象に残っていて、2009年に参議院議長として議場で政権交代を宣言したことは、政治家冥利(みょうり)に尽きることだ。もう1つ印象に残っているのは東日本大震災の原発事故だ。細川政権で科学技術庁長官を務めたときに、日本の原子力発電は絶対に大丈夫だという安全神話につかっていた。これは、ざんきに堪えないという思いだ」と述べました。そして、江田さんは「与野党含めて、未来への理想を語るべきだ。みんなで語ると、おのずとちゃんとした選択ができるのではないか。そして、国民と一緒に汗をかき、政治の助けが必要な人にしっかり寄り添うことが大切だ」と述べました。
輿石氏「政権交代の土壌作ってきた」
参議院副議長や民主党の幹事長などを務めた輿石東さんは「二大政党制を目指して、政権交代ができる政治土壌を作ってきた。そうした歴史を作れたことは評価してもいいと思っている。そして、2009年に政権交代を実現させて、政権を担当したが、せっかく国民の皆さんが期待し、政権を与えてくれたのに、3年3か月で期待に応えられなくなったことは、一番残念だった」と述べました。そして、輿石さんは「政治は言うまでもなく国民のためにある。『権力は腐敗する』ということばがあるように、一強多弱という政治情勢のなかでは、もう少し野党が1つに固まってしっかりしなければならない。安倍内閣を批判しているだけではだめだ」と述べました。
荒木氏「議員は現場第一主義で」
外務副大臣や公明党の参議院国会対策委員長などを務めた荒木清寛さんは「裁判員制度の導入などの司法制度の大改革に党の法務部会長として関わり、より国民の意見が反映する制度にできたことが、自分自身の一番の成果だ」と振り返りました。そして、荒木さんは「国会議員には『現場第一主義』で、常に現場で国民の声を聞き、政治に反映させる戦いに徹してもらいたい。有権者と触れ合うなかで、政治家としても鍛えられる。現場に足場を置かないと、政治は間違った方向に行く」と述べました。
江口氏「憲法改正の動きのなかで役割担えた」
おおさか維新の会の江口克彦さんは「今の憲法は、文章的にも、意味的にも、内容的にも問題だ。正すべきではないかという観点から、自分自身で改正案を作り、訴えることができた。憲法改正という一つの動きのなかで、一定の役割を担うことができたのではないか」と述べました。そして、江口さんは「政党や政治家は、国家国民を第一義的に考える発想を常に忘れないでほしい。国民が大事、人間が大事というところから絶対に離れない発想で政策を考えてほしい」と述べました。

4015名無しさん:2016/06/05(日) 00:25:35
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060200530&g=pol
参院20人が引退、不出馬=輿石・江田氏ら、民進世代交代

 22日公示の参院選で改選を迎える議員のうち、2日現在で20人が引退や不出馬の見通しだ。民進党では輿石東参院副議長や江田五月元参院議長ら、旧民主党政権の中枢を担った重鎮が後進に道を譲り、世代交代が進みそうだ。自民党では脇雅史前参院幹事長らが永田町に別れを告げる。
 20人の内訳は、自民6人、民進11人、公明、おおさか維新の会、生活が各1人。
 「参院のドン」とも呼ばれた輿石氏は、参院出身では異例の政権与党の幹事長を務め、当時の野田佳彦首相を支えた。このほか、北沢俊美元防衛相と直嶋正行元経済産業相の閣僚経験者2人も引退する。
 脇氏は、「1票の格差」を是正する参院選挙制度改革をめぐり他の参院幹部と対立、自民党会派を退会した。同党では、小坂憲次元文部科学相が病気治療に専念するため出馬を見送った。ただ、政界引退は否定している。 (2016/06/02-14:28)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060200529&g=pol
私心なき政治家が必要=自民・脇氏インタビュー

 政界を引退する自民党の脇雅史前参院幹事長(71)は時事通信のインタビューに応じ、最高裁判決で「違憲状態」とされた参院選挙制度の抜本改革を求めた。主なやりとりは次の通り。
 -議員生活で印象に残っていることは。
 2012年夏の野田佳彦首相(当時)に対する問責決議だ。当時私は党参院国対委員長だった。「こんな人たちに政権を任せておくわけにはいかない」と思い、自民党内からも批判があったが、問責を決めた。すべて民主党政権を倒すためだった。
 当時、谷垣禎一自民党総裁と野田首相の間には「近いうちに衆院を解散する」という合意があったが、ある日2人が電話で大げんかをして、合意が壊れた。その修復のためにも努力した。
 -参院選挙制度の抜本改革を進めようとして、党内から反発を招き、14年に参院幹事長を更迭された。
 政治は妥協だが、最高裁判決に妥協の余地はない。私自身は「1票の格差」なんて重視していないが、最高裁で「違憲状態」という判決が出ているのだから、それを解消しないわけにはいかない。立法府の一員として、憲法を無視することはできない。
 更迭された時は何とも思わなかった。ばかげた話だった。最高裁判決を無視するような人たちとは一緒に仕事ができないと思い、自民党の会派を離脱した。離党も考えたが、比例代表で選出されたので、自民党のおかしいところを直す役割もあると考え、とどまることにした。今でも参院自民党の人たちには、あきれてものが言えない。
 -今後の政治への期待は。
 政治家は国民の期待に応えなければならない。私心を捨て、何が国家・国民のためになるかを本気で考える人が出てきてほしい。
 立派な国会議員を一人でも多く出すよう、各党は候補者選びをしっかりとやる必要がある。低レベルな候補者しかいなければ、国民は低レベルな議員しか選べない。しかし、今の自民党の候補者選びは駄目だ。選挙制度改革のことを考えると、自民党の参院議員たちにも期待はできない。(2016/06/02-14:27)

4016名無しさん:2016/06/05(日) 00:26:06
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060200523&g=pol
民進は党内対立克服を=輿石参院副議長インタビュー

 政界を引退する民進党の輿石東参院副議長(80)は時事通信のインタビューに応じ、前身の旧民主党が主要政策や政権運営をめぐり内紛を繰り返したことに触れ、政権復帰には党内対立の克服が必須だと訴えた。主なやりとりは次の通り。
 -議員生活で印象に残っている出来事は。
 やはり2009年の政権交代だ。野田政権では参院議員で初めて政権党の幹事長をやった。
 -民主党政権は3年3カ月で終わった。
 あまりに(09年衆院選で)大風呂敷を広げすぎた。政策を訴えても財源がなければその通りにならない。国民から「できもしないことを言った」と思われた。
 -消費税増税をめぐる党内対立もあった。
 それも大きい。民主党はいつも肝心なときにまとまれなかった。そういう文化を克服しなければ絶対に政権には近づけない。民主党から出て行った松野頼久氏(旧維新の党代表)らも戻ってきたのに、小沢一郎氏(生活の党代表)だけは嫌だという人がまだいる。共産党とも(選挙で)手を組むというのに、それはおかしい。
 -岡田克也代表にもそう進言しているのか。
 そうだ。
 -政治の現状をどう見ているか。
 (衆参両院で多数派が異なる)ねじれ国会は「決められない政治」と言われたが、今は「安倍1強」だ。野党の力が足りないからストップをかけられない。政治に緊張感を取り戻さなければ国民が不幸になる。
 -参院選の見通しは。
 全国に32ある1人区が勝負だ。1人区のほとんどを取られたら本当に(与党を中心とする改憲勢力で改憲発議に必要な)3分の2までいってしまう。3分の2は阻止しなければいけない。5月18日の党首討論は岡田氏に軍配が上がった。消費税増税の先送りを提案し、憲法改正問題でも「今の9条でいい」と踏み込んだ。共産党や社民党とも一致する立場だ。民進党内には9条改正論者も何人かいるが、(9条を変えないとの岡田氏の発言は)もう党の方針だ。
 -民進党は政権を取れるか。
 可能性は必ずある。国民は不満を持っている。「保育園落ちた日本死ね!」というブログで国会が動いた。みんなが怒れば政治は動く。(2016/06/02-14:21)

4017名無しさん:2016/06/11(土) 15:03:08
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160606/k10010548021000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_063
News Up 投票所が減っていく背景は?
6月6日 18時03分
参議院選挙の投開票が来月10日に行われることになりました。選挙の結果とともに、毎回注目されるのが投票率です。少しでも投票率を上げようと、各地であの手この手の取り組みが行われますが、一方でこの流れに逆行するかのように、今回の選挙で投票所を減らしたり、投票時間を繰り上げたりする自治体も出ています。
投票所が減っていく
島根県では、前回参院選と比べて投票所が23か所減って648か所になり、さらに全体の90%近い投票所で、投票時間が1時間から4時間繰り上げられます。候補者のポスターを掲示する場所も106か所減らします。
隣の鳥取県でも、投票所が17か所減って363か所になります。
全国をみると、参議院選挙で投票所が最も多かったのは15年前で、5万3439か所でした。その後は徐々に減少して、前回3年前はピーク時から約5000か所減った4万8777か所でした。
“選挙の人手が足りない”“選挙の人手が足りない”
参議院選挙の投票率は、前回3年前は52.61%で過去3番目の低さでした。少しでも投票率を上げようとしているなかで、投票所を減らす理由の一つが「人口減少」です。
島根県の自治体の中でも浜田市は、全体の10%ほどの8か所の投票所が廃止されます。廃止される地区ではもともと投票所1か所当たりの有権者数が10人から30人と少ないうえ、投票に立会う人(地元から選ぶ)の確保が難しいことなどが廃止の理由でした。地区にはお年寄りが多く、近くの投票所が無くなるのは負担になるため、浜田市ではワゴン車に投票箱や投票用紙、台などを積み込んだ「移動期日前投票所」を設けて、地域を回ることにしています。
“期日前に投票するから”
人口減少に加えて「期日前投票」の制度が浸透してきたことも、投票所などが減らされる原因と指摘されています。参議院選挙では12年前の選挙から投票日前でも投票できるようになり、前回は投票総数の23%を期日前投票が占めました。鳥取県でも、鳥取市内の大学キャンパスで期日前投票をできるようにするなど、「期日前」の浸透に力を入れています。
投票所を増やす法改正はしたけれど
実は今回の参議院選挙では、投票所を増やす法改正も行われました。事前に決められた投票所以外でも投票できる「共通投票所」を駅やショッピングセンターに設置できるようになったのですが、実際に今回の参議院選挙で「共通投票所」の設置が決まったのは今のところ、北海道と青森県、長野県の3つの市と町だけ。準備期間が不足しているなかで、今回は「18歳選挙権」など別の制度改正にも対応が必要なため、共通投票所の導入を見送った自治体が多かったとみられます。
“バランスが大事”
自治体の選挙事務に詳しい、市町村職員中央研修所の小島勇人客員教授は、自治体が投票所を減らしたり、投票時間を繰り上げたりする背景には、選挙にかかる事務作業を効率化して経費を抑える目的があるとしたうえで、「効率化を目指すことも必要だが、一方で選挙の事務作業にかかる経費は有権者の声を政治に届ける『民主主義のための必要経費』でもあり、投票の機会を失う人が出ないようバランスを考える必要がある」と話しています。
人口減少などが進むなかで、どのように効率的に選挙事務を運営していくか。自治体には今後もより柔軟な対応が求められます。

4018名無しさん:2016/06/12(日) 21:04:48
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061200029&g=pol
安倍政権は「上から目線」=弱者支援の予算配分を-民進・菊田真紀子氏インタビュー

 7月の参院選を前に民進党の菊田真紀子衆院議員(46)は時事通信のインタビューに応じ、女性・若者政策は弱者の立場に立った予算配分を優先すべきで、安倍政権が掲げる政策は「上から目線だ」と批判した。主なやりとりは次の通り。

 -女性の政治参加の意義は。
 世界経済フォーラム(WEF)の男女平等指数(2015年)の総合点では、日本は145カ国中101位。世界的に見ると、日本は女性が最も輝いていない国の一つだ。中でも、女性議員が少ない。政治分野が足を引っ張り、大変不名誉な地位にある。
 女性はとりわけ生活者の視点、格差や貧困などマイノリティーの立場の視点を持っている。そうした声を政治に反映させるため、女性議員がもっと政治の世界に進出していかないといけない。

 -政界進出の動機は。
 国際交流ボランティアの経験を通して、行政など公の場に出ないとなかなか声が届かないと感じ、新潟県加茂市議会選挙に出た。「女のくせに何だ」「女のくせに生意気だ」と言われ、まだまだマイノリティー、異質な存在だと痛感したこともある。

 -その当時と現在で、女性議員に対する周辺の変化はあるか。
 まだ女性議員が珍しがられたり、特別視されたり、あるいはかわいがられたりすることが多い。民進党の中でも幹部に女性がどんどん入り、女性が活躍し、女性の立場で政治をしている党だとアピールすべきだ。
 女性の側ももっと努力し、党をまとめていくマネジメント力を付け、大きな責任をしっかり担う幹部としての人材育成の努力を絶えずやっていく必要がある。

 -女性議員を増やすために必要なことは。
 私が一期生の時は、「特別なげたを履かせてもらう必要はない。自分の努力で選挙を戦いたいし、女性だからという理由で優遇されて当選したと言われたくない。そのことが自分にとって引け目になるし、男性議員と互角にやっていることにならない」と言っていた。
 国会議員になって13年たち、現状を見た時に、歩みがあまりにも遅いと痛感している。やはりクオータ制を導入し、積極的に男女同数を目指すべきだ。

 -安倍政権が掲げる女性・若者政策をどう思うか。
 「1億総活躍社会」「女性が輝く社会」とスローガンは勇ましくてきれいだが、上から目線で、一定の地位にあり、一定の収入もあり、ここから先さらに上に上がっていける人を応援しようというスローガン、政策のような感じがしてならない。
 そうではなく、本当に困っている、弱い立場の人の生活支援や自立支援にこそ予算配分を優先すべきだし、公共事業予算の半分でも女性・若者のために使っていける政治を実現したい。

 -民進党が掲げる主な政策は。
 「保育園落ちた日本死ね!」の匿名ブログで待機児童問題が社会の注目を集めたが、単に保育園が足りないだけでなく、保育士が圧倒的に足りないことが明らかになった。子供の命を預かる大変重い責任ある仕事をしていながら、給与が他の職業の平均賃金と比べて11万円も低い。私たちは保育士給与を月額5万円引き上げる法律を先の国会に提出した。早急に保育士の処遇改善をし、資格を持っているが働いていないという方が多いので、そういう方々の復職を促し、社会全体で子育て支援をしていく環境を整えたい。

 -18歳選挙権が始まるが若者に対しては。
 18歳になっていきなり政治に関心を持とうとしても、なかなか現実的には難しい。いかにして子供の頃から政治を身近に感じていただけるか。政治家がもっと分かりやすく、目に見える政策を届けていくことが必要だ。
 民進党は被選挙権年齢も引き下げようという法案を出した。20歳になったら衆院選に出られる、あなたも政治をやれる、政治家になっていろんな願いを実現していけるという一つのアピールになると思う。政治を身近に感じられるための努力をやっていきたい。

 ◇菊田真紀子氏略歴
 菊田 真紀子氏(きくた・まきこ)加茂高卒。市議、外務政務官、党財務局長。衆院比例北陸信越、当選5回。(2016/06/12-11:01)

4019名無しさん:2016/06/12(日) 21:05:19
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061200028&g=pol
男女別なく実力で登用を=選挙で風当たり実感-自民・吉川有美参院議員インタビュー

 日本で女性が初めて参政権を行使してから今年で70年。「女性の活躍」も争点となる7月の参院選を前に主要政党の女性議員にインタビューする。初回は自民党の吉川有美参院議員(42)。主なやりとりは次の通り。

 -なぜ政治家を志したのか。
 18歳から国政を目指していた。高校卒業式の直前に、授業で環境破壊のビデオを視聴し、「環境を守っていかなければ」と思って、環境を学ぼうと決意した。
 社会人となり、環境への配慮や国内農業の振興など、持続可能な社会に向けた経営をする企業を、支援する仕事をしてきた。あるときはコンサルタントという立場から、あるときは国際標準化機構(ISO)の審査をする立場から、企業に助言してきた。
 シリコンバレーで太陽光に投資が集まったことを聞き、1社1社にアプローチするよりも、そのような企業にお金が流れるようにすることで、企業はボランティアではなく、社会に配慮しながら経営が拡大していくのではないかと思った。
 そのとき、銀行からヘッドハントされ、転職した。金融の立場から企業を応援するような金融商品をつくってきたが、銀行も金融庁の監督下にある一民間企業。やはり限界があると感じた。頑張っている企業を応援することが一番重要だと思い、改めて国政を志すようになった。
 2013年3月、谷垣禎一法相(現自民党幹事長)に、私を紹介してくれた人がいた。そこから数日のうちに驚くほどの早さで話が進み、政界に出馬することになった。意志を固め、決断できるほど国政への思いは強かった。

 -三重県は民主党(当時)が強い地域だ。
 そうですね。他の人は周囲から「勝ち目ないぞ」と言われて、断っていたと思う。でも、私には「挑戦しない」という選択肢はなかった。「すぐに銀行を辞められるのか」と聞かれたとき、誰にも相談していないが、「はい」と言った。銀行にも家族にも事後報告だった。

 -国会では女性議員もまだ少ない。
 選挙では風当たりが強かった。「女に何ができる」「女だと思って、こんな髪を切れ」とか。全然知らない人に髪を引っ張られた。握手を求めると「触るな」と手を払われることもたびたびだった。女性が政治家を志すことへの社会のハードルは非常に高いことが分かった。「女性だから得」とは、ほとんど感じなかった。
 安倍政権では女性の活躍推進を旗印の一つとして掲げており、非常に心強いと思う。ただ、優秀な人が、男でも女でも関係なく登用されればいいと思う。

 -力を入れる政策は。
 私のキャッチフレーズは「環境と成長」。環境にしっかり取り組む企業は成長する。また、子育ての環境も、働く環境も、成長していかなければ人は頑張り続けることができない。さまざまな「環境」が少しずつでも成長し、良くなっていくようなそういう世の中にしたい。

 -育児と政治の両立は。
 選挙で「子育て支援」や少子化対策を訴えたが、「子どももいないくせに」と言われた。(当選後の)14年10月に娘が生まれた。
 最初は入れる保育園がなかった。議員会館の事務所にベビーベッドを置いて、ベビーカーを押して登院した。今は保育園にお世話になっている。保育士の大変さが分かるから処遇改善は必要。子どもが好きで、夢を持って保育士になった人が辞めてしまうことがないようにしたい。
 私は、党の女性活躍推進本部の働き方改革プロジェクトチームで活動している。少子化対策や子育て支援には男性も女性も働き方を改革していくことが重要だと思う。

 -アベノミクス、消費税増税の延期の評価は。
 経済は短期的に評価すべきではない。「株価が下がった」と騒ぐけれども、では民主党政権のときはいくらだったか。数字はうそはつかない。アベノミクスは確実に成功している。
 消費税に関しては、増税するハードルが高くなるのが怖い。2回延期したことで、国民が「どうせまた上がらないだろ」と思い、あるいは増税に強い拒否反応を示すのが怖い。社会保障の財源確保も重要だ。
 ただ「今は増税しない」という首相の判断は、世界の経済情勢を鑑みると中長期的に見て、仕方がなかったと思う。

 ◇吉川有美氏略歴
 吉川 有美氏(よしかわ・ゆうみ)東京農工大院修了。会社員や銀行員を経て2013年参院選の三重選挙区で自民党から出馬し、初当選。三重県桑名市出身。現在1期目。(2016/06/12-11:00)

4020名無しさん:2016/06/15(水) 15:52:40
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061300429&g=pol
大人に気後れしないで=憲法学者・木村草太氏【18歳選挙権インタビュー】

 テレビや論壇で活躍する憲法学者の木村草太氏に、選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられることについてインタビューした。

 -初めて投票所に足を運んだのはいつか。
 大学生の時でしょう。20歳になって投票権を得て。

 -当時の思い出は。
 その時は、地方選挙と国政選挙が重なったのでたくさん投票箱に入れた記憶がある。

 -特別な思いはあったか。
 いいえ。権利だから当たり前のことだ。

 -18、19歳の頃、特に興味があったことは?
 法律の勉強をしていた。

 -選挙というのはどういうものか。
 日本国民として国政に参加する権利と義務があるのでその義務の履行と考えている。

 -夏の参院選で憲法改正は争点となるか。
 あまり感じない。憲法を変えなければいけない政治課題が起これば盛り上がるが、今のところそういう政治課題は全くない。

 -安倍晋三首相は憲法改正に意欲を示している。
 大人でも憲法の全文を読んで改正を議論している人はあまりいない。改正に賛成しておくと格好良いというファッションのような投票行動を取るのは一番まずい。理解できないことについて下手に態度表明しないことは誠実な態度だ。

 -18歳選挙権の課題は何か。
 18歳になって政治参加を求めるための教育をきちんとしているかが問われる。何をどう教育するのかということを考えなければいけない。教育が追い付いていない。

 -若者の政治への無関心が指摘されている。
 政治的な興味はあると思う。自分の社会をこうしてほしいとか、将来働く場所をどうしてほしいとか考えてはいるが、1票を投じることによって政治を動かせるという意識が弱いのではないか。

 -その原因はどこにあるのか。
 国民と政治家との間に、非常に距離があるということではないか。政治家はどうしてもまとまった票が取れる組織の方を向く。これは与野党同じだ。ただ、若者は非常に今、つらい立場にいる。ブラックバイトやブラック企業が問題となって久しいが、若者でないと実感できない政治問題は確実にあるので、そうしたものを表明するという意識は持ってほしい。大人たちに気後れしないでほしい。

 -各党、さまざまな方法で若者に投票を呼び掛けている。
 有権者は、普段は一般市民だが投票の時だけは強大な権力を自分が握っているという自覚をまず持ってほしい。だから、投票箱の前に行くところまでは義務だと思う。その上で国民全体のために白票を投じるという選択肢はあるかもしれない。あらゆる党への不信を表明する行動は取ってもいいと思うが、投票所の前まで行くのは市民、国民としての義務で、託された権限、権力の責任の重さを自覚して投票所に行ってもらいたい。

 -若者はどのように選挙に臨めばよいのか。
 投票は孤独にやるもの。憲法でも投票の秘密は絶対に保障しないといけないということなので、投票箱の前で投票する時は、誰に入れたか誰にも知られない。そういうことの意味を考えてほしい。

 -若者が継続して投票所に足を運ぶにはどうしたらよいか。
 若者に選択肢を示せるような政党側の組織の問題はあるだろう。あとはそれぞれの危機感のようなもの。現状維持でいいとか誰でもいいと考えている人は投票に行かない。

 -若者も危機感を持つべきだと考えるか。
 権力や政治がやってることに不満を持った時、それを意見表明していくことが政治への参加だと思う必要はある。

 -若者へのメッセージを。
 沖縄問題に興味を持ってほしい。若者は自分の身分のようなものが確定していないので、実は若い人の方が国政全体を見渡し、高みから政治判断ができるのではないか。本土と沖縄では基地問題をはじめいろんなことにギャップがある。ぜひ若い人たちは沖縄問題に興味を持ち、それを投票で表現してみてほしい。
 
 木村 草太氏(きむら・そうた)東大卒業後、首都大学東京准教授(憲法)を経て、2016年より同大教授。著書に「憲法の急所」など。横浜市出身。35歳。 (2016/06/13-15:45)

4021名無しさん:2016/06/15(水) 15:52:51
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061300657&g=pol
首長の不信任決議

 首長の不信任決議 地方議会が知事、市区町村長の不信任を決議すること。3分の2以上の議員が出席し、4分の3以上の賛成があれば可決される。首長は10日以内に議会を解散しなければ自動的に失職する。解散を選択した場合でも、議員選挙後の議会で再び不信任決議を受ければ失職する。2回目の決議は過半数の賛成で可決される。
 知事の不信任決議は、直近では、宮崎県議会が2006年、官製談合事件で県政を混乱させたとして当時の安藤忠恕知事に対して可決した事例がある。安藤知事は自動失職前に自ら辞職した。(2016/06/13-18:30)

4022名無しさん:2016/06/15(水) 16:36:26
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061300720&g=pol
分かりやすい議論意識=子どもシェルター普及を-公明・佐々木さやか氏インタビュー

 7月の参院選を前に公明党の佐々木さやか参院議員(35)が時事通信のインタビューに応じた。選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられることを受け、若者に対し「自分の関心を突き詰めていく」ことが政治に関心を持つきっかけになるとアドバイスした。主なやりとりは次の通り。

 -参院議員の生活には慣れたか。
 さすがに3年たったので生活自体は慣れた。最初は先輩たちが何を話しているのかもよく分からなかった。党内で政策がどういうふうに実際に決まっていくかも、中に入らないと分からない。最初は本当に分からないことだらけだった。
 生活は全部変わった。旅行なども行っていない。選挙の応援で沖縄に行くことがあっても、日帰りだったりする。(気分転換の仕方が)ちょっと悩みだが、甘い物が好きなので議員会館のコンビニで(買った)スイーツを食べている。最近はプリンにはまっている。

 -時間が持てるとしたら何がしたいか。
 睡眠を取りたい(笑)。あとは猫好きなので、猫カフェに行きたい。

 -政治の世界で変えた方がいいと思ったところは。
 よく有権者、特に若い人に「テレビ中継などを見ていても議論がちょっと分かりにくい」と言われる。議員になって、その議論にずっと携わっていると当たり前のようになってしまう。テレビ中継があるような時は、議論をできるだけ分かりやすく(しようと)意識していかなければいけないと思う。

 -参院選から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられる。若者はどう政治に興味を持てばいいか。
 私が小学生、中学生ぐらいの時は環境問題が結構、議論になった時期だった。私は動物が好きだったが、地球の環境変化で危機にさらされているということから、例えば自然環境破壊、それと経済の関係、だんだん世界の動きみたいなものに関心を持っていったような気がする。自分の関心があることを突き詰めていくと、政治が全然関係ないことは多分ない。

 -公明党の18歳選挙権への取り組みは。
 最近は「VOICE ACTION」という運動で、五つの若者向けの政策の中から一番いいと思うものを選んでもらう。一番多かったのは非正規雇用の待遇改善や最低賃金1000円。不妊治療の公費助成や幼児教育無償化も多かった。こういうものを安倍晋三首相に報告し、参院選向けの重点政策にも盛り込んでいる。

 -政治の世界への女性の進出については。
 政党があるわけだから、女性候補者を立てるとか、党の中で女性が活躍しやすい態勢を整えていくのが第1と思う。ただ、クオータ制の議論にも関心はある。日本でも議論自体は積極的にやっていった方がいいのかなと思う。
 あとは若い議員が増えれば、もう少し考え方も変わってくるのではないかという気もする。どちらかというと若手の方が、男女共同参画みたいなところには柔軟なのではないか。

 -安倍政権が掲げる「女性活躍」の評価は。
 ニッポン1億総活躍プランの中でも女性の活躍は柱にしてもらっているし、いい政策がたくさん入っていると思う。わが党としては女性の活躍はずっと言ってきて、(政府に)前面に取り上げてもらえていなかったという気持ちがあった。安倍首相がリーダーシップを取って女性の活躍を前面に出してもらい、(以前とは)かなり違ってきているでのはないか。

 -自身が現在取り組んでいる政策、今後取り組みたい政策は。
 給付型奨学金、これはぜひ実現していきたい。児童虐待防止のための児童相談所などの体制には課題があって、改善していかなければいけない。ドメスティック・バイオレンス(DV)の被害を受けるなど女性が大変な状態の時に、一時的に避難する場所はあるが、「子どもシェルター」は全国で13カ所ぐらいしかない。いろんな事情で、どこかに一時的に避難したい子どもたちの居場所が、もっとあってもいいのではないか。

 ◇佐々木さやか氏略歴
 佐々木 さやか氏(ささき・さやか)創価大院修了。弁護士。党女性委員会副委員長。参院神奈川選挙区、当選1回。 (2016/06/14-11:00)

4023名無しさん:2016/06/15(水) 16:37:52
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061500233&g=pol
少子化の元凶は長時間労働=共働きで子育て大変-共産・吉良佳子氏インタビュー

 主要政党の女性議員インタビュー最終回は、参院で最年少の共産党・吉良佳子氏(33)。力を入れる子育ての問題では、依然として残る長時間労働の慣行が「元凶」だと指摘し、その是正を訴えた。主なやりとりは次の通り。

 -安倍政権が掲げる「1億総活躍」や「女性が輝く社会」をどう評価するか。
 管理職登用などに数値目標を定める方向性は大事な視点だ。ただ、本当にやる気があるのかと言わざるを得ない部分もある。雇用面では実態として男女の賃金格差がある。保育の問題でも、質を担保しないで子どもを詰め込む手法では対策と言えない。分かっていないと言わざるを得ない。

 -世間の男性管理職らに注文はあるか。
 女性とか男性とか若いとか、カテゴライズから入る方が多いと思うが、一個人として向き合ってほしい。女性でも打たれ強い人はいるだろうし、いろいろな言葉にナイーブに反応してしまう人は男女問わず居るはず。

 -政界入りの動機は。
 入党は大学1年の時。父親が共産党の地方議員(高知市議)だった。共産党が反戦平和を貫いてきたことに共感していた。2005年に印刷会社に入社し、企業の社会的責任の報告書を書いていた。08年にリーマン・ショックが起き、主だった企業の社会的責任の報告書を調べたら、派遣切りについて書かれているのはほぼゼロだった。すごく疑問を感じているさなかに声がかかり、09年の東京都議選に立候補した。
 一歩外に出て、自分の思いを真っすぐ訴えていきたいと決意した。次点で落選したが、次回も目指そうと頑張っている時に13年の参院選で、また声が掛かり、国政で雇用のルールそのものを変えて理想の社会をつくる仕事をしたいと挑戦した。

 -60社受け、内定は1社だったそうだが、就職氷河期をくぐり抜け、民間企業で働いた経験はどう生きているか。
 就職活動では「女性を採るのは結婚、出産もあるからリスクだ」と言われた。それに対して何も言えなかった悔しさがある。サービス残業もどきが横行しているのを目の前で見てきた。周囲にも働き過ぎて身体を壊したケースは少なからずあった。それが(雇用問題に取り組む)原動力になっている。
 -0歳児を抱えて共働きしているが。
 もう大変。認可保育園に入れず、認可外の保育園に何とか入れたが、バスを使って片道40分。朝送って、その足で電車で国会に行く。朝食を取る時間がないときもある。迎えも(目黒区議の)夫と分担しながら。保育園では離乳食などの相談もしている。親だけでなく、コミュニティーで支え合いながら子育てすることの大切さを実感している。

 -子育てや少子化といった問題の解決の道筋をどう考えるか。
 一番は働き方。長時間労働は、生きにくい社会の元凶になっている。長時間働かないと昇進も昇給もない。子育てや家事をしようと思っても、男女問わずできない。まず、これを是正させることで、家庭の時間もきちんと保障すべきだ。短い労働時間でも生活できるだけの賃金も保障しないといけない。

 -夫が姓を変えたそうだが。
 13年参院選のとき、彼は都議選の(共産党の)候補者で一緒に活動することもあった。付き合い始めたのは参院議員になってから。14年末に結婚した。当初は事実婚だった。
 ただ、現行の法制度では産まれた子供は非嫡出子になってしまうので、出産を機に婚姻届を出した。その時に夫婦で話し合い、「吉良」にした。夫は通称と戸籍名が違うことで大変な思いをしている。銀行カードの名義など使い分けが非常に面倒くさい。選択的夫婦別姓により多様な夫婦の在り方を認めることは重要だ。

 ◇吉良佳子氏略歴
 吉良 佳子氏(きら・よしこ)早大一文卒。印刷会社勤務を経て13年参院選の東京選挙区で共産党から出馬し、初当選。目黒区議の夫との間に男児。高知市出身。 (2016/06/15-11:00)

4024名無しさん:2016/06/15(水) 16:41:46
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061400527&g=pol
巡回投票カーを全国初導入=参院選「期日前」-島根県浜田市【16参院選】

 島根県浜田市は22日公示-7月10日投開票の参院選で、ワゴン車に投票箱を積んで市内各地区を巡回する「移動期日前投票所」を導入する。人口減少に伴い投票所が減ることで、遠方へ出向かなければならないお年寄りらの投票機会を確保する。車で移動する投票所は全国で初めてという。
 市選管によると、有権者数の減少により、市内78カ所に設置していた投票所は、今回の参院選から70カ所となり、8カ所減る。このため、来月1日から3日間、巡回投票車が投票所が減った地区を中心に回り、期日前投票所の代わりとなる。
 通常の投票所と変わらないような配慮もした。有権者は車外で本人確認や投票用紙の受け取りを済ませた上で、停車中のワゴン車に1人ずつ乗り投票する。プライバシー保護のため窓を目隠し用シートで覆った。市選管は「住民の利便性を確保し、少しでも投票率低下を防ぎたい」と話している。 (2016/06/14-14:31)

4025とはずがたり:2016/06/17(金) 12:39:19
三重や鹿児島なんかと同様,県都を含む宮崎1区で平気で落選してしかも復活枠消費する腹立たしい存在でしたが今では懐かしい昔の話し。
ご冥福をお祈りします。

元民社党委員長の米沢隆氏が死去、76歳
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20160616-567-OYT1T50138.html
06月16日 23:51読売新聞

 米沢隆氏 76歳(よねざわ・たかし=元民社党委員長)16日、呼吸不全で死去。

 告別式は19日午前10時30分、宮崎市錦町6の11宮崎メモリードホール。自宅は宮崎市江南2の20の19。喪主は妻、ミチ子さん。

 京大法学部卒業後、旭化成に入社。県議を経て1976年の衆院選・旧宮崎1区から民社党公認で出馬し初当選した。

 2003年まで通算9回当選し、党書記長や委員長を歴任したほか、新進党の結党にも参画。04年には民主党副代表に就任したが、05年の衆院選で落選し、政界を引退した。

シェアツイートgooブログ

4026名無しさん:2016/06/19(日) 00:08:50
>>4025

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061600998&g=pol
米沢隆氏死去=旧民社党委員長、76歳

 旧民社党委員長を務めた米沢隆(よねざわ・たかし)元衆院議員が16日、呼吸不全のため宮崎市の病院で死去した。76歳だった。葬儀は19日午前10時半から宮崎市錦町6の11の宮崎メモリードホールで。喪主は妻ミチ子(みちこ)さん。
 中国・大連(旧満州)出身。旭化成の労組幹部や宮崎県議を経て、1976年衆院選に旧民社党から旧宮崎1区に立候補し、初当選。当選9回。同党では書記長、委員長を歴任し、93年の細川連立政権に参加した。当時の小沢一郎新生党代表幹事、市川雄一公明党書記長と連携して非自民政権の運営を主導。3氏の関係は「ワン・ワン・ライス(一・一・米)」と呼ばれた。
 下野後に結成された旧新進党で幹事長に就任、同党解党後は旧民主党で副代表を務めた。2005年の衆院選で敗北し、政界を引退した。 (2016/06/17-01:46)

4027名無しさん:2016/06/19(日) 10:40:49
>>4025

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160617/k10010559261000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_029
旧民社党委員長 米沢隆氏が死去
6月17日 0時51分
旧民社党の委員長や旧新進党の幹事長などを務めた、元衆議院議員の米沢隆氏が、16日夕方、宮崎市内の病院で呼吸不全のため亡くなりました。76歳でした。
米沢氏は鹿児島県の出身で、民間企業での勤務や宮崎県議会議員をへて、昭和51年の衆議院選挙に旧宮崎1区から立候補して初当選し、通算で9回当選しました。

この間、旧民社党の書記長や委員長などを歴任し、平成5年には、いわゆる55年体制に終止符を打った、非自民の細川連立政権の誕生の際、党の要として活躍しました。その後、平成6年に結成された旧新進党に参加して副党首や幹事長を歴任し、解党したあとは、旧民主党に所属し、副代表を務めましたが、平成17年の衆議院選挙で落選し、政界を引退していました。

米沢氏は宮崎市内の病院に入院していましたが、16日夕方、呼吸不全のため亡くなりました。

4028名無しさん:2016/06/19(日) 11:18:17
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160616/k10010558671000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_036
18歳以上選挙権 大学生が模擬投票 埼玉
6月16日 16時35分
来月の参議院選挙から選挙権年齢が18歳以上になることを受け、埼玉県飯能市の大学では、実際の投票箱を使った模擬投票が行われました。
この模擬投票は、選挙の基礎知識を身につけ、積極的に政治に参加する意欲を育てようと、飯能市の駿河台大学が企画し、法学部の1年生およそ170人が参加しました。
この大学では今月9日に、模擬討論会が行われ、学生たちはそこでの議論などをもとにどの候補に1票を投じるか考えていました。
16日の模擬投票は、飯能市選挙管理委員会から投票箱と記載台を借りて行われ、学生たちは受付で投票所の入場券を渡して投票用紙を受け取ると、記載台で候補者の名前や政党名を記入して投票箱に入れていきました。
18歳の女子学生の1人は「今まで選挙は自分には関係ないものだと思っていましたが、自分が高齢者になったときに国のお世話になるので、今から政治について真剣に考えなければならないと思いました。次の参議院選挙では、候補者の演説を聴いて慎重に投票先を決めたいです」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160616/k10010558911000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_031
18歳以上の新有権者へ投票啓発カード 大津
6月16日 22時54分
「18歳選挙権」が適用される参議院選挙に向けて、大津市は、新たに有権者となる若者に投票を呼びかけるカードを送ることになり、発送の準備を進めています。
カードは、若者の投票率を上げようと大津市選挙管理委員会が作りました。

カードは2種類あり、18歳から20歳の市民およそ8600人に向けて「選挙は未来を決めるための大切な制度です」「投票に行って一票を活かしましょう」と呼びかけています。

さらに、これから18歳になり、参議院選挙で投票できるようになるおよそ200人には「あなたの一票が金の卵であるあなたの未来を作ります」と記したバースデーカードが送られます。

16日は市の選挙管理委員会の職員が郵便番号ごとにカードを仕分けし、今月20日の発送に向けて準備していました。大津市選挙管理委員会事務局の奥村康司局長は「新たな有権者にはぜひ選挙に参加して欲しい」と話しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160619/k10010561281000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_003
選挙権得られる年齢18歳に 240万人が新有権者
6月19日 4時48分
選挙権が得られる年齢を18歳に引き下げる改正公職選挙法が、19日に施行されます。選挙権年齢の引き下げはおよそ70年ぶりで、18歳と19歳のおよそ240万人が新たに有権者に加わり、今月22日に公示される参議院選挙から適用されます。
選挙権が得られる年齢を18歳に引き下げる改正公職選挙法は、去年6月に成立し、公布から1年間の周知期間が設けられ、19日に施行されました。
18歳への引き下げは、施行日のあと初めて公示される国政選挙から適用されることになっているため、今月22日に公示され来月10日に投票が行われる参議院選挙から適用されます。
選挙権年齢が引き下げられるのは、昭和20年に「20歳以上」となって以来およそ70年ぶりで、参議院選挙では18歳と19歳のおよそ240万人が新たに有権者に加わることになります。
各党は「18歳選挙権」の適用を見据えて、参議院選挙の公約に雇用や教育といった若者に身近な政策を盛り込んだり、インターネットを使った活動に力を入れたりしていて、新たに選挙権を得る18歳と19歳を含めた若者の支持を拡大したい考えです。

4029名無しさん:2016/06/19(日) 11:31:32
>>4028

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061900001&g=pol
18歳選挙権が施行=参院選で適用、240万人が参画【16参院選】

 選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が19日施行された。国政選挙では、まず7月10日投開票の参院選から適用される。新たに有権者に加わる18、19歳の未成年者は約240万人。若い世代の参入が投票率向上や政治の活性化につながるかどうか注目される。
 全有権者に占める18、19歳の割合は2%にとどまる。だが、昨年6月に全会一致で改正法を成立させた与野党各党は、将来を担う若者の視点を政治に生かすことは、深刻化する少子高齢化や人口減少に対処する上で有意義と捉えている。 
 各党は18歳選挙権導入を機に、政策立案で若年層への目配りを強化。参院選の公約でも、返済不要の給付型奨学金の創設や無利子奨学金の拡充など若者向けの施策が目立つ。
 政府は18歳選挙権の浸透と円滑な実施に向け、具体的な取り組みを進めている。選挙事務を管轄する総務省は、働く若者への周知を図るため、経団連や連合に協力を要請。また、高校に政治や選挙に関する副教材を配布するなど教育現場での啓発も行っている。
 文部科学省は高校生の校外での政治活動を解禁した。ただ、学校の判断で「届け出制」とすることを容認しており、現場からは「生徒が萎縮しかねない」「思想良心の自由を侵害する」などと懸念する声も出ている。
 地方選では、7月3日に福岡県うきは市長選と滋賀県日野町長選の投開票が予定され、無投票とならない限り、参院選に先行して18歳選挙権が運用される。(2016/06/19-00:12)

4030名無しさん:2016/06/19(日) 20:32:09
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160619/k10010561951000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_003
22日公示の参院選 少なくとも18の高校に期日前投票所
6月19日 17時47分
選挙権が得られる年齢を18歳に引き下げる改正公職選挙法が19日に施行されました。これを受けて、今度の参議院選挙では全国の少なくとも18の高校に、初めて期日前投票所が設けられることがNHKの取材で分かりました。
選挙権が得られる年齢を、これまでの20歳から18歳に引き下げる改正公職選挙法が19日に施行されました。選挙権年齢の引き下げは、終戦直後の昭和20年の法改正で、それまでの「25歳」から「20歳」となって以来、およそ70年ぶりで、法律に基づいて今月22日に公示される参議院選挙から、「18歳選挙権」が適用されます。

参議院選挙では18歳と19歳のおよそ240万人が新たに有権者に加わる見通しで、NHKは全国の放送局を通じて、各自治体の選挙管理委員会の法律の施行に合わせた対応を取材しました。

その結果、高校や大学などに期日前投票所が設けられるのが、全国の40道府県の少なくとも109校に上ることが分かりました。このうち95校は初めて期日前投票所が設けられるということで、一部の高校生も有権者になることを受けて、高校でも11府県の18校に期日前投票所が設けられることになりました。このほか、全国各地で多くの若者が集まる駅やショッピングセンターなどの商業施設に、新たに期日前投票所を設ける例も相次いでいて、各自治体の選挙管理委員会が「18歳選挙権」の導入を念頭に、若者の投票率を向上させるための取り組みに力を入れていることがうかがえます。
高校生が18歳選挙権を考える
選挙権が得られる年齢を18歳に引き下げる改正公職選挙法が19日、施行され、岡山市では、高校生たちが県議会議員を招いて、選挙や政治について考える催しを開きました。

この催しは、岡山県内の高校生のグループが、選挙や政治について学ぼうと企画し、岡山市北区の会場には、県議会議員4人が招かれました。生徒たちが、「選挙の意義」や「政治家になった目的」などを質問したのに対し、議員たちは「選挙によって政治は動くので、たかが一票と思わずに投票に行ってください」などと答えていました。

このあと、生徒たちは、グループに分かれて政策作りを模擬体験し、教育費や医療費に予算をどの程度配分するかや、財源を確保するため、消費税を何%にするかなどについて意見を出し合い、それぞれの政策をもとに、架空の政党名で選挙をしました。参加した18歳の高校3年の男子生徒は「友人の中には、選挙に関心がない人も多いけれど、僕は絶対に行きます。候補者の言うことをよく聞いて選びたいです」と話していました。

催しを企画したグループの代表で、高校2年生の山崎穂さんは「自分の1票だけでは変わらないかもしれないけれど1票が集まると社会が変わると思いました。選挙には絶対に行こうと思うようになりました」と話していました。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061900157&g=pol
政策立案で「政治身近に」=高校生らイベント参加-模擬投票も・岡山【16参院選】

 選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が施行された19日、岡山市内では、若者に政治や選挙に興味を持ってもらおうと高校生の団体が政策立案イベントを開いた。若者の立場で考えた消費税や医療費などの政策を訴え、模擬投票を行った。
 主催したのは「岡山高校生会議」で、中学生や高校生、大学生ら約60人が参加。架空の10政党をつくり、学費や医療費などの6項目について活発に意見を交わした。ある党は「地域を活性化したい」と人口密度が低い地域の消費税を免除する政策を発表。別の党は高齢者の年金受給年齢を引き上げる代わりに医療費を全額補助する政策を打ち出し、アピールした。発表後は実際の投票箱を使って模擬投票を行った。(2016/06/19-19:23)

4031名無しさん:2016/06/25(土) 21:07:26
http://www.hochi.co.jp/topics/20160622-OHT1T50095.html
鳩山由紀夫元首相、急死の弟・邦夫氏「常に目標であり自慢の存在でした」…コメント全文
2016年6月22日16時4分 スポーツ報知

 元総務相の鳩山邦夫氏(自民党)が67歳で急死したことが22日わかり、兄の鳩山由紀夫元首相が悲しみのコメントを発表した。

 「3年前に母が亡くなりましたが、まさかこんなに早く邦夫まで逝ってしまうとは信じられません」と突然の訃報に愕然とした様子。「二週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診したのですが『今はその気はないよ』との返事でした。それが弟との最後の会話になってしまいました」と語った。

 <鳩山由紀夫氏のコメント全文>

 邦夫の訃報へのコメント

 弟邦夫の突然の訃報を聞いて、大変驚いております。

 3年前に母が亡くなりましたが、まさかこんなに早く邦夫まで逝ってしまうとは信じられません。二週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診をしたのですが、「今はその気はないよ」との返事でした。それが弟との最後の会話になってしまいました。何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限りです。

 私たち兄弟は小中学の頃は小児喘息持ちで、当時は運動が嫌いで、母が心配して家庭教師を私たちにつけてくれたのですが、その先生が勉強よりも野球や昆虫採集を教えてくれました。邦夫が蝶の権威になったのはそれがきっかけでした。料理もプロ並みでしたが、大学生の頃、勉強が終わると台所で餃子を皮から作って食べさせてもらったり、屋台のラーメン屋に家を二人でこっそり抜け出して食べに行ったり、本当に仲の良い兄弟でしたが、常に弟の方が積極的でした。

 また、弟は幼稚園の頃からオーパパ(一郎)の跡を継ぐのは自分だと言って、その通り、田中角栄先生の門下生となり、政治家になりました。政治嫌いの私が政治の世界に入るとき、派閥の違う私を角栄先生の下に連れて行ってくれました。言うまでもなく、弟は私にとって政治の先輩であり、運命のいたずらで時には意見を異にすることがありましたが、内向的で自己表現がうまくない私にとっては、常に目標であり自慢の存在でした。

 主要閣僚を歴任し、また蝶を愛し自然を愛する弟が、より高い立場から日本の将来や環境問題などに真剣に取り組んでくれることを期待していただけに、残念でなりません。

 今は政治一筋に生きてきた弟が、政治という責任から身も心も解放され、安らかに永眠することを祈っています。

鳩山由紀夫

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062200733&g=pol
「目標で自慢の弟」=都知事選出馬打診も固辞-鳩山元首相

 鳩山由紀夫元首相は22日、弟の邦夫氏の死去にあたり、「弟は私にとって常に目標であり自慢の存在だった。今は政治という責任から身も心も解放され、安らかに永眠することを祈っている」とのコメントを発表した。
 由紀夫氏は、幼少時に昆虫採集をした思い出や、邦夫氏から手料理を振る舞われたエピソードを紹介。「本当に仲の良い兄弟だったが、常に弟のほうが積極的だった」と振り返った。
 約2週間前、東京都知事選に邦夫氏を推す声があったことを本人に伝えたところ、「今はその気はない」と返事を受けたのが最後の会話になったという。 (2016/06/22-16:51)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160623-OYT1T50044.html
兄・鳩山由紀夫氏「政治から解放され安らかに」
2016年06月23日 10時04分
 総務相や法相などを歴任した自民党衆院議員の鳩山邦夫氏(67)が死去したことを受け、関係者からは惜しむ声が相次いだ。

 祖父は鳩山一郎・元首相、父は威一郎・元外相、兄の由紀夫氏も元首相という政治家一家の出身としても知られた。兄の由紀夫氏は「政治一筋で生きてきた弟が、政治という責任から身も心も解放され、安らかに永眠することを祈っている」とのコメントを発表した。由紀夫氏は2週間ほど前、邦夫氏に東京都知事選への出馬を打診。邦夫氏に「今はその気はないよ」と言われたことが、最後の会話になったという。由紀夫氏は発表したコメントの中で、「より高い立場から日本の将来や環境問題に取り組んでくれると期待していただけに残念だ」と悼んだ。

 作家と読者という立場で邦夫氏と親交があった小説家の森村誠一さん(83)も、「チョウを飼育したり、家庭菜園で作った野菜や自分で打ったうどんを配ったりする温かみのある人だった」と振り返った。

2016年06月23日 10時04分 Copyright c The Yomiuri Shimbun

4032名無しさん:2016/06/25(土) 21:08:46
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062200376&g=pol
鳩山邦夫氏死去、67歳=総務相など歴任

 法相や総務相などを歴任した自民党の鳩山邦夫(はとやま・くにお)衆院議員が21日午前11時35分、十二指腸潰瘍のため、東京都内の病院で死去した。67歳だった。鳩山由紀夫元首相の弟。葬儀は近親者のみで行う。お別れの会も行う予定。喪主は妻エミリーさん。

 邦夫氏死去に伴う衆院福岡6区補欠選挙は10月に行われる見通し。
 東京都出身。鳩山一郎元首相の孫、威一郎元外相の次男として、政治家一家に生まれた。東大卒業後、田中角栄元首相秘書などを経て、1976年衆院選で旧東京8区から無所属で初当選。2005年衆院選から選挙区を福岡6区に変更し、当選13回。文相や労相なども経験し、環境や教育分野に力を注いだ。

 第1次安倍、福田両政権で法相を務め、死刑執行の際の死刑囚の氏名を初めて公表。麻生政権で総務相に就き、東京中央郵便局(東京都千代田区)の建て替えに際して文化財保護の観点から見直しを求めた。
 1993年に自民党を離党。旧新進党、旧民主党などを経て、2000年に自民党に復党。旧民主党政権誕生後の10年に「自民党では限界がある」として再び党を離れたが、12年衆院選は自民党の推薦を得て当選し、復党した。その後は派閥横断の勉強会「きさらぎ会」を主宰し、安倍晋三首相を支えてきた。 (2016/06/22-13:30)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062300019&g=pol
鳩山邦夫氏通夜に参列=安倍首相

 安倍晋三首相は22日夜、東京・大塚の護国寺を訪れ、21日に死去した自民党の鳩山邦夫元総務相の通夜に参列した。(2016/06/23-01:19)

4033名無しさん:2016/06/25(土) 21:10:16
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062300543&g=pol
供託金【選挙ミニ事典】

 町村議会選挙を除く選挙に立候補する人は、公職選挙法により供託金が課されている。参院選の場合、選挙区は300万円、比例代表は600万円を納めなくてはならない。売名を目的とした候補者の乱立を防ぐのが狙いだ。候補者は現金または国債を購入して法務局に届け、供託証明を発行してもらい、選挙管理委員会に提出する。
 得票数が所定の基準を満たした候補者は、選挙後に供託金を返金される。参院選挙区では、有効投票総数を議員定数で割った数の8分の1以上を獲得する必要がある。基準に達しなければ供託金は没収され、国庫に入る。(2016/06/23-15:04)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062200595&g=pol
公認と推薦【選挙ミニ事典】

 政党と候補者の関係は、公認と推薦に大別される。公認自体に法の規定はないが、候補者が公職選挙法に基づいて選挙管理委員会に提出する所属党派証明書は、公認を受けた政党とするのが通例だ。ただ、報道各社が公認扱いとするのは原則として法律上の要件を満たす政党の候補に限り、それ以外の政治団体所属候補は「諸派」として扱う。
 公認候補は所属政党から資金面を含む全面的な支援を受けるのに対し、推薦は所属していない政党からの支援で、その度合いや形態はさまざまだ。連立を組む自民、公明両党は、それぞれの公認候補を原則として相互に推薦。今回、改選数1の「1人区」で候補を一本化した野党は、特定政党の公認候補をその他の政党が推薦、または無所属候補を各党が推薦する形を取っている。(2016/06/22-14:41)

4034名無しさん:2016/06/25(土) 22:07:20
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062100526&g=pol
公示と選挙期間【選挙ミニ事典】

 衆院総選挙と参院通常選挙を実施する期日を知らせることを公示という。憲法7条に基づき、内閣の助言と承認によって行われる天皇の国事行為だ。一方、衆参の補欠選挙や地方選挙は、都道府県の選挙管理委員会が決定して知らせるため、告示と呼ばれ区別される。
 公職選挙法は参院選について「少なくとも17日前に公示しなければならない」と定めており、公示日から投票前日までが選挙期間となる。今回は7月10日投票で、今月23日が17日前に当たるが、沖縄慰霊の日に重なるため、政府が県民感情に配慮して公示日を1日前倒しした。(2016/06/21-14:55)

4035名無しさん:2016/06/26(日) 16:26:56
>>4031-4032

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160622/k10010565971000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_035
鳩山邦夫衆院議員が死去 総務相や法相を歴任
6月22日 11時03分
総務大臣や法務大臣などを歴任した自民党の鳩山邦夫衆議院議員が21日、東京都内の病院で十二指腸潰瘍のため、亡くなりました。67歳でした。
鳩山邦夫氏は東京都出身で、衆議院福岡6区選出の当選13回。祖父は鳩山一郎元総理大臣、父は鳩山威一郎元外務大臣、兄は鳩山由紀夫元総理大臣です。
田中角栄元総理大臣の秘書を経て、昭和51年の衆議院選挙に旧東京8区から立候補し、初当選しました。宮沢内閣で文部大臣として初入閣したあと、平成5年に自民党を離党し、旧新進党を経て、平成8年には兄の鳩山由紀夫元総理大臣らと旧民主党の結党に参加し、副代表も務めました。
その後、平成12年に自民党に復党してからは衆議院議院運営委員長や法務大臣、総務大臣などを歴任しました。
鳩山氏の言動は数々の論争を巻き起こし、法務大臣の当時には死刑を執行した死刑囚の名前の発表に踏み切りました。
一方、総務大臣を務めた際には「かんぽの宿」などの施設の売却や、東京中央郵便局の建て替えなどを巡って、日本郵政と対立し、社長人事は政府・与党を巻き込む問題に発展し、最終的に辞任に追い込まれました。
また、鳩山氏は、ちょうの収集家としても知られていました。
鳩山氏は自民党内で、みずからが会長を務める派閥横断の議員グループを作るなどして活動を続けていましたが、21日昼、東京都内の病院で十二指腸潰瘍のため、亡くなりました。
鳩山氏の死去に伴って、衆議院福岡6区では公職選挙法の規定に基づき、ことし10月23日に補欠選挙が行われる見通しです。
兄の鳩山元首相「残念でならない」
鳩山邦夫衆議院議員の兄の鳩山由紀夫元総理大臣は「突然の訃報を聞いて、大変に驚いています。2週間ほど前に、東京都知事選挙に弟の立候補を期待している人がいたので打診したが、『今はその気はないよ』との返事だった。それが弟との最後の会話になってしまった。弟は、私にとって政治家の先輩であり、運命のいたずらで、時には意見を異にすることがあったが、常に目標であり自慢の存在だった。主要閣僚を歴任し、蝶を愛し、自然を愛する弟が、より高い立場から日本の将来や環境問題などに真剣に取り組んでくれることを期待していただけに、残念でならない。政治一筋に生きてきた弟が、政治という責任から身も心も解放され、安らかに永眠することを祈っています」というコメントを発表しました。

4036名無しさん:2016/06/26(日) 16:27:19
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062500184&g=pol
戸別訪問【16参院選】

 候補者や選挙運動員が有権者の家を訪問し、投票行動を依頼すること。公職選挙法は買収など不正の温床になるとして禁じている。違反すれば当選無効になることもある。有権者の家を訪問して、対立候補に投票しないよう求めることも戸別訪問と位置付けられる。ただ、電話で投票を依頼することは可能だ。戸別訪問は、英米などでは候補者と有権者が直接話し合う機会として広く認められている。(2016/06/25-15:25)

4037名無しさん:2016/06/27(月) 22:29:59

舛添氏退任日に逝った鳩山邦夫氏 東大首席はどっち?の真相
http://www.news-postseven.com/archives/20160627_424454.html
2016.06.27 16:00

 今は昔、東大法学部の同級生だった2人が東京都知事選を争った。鳩山邦夫氏と舛添要一氏だ。「オレが首席だった」──選挙戦で2人はそういって譲らなかったが、ともに落選した。

 あれから17年、舛添氏がスキャンダルにまみれて都知事を辞職したその日(6月21日)、鳩山氏が世を去った。死因は十二指腸潰瘍。67歳だった。

 鳩山一郎・元首相の孫というサラブレッドながら、田中角栄氏の秘書となり“どぶ板選挙”を叩き込まれた。自民党、新進党、旧民主党、そして自民党復党また離党と政党を渡り歩いたが、サービス精神旺盛で誰からも憎まれなかった。

 エピソードには事欠かない。エミリ夫人がまだ17歳のアイドルだった時にプロポーズ。蝶の収集家として世界的にも知られた。

 政治家としては文部大臣、労働大臣、法務大臣、総務大臣を歴任、政治にカネを散じるのを惜しまなかったことでも知られる。

 旧民主党結党の際には兄・由紀夫氏と2人で15億円を負担、盟友の麻生太郎氏が2007年の自民党総裁選に出馬した時は選対本部長を務め、落選後のスタッフの打ち上げ費用がないと聞くと、「みんなで飲んでくれ」ポンと100万円を渡したエピソードは有名だ。

 かつて鳩山氏の秘書を務めたジャーナリストの上杉隆氏は、「秘書時代、国会会期中で忙しいのに私の父の通夜・告別式に参列して棺まで担いでくれた。人との繋がりを大事にする政治家でした」と振り返る。

「友人の友人がアルカイダ」などの失言も、行き過ぎたサービス精神ゆえかもしれない。

 本誌記者は2回目の自民党離党を表明した翌日、鳩山氏の自宅を訪れた。自宅にカメラマンが詰めかけたことを知り、シャッターチャンスをやろうとわざわざ家庭菜園のアスパラを採取するところを見せてくれた。このあたり、まるで苦労人の気配りでとてもエリートの資産家にできる芸当ではない。

 ちなみに鳩山氏との東大首席争いの真相について、舛添氏はかつて本誌記者にこう明かしたことがある。

「同期の首席は私でも鳩山でもなく、足利冤罪事件で主任弁護人を務めた佐藤博史弁護士だったかな」

 これもご愛敬か。まだまだ政界に彩りを与えてほしい人物だった。

※週刊ポスト2016年7月8日号

4038名無しさん:2016/07/02(土) 21:42:41
>>4031

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070100349&g=pol
故鳩山邦夫・元法相のお別れの会

 故鳩山邦夫氏(元法相、6月21日死去)のお別れの会 12日午前11時から東京都港区芝公園4の8の1のザ・プリンスパークタワー東京「ボールルーム」で。鳩山家と自民党の共催。実行委員長は安倍晋三党総裁。遺族代表は妻エミリーさん。香典は辞退する。(2016/07/01-11:10)

4039名無しさん:2016/07/02(土) 21:43:59
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016063000609&g=pol
共通投票所【選挙ミニ事典】

 今回の参院選から、投票日に駅や大型商業施設などに設置される共通投票所で投票できるようになった。有権者の投票機会の拡大を目的に公職選挙法が改正されたためだ。市区町村の選挙管理委員会が共通投票所を設ければ、その自治体に住む有権者は指定の投票所か共通投票所のどちらかで投票が可能になる。
 ただ、自治体は有権者の二重投票を防ぐためのシステム整備が必要で、その準備に予算と時間がかかる。総務省によると、今回の参院選で共通投票所を設けるのは4市町村にとどまっている。(2016/06/30-15:17)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070100564&g=pol
選挙権と被選挙権【選挙ミニ事典】

 選挙で投票する権利が選挙権。若者の政治参加を促す狙いから昨年の通常国会で公職選挙法が改正され、選挙権年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられた。見直しは1945年以来71年ぶり。18、19歳の約240万人が新たに有権者となる。国会図書館の一昨年の調査によると、国連加盟国の9割近い国が18歳以上と定めている。
 被選挙権は、選挙に立候補する権利だ。参院議員と都道府県知事は30歳以上、衆院議員や市町村長などは25歳以上と決められている。立候補時点で被選挙権年齢を下回っていても、投票日に要件を満たしていれば問題はない。選挙権年齢の引き下げを受け、被選挙権年齢の引き下げを公約に盛り込んだ政党もある。(2016/07/01-14:25)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062900573&g=pol
在外投票【選挙ミニ事典】

 仕事や留学などで海外に3カ月以上住んでいる有権者は、事前に登録すれば近くの大使館など在外公館で投票権を行使できる。対象は国政選挙に限られるが、公示・告示の翌日から投票日6日前まで投票が可能だ。総務省によると、2014年の前回衆院選は約2万人が利用した。
 在外投票は00年の衆院選から導入された。当初は比例代表への投票しか認められなかったが、在外邦人らが選挙権の不当な制限だとして裁判を起こし、最高裁で違憲判断を勝ち取った。これを受けて公職選挙法が改正され、07年6月から対象が衆院小選挙区と参院選挙区にも拡大された。(2016/06/29-15:25)

4040名無しさん:2016/07/02(土) 21:54:57
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070200201&g=pol
ネット選挙【選挙ミニ事典】

 候補者や政党によるインターネットを活用した選挙運動のこと。2013年4月に解禁された。政党や候補者、有権者は、ホームページ、ブログ、動画サイトなどを使って政策をPRしたり、候補者への投票を呼び掛けたりすることができる。これらに加え、政党と候補者はメールによる訴えも認められた。悪質な誹謗(ひぼう)中傷や候補者の「成り済まし」を防ぐため、投稿者にはメールアドレスの明示が義務付けられている。ただし、投票日当日の投稿はできない。(2016/07/02-14:45)

4041名無しさん:2016/07/02(土) 22:42:24
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160630/k10010578821000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_029
参院選 共通投票所設置予定は4自治体にとどまる
6月30日 21時01分
今回の参議院選挙から新たに可能になった、共通投票所の設置予定を総務省が調査したところ、北海道函館市や熊本県南阿蘇村など4つの自治体にとどまることが分かりました。
先の通常国会で成立した改正公職選挙法では、投票率を向上させるため、事前に決められた投票所以外でも投票可能な共通投票所を、駅の構内やショッピングセンターなどに設置できるようになりました。

この共通投票所について、総務省が、今回の参議院選挙での全国の設置予定を調査したところ、北海道函館市が2か所、青森県平川市が1か所、長野県高森町が1か所、熊本県南阿蘇村が3か所の、4つの自治体の合わせて7か所にとどまることが分かりました。共通投票所の設置が進まなかったことについて、総務省は「法律が成立してから選挙までの期間が短かったことや、二重投票を防ぐシステムの費用の確保が難しかったためではないか」としています。

一方、投票所の設置数を調べた結果、全国で合わせて4万7905か所で、前回の3年前の選挙のときより872か所減ったことが分かりました。総務省では、特に中山間地で過疎化が進んで有権者が減ったことなどが原因ではないかとしています。

4042名無しさん:2016/07/03(日) 11:49:13
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062700562&g=pol
七つ道具【選挙ミニ事典】

 選挙に立候補した際、選挙管理委員会から渡される運動員用腕章など道具一式の通称。腕章のほか、選挙事務所を示す標札、街頭演説の標旗、個人演説会用立て札など計7種類あり、無償で交付される。公職選挙法の規定により、候補者は街頭演説を行う場合、交付された標旗を掲げ、運動員は腕章を身に着けなければならない。参院選挙区の候補者に与えられる標旗は原則一つで、同じ陣営が同時刻に複数の街頭演説を行うことはできない。候補者の資金力で選挙運動に差が出ないよう、七つ道具で一定の歯止めをかける狙いがある。(2016/06/27-15:39)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062800565&g=pol
法定得票数【選挙ミニ事典】

 公職選挙法が各種選挙について定める当選に最低限必要な票数を法定得票数という。法定得票数に達しなければ、最多得票者でも当選と認められず、再選挙となる。一定の票数を獲得しなければ、有権者の信任を得たとは見なせないとの立場からだ。参院選挙区の場合、有効投票総数を選挙区の議員定数で割った数の6分の1だ。
 法定得票数を下回り、再選挙となった例として、奄美群島の本土復帰に伴い1954年に行われた衆院奄美群島選挙区(定数1)や、2003年の札幌市長選がある。(2016/06/28-15:15)

4043名無しさん:2016/07/10(日) 09:44:15
>>4038

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070500351&g=pol
鳩山氏お別れ会、場所変更

 自民党は、12日に予定している故鳩山邦夫元法相のお別れの会の場所を、東京都港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所に変更すると発表した。当初は同区内のホテルでの開催を通知していた。 (2016/07/05-12:27)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070400913&g=pol
故鳩山邦夫氏に旭日大綬章

 政府は4日の持ち回り閣議で、6月21日に死去した鳩山邦夫元法相を正三位に叙するとともに、旭日大綬章を贈ることを決めた。 (2016/07/04-22:43)

4044名無しさん:2016/07/10(日) 10:11:18
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070600484&g=pol
補充立候補【選挙ミニ事典】

 選挙期間中に候補者が死亡したり、立候補を取りやめたりした場合、人数に制限なく新たな立候補が認められる。公職選挙法によると、衆参両院の選挙区の場合、投票日の3日前まで可能だ。候補者を補充しなければ無投票となる場合もあることから、有権者の意思表示の機会を保障するのが制度の狙いだ。ただ、欠けた候補者が期日前投票で得た票は無効になるなどの問題点も指摘されている。1980年の衆院選期間中に自民党の大平正芳首相(当時)が死去し、娘婿の森田一氏が補充立候補して初当選した例がある。(2016/07/06-14:50)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070500451&g=pol
案分票【選挙ミニ事典】

 候補者名や政党名が似ていて紛らわしく、有権者がどちらに1票を投じたか不明確な場合、対象となる各候補者や政党の得票比率に応じて配分される票を案分票という。一部候補者の得票数に小数が付いているのは案分票を加えた結果だ。総務省は一定の基準を都道府県選管に通知しているが、案分とするか無効とするかの判断は、公職選挙法で開票所の開票管理者に委ねられている。
 今回の参院選では、比例票に「民主」と書かれた場合、関係者の頭を悩ませそうだ。旧民主党は民進党に党名を変更し、略称を「民主」としている政党は存在しないが、自民、社民両党の正式名称に「民主」が入っているため、案分票か無効票かで判断が分かれる可能性が指摘される。(2016/07/05-14:36)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070900197&g=pol
当選と当確【選挙ミニ事典】

 参院選挙区の場合、有効投票の得票数順位が上位から改選数以内に入ると当選人となる。各都道府県選挙管理委員会が開票を終了した段階で確定する。ただし、有効投票総数を選挙区定数で割った数の6分の1に当たる法定得票数が最低限必要だ。一方、当選確実(当確)はあくまで新聞社やテレビ局など報道各社の判断だ。投票所で行う出口調査や開票所での開票状況、各党や各陣営の取材などあらゆる情報を基に総合的に判断して速報する。開票率0%でも当確を出すことがあるが、誤報となるケースもある。(2016/07/09-14:12)

4045名無しさん:2016/07/10(日) 10:13:00
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070800526&g=pol
政党要件【選挙ミニ事典】

 政治団体が政党として認められる法律上の要件。公職選挙法は、(1)所属国会議員が5人以上(2)直近の衆院選か参院選で全国の得票率が2%以上-のいずれかを満たす必要がある。この場合、衆院選で選挙区と比例代表の重複立候補が可能になるほか、選挙区でも政見放送ができるようになる。
 ほかにも政党要件を定める法律があるが、内容はそれぞれ異なる。政党助成法と政治資金規正法では、得票率について前々回の参院選の実績も考慮されるなど、要件は公選法より幅広だ。(2016/07/08-14:56)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070700458&g=pol
投票率【選挙ミニ事典】

 有権者数に対する投票者の割合。有権者の選挙への関心の度合いを示す指標だ。参院選では1980年の74.54%が最高で、最低は95年の44.52%。年齢が下がるほど投票率が低い傾向にある。直近の国政選挙である2014年の衆院選では60歳代は68.28%だったのに対し、20歳代は32.58%と半分以下だった。今回から選挙権年齢が「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げられたこともあり、総務省はインターネット動画などを活用した若年層への啓発活動に力を入れている。(2016/07/07-14:18)

4046名無しさん:2016/07/10(日) 11:05:46
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070400570&g=pol
投票用紙【選挙ミニ事典】

 候補者名や政党名が書かれた投票用紙は公職選挙法の規定により、開票所で集計された後、保存用の箱に入れて封印され、その選挙の当選者の任期満了、または衆院などの解散まで市区町村の選挙管理委員会で厳重に保管される。保管期間が終了した用紙はリサイクルされ、選挙啓発用のうちわや文房具などに生まれ変わる。
 生産を一手に引き受けるメーカーによると、材質はポリプロピレンが主原料の合成樹脂で、折って投票箱に入れても投票箱の中で自然に開く。用紙を開く手間がかからず、開票時間の短縮につながっている。(2016/07/04-15:13)

4047名無しさん:2016/07/17(日) 13:12:41
>>4043

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160712/k10010592361000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_080
鳩山邦夫元総務相 お別れの会
7月12日 15時03分
先月死去した鳩山邦夫元総務大臣のお別れの会が、12日に東京都内で営まれ、およそ3000人が参列し、別れを惜しみました。
先月21日に病気で死去した鳩山邦夫元総務大臣のお別れの会は、12日午前11時から東京・港区で営まれ、与野党の国会議員など、およそ3000人が参列しました。
最初に、葬儀委員長を務めた安倍総理大臣が「豪放らいらくというのは鳩山氏の人柄そのものだが、こまやかな心遣いと優しさを持つ愛情あふれる人だった。政策を前へ進めるときの心の支えだった鳩山氏を失ったことは残念でならない」とお別れのことばを述べました。
このあと、遺族を代表して、妻のエミリーさんが「政治家としての主人は、自分が損をしてでも、間違いは間違いだと言える人で、まだまだやりたいこともたくさんあったと思います。まっすぐに生きてきた鳩山邦夫を忘れないでください」とあいさつしました。
参列者は、祭壇に掲げられた遺影の前で花を手向け、手を合わせて鳩山氏をしのんでいました。

4048名無しさん:2016/07/17(日) 13:13:32
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010593621000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_067
政党助成金 自民3億円増 民進3億円減の見込み
7月13日 11時19分
ことし、国から政党に交付される政党助成金について参議院選挙の結果を踏まえてNHKが試算した結果、自民党はおよそ3億円増えて175億円余りとなる一方、民進党はおよそ3億5000万円減っておよそ94億円となる見込みであることが分かりました。
政党助成金は、総額およそ320億円が、所属する国会議員の数や国政選挙の得票数に応じて、政党助成法に基づき総務大臣に届け出た政党に、年4回に分けて交付されています。
助成金は、国政選挙のあと交付額を算定し直すことになっていて、NHKは参議院選挙の結果を踏まえて、ことし各党に交付される見込みの額を試算しました。
それによりますと、追加公認した1人を含め改選議席から6議席増やした自民党は、3億600万円増えて175億2700万円となります。これに対し、改選議席から15議席減らした民進党は、3億5100万円減って93億9200万円となります。公明党は、1億円増えて30億7300万円。おおさか維新の会は、2億1700万円増えて7億300万円。社民党は、2700万円減って4億4400万円。議席を獲得できなかった日本のこころを大切にする党は、1200万円減って5億4700万円となります。
また、今回の参議院選挙の結果、政党助成法上の政党要件を満たさなくなった生活の党と、今月11日に解散の届け出を出した新党改革は、次回10月分以降、交付の対象となりません。一方、共産党は、政党助成金の制度に反対して、助成金を受け取っていません。

4049名無しさん:2016/07/17(日) 13:22:30
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160717/k10010598821000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_002
19歳が低投票率 政治への参加意識向上で具体的検討へ
7月17日 4時18分
総務省は、先の参議院選挙で新たに有権者となった18歳と19歳のうち、とりわけ19歳の投票率が低かったことから、高校を卒業した大学生や社会人などの政治への参加意識の向上に向けて具体的な検討を進めることにしています。
先の参議院選挙では選挙権が得られる年齢が18歳に引き下げられ、総務省が発表した速報値では、18歳の投票率は51.17%で、前回の参議院選挙の20代の有権者の投票率を20ポイント近くも上回りました。
これについて、総務省は、各自治体などが高校での模擬投票や出前講座など政治への参加意識を高める「主権者教育」に積極的に取り組んだことなどが投票率の向上につながったとしています。
その一方で、19歳の投票率は39.66%で、18歳の投票率を11ポイント余り下回りました。
このため、総務省は、今後、高校を卒業した大学生や社会人などの政治への参加意識の向上に向けて、大学や企業、地域といかに連携を図るか、具体的な検討を進めることにしています。

4050名無しさん:2016/07/17(日) 18:05:07
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071500580&g=pol
共通投票所3243人利用=参院選

 総務省は15日、先の参院選で初めて設置された「共通投票所」での投票者数が、北海道函館市など全国4市町村の7カ所で計3243人だったと発表した。4自治体の合計で、投票日の10日に票を投じた人に占める割合は3.3%だった。
 設置したのは他に青森県平川市、長野県高森町、熊本県南阿蘇村。平川市では1705人が利用し、10日の投票者数に占める割合が17.2%で最も高かった。函館市は1048人、高森町は387人、南阿蘇村は103人だった。
 共通投票所は投票日当日、住民の利用機会の多い駅や商業施設などに置くことにより、投票率を押し上げる効果が期待された。市区町村の選挙管理委員会の判断で設置でき、その自治体に住む有権者が利用できる。ただ、二重投票を防止するためのシステム整備に費用がかかり、今回導入したのは4自治体にとどまった。 (2016/07/15-15:05)

4051名無しさん:2016/07/17(日) 23:22:53
>>4031

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071200389&g=pol
鳩山元総務相に別れ=安倍首相「心の支え失った」

 6月21日に死去した鳩山邦夫元総務相の自民党と鳩山家によるお別れの会が12日午前、東京・南青山の青山葬儀所で営まれた。お別れの会の実行委員長である安倍晋三首相(党総裁)、大島理森衆院議長、兄の鳩山由紀夫元首相ら多くの政界関係者が参列し、故人をしのんだ。

 首相は「われわれの政策を力強く前に進めるときに、心の支えであった先生を失ったことは残念でならない」と弔辞を述べた。また、10日の参院選にも触れ、「先生の気持ちに応えなければならないとの思いで戦い抜いた」と語った。 (2016/07/12-11:58)

>>4048

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071200839&g=pol
自民、1.8%増の175億円=民進は減少-政党交付金

 参院選の結果を踏まえ、2016年の政党交付金の配分額を時事通信が試算したところ、議席を増やした自民党は4月の交付決定額に比べ1.8%増の175億2700万円で、1995年の制度開始以降で最高額を更新する見通しだ。勢力が後退した民進党は3.6%減の93億9200万円。
 政党交付金の年間予算額は約320億円。各党への配分額は、所属国会議員数や国政選挙の得票率によって決まる。支給回数は年4回で、このうち2回は交付済みのため、10月と12月の支給分から再計算された額が反映される。
 政党交付金制度に反対している共産党は受給申請していない。生活の党と山本太郎となかまたちは今のところ「国会議員5人」との政党要件を満たさないが、無所属で当選した同党系議員の所属が決まれば、交付を受けられる可能性がある。
 自民、民進両党以外への年間交付見込み額と増減率は次の通り。
 公明党30億7300万円(3.4%増)▽おおさか維新の会7億300万円(44.8%増)▽社民党4億4400万円(5.8%減)▽日本のこころを大切にする党5億4700万円(2.2%減)。 (2016/07/12-19:33)

4052名無しさん:2016/07/17(日) 23:23:17
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071100044&g=pol
今後の主な政治日程

【2016年】
 7月14日 東京都知事選告示
   15日 アジア欧州会議(ASEM)(モンゴル、16日まで)
   31日 都知事選投開票
 8月 1日 臨時国会召集(3日まで)
    5日 リオ五輪(21日まで)
   15日 終戦記念日
   27日 第6回アフリカ開発会議(TICAD)(ケニア、28日まで)
    末  2017年度予算概算要求締め切り
 9月 2日 安倍晋三首相がロシア訪問(3日まで)
    4日 20カ国・地域(G20)首脳会議(中国、5日まで)
    6日 東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議(ラオス、8日まで)
   13日 臨時国会召集
    下旬 国連総会
10月23日 衆院福岡6区補選
11月19日 アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議(ペルー、20日まで)

(2016/07/11-00:11)

4053名無しさん:2016/07/18(月) 09:08:00
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160718/k10010599621000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_003
10代の有権者は ネット情報に慎重
7月18日 5時38分
今月10日に投開票が行われた参議院選挙から1週間。新たに選挙権を得た18歳と19歳の有権者は、選挙についての情報の多くをインターネットを通じて得ている一方で、いわゆるSNSで発信された候補者や政党の情報に対しては比較的慎重に捉えていたことが、東京大学などの研究グループの調査で分かりました。
東京大学情報学環の橋元良明教授らの研究グループは、新たに選挙権を得た18歳と19歳の有権者を含む全国の有権者およそ1800人を対象に、選挙に関する情報をどのように得たかをインターネットを通じて調べました。

この中で、情報をどこから得たかについては、すべての世代の平均では、テレビが83.0%、新聞が52.6%、インターネットが37.3%となっていたのに対し、18歳と19歳では、テレビが80.4%、インターネットが50.9%、新聞が34.4%と、ネットと新聞の順番が逆転していました。インターネットから情報を得たという回答が50%を超えたのは10代の有権者だけです。

一方で、10代の有権者に信頼できた情報源を尋ねると、新聞が80.0%、テレビが67.9%だったのに対して、政党や候補者のウェブサイトが63.0%、政党や候補者のSNSが51.6%などとなっていました。10代のSNSへの信頼度はすべての世代の平均の55.1%を下回っていて、情報を比較的慎重に捉えている様子がうかがえます。

今回の調査結果について、橋元教授は「ネット上の情報は玉石混交ということを若い世代はよく知っていて、今回の選挙でも情報を冷静に見ている。その一方で、ネットだけで情報を集めると、自分と同じ意見にだけ目を向ける傾向がある。さまざまなメディアを通じて自分の反対意見にも目を向ける習慣を身につけてほしい」と話しています。
投票した19歳の女子大学生は
今回の参議院選挙で初めて1票を投じた19歳の女子大学生です。新聞はあまり読まず、ニュースなどはほとんどテレビやスマートフォンで見ています。今回の選挙にあたっても、情報源はテレビのほかインターネットの短文投稿サイト、ツイッターが主でしたが、「大勢の人がつぶやいている情報でも、これは違うんじゃないかなと思うものも見かけるので、情報の出どころを見たりして、信じられる情報かどうか判断しています」と話し、SNSで流れる情報を慎重に捉えていたといいます。

その一方で、投票先については、「争点に関するアンケートに答えると考え方が近い政党を教えてくれる」というインターネット上のサービスを参考にしたということで、「今回は選挙について調べる時間が十分取れなかったので、次は一つの情報源に偏らずにいろんなところから情報を集めて投票に行きたい」と話していました。

4054名無しさん:2016/07/23(土) 22:32:51
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016072000619&g=pol
7党に交付金79億円

 総務省は20日、政党交付金の2016年第2回分として、7党に計79億4600万円(100万円未満切り捨て、以下同)を支給した。第3、4回分は、10日投開票の参院選の結果に基づいて再計算される。自民、公明両党は増額され、民進党は減額される見通し。 
 参院選後に政党の資格を失った新党改革には、政党として存続した期間に応じた特定交付金3500万円が支給された。共産党は受給を申請していない。各党への支給額は次の通り。
 自民党43億500万円▽民進党24億3500万円▽公明党7億4300万円▽おおさか維新の会1億2100万円▽社民党1億1700万円▽生活の党と山本太郎となかまたち8300万円▽日本のこころを大切にする党1億4000万円。(2016/07/20-16:20)

4055名無しさん:2016/07/24(日) 20:15:05
すごいデータベースがありました。
地方議会選挙がここより詳しいのって知らないかもです。

http://politics.free-active.com/document/index.html

http://politics.free-active.com/index.php

4056名無しさん:2016/08/20(土) 22:44:15
古い記事

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160712-00510466-shincho-soci
鳩山邦夫の遺産は170億円以上 後継は「次男の可能性が高い」
デイリー新潮 7月12日(火)5時52分配信

 唐突にもたらされた訃報だった。6月21日、67歳で逝去した衆院議員の鳩山邦夫氏。名門の出ながらそれを鼻にかけず、多くの人に慕われた彼は、どのような姿を周囲に見せていたのか。また、170億円以上と目される遺産の内訳、後継者選びの行方は――。

 ***

 邦夫氏が東京・文京区の「音羽御殿」に生まれたのは1948年。曾祖父は元衆院議長の和夫氏、祖父は元首相の一郎氏、父は元外相の威一郎氏という政界きっての名門の出だが、彼の元秘書が言うには、

「私が見る限り、邦夫さんは鳩山家という超エスタブリッシュメントに生まれたことを逆にコンプレックスに感じていたと思う。あの人は本当に気取らない人で、スーツだって安物だったし、穴の空いた靴下を穿いていたこともあった。それが全て演出ではないと思うけれど、庶民的に、庶民的に振る舞おうと意識していたのは間違いない」

 東大を卒業した後、田中角栄の秘書を経て衆院選挙で初当選を果たしたのは76年。その後、1度落選を経験するも、91年に宮澤喜一内閣で文部大臣(当時)に就任するまでは、まずは順風満帆な政治家人生といってよかろう。その頃、邦夫氏の秘書を務めていた白石英行・文京区議会議長は、

「代議士はとにかくパワフルだった。朝からかつ丼とかステーキを食べて、夜は時間が空くと選挙区内の飲み屋をハシゴ。それから自宅に帰って自分や秘書たちの分の食事を作り、それを皆で食べてようやく1日が終わるのです」

 同じく邦夫氏の元秘書で、現在は民進党代議士の牧義夫氏もこう言う。

「朝から天ぷらを揚げていることもありました。鳩山事務所に入ると皆10キロくらい太ってしまうので、他の事務所からは“鳩山部屋”などと呼ばれていた」

■離党、復党を繰り返し
 93年に自民党を離党。兄の由紀夫氏と共に旧民主党を結党したのはその3年後である。元秘書の馬渡龍治氏によると、

「お二人が兄弟新党を結党する背景には、母親の安子さんの思いがあった。しかし旧民主党を作って合流した後も二人の関係はギクシャクしたままで、しばらく私が両者の間のメッセンジャーを務めなければならなかったほどです」

 元民主党代議士で政治評論家の木下厚氏が言う。

「その後は都知事選に落選して自民党に復党するものの再離党し、さらにまた復党するという政治人生を歩みました。政治家としての資質には恵まれていましたが、功を焦り、却って逆に逆にと行ってしまったような印象を持ちます」

4057名無しさん:2016/08/20(土) 22:44:45
>>4056

■日本トップレベルの蝶の研究
 そんな邦夫氏が政治に対するのと同等かそれ以上の情熱を傾けたのが蝶の研究であった。蝶の採集や標本作製に熱中するようになったのは子どもの頃だというが、それを研究の域にまで高めようと決心したのは79年、彼が31歳の時で、著書『チョウを飼う日々』には次のようなエピソードがある。選挙に落選して茫然自失の態で庭の真ん中に立ち尽くしていると、

〈都区内では大珍品のアカタテハがやってきて、しかも二回もオレの回りをぐるっと回って消えた。そうだ、あれは神がオレにチョウを徹底的にやれといって遣(つか)わせた使者に違いない。これから当分ヒマが続く。オレはやるぞ、こうなったらトコトン、チョウをやりつくすぞ……〉

 邦夫氏の蝶の研究をサポートするため93年から5年間、彼の秘書として働き、現在は東京大学総合研究博物館で助教を務めている矢後勝也氏は、

「私が秘書になった時、鳩山代議士はすでに蝶の研究者として有名で、飼育に関しては日本のトップレベルに達していました」

 として、こう語る。

「蝶の研究者としての人生も送ってみたかった、と話していた代議士が特に愛したのはオオウラギンヒョウモン、オオルリシジミなどの絶滅危惧種。今では代議士の技術が生かされ、日本各地で蝶の保全が行われています。葬儀の際、棺の中にはオオウラギンヒョウモンとオオルリシジミ、それからヒサマツミドリシジミの標本が入れられました」

 邦夫氏が死して遺した蝶に関する貴重な研究成果とコレクション。無論、それとは別に巨額の遺産もある。

■170億円以上の遺産
 昨年3月に提出された衆院議員の資産等報告書によると、東京・本駒込にある約560坪の広大な土地の他、長野県の軽井沢や埼玉県、選挙地盤の福岡県にも土地を所有している。定期預金が2億4700万円、国債証券及び金銭信託が18億8752万円。所有株券は、ブリヂストンが389万株、マツダが30万株、東芝が86万4000株などとなっている。

「本駒込の土地だけで20億円以上の価値がある。また、ブリヂストン株は現在の株価で計算して、約123億円。さらにその他諸々を合計すると、遺産の額は最低でも170億円という巨額になります」(金融業界関係者)

 邦夫氏と妻のエミリーさんの間には、2男1女がいる。今後、それぞれが巨額の遺産を相続することになるわけだが、

「通常なら、相続税を支払うために遺産の一部を処分したりして資金を捻出しなければならないところですが、あの家は特別。相続税の支払いに困るようなことはないでしょう」

 とは、鳩山家の関係者。

「それよりはむしろ、後継者選びのほうで紆余曲折があるかもしれません。長男の太郎氏は元都議会議員。次男の二郎氏は邦夫氏の秘書を経て、現在は福岡県大川市の市長を務めている。すでに2人とも政治との関わりを持っており、普通に考えればどちらが後継者になってもおかしくない」

 しかしこの点、邦夫氏の元秘書(前出)によれば、

「邦夫さんの後継は次男の二郎さんになる可能性が高いと思います。そもそも、太郎さんは1度は都議になったものの、再選はかなわず、参院選でも落選している。一方の二郎さんは秘書として代議士と一緒に福岡の地元で汗を流し、大川市長になった。2人の現在の立場を比べれば、どちらが後継者に相応しいかは一目瞭然です」

 政治家一家の4代目として、起伏に富んだ67年の人生を送った邦夫氏。彼の死去にともなう福岡6区補選は10月23日投開票で行われる予定である。

「特集 『鳩山邦夫』の棺を蓋いて『死因と遺産と後継者』」より

「週刊新潮」2016年7月7日号 掲載

新潮社

4058名無しさん:2016/08/21(日) 20:24:54
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016082100114&g=pol
宮本一三氏死去(元衆院議員)

 宮本 一三氏(みやもと・いちぞう=元衆院議員)17日午後9時10分、腎不全のため京都府八幡市内の病院で死去、84歳。兵庫県出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻遵子(じゅんこ)さん。
 93年衆院選で旧兵庫2区から旧新生党公認で立候補し初当選。その後、旧新進党を経て、2000年は自民党から出馬し3度目の当選を果たした。文部科学副大臣などを歴任した。(2016/08/21-14:31)

4059とはずがたり:2016/08/23(火) 08:20:31
「一村一品運動」提唱 平松元大分県知事が死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160823/k10010650101000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002
8月23日 6時30分

前の大分県知事で地域興しの先駆けとなる「一村一品運動」を提唱した平松守彦さんが、21日、入院先の大分市の病院で亡くなりました。92歳でした。
平松守彦さんは当時の商工省、現在の経済産業省に入省し、その後、大分県の副知事を経て昭和54年の大分県知事選挙で初当選を果たしました。
6期24年にわたって県知事を務め、この間、地域の特産物を作って全国にPRする「一村一品運動」を提唱し、国内での地域興しの先駆けとなっただけでなく、「ワン・ビレッジ・ワン・プロダクト」と訳され、アジア各国にも広がりました。
このほか、平成14年に日本と韓国の共催で開かれたサッカーワールドカップでは、試合会場を大分県に誘致したほか、日本の組織委員会の副会長も務めました。
家族によりますと、平松さんは大分市内の病院に入院していましたが、21日の夕方に亡くなったということです。

4060名無しさん:2016/08/27(土) 11:59:05
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160825/k10010654101000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_032
前田勲男元法相が死去
8月25日 18時11分
自民党の元参議院議員で法務大臣を務めた前田勲男氏が、今月22日に、脳梗塞のため、東京都内の病院で亡くなりました。73歳でした。
前田氏は和歌山県出身で、サラリーマンを経て、科学技術庁長官や参議院副議長を歴任した父親の秘書を務めました。
そして、父親の死去に伴って、昭和53年に行われた参議院和歌山選挙区の補欠選挙に立候補して初当選し、4回連続で当選しました。
この間、前田氏は参議院議院運営委員長などを歴任し、村山内閣では法務大臣を務めて、オウム真理教による地下鉄サリン事件などへの対応に当たりました。
その後、平成10年の参議院選挙で落選して、政界を引退していました。

4061名無しさん:2016/08/27(土) 16:09:19
>>4060

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016082600395&g=pol
前田勲男氏死去(元法相、元自民党参院議員)

 前田 勲男氏(まえだ・いさお=元法相、元自民党参院議員)22日午前11時7分、脳梗塞により東京都内の病院で死去、73歳。和歌山県出身。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は妻ゆみ子さん。
 1978年の参院補選で和歌山選挙区から初当選し、当選4回。村山内閣で94年〜95年に法相を務めた。 (2016/08/26-12:46)

4062名無しさん:2016/09/05(月) 23:07:04
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160905-00010001-seijiyama-pol
都政に見る歪んだ力関係、国会議員より地方議員の方が強い?
政治山 9月5日(月)17時30分配信

 都知事選を巡る報道で、公認権を持つ都連幹事長の都議が国会議員よりも大きな権力を握っている実態が明らかとなりました。一般的には地方議員よりも国会議員の方が地位が高いイメージがありますが、政党の都道府県連(以下、県連)を仕切る実力者が、地元選出の国会議員を意のままに操る構図は決して東京都だけが例外というわけではありません。

選挙協力という切り札握る地元議員の強み
 2015年1月に行われた佐賀県知事選では、自公の推薦候補に対し、農協改革やTPPに反対する農協関連の政治団体が支援した候補が勝利。敗戦の責任を取って自民党県連の会長を務めていた国会議員は会長を辞任しましたが、保守分裂の選挙戦は事実上、党本部と県連の対立であり、地盤を固めている地方議員の結束の強さを見せつけました。

 県連では、会長が国会議員であっても、実質的な権力は地元の利害を調整できる地方の実力議員が握る、という図式は多くの地方でみられる権力構造です。都知事選の告示前に、元都知事の猪瀬直樹氏が「自民党都連会長は石原伸晃だが、会長は帽子で国会議員や都議会議員の公認権は都連幹事長の内田が握っている」と自身のブログなどで述べています。

 地方議員の力の源泉は選挙協力にあります。猪瀬氏も「副知事就任の直後に千代田区に建設が予定されていた参議院議員宿舎を潰した。千代田区基盤の内田は激昂した。そのため僕が都知事に出馬した際、ポスター2万枚が送り返されてきた。貼ってやらないというのである」と当時の苦境を明かし、自民党の推薦を受けなかったと明かしています。舛添要一氏のカネの問題に始まる都政の混乱は、猪瀬氏にしてみれば2012年12月の都知事選から延々と続く都連の問題であるとの認識のようです。

10月23日の福岡と東京の補欠選も保守分裂の戦いに
 公認争いが生じた場合、水面下では党本部と県連、あるいは党内の実力者同士の熾烈な綱引きが行われています。10月23日に行われる2つの衆院補選でも既に戦いは始まっています。

 鳩山邦夫元総務相の死去に伴う福岡6区と、小池百合子都知事の議員失職による東京10区の選挙戦は、いずれも保守分裂の様相を呈しており、福岡6区は党県連会長の長男と邦夫氏の次男が公認を争っています。東京10区では小池知事が新党結成も視野に入れて臨む方針で、党本部は世論の動向と来夏の都議選なども見据えた対応を検討しているとみられます。

追加公認は、負け戦を避け勝ち馬に乗る“ウラ技”
 こうした分裂選挙の対応として、最近ではどちらにも党の公認を与えず、無所属同士で戦わせて当選者に“追加公認”を与えるパターンが増えています。選挙が終わってから公認するというのは、有権者を蔑ろにしているようにも見えますが、関係者にとっては「事なきを得る」便法の1つです。党は勝ち馬に乗ることで負け戦を避けるメリットがあり、当選者は与党議員として政治活動を行い、次回の選挙でも公認候補として有利な戦いを期待できるメリットがあります。

4063とはずがたり:2016/09/10(土) 19:41:56
なんと。。ご冥福をお祈りします。政治ウオッチ趣味始めて16年以上経つってことなんだな。。

1614 名前:名無しさん[] 投稿日:2016/09/10(土) 19:03:34
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160910-00000105-jij-pol
加藤紘一氏死去、77歳=官房長官、自民幹事長を歴任
時事通信 9月10日(土)18時29分配信

 官房長官や自民党幹事長を歴任し、一時は首相候補と目された加藤紘一(かとう・こういち)元衆院議員が9日午後0時45分、肺炎のため死去した。

 77歳だった。山形県出身。

 東大卒業後、外務省に入省。1972年の衆院選で旧山形2区から初当選した。大平派(宏池会、現岸田派)に所属。大平正芳元首相の薫陶を受け、「宏池会のプリンス」と期待された。

 中曽根内閣で防衛庁長官として初入閣。91年、小泉純一郎元首相、山崎拓元党副総裁との間で「YKK」と称された盟友関係を結び、党内を牛耳っていた最大派閥の竹下派(経世会)に対抗した。

 宮沢政権で官房長官、橋本政権で党幹事長に起用された。98年に宮沢喜一元首相から宏池会会長を引き継ぎ、政界ではこの時期、首相に最も近い人物と見られていた。

 小渕恵三元首相が進めた自由、公明両党との3党連立政権に異を唱え、99年の自民党総裁選で山崎氏とともに小渕氏に挑んだが敗北。総裁選後は冷遇され、反主流派に転じた。

 2000年11月、森政権の倒閣を図った「加藤の乱」が失敗。02年、自身の元事務所代表の脱税事件で責任を問われて派閥会長を辞任し、自民党を離党。その後、議員辞職に追い込まれた。

 03年衆院選で再起を果たし、自民党に復党したが、14選を目指した12年衆院選で落選し、政界を引退。14年5月には共産党機関紙「しんぶん赤旗」のインタビューで、安倍政権による集団的自衛権の行使容認を批判していた。

4064名無しさん:2016/09/10(土) 21:54:32
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160909/k10010678151000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_020
18歳と19歳の投票率 46.78% 地域で大きな差
9月9日 15時27分
7月に行われた参議院選挙で新たに有権者となった18歳と19歳の投票率は全国の平均で46.78%で、都道府県別では最も高かった東京都と最も低かった高知県の差が27ポイントとなるなど、地域によって大きな差があったことがわかりました。
総務省のまとめによりますと、7月に行われた参議院選挙で新たに有権者となった18歳と19歳の投票率は全国の平均で46.78%で、すべての年代の確定投票率54.70%に比べ7.92ポイント低くなっています。

このうち、18歳の投票率は51.28%、19歳の投票率は42.30%で、18歳の投票率が19歳の投票率を8.98ポイント上回っています。
都道府県別に見ますと、18歳と19歳の投票率が最も高かったのは東京都で57.84%、次いで神奈川県が54.70%、愛知県が53.77%となるなど、比較的都市部を中心に高くなっています。

一方、最も低かったのは高知県が30.93%、次いで宮崎県が33.61%、愛媛県が35.78%で、最も高かった東京都と最も低かった高知県の差が27ポイントとなるなど、地域によって大きな差があったことがわかりました。
総務省は、今後投票率が低かった年代や地域の投票率をどう向上させていくか、さらに検討していくことにしています。

4065名無しさん:2016/09/10(土) 22:03:21
>>4063

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160910/k10010680051000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_003
加藤紘一 自民党元幹事長 死去
9月10日 18時05分
自民党の元衆議院議員で、官房長官や党の幹事長など、政府や党の要職を歴任した加藤紘一氏が9日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。77歳でした。
加藤氏は、山形県鶴岡市出身で、東京大学を卒業後、外務省を経て、昭和47年の衆議院選挙で旧山形2区から立候補して初当選し、13回当選しました。この間、第2次中曽根改造内閣で、防衛庁長官として入閣し、その後も、宮沢内閣の官房長官や、党の幹事長、政務調査会長など、政府や党の要職を歴任しました。
自民党内では、総理・総裁の有力候補とされ、平成10年には派閥を宮沢元総理大臣から引き継ぎ、会長に就任しました。
また、加藤氏は、小泉・元総理大臣、山崎・元自民党副総裁と近かったことでも知られ、3人の盟友関係は「YKK」とも呼ばれました。
こうした中、平成12年秋の臨時国会で、内閣支持率が低迷していた当時の森総理大臣の退陣を求めて、野党側が提出した森内閣に対する不信任決議案に賛成する意向を示しながら、採決直前に方針を変更した、いわゆる「加藤の乱」を主導し、加藤派は分裂しました。
平成14年には、みずからの事務所の元代表が所得税法違反の罪で起訴されたことを受けて、自民党を離党し、衆議院議員を辞職しましたが、翌15年の衆議院選挙に無所属で当選した後、自民党に復党しました。そして、平成24年12月の衆議院選挙で落選した後、3女の鮎子氏を後継に指名し、政界を引退していました。
その後、加藤氏は体調を崩し、9日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。
森元首相 次を担う人だった
森元総理大臣は、NHKの取材に対し、「加藤氏は、自民党の苦しい時代をともにした政治家の1人であり、非常に残念な思いだ。優秀な政治家で、外交が大変な局面にある今、加藤氏がいてくれればと思うことは何度もある。海外の首脳にも、加藤氏を念頭に、『私の後継は外交に精通した人だ』と紹介したこともあり、本当に次を担う人だと思っていた。それだけに、いわゆる『加藤の乱』の時に、なぜあそこまで急いだのかという思いはある」と述べました。
古賀元幹事長 非常に無念な思い
かつて、自民党加藤派の幹部として加藤氏を支え、いわゆる「加藤の乱」でたもとを分かった古賀誠元自民党幹事長は、NHKの取材に対し、「加藤政権の実現を夢見た1人として非常に無念な思いだ。平成11年の自民党総裁選挙に、加藤氏が当時の小渕総理大臣の対立候補として立候補したが、将来の加藤政権実現のために止めようとして止められなかったのが、いちばん印象に残っている」と述べました。

4066名無しさん:2016/09/10(土) 22:03:31
>>4065

野中元幹事長 「加藤の乱」思い出深い
加藤氏が自民党幹事長だった時、幹事長代理を務めた野中元自民党幹事長は、「大変、立派な人だった。惜しい人を亡くした。政治家としての能力も非常にすぐれていて、指導者としても立派な人だった。『加藤の乱』の時のことが最も思い出深く、当時のことを静かに考えながら冥福を祈っている」と述べました。

自民党の政務調査会長などを務めた亀井静香衆議院議員は、「大変、残念だ。すぐれた政治家だったが、不運な政治家でもあった。総理大臣になる実力もあったが、狙ってはいけない時に狙ってしまった。非常に真面目で純粋な人だったと思う」と述べました。

加藤氏と派閥で行動をともにしていた、自民党の川崎元厚生労働大臣は、NHKの取材に対し、「ウイングの広い政治家で、弱者に対しても、やさしい視点を持った政治家だった。自分が理想とする政治を追い求めた結果、無理をしてしまった。黙っていても総理大臣になれる政治家だっただけに、とても残念だ」と述べました。
山崎元副総裁「英知を失った」
加藤氏と盟友関係にあった、山崎元自民党副総裁は、「訃報に接し、強烈な衝撃を受けた。政界のトップリーダーの1人として活躍し、とりわけ、日中友好の進展などに全力を尽くしてきたほか、平和憲法を守って日本の防衛政策が専守防衛に徹することを強く主張してきた。かけがえのない英知を失ったことを、心より惜しむ」とするコメントを発表しました。
地元では功績をたたえる声
地元、山形県鶴岡市のJR鶴岡駅の前では、驚きや功績をたたえるの声が聞かれました。地元に住む20代の男性は「地域を代表する政治家だったので、よく頑張った方だったと思う」と話していました。
東京から訪れた40代の男性は「いわゆる『加藤の乱』が印象に残っています。偉大な政治家だと思っていたので非常に残念です。驚きました」と話していました。

加藤氏の三女の加藤鮎子衆議院議員は、報道各社の取材に応じ、「亡くなる2日前に会い、日ごろの活動の報告や孫の話をしました。政治家としてはしっかり根を張りながらまわりを見渡せる大木のような人でした。父としてはまじめで頑張り屋の人でした」と話しました。

4067名無しさん:2016/09/11(日) 11:05:33
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016090500523&g=obt
元衆院議員の粟屋敏信氏死去

 粟屋 敏信氏(あわや・としのぶ=元衆院議員)4日午前10時39分、老衰のため東京都内の病院で死去、90歳。広島県出身。葬儀は8日午前11時30分から文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は長男信義(のぶよし)氏。
 建設事務次官を経て、1986年に旧衆院広島1区から出馬し政界入り。当選5回。自民党、新進党などに所属したが、引退前は無所属で活動した。(2016/09/05-15:52)

4068名無しさん:2016/09/11(日) 14:28:33
>>4063

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000275&g=pol
加藤紘一氏死去、77歳=官房長官、自民幹事長を歴任

 官房長官や自民党幹事長を歴任し、一時は首相候補と目された加藤紘一(かとう・こういち)元衆院議員が9日午後0時45分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。77歳だった。山形県出身。葬儀は近親者のみで行う。後日山形県内でお別れの会を開く予定。

 東大卒業後、外務省に入省。1972年の衆院選で旧山形2区から初当選した。大平派(宏池会、現岸田派)に所属。大平正芳元首相の薫陶を受け、「宏池会のプリンス」と期待された。
 中曽根内閣で防衛庁長官として初入閣。91年、小泉純一郎元首相、山崎拓元党副総裁との間で「YKK」と称された盟友関係を結び、党内を牛耳っていた最大派閥の竹下派(経世会)に対抗した。
 宮沢政権で官房長官、橋本政権で党幹事長に起用された。98年に宮沢喜一元首相から宏池会会長を引き継ぎ、政界ではこの時期、首相に最も近い人物と見られていた。
 小渕恵三元首相が進めた自由、公明両党との3党連立政権に異を唱え、99年の自民党総裁選で山崎氏とともに小渕氏に挑んだが敗北。総裁選後は冷遇され、反主流派に転じた。
 2000年11月、森政権の倒閣を図った「加藤の乱」が失敗。02年、自身の元事務所代表の脱税事件で責任を問われて派閥会長を辞任し、自民党を離党。その後、議員辞職に追い込まれた。
 03年衆院選で再起を果たし、自民党に復党したが、14選を目指した12年衆院選で落選し、政界を引退。14年5月には共産党機関紙「しんぶん赤旗」のインタビューで、安倍政権による集団的自衛権の行使容認を批判していた。
 加藤鮎子自民党衆院議員(山形3区)は三女。 (2016/09/10-23:58)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000295&g=pol
悲運の宰相候補=ハト派旗手、「乱」で挫折-加藤紘一氏死去

 加藤紘一氏は、自民党の老舗派閥「宏池会」(現岸田派)を足場に宰相候補として自民党政権の中核を担った。自他共に許す政策通。とかく「お公家集団」とやゆされる宏池会にあって、政局も好んだ。加藤氏の絶頂期にして転落のきっかけとなったのが、2000年11月の「加藤の乱」だろう。森内閣の支持率が急落する中、「われわれが自民党の常識」と倒閣へ突っ走った。
 予兆はその前月にあった。「評論家みたいなことだけ言っていて済むタイミングはもう過ぎたような気がする」。加藤氏は当時まだ3回生だった岸田文雄現宏池会会長のパーティーで、政権どりへぎらつく本心をのぞかせた。毎夜、自宅に詰めかける番記者に、殺到する支持者からの激励メールを自慢げに見せた。
 ネット世論を重視した政治行動という点では最初のケースではなかったか。ただ、ネットと現実政治の間を埋めることはできなかった。野党提出の森内閣不信任決議案への同調という企ては執行部の激しい切り崩しに遭い頓挫。この後幹事長に取り立てられた側近の古賀誠氏から「宏池会の政治に、野党と手を結ぶような奇策を用いてはならない」と批判された。ただ、低迷する自民党政権への危機意識は、加藤氏が誰よりも強かった。
 党内でハト派リベラルの旗手でもあった加藤氏の挫折がその後の政界に与えた影響は少なくない。乱の後、分裂した宏池会は弱体化。宮沢喜一氏を最後に四半世紀近くも首相を輩出していない。2000年以降、党内でタカ派と呼ばれる「清和会」(現細田派)が森、小泉、福田、安倍の各内閣で通算10年以上、政権を担ってきたのとは対照的だ。若手には「これからは政策の時代。政策の勉強をしなさい」と助言していた加藤氏。政局でつまずき、その後政治的影響力を取り戻すことはなかった。
 晩年の加藤氏は親中派としての人脈を生かし、沖縄県・尖閣諸島国有化で悪化した日中関係の改善に意を尽くした。体調を崩し、日中友好協会の会長職を丹羽宇一郎元駐中国大使に譲ったが、最後まで日中の将来を気に掛けていたという。(2016/09/10-19:58)

4069名無しさん:2016/09/11(日) 14:28:45
>>4063

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000313&g=pol
巨木のような政治家=加藤紘一氏死去で娘の鮎子氏

 故加藤紘一氏の三女の加藤鮎子自民党衆院議員は10日、山形県鶴岡市で記者団の取材に応じ、「父はしっかり根を張り、大地を高い所からも見渡すことができる、巨木のような政治家だった。不器用でも優しく、頑張り屋で尊敬できる父だった」と述べた。
 鮎子氏が7日に紘一氏を病院に見舞い、「農家の皆さんの声を聞くことが大事だよね」と声を掛けた際、紘一氏は大きくうなずいたという。鮎子氏は「周囲の方から、加藤紘一のような政治家がいま期待されているという声を頂いていた。若い一政治家としても残念な思いだ」と語った。 (2016/09/10-21:05)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000340&g=pol
山崎拓氏「英智失った」=加藤紘一氏死去

 山崎拓自民党元副総裁は10日、加藤紘一氏の死去について、「終生の畏友だった加藤氏の訃報に接し、強烈な衝撃を受けた。日本の政界がかけがえのない英智を失ったことを心より惜しむ」とのコメントを発表した。
 山崎、加藤両氏は1972年の衆院初当選同期で、小泉純一郎元首相を交えた「YKK」トリオとして盟友関係を築いた。山崎氏はコメントで「加藤氏は比類なき英智の持ち主で、トップリーダーの一人として活躍してきた」とたたえるとともに、「日中友好の進展などに全力を尽くした。平和憲法を守り、専守防衛に徹することを強く主張していた」と振り返った。
 自民党山形県連会長の遠藤利明前五輪担当相も「常に国の将来を考え、導いてくださった。政治の師であり、偉大な目標でもあった」との追悼コメントを発表した。(2016/09/10-22:27)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091100027&g=pol
山崎拓氏「英智失った」=加藤紘一氏死去

 山崎拓元自民党副総裁は10日、加藤紘一氏の死去について、「終生の畏友だった加藤氏の訃報に接し、強烈な衝撃を受けた。日本の政界がかけがえのない英智を失ったことを心より惜しむ」とのコメントを発表した。
 山崎、加藤両氏は1972年の衆院初当選同期で、小泉純一郎元首相を交えた「YKK」トリオとして盟友関係を築いた。山崎氏はコメントで「加藤氏は比類なき英智の持ち主で、トップリーダーの一人として活躍してきた」とたたえるとともに、「日中友好の進展などに全力を尽くした。平和憲法を守り、専守防衛に徹することを強く主張していた」と振り返った。
 自民党山形県連会長の遠藤利明前五輪担当相も「常に国の将来を考え、導いてくださった。政治の師であり、偉大な目標でもあった」との追悼コメントを発表した。(2016/09/11-01:24)

4070名無しさん:2016/09/11(日) 14:48:00
>>4066

言論の自由 訴え続けた
加藤紘一氏は生前、自身の靖国神社をめぐる発言を理由に山形県の実家が放火されましたが、講演や著書で暴力に屈することなく、言論の自由の重要性を訴え続けました。

加藤氏は小泉純一郎氏が総理大臣だった当時、近隣諸国との関係から総理大臣が靖国神社に参拝することに反対していました。小泉氏は総理大臣として最後の参拝を平成18年の8月15日に行い、加藤氏は、参拝後の記者会見でも「かつて日本と戦いを交えた国は、挑戦的な行動だと受け止めざるをえないので、できれば参拝を控えてほしかった」と述べていました。そして、その日の夕方に加藤氏の山形県鶴岡市の事務所と棟続きの実家が右翼団体の男に放火されて全焼し、この男は警察の調べに対し、「小泉総理大臣の靖国神社参拝に関して加藤氏が慎重な発言をするなど、その政治姿勢に不満があった」と犯行の動機を供述しました。

この事件をめぐっては、政界だけでなく、弁護士やジャーナリストなどから「言論を封じるテロを断じて許さない」という批判の声が上がりました。放火された実家に住んでいた加藤氏の高齢の母親は、事件当時、外出していて無事でしたが、加藤氏は事件当初、強いショックを受けた様子でした。それでも、加藤氏は講演などでテロに屈しないという態度を貫き通し、言論の自由の重要性を訴え続けました。

事件後に出版した著書、「テロルの真犯人」の中でも「代議士として国民の負託を受けている以上、発言を曲げることはあってはならないし、これからも、語るべきことは語っていくつもりでいる」と述べたうえで、「昭和初期の、五・一五事件、二・二六事件の例を挙げるまでもなく、テロは自由な言論の最大の敵である。ここで私の心がくじけたら、この国の将来に対して大きな禍根を残すことになる」と、テロに屈しない覚悟を強く示していました。
新華社通信 功績を称賛
加藤氏の死去について、中国国営の新華社通信は、日本時間の10日夜、記事を配信しました。この中で、加藤氏について、「長年にわたって、日本の侵略の歴史を反省するよう呼びかけ、これを美化するような言動を批判してきた。政治家を引退したあとも、安倍政権による自衛隊の集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制を公然と非難し、正義の声を発し続けた」と称えています。
そのうえで、加藤氏が日中友好協会の会長を務めるなど、日中間の友好交流のために力を尽くしてきたことを紹介しました。

4071名無しさん:2016/09/11(日) 17:02:59
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160905-00010001-seijiyama-pol
都政に見る歪んだ力関係、国会議員より地方議員の方が強い?
政治山 9月5日(月)17時30分配信

 都知事選を巡る報道で、公認権を持つ都連幹事長の都議が国会議員よりも大きな権力を握っている実態が明らかとなりました。一般的には地方議員よりも国会議員の方が地位が高いイメージがありますが、政党の都道府県連(以下、県連)を仕切る実力者が、地元選出の国会議員を意のままに操る構図は決して東京都だけが例外というわけではありません。

選挙協力という切り札握る地元議員の強み
 2015年1月に行われた佐賀県知事選では、自公の推薦候補に対し、農協改革やTPPに反対する農協関連の政治団体が支援した候補が勝利。敗戦の責任を取って自民党県連の会長を務めていた国会議員は会長を辞任しましたが、保守分裂の選挙戦は事実上、党本部と県連の対立であり、地盤を固めている地方議員の結束の強さを見せつけました。

 県連では、会長が国会議員であっても、実質的な権力は地元の利害を調整できる地方の実力議員が握る、という図式は多くの地方でみられる権力構造です。都知事選の告示前に、元都知事の猪瀬直樹氏が「自民党都連会長は石原伸晃だが、会長は帽子で国会議員や都議会議員の公認権は都連幹事長の内田が握っている」と自身のブログなどで述べています。

 地方議員の力の源泉は選挙協力にあります。猪瀬氏も「副知事就任の直後に千代田区に建設が予定されていた参議院議員宿舎を潰した。千代田区基盤の内田は激昂した。そのため僕が都知事に出馬した際、ポスター2万枚が送り返されてきた。貼ってやらないというのである」と当時の苦境を明かし、自民党の推薦を受けなかったと明かしています。舛添要一氏のカネの問題に始まる都政の混乱は、猪瀬氏にしてみれば2012年12月の都知事選から延々と続く都連の問題であるとの認識のようです。

10月23日の福岡と東京の補欠選も保守分裂の戦いに
 公認争いが生じた場合、水面下では党本部と県連、あるいは党内の実力者同士の熾烈な綱引きが行われています。10月23日に行われる2つの衆院補選でも既に戦いは始まっています。

 鳩山邦夫元総務相の死去に伴う福岡6区と、小池百合子都知事の議員失職による東京10区の選挙戦は、いずれも保守分裂の様相を呈しており、福岡6区は党県連会長の長男と邦夫氏の次男が公認を争っています。東京10区では小池知事が新党結成も視野に入れて臨む方針で、党本部は世論の動向と来夏の都議選なども見据えた対応を検討しているとみられます。

追加公認は、負け戦を避け勝ち馬に乗る“ウラ技”
 こうした分裂選挙の対応として、最近ではどちらにも党の公認を与えず、無所属同士で戦わせて当選者に“追加公認”を与えるパターンが増えています。選挙が終わってから公認するというのは、有権者を蔑ろにしているようにも見えますが、関係者にとっては「事なきを得る」便法の1つです。党は勝ち馬に乗ることで負け戦を避けるメリットがあり、当選者は与党議員として政治活動を行い、次回の選挙でも公認候補として有利な戦いを期待できるメリットがあります。

4072名無しさん:2016/09/11(日) 23:12:07
http://www.asahi.com/articles/ASJ9B74C5J9BUTFK00J.html
「北極星のような星が消えた」 加藤紘一氏死去を悼む声
2016年9月10日22時30分

 加藤氏の訃報(ふほう)に、政界や地元では悼む声が広がった。

 宏池会を受け継ぐ岸田派会長の岸田文雄外相は「結果を出すべく、政策をどのように学ぶべきか教えて頂いた。偉大な先輩で、寂しく思います」と語った。自民党の茂木敏充政調会長は「要職を務め大きな功績を残された。突然で驚きを隠せない」と悼んだ。

 盟友だった山崎拓元自民党副総裁は「終生の畏友(いゆう)であった加藤氏の訃報に接し、強烈な衝撃を受けました。比類なき英智の持ち主であり、文字通り日本政界のトップリーダーの一人として活躍してこられた」とコメントした。

 加藤氏自身にとっても日本の政界にとっても大きな節目となった2000年の「加藤の乱」。鎮圧する側だった野中広務元幹事長は「あれが本当に大きな分かれ目だった。首相もできる人だったが、自滅した」と述懐。「あの人がうまくやっていれば、中国との関係も、その他の政治課題ももっと解決できた。惜しい人をなくした」と語った。自民党幹事長も務めた生活の党の小沢一郎代表は「彼の最初の立候補にも関わっており、一度は総理にと思っていただけに、それが果たせず亡くなってしまったことは、本当に無念でなりません」との談話を発表した。

 加藤氏は他党の議員とも交流が深かった。自社さ政権にともに参加した村山富市元首相は「立つ位置は違うが、加藤さんの人柄や能力は評価していた。ちゃんと見識を持ってものを言える人がいなくなって惜しいね」。辻元清美衆院議員は「保守リベラルの方向性を指し示してくれていた北極星のような星が消えてしまった」と惜しんだ。

 地元の山形選出の岸宏一前参院議員は「山形県にとって、立派な政治家を失った」と話した。加藤氏とは日中友好に尽くしてきた同県遊佐町の小野寺喜一郎前町長は「彼のライフワークでもある日中友好運動にともに取り組んできたが、尖閣問題で日中がぎくしゃくしている時期だけにアドバイスを頂ければと思っていた。残念です」。

 加藤氏の三女で、地盤を引き継いだ鮎子衆院議員は「7日に息子も連れて病院に会いに行った。私の活動報告などを聞いて、うなずいていた。娘としての寂しさもあるが、政治家としても残念」と話した。

4073名無しさん:2016/09/12(月) 00:03:36
http://blogos.com/article/190078/
鈴木宗男
2016年09月11日 12:12
9月11日(日) - ムネオ日記

 加藤紘一先生が9日亡くなっていたと昨夕のニュースで知る。77歳、早すぎる旅立ちである。

 加藤先生と言えば、「加藤の乱」が政治家としての大きな分岐点だった。あれは、2000年9月から10月にかけ、私は加藤先生から二度ほど相談を受けた事がある。

 「ムネさんの処から20人貸してもらえないか」私は、「加藤先生、あなたは保守本流自民党のエースです。必ず、森先生の後は、あなたしかいません。野中広務先生もそう思っています。野党と組んでのクーデターはいけません。自重して下さい」と二度とも同じ事を言った。

 その後も加藤先生の佐藤秘書から何度となく声がかかったが、私はブレなかった。加藤先生は勝負に出ようとしたが、結局は失敗に終わった。

 政治の世界、「たら」「れば」はないが、あの時、加藤先生も静かにしていれば、間違いなく森喜朗先生の後は加藤先生で、小泉政権誕生はなかっただろう。

 政治の世界、一寸先闇(ちょっとさきやみ)とはよく言うが、一寸(ちょっと)した判断で歴史は変わるのである。

 あの時、私は一つ感激した事がある。世論支持も下がり、森喜朗総理が弱気になっていた。日露関係に強い情熱を燃やしていた森総理が「鈴木さん、俺はダメかもしれない。加藤さんがなる可能性がある。もしそうなっても私に仕えたように、国益の為にも協力してやってほしい」と言われた事がある。

 同じ事を佐藤優さんにも言っていた事を後に知った。政敵になろうとしている人に心広く、温かい思いやりを持ち合わせ、何よりも「国益の為」と言った森総理の人柄、人情、諸々に胸が熱くなったものであった。

 今も森元総理に何かとお世話になっているが、尊敬と親しみをもって接している私である。「加藤の乱」の時、野中幹事長、鈴木総務局長、いわゆる野中、鈴木ラインと言われた時代で、「乱」を治めたのである。

 加藤紘一先生のご冥福をお祈りしてやまない。

4074名無しさん:2016/09/12(月) 00:05:52
http://www.sankei.com/politics/news/160910/plt1609100025-n1.html
2016.9.10 21:26
【加藤紘一氏死去】
評伝・加藤氏のリベラルとは「他人に対する思いやり」ではなかったか

 訃報に接し、平成13年2月、山形県鶴岡市の地元事務所を訪ねた際、揮毫してもらった色紙を自宅の机から引っ張り出した。

 「真実一路」

 昭和47年に33歳で初当選して以降、「宏池会のプリンス」として官房長官や自民党幹事長などを務め、あと少しで頂上に手が届くところで足元の加藤派を固めきれず、あえなく挫折した「加藤の乱」から約3カ月後のことだった。

 こうと信じるところが「真実」であり、貫き通していこうという覚悟のほどがうかがえる。一敗地にまみれ、たどり着いた心境ではなかったか。

 その政治手法をめぐり、快く思わない勢力からは「怜悧」「冷淡」「自分勝手」「優柔不断」などと批判された。ただ、東北人にありがちな「照れ」や「つつましさ」という性格の裏返しという面もあった。

 一方で、自民党を牛耳っていた旧経世会(竹下派)に対抗しようと、小泉純一郎元首相、山崎拓元自民党副総裁と結成した「YKKトリオ」で指導的な役割を果たすなど、現状に小細工なしで風穴をあけようとする強さも併せ持っていた。

 政治理念としていたリベラルについては、その重鎮としての強烈な自負心を持ち続けていた。振り返るに、加藤氏のリベラルとは「他人に対する思いやり」ではなかったか。

 数年前、都内で食事をともにする機会があった。体調を崩しており、数センチの段差につまずいて私の左肩に弱々しくもたれかかった。不意に政治向きの話題になったとき、こんな不満を漏らした。

 「自民党には信念を持った『リベラル』派がいなくなった。先々が心配だ」

 矜持(きょうじ)は最後まで揺らがなかった。(松本浩史)

4075名無しさん:2016/09/12(月) 00:17:45
http://mainichi.jp/auth/guide.php?url=%2Farticles%2F20160911%2Fddm%2F015%2F070%2F017000c
『YKK秘録』 著者・山崎拓さん
毎日新聞2016年9月11日 東京朝刊

 記憶に残る政治家がいる。今や歴史上の人物であり、幾度目かのブームとなっている田中角栄しかり。本書の著者もさまざまな重要局面で政治史に名を刻んだ政(まつりごと)の人である。
 田中角栄内閣時代に衆院議員となり、当選同期の加藤紘一、小泉純一郎両氏と盟友関係を結んだ。頭文字から「YKK」と称された3人は、旧田中派の金権支配と公共事業を巡る政官財癒着の打破を「暗黙知」として行動を共にした。ハイライトは2000年秋の「加藤の乱」とされる。森喜朗内閣打倒を目指す「YK」と森派会長の「K」が対立、後に「YKKは友情と打算の二重奏だ」と喝破した小泉氏がまさかの首相に上りつめる伏線となった“政変”である。
 「あの瞬間だけを捉えると、いがみあったイメージしか残らない。それはYKKの関係としては正確ではない。各派がしのぎを削って活況を呈した時代のシンボルが角栄なら、逆に我々は田中政治を否定する立場で言論戦を挑み、一時代を築いた。今の自民党を見るにつけ、『活力ある政治よ、よみがえれ』と思い、往時のことを継承するために書きました」。55年体制の崩壊前夜のトリオ誕生からYKK時代終焉(しゅうえん)に至る15年間を描いた。内外の政府高官、政治家ら登場人物は全て実名である。
 間近に接した番記者時代、著者が手帳にこまめにメモする姿を覚えている。内容を問うと、「『永田町動物園』の檻(おり)の外で面白おかしく見ているヤツには教えられん。議員バッジを着けてからや、フフフフフ」とけむに巻かれた。派閥の長たる自身をライオンにたとえて、死闘を日々繰り広げているのだと言いたかったのかもしれない。今回の『秘録』は、その克明な日記のたまものだ。
 注目すべきは、防衛族のドンであった著者の「変心」であろう。自衛隊海外派遣の過程で、日本が憲法解釈上禁じた集団的自衛権行使を可能にすべく、米側が解釈改憲を求めて着々と手を打つ姿をリアルに記した。違憲性が指摘される安全保障関連法についても、歴代政権が堅持した政府見解を<揺るがせる政権が誕生したことを、「時代の変化」と見過ごしてよいものだろうか>と一石を投じている。
 ハト派の加藤氏も逝ってしまった。政局劇の回想だけに終わらない、まさに憂国の書である。<文・中澤雄大 写真・中村藍>

4076名無しさん:2016/09/19(月) 11:22:19
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091500052&g=pol
山崎氏「最高のリベラル去った」=故加藤氏しのび合同葬

 9日に死去した加藤紘一元自民党幹事長の同党と加藤家の合同葬が15日、東京・南青山の青山葬儀所で営まれた。「YKK」として小泉純一郎元首相とともに盟友関係にあった山崎拓元副総裁は、加藤氏が生前、憲法9条改正に反対していたことを「君の遺言だ」と呼び掛け、「日本政界最強最高のリベラルがこの世を去った」と悼んだ。
 山崎氏はまた、加藤氏の失脚につながった「加藤の乱」について、「一度も止めなかった僕が悪かった。済まんという他ない」とわびた。小泉氏も参列し、「いずれ総理になると思っていた。惜しい人を亡くした」と弔辞を送った。
 葬儀委員長を務めた安倍晋三首相(党総裁)は「いわゆるYKKとして大きな旋風を巻き起こし、自民党政治に新しいダイナミズムを与えた」と故人をたたえた。 (2016/09/15-13:08)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091500605&g=pol
今後の主な政治日程

【2016年】
 9月 臨時国会召集
10月 衆院東京10区、福岡6区補選
11月 米大統領選
12月 プーチン・ロシア大統領来日
【17年】
  夏 東京都議選
【18年】
 9月 安倍晋三首相の自民党総裁任期満了
12月 衆院議員任期満了
【19年】
 4月 統一地方選
  夏 参院選
10月 消費税率10%に引き上げ(予定)
【20年】
 7月 東京五輪・パラリンピック(2016/09/15-15:23)

4077名無しさん:2016/09/19(月) 13:40:28
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200429&g=pol
15日に加藤紘一氏合同葬=安倍首相が葬儀委員長-自民

 自民党は12日、故加藤紘一元幹事長の葬儀を15日正午から、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で執り行うと発表した。党と加藤家の合同葬とし、葬儀委員長は安倍晋三首相(党総裁)が務める。喪主は妻愛子(あいこ)さん。
 二階俊博幹事長は12日の記者会見で、加藤氏について「わが党にとっては大変重要な任務を担って活躍されてこられた人物だ。大変残念に思っている」と悼んだ。菅義偉官房長官は同日の会見で「私が初当選した当時の幹事長で、ご指導を頂いた。ご冥福を謹んでお祈り申し上げたい」と語った。
 かつて加藤派に所属していた谷垣禎一前幹事長も、自身のグループの研修会に寄せたメッセージで、「誠に寂しい限りだ。残されたわれわれが頑張っていかなくてはと思う」と惜しんだ。 (2016/09/12-17:27)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200672&g=pol
加藤紘一氏、友好に貢献=中国外務省

 【北京時事】中国外務省の華春瑩・副報道局長は12日の記者会見で、9日に死去した加藤紘一元衆院議員について、「中国人民の古い友人だ。中日友好に長く尽力し、重要な貢献をした。中国は高く評価している」と語った。加藤氏は日中友好協会の会長を務めるなど、両国関係に深く関わった。 (2016/09/12-18:41)

4078名無しさん:2016/09/19(月) 15:42:27
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160915/k10010687441000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_063
加藤紘一元自民党幹事長の葬儀営まれる
9月15日 16時00分
今月9日に亡くなった加藤紘一元自民党幹事長の葬儀が、15日、東京都内で営まれ、生前ゆかりのあった政界や経済界の関係者らおよそ1300人が参列し、別れを惜しみました。
自民党と加藤家の合同葬は正午から東京・港区の青山葬儀所で営まれ、生前ゆかりのあった政界や経済界の関係者らおよそ1300人が参列しました。
最初に葬儀委員長を務めた安倍総理大臣が「『政治家の使命は、地元に行って国政を論ずるのではなく、国政に向けて聞くことだ』という加藤先生の言葉は、自民党の議員全員が肝に銘じなければならず、常に国民と心を一つにしていた先生を失ったことは本当に残念でならない」と弔辞を述べました。
続いて、加藤氏、小泉元総理大臣とともに「YKK」と呼ばれる盟友関係にあった山崎元自民党副総裁は、「『YKK』の連帯は、政治にダイナミズムを与えた君の政治的レガシーの一つだ。日本の政界で最強最高のリベラルがこの世を去ったという思いだ。最後に、いわゆる『加藤の乱』については、一度も止めなかった僕が悪かった、すまんと言うほかはない」と追悼の言葉を述べました。
また、小泉元総理大臣は記者団に「あれだけ優秀な政治家も珍しく、みんないずれ総理大臣になる人だと思っていた。惜しい人を亡くし残念だ」と述べました。
最後に遺族を代表して、妻の愛子さんが「夫は勉強と研究に熱心で、闘病中も丹念に印刷物を切り抜き、10年後20年後の世の中の流れを思い描き、考え続けていた。思う存分生きたと思う」とあいさつしました。
このあと参列者は祭壇に花を手向け、別れを惜しんでいました。

4079名無しさん:2016/09/19(月) 20:28:50
http://blogos.com/article/190714/
田中弥生2016年09月15日 22:40
加藤紘一氏の葬儀に参列して 〜真の保守とは〜

「知的な香りの葬儀」
 加藤紘一氏の葬儀に参列させていただいた。加藤家と自民党の合同葬儀とされ、喪主は愛子夫人、委員長は安倍晋三内閣総理大臣がつとめた。仏壇の中央には、天皇陛下からの御仏前がおかれていた。参列者は現役大臣のほか、YKKで知られた山崎拓氏、小泉潤一郎ほか、著名な政治家OBらが並んだ。

 安倍総理他の政治家、程 永華中国大使のお別れの言葉は、政治家、外交官とし手腕をふるったの加藤紘一氏の思い出でつづられた。しかし、ジェラルド・カーチス氏と愛子夫人が語った氏は、研究者、教育者としての姿だった。愛子夫人によれば、氏の遺品から、几帳面に整理された記事や論文がみつかったそうだ。加藤氏はこうした資料を分析して、日本の未来を描こうとしていたらしく、研究者としての加藤紘一を再認識したと、夫人は語った。そのためであろうか、葬儀はしめやかさや静粛さにに加え、知的な香りが漂っていた。
「加藤氏との出会い」
 私にとって、加藤紘一氏との出会いは言論NPOのイベントだった。言論NPOとは、15年前に、オピニオン誌『論争東洋経済』の編集長だった工藤泰志氏が、当事者性のある知的言論空間を構築することを使命に創設したNPOだ。詳細は省くが、工藤氏が出版社を辞めて言論NPOを立ち上げる契機を作ったのが”加藤の乱”だったのだという。以来、加藤氏は、言論NPOの節目のイベントには必ず顔を出してくださった。同NPOが主催する「東京-北京フォーラム」には毎回出席され、流暢な中国語で講演をされた。病で足が不自由になられても、決して人の手を借りずに階段を降りる姿に政治家としてのプライドを感じた。

 その後、私は、NPO法や市民社会の問題で何度が教えていただく機会をいただいた。当時、筆頭秘書だった五反分正彦氏も熱心に議論に参加してくださった。言論NPOとの共催で立ち上げた非営利組織評価研究会では、講義をしていただいたり、インタビューに応じていただいたが、その内容がブックレット『日本の未来と市民社会の可能性』(言論NPO、2008年)に記されている。改めて読み返してみると、そこには、リベラル派の加藤氏の真骨頂が記されていることがわかる。

4080名無しさん:2016/09/19(月) 20:29:39
>>4079

「加藤氏の語った真の保守」
 加藤氏は、なぜNPOなのかという問いかけに対して、まず映画『はなれ瞽女おりん』を語り出す。「貧乏な農家に盲目の女の子が生まれる。貧しい夫婦にはとても負担になってその子を置いて夜逃げをしてしまう。すると村人たちが集まって、相談する。村のリーダーがとんとんと話すと、ある者はご飯を食べさせ、ある者は子供のお下がりをもってくる。女の子が育ってくると村人は将来のことを案ずるようになる。そこで、盲目の女性に歌や芸を身につけさせて経営をする瞽女宿、つまり就職先を探してくる。」

 映画の中の一連の出来事を、加藤氏は、「一人の視聴覚障害者に対する社会福祉政策、今で言えば、福祉事業のなかの何とか事業と行政的に言われる筋合いのものですが、それがほとんど皆の相談ごとでさっさと進んでいく。きわめてパブリックのことを、お上ではなく、人々がうまく処理していく。」と述べている。

 加藤氏がこれを語ったのは2008年だが、当時は新自由主義を基調とする政策が主流だった。加藤氏は、こうした状況について「社会に隙間ができ、ぎくしゃくするし、政府機能は縮小されてゆくので、公的な活動を積極的に担う人々にがんばってもらわねばならない。」と述べている。そして、NPO法人はそのために必要な仕組みになると考え、熱心に法人制定に尽力していた。
 さらに、本著で、加藤氏は、保守の本質ともいえる持論を展開している。「私は、山形県の鶴岡という、藤沢修平生誕の地で生まれ育ってきたのですが、私たちの保守という基盤はどういうものであったかというと、パブリックなことに貢献する人たちの集まりが実は保守なのです。よく自民党の基盤は特定郵便局だとか、建設業界とか遺族会とか言われていますが、それはここ20年くらいの話でして、本来の自民党の基盤というのは、地域社会のなかで、自分の地域の存在、または存続に責任を持つ側に立とうという人たちの集まりなのです。」

 では、パブリックに貢献する人とはどのような人なのか。加藤氏は、村の祭りを例にとり、「静かに寄付をして、まとめやく側にたって要求をしない。また、祭りの準備のためにより多くの時間をボランティアとして費やす。そして、地域社会には要求型の人もいるからこれがぶつかり合うとまとまらない。先の人々は、まとめ役に側にたって要求側に立たない。」と述べている。つまり自発的に貢献をし、自らの要求を抑えてでもまとめ役を担う人がパブリックに貢献する人だというのだ。そして、保守とはこういう人々の集団、つまり公益のために尽力する人々の集団だというのだ。

 加藤氏の論説を久しぶりに読んではっとさせられた。氏は、NPO法人制度はじめ数多の制度を作ってきたが、氏が語っているのは決して制度や仕組みの話ではないのだ。さらに、NPOなどの組織の話でもない。それは、個々人の生き方の話なのである。 

 天国の加藤氏は、きっとこうおっしゃるに違いない。「制度はつくったが、魂を入れるのは君たちだよ。われわれ日本人に馴染む、地に足のついたパブリックをつくる責任が、君たちにあるのだよ」。

4081名無しさん:2016/09/19(月) 22:32:42
>>4061

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091600363&g=pol
故前田元法相に正三位

 政府は16日の閣議で、8月22日に死去した前田勲男元法相を正三位に叙することを決めた。前田氏は生前、旭日大綬章を受けている。(2016/09/16-11:36)

4082名無しさん:2016/09/19(月) 22:36:43
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091600852&g=pol
「二重国籍、他にも」=神津連合会長

 連合の神津里季生会長は16日の記者会見で、民進党の蓮舫代表の「二重国籍」問題に絡み、「実は二重国籍だという議員が(他にも)結構いると聞く」と述べ、蓮舫氏以外にも存在する可能性を指摘した。ただ、「あまり目くじらを立ててどうこうということではない」とも語り、問題視しない考えを示した。 
 神津会長は、同党の新体制について「新しいモードで発信力、明快さを持ち合わせている蓮舫氏のかじ取りに期待したい」と語った。(2016/09/16-20:20)

4083名無しさん:2016/09/19(月) 23:00:42
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091900255&g=pol
二重国籍、何が問題=「蓮舫首相」は可、禁止の動きも-ニュースを探るQ&A

 民進党代表選で初の女性党首となり、注目を集める蓮舫氏。日本国籍以外に台湾(中華民国)籍を持つ「二重国籍」状態だったことが明らかになったが、そもそも何が問題なのか整理してみた。

 -なぜ二重国籍になったの?
 蓮舫氏は1967年、日本生まれ。父親が台湾人なので、当時の国籍法の決まりで生まれた時から台湾籍だった。17歳の時の85年1月に改正国籍法が施行され、日本人の母親を持つ蓮舫氏は、希望すれば日本国籍を持てることになった。蓮舫氏の説明では、この時に日本国籍を選択し、台湾籍を離脱したつもりでいたそうだ。
 今回、二重国籍と指摘された蓮舫氏は、台湾当局に問い合わせたものの、すぐには確認が取れなかった。9月6日に「念のために」と離脱申請をやり直したが、12日に「台湾籍が残っていた」との回答があったという。
 -国籍法の規定を教えて。
 日本の国籍法は、二重国籍の国民は「いずれかの国籍を選択しなければならない」と定めていて、日本国籍を選んだ人には、外国籍を離脱したことの確認を求めている。だが、実際には国籍離脱を認めていない国もあって、外国籍離脱は「努力義務」にとどめているんだ。
 -日本と台湾は国交がないよ。
 国籍事務の現場では台湾籍も国籍と同じように扱われるから、日本国籍を取得した在日台湾人は台湾籍の離脱を求められる。ただ、台湾の法令は台湾籍離脱に当局の「許可」が必要と定めていて、必ず認められるわけではない。蓮舫氏自身、手続きを終える時期について「相手があることで断言できない」と説明している。
 -二重国籍でも首相や閣僚になれるの?
 日本国籍があれば問題はない。国会議員も同じだ。ただ、外交官については、外務公務員法で外国籍を持つ者の採用を禁止している。
 -蓮舫氏は問題ないのでは?
 結果として法令を順守していなかったことに加え、説明が二転三転したことで、リーダーとしての資質を疑問視する声が出ている。インターネットなどで「二重国籍疑惑」が指摘された当初、蓮舫氏は「(台湾)籍は抜いている」「疑惑はない」などと明確に否定していた。疑いを晴らそうと、不確かな記憶や情報に基づいて答えたことで、かえって不信感を高めてしまった。日本維新の会は、国会議員などの二重国籍を禁じる法案を準備していて、26日に始まる臨時国会でもこの問題を追及する構えだよ。(2016/09/19-17:29)

4084とはずがたり:2016/09/20(火) 18:42:54

伊藤茂氏が死去、88歳=社民副党首、運輸相を歴任
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160920-00000055-jij-soci
時事通信 9月20日(火)10時54分配信

 社民党副党首や運輸相を歴任した伊藤茂(いとう・しげる)元衆院議員が11日死去した。

 88歳だった。山形県出身。葬儀は近親者で済ませた。

 旧社会党職員を経て76年衆院選に旧神奈川1区から出馬し、初当選。連続8回当選した。土井たか子委員長の下で政審会長を務め、93年に発足した細川連立内閣に運輸相として入閣。社会党から党名を変えた社民党で幹事長、副党首を歴任した。

4085名無しさん:2016/09/22(木) 13:04:40
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160915-00006570-sbunshun-pol
21世紀の政治潮流を作った男・加藤紘一逝く
週刊文春 9月15日(木)12時1分配信

 加藤紘一元自民党幹事長が9月9日、77歳で死去した。21世紀の政治潮流を生み出す「産婆役」を、皮肉な形でつとめることになった政治家だった。

「おれは宏池会の国対族だから」

 1990年代初頭、加藤氏は名門派閥・宏池会(現岸田派)で無役のころ、よくこう自称した。宮沢喜一元首相ら東大ストレート合格、旧大蔵官僚出身者が綺羅星のごとく並ぶ宏池会で、加藤氏は一浪、大学生活も5年で外務省入省だった。一般人からみればエリートでも、宏池会においては劣等感を感じていた。「お公家集団」と呼ばれた宏池会の中で、国会対策や政局対応を「得意」としたのは、こうした事情があった。

 大平内閣の官房副長官として頭角を現し、田中派の小沢一郎氏と交友を深めるなど順調にキャリアを築いたが、リクルート問題に名前があがって躓(つまず)いた。政治資金には苦労し、これが後に脱税容疑で逮捕された佐藤三郎元秘書を重用し、事務所の主導権を握られる結果を招いた。

 内政では財政再建、外交では「日米中正三角形論」を唱えるなど、保守リベラルの代表格。だが、幹事長になり、「いつかは首相になる男」と誰もが見るようになった90年代後半から、加藤氏には傲慢さが目立ち始めた。

「加藤の乱」直前には「おれが総理になるのは分かっている。問題はいつ総理になり、何をやるかだ」と内輪では漏らすほどになっていた。そして加藤の乱で「私は幹事長の野中(広務)さんより修羅場をくぐっている」とのセリフを吐いたが、経世会で権力闘争を経験してきた野中氏に、ワルを装う加藤氏がかなうはずはなかった。加藤氏に近かった幹事長経験者はこう述懐する。

「加藤さんは2つ間違えた。あのタイミングで決起したこと。そして、最後に腰砕けになったこと。あのまま突っ込んでいれば、一度は敗れても、改革派として再起のチャンスがあった」

 加藤氏の改革路線は、YKKトリオで末っ子とみられた小泉純一郎氏がそっくり受け継ぎ、首相として自民党を変えた。加藤氏の“墜落”は、自民党リベラルの敗北でもあった。保守本流の小渕派、加藤派に劣後していた「清和会」が全盛を迎える。「加藤の乱」がなければ、小泉政権はなく、安倍晋三氏が戦後最年少で総理に就任することもなかった。「決断」の重さを知らしめた政治人生だった。


<週刊文春2016年9月22日号『THIS WEEK 政治』より>

「週刊文春」編集部

4086名無しさん:2016/09/22(木) 13:52:02
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200429&g=obt
15日に加藤紘一氏合同葬=安倍首相が葬儀委員長-自民

 自民党は12日、故加藤紘一元幹事長の葬儀を15日正午から、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で執り行うと発表した。党と加藤家の合同葬とし、葬儀委員長は安倍晋三首相(党総裁)が務める。喪主は妻愛子(あいこ)さん。
 二階俊博幹事長は12日の記者会見で、加藤氏について「わが党にとっては大変重要な任務を担って活躍されてこられた人物だ。大変残念に思っている」と悼んだ。菅義偉官房長官は同日の会見で「私が初当選した当時の幹事長で、ご指導を頂いた。ご冥福を謹んでお祈り申し上げたい」と語った。
 かつて加藤派に所属していた谷垣禎一前幹事長も、自身のグループの研修会に寄せたメッセージで、「誠に寂しい限りだ。残されたわれわれが頑張っていかなくてはと思う」と惜しんだ。 (2016/09/12-17:27)

4087名無しさん:2016/10/02(日) 01:50:06
>>4067

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016093000275&g=pol
故粟屋敏信元衆院議員に従三位

 政府は30日の閣議で、今月4日に死去した粟屋敏信元衆院議員を従三位に叙することを決めた。粟屋氏は生前、旭日重光章を受けている。 (2016/09/30-10:33)

4088名無しさん:2016/10/02(日) 11:21:16
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160921-00010000-senkyocom-pol
蓮舫議員の「二重国籍」疑惑、公選法違反の可能性を専門家に聞いてみた
選挙ドットコム 9月21日(水)10時31分配信

「二重国籍」疑惑とは?
9月15日実施の民進党代表選挙で優勢を保つ蓮舫参議院議員。ところが、アゴラに掲載された八幡和郎氏の記事をきっかけに、全国紙でも蓮舫議員の「二重国籍」疑惑についての報道がなされ、注目が集まっています。

仮に二重国籍であったなら、立候補は問題なかったのか、国籍についての詐称は当選無効に値するのではないか、という声も上がっています。果たして蓮舫議員の疑惑は、公選法違反に問われるものなのか検証してみました。

蓮舫議員は「1967年 東京都生まれ 台湾人の父と日本人の母との間に生まれ(公式HPより)」、36歳の2004年の参院選東京選挙区で初当選し、現在3期目です。6日の記者会見では国籍について次のように述べています。

「昭和60年に日本国籍を取得し、台湾籍の放棄を宣言した。このことによって私は日本人となった。日本国籍を日本の法律のもとで選択しているので、台湾籍は有していない」(NHK9月7日)

蓮舫議員の「二重国籍」疑惑とは、この台湾籍が本当に放棄され、日本国籍のみになっているのかという疑惑です。また、その事実によっては蓮舫議員のこれまでの言説が経歴詐称ではないかという声も上がっています。

日本の国籍を選択する場合は「外国籍を離脱する」か「日本国籍を選択し外国籍を放棄する宣言」をしなければなりません。蓮舫議員の説明では後者を選んだものと思われますが、この制度には以前から下記のような指摘もあります。

日本国籍を選択して外国の国籍を放棄する宣言は、我が国に対しての宣言であり、直ちに二重国籍の当該外国に何らかの影響を及ぼすものではない。我が国と同様な法制を採っている国においては、日本国籍を選択することによって自動的に当該国の国籍を喪失することもあり得るが、なかなか離脱ができない法制の国もあるため、離脱ができるような条件になれば外国籍を離脱して日本国籍のみにするよう努めなければならない旨を訓示規定として置いており、それに従わないからといって直ちに日本の国籍を喪失させることまでは考えていないため、外交上特に問題になることはない。(参議院調査室作成資料『立法と調査』平成21年8月1日掲載論文「重国籍と国籍唯一の原則」より抜粋)

つまり、蓮舫議員が「日本国籍を選択し外国籍を放棄する宣言」をしただけでは、真に台湾籍が放棄されたわけではない可能性があり、「改めて台湾に確認を求めているが、今なお確認はとれていないので、台湾籍を放棄する書類を提出した」と報じられています。(NHK9月7日)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板