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尾張藩日誌

1nanashibanana:2013/06/14(金) 01:31:01
尾張藩に関するニュース

2尾張藩士の役職、給料を簡単検索…「名古屋城下お調べ帳」が話題に:2013/06/14(金) 01:32:12

2013年5月14日 09:42  スポニチ

 名古屋市博物館(瑞穂区)が江戸時代の尾張藩士約3万7000人の役職や給料、住所などを簡単に検索できるデータベースを収めたDVD「名古屋城下お調べ帳」を発売し、話題を呼んでいる。

 博物館によると、尾張徳川家の蔵書を保存公開している蓬左文庫に残る、藩士の役職や石高などをまとめた「藩士名寄」や、系図を記録した「士林泝かい」を解読、電子化した。江戸時代中期から後期の名古屋城下図を収録しており、現代の地図と重ねて閲覧できる。

 例えば「河村」の名字を検索すると、倹約政策を推し進めた当時の将軍・徳川吉宗に異を唱え、規制緩和を進めて繁栄をもたらしたとされる7代藩主・宗春の小姓を務めた藩士に、河村たかし市長と同姓の人物がいたことが分かる。

 城下に暮らす町人約1500人の商売や居住地も収録したほか、いつ、どこで、どんな見せ物興行があったか調べることもできる。

 蓬左文庫の調査研究員として15年にわたり、解読に取り組んできた松村冬樹さん(63)は「膨大な資料をワンクリックで検索できるようにまとめた。歴史小説執筆や研究に役立つだけでなく、一般の方も先祖を調べたり、城下歩きをしたりと、楽しんでもらえるはず」と太鼓判を押す。

 DVDは2500円。問い合わせは、博物館学芸課、電話052(853)2655。

ttp://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/05/14/kiji/K20130514005801270.html?feature=related

3 伊東家先祖の秘話紹介 子孫が中津川市苗木で講演:2013/06/14(金) 01:35:16
2013年06月11日09:02 岐阜新聞

 中津川市苗木に居城を構えた苗木藩と縁の深かった、恵那市飯地町の旧家伊東家14代当主伊東祐朔さんが、中津川市苗木遠山史料館で講演した。江戸時代に苗木藩と尾張藩との山林をめぐる訴訟沙汰の解決に奔走した先祖の姿や、明らかになった伊東家のルーツを語った。

 伊東さんは、史実を基に著作2点を出版している。自宅で発見した古文書「市政家歳代記(いちまさけさいだいき)」の解読を同館の調査員に依頼。講演会では判明した史実を紹介した。

 伊東さんによると、伊東家は 豊臣家の家臣で、関ケ原の戦いで兄弟が分かれて戦い、徳川方の弟は日向国(宮崎県)の飫肥(おび)城主、敗れた兄は八百津町の和知城主を頼り、その後、苗木藩に身を寄せて飯地町に住み着いたという。

 講演会には市内外から訪れた約80人が聴講。1万石の苗木藩と62万石の御三家筆頭尾張藩の、村人による山林の境界争いでは、医師だった7代目遊亀が苗木藩の命を受け、克明な記録を取ったことを紹介。苗木藩側の役人や村人を陰で支えた7代目の活躍を伝えた。

 また、大火に遭った京都や和歌山の寺院が伊東家に寄進を求めていたことにも触れ、伊東さんは「先祖は隠れ住んでいたのに知られていたようだ」と秘話を披露した。

 同館では30日まで、伊東さんが同館に寄贈した歳代記を含む古文書、刀剣や絵画など約60点を公開している。

ttp://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20130611/201306110902_20213.shtml

4 伊東家先祖の秘話紹介 子孫が中津川市苗木で講演:2013/06/14(金) 01:38:24
東京都新宿区通りを八基の神輿が行く! 花園神社で例大祭開催
OFFICE-SANGA  [2013/05/23]マイナビニュース

東京都新宿区の花園神社で、例大祭が行われる。期間は5月25日(土)〜27日(月)まで。

同祭りは、毎年5月の28日に最も近い土曜・日曜・月曜に行われる。初日には、宵宮(よいみや)祭を実施。続いて2日目に、大祭式(たいさいしき)・氏子八町会の神輿(みこし)の連合渡御、3日目には後宴祭が行われる。

今年は「陰の年」にあたることから、花園神社氏子八カ町の八基の神輿が神社に集合し、明治通り、靖国通り、新宿通りを練り歩く。ちなみに、「表の年」には、獅子頭と島田囃子をのせた山車を先頭に本社神輿と雷電神輿の二基の宮神輿が登場する。

同神社境内では、里神楽やかっぽれ、お囃子の奉納があるほか、約100店の露店が軒を連ねるとのこと。
花園神社とは?

かつて、同地は尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたことから、「花園稲荷神社」と呼ばれたのが社名の由来。昭和40年に、雷電稲荷神社、大鳥神社を合祀するに至って「花園神社」が正式な名称となった。

江戸時代から芸能との縁が深い神社で、境内には芸能浅間神社が祭られ、多数の芸能人が参拝に訪れるという。

ttp://news.mynavi.jp/news/2013/05/23/198/index.html

5nanashibanana:2013/06/14(金) 01:42:00
金運に効くパワースポット! 不況知らずの名古屋にある『徳川園』
2013.05.27 月 占い総合サイト ハピズム

――誰もが知っている有名どころばかりがパワースポットじゃない! 身近で意外な場所にも、神聖なパワーがあふれているんです。それはヒーラーや占い師などが顧客にだけ教えている秘密の場所。そんなパワースポットをこっそりご紹介します。

 日本で一番パワーがある場所――それはどこかといえば、東京でも京都でもなく、名古屋だとか。そう語るスピリチュアル・レダさんと、名古屋のパワスポを探しに行ってきました。

 名古屋といえば、徳川家発祥の三河国でも有名ですが、現在でもトヨタのお膝元ということで、ほかの地方に比べ、不況に巻き込まれにくい土地として知られています。

 そんな名古屋のパワースポットは、やっぱり名古屋城? それとも栄? と思いきや……やってきたのは、ここ『徳川園』でした!

 徳川園は、尾張藩2代藩主徳川光友の隠居所の大曽根御屋敷跡で、いわゆる徳川家の大名庭園。園内には尾張藩江戸下屋敷戸山荘跡から発掘された龍門の瀧の遺構を移設した滝や茶室、美術館も併設した、地13万坪もの大庭園なのです。

 さて、さっそく庭園内に入ってみましょう。レダさん、どうですか?

「うーん、この中はあまり気がよくありませんね」

 有名な滝で、しかも龍を施しているというのに、それはどうしてですか?

「徳川園がまだ大名屋敷で中に入ってくる人が少ないときは、もっとパワーがあったと思いますが、今では観光客が落としていく、よくない気がたまっているようです」

 むむむ! それでは、ここまで来たかいがありません。徳川のパワーは、どこにあるのでしょう?

「池も、あまりよくありませんね……ドロドロした怨念を感じます」

 レダさんいわく、かつてここで争いごとが多く起こった陰りが見えるそう。徳川の気は、もうどこにも残っていないのでしょうか……。2人で園内をあちこち歩き回りましたが、これといって気のいい場所もなく、疲れ果てて帰ろうとしたそのとき!

「ありました! ここがすごくいいですね!! 出会いや金運がよくなる龍脈が、ここには流れています。この道を通ることで運が開けますよ。特に、この木に触れるとパワーがアップしますよ」

 徳川園の前にある道が、ここのパワースポットだったのです。タクシー乗り場の前にある木は、今まで何百年という間、徳川を守ってきたとも。華やかな庭園よりも、見過ごしてしまうような木のほうがパワーを持っている。なんだか人生の深淵を見たような気がしました。
(カシハラ@姐御)

ttp://happism.cyzowoman.com/2013/05/post_2362.html

6nanashibanana:2013/06/14(金) 01:44:24
本丸御殿をイメージしたもなか
名古屋開府400年記念 両口屋是清
2010年1月26日 中日新聞

和菓子「千なり」で知られる両口屋是清(名古屋市)は、今年の名古屋開府400年を記念した新商品「本丸御殿もなか」を30日に発売する。

 2種類あり、名古屋城本丸御殿を図柄にしたもなかは、白みそを使ったあんを包んだ。尾張藩初代藩主徳川義直の正室、春姫の嫁入りのかごを図柄にしたもなかは、国産の大島桜の葉と八重桜の花びらをすりつぶしてあんに混ぜた。

 1箱に3個ずつ入っており、価格は1050円。「観光や出張の際のお土産として利用してほしい」と同社。JR名古屋駅構内のキヨスク3店と中部国際空港内のセントレア銘品館のみで扱う。売り上げの一部は本丸御殿の復元のための積立基金に寄付する。

(2010年1月26日)
ttp://opi-rina.chunichi.co.jp/topic/20100126-4.html

7nanashibanana:2013/06/14(金) 01:45:55
<名古屋城 本丸御殿、再び>(1) 焼失から復元へ

2013年5月24日 中日

 真っ黒い空に吸い込まれるように、赤い炎が立ちのぼっていた。

 「あーっ、お城が燃えちゃう」

 ばらばらと落ちてくる焼夷(しょうい)弾を逃れて、名古屋城北側のお堀に飛び込んだ牛田壬子(よしこ)さん(84)は叫んだ。当時は十六歳。百メートル先にそびえる天守閣の三階から火が噴き出していた。

 B29爆撃機四百八十機が襲来した一九四五(昭和二十)年五月十四日朝の名古屋大空襲。市北部への局地的な爆撃で、焼夷弾が投下された一帯は火の海となり、黒煙が空を覆った。

 三時間くらいたっただろうか。猛火がおさまるまで水に漬かり、石垣にしがみついていた。お堀から上がると、焼け残った市電の架線だけがキラキラ光っていた。

 牛田さんにとって、名古屋城は自分の庭みたいな場所だった。幼いころ学校から帰ると、友だちと城内をあちこち駆け回った。

 けれども本丸御殿は別格。間近で見たのはたった一度しかない。「天皇陛下がお泊まりになる離宮だったから、子ども心に近づこうとも思わなかった」

戦災で焼失する前の名古屋城本丸御殿(手前)と天守閣=名古屋市提供
写真

 小学六年の見学旅行で本丸御殿を訪れ、玄関にあるトラの絵にギロリとにらまれた。廊下を歩くとウグイスのようにキュッキュッと音がするとも説明されて、じっと耳を澄ました。

 その三百年余の歴史を秘めた天守閣や本丸御殿が、わずか数時間で消えうせた。「いつでも行ける、あって当然だと思っていたのに」。悲しくてしょうがなかった。

 戦後間もなく、シンボルをなくした名古屋に天守閣を再建する話が持ち上がった。それよりも住宅を造れと大論争になったが、市民の寄付金も後押しになって五九(昭和三十四)年、金シャチをいただく姿が戻った。「コンクリート製だけど、やっぱりあるといい」と牛田さん。

 次は本丸御殿だ、と本格的な検討が始まったのは今から十五年前。四年がかりでまとめられた検討委員会の報告書には、復元の意義がこう記されている。「天守閣を武の象徴とすれば、本丸御殿は文の象徴。両方がそろって、名古屋城はよみがえる」

 名古屋市は百五十億円かかる事業費のうち三分の一を寄付金で賄う考えで、三月末までに四十九億円が集まった。戦災を免れた精密な実測図や写真を基に、江戸初期の姿をまとった本丸御殿がお目見えする。

 牛田さんは本丸御殿を訪れた七十二年前の記憶をたぐり寄せるが、細部までは思い出せない。「玄関でトラがにらんどったのは間違いない。公開されたら、それを確かめに行かないかんわ」

 玄関や表書院の一般公開が二十九日に始まるのを控え、名古屋城ガイドボランティアの伊藤喜雄さん(64)は、訪れる人たちにどう魅力を伝えようか考えを巡らしている。

 国宝だった四百年前の建物そのものではない。言ってみれば、現代の名工たちが伝統を受け継ぎ、復元された平成の本丸御殿だ。「その価値をはぐくむ歴史は今から始まるんです」

 空襲による焼失、そして復元された本丸御殿。玄関が開き、次代につなぐ新たな一歩が始まる。

     ◇

 国宝に指定されていた名古屋城本丸御殿が空襲で焼失して六十八年。復元工事は第一期の玄関・表書院が完成し、二十九日から一般公開される。在りし日の御殿に思いをはせ、復元に携わる人々の歩みをたどる。

 <名古屋城本丸御殿> 尾張藩主の住まいとして徳川家康が建築を命じ、1615年2月に完成。34年には3代将軍家光の上洛(じょうらく)に合わせて上洛殿などが増築され、将軍専用の建物になった。1930年、天守閣とともに城郭建築として国宝第1号に指定されたが、45年の空襲で焼失した。

ttp://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130524/CK2013052402000043.html

8nanashibanana:2013/06/14(金) 01:50:24
<名古屋城 本丸御殿、再び>(2) 400年前を取り戻す 
2013年5月25日 中日



 柱や梁(はり)のつなぎ方さえ分からない。復元工事現場を指揮する魚津社寺工務店(名古屋市中川区)の総棟梁(とうりょう)水口春夫さん(59)は三年前、名古屋城内の作業場で頭を抱えた。

 建物の図面はある。一九三二(昭和七)年に作られた実測図をはじめ、復元に向けて文化財建造物保存技術協会(文建協、東京)が作った設計図、往時の写真もある。

 しかし、どれも完成した建物の姿ばかり。「外観は分かっても、どんな技術で建てたかは分からなかった」。水口さんは、二十九日に一般公開される玄関と表書院を見上げ「よくここまできた」と、しみじみ語る。

 失われた技術を取り戻す試みだった。目指したのは、本物を当時の技術で建てること。「木材同士をつなぎ合わせる部分の形状は、時代や土地によって変わる。四百年前にどんな形だったのか」と悩んだ。

 床板や天井板の固定方法でも行き詰まる。「目鎹(めかすがい)」と呼ばれるL字形の金具や竹製のくさびを使うことは分かっても、具体的な本数や形は資料が残っていない。

 同じ時代に作られた文化財の解体報告書、その中でも特に名古屋城の本丸御殿を担当した京都の大工が手掛けた二条城の報告書を読み込み、文建協の専門家に助言をあおいだ。各部の実物大の模型を作っては専門家や大工仲間と議論を重ね、四百年前の技にこだわった。

 その水口さんを、若手の大工たちが支えた。現場は二十代から八十代の職人が顔をそろえる。大工になって十四年目の山本猛宜さん(32)は、作業を始めてから三年で頼もしい職人に育った。

 材木を加工する時に使う実物大の型紙を作っていた時のこと。「これでは柱が組めないんじゃないですか」。頭で建て方を完璧に理解していたから、そうした指摘ができた。

 名古屋市は復元に当たり、地元の職人を半分以上使うことを目標に掲げた。第一期工事に携わった職人の数は延べ一万人だが、おそらく三分の二は東海地方の職人という。

 岐阜県高山市から建具職人、三州瓦で知られる高浜市からは瓦師。金物細工では、京都や栃木県日光市の第一人者に地元の職人がついて腕を磨いた。

 名古屋は代々、神社や仏閣建築を担当する堂宮大工が活躍してきた土地でもある。東本願寺名古屋別院の本堂を造った伊藤平左衛門、熱田神宮の棟梁を務めた岡部又右衛門…。魚津社寺工務店の魚津源二会長(74)は言う。

床板を止める「目鎹」=名古屋市中区の名古屋城で
写真

 「本丸御殿復元は、尾張の大工の魂を継ぐ仕事なんですよ。私には、四百年後も御殿の立っているイメージが、はっきりとあります」

<本物へのこだわり> 本丸御殿復元事業の全体で使用する木材は、東大寺南大門のほぼ2倍に当たる計2100立方メートルに上り、大半をヒノキが占める。建物内部など目に見える部分の半分以上は木曽ヒノキにした。御殿は延べ床面積3100平方メートルで、部屋数は30以上、柱の数は約550本にもなる。名古屋大空襲による焼失前の資料に基づき、復元に当たって1本ずつ木の種類や木目、節の有無なども細かく指定。仕上げ加工も手作業を重視した。壁土作りは、わらを混ぜ込んで3年ほど熟成させる伝統的な手法を用いている。

ttp://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130525/CK2013052502000045.html

9nanashibanana:2013/06/14(金) 01:53:08
<名古屋城 本丸御殿、再び>(3) 障壁画を復元模写 平成の絵師たち

2013年5月26日

 名古屋城の西の丸展示館一室。畳の上にふすま絵の原寸大写真が並ぶ。静まり返った空間で、絵師たちは膝を落としてかがみ込み、写真の上に重ねたフィルム紙に透かし上がった人物や風景を黙々と写し取っていく。

 本丸御殿の障壁画の復元模写に当たるのは二十〜六十代の十人。障壁画をめぐって、河村たかし名古屋市長が本物を展示するよう指示し、論議を呼んだが、そんな雑音に手を止めることはない。

 今、手掛けているのは、将軍が宿泊するために建てられた上洛(じょうらく)殿の「帝鑑図」。徳川幕府の御用絵師「狩野派」を代表する狩野探幽(一六〇二〜七四年)が描いた最高傑作の一つだ。

 絵師たちは、フィルム紙に写し取った下絵を鉄筆でなぞり、下に重ねた和紙に線を落とす。そして、色付け。できる限り、当時と同じ絵の具、同じ技法で。目指すのは、四百年前の本物の再現だ。

 一九四五(昭和二十)年五月の空襲で本丸御殿は焼失したが、ふすま絵や天井板絵などの障壁画は、城内の倉庫に運び出されていたため、難を逃れた。五六年までに、千四十七面が国の重要文化財に指定された。

 「戦災も乗り越えた名古屋の宝が死んでしまう」。市博物館の学芸員だった奥出賢治さん(67)は、志願して八四年に名古屋城に異動すると、障壁画の復元模写を提案した。戦後ずっと、学芸員不在で保存状態が良好といえなかったからだ。

 「現物を保存しながら、忠実に復元することで、後世の人にも本物の良さを感じてもらいたい」と考えた。

 市への粘り強い働き掛けが認められ、九二年に模写が始まった。託されたのは当時、古典絵画模写の第一人者だった県立芸術大講師の画家林功さん。「現物を見る時、息がかからないようハンカチで口を覆っていた。そんな真摯(しんし)な姿が素晴らしかった」(奥出さん)という。

 だが、林さんは二〇〇〇年秋、出張先の中国・西安で交通事故に遭い五十四歳で急逝。後を継いだのが林さんの東京芸術大の後輩で、瑞巌(がん)寺本堂障壁画(宮城県松島町)などの模写で実績が高く評価されていた加藤純子さん(64)=東郷町=だった。

 名古屋市東区生まれの加藤さんは高校生の時、名古屋城で特別公開された本丸御殿の障壁画を見て、伝わってくる作品の力に身震いした。「この絵を模写したい」。古典模写の道を志すきっかけとなった。

 模写がスタートした九二年には、林さんとともに本丸御殿を代表する「竹林豹(ひょう)虎図」を復元模写した。仕事を引き継いだ時は「運命を感じた」という。

 加藤さんらが、本物を見られるのは年四回ほど。与えられた時間は、全神経を注ぎ、当時の絵師が作品に込めた意図を感じ取る。「本物からは、時代を超えて、作者の思いが伝わってくるんです」

 「天才絵師の所業に圧倒される日々」とは、復元模写に携わって十五年になる塚本敏清さん(53)=名古屋市中区。一方で、「平成の絵師」としての自負ものぞかせる。「四百年、千年後には重要文化財として評価されるような本物をつくっているんです」

 <本丸御殿の障壁画>日本画史上最大の画派「狩野派」の絵師たちによって描かれた。ふすま絵、天井板絵、杉戸絵など約1300面あったとされ、規模は国宝・二条城二の丸御殿(京都)と並ぶ。現存する1047面が国重要文化財に指定されている。復元模写事業では、現物や焼失前の写真を基に1300面を復元している。2012年度末でふすま絵を中心に455面が復元された。

10nanashibanana:2013/06/14(金) 01:54:42
<名古屋城 本丸御殿、再び>(4) 山守の教え
2013年5月27日 中日



 かつて尾張徳川家の領地だった長野・木曽の森。名古屋市千種区の鈴木裕子さん(54)は、山の斜面を転げ落ちないように踏ん張りながら、くわを握った。水気を含んだ土壌にヒノキの苗木を植えると、時折強く降る雨も天の恵みだと思えてくる。

 今月十一日、名古屋から大型バスで年に一度の植樹に訪れた。これで四回目。二年前、太い幹をした木曽ヒノキの下に自然に芽を出した若木を見つけ、家に持ち帰って植木鉢で育てた。

 「名古屋で大きくなったあなた。頑張ってもっと大きくなってね」。祈りを込めてこの日、少し丈が伸びた若木を里帰りさせた。

 「私はあと百年も生きられないけれど」と鈴木さん。名古屋育ちのヒノキは二百年、三百年と大きくなってくれるだろうか。「いつか本丸御殿を修復する時が来たら、役に立つとうれしい」

 ヒノキ材は可能な限り木曽ヒノキを使うこと−。本丸御殿の復元工事には異例の注文が付けられている。柱や梁(はり)など、表から見える部分の化粧材に限れば木曽ヒノキを五割以上使うように求める数値目標まである。

 空襲で焼失した本丸御殿にも、木曽ヒノキが多く使われていた。「裏木曽」と呼ばれる岐阜県中津川市加子母(かしも)の旧家から四百年前に名古屋城のため裏木曽から二万五千本を切り出した、との古文書が見つかっている。

 旧家の主は内木(ないき)哲朗さん(54)。江戸時代、尾張藩から木曽ヒノキの森を管理する「山守(やまもり)」に任命された内木家の子孫だ。代々「彦七」を襲名し、哲朗さんは二十代目に当たる。

 「山火事防止に盗伐の取り締まり、新築の家にヒノキが使われていないかも監視していました」。蔵にあった三万点もの古文書には、一年のうち二百六十日くらい山小屋を転々とする山守の暮らしが記録されていた。

 山守を置いた背景には尾張藩の危機感がある。江戸初期に城下町の建設ラッシュで木が乱伐され、「尽山(つきやま)」と呼ばれてヒノキなどが枯渇する事態に。このため、入山や伐採を禁じて森を保護する仕組みをつくり、禁を犯すと「木一本、首一つ」とされるほど厳しく取り締まった。

 さらに地元の庄屋を武士の身分に取り立て、山を管理させたのが山守だった。内木家は一七三〇(享保十五)年に任命され、明治維新まで代々務めた。

 「山守がいたころの林業に学ぶことは多い」と哲朗さん。六十六年で木を使い、木を植え、木を育てる「六十六年一周之仕法(いっしゅうのしほう)」という循環計画を実践し、荒廃していた山をよみがえらせた。

雨の中、「もっと大きくなって」と願いを込めて植樹した鈴木裕子さん=長野県木曽町で
写真

 「自分の世代のために、木を植えるのではありません。森づくりとは次の世代につなぐリレーなんです」

 哲朗さんは年輪を重ねた木曽ヒノキの幹に手をやり、先祖の教えを反すうした。

 <名古屋市民の森づくり>多くの木曽ヒノキを使う名古屋城本丸御殿の復元事業の一環で、長野県木曽町戸立と岐阜県中津川市加子母の山林で2008年から年1回ずつ、名古屋市民による植樹を実施。かつて尾張徳川家の領地だった木曽(長野県木曽郡)、裏木曽(岐阜県中津川市加子母、付知、川上)との交流を深めている。ヒノキを中心にイタヤカエデ、ヤマザクラなどの広葉樹を含め、10年間に1万本の植樹を目標にしている。

ttp://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130527/CK2013052702000053.html

11nanashibanana:2013/06/14(金) 01:56:12
<名古屋城 本丸御殿、再び>(5) 世代を超えた夢が実現 
2013年5月28日 中日

 「御殿はどこじゃ」

 四月二十一日、名古屋城。尾張藩の初代藩主徳川義直に嫁いだ春姫の輿(こし)入れを再現した「春姫道中」のハイライトシーン。夫婦役のせりふに続き、若武者姿の関佳彬(よしあき)さん(16)=高校二年、名古屋市昭和区=も、隊列の八百人とともに叫んだ。

 八年前に子ども武者として参加した時と違い、真新しい本丸御殿の玄関が姿を現していた。「復元に汗水を流した人たちの思いが詰まった御殿。早く完成するといいな」と興奮気味。

 今月二十三日の内覧会で、木曽ヒノキの香りが漂う玄関と表書院に初めて足を踏み入れ、感無量の面持ちの人がいた。春姫道中を主催する市民団体「名古屋城文化フォーラム」代表の夢童由里子さん。「障壁画も調度品もまばゆいばかり。想像以上。ようやくここまで来たのですね」

 京都から名古屋に移り住んだ三十年ほど前、名古屋城を訪れた時、天守閣のすぐ南の石ころの空き地が気になった。

 地元の人に聞いても「分からない」。調べてみると、近世を代表する城郭建築で国宝だった本丸御殿があったことを知り、石ころはその礎石だった。一方で、地元の人からはよく、「市外の人に見せる名所がない」とも聞いた。

 「本丸御殿は世界に誇れる文化。復元されれば市民の自慢になる」と思った。一九九四年、仲間とフォーラムを設立。春姫道中は復元機運を高める仕掛けとして企画した。

 「お上に寄り掛からず、市民が中心にならなければ」と、活動費は市民や企業の協賛金で賄った。九五年の一回目の参加者はたった十七人。見込まれる巨額の費用に「今やるべきハコモノ事業か」と冷ややかな目もあった。それでも毎年、春姫道中を続けるとともに、街頭募金や講演会で訴え、財界にも何度も働き掛けた。

 地道な活動はやがて、行政を動かす。市は二〇〇二年、総事業費としてはじいた百五十億円を目標に、復元のための基金を設置した。

一般公開される本丸御殿の玄関付近(手前)。後方は天守閣=本社ヘリ「まなづる」から
写真

 三分の一に当たる五十億円は寄付で賄うとした。小遣いを募金箱に入れる子どもたち、「故人の遺志」として香典を全額寄付する遺族…。寄付全体の三万件の九割は個人から寄せられ、計四億円に。企業や団体からの寄付を合わせると、この三月で四十九億円を超えた。

 本丸御殿の次に注目が集まるのが、一九四五年の空襲で一緒に焼失した天守閣だ。

 「名古屋のシンボルを取り戻したい」と願った市民の浄財により五九年、コンクリート造りで復元されたが、木造による建て直しを求める声も少なくない。

 「本物に戻し、千年、二千年と残していきたい」が持論の河村たかし名古屋市長は、関連事業費を盛り込んだ予算案を市議会六月定例会に提出する方針だ。

 名古屋の歴史と文化に詳しい安田文吉・南山大教授は「天守閣と本丸御殿は一体のものだった」とした上で、こう話す。「御殿復元は市民が行政を動かした。木造の天守閣も、市民が夢として抱き続けるのは悪くはない」

 (この連載は石川修巳、広瀬和実、竹田佳彦が担当しました)

 <復元過程の市民公開> 市民側の提案で、名古屋市は本丸御殿復元の過程を公開している。建設地に立つ素屋根内に高さ9メートルの見学通路を設けて工事全体を見渡すことができるほか、御深井丸(おふけまる)では、職人たちが働く木材加工場や原寸図を描く場を見ることができる。また「現場見学会」も不定期で開催し、工事を間近で見学したり、職人の技術を体験する機会なども設けている。

ttp://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130528/CK2013052802000039.html

12nanashibanana:2013/06/14(金) 01:57:10

<名古屋城 本丸御殿、再び>(番外編) 史実と技の集成、きょう公開

2013年5月29日


復元された表書院三之間=名古屋市中区の名古屋城で
写真
◆名古屋城総合事務所学芸員・朝日美砂子さん寄稿 

 二十九日からいよいよ、復元名古屋城本丸御殿の一般公開が始まる。

 本丸御殿とは、一六一五(慶長二十)年に尾張藩主の居館・政庁として建てられ、のち将軍専用の御成御殿となった建物である。明治維新後、陸軍の管轄となり、一八九三(明治二十六)年に名古屋離宮とされ、一九三〇(昭和五)年に名古屋市に下賜された。

 四五(昭和二十)年の戦災で天守とともに焼失したが、市民の方々からの寄付をもとに二〇〇九年から復元工事が始まり、四年の歳月をかけ、このたび玄関・表書院部分の公開開始となった。

 名古屋城はそもそも敷地のほぼ全域が特別史跡に指定されており、新たに何かを建てることは原則として許可されない。本丸御殿の復元構想に名古屋市が踏み出したのは、戦災焼失以前に作成した実測図やガラス乾板写真が存在し、史実に忠実な設計が可能であるからである。

 さらに、設計に向けて再調査を進める過程で新資料の存在を知ることになり、復元はいっそう正確となった。

 一例を挙げよう。玄関・表書院の各部屋は、四周をきらびやかな復元模写障壁画で覆われている。建物とともに焼失した壁貼付絵については戦前撮影されたガラス乾板写真、戦災の直前に取り外され奇跡的に焼失を免れた襖(ふすま)絵はその襖絵を参考に制作された、復元模写である。

 しかし、表書院二之間・三之間の一部は、壁面とし、絵のない金箔(きんぱく)を貼っている。昭和の実測図やガラス乾板写真ではこの部分は金襖である。今回なぜ襖にしなかったのか。

 名古屋市博物館が所蔵する江戸時代の本丸御殿平面図に「金ハリ付」とあり、当時金箔を貼った壁貼付であったことが分かる。三之間については「金城温古録」に「北壁貼の絵、老松に鳩」の記述があり、画題も知られる。

 さらに、東京都立中央図書館が所蔵する陸軍期の図面と、宮内庁書陵部が所蔵する離宮期の工事記録から、陸軍期は壁が無くなりガラス障子を嵌(は)めていたこと、離宮期以降白襖に替え、明治末期に金襖に張り替えたことが明らかになった。

 なおかつ、大きく破損した金襖が今も名古屋城に伝えられている。一九四五年に襖絵とともに乃木倉庫に移動され焼夷(しょうい)弾から免れた、表書院の金襖そのものと考えられる。

 今回、この部分は金貼付として復元したが、構図が不明であるため、絵の復元模写は行わなかった。逆にいえば、それ以外の復元模写は明確な資料によっている。

 このように、昭和実測図やガラス乾板写真に加え、江戸期、陸軍期、離宮期の各時期に作成された記録や図面により、復元本丸御殿の設計図は細部まで典拠に基づくものとなった。

 それでもなお、実際にものを作るにあたって次々に疑問が表れる。文化財建造物保存技術協会、関係諸機関、研究者を交えた検討が重ねられ、そして最後は、職人と復元模写制作者の腕、そして心意気に託された。

 その集成が、今回の本丸御殿である。御殿のあちこちに謎と答が秘められている。ようこそ、新生本丸御殿へ!

 =おわり

    ◇

 本丸御殿の観覧は午前九時〜午後四時半、九月一日までは午後六時に延長(名古屋城入場は午後五時まで)。国重要文化財の「竹林豹虎(ちくりんひょうこ)図」も六月九日まで特別展示する。名古屋城観覧料(高校生以上五百円)が必要。中学生以下は無料。

ttp://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130529/CK2013052902000047.html

13nanashibanana:2013/06/14(金) 02:01:36

【名古屋市長選】
本丸御殿「一時凍結」4割 本紙世論調査
2009年3月9日中日



 未曾有の不況下で迎える名古屋市長選は、1月に着工したばかりの名古屋城本丸御殿の復元事業を継続するか否かも争点となる。6、7の両日実施した本紙の世論調査では「一時凍結するべきだ」との声が4割を占めた。出馬する3人にとって、復元事業は“松原市政の継続”という側面もあり、微妙な立場の違いを見せる。

 本丸御殿は復元費150億円。民間、国と県、市が三等分する計画で、来年秋には玄関の一部を公開する。勇退する松原武久市長(72)が「文化遺産とものづくりの技術を継承したい」と推進し、「経済が悪い今こそ、市民が希望を持てる事業を」と、任期中の着工にこだわった。

 「復元に多額の費用を使うより他の事業を優先すべきだ」との声もある中、世論調査では「凍結」が多数を占め、「推進」や「中止」の声を上回った。

 積極派とみられるのは、自民・公明の支援する細川昌彦・元中京大教授(54)。早期復元を求める市民団体の後押しで出馬を決意した経緯もある。他の継続事業の総点検を約束する一方、本丸御殿だけは「長い市民運動が基本にあり、意義がある」と語っている。

 民主の河村たかし衆院議員(60)=愛知1区=は微妙。松原市政の継続は否定するが、かつては愛知県立旭丘高校、最近は東京中央郵便局の建て替えに反対するなど「歴史的な建築物は大好き」。復元か、凍結か、ここまでは言葉を濁す。

 相乗り体制下の松原市政で唯一の野党である共産が推す太田義郎・愛知県商工団体連合会長(65)は「松原市長の4大プロジェクトは不要・不急の大型公共事業。本丸御殿は凍結すべきだ」と、明確な立場を示している。

 4大プロジェクトは本丸御殿のほか、東山動植物園、がん治療施設、ものづくり文化交流拠点の整備。総事業費は1000億円を超える。本丸御殿は、その象徴的な存在としても、市長選の争点に浮上している。

ttp://www.chunichi.co.jp/article/feature/ele_mayor/list/200903/CK2009030902000191.html

14nanashibanana:2013/06/14(金) 02:06:04
asahi.com(朝日新聞社):名古屋城天守閣再建「本気度100%」 河村市長 - 政治
ttp://www.asahi.com/politics/update/0621/NGY200906210001.html
>名古屋市の河村たかし市長が最近、金のシャチホコの乗る名古屋城天守閣の「木造での建て替え」を公言し始めた。(中略)
>河村市長が天守閣への熱意をあらわにしたのは、14日にあった本丸御殿復元事業の賛否を問う公開討論会。(中略)「わしは天守閣を木造で再建しようと言う意見ですけど。賛成の方どれくらいいますか?」と、参観者150人に挙手を求めた。(中略)
>最大の壁は500億円といわれる建設費。市長は「銀行は不況で預金の貸出先が無く、金余りの状況。政府が仕方なく銀行に国債を買わせて預金を引き受けており、日本は財政危機ではない」と持論を展開する。
>天守閣の再建に当てはめると、建設費のために市債を発行する→市債の利子を市が銀行に支払うことで銀行は利子収入を得る→銀行の利子収入は預金の金利という形で市民にも還元される。元本の建設費で建てた天守閣は、市民にとっての財産であり借金ではない――との論法で、「定例会でぜひ財政論を中日新聞:かみしも姿で本丸御殿初視察 河村市長、白紙で臨む考え強調:社会(CHUNICHI Web)
ttp://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009060802000134.html
>名古屋市の河村たかし市長は7日、市長選の公約で見直しを掲げる名古屋城本丸御殿の復元現場を就任後初めて視察した。

名古屋城:本丸復元で討論 「賛成7割、重い」河村市長 - 毎日jp(毎日新聞)
ttp://mainichi.jp/select/wadai/news/20090615k0000e040069000c.html
>参加した市民約150人に尋ねた結果、計画修正も含め事業継続を求める意見が多かった。
>まず市側が、復元事業の概要や名古屋城の入場者100万人増などで年間206億円の経済波及効果があること、事業中止の場合は違約金など12億円が必要で、中断でも現場維持費などに年間約1億円かかることを説明した。

15nanashibanana:2013/06/14(金) 02:07:54

「河村市長の本丸御殿 
本音トーク」の
討論者及び聴講者を募集します!

本市が推進する名古屋城本丸御殿復元事業に対し、市長自ら司会者となり、広く賛成・反対の意見をうかがう討論会を開催しますのでお知らせします。つきましては討論者及び聴講者を以下のとおり募集します。
日時

平成21年6月14日(日曜日) 午後2時〜4時30分
会場

名古屋市公館 1階レセプションホール(中区三の丸三丁目2番5号)

名古屋市公館の略図

討論者および聴講者の募集

参加無料
討論者の募集(封書での申込/賛成・反対各5名程度)
ア 応募方法

本丸御殿復元事業について、「1 計画通り続ける」「2 修正して継続」「3 一時中断」「4 中止」の4つのうちから1つ選んで、
(1)意見(論点や理由を明確にして800字程度・様式不問)
(2)住所・郵便番号
(3)氏名(ふりがな)
(4)電話番号を明記の上、郵送で応募。
イ 論点(例示)

(1)復元される本丸御殿の文化的価値
(2)復元経費のうち市民の負担は多いか
(3)この時期に復元することがよいか
(4)中断・中止した場合の違約金・寄附金について
(5)焼失を免れた障壁画(重要文化財指定)の扱い
など
(参考)
総事業費 約150億円
(事業費)
○ 本体工事
  工期:平成20〜29年度 約110億円
(平成20年12月契約済)
○ 追加工事等 約20億円
○ 障壁画復元模写等
  期間:平成4〜39年度(予定) 約20億円
(1,330面計画、平成20年度末328面完成)
(財源)
○ 国・県からの補助金 約50億円(予定)
○ 寄附金 約50億円
(平成20年度末現在 4,021,124千円/13,540件)
○ 市税等 約50億円
※違約金は現在算出中

ウ 応募先

名古屋市市民経済局名古屋城整備室(〒460-8508 住所記入不要)
エ 応募締め切り

6月1日(月曜日)必着
オ 採否の連絡

氏名等を伏せたうえ市長自らが討論者を決定し、採否については全員に連絡します。
なお、出演謝礼、交通費等の支給はありません。
聴講者の募集(往復はがきでの申込/定員150名)
ア 応募方法

往復はがきに
(1)住所・郵便番号
(2)氏名(ふりがな)
(3)電話番号を記入し、返信あて先を明記して、郵送で応募。
イ 応募先

名古屋市市民経済局名古屋城整備室(〒460-8508 住所記入不要)
ウ 応募締め切り

6月8日(月曜日)必着(応募者多数の場合は、抽選)
当日のスケジュール

午後2時:開会
午後2時5分:資料説明(事務局)
午後2時30分:討論(司会:市長)
午後4時30分:閉会予定

※適宜聴講者からも意見を聴きながら実施する
アドバイザー

麓(ふもと) 和善氏
(名古屋工業大学大学院教授、特別史跡名古屋城跡全体整備検討委員会委員・建造物部会長)

ttp://www.hommaru-palace.city.nagoya.jp/04_events/2009/090614/index.html

16nanashibanana:2013/06/14(金) 02:11:43
横井利明オフィシャルブログ
河村市長の本丸御殿本音トーク 2009年06月15日

6月14日、名古屋市公館において「河村市長の本丸御殿本音トーク」がおこなわれた。本丸御殿の価値・復元の意義・これまでの経緯・復元計画・財源などについて名古屋市から説明をおこなった後、討論者から基調講演を実施。参加者からも多くの意見がだされた。

当日の来場者158人の意見を集約した結果、以下のとおりとなった。
■賛成104人(71.2%)
? 計画通り続ける 72人(49.3%)
? 修正して継続 32人(21.9%)
■反対42人
? 一時中断 37人(25.3%)
? 中止 5人(3.5%)
計146人。来場者とは一致しない。

主な意見としては、
■賛成
・街づくりには、基軸が必要。城は日本の最高の軸。
・御殿は武家文化の結晶。
・本丸御殿は世界から人が来て、学ぶことができる。
・名古屋の職人を育てる。
・御殿の計画はもともと行政主導ではなく、市民運動が盛り上がるうちに行政も乗ってきたもの。
・今の若い人たちが50年後、自信を持って名古屋を語れるようにしたい。
・市民としての誇り、自信、次の時代への責任を果たしたい。
・若者がもっと楽しめるような街に。
・ここまで進めてきた本丸御殿を造ることは名古屋の義務。やめるのは名古屋の恥。
■反対
・近世名古屋城以前の調査をすべき。
・御殿より医療費を優先すべき。
・市民の生活を守ることこそが自治体の責務。
・他に急いでやることがたくさんある。
・義務的経費が膨らむ中、一時中断すべき。
・復元はコピーに過ぎず意味がない。
・観光のためだけに作るのは反対。
・ただ古いものを復元しただけでは価値がない。
・税金が下がり、市民生活が安定してからやるべき。

<横井利明のワンフレーズコメント>
日本古来の文化・伝統と医療が同じ次元で語られているところに、違和感を感ずる。厳しい時代だからこそ、次の時代への布石をどう打つかが問われている。
ttp://blog.livedoor.jp/minami758/archives/787183.html

17nanashibanana:2013/06/14(金) 02:15:29
名古屋城、入場者急増 「本丸御殿」公開で
2013年6月8日 中日



 名古屋城本丸御殿(名古屋市中区)の玄関と表書院が一般公開されて以降、入場者が急増した。入場待ちの行列が続くため、市は、訪れた人が熱中症などにならないよう暑さ対策に力を入れている。

 名古屋城の入場者は、公開初日の五月二十九日が平日で雨だったにもかかわらず、昨年同時期の平日の二・五倍の四千五百六十五人。初の週末となった今月一日は一万一千七百六十五人、二日は一万三千五百四十一人で前年同時期の週末の二倍以上。入場者の七、八割が本丸御殿を観覧し、入場を待つ人の長い列ができた。

 名古屋城総合事務所は、熱中症対策として御殿入場待ちのテントに冷風機を三台設置。体感温度を下げるため、随時打ち水もしている。さらに待ち時間対策として、テント内にテレビモニターを二台設置。本丸御殿復元の歩みを紹介する映像を上映している。

 佐藤正幸所長は「本格的な夏の観光シーズンに向けて、さらなる暑さ対策をしていきたい」と話した。

 七日も日中は気温が上昇し、日傘を差す人の姿がみられたが、午後から雨の予報だったためか入場者はやや少なめだった。

 見学に訪れていた豊田市挙母小学校六年の城田里菜さん(11)は「障壁画が想像以上に迫力があった」。友人の同小六年堀米南見さん(11)は「言葉で言い表せないくらいきれい」と興奮した様子だった。

 本丸御殿では国重要文化財のふすま絵「竹林豹虎図」を九日まで特別展示している。名古屋城の観覧料が必要で、高校生以上は五百円。中学生以下は無料。

(浅野有紀)

ttp://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130608/CK2013060802000037.html

18nanashibanana:2013/06/14(金) 02:19:03
肝いり施策、実現へ一歩 名古屋市補正予算案

2013年6月8日 中日

 名古屋市が七日発表した総額約二十億円の一般会計補正予算案は、名古屋城天守閣の木造復元やSLの定期運行など、河村たかし市長が四月の市長選で掲げた肝いり施策の実現に向け、一歩前に進める内容となった。市長は「世界のナゴヤ、本物ナゴヤの実現に向け、市民や議会としっかり対話を重ねていきたい」と意欲を見せた。

 三月に可決された当初予算では、市長選を四月に控えてマニフェスト関連の予算計上を見送ったが、今回は各施策の調査費などを盛り込んだ。

 歳入では、当初予算での保育料据え置きに伴う四億三千万円の財源手当てとして、景気回復による法人市民税の増額で対応するとしていたが、土地基金からの繰り入れに変更した。

 六月補正予算案に計上された主な施策は次の通り。
◆名古屋城

 名古屋城天守閣の木造復元に向けた整備課題調査費三百万円を盛った。現在の鉄筋コンクリート製天守閣を解体する場合、建設費の寄付者にどう理解を求めるかや、解体で出る廃棄物をどう処理するかを検討。復元工事期間の入場者数への影響も調べる。

 国重要文化財の本丸御殿障壁画の展示収蔵施設の整備構想策定費として五百万円を計上。西之丸区域を候補地に、往時にあった米蔵風の建物を整備し、温度や湿度を管理した展示収蔵施設をつくることを検討する。

 名古屋城周辺に城下町の雰囲気を再現する「世界の金シャチ横丁(仮称)」構想では、二〇一二年度に策定した基本構想の事業化に向けた調査費として千二百七万円を計上。事業内容や実施手法、需要予測を検討する。ネーミングも公募する。
◆堀川

 市長肝いりの堀川の川干し構想では、納屋橋から名古屋城にかけての魅力向上に向け、水質浄化を進めるため、ヘドロや護岸の状況を調査。四間道(しけみち)などの歴史遺産を生かした、にぎわいづくりについても検討する。
◆SL

 今年二月にあおなみ線で実施した実験走行を踏まえ、定期運行や展示施設の整備などの実現性を探る調査費一千万円を盛った。運行技術者が確保できるかや、費用対効果など課題を調べる。市長は「世界の鉄道好きの子どもが集まってくるようにしたい」と話す。
◆中京都

 河村市長と大村秀章知事が共同公約に掲げた「中京都構想」を話し合う有識者会議「中京独立戦略本部」の運営費百万円を盛った。
ttp://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130608/CK2013060802000036.html

19nanashibanana:2013/06/14(金) 02:20:44
名古屋城の正門一時閉鎖 地下の変電所トラブル
2013年6月2日 14:58  スポニチ

 名古屋城地下駐車場の下にある中部電力の変電所で2日未明、送電線が焼き切れるトラブルがあった。復旧作業などの影響で、名古屋城の正門が開門時刻の午前9時から約3時間半にわたって閉鎖された。

 復元された本丸御殿玄関などの一般公開が5月29日に始まったばかりで、市によると、通常の2〜3倍の来場者が訪れていた。もう一つの東門に来場者が集中し、入場券の購入に最大30分かかったほか、付近の駐車場も混雑した。

 市や中部電によると、正門付近にある地下駐車場の下の、地下3〜5階部分が中部電の施設となっている。2日午前0時10分ごろ、地下3階にある名城変電所の送電線がショートして焼き切れて白煙が上がり、二酸化炭素(C?)の消火設備が作動したという。火は消えたとみられるが、充満したC?を排出する作業などが行われた。けが人はなかった。

ttp://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/06/02/kiji/K20130602005930460.html

20nanashibanana:2013/06/14(金) 02:24:45
日本郵政が「名古屋城本丸御殿」切手セット−ペーパークラフト付き
2013年06月13日 名駅経済新聞

 日本郵政は現在、名古屋市中村区・西区・中区・中川区の全郵便局(100局)で名古屋城本丸御殿の一部公開を記念した切手セット「名古屋城本丸御殿」を販売している。

本丸御殿が出来上がるペーパークラフト

 5月29日に、名古屋本丸御殿復元プロジェクトの一部、玄関・表書院が公開開始。連日多くの見学者が訪れているなど話題を集めている。

 内容は、玄関・表書院の写真や襖絵(ふすまえ)を採用したデザインの切手シート(50円切手×10枚)、名古屋城のマスコットキャラクター「はち丸」をデザインした特典ポストカード、組み立てると本丸御殿が出来上がるペーパークラフトで、本丸御殿の写真と玄関・表書院の解説を添えた台紙にセットする。

 価格は1セット2,000円。5月28日から3000セットを限定販売。6月11日現在、数百セットを残すのみで、「売れ行きは好調」だという。名古屋市中村区・西区・中区・中川区の郵便局窓口で扱う。

ttp://meieki.keizai.biz/headline/1817/


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