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「夏の終」メモ(改)

1Morgen:2022/09/03(土) 23:22:07
 上村さんからご指摘いただいたように、「夏の終」は昭和15年の作であると、以前、この掲示板で教えて頂いたのを私がド忘れしていたのです。(老化ボケが進んでいます!)

 詩人たちにとっても昭和15年と同17年の環境の違いは、いま想像すろ以上に大きかったではないでしょうか。(以下、自問自答)

 <〝詩人が「海に向かって心はそうあるよりほかはなかった」
 <<壮大なものが徐かに傾いている>>という詩人のつぶやきに、昭和15年と同17年との環境変化が影響しているか? 「壮大なもの」とは何か?

 ・昭和15年の環境・・・対日経済制裁の強化に伴う燃料・食料確保の見通し難。武力による危機脱出を目指して無謀な海外侵攻を進める軍部独裁体制構築がなされた(大東亜共栄圏構総)。世論も、欧米諸国に対する反感・憎悪から明治以来の(欧化)近代化路線を捨てて民族主義化した。人々は将来への期待や夢が持てなくなり「茫漠たる一種の落莫感」(米倉巌『伊東静雄ー憂情の美学』)に囚われたが、まだ内心の自由は保てた。

 ・昭和17年の環境・・・日本は、前年12月8日に米国ハワイを奇襲攻撃し、絶望的世界戦争に自ら参戦した。その後の戦局が展開する中で、早くも同年8月にはミッドウェイ海戦の惨敗やカダルカナル海戦における敗北などにより、戦力大損耗したにもかかわらず、外交努力による局面打開や和平交渉の機会を生かせず、泥沼の破局に進んでいった。本土決戦を余儀なくされる中で、国策推進に反対する国民は非国民として徹底的に弾圧され、国民は黙ってこれに従うしかなく思想信条や言論の自由はほぼ失われた。

 このように考えると、「夏の終」で、詩人が「海に向かって心はそうあるよりほかはなかった」(「壮大なものが徐かに傾いている」とつぶやく)詩人の心象風景(内心の表白)は、昭和15年と同17年では、大きく変わってこざるをえませんので、次のように私なりの読み解きを変更しました。

 ∴昭和15年の<壮大なものが徐かに傾いて>見える風景・・・「壮大なもの」とは目の前に拡がる海を見ての詩人の直観(傾いているように観えたという観察表現)。⇒ 時代が変わるのだという予感・世の中全体が予想もしなかった方向に変わっていくことに対する内心の漠然たる不安感を海のの観察的表現に託して「夏の終」詩に表現している。(米倉「直截的な思念の表白」)。<阪神淡路大震災後、神戸の街を歩くと何もかも傾いているように見えたという個人的経験があります。>

 「政治主義的」見方かとも思いますが、今年2月以降、連日のウクライナ侵攻をするプーチン大統領に対してロシア国民が70数%の支持(世論調査)を寄せるという事実(世論調査結果)―今日のように隅々まで情報化された社会でなお完璧なデマゴギー操作が出来るのかどうか?―詩人の内心の変化のすべてを環境還元法で解釈するのは誤りでしょうが、詩の素人である私たちは時代の影響を考慮しつつ自分なりの詩の読み解きをせざるを得ません。(「解釈は不要」という声が聞こえますが)
 世界は、"COLD WAR 2.0"(新冷戦時代)という全く新しい時代に入りましたが、戦時中〜冷戦時代〜平和共存時代〜米中対立時代という幾世代かの異なる精神環境を経験してきた我々の世代ですが、いま宇宙規模で戦われる厳しい新冷戦時代の新しい環境・感覚に適応できるのかどうか不安でもあります?


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