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自由の相互承認【実践編】

1名無しさん:2020/04/29(水) 08:03:09
ヘーゲルは社会紛争は自由の相互承認によって克服(止揚)出来ると考えたようである。
人はそれぞれ「このような人生を生きたい」(自由に成りたい)と言う意志や願望があり、それが阻害されるときその障害を排除しようと戦いが起きる。それは人類の数千年の歴史の中でも、我々の身近な生活の中でも確認できる。
だとすれば、お互いがお互いの自由を認め合う事でしかこの矛盾は克服出来ないはずである。
理屈ではその通りであるが、では現実にそんなこと可能であろうか。
実践を通して考えてみよう。

2名無しさん:2020/05/04(月) 20:19:51
「人々が自由の価値を自覚し、人倫国家を運営することが出来るようになれば、世界は善くなる」と言うのは、「人々が道徳的になれば世界は善くなる」と言うカントテーゼとそれほど違いが無いと思う。
ヘーゲルの自由論と同等にカントの実践理性もそれなりに意義があるし、説得力もあるのだ。
例えば、人間関係がギスギスしている空間があるとする。側に居る同僚が「ああ!イラつく!」とかいって机の引き出しをバン!と閉めたりする。
まさに「普遍闘争」のような状態がそこにある。
ヘーゲル的に言えば「権力」(管理職など)が実力行使して彼女を注意すれば良いかもしれないが、このような状態になっているときはボスが権力を失っている場合が多い。

3名無しさん:2020/05/04(月) 20:33:14
自由選択の主体は人格を持った個人なのだから、自由を尊重すると言うこと各人の人格を尊重しましょうと言うことである。結局の所、ヘーゲルも道徳論を語っているような面はあると思う。
普遍的な自由や人格の尊重に価値を置いていない人の方が多数なのであるから。

4名無しさん:2020/05/04(月) 21:12:06
竹田氏の『人間の未来』を読むと、上記のようなことも考察の対象にしているようである。
近代人は理想主義への執着を断ち切ることが出来ない。それゆえに価値の多数性の問題に行き着く。そして近代思想は「絶対的正しさが成立しない」と言うことを知っているので、それは相対主義に行き着き、イロニーが蔓延する。
このイロニーがポストモダン思想だと言うのである。竹田氏はこの相対主義的状況を克服し得る思想して「普遍ルール社会」を考えているようである。

5名無しさん:2020/05/04(月) 21:31:14
竹田氏は、何故普遍ルール社会が現実としては実現しないのかと言うと、第一に近代国家同士で普遍闘争が消滅していないからだと言う。
しかし、「普遍闘争」は経済活動を普遍ルール化するだけで克服出来る問題だろうか。
個人の理想と理想の対立も「ルールの確立」によって調停できると言う考えだと思うのだが。

6名無しさん:2020/05/05(火) 07:46:29
究極的には国家対立を世界政府的な実力機関が統制する事で、国家間闘争圧力が無くなれば、「人倫共同体」が成立する事になるとは言える。
しかし、それは、「普遍ルール社会」の原理を人々が受け入れている場合に限るのではなかろうか。イスラム教国や北朝鮮、中国などでは、自由の普遍化がまだ進んではいない。
この時点で普遍ルール社会を作ろうとしても混乱が生まれるだけだろう。
現実的な話、中国や北朝鮮はいまだ「覇権原理の国」である。
日本人でも、合理的当為からではなく「死の恐怖」から「社会の法」を守っているケースが多数あるだろう。
いまだに覇権の原理の方が強いと言う場面は日常生活で多いと思われる。

7名無しさん:2020/05/05(火) 09:20:17
自由の相互承認を実現するものとして「ルソーの一般意思」が考えられるのかもしれない。
ただ、ルソーの一般意思はカントの実践理性とかなり似ている所があると思う。
結論として、各人が個別意思(利害)を捨て、一般意思を志向して行動することが「自由の実現」なのだろうか。ヘーゲルの『精神現象学』を読むと「個別精神を断念、滅却して、客観精神、絶対精神になることが自我の成長過程である」と言うような考えが随所に見られる。
ただ、これは「近代人は自己理想への執着を断ち切れない」と言う認識と対立しないだろうか。


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