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:
名無しさん
:2020/04/22(水) 18:36:24
紛争解決の原理論として「自由の相互承認」は良いとしましょう。
しかし「いかに生きるべきか」というテーマはまた別次元の問題ではないかと思う。
ある意味では、大昔から言われている「信仰・思想の自由論」を繰り返しているともいえるし、実際そうなのだが。
竹田氏は、善真美のような価値論を説くのではなく、「欲望論」に解決の糸口を見出したのではなかろうか。(氏の『欲望論』はまだ読んでいないが。)
そして人間の最大の欲望は「承認欲求である」というような見通しがあるのだろう。
例えば「ミュージシャンになりたい」とか「哲学者になりたい」というような承認欲求である。
結局、ヘーゲル的には労働を通してその承認欲求も結果的に?或いは労働の方が承認欲求の産物なのか、満たされると。
当初主観的独りよがりであった仕事が客観的な価値を持つようになると、意識の空無な夢や願望に過ぎなかった「ミュージシャンになりたい」が「ミュージシャンである」というように存在へと転化する。
その契機になるのが「労働」だったりするのではないかと思う。
労働を通して無が存在に転化する。
苫野氏は欲望が苦悩をもたらすケースとして「能力の問題」を上げている。
例えば「ミュージシャンになりたい」→「ミュージシャンである」(自己実現)が達成されるには「能力の問題」が横たわるというわけだ。
苫野氏は「欲望のハードルを下げるか、別の欲望にチェンジするか、欲望を断念するか」というようなことを述べている。
「ミュージシャンである」ためには必ずしも武道館で客をいっぱいにする必要はなく、「地域のイベントで演奏する」とか「趣味で演奏する」というものもあり得るわけだ。
むしろこのようにして音楽を楽しんでいる人の方に「資本主義経済の下で操作された欲望」から脱却している場合もあるかもしれない。
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