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『スピ系の何が違っているのか?いないのか?』

46ラピ。:2018/09/02(日) 23:22:35
40: 苦集滅道さん

>「今」しかない・・・という観方・捉え方は、至った人からは どう、観えますか?

まず、余談ですが至れば今も何もありません。
「今」しかない、というのは対象のある方への言葉です。
精進する過程において「今しかない」
と今に集中する姿勢は悟りの道ですよ、有益です。
普通の日常においても
今していることに集中できることは良いことではないでしょうか。

しかし、生きていたら過去の事を思い出したり未来の事を想像したり、
いろいろと人は思いを巡らせてしまいますね
思いはいい方向にいかしていけばいいと思います。

>「思考」は、幻で 起きてもいないし、何も起こしてなどいない・・・という観方・捉え方に
ついても、どう 思われますか?

例えていえば、その通りかもですし、その通りではないかもです。
これについて 至ったものは
自我がある方に伝えるときに使い分けます。
もし、自我のある人が思考で苦しんでいるとき、
それは幻である、というでしょう。
もし、自我のある人の思考の中で例えば理想的思考がうまれた時、
それは幻とは言わず、活かせ、というでしょう。

何となく伝わりますか?
対象のある世界では「絶対」はありません。臨機応変です。
だからこそ、自分の理想を絶対であると信じることができるのです。
それを生かして精進することができる。
(至れば信じることも、絶対という定義もない)

たとえば至った人を師匠としたとき
師匠の言っていることがあれこれ変わっているように見えても
「はい!」としたがうのが子弟関係です。
そしてあれこれ変わっているように見えても
師匠は嘘は全く言っていないのですね。

弟子からしたらこんがらがるかもですが
実はいろんなからくりがありまして
それを言ってしまえば、
自我のある人はわかったつもりになるから
本当のからくりは 明かしませんし、私も明かしません。

言えることは「至ればわかる」です。

>「思考」とは、頭脳の中での「妄想」ですか?(生きるに必要な部分以外において)

妄想ともいえるし、それが行動のきっかけになれば指針となるし。
何かに役に立つ思考であればそれは生かすべきです。
しかし、生きている中で害になるものは妄想として切り捨てましょう。

思考は自我であり、人として生きていくのに活用されます。
しかし、害になる場合もあります。
そこを至った人は自我がある人に伝えるときに自由に使い分け
(からくりを知っているから)
自我のある方に、その都度の必要事項をお伝えすることができます。

>「何も起きていない」・・・は、至った人の至った後の「感想?」にありますか?

これはどういう意味でしょう。
捉え方がまちがっていたらごめん、ですが

まず、何も起きていない、というのは何も起きていないのではなくて、
「 」だからそれを例えで「何も起きていない」と言っています。
例えば普通、人が行動するとき、
目の前に箸があってそれをつかもうとするとき、
まず、箸を認識し、自分が箸をつかもうと決め
手を動かすことを選択し、箸をつかみます。

箸をつかむだけでいろいろ動きが起こっているのですが(書ききれないほどですね)
たくさんのことが人には起こっているのですね。

しかし、至ればそれらの事が起こることなく
箸をつかむことができるんです。
でも至った人にとっては箸をつかむというのも例えで
実はつかんでいない。(笑)

でも自我がある人が至った人を見たとき
ちゃんと箸をつかんでいるように見える。
箸ひとつをつかむのも 悟った人にとっては名人技なわけです。(例えですが 笑)

そうすることなくできてしまう、みたいな。

何となくわかりますか?

よって >「何も起きていない」・・・は、至った人の至った後の「感想?」にありますか?

感想ではありません。「 」の状態を例えているだけです。


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