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コミュニタリアンとアガンベンと<人狼>
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灰人@スキゾキッズ
:2016/02/13(土) 07:41:50 ID:xNLs34XY
大澤真幸「「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学」参考
コミュニタリアン(共同体主義者)
【人生や生命の選択】の話の場合、それぞれの道の先にいる他者と自分との関係について、【その生や存在価値】の質的な差異を重視する議論が、コミュニタリアンの話のようです。
どういう他者が優先的に重視されるか、自分と他者の間に自分が選んだわけではないけれども、伝統的・歴史的・社会的なアイデンティティと深く関係する属性が相手に付与されているつながりがある。そのつながりは、自己のアイデンティティにとって不可欠な意味を持っている。
他者との間にこのような関係性があるとき、そのような相手に対しては、他の他者たちに対してよりも優先的な責任を負うと考えてもよいのではないか。これがコミュニタリアンの考えです。コミュニタリアンは、そのような他者たちとの間で形成する連帯が、つまり自己のアイデンティティと深く関係する属性が相手に付与されている共同体が、道徳的な価値を有すると見なします。
マイケル・サンデルもまた、コミュニタリアンであると自認しています。
コミュニタリアンの対抗馬(井本友江派は私の表現活動を競馬のように見ることもあり、私生活を眺めて言動の予測結果を聞いて上から目線で眺めるのがとても楽しい!という立場のようですが)としてリベラリズム(自由主義:代表的存在としてカントやロールズが支持者のようです)があります。
リベラリズムの観点からして、責任や義務が生じるのは、大きく分ければ、次の二つのケースのようです。
一つは、人間が人間である以上は発生する自然の義務です。相互の人格や生命の尊重や差別をしないとか、拷問しないとか、殺さないとか、レイプしないとか、そういった義務はこれに属します。嘘をつかないというのもこれです。
二つ目は、自分が自由な選択によって合意した義務です。
【リベラリズムとコミュニタリアンと隣人愛について】
リベラリズムとコミュニタリアンの関係を、キリスト教で言うところの隣人愛を規準にして、次のように考えることもできるようです。
「隣人」とは任意の他者ですから、愛すべき他者は普遍化されなくてはなりません。その普遍性を哲学的に表現したものが定言命法(哲学者カントの用語)です。したがって、リベラリズムは隣人愛の内に含まれている可能性を徹底化させたと考えることができます。
でも自然な状態においては、愛とは常に特定・同質・同類とみなせる他者への愛です。愛のこうした自然性に直接に応じているのが、コミュニタリアンのようです。
リベラリズム←(普遍化)―【隣人愛】―(特殊化)→コミュニタリアン
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