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コミュニタリアンとアガンベンと<人狼>
1
:
灰人@スキゾキッズ
:2016/02/13(土) 06:15:00 ID:xNLs34XY
門について(ひげ部本田ファンクラブ掲示板のスレ)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12766/1453726992/
友や仲間との絆、そこから疎外された者について(Amor et Justice掲示板のスレ)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11326/1447998929/
人狼と<外>(ジョルジョ・アガンベン「ホモ・サケル」参考)
http://www.geocities.jp/toku2501/homo_sacer.html
<生ける死者>と共同体をめぐるモノガタリ(作成中・修正中・勉強中)
http://www.geocities.jp/toku2501/haihito.html
壊れた鏡、または涙を流した人(村上龍「タナトス」参考)
http://www.geocities.jp/toku2501/Thyanatos.html
日本人の物語(作成中。村上春樹の文章を参考に書いたところも結構あります)
http://www.geocities.jp/toku2501/Japanese_story.html
「書を持って街へ出よう」ブログを読み返して(ひげ部本田ファンクラブ掲示板のスレ)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12766/1452803087/l50
【コミュニタリアン】とは何か?
信之:ゼロ年代末から10年代初頭にNHKでマイケル・サンデルが大々的に取り上げられていました。
世間では「世界トップの超エリート大学で歴代最大の受講者数を獲得した正義に関する講義と関連する放送と出版物が世に出た」という事で大変肯定的に見られて、私のような当時<本多ヒッキー>だった人も含めて本から教養を得る事を美徳とするような人達の間でとても話題になりました。
(でも私には共に語り合ういい友はいませんでしたが。ところで井本友江さんは私と同じような本を読む事はあまり好んでこなかった人のようですね)
マイケル・サンデルは【コミュニタリアン】という思想傾向の持ち主のようで、その人の思想傾向は特にクローズアップされずNHKを経て正義に関する放送と出版でブームになっていた、といった事を言うと、ルパンさんが
「言え言え言え言え言え」
とおっしゃってました。
【コミュニタリアン】という存在について正確なところを学びつつ、世にその事実と思われる事を伝えたいと思っています。
(先生役も共に学んで指導を入れて勉強してくれるいい友も仲間もいまのところいないし、ネットでの勉強会となる適切な場もこの「ひげ部本田ファンクラブ掲示板」と「Amor et Justice掲示板」と「愛と平和と生命と人権の尊さを説く人の部屋」以外にいまのところないけど)
「<外>に対してもウチワに対しても差別も生の軽視もある民主主義の共同体を!」ではなく、「<外>に置かれた存在との【対話的理性】のある【本物の人道派】の共同体を!」と強く思っています。
2
:
灰人@スキゾキッズ
:2016/02/13(土) 07:41:50 ID:xNLs34XY
大澤真幸「「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学」参考
コミュニタリアン(共同体主義者)
【人生や生命の選択】の話の場合、それぞれの道の先にいる他者と自分との関係について、【その生や存在価値】の質的な差異を重視する議論が、コミュニタリアンの話のようです。
どういう他者が優先的に重視されるか、自分と他者の間に自分が選んだわけではないけれども、伝統的・歴史的・社会的なアイデンティティと深く関係する属性が相手に付与されているつながりがある。そのつながりは、自己のアイデンティティにとって不可欠な意味を持っている。
他者との間にこのような関係性があるとき、そのような相手に対しては、他の他者たちに対してよりも優先的な責任を負うと考えてもよいのではないか。これがコミュニタリアンの考えです。コミュニタリアンは、そのような他者たちとの間で形成する連帯が、つまり自己のアイデンティティと深く関係する属性が相手に付与されている共同体が、道徳的な価値を有すると見なします。
マイケル・サンデルもまた、コミュニタリアンであると自認しています。
コミュニタリアンの対抗馬(井本友江派は私の表現活動を競馬のように見ることもあり、私生活を眺めて言動の予測結果を聞いて上から目線で眺めるのがとても楽しい!という立場のようですが)としてリベラリズム(自由主義:代表的存在としてカントやロールズが支持者のようです)があります。
リベラリズムの観点からして、責任や義務が生じるのは、大きく分ければ、次の二つのケースのようです。
一つは、人間が人間である以上は発生する自然の義務です。相互の人格や生命の尊重や差別をしないとか、拷問しないとか、殺さないとか、レイプしないとか、そういった義務はこれに属します。嘘をつかないというのもこれです。
二つ目は、自分が自由な選択によって合意した義務です。
【リベラリズムとコミュニタリアンと隣人愛について】
リベラリズムとコミュニタリアンの関係を、キリスト教で言うところの隣人愛を規準にして、次のように考えることもできるようです。
「隣人」とは任意の他者ですから、愛すべき他者は普遍化されなくてはなりません。その普遍性を哲学的に表現したものが定言命法(哲学者カントの用語)です。したがって、リベラリズムは隣人愛の内に含まれている可能性を徹底化させたと考えることができます。
でも自然な状態においては、愛とは常に特定・同質・同類とみなせる他者への愛です。愛のこうした自然性に直接に応じているのが、コミュニタリアンのようです。
リベラリズム←(普遍化)―【隣人愛】―(特殊化)→コミュニタリアン
3
:
灰人@スキゾキッズ
:2016/02/13(土) 09:22:00 ID:xNLs34XY
【藤田信之の日常の中の現実に対応した解釈に話をつなげて考えてみる】
藤田信之にとって私の置かれた状況での対立は、本田友絵派と玲奈派の対立である。
玲奈派の背後についているものとしての推測したものの一部
◆「敵のスキルについて」スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12766/1455082710/
◆「監視社会について私論」スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12766/1452415754/
◆小此木啓吾「秘密の心理」から引用改造
http://www.geocities.jp/toku2501/secret.html
本田友絵派(平等主義で対話的理性も持ち教養も広める人道派)←(普遍化)―【愛】
―(特殊化)→玲奈派(権力にしがみつき根拠なく威張り平等の観念がなく不当な差別も生の軽視も人を人とみなさないところもあり、障害者差別用語を連呼したり貧困者を軽蔑し自殺者対策に無関心で、【コミュニケーションによる解決を放棄】するところから見受けられるように対話的理性が足りないところがあり、己の獲得した教養の重要な部分を正確な形で世に広めることもせず、反戦平和活動にも乗り出さず、死刑制度や国家による暴力を肯定する、差別と暴力の言論のブームを起こす事に生きがいを感じ、そうした側面は公文書では隠している自称左派も含まれる集団)
【指導者クラスでいて欲しい存在】
永井瞳:永井均のいう<私>とラカン派精神分析の関係や現代思想や心理学にくわしい人
岸田愛:岸田秀や吉本隆明の共同幻想論を読み返しそこから世界認識を創り上げる事や愛を重視している、従来の精神分析学に書かれてなかった新しい精神分析学の流れを作ろうとしている人
業天GAGA:看護精神・医療を愛する精神を持ち、犯罪被害者救済や、反戦平和を掲げ、芸術を尊ぶ人。音楽を深く愛し日本の漫画文化にも理解と愛を示す。働くことを美徳とし、生活リズムを整えて暮らす事も尊ぶ。
坂本鋼太郎:音楽をとても愛するベジタリアンの左翼。国家機密を知っているかもしれず、正義と遵法精神と犯罪被害者救済と国家に対する愛もある存在。日本の漫画文化にも理解と愛を示す。
考える人(ル・パンスール):キリスト教の精神や愛と正義と地獄の関係について深く考えている。言葉と芸術で戦い、そのファイトスタイルで国家の暴力をも打ち倒す事ができる、強力なペンの力も持っている。あまり普通の人が知るメディアに出るタイプではなく、そういう場では沢山しゃべるより深い言葉を少し残していくタイプである。今のところ「ひげ部本田ファンクラブ」に残した言葉は「はじめに愛があった」。
掟上りさ:愛と思い出と言葉の島を尊ぶ探偵的能力も持つ文筆家。代表的著作「ダサイは無罪を読め」「反戦論」「サルトル研究」「ボードレール研究」。
尾田斉史:日本を代表する左派の漫画アートが描ける。友や仲間との絆をとても愛し重要視する。最高の宝や最強を志す者の物語を好む。人生の羅針盤として最高の書物を探している。
井上武蔵:日本を代表する左派の漫画アートが描ける。看護精神・医療を愛する心を持ち、日常的に筋トレやスポーツや武道をする事も尊ぶ。働くことを美徳とし、生活リズムを整えて暮らす事も尊ぶ。
壇藤重光:死刑反対論者。検察批判・警察批判・国家と暴力の関係や様々な業界のタブーに詳しい。
【仮想部員】
比嘉康孝、藤井・ルータス=英明
市川絵美子、渡里奈々、前田薫、水口太郎、吉田正治、森本=カフカ・大和
松井一広、大久保優子、堂目健一、藤田信之
(-_-)と緑と森ブラザーズの対話
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12766/1452715949/l50
【玲奈・中塚尚子派による本田友絵派の解釈】
インテリぶりたいバカ、反知性主義者、ヤンキー、DQN、ダサイ族、社会参加する必要のない屑、低農薬無農薬に生きている価値あんの?
公式に認められない知性や能力の証明をしようと一生懸命頑張っている生きている価値のない屑
4
:
灰人@スキゾキッズ
:2016/02/13(土) 12:15:11 ID:xNLs34XY
藤田信之の状況と関連するコミュニタリアン的感性からの発言。
>井本友江さん「君、誰?」
この表現の解釈として正しいのは
「過去の対人関係に根付いた過去に関わってきた他者からした君と、現在の君自身はだいぶ変わっているように思える。<本当に同類の絆の資格のある人間>?」という意味から発された言葉であるように思えます。
>熟女声優さん「能無しに生きてる価値あるの?」
この表現の解釈として正しいのは
本人の心のありようの分析からは<自分の事を高級な存在だと思い、気にくわないヤツの能力を過小評価し客観的事実として有能さを示すものがあっても認めずそれを打ち消す方向で活動し、尊厳を傷つけるような言葉を平気で発して、その生の価値まで否定的に見るような存在が発する言葉>であるように思われます。
スラヴォイ・ジジェク「幻想の感染」から引用改造
人々が他者の中に人間としての威厳を認めるならば、他者との連帯が薄い共同体とその外部をさまよう者であるためにリンチできそうな人を見ても、彼らは自分たちの優越感の誇示のためにその人をリンチしようとはしない。彼らはその人に距離をおく。彼らはその人がみずから弱点と思っているものには、あるいはその人の秘密には立ち入らない。他者へのこの尊敬をともなった距離の設定が、リンチを抑止しているのだ。
差別の快楽を求めて他者の私的領域に踏み込むことの抑制、それは異常な社会でなければ普通、社会のどの部分でも特に意識されることなく行われている。この抑制は人格の尊厳のためなどといったような格別の気負いを伴わない。しかし、この抑制がたとえ自然の状態であるかのように見えても、差別の快楽を断念せよという法が働いているのである。
5
:
灰人@スキゾキッズ
:2016/02/13(土) 12:56:16 ID:xNLs34XY
2013年3月頃(?)に書いた、オリジナル要素の強い文章に少し修正を入れて書いてみました。
<es>をどう処理するかということに、玲奈中心主義者の活動のアルファとオメガがあり、<es>をどう処理するかは、玲奈中心主義者の共同体にとって大きな課題であるのだろう。
差別教の玲奈の欲望が、<es>の連帯の脅威から共同体を防衛するため、<es>という外部を隠蔽する共同幻想の体系を織り上げていくのであり、そこには<人狼>を象徴体系に組み込む「正常で高度な言論の介入」に対する剥き出しの排除の欲望がある。
「非理性であり正常なコミュニケーション不要の存在」として<人狼>を、覆い隠し、否定し、秘密の共有から外し、排除による連帯を築こうとするところに、差別教の玲奈と追従者の共同幻想の基礎がある。
<es>という外部を正常な対話不要な対象として向かいに抑圧し、<人狼>に対する抑圧的連帯に喜びを感じる者を差別教として、<es>にも共同体の一員として対等な扱いと情報公開と正常な連帯と権利を要求する者を、対話的理性を尊ぶ人道派の者たちの共同体ととらえるという思考形式は間違いだろうか?
現代日本で差別教が作り出したスペクタクルとは、<正常な情報が行き届いてない普通の日本人の一般市民>に注意を注ぐ人たちの前に明らかにされる、プライバシー軽視待遇から抜け出ようとする<人狼>の奮闘である。
相互暴力状態への移行は、<es>を対等な人間としてみなす健全な人道派の精神の喚起によって生じる。
差別教の玲奈とその支持者による<es>を正常に交換体系に組み込まない工作活動は、「<es>を対等な存在として扱わない属領化した状態を維持する共同体の保全の重要視」という意図に基づくものだろう。そしてこの共同作業は、「近代以前の非理性的存在」に対する近代社会の合理的理性の勝利として説明しようとされ、「国民は社会に参加し貢献する生産的存在でなければその生を軽視される」というネオリベラリズム的価値観の普及と、自分と同じ伝統的・歴史的・社会的なアイデンティティと深く関係する属性が付与されているつながりがない存在には、同類意識を持つ必要も連帯の絆を持つ必要も救済の責任を持つ必要もなく、差別や加害行為に無干渉を通す可能性もあるというコミュニタリアン的感性の差別的な倫理観の普及をもたらす。
そして「社会のために身を粉にして働く美徳」の過剰なまでの称揚は、「非生産的で社会に貢献しない低能無能の有徴の存在は助ける必要はなく、どんな理不尽な扱いを受けていても自己責任であり、生きている価値は本当にあるのか?」という判断を呼び寄せることもある。
法を超えた制裁とパターナリズムで対処されてきたのが、<人狼>の状況ではないか。<es>に情報を隠蔽した共同体からの人為的な分離と属領化が「近代化」との関係で語られていた。
私が警察の力を背後に置いた差別教の人達の言動から感じたのは、<人狼>と「共同体」とをめぐるこのような物語であった。「人間の生の価値は、その人の自我理想によって決まり、平等も無条件の連帯の肯定も存在せず、魅力を持った生へと変わらなければ対等な人間として見なされず疎外されがちになる」という回路が現代日本社会で支配的思考形式のように感じる。人間的で相互的なコミュニケーションの外部に放逐されがちなスケープゴートであり、プライバシーや通信の秘密を軽視された監視付き生活を強制されている<聖なる人間>であるかのような<私>。
氷山のような意識の水面下には植民地的無意識としての<外部>の何かがあり、それを排除した後にプライバシーを軽視された監視社会で見世物的生活を強制される<単なる統合失調症患者>か<精神異常者>か<普通の知能薄弱者>として薬学コントロールなども加えて包含しようという生政治的試みが警察の力を背後に置いた言論活動展開する者達の活動実態ではないかと感じられる。
私は永井均の<私>とアガンベンの<ホモ・サケル>とルネ・ジラールの<スケープゴート>と赤坂憲雄の<周縁の異人>と岸田秀の集団の<es>に、共同体の<外部>に置かれた者の生を見たわけだが、それらの構造的類似を説き統一的に語っている仕事は、まだお目にかかった事がない。
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