[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
日本遺族会とその戦争観
6
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2005/08/10(水) 23:06:04
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/02/ou_izokukai.htm
1964年4月29日、昭和天皇の誕生日のこの日、日本は又公然と戦時の「戦没者叙勲」制度を復活させた。この日に池田勇人は講話のなかで、「戦没者の叙勲は、国家が今次大戦中に祖国の為に尊い命を投げ出した英霊に対して、感謝を表明すると共にその生前の功績を称えるものだ」と述べた。
1970年10月、日本政府は又、戦時の『賜杯』制度を復活させた。これは国家に対する「功労賞」の一つで、戦没者に銀杯或いは木杯を与えた。報道によれば、目下のところ日本政府は約205万人の戦没者に勲章や「賜杯」、証書の類を配り、その数はおおよそ戦没者全体の70%以上(日本側の発表では、戦没者は300万で、その中には原爆の被害者、空襲、集団自殺等の殉難者が含まれるがこれらの人々は叙勲の対象にはならない)に当たるという。
日本政府の戦争観点および一連の行動は、遺族会にたいする一種の刺激剤の注入にほかならない。70年代に入って、遺族会の動きは更に活発になり、全力を挙げて日本政府、首相、閣僚に靖国神社の「公式参拝」を促すようになった。彼等は、声高に、これは靖国神社国営化の第一歩であるという。1976年、当会は靖国神社本庁、全国戦友会連合会、日本郷友連盟、軍恩給連盟等の団体が合同して「英霊にこたえる会」を結成した。その趣旨は日本政府、閣僚を動かして靖国神社の「公式参拝」をいち早く実現しようとするものなのだ。彼等は、これが実現してこそ戦死した「英霊」は「浮かばれる」と考え、これによって戦死者の英霊を慰めることができるというのだ。
これに呼応するように、1980年、自民党は衆参議員選挙の際、「靖国神社の公式参拝」を実現することを公約に掲げて、遺族会等の右翼団体の支持を得、自民党一党政権の政治的局面を作り出した。翌年の4月、自民党の国会議員311名によって「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」を組織し、国会議員が集団で参拝することを主張した。この後、鈴木、三木内閣の首脳および一部の閣僚が「私人」の名義で靖国神社を参拝し、「公式参拝」、「国家護持」の第一歩を踏み出した。
1985年8月15日になって、遺族会や自民党内部による推進の下に、内閣総理大臣中曽根を頭にした政府要人が、アジア、太平洋地域諸国の強い反対と国内の抗議をよそに、公然と「内閣総理大臣」の肩書で「公式参拝」した。以後日本政府与党の面々は次々に登場して、一連の侵略戦争否定の奇談怪談を繰り広げ、いわゆる「戦後の総決算」の幕開けとなった。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板