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不軽菩薩と信心についてのコメント(一人のSGIさんより)

9太ちゃん★:2016/08/13(土) 00:07:38
http://6027.teacup.com/situation/bbs/54146

言葉を変えていえば、九識論における八識以前を切り捨てた九識のみ、
十界論で言えば九界までを切って仏界だけを真実とする、

而二不二論の而二を切って不二だけを真実とする、実相だけをとって諸法を切り捨てる、
ご本尊の相貌でいえば、南無妙法蓮華経だけをとって、傍の十界をないがしろにする、などなど、、です。

又、内道の仏法の中でも、小乗教の涅槃の境涯や、大乗でも
真言や禅などもどちらかというと「法」だけに重きを置くものです。

更に極端に言うと、日蓮系でも「凡夫本仏論」を否定し、
釈迦を人間を超越した存在として偶像化する思想も、一種の「法」のみの半端な思想です。

これらの思想には、現実そのものの生命の把握が完璧でない為、
本当の意味で現状の改革や人間革命、宿業転換はできません。

「外典の外道・内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、
然りといへども法華経の如く説かず、然れば経経に勝劣あり人人にも聖賢分れて候ぞ」

(蒙古使御書P1473)

しかし、表面的にはたくさんの宗教をこの一点で統合できるかもしれないといううまみがあります。

問題は、

この一見寛容に見える転換が、大聖人の仏法を妥協から今、又、更に謗法に貶めている事です。

それは当然5重の相対などを以て、
宗教の高低浅深を見極めるという態度とは正反対の立場です。

つまり、このやり方では、基本的には、他宗を批判することはしません。(正宗だけは別ですが、、)

それどころか、外道の宗教の人や日蓮宗などにも、
何の宗教間の対話もなく無防備に受け入れています。

佐藤優などがいい例でしょう。
(注;釈迦の八万宝蔵の教えも外道も真理の一部として説くのはいいが、完璧な真理として取ると、謗法になる)


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