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不軽菩薩と信心についてのコメント(一人のSGIさんより)
11
:
太ちゃん★
:2016/08/13(土) 00:11:49
http://6027.teacup.com/situation/bbs/54148
これと対照的に組織では、1)の
「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞である」
という部分だけを切り取って指導します。
ここに2つほど彼ら流に曲解されてしまったメッセージがあります。
一つは、人を敬う、良い振る舞いをせよ=組織、幹部、他宗、批判(建設的な意見も含む)をするな
2つ目は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞」=「大聖人の出世の本懐も人の振舞」=御本尊御図顕ではなく
迫害に絶え、本物の信者を輩出させ得たこと。
としています。
しかし、あきらかに大聖人の出世の本懐は事の一念三千の御本尊御図顕です。
御書にはこうあります。
経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり、
あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、
子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。
阿仏房御書 P1304
不軽菩薩は一見すれば、摂受の手本の様にも見えます。
しかし、迫害を覚悟で、謗法のものに真実を訴えたのは
慈悲を根本とした「折伏精神」であるのはまちがいないのです。
御書に
夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、
摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、
無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、
邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし
開目抄 p235
とあります。
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