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宿坊の掲示板について

207見○み○い○び○:2015/10/13(火) 17:49:38 ID:CD1KO33w
ご無沙汰です。
遅レスですが「先生が当初3年間大学に来れなかった」はちょっと御認識が違って
いるようなので私の知る範囲で説明させていただきます。

> でも昔っから、学園、大学とも、創立者を排除してきたのも事実。

学園はそういうことなかったと思います。強いて言えば山崎正友が第2教員組合を
作って学園を撹乱していた76-77年頃?が少々そういう雰囲気あったかもしれませ
んが、先生はフツーに機会があれば学園にいらしていましたよ。

大学は71年開学ですが、4月の入学式に創立者が来れなかったのは事実です。
「学園も大学も社会に有為な人材を輩出するためにつくった。創価学会のためとか
学会の幹部を養成することが目的ではない。」「大学はどこまでも学生中心。学生
主体。学生のための一点を目的に運営されるべき」と創立者自らが明言していた背
景があります。

大学は「各学問分野の一流の教授を。学会員であるとか学会に友好的か等にこだわ
らないで」との創立者の意向で圧倒的に多数の外部の教授が集まりました。60年安
保国会前衝突で亡くなった東大の樺美智子さんのお父さん、樺俊雄教授もいらっし
ゃいました。有名な社会学者でした。優秀な教授がいると、また優秀な教授が次々
と来る循環があり、当初の創価大学の教授陣はすごく充実していました。

学会と大学は関係ない、よって「創立者を大学に呼ぶのはおかしいだろ?ご本人も
学会と関係ないと仰っているんだから」と考えていた教員が多かったようです。当
初は教授会と理事会が大学運営主体でした。こんなことが第1回入学式に先生がいな
い、という状況になったみたいです。「3年間来れなかった」は正確には「大学主催
行事には第3回入学式(73年)まで来られたなかった」です。開学の年71年秋の大学祭
にはいらっしゃいました。学生主催行事だったので教授の意向は関係なかったんです
ね。

http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/3679/1/p.79-100.pdf
この頃の事実関係はこのレポートの冒頭数ページに詳しいです。

これも上記レポートに詳しいですが、そうは言っても学生達は先生がこられないの
は寂しくてしかたなかったみたいですね。だから「自分たちで先生を大学にお迎え
しよう!」と闘いを起こしたのが創大祭であり滝山祭で、先生と学生の温かな交流
の姿を見て教授たちの意見も変わっていき大学主催行事にも創立者が来られる流れ
が出来たことは当時の学生の誉れの闘いと思います。先生も喜ばれたと思いますよ。


学園と大学出身者に勘違い君がかなりいるのは昔も今も変わらないですね。限られ
た時間と空間に自分がいたことだけを理由に自分が特別だと思ってしまう人、そう
いう人が責任ある立場になり外を為す場合にはどんどん攻めるべきです。


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