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世間話や何でもありのスレッド
320
:
慧空
:2014/11/28(金) 13:41:38
まきりんさん
はい、私にはまだ悟りを伝えたいとか、家族と生活したいとう執着があります。
それらも薄くはなってきてるのですが、まだ確かにあるんです。
でもやっぱり、私は何も考えは掴んでないんです。
この答えは既にブログの方に記事(
http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/c/1b753aa67ddd718c03f62c29fd7f2f9a
)として書いていますので、
そちらをご覧頂きたいのですが、ここでも少し説明しますね。
重要なポイントは、執着も考えであるということと、
起こってくる考えには、2つの階層があるということです。
一つは、ただ起こってくる考えです。
これについては、起こってきたその考えをただ受け取るだけです。
この考えについては、それに対してどう対応しようと、概ね普通に対応している限りは問題は起こりませんし、
手放すことも、消し去ることも不可能なんです。
基本的に受け取るしかない考えですから。
もう一つは、その考えが起こってくると、それに連動して、その考え自体を掴ませたり、
それに関連した考えを連想させて掴ませる考えの連鎖や衝動を起こさせる考えです。
この二つ目の考えが、私という自我が掴んでいる考えであり、
私という存在を延々と迷わせている根本要因なんです。
この二つ目の考えは、自覚等を通じて手放すことが可能なんです。
それで、自我が掴んでいるこの二つ目の考えについて、すべて手放せば、解脱の悟りということになるんです。
そのとき後に残るのは、一つ目の考えだけとなります。
そして、残りのすべての一つ目の考えが消費され尽くしたとき、解脱となります。
少し見方を変えると、こんな言い方もできます。
起こってくる考えとは、執着である、と。
そして、私という存在は連鎖的に移り変わっていく執着そのものであり、
その執着には二つの階層がある、と。
すべての執着が尽きたとき、私という存在も終わるのだ、と。
この微妙なニュアンスが少しでも伝われば、嬉しいです。
ただ先に申し上げておきますと、この話しが本当に理解できるのは、解脱の悟りを得た後なんです。
それまでの楽しみとしておいてくださいな。(^^)
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