したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

(参考)日月神示スレッド

1カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:03:24
富士の巻 第19帖 (099)
 神世のひみつと知らしてあるが、
いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、
臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、
口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、
四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、
空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、
獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、
今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。
一時は天も地も一つにまぜまぜにす るのざから、
人一人も生きては居れんのざぞ、
それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、
神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、
どこへ逃げ ても逃げ所ないと申してあろがな、
高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、
いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。
人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、
くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。
八月の二十六日、のひつくのかみ

『辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ』と年代の推定が出来る文言
最近の「辛酉」の年は1921年→1981年→2041年

極めの巻 第17帖 (095)
今迄の、のがれ場所はヤマであったが、
今度はヤマに逃げても駄目、カミの御旨の中であるぞ、
山に移りて海に入れよと申してあろう、今度のことぞ。

日月神示検索
ttps://kenzen1.stars.ne.jp/hihumi/

2カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:05:30
第03巻 富士の巻 (二二のまき) 第十三帖 (九三)
何もかも天子様のものではないか、
それなのにこれは自分の家ぞ、
これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、
一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、
一本の草でも神のものぞ、野(ぬ)から生れたもの、山から取れたもの、
海の幸もみな神に供えてから臣民いただけと申してある訳も、
それで分るであろうがな。
この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、
さう言えば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、
必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、
洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民 何も分らんから、
慌てているが、この神示読むことが洗濯や掃除の始めで終りであるぞ、
神は無理は言わんぞ、神の道は無理してないぞ、
よくこの神示読んでくれよ。読めば読むほど身魂磨かれるぞ、
と申しても仕事を余所(ヨソ)にしてはならんぞ。
臣民と申すものは馬鹿正直だから、
神示よめと申せば、神示ばかり読んだなら良いように思うているが、
裏も表もあるのぞ。役員よく知らしてやれよ。八月二十二日

岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。いったん世界は言うに言われんことができるぞ。
シッカリ身魂を磨いてくれよ。身魂磨き第一ぞ。
 岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ。
この世はまだまだ悪くなるから、
神も仏もこの世にはおらぬのざというところまで、
とことんまで落ちていくぞ。

3カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:07:18
上つ巻 第28帖
 世界中まるめて神の一つの王で治めるのぞ。
それが神のやり方ぞ。百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、
今度はとことはに定まるのぞ。
身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ。
茄子の種には瓜はならんぞ。茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組み。
この世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世にないものぞ。

神とアクとの力くらべぞ。
今度はアクの王も神の力にはどうしてもかなわんと心から申すところまで、
とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、
よき方に回してやるぞ。神の国を千切りにして膾(なます)
にするアクの仕組みは分かりておる。
アクの神も元の神の仕組みを九分九厘までは知っていて、
天地ひっくり返る大戦となるのぞ。
残る一厘は誰も知らぬところに仕掛けてあるが、この仕組み、
心で取りてくれよ。神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。
臣民この世の神ぞ。と言うて鼻高になると、ポキン折れるぞ。

 改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ。
臣民のものというもの何一つあるまいがな。草の葉一枚でも神のものぞ。
 何もかも持ちつ持たれつであるぞ。
臣民喜べば神も喜ぶぞ。金(きん)では世は治まらんと申してあるのに、
まだ金追うている醜しい臣民ばかり。金は世をつぶす本ぞ。
臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は、モトの光のやり方ぞ。
 世が変わりたら天地光り、人も光り、草も光り、
石も物ごころに歌うぞ。雨もほしいときに降り、
風もほしいときに吹くと、雨の神、風の神申しておられるぞ。

4カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:09:22
(下つ巻より第三十四帖)
 日本の臣民みな取次ぎぞ。役員ぞ。
この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役
神の臣民は世界一つに丸めててんし様に捧げるお役ぞ。
この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなりて、世界丸めるお役ぞ。

イスラエルの十二支族の源が分かる時代が来た(「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ)
 → 戦後の神示によるもの

「黄金の巻」第五十九帖]
「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世(ミロクの世)と致すのぢゃ。」

「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、
天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、
三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、
あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)

「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、
今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、
上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」
(同巻第十六帖)

5カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:10:54
第四帖
 豊栄に 栄り出でます 大地(くに)(九二)の太神。
 大掃除はげしくなると世界の人民皆、仮四の状態となるのぢゃ、
掃除終ってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて息吹きかへして
ミロクの世の人民と致すのぢゃ、
因縁のミタマには(カミ)のしるしがつけてあるぞ、
仏教によるもののみ救はれると思ってはならんぞ、
キリストによるもののみ救はれると思ってはならん、
神道によるもののみ救はれると思ってはならん、
アラーの神によるもののみ救はれるのでないぞ、
その他諸々の神、それぞれの神によるもののみ救はれるのではないぞ、
何も彼も皆救はれるのぢゃ、生かすことが救ふこととなる場合と、
小呂すことが救ふことになる場合はあるなれど。

第十五帖

 今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、
その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは
【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、
今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、
今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、
一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、
ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、
神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。

人間それぞれのミタマによって役目違うのであるぞ。手は手、足は足と申してあろう。何もかもマゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ。
ミタマ磨けてさえおれば、心配なくなるぞ。心配は、磨けておらぬ証拠ぞ。ミタマ磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ。
――『ひふみ神示』

6カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:12:13
上つ巻・第39帖
地震カミナリ火の雨降らして大洗濯するぞ。
よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。
神懸りが沢山出来て来て、訳の判らんことになるから、
早くこの道を啓いて(ひらいて〜啓発の意)くれよ。
神界ではもう戦の見通しついているなれど、
今はまだ臣民には申されんのぞ。改心すれば分りて来るぞ、
改心第一ぞ、早く改心第一ざ。ひつくのか三。

大掃除激しくなると世界の人民皆、仮死の状態となるのじゃ、
掃除終ってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて
息吹き返してミロクの世の人民と致すのじゃ、
因縁のミタマには⦿カミの印しるしがつけてあるぞ

一人の改心ではまだまざぞ、
一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、
外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔て心悪ぢゃぞ。

人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、
我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、
それでも我でやって鼻ポキンポキンか、
さうならねば人民得心出来んからやりたい者はやって見るのもよいぞ、
やって見て得心改心致されよ、
今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。

7カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:13:15
24黄金第87帖
 まことに改心出来たと、神が見届けたら、
今度はこの世はもとより、何の心配もないやうに守って、
肉体、顔まで変へてやるぞ。宿命と運命は同じでない。
磨けばどんなにでも光るぞ。放っておいても神に背く者は自滅して行き、
従ふものは弥栄えて行くぞ。其処に神の能(ハタラキ)、よくさとりて下されよ。
人間の処理方法と神の処理方法と融和せねばならん。
急がねばならず、急いでは谷底に落ちて出来損なふぞ。
ありとあらゆるもの、何んでも彼んでも天地の御用持ってゐるのぞ。
そのものの勝手な道は許さんぞ。
大き喜びの中に、小さい自分の喜び大きく栄えるぞ。
大きな生命の中にこそ小さい自分のマコトの喜びが弥栄えるのであるぞ。
判りたか。

24黄金第84帖
 神は人民に改心さして、世の立替立直し致さうと思うたのであるが、
曇りがあまりにひどいから、何事のびっくりが出るか、
もう神も堪忍袋の緒 切れたぞ。人間が恨みや怒りもつと、
その持物までが争ふことになるぞ。早う気持から洗濯して下されよ。
死んでも続くぞ。結構に始末せねばならん。
上に立つ者 余計に働かねばならん時来てゐるぞ。
いくら古くから信心してゐると申しても【肝腎】が判りて居らんと何もならん。
よい御用出来ん。想念の自由とは神に向上する
より上の、よりよき方に進む自由であるぞ。どの世界の人民も自由もつ。

8カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:15:15
24黄金第75帖
 戦や天災では改心出来ん。三千世界の建直しであるから、誰によらん。
下の神々様もアフンの仕組で、見事成就さすのであるが、よく神示読めば、
心でよめば、仕組九分通りは判るのであるぞ。
死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、
その想念のままの世界に住むのであるぞ。
この世を天国として暮す人天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ。
真理を知ればよくなるぞ。そんなこと迷信と申すが、求めて見なされ。
百日一生懸命求めて見なされ。必ずおかげあるぞ。
神があるから光がさして嬉し嬉しとなるのであるぞ。

20梅第26帖
 金(きん)では治まらん、悪神の悪では治まらん、
ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、
悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、
判ってゐる守護神殿早う改心結構ぞ、
元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、
洗濯すれば治るぞ、病神は恐ろしくて這入って来られんのぢゃぞ、
家も国も同様ざぞ。神示幾らでも説けるなれど
誠一つで説いて行(おこな)って下されよ、
口で説くばかりではどうにもならん、魂なくなってはならん。

20梅第6帖
 雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、百々八百万の神々様御活動激しくなったぞ、
人民目開けておれん事になるぞ、出来るだけおだやかに致したいなれど、
判りた臣民日々おわびお祈り結構致し呉れよ、大峠となりてからでは、
いくら改心致しますと申しても、許してくれと申しても、
許すことは出来んから、日本には日本の守護の神、
支那には支那、外国には外国のそれぞれの守護の神あること忘れるなよ。
神々様持場々々清めて呉れよ。御役結構ぞ

9カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:16:16
14風第12帖
 日本の人民餌食(えじき)にしてやり通すと、
悪の神申してゐる声人民には聞こへんのか。
よほどしっかりと腹帯締めておいて下されよ。
神には何もかも仕組てあるから、心配ないぞ。
改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、
待てるだけ待ってゐるぞ、月の大神様が水の御守護、
日の大神様が火の御守護、お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。
この御三体の大神様、三日この世構ひなさらねば、此の世、くにゃくにゃぞ。
実地を世界一度に見せて、世界の人民一度に改心さすぞ。

13雨第13帖
 世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、
まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。
恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。
因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、
神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、
と気付けてあろうがな、五十九柱いくらでもあるのざぞ、
かへミタマあると申してあろうがな、務めた上にも務めなならんぞ、
因縁深い程罪も借銭も深いのざぞ、岩戸閉めにも良き身魂あるぞ、
岩戸開きにも悪あるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務めて下されよ。

10カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:16:58
13雨第7帖
国の洗濯はまだまだ楽であるが、ミタマの洗濯中々に難しいぞ、
人民可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、
幾ら言ひ聞かしても後戻り許りぢゃ、
言ひ聞かして改心出来ねば改心する様致すよりもう手ない様になってゐるのざ。
何時どんな事あっても神は知らんぞ、
上から下までも誰によらん今迄の様な我儘させんぞ、
役員馬鹿にならなならんぞ、大のつく阿呆になれよ、
(さかさまの大)のつく阿呆にあやまって呉れるなよ、
阿呆でないと今度の誠の御用なかなかざぞ。
命捨てて命に生きる時と申してあろがな、
非常の利巧な臣民人民アフンで御座るぞ、
今にキリキリ舞するのが目に見へんのか。
何時も変らぬ松心でおれと申して御座ろがな、
建替へ致したら世界は一たん寂しくなるぞ、
神が物申して居る内に改心せなならんぞ、後悔間に合はんと申してあろがな。

13雨第2帖
 天の太神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、
地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、
そこで神々様を此の世から追い出して
悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。
七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為めのものと
申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、
基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、
基督を十字架に釘付けにしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、
○とは外国の事ぞ、◎が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。

11カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:17:36
6日月第36帖
 今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。
之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。
今の世のやり方、見れば判るであらうが、
上の番頭殿悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。
番頭殿を悪く申すでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。
よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、
神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。
まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば
自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。
悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。
怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事では
まことの民ではないぞ。世が愈々のとことんとなったから、
今に大神様迄悪く申すもの出て来るぞ。
産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、
悪神ばかりぞと申す者沢山出てくるぞ。
此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。
神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。
何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、
心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。
神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、
今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。
神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、
神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。
此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、
苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、
神の道素直に聞く臣民でないと解けんぞ。
解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。
苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。

12カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:18:12
6日月第11帖
 学も神力ぞ。神ざぞ。学が人間の智恵と思ってゐると飛んでもない事になるぞ。
肝腎の真中なくなりてゐると申してあろが。真中動いてはならんのざぞ。
神国の政治は魂のまつりことぞ。苦しき御用が喜んで出来る様になりたら、
神の仕組判りかけるぞ。何事も喜んで致して呉れと申してあろがな。
臣民の頭では見当取れん無茶な四(よ)になる時来たのざぞ。
それを闇の世と申すのぞ。神はヽ、臣民は○、外国は○、
神の国はヽと申してあろが、神国から見れば、まわりみな外国、
外国から見れば神国真中。人の真中には神あらうがな。
悪神の仕組は此の方には判りてゐるから一度に潰す事は易いなれど、
それでは天の大神様にすまんなり、悪殺して終(しま)ふのではなく、
悪改心させて、五六七(みろく)のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、
この道理忘れるでないぞ。今の臣民幾ら立派な口きいても、
文字ならべても、誠がないから力ないぞ。
黙ってゐても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。
力は神から流れて来るのぞ。
磨けた人から神がうつって今度の二度とない世界の、
世直しの手柄立てさすぞ。みたま磨きが何より大切ぞ。

13カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:18:36
5地つ第35帖
 日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな、
日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、
この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、
とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのが
この方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、
その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて
日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、
南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。
お土の上り下りある時近づいたぞ。人の手柄で栄耀してゐる臣民、
もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。
世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、
早う身魂みがいて下されよ。身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、
まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、
神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、
とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、
神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、
家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、
済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、
みそかは闇ときまってゐるであらうがな。借銭(かり)返すときつらいなれど、
返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、
素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、
日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、
国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、
仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、
その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。

14カトリックの名無しさん:2022/07/09(土) 12:19:32
3富士第20帖
 今のうちに草木の根や葉を日に干して貯へておけよ、
保持(うけもち)の神様お怒りざから、九十四は五分位しか食べ物とれんから、
その積りで用意して置いて呉れよ。神は気もない時から知らして置くから、
この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、
米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、
臣民ばかりでないぞ、神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。
臣民と云ふものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、
いざとなりての改心は間に合はんから、くどう気つけてあるのぞ。
日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、
神にすがりて神の申す通りにするより他には道ないぞ、
それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも
朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ。
江戸に先ず神まつれと、くどう申してあることよく分かるであろがな。

日月神示検索
ttps://kenzen1.stars.ne.jp/hihumi/

15カトリックの名無しさん:2022/07/15(金) 15:21:49
【参考】西暦2023年→昭和23年 出口王仁三郎死去
    西暦2025年→明治25年 大本開祖の出口なおに、艮(うしとら)の金神(こんじん)という名で
               国常立尊(くにとこたちのみこと)が帰神した年
    西暦2027年→昭和27年 出口王仁三郎の妻・二代目教主すみ死去
    西暦2030年→明治30年 岡本天明 生誕年
    西暦2031年→明治31年 出口なお(開祖)が上田喜三郎(王仁三郎)と初体面した年
    西暦2032年→明治32年 出口なお(開祖)が教主、喜三郎が会長として、
               「金明(こんめい)会」を発足した年
    西暦2033年→明治33年 上田喜三郎(教祖)とすみ(二代目教祖)が結婚し、
               「大本(おおもと)教団」の基礎が成立した年

磐戸の巻 第九帖
『辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ。』

春の巻 第一帖
『新しき御代の始めのタツの年。スメ大神の生れ出で給ひぬ。』

紫金の巻 第九帖
『新しき御代のはじめのたつの年、あれ出でましぬ かくれゐし神。
かくり世も うつし御国の一筋の光りの国とさきそめにけり。』

16カトリックの名無しさん:2022/07/16(土) 17:50:20
17地震第6帖
 霊界人は、その向いている方向が北である。
しかし、地上人の言う北ではなく、中心という意味である。
中心は、歓喜の中の歓喜である。
それを基として前後、左右、上下その他に、無限立体方向が定まっているのである。
霊界人は地上人が見て、何れの方向に向っていようと、
その向っている方向が中心であることを理解しなければならない。
故に、霊人たちは、常に前方から光を受け、歓喜を与えられているのである。
それは絶えざる愛であり、真理と受け取られ、
それを得ることによって霊人たちは生長し、生命しているのである。
要するに、それは霊人たちの呼吸と脈拍の根元をなすものである。
地上人から見て、その霊人たちが各々異なった方向にむかっていようとも、
同じく、それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる。
上下、左右、前後に折り重なっていると見えても、
それは、決して、地上人のあり方の如く、霊人たちには障害とならない。
各々が独立していて、他からの障害をうけない。
しかし、その霊人たちは極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在ではない。
各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。
それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、
その額は、身体全体を集約した額である。地上人に於ても、
その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、
地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。
映像として真実であるが、第一義的真理ではない。
故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのではない。
内質に於ては同一であるが、現われ方や位置に於いては相違する。
故に、霊界人が現実界を理解するのに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである。
霊人の中では太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長していると云う、
地上人には理解するに困難なことが多い。要するに、これらの霊人は、
反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、
それ相応な歓喜があり、真実があり、生活がある。歓喜のうけ入れ方や、
その厚薄の相違はあるが、歓喜することに於ては同様である。歓喜すればこそ、
彼の霊人たちは太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、
闇を光と感得していることを知らねばならぬ。この霊人たちを邪霊と呼び、
邪鬼と云い、かかる霊人の住む所を地獄なりと、多くの地上人は呼び、且つ感じ、考えるのである。
しかし、それは本質的には地獄でもなく、邪神、邪霊でもない。
霊界に於ては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない。
何故ならば、思念による思念の世界につながる故である。
現実的にみては折り重なって、この霊人たちが生活するとも、全然その感覚外におかれるために、
その対象とはならない。地上人に於ても原則としては同様であるが、
地上的、物質的約束のもとにあるため、この二者が絶えず交叉混交する。
交叉混交はしても、同一方向には向っていない。
そこに地上人としての霊人に与えられていない特別の道があり、
別の使命があり、別の自由が生じてくるのである。

17カトリックの名無しさん:2022/07/16(土) 18:02:42
 四つ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生れると申してあろう、
神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ。今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、
パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるぞ、取違いせぬように、
悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ。大峠の最中になったら、
キリキリまひして、助けてくれと押しよせるなれど、その時では間に合わん、
逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ん、皆己の心であるからぞ、
今の内に改心結構、神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、
天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、
納得の行くように致して見せてあるでないか。『黙示2碧玉の巻第8帖』

27春第55帖
 十二年おくれてゐるのを取り戻すのであるから、
これからは目の廻る程 急しくなってくるぞ。
神示よむ暇もなくなると申してある時来たぞ。
いづれは人民へるなれど、何も約束ごと真理とはかえられん。
まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与へる仕組。

19まつり第21帖
 建替が十年延びたと知らしてあろが、建替遅くなりて、
それから建直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、
建直し早うかかるからと聞かしてあろが、人民には中々判らんなれど、
世界の動きよく見て御用結構ぞ。世の建替は水の守護、
火の守護と知らしてあること忘れずに神示読めよ、
所々の氏神様は日本の内で御用なさるのぢゃ。
どんな集団(まどゐ)も神示が元ぢゃ、神示で開かなならんぞ、
智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、誠で開いて下されよ。

19まつり第12帖
 肉体ある内に身魂かまふて貰わねば、今度身魂磨けて来たら末代の事、
末代結構ざから、それだけに大層ざから、
お互いに手引き合って、磨き合って御用結構ぞ、わけへだてならんぞ、
判らん者はチョンに致すぞ。元のキのことは、元のキの血統でないと判らんのぢゃ、
判る者は判らなならんぞ、判らんものは判らんのがよいのぢゃぞ。
何事も人民に判りかけ致さな、物事遅れるぞ、十年おくれると申してあるが、
おくれると益々苦しくなるから、おくれん様結構したいなれど、
大層な肝腎かなめは神々様にも申されんことであるが、
今の内に判って貰わねば、知らしてからでは十人並みぢゃ、
それまでは神のもとのコトは申されんぞ、元の身魂に輝くぞ

18カトリックの名無しさん:2022/08/08(月) 17:22:40
第二十一巻 空の巻 第十三帖
人力屋、酒屋、料理屋、芸妓(げいこ)屋、娼妓(しょうぎ)、無く致すぞ、
世つぶす基(もと)ざぞ、菓子、饅頭も要らんぞ、煙草もくせぞ、
よき世になったら別の酒、煙草、菓子、饅頭出来るぞ、勝手に造ってよいのざぞ、
それ商売にはさせんぞ。

4天つ第30帖
神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ。まつりがあるだけぞ。
まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。
これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、
分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。
手足は沢山は要らぬのざぞ。

5地つ第18帖
今の政治経済はわれよしであるぞ。臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、
神の光のやり方でないと治まらんぞ、与へる政治がまことの政治ぞよ、

10水第12帖
建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。
御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。
政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板