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ボネ神父

1カトリックの名無しさん:2017/01/11(水) 00:50:18
ボネ神父

2カトリックの名無しさん:2017/01/11(水) 00:50:31
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』

序にかえて

 神は感覚によってたしかめることができないから信じられない、という人々にお答えするためにも、わたしはボネ神父さまの生涯をお知らせしたいと患います。

 旧約聖書の創世の書に、"神は、自分に似せて人をつくられた"といわれています。それゆえ、もしこの世につくられたままのゆがめられない純粋な人間がいるとしたら、その人のなかに、神の姿はどれほど美しく反映していることでしょう。一茎の花にさえ、神の無限の知恵と美しさがかがやいているといいます。まして、ここにご紹介申しあげようとしているボネ神父さまは、一点のくもりもない鏡のように神の姿をうつしていたのではないかと思います。なぜなら、精神的にも、肉体的にも、ひじょうな健康にめぐまれていた神父さまは、人間として完全であり、それに野人特有のあるがままに生きる純粋な人であり、しかも彫りの深い性格をもっていたからです。

 しかし、この世のあらゆる現象を超越して、神と対座している者の、ますます鮮明になってゆくペルソナ的存在と、また人間的な偏見を知らぬカトリックの普遍性と淡白さを通して、かれが近づく人々の心をうったのは、じつは、かれ自身ではありませんでした。それこそ愛そのものである生きる神の現実の姿、すなわち、彼を通じて表現され、人の感覚に直接訴えられたその存在だったのであります。

 それゆえ、神父さまのまわりに集まって、そのふんい気を呼吸した人々は、心のおくからにじみ出てくる幸福と、ある内的平和へと導かれてゆきました。

 青白き理論よりも、現実は、もっとわたしたちの心に信仰への深い証明をあたえます。この意味において、神のかたどり、まして神の代理者と呼はれる司祭の生涯をえがくことは、わたしの大きなよろ乙びとなりました。しかし、聖なる司祭のかがやくはかりの美徳に、一種の眩惑を感じながら、わたしは、自分自身がその偉大な生涯を書くに耐えないものであることも悟りました。そこで・ペンをとるにあたって、まずボネ神父さまにむかって、小さな祈りをささげてみたのです。

 「いつくしみの父ボネ神父さま、わたしの心をきよめ、あなたの霊をおあたえください。あなたを誤りなく描くことによって主のお姿が人々のなかにあらわれますように、天の光栄にかがやくあなたにふさわしくないわたしをあわれみ、わたしのためにお祈りください。時をへだて、世を異にし、まみえることもございませんが、み心のうちにかぎりなくお愛しいたします」。

 つたないわたしのペンがどこまで神父さまを、この世に呼びもどすことができるだろうか、あるいは、かえって神父さまをご存じのかたがたの美しいイメージをこわしはしないかという不安もあります。それでも、あえて神父さまのいつくしみに助けを求めつつ、筆をすすめることにしました。

 なおこれは、かつての神父さまの霊的子どもたちが、孝愛の心から美しい思い出をつづられたEn sovenirdu Pere Maxime Bonnet(「ボネ神父の患い出」、福岡県行橋市新田原サナトリウム入院患者有志編、昭和34(1959)年8月15日発行、B6・84ページ)を、そのまま年代順に配列して書きたいと思います。そして、ここに見えないかくれたご生活の深淵には、できるだけ正確をねがいながら、わたしのったない想像の糸をたれることにしました。それゆえ、この本の中心は、この思い出のなかのたくさんの作者によってつづられることと思います。また、貴重な時間をさいて、資料を提供してくださいました平田司教さまをはじめ、おおくのかたがたのご援助をふかく感謝いたします。

3カトリックの名無しさん:2017/01/11(水) 01:48:12
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』

序にかえて

 神は感覚によってたしかめることができないから信じられない、という人々にお答えするためにも、わたしはボネ神父さまの生涯をお知らせしたいと患います。

 旧約聖書の創世の書に、"神は、自分に似せて人をつくられた"といわれています。それゆえ、もしこの世につくられたままのゆがめられない純粋な人間がいるとしたら、その人のなかに、神の姿はどれほど美しく反映していることでしょう。一茎の花にさえ、神の無限の知恵と美しさがかがやいているといいます。まして、ここにご紹介申しあげようとしているボネ神父さまは、一点のくもりもない鏡のように神の姿をうつしていたのではないかと思います。なぜなら、精神的にも、肉体的にも、ひじょうな健康にめぐまれていた神父さまは、人間として完全であり、それに野人特有のあるがままに生きる純粋な人であり、しかも彫りの深い性格をもっていたからです。

 しかし、この世のあらゆる現象を超越して、神と対座している者の、ますます鮮明になってゆくペルソナ的存在と、また人間的な偏見を知らぬカトリックの普遍性と淡白さを通して、かれが近づく人々の心をうったのは、じつは、かれ自身ではありませんでした。それこそ愛そのものである生きる神の現実の姿、すなわち、彼を通じて表現され、人の感覚に直接訴えられたその存在だったのであります。

 それゆえ、神父さまのまわりに集まって、そのふんい気を呼吸した人々は、心のおくからにじみ出てくる幸福と、ある内的平和へと導かれてゆきました。

 青白き理論よりも、現実は、もっとわたしたちの心に信仰への深い証明をあたえます。この意味において、神のかたどり、まして神の代理者と呼はれる司祭の生涯をえがくことは、わたしの大きなよろ乙びとなりました。しかし、聖なる司祭のかがやくはかりの美徳に、一種の眩惑を感じながら、わたしは、自分自身がその偉大な生涯を書くに耐えないものであることも悟りました。そこで、ペンをとるにあたって、まずボネ神父さまにむかって、小さな祈りをささげてみたのです。

 「いつくしみの父ボネ神父さま、わたしの心をきよめ、あなたの霊をおあたえください。あなたを誤りなく描くことによって主のお姿が人々のなかにあらわれますように、天の光栄にかがやくあなたにふさわしくないわたしをあわれみ、わたしのためにお祈りください。時をへだて、世を異にし、まみえることもございませんが、み心のうちにかぎりなくお愛しいたします」。

 つたないわたしのペンがどこまで神父さまを、この世に呼びもどすことができるだろうか、あるいは、かえって神父さまをご存じのかたがたの美しいイメージをこわしはしないかという不安もあります。それでも、あえて神父さまのいつくしみに助けを求めつつ、筆をすすめることにしました。

 なおこれは、かつての神父さまの霊的子どもたちが、孝愛の心から美しい思い出をつづられたEn sovenirdu Pere Maxime Bonnet(「ボネ神父の患い出」、福岡県行橋市新田原サナトリウム入院患者有志編、昭和34(1959)年8月15日発行、B6・84ページ)を、そのまま年代順に配列して書きたいと思います。そして、ここに見えないかくれたご生活の深淵には、できるだけ正確をねがいながら、わたしのつたない想像の糸をたれることにしました。それゆえ、この本の中心は、この思い出のなかのたくさんの作者によってつづられることと思います。また、貴重な時間をさいて、資料を提供してくださいました平田司教さまをはじめ、おおくのかたがたのご援助をふかく感謝いたします。

4カトリックの名無しさん:2017/01/12(木) 01:51:24

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、2

第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教

◆、1 馬の乳

「お馬、お乳ちょうだい!」

 力いっぱい走ってきて、のどがかわいたので、坊やは雌馬の足のあいだにもぐりこんでゆきました。

「ええ、いいとも坊や、おなかいっぱいおあがり」。

 雌馬は、坊やが乳をのみおわるまで静かに待っていました。すてきにおいしい乳でした。

「お馬、ありがとう!」

 坊やは、馬の鼻面をなでようと、いっしょうけんめい背のびしました。雌馬は、好意を感じてか、ヒヒンと高くいななくと、坊やのまえに長い顔をすりよせてきました。それは、まるで、「どういたしまして、坊や!」とでも、いっているかのように見えました。

 坊やの名は、マキシム・ボネ、健康そうな赤味をおびた額の下には、無邪気なまなざしが満足そうにほほえんでいます。そのうえ、まるまるとふとり、あかるい褐色のかみの毛が耳まで波うちながら、よくととのった顔を形よくふちどっています。ヅ河にうつる星よりも美しい、かがやく目をもった子どもです。

 あたりは、目にしみるような青草が、春の陽光のなかで夢のようにけむり、もし、だれかきて、その光景をみていたとしたら、まったく童話の世界にでもいるように感じたことでしょう。

 ここは、スイスの国境にあるポンタリエ市にほど遠からぬモンブノアという村で、パリから、およそ450キロの所にあたります。

 この地方は、ジニラ高原とよはれ、海抜約1,OOOメートルの高さにあって、夏も暑さ知らずの別天地、高原の谷間をぬって流れるすみきったヅ河が、そのかなたにこんもりしげった森をうっして、深淵を思わせるほど青々としています。そして、そこはもうスイスの領土で、まったく、呼べば答えるほどの距離にあります。

 うねうねと波うつ高原には、ところどころに林がありそれを包んで絹のように柔らかな牧草のはえた牧場が、延々とつづいています。マキシム坊やの家は、大きな牧場で、羊や牛や、馬がたくさん、むれをなして草を食べていました。日光にめぐまれたこの地方では、牧草の色がとくべつあざやかで、また豊富なのです。それで、わたしたち日本人には想像もできないほどの乳が供給され、それはちょうどこの土地の人々のそぼくな人情のように甘美な味がしました。


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