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悟り開こうよ 心が身体を動かしている 23次元目

924ましら:2017/03/15(水) 22:14:25 ID:e74HXrtM0
思いを馳せれる…じゃった。
【不思議さん】
布施を受ければ、肉でも食べる。それが釈迦牟尼のスタイルだった。普通、ヨガ行者は肉は食べないのにね。弟子のディーバダッタが
「私たちも肉魚は食べない様にしましょうよ」
と、釈迦に言ったが無視というか拒否。ディーバダッタは仏教では、なぜか悪人のレッテルが貼られるだよね。
たとえば、人が果物の種を除いた部分だけを食べるとしても不殺生戒を守る事は出来ない。体内に入って来る、細菌、真菌、バクテリア、ウィリス他を殺し続けている。
イエス他、レジェント級の神人が現れる前から「すべての生命が安楽であれ、安穏であれ、平穏であれ。天寿を全うし幸せであれ」と言うのがサトリ界の常識であるのに、実はそれが不可能なんだよね。
ニンニクとかヨガ行者は食べないのに、釈迦はどうして食べ物に、選り好みしなかったんでしょうね?なんか瞑想に適した食べ物もあるみたいですよ。
食物連鎖の仕組みで不殺生戒を守ることが出来ないにもかかわらず、釈迦が仏陀になったって事は
「この世界の有り様を承諾(受け入れた)」
って事なんでしょうね。その答えは何でしょうね?
ジャイナ教徒は悟った後、断食の上餓死していった覚者も居るけれども、釈迦は生きた。悟ると言う目的を果たしてもなを生きていくのか?それでも釈迦は、老い病と向き合い 、喉の渇きを訴え・血便を出しながら生きた。人と しての属性を保ったまま生きた。何故でしょうね?たぶん、その生き方の中に悟りの本質があるんでしょうね。一番気になる不思議さんです。




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