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悟り開こうよ 心が身体を動かしている 23次元目

44シヴァージ ◆Mh/HW8c4EM:2016/08/28(日) 12:53:48 ID:hKX4QLqk0
155さん(他称アラサー女さん。実際は男性)のまとめ
というのがありまして、
(エラーでURL張れないので
【155 ◆EgHTFQZo3s氏 霊界通信 まとめサイト】で検索)

スレ4 >>179あたりから155さんが
「自分は子供のころから、どのようなことを考えていたか」
という内容を語り出されます。

その中から、彼の人物像がよく分かる書き込みを紹介したいと思います。

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195 :アラサー女 ◆EgHTFQZo3s :2011/06/20(月) 00:50:06.72 ID:WQEmuVDu0

大学に入って私は真面目に「自分はこれから見えない世界の存在を証明するのだ」と意気込んで
いました。そして大学の図書館で、また町の書店で様々な書物を漁りました。これから自分はどう
すべきか。
どうすれば見えない世界の存在を証明して世の人たちに貴方たちは間違っていると言えるのか。

そうしたときに出会った衝撃的な言葉が「人は己は何をなすべきかを求めたがるのだが、先ず
己とは何かをこそ先に問うべきである」という言葉でした。
私はこの言葉によって自分の求めていた方向が間違っていたということを悟ったのです。

私は自分のことを、内面の価値が全てだと信じて己の心を追究していると思っていた。
そして世の中を批判して、また人々のあり方を批判してそれを正さなければならないと思いこんでいた。
しかし、実はそれは大きな錯覚で、何の意味も無いばかりか、もしそんなことをしてしまえば事態を
逆にさらに複雑に紛糾(ふんきゅう)させかねないことなのだ。

なぜか。私の世の中への批判、人々への批判は心の中に理不尽な暴力への怒り、頑迷な無知への
怒りがわだかまっていたのです。そうしたものが形を変えたものに過ぎなかったからです。神仏に
近づきたい、心の段階において上に行きたい、これも社会的な上下の価値観に支配されていたに
過ぎなかったのです。
私は自ら作り出した様々な想念によって自らの心を或いは縛り、或いは決め付けて区別し、或いは
そっぽを向き、さまざまな心の不自由の中でおぼれていたのです。重い精神の軛(くびき)をずっしり
と肩に背負い込んでいたのです。
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