したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

585たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/02/02(月) 00:03:07 ID:ZGYUczus0
パソコン直りました。

>>583
「飛び越える」は、そんなに難しい考え方ではなく、
俺たちがいる「有る」ステージと、成りて成る、成る、有りて有るのステージは違うように俺は感じています。
ただ、これらのステージは隔てられているのではなく、そこに「有りて有る」ばかりです。

この世界のすべては波である、という感覚は、俺も自ら体験した中で確かに感じたものです。
ただ、それは物質同士の波が干渉し合うものではなく、物質を物質たらしめるもの、
存在の底流にある「成りて成る」が干渉し合い生み出されているもののように思えます。

この言い方は語弊があることを承知で言えば、
有りて有る波と、成りて成る波の両者が噛み合った部分に「有る」が生み出されるのかも知れません。


話は変わりますが、俺の友人は「この世界はゲームなのかも知れない」と言いました。
確かにこの世界は無数の変数と配列で満たされたプログラムの中のように思えることがありますが、
それは「結果論」と「目的論」の混合に因る錯覚であるように思っています。

しかし、統合失調症による妄想であったとしても、俺の体験群から得た感想としては、
この「目的」、言い換えれば「理由」が、あたかも世界を構成しているように思えました。

なぜ、この「結果」と「目的」が混ざり合うかのような錯覚に陥るのか、
その原因を考察すると、しばしば世界には「この出来事が起きた」という事象を飛び越え、
そのことを、まるで事前に知っていたかのように振る舞う現象が起こるからなのかも知れません。

いわば、事象が「原因」よりも早く「目的」が生じたようなもので、
それらは時間という箱の中で生きる俺たちに「では、なぜ我々は何によって始まったのか」という疑問を抱かせます。


「成りて成る」「成る」のステージには時間という概念があるのか。
そして、そこには空間はあるのか。
言葉を変えるなら、本当に俺たちは「時間という箱」の中にいるのか。

この疑問は非常に興味深いものです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板