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若佛出世、若未出世...
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阿呆陀羅經
◆CZKmDkNqpY
:2015/02/08(日) 17:37:13 ID:F/UtKLd.
佛陀が説く教法の精髄たる普遍妥当性を宣揚した經文は以下の通り。
【縁起説】
比丘たちよ、縁起(paTiccasamuppAda)とは何か。比丘たちよ、生に縁って老死がある〔という〕その界
(dhAtu=特性)は、如来たちが出現しても如来たちが出現しなくても、確定しており、法の確定性であ
り、法の決定性であり、すなわち、これに縁ること(idappaccayatA=此縁性)である。如来は、それを
覚知し、現観する。覚知し、現観して、説き、説示し、表明し、確立し、開示し、解説し、展開す。そ
して、汝ら見よと。「比丘たちよ、生に縁って老死あり」と。
...乃至...
...「比丘たちよ、無明に縁って行あり」と。
このように、比丘たちよ、その場合の、真実性、不虚偽性、不変異性、すなわち、これに縁ること、比
丘たちよ、これが縁起であると説かれる。
−パーリ相応部12.20
【三法印】
比丘たちよ、如来たちが出現しても如来たちが出現しなくても、その界(dhAtu=特性)は、確定してお
り、法の確定性であり、法の決定性である、すなわち、一切行は無常である。如来は、それを覚知し、
現観する。覚知し、現観して、説き、説示し、表明し、確立し、開示し、解説し、展開す。すなわち、
一切行は無常である、と。
...すなわち、一切行は苦である。...
...すなわち、一切法は無我である。...
−パーリ増支部3.134
尚、当該文脈に於ける“界(dhAtu)”の語義は、佛教学界の一部で指摘されるような“基体(dharmin)”で
はなく、“此縁性(idappaccayatA/idaMpratyayatA)”、すなわち「此れ有れば彼有り、此れ生ずるが故に
彼生ず(此有故彼有、此起故彼起)」の如き“特性”と理解されるべきである。
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