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エトセトラ

1はじ銀:2015/10/24(土) 23:09:34
雑談的なスレが消えたので立てました。

2はじ銀:2015/10/24(土) 23:10:19
本日(2015/10/24)武庫之荘哲学カフェに参加してきました。テーマは「言いたいことは言えるか」でした。
最初僕が事実を言い表せるか、と気持ちを言い表せるのか、という二種類にとれますね、という意見表明から始まった気がします。
ファシリテーターからどう言いたいことを伝えられるかというような意味合いの進行があり、確かに日常的な体験を重視する哲学カフェ的な進行になりました。こういう言い方すると否定的な意味合いに響きますが、僕も途中からそういう意見を述べましたが、哲学的な思考法や言語の用法で迫れる範囲には限界があると。日常的な体験を共有することで思考を進めるという形も一つとしてありうると思いました。
途中やはり事実は言語で表すことが出来るか、という一般的な哲学的問題も提示されましたが、話として長く続きませんでした。僕はそこに対して原理的に無理と表明しました。
最終的に今日の〆として言いたいこととやりたいこと、この二つは別だという話で終わりました。

この辺は僕も最近思うところです。哲学的な思考の世界と現実はやはり別であると。思考の世界は現実世界とアナロジーは構築できるがそのものではない。ここから、現実世界と対応しない=間違い、という理屈は実はそもそも成立しないということがいえるのでは、考えています、最近ですか。先日の科学の話でもありましたが、科学的な観点からは否定されるが、しかし思考の世界では成立する、そういう領域ってあるのではと。そして、意外とそういう世界は多く、先日僕が持ち出したカントの認識論も科学的感観点からは否定されるが、しかし成立するものと思っています。

我々は論証や哲学的知見から議論していますが、感覚を重視する話し合い(≠議論)も思考に刺激を受けるのだなぁと再確認した一日でした。

3ウラサキ:2015/10/25(日) 03:54:32
「感覚を重視する話し合い」というのは
毎週日曜日のNHKテレビ「短歌de胸キュン」や「俳句さく咲く!」で交わされているアレをイメージすれば宜しいでしょうか?

4イイダ:2015/10/25(日) 17:26:59
 長文失礼します。この前、ウラサキさんがおっしゃっていたことに、学際的なものはそれほど多くはない、分子遺伝学はそれがうまくいった稀有な例だ、というようなことがありましたが、シュレーディンガーの『生命とは何か』のように一流学者のなかでまた出てくれば別なのでしょうが、実際には住み分けがまだ根強くあるのと、もう一つには、おおざっぱに言って世界観の壁のようなものがあるんじゃないかということです。前回も、ミクロ経済学とマルクス経済学のことが例にあがっていましたが、文系出身者(経済学部)の立場で言わせてもらうと、法学と経済学の垣根の乗り越えというのはかなり難しいんじゃないか、と。一般に学問というのは人を説得する側面があることを強調されやすいですが、僕はそうは思いません。経済学者ハイエクの有名なエッセイに「真の個人主義と偽の個人主義」というのがあるのですが、アダム・スミスの「経済人の仮定」に関して、人間が完全に利己的ということに疑問を差し挟む声に対して、そんなことは大した問題ではない、と切り捨てている。まるでのれない奴はのってこなくていいというような言い方です。法学部出身者(全員とは言いませんが)にとってはそこが一番気になるところなのでしょう、きっと。と、大学時代の激論を思い出して書いています。
 それにハイエクに限った話ではないですが、大学者というのは大抵論点のすり替えが巧い人たちです。「意識のハードプロブレム」ではないですが、答えにくい問題からは話を逸らせて、他のところで点数を稼いでいく。自分は変な読み方ばかりしていると言われることが多いですが、書いている当人の考えと結構近いんじゃないか、と考えることも多いです(こうやって自惚れている)。それで、本当に分からないときは初期の作品にいく。そうするとまだレトリックもしっかりしておらず熟練していないから、本音の部分がかなり見えてくることも多いんですよね。
 早い話、学問というのが人を説得するものでないなら、我々素人は一つの世界観の提示くらいに受け取ればよい(ただこれは文系と理系でだいぶ差がありそう)。ただ、哲学の場合は当てはまると思います。それならば論証的に書かれたものも、皮膚感覚で書かれたものも、同じく尊重したいし、そこまで大きく違うとは思わない。話は飛躍しますが、本格推理と哲学はかなり似ている要素がある、とどこかで言った気がするけれども、本格推理の場合だって完全に理詰めで書かれたものではなく、感覚優先で書かれたものだって本格たりえる場合がある、哲学もそういうものか、とおおまかにはそういうことを考えています。

5ウラサキ:2015/10/25(日) 19:53:15
哲学は本格だけではなく、変格あり社会派あり耽美派ありで、
探偵(推理)小説そっくりだ、ってのは私の年来の持論です(*^^*)
又、書き手によっては文体に凝り、文学に近づく、って所も相似形ですね。

6はじ銀:2015/10/25(日) 22:11:29
哲学の中でも相容れないものがあるのですから、学問間での意思疎通とでもいいましょうか。よく考えたらかなり難しいものかもしれませんね。
前回の例会で出た話かもしれませんが(僕が言ったのでしょうか)原理を探求するタイプのものと、事実を積み重ねていくタイプのものと、それだけでかなり違うでしょうから。
その学問が提示してくれている知見の正確な理解はその学問に正面から取り組んでいる人に任せて、世界観、考え方、スタイル、そういうものを借用させてもらうというのはスタンスとしてありだと思いますし、哲学の世界で他学を援用する際はたいていこういう形かもですね。
論証的な書き方だろうが、感覚的な書き方であろうが、考えていることや感じていることを表明していることに変わりないのですから、そこに重さの違いがあるというのはそもそも何か違うと思います。この辺も同意です。哲学することより、考えることの方が大事だと思いますし。

7ウラサキ:2015/11/09(月) 05:03:15
今、録画した「ここまで言って委員会」視てたら、
日本は「神の国」か、ってのを議論してたんだが、
日本語の「神」に単数・複数、冠詞の区別が無いが故の混乱が見られ、
話聞いててイライラしてきた。
"Japan is a coutry of gods."
と訳せば恐らく"Japan is a polytheistic country."
という意味に取られ「その通り」ってことになる。

ただ森首相の発言は勿論そういう主旨では無く
「神道が日本の国教です」ってのを、
その場にいた神道関係者にリップサービスしたかっただけだと思う。

8はじ銀:2015/11/19(木) 22:21:01
最近は哲学云々とかどうでもよくて、自分の考えを組み上げることに勤しんでます。
これからの読書は知識人のエッセイとか色々漁りたいなぁとか思ってます。
でもWikipediaにまとまった思弁的実在論の項を読むと熱いなぁと思う。よくぞ言ってくれたみたいなことよく思いますね。思弁的唯物論とかもよいし、絶滅なんかそのまんまですやんと。
そんなこんな色々思いますね、最近。

9ウラサキ:2015/11/20(金) 04:48:59
そうです。
元々、哲学なんてどーでもイイことなんです。
探偵小説でも読むつもりで楽しめば良いと思います。

10はじ銀:2015/11/20(金) 19:12:43
哲学より、思想と思考。
そして思想・思考より、思うこと。
なんかそんな感じですかね。
まぁ、週明けにはまた違うこと言ってるかもですがw

11ウラサキ:2015/11/20(金) 21:31:22
哲学同好会は「哲学」って語は含まれていますが、
実質は何でもアリ、ってのは皆さんご存知の通りですから、
形式・ジャンルには全くこだわる事はありません。
年末の忘年会は酔っ払いのエロ話会かと思って居ります。
横山さん怒るかも知れませんが、、、(^^;)

12横山信幸:2015/11/20(金) 22:34:42
ウラサキさん、
たしかに形式ジャンルは何でもアリだとは思います。
ですが、
そこに哲学を見出していくってのが、わが同好会だと思ってます。
発表者がそこに某かの「哲学らしきもの」を感じてさえいればOKだと思います。
でも、「哲学同好会」ですから、
哲学的思索さえなくっても何でも良いってことにはならないと思うのですが。

13ウラサキ:2015/11/21(土) 05:09:21
哲学的と感じるかどうかは人によって差があるようです。
私は『ドグラマグラ』やサド侯爵の小説、サールの言語論は十分哲学的だと思いますが、
人によっては「あんなの哲学でも何でも無い」という人もいます。
一方、はじ銀さんやケンイチさんが大好きな椎名林檎は、
どこが哲学的か全く分りません。
発表者・提案者の判断に任せるしかないですね。
勿論、哲学忘年会は哲学的エロ話を考えております。

14横山信幸:2015/11/21(土) 10:37:18
>哲学忘年会は哲学的エロ話を考えております。

賛同します。「饗宴」をネタにするエロ話をウラサキさんが、哲学的に興味深いと思ってはるなら喜んで参加します。「善の研究」のときみたく「哲学的価値が薄い」と発表者にきりすてられては辛いとおもっていたので、そんなことがないなら安心です。

15はじ銀:2015/11/21(土) 16:16:21
椎名林檎は歌詞やインタビュー読まれてますか?その上で哲学的要素を全く感じないと仰るのなら、想定以上に思考や感覚の共有が難しいなぁと思います。
いつものように、ちょっかいかける的な意図でそう書かれているのならいいのですが。

16ウラサキ:2015/11/21(土) 19:56:48
頂いたCDで、歌を聞き歌詞を読みました。

インタビューは読んでいません。

紅白歌合戦も視ましたが、
「哲学」は感じませんでした。

中島美嘉や鬼束ちひろを過激にしたような演出で、
やや嫌悪感を感じました。

尚、この書き込みは本心+
敢えて挑発的にも書いています。

17はじ銀:2015/11/24(火) 23:59:30
もっと自由に「てつがく」したい!対話で哲学する東京の哲学カフェまとめ
ttp://matome.naver.jp/odai/2136167936080093501
こんなの見付けました。大阪版作ったらここ、入りますかね?w

18広瀬一隆:2015/11/25(水) 00:07:17
最近、伊藤計劃というSF作家の作品をアニメ化した「ハーモニー」という映画を見ました。
少し前に若くして亡くなった作家ですが、次々と彼の作品がアニメ化され上映されています。

以下、ネタばれです。

アニメでは、世界に暮らすほとんどの人たちの意識がコンピューターシステムで支配されています。
どうすれば幸福なのか、あるいは、自分の能力にあった仕事は何か、などがシステムによって適切に指示されます。

そうした世界を拒否する人物がいて、自殺を試みます。この人物が物語の主要な役割を果たします。
しかし自殺を完遂する直前、システムを護持する研究者たちに身柄を引き取られ、システムが支配する世界を受け入れるようにさまざまな処置を施されます。

薬物を投与された結果、その人物は自殺の願望から解放され、システムが支配する世界を受け入れるかのような振る舞いをするよう変わりました。
しかし薬物の効き目が切れた後、研究者たちがその人物に尋ねると、投与されている期間の記憶はまったく抜け落ちていました。
いわば、「ゾンビ」の状態だったのです。ただ意識はなかったけれど、「恍惚」の状態だったと答えます。

物語の最後でその人物はシステムに手を加え、世界のすべての人々が薬剤を投与された自分と同じ意識状態になるよう仕向けます。
社会は「恍惚」の状態で意識のない人たちに構成されるようになり、エンディングを迎えます。

このアニメを見終えて、仏教のいう「涅槃」とハーモニーで描かれる「意識なしの恍惚」は、同じ境地のように感じました。
すべての意識状態(色)は虚しいと断じるのが「空」の境地ならば、ハーモニーの最後と何が違うのでしょう。
もしも両者が同じならば、ハーモニーは見事に仏教思想を表現した作品だと思います。
でも、たぶん仏教の考えとは違うんでしょうね。なんとなくそう思いますが、私の理解が届きません。

19ウラサキ:2015/12/14(月) 19:46:14
12月20日(日)19:00〜21:00 哲学Bar(京都木屋町)に参加する予定です。

⇒ ttp://www.cafephilo.jp/news/news_2.html#1220_2(冒頭にhを追加)

どなたか御一緒しませんか?

20ウラサキ:2015/12/23(水) 05:16:01
哲学Bar 行ってきましたよ〜。

JJさんから教えてもらったので、来られてるかなと少し期待しましたが、
その日は不参加でした。

司会者含め4人でかなりこじんまりした会合、ってか、
まるっぽ飲み屋でのおっさんの雑談でした。
テーマは「私のライフライン」でしたが、
話は脱線しまくり、私も好き放題に放言してきました。
会場がかなり狭いバー(定員10人位)で、
しかも満席でしたので、途中で隣席の方が議論に入って来たりもしました。
焼酎ロック2杯注文(+つきだし:ベビーラーメン&あられ)でお勘定が1900円でしたので、
正直割高感はありましたが、ま、あれだけ喋れたんで良しとしましょう。

21JJ:2015/12/26(土) 12:12:50
27日 饗宴出席します。よろしくお願いします。
    愛は利己主義だ。
    利己主義は潔い。

22はじ銀:2015/12/29(火) 07:41:17
[Springerから本が色々無料DLできるようになったらしい]
ttp://togetter.com/li/917985
大半英語ですが。

23ウラサキ:2015/12/29(火) 08:32:59
Springerは数学書が中心で、
欲しかった本はGentzenの論文集くらいだったので、
サイト行って "Gentzen" と入力したら、
色々関連書籍がいっぱい出て来てビックリした(@@;)

24ウラサキ:2015/12/29(火) 08:45:11
数学以外にも色々ありますね。
書籍タイトルだけでなく、
論文や章でも検索出来てる。

先日、アマゾンで3冊購入したHintikkaもゾロゾロ出て来た(ToT;)

25はじ銀:2015/12/29(火) 18:00:46
TwitterでSpringerと検索されると今ならぞろぞろ出てくると思います。数学多いのですか?Twitter見てて哲学ばっかりかと思ってました。
このイベントはウラサキさんの為にあるようなものですねw
またどんなものか、読めない僕のために教えて下さいm(_ _)m

26はじ銀:2015/12/29(火) 19:39:42
僕と同じ感想を抱かれる方多いと思いますが、先生方がまとめて下さったものです。
ttp://uemurag.hatenablog.jp/entry/2015/12/28/123813
ttp://s-hayashi.tumblr.com/post/136083367929/springer-link-free-download
ttp://uemurag.hatenablog.jp/entry/2015/12/28/113513

27ウラサキ:2015/12/29(火) 20:19:52
はじ銀さん、

実は私も殆ど積読です(^^;)

28ウラサキ:2015/12/30(水) 07:59:11
Springerではやはり個人的に Synthese Library が含まれているのが大きいですね。
クワイン、デイヴィドソン、クリプキらの主戦場と言って良いでしょう。

昔、なけなしの大枚をはたいて購入した本や、
高価で手が出なかった本を
無料でダウンロードできる現在の学生は、
なんと恵まれているのだろう、
と思う反面、
書店で迷った挙句ついに買った時のあの感動を味わえないのは、
一種の不幸でもあるのかとも思えます。

29イイダ:2015/12/30(水) 09:50:29
こんなのがあったんですね。哲学科の学生からすれば日々の勉強や論文を書くための資料なのかも分かりませんが、趣味でやってる人間からすればこれはひょっとすると一生遊べますよ。
個人的には分析哲学風のブレンターノが面白そうですが、やはりドイツ語なのが難であるかもしれない。久しぶりにドイツ語の勉強を再開するか。

30はじ銀:2016/01/01(金) 17:48:56
今日Twitterで千葉先生が(全体の)発言比率と(男女比を加味した)発言比率の話をされていて、そこから少ししんとくまるさんと意見交換しました。
もとよりこの辺は哲学同好会の課題と見事に重なりますので。
大体認識もそれほど食い違い無かったのですが、では打開策として、初参加の方にアンケートを書いてもらうのはどうかと。意見を戴くにはある程度形式的な方が書く方は出しやすいでしょうから。
長らく課題のままですので、我々だけでは妙案は難しいかと。ですので、これからの参加者のお知恵を拝借しようという感じです。
如何でしょうか?

31夫 正彦:2016/01/02(土) 12:05:23
アンケートは、本当に簡単なものがいいかなと思います。質問3つ程度に一言コメントぐらい。
書かれたアンケートは、担当者が保管して他の参加者には見せないようにする、のが原則ですが、意見として担当者が把握しておく。

アンケートに書かれた要望は、あくまで参考程度です。大阪哲学同好会のシステムを大きく変更するようにはしません。
初参加の人がどのように感じたかを把握するためです。ちょっとしたシステムの変更で、なにか不満を解消できそうならそうする程度です。

例会が始まる前に初参加の人に渡して、帰るときに回収するという形です。

あくまで思いつきのアイデアです。よく考えると、ちょっと面倒なところもあるし。
今でも十分運営的にもうまくいっているとも言えるし。

32名無しさん:2016/01/02(土) 18:04:21
アンケートは悪くないと思います。
でも、その回答を担当者が保管して担当者だけが把握しておくというのには、反対です。それをすると、会の運営をする人とその運営に参加する人との境界線がくっきり引かれてしまうような気がします。
逆に、回答は参加者全員にオープンにすると明示しておいた上で書いてもらい、この掲示板などでみんなに知らせることで、改善できることであれば変えていく、という方法がよいと思います。
誰が主催者でもないといういまのシステムはとても素敵だと感じているので大事にしたいです。

33横山信幸:2016/01/02(土) 18:05:24
毎度すみません。上の記名忘れ、僕です。

34夫 正彦:2016/01/02(土) 20:47:09
横山さん

担当者だけというのは、その方がアンケートを書きやすいかな、と思っただけです。
批判めいたことも書くかもしれないので、複数の人に見られるのはつらい、と思う人がいるかもしれないので。

35はじ銀:2016/01/02(土) 21:40:03
回答者に配慮するという点では特定の人だけがアクセス出来るという形の方が親切でしょうが、同好会の運営形態を優先するなら境界線は無い方が望ましいでしょうね。
回答を強制しない、匿名性は保証する(無記名)、そして誰もが閲覧出来る、これで回答しても良いという方にだけお願いするようにしましょうか。

36イイダ:2016/01/05(火) 20:55:51
ここに書き込むべき内容か迷いましたが、書かせてもらいます。かの天才アインシュタインは6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。と言ったそうですが、直感というか独自の論理で次々と定理を生み出したラマヌジャンのような例もあるので、疑い深い私は論理というものをつい疑いたくなってしまいます。フォーマルな学問の論理ではない、個人特有の論理というのは、やはり論理とは呼べないものなのでしょうか?私的言語論とは関係ないのかもしれませんが、今すごく気になっています。

37ウラサキ:2016/01/05(火) 21:50:22
イイダさん、

同じような事を永井均氏の著書を読んでいて感じています。
彼は自説の説明にかなり多くの前提を課し、
しかもあの悪文です。
で、理解できない読者を「幼少期に同様の体験をしていない」と切り捨てます。

私は彼の〈私〉の説明はうっすらとは理解していると思っていますが、
彼の(現在の)言論スタイルはほゞ宗教教祖のそれに近いものではないかとの疑念を抱いています。

彼の問題設定が日本哲学界前代未聞と言って良い程の斬新・独自なものであると思っているだけに、
非常に惜しい事であると思っております。

永井哲学を標準日本語に翻訳するというだけでも偉業になると思います。

38はじ銀:2016/01/05(火) 22:49:06
イイダさんのような疑問は寧ろこういうところだからこそ出せるものだと思います。所謂アカデミックな哲学の場ではなかなか出せないでしょう。そして十二分に哲学的だと思います。
僕は論理が担保するものは公共性であり、論理は正しさを担保するものではないと以前主張しました。正しさを「一般的には…である」というような所に求める場合に於いてのみ成立するとすれば、論理的=正しいは成立するでしょう。しかし、正しいものは論理的で無ければならないという風潮を僕はどうしても感じますが、それは論理を過大評価しすぎていると思います。単純に、論理的で無いから間違いというのはかなり限定された場合にのみにしか成立し得ないと思う。
「フォーマルな学問の論理」というのは多少難ありでも理路整然、とした論理を指しておられると思います。とすれば、個人特有の論理はそこからは外れるでしょう、何故なら「特有」であり、公共性が無いから。しかし、ただただそれだけのことであり、個人特有の論理は十二分に価値があると思います。
自分一人でしか成立していない考えというのも大切であたためておけば某かに昇華する。限られた人との間でしか成立しない考えもそれだけででも成立すれば十分に有意味に育まれると思う。
極端に言えば、哲学的思考なんて基本的にカルト的だと思います。固有の言葉を使ったり、一般的な言葉も特有の使い回しをしたり、見通しの悪い展開で話を進めたり。限られた人数ではそうなるし、ましてや個人の中でなら余計でしょう。しかし、そこに醍醐味がある。
そして、そういうものも出版となど、外に出す時には「フォーマルな装い」を求められる。そこには制約が、つまり「減圧」が施される。
僕は言語に対してかなりネガティブな印象を持っているのでこれぐらいに書きたくなりますね。それこそイイダさんのお好きなデリダなんて角度こそ違え、これぐらいに言葉や論理に対してネガティブになっている人だと勝手ながら思っています。

39イイダ:2016/01/06(水) 20:57:00
コメント、ありがとうございます。
私は寡聞にして永井哲学については殆ど知りませんが、ネットで見る限りではかなり独特の世界観というか宗教観の持ち主のようですね。議論を呼び起こすように、敢えてそういう言葉づかいをしているのかも分かりませんが。

論理については説得的であるという特徴があるかとは思いますが、こと学問に関していうと全般的にいつからか論理を重んじないといけないという風に変わっていったのだと思います。プロの学者は(ひょっとしたら疑問に思っている人もいるかも分かりませんが)、そういう余計なことは考えない方がいいと現実的に徹しているのかもしれませんね。

40名無しさん:2016/01/09(土) 11:29:18
12月の永井均のツイートに次のようなものがありました。
「他人の書いた定評のある立派な本をどんなにしっかり読んだって、自分の問いに対する答えは書かれていない。これが冷厳な真実@hitoshinagai1 他人の書いた本を深く読むのは、他の問いの存在を、それが他の問いであるということを、深くを知るためだろう。」

でも、僕はそこまで言い切るのは、必ずしも根拠のはっきりしたはなしではなく、逆に、ひとつの言語モデルの提案でしかないように感じました。

イイダさんの問いへの感想としては論点がずれているかもしれませんが、関連しているかと思えて書き込みました。

41横山信幸:2016/01/09(土) 11:30:33
何度も何度も本当にごめんなさい。上の記名忘れ横山です。

42横山信幸:2016/03/21(月) 20:42:30
ヒラリーパトナム、今月13日に亡くなっていたことを今知りました。享年89歳だそうです。合掌。

43イイダ:2016/03/25(金) 20:22:31
パトナムは片手間で哲学をしている僕のような人間には難しすぎる哲学者でしたが、構想力と表現力を両方併せ持った稀有な人であったように思います。お悔み申し上げます。

44ウラサキ:2016/03/25(金) 20:51:01
パトナムはもう十二分と言えるほど仕事したんで、大往生でしょう。
え、まだ生きてたの!ってのが実感です。

45夫 正彦:2016/04/02(土) 14:50:42
永井均まつりの次の例会6月19日ですが、発表者が決まってません。
何か発表したい方がいましたら、教えてください。

1時間半くらいの発表にして、あとは小ネタというのもアリです。

46イイダ:2016/04/02(土) 19:51:46
論理学の勉強もありますし、課題本を読んでいくのも結構な労力ですので、個人的には小ネタ集のほうが気が楽でありがたいです。

47はじ銀:2016/04/02(土) 20:08:33
最近、情報一元論について新しい着想を得ましたが、形にするのに6月に纏まるという確約は出来ませんので、今は何とも…m(_ _)m
ところでmixiで書かれていたバタディア号の話面白いですね。アナタハンの女王的なやつで。こういう夫さんの哲学に限らない広範な知識をシェアしてくれる回希望です♪(要求ばかりですいませんw)

48はじ銀:2016/04/03(日) 21:09:12
Google世界最強の人工知能を分析 〜Alpha Go(アルファ碁)は倒せるのか〜
ttp://live.nicovideo.jp/watch/lv258091077
タイムシフト予約しました、これは楽しみです☆ミ

49夫 正彦:2016/04/04(月) 09:56:22
はじ銀さん

バタヴィア号ですね。

アナタハンは全然知りませんでした。
これもすごい話ですね。
バタヴィア号に関しては、コンラッドの「闇の奥」を思い起こしました。多分モデルにしてるのかなぁ。

発表については、私は誰かに進化論と哲学について発表して欲しいです。前から興味ある分野です。
自分は知識がないので、人任せですいません。

50ウラサキ:2016/04/04(月) 20:36:40
夫さん、

ま、6月なんでもう少し待ちましょう。

51イイダ:2016/04/04(月) 21:40:12
他のところの読書会で幕末の志士に影響を与えたという文脈で陽明学の話が出ました。
小説で王陽明を読んでから、その人物に惹かれ、それ以来すごく興味があるのですが、あまりにも難しすぎてずっと保留になっています。視点を変える意味でも中国の話は面白いと思うのですが。

52はじ銀:2016/04/05(火) 07:22:14
ふとした思いつきですけど、
キリスト教は旧約の時代はヤハウェの神、新約の時代はイエス・キリストの言動を「正しいこと」とし成立している一神教です。
では哲学は何かと考えると「言語によって成立していること」を「正しいこと」としている一神教なのかなぁと思ったりしました(論理的に、ではないところは個人的にはポイントです)。「正しいことと」とは「原理とする」いうぐらいの意味です。
身体的なところや、感覚的なところも全て言語に換言しようとする、自分たちの世界の原理に還元しようする辺り一神教の世界の信者っぽいなぁと。
科学も宗教なら、哲学も宗教でしょう(しかもよりカルト的でしょう)。

53横山信幸:2016/04/05(火) 07:50:05
はじ銀さん、
分かるような気がします。
一神教はその神が間違え得ないことを世界構築の原理にしてしまう。哲学は言語が間違え得ないことを世界構築の原理にしてしまう。
その意味で哲学は言語を神と崇める一神教だと言えそうですね。そう考えると、「言語教ではない哲学は可能か」という哲学課題が

54横山信幸:2016/04/05(火) 07:53:28
「言語教ではない哲学は可能か」という哲学課題が出てくるかもしれませんが、これを可能とする立証は不可能にしか僕には思えません。言語という武器を間違え得るものとしてしまっては、立証そのものが不能になりそうだからです。

55はじ銀:2016/04/05(火) 20:56:55
>横山さん

以前僕がちらっと「音楽で思考は可能か?」ということを考えようとした時、「言語ネイティブから音楽ネイティブになっただけでは?」という反論を頂いて終わったのを覚えています。
それから色々考え進みましたが、「立証」というのは言語が神である世界の考え方で、もし音楽を神とする世界なら違う方法で言語が神の世界においての立証が成されるかもしれません。しかし、だからといって世界が解き明かされるわけではなく、音楽が神の世界では為しえない、しかし言語が神の世界ではなし得るかも知れないものが無いとも限らないので、結局似たり寄ったりというか無い物ねだりというか。
人間に多神教は難しそうですし、もし全神教なるものが存在したとしたら、どうなるか。ちゃんと考えていませんが、それぞれの宗派は何かしら排他的なのかなぁとか思います。言語神と音楽神はどこか相容れなさそうなものがありますし。相容れないと言うよりそもそも層が違う様な関係性なのかなぁとも思います。平たく「世界の捉え方」というものなのでしょうか。
でも哲学的にはでは全てを捉えられるのは何神か?という問いを立てたくなりますね。

56はじ銀:2016/04/06(水) 18:22:14
明治大学大学院のiTunes U素晴らしいですね。
ttps://www.meiji.ac.jp/ubiq/itunesu/

Meiji University - Vol.1-9 エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』公刊50周年記念国際シンポジウム
ttps://itun.es/i6YP5jg #iTunes
Meiji University - Vol.1「哲学への権利」国際哲学コレージュの軌跡・シンポジウム「哲学とは何か?大学とは何
ttps://itun.es/i6YV5ks #iTunes

この辺が個人的に熱いです。

57イイダ:2016/04/08(金) 23:52:39
『全体性と無限』懐かしいです。哲学の本のなかでも超絶面白い本の一つでしょう。正直、レヴィナスの他者論はやり尽くされた感がありますが、デリダ終わったら戻ってくるかもしれません。
「他者は言外の意味に先立つ」というフレーズが格好良かったのをおぼえています(ひょっとしたら『全体性と無限』ではなかったかもしれません。あやふやです。)
昔はカントの純理やハイデッガーの『存在と時間』などと並んで、哲学本のオールタイムベストの上位にランクインしているのをよく見ましたが、最近ではフランスものというだけで毛嫌いする傾向が出てきているようです。一抹の寂しさを感じますが、やっぱりこれも時代でしょうか。

58はじ銀:2016/04/09(土) 19:01:46
「生きる意味は何か?」について完璧な証明は不可能という学問的な解があるという意見を目にしました。詳細ご存じの方いらっしゃいますか?
変数の多い問いで厄介な問いだと思います。解決しているならそれはそれで凄いと思います。

59横山信幸:2016/04/23(土) 14:39:06
ウラサキさん、みなさん。

永井均の本で便利そうなラテン語を知ったのですが、読み方が分かりません
「quiddity(何性)」と、「haecceity(これ性)」です。
Google翻訳のページで発音を確かめたら、僕には「クイディーチ」と「アイジーチ」と聞こえるのですが、自分の耳は信用できません。(僕の耳には例えば「bedeutung」が「ベダイトン」にしか聞こえません。)
正しくはどのようにカタカナ表記すれば良いか、御存知ありませんか。

60ウラサキ:2016/04/23(土) 21:35:24
横山さん

quiddity ってのは英語にもあり、「クィディティ」でしょうね。
因みにクワインの著書にQuidditiesってのがあり、邦訳は『哲学事典』です。
haecceity ってのは初見で、手元の英和辞典にもありませんでした。
「ハエチェイティ」かな?
Bedeutung は「ベドイトゥング」って読んでました。

61横山信幸:2016/04/23(土) 22:45:30
ウラサキさん、ありがとうございます。「quiddity」も「haecceity」もどちらもラテン語そのものではなくって、ラテン語由来の英語だったみたいです。
「クィディティ」と「ハエチェイティ」ですね。それで使わせてもらいます。

62ウラサキ:2016/04/24(日) 04:08:31
横山さん、

電子版ジーニアス英和大辞典によると、
haecceity は「ヘクシーアティ」又は「ヒークシーアティ」でした(^^;)

63横山信幸:2016/04/24(日) 09:12:48
ウラサキさん、ありがとうございます。
Google翻訳のページで、ラテン語ではなくて英語としての発音を聞くと、
たしかに「クィディティ」と「ヘクシーアティ」に聞こえました。
それで使わせてもらいます。

64横山信幸:2016/05/01(日) 00:34:09
英語を教えてください。
マクタガートの「時間の非実在」の日本語訳をしようとしています。で、
その第18節の「時間が変化を許すか」という文脈の中で、キップリングという人の詩の一説らしき文が突然挿入されているのですが、
それが、前後の文脈と関連がないような挿入のされ方なので、どういう意味なのかさっぱり分からず困っています。
「Before the stars saw one another plain」
です。よろしくお願いします。

65横山信幸:2016/05/01(日) 10:41:07
失礼しました。キップリングの元の詩を全部訳してみたら意味がつかめてきました。「星たちが夜の大地を見る前に(我々はすでに運命に縛られている)」ってことだったみたいです。

66はじ銀:2016/06/09(木) 20:02:23
ttp://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=44660
著者:O・S・ウォーコップ(著)、深瀬基寛(訳)、源了円(解説)
出版社:講談社(講談社学術文庫)
ジャンル:専門書
復刊リクエスト開始日:2008/12/05
ISBNコード:9784061586284
復刊リクエスト番号:44660

投票しました。何卒ご協力の程、よろしくお願い致しますm(__)m

67はじ銀:2016/06/12(日) 16:14:17
送大学オープンコースウェア
テレビ授業科目一覧
ttp://ocw.ouj.ac.jp/list_tv.html

68横山信幸:2016/06/13(月) 19:12:47
ウラサキさん、教えてください。
マクタガートの「The Unreality of Time」を訳しています。その第49節で、それまでずっと名詞の「現在」として出てきてた「present」がここだけ動詞になっているようなのですが、そういう場合どう訳すのが一般的ですか。この訳し方であっていますか。

The relations which form the A series then must be relations of events and moments to something not itself in the time-series. What this something is might be difficult to say. But, waiving this point, a more positive difficulty presents itself.
A系列を形成する関係は、それゆえ、各事象や各瞬間と、時系列の中でそれ自身ではない何かとの関係でなければならない。この何かなるものは、それ自体を現在化させるというかなり明確な困難であるこの論点を、放棄しない限り、言い難いものであるだろう。

69ウラサキ:2016/06/14(火) 04:32:24
横山さん、

present oneself で appear という意味になります。

70横山信幸:2016/06/14(火) 07:18:29
ウラサキさん、ありがとうございます。熟語になっているのですね。助かります。
「それ自体を現在化させる」というところに深い意味があるのがと勘ぐっていましたが、単に「この何かなるものは、より明らかな困難を見せてくるこの論点を放棄しない限り、言い難いものであるだろう。」とあっさり訳したほうが正しいみたいですね。あるいは、やはり、そこにこだわって、「この何かなるものは、より明らかな困難を現在化してくるこの論点を放棄しない限り、言い難いものであるだろう。」とするかですね。もう少し考えてみます。

71ウラサキ:2016/06/14(火) 21:37:33
横山さん、

私ならこう訳します。
「その時A系列を形成する関係は、出来事や瞬間のそれ自身が時間系列に無い或るものへの関係でなければならない。この或るものが何であるかを言うのは困難であるかもしれない。しかし、この点を回避するならば、より明白な困難が現れる。」

72横山信幸:2016/06/14(火) 22:11:30
ウラサキさん。
ありがとうございます。
「-ing」って「〜ならば」って訳したらよかったのですね。
「時系列の中でそれ自身ではない何か」は
「それ自身が時間系列に無い或るもの」と言う意味だったのですね。
全然、読み違えていました。教えてもらってよかったです。
すっきりしました。

73ウラサキ:2016/07/03(日) 16:44:12
今日、たまたま放送大学ラジオで「経験論から言語哲学へ 第13回 言語観の転換へ」という番組を見付けて、聞いているが、
クワインのホーリズム、デイヴィドソンの枠組みと内容の二分論批判、オースティンの錯覚論法批判についての講義で興味深かった。
来週も聴こうかな。

74miyazaki:2016/07/05(火) 22:43:37
突然ですみませんが、相談に乗っていただく事は出来ますか?本当にささいな疑問なのですが・・・。

75横山信幸:2016/07/05(火) 23:08:23
相談可能な内容に限った範囲で、責任の持てないようなコメントを思いつきで書き込んで良いのなら、自分の個人的な考えを申し上げる程度のことはできるかもしれません。

76はじ銀:2016/12/10(土) 23:30:14
痛いニュース(ノ∀`):物理学者「時間は実在しない」
ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1906792.html

77横山信幸:2016/12/11(日) 09:07:42
上の記事はA系列時間の実在を否定するものだと思います。
物理は基本的にB系列時間を扱うので、物理学者の多くはB系列主義者。なので、それと両立しないA系列を否定するのは一般的な捉え方であり、しごくもっともな考えだと思います。

78横山信幸:2016/12/11(日) 09:11:25
僕のスマホで、ここの欄に書き込みをしようとすると広告が邪魔して目隠ししてくるので、打ちにくくて仕方ないのですが、何かうまい方法ないでしょうか。

79はじ銀:2016/12/11(日) 10:17:28
僕はいつも2chMateというアプリでこの掲示板の閲覧・書き込みをしています。インストールするとこの掲示板を開くときにブラウザにするかこの2chMateにするか選択できるようになると思います。よろしければ一度お試しをm(_ _)m

80名無しさん:2016/12/11(日) 14:46:38
ありがとうございます。2chmateインストールして、うるさい広告から解放されて気持ちよく、閲覧したり書き込んだりできるようになりました。

81横山信幸:2016/12/11(日) 14:47:28
すみません。↑記名忘れでした。

82はじ銀:2017/01/02(月) 13:50:24
知人がちらっと「無宗教なので年越しは関係ない」と言っていましたが、新年を祝うは宗教的行為なのでしょうか?初詣は明らかに宗教的なものですが。

83横山信幸:2017/01/03(火) 09:00:26
年越しの宗教性について、
「宗教」を「人智を越えた存在としての超越者を信じること(神への信仰)」だとするか「無根拠な存在の有意味性を信じること(無根拠への確信)」だとするかで分類し、
また、「年越しの意義」を「超越者に祈ったり感謝したりすること」だとするか「自分自身や近親者の平安な年越しを祝うこと」だとするかで分類したら、
「年越しの意義に宗教性はあるか」の問いには2×2=4で4パターンの答えがありそうに思いました。
その回答のなかでも、宗教を「神への信仰」だと捉える場合には年越しが宗教から独立することがあると思います。
でも、宗教を「無根拠への確信」と捉えるとき、年越しの宗教性は様々なレベルで問われ得ると思いますが、もっとも深い意味での問いまで含めて考えるならば、年越しは必ず宗教的だと言えるレベルがあり得るようには思われます。

84はじ銀:2017/01/03(火) 18:49:21
ありがとうございます。
年越しという概念の中にも天皇の中に見つけられるようなある種の畏れみたいなものがあるように思います。
またその畏れは宗教を広義に用いれば必ず引っかかる部分があるような類のもので。
年越しを祝うという行為に合理性はなさそうですが、逆に言うと人間の不合理な行為はたいてい広義の宗教に当てはまるものがあり、またその不合理な行為の背景には畏れに通じるものがある。
その畏れは正体の分からないもので「不気味なもの」のような、だから某かの行為をおこさせる。
根拠はないが理由はある、とでも言いましょうか。

85ウラサキ:2017/01/03(火) 19:08:47
どこまでを「宗教」と呼ぶか次第でしょうね。
横山さんのように排中律やクオリアにまで「宗教的」という形容詞を使う方にとっては、
年越しも宗教的でしょうし、世界に宗教的でない方は殆ど居なくなると思います。

私は毎年、実家の近所の神社に初詣に出かけていますが、
それは食前に「いただきます」と唱えるのと同様、
家庭内での習慣で、勿論神への信仰はありません。
それも「宗教だ」と呼ぶのなら「お好きにどうぞ」という気持ちです。

86夫 正彦:2017/01/04(水) 11:52:15
私も、基本的に「宗教」という言葉の定義の問題だと思うのですが、
初詣に関していえば、国が「みんな初詣に行こう!」なんてキャンペーンをしたらそりゃ政教分離に反するだろうという気にはなります。

個人で、宗教を選ぶか科学を選ぶか決めたときに、その時の根拠としては、実は明確なものがないと思っています。
そういう部分で、宗教と科学の境目は私にとってはあいまいです。

それとは別に、私は無神論を”信奉”してますが、それでも、知らないうちに、超自然現象を恐れてたり、運命を信じてたり、することがあってびっくりしたりします。
できるだけ、そういう考えを締め出して、自分なりの無神論的立場を作り出したいのですが、人間の根源にもかかわってくるようなところもあって、なかなか締め出すことができません。

87ウラサキ:2017/01/04(水) 20:43:50
夫さん、

無神論と初詣、全然両立OKじゃないかと思いますが。
無神論立場にあまりこだわりすぎるとそれこそ「宗教的信念」になってしまうのでは?

「無がなんだ 空がなんだというんだ・・・ それで人がすくえるものなのか・・・ なきたいといきになき わらいたいときにわらう ほしいときにほしがる それが人間だ 人としてのよろこびもそこじゃないのか」(本宮ひろ志『ガクラン仁義』所収「しかとの鱒次郎」より)

88はじ銀:2017/01/04(水) 22:53:01
人間の営みには科学/科学的な明晰さでは答えが得られない範疇が多分に存在します。明晰な解が得られないからと言って、しかしそこに働きがないわけではなく、寧ろ人間に強く影響を与えている。
少し前に文系学部が無くなるかもという時、僕のTLの先生方が文系の必要性の論拠にしていたところのものと被るのかなぁと思います。
そして今このスレではその部分に宗教とラベリングしている。
そう考えると割とはっきりとこのスレでいうところの宗教性は人間には排除出来なさそうに思います。

89横山信幸:2017/01/04(水) 23:55:16
夫さんの仰る「超自然現象への恐怖」がどれほど宗教的なのかについて考えてみました。
ウラサキさんが、「無神論と初詣、全然両立OKじゃないかと思いますが。無神論立場にあまりこだわりすぎるとそれこそ「宗教的信念」になってしまうのでは?」と仰っていますが、僕もその点では同意です。

「おばけは非科学的・宗教的」というときの「非科学・宗教」は、「現代の科学常識から外れている」という意味だと思います。でも、夫さんが締め出したいと言われているのは「無根拠な盲信」としての「非科学・宗教」ではないでしょうか。そうだとすれば、「超自然現象を恐れてたり、運命を信じてたり」することは必ずしも排除すべき「有神論」ではないような気がしました。もし「超自然現象を恐れてたり、運命を信じてたり」することを無根拠に排除しようとするならそれこそ「宗教的信仰」になってしまうような。

90夫 正彦:2017/01/06(金) 14:21:59
無神論的立場にこだわるというか、こだわるとどういう地平が見えてくるだろうか、という好奇心からというのが大きいです。

だから別に拝めますよ。初詣行こうと思ったら行けます。面倒くさいから行かないだけで。というより行く意味を見つけられない。

私の考える超自然現象的なものというのは、一般的に超自然現象と呼ばれるもの(幽霊とか超能力とか)以外に、運命(特に恋愛で)、
夜道を歩いているときの漠然とした恐怖(犯罪を恐れるだけではないような)、偶然の奇妙な一致、亡くなった肉親が見守ってくれているような感覚、
他にも時々思いついたりするのですが、忘れているものもあります。
友引に葬式できるかと言われれば、できるけど、少し抵抗がある。

締め出さなくてもいいんですけど、締め出すとどうなるかというのは興味があります。締め出すというのは、心を鍛えることでもあるのかもとも思います。

横山さんのおっしゃるような「無根拠な妄信」としての「非科学・宗教」も、ちょっと違うかな。だって、私は科学の根拠をすべて把握していないし。
科学の権威者を妄信してます。

91横山信幸:2017/01/06(金) 19:13:13
社会的分業において合理的に分析された科学を信じるか、合理的でなくても自分の心に直接響く直感を信じるかの2択で、合理性よりも直感を追った結果がトランプだといえるかもしれない。そう思うとポピュリズムと宗教は近しいのかも。

92夫 正彦:2017/01/06(金) 21:13:45
ふと思ったのですが、私が科学を信奉したのは、強いものについたからかもしれません。
非科学的なものを攻撃している科学は、論理を武器にして、実に強くみえました。
あきらかに非科学的なものが負けている。勝ち馬にのったという感覚かもしれません。

この場合論理とか合理性というのはどう影響したのだろう、とちょっと自問。本質的な部分ではないような。
宗教も、前提が違えど論理で成り立っているともいえないかな。

93はじ銀:2017/01/07(土) 12:25:30
宗教は論理的に成り立っていると思います。神学があるのはそのせいで。
但し、その前提とするところが物質的なものの有り様と整合的なものを正しいとする今の時代と合わないのであって。

94横山信幸:2017/01/07(土) 14:19:21
「物質世界」というものを、(A)「現在の量子論と相対論に基づいて4つの力による相互作用が為される対象によって構成された世界」と捉えるか、(B)「経験できる対象を斉一性のある分析によって弁別可能なものとして捉えた世界」の2種類の捉え方があるかと思います。なので、「非物質世界」というものも、「Aではない」と「Bではない」の2つに分けて考えられるように思えます。

で、「神学」なるものでも、非Aとしての非物質的世界の捉え方をすることはあり得ても、非Bとしての非物質的世界の捉え方をすることはしていないように思えるのですが、どうなのでしょう?
そういう意味では、神学といえども非宗教的な面もあるような気がするのですが。

95横山信幸:2017/01/07(土) 14:23:25
いや、「神学」は経験できないものの存在を認めるのか?その意味では、非B的な非物質世界も認めるような厳格な意味での宗教性があるのか?

96はじ銀:2017/01/07(土) 19:36:49
経験の解釈の仕方によって科学的か宗教的かが分かれるように思います。
経験的に感知出来る事象の宗教的解釈としては「精霊様が下って関与して下さった」とかになるでしょう。
また宗教的経験というのもあります。科学的な観点から見ると一種の錯覚や病理現象となるでしょうが、宗教的にはむしろ喜ばれることも多いでしょう。
その意味で横山さんが仰るBは科学的Bと宗教的Bがあるような気がします。

97横山信幸:2017/01/07(土) 21:04:23
はじ銀さん、
>横山さんが仰るBは科学的Bと宗教的Bがあるような気がします。

それは、Bの中にAと非Aがあるという分類で良いですか?

98はじ銀:2017/01/07(土) 22:26:39
そうとも言えると思います。
これはそもそも経験という概念自体に実在性はそれほど強く関係しないという性質からくるものかと思います。
昔は神学=科学みたいな感じでしたからね。神学と科学の性質が似ている、若しくは世界と神学、世界と科学との関係性が似ているというのは当然の理とも思います。

99ウラサキ:2017/01/15(日) 04:29:54
正月に録画したNHK「ニッポンのジレンマ」を視た。
「朝まで生テレビ」の二番煎じ(パクリ)みたいな番組。
出演者を若手に絞って「これからの社会」ってのを主題にしてるんだけど、
どうも製作者側の予定調和的な意図が透けて見えて、
録画なので朝生みたいな緊張感が無く、司会の古市憲寿も田原と違ってあまり仕切らず、
適当に無難で受け入れやすい意見だけ編集してある。
哲学者の丸山善広って人の「弁証法」についての解説などもばっさりカットされていた。
まあよくある「AIとの共存」や「多様性の許容」というありがちな結論。
中盤で格差社会の話になった時、会社経営者の安部敏樹って人の「ここにいる人はほぼ勝ち組の人だろうけど、
下流の人たちの実情も知る必要がある」って主旨の発言辺りは少し面白かった。
在日イギリス人のライラさんっ人は活舌悪すぎて耳が苦痛で、
逆にAI研究所室長石山洸って人は活舌良すぎて、TVショッピングみたいだった。

100横山信幸:2017/03/04(土) 21:13:30
ウラサキさん、或いは英語が堪能な方、教えてください。
映画「エクスマキナ」で以下のようなセリフがありました。

「It's kind of non-autisic. She could only do that with an awareness.」

AIに対するチューリングテストについての会話ですが、ここに出てくる「autistic」という語には「自閉症的」という意味の他に、「自動的」とか「無意識的」とかいう意味合いがあるのでしょうか?
僕の理解では「自閉症的」とは「偏った認知機能と偏ったイメージ機能かもしれない」という意味だけしかないもので、「認知自体の無い」という意味があるとは思えなかったので、セリフに違和感がありました。


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