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(#先生 以外)Mistranslation 誤訳

21O先生:2014/11/28(金) 04:32:08

 まぁ、どんな本(1960年以前くらいの英米の少し学術的なような本) でも 序文の一節だけ取り出すと、こんな感じでツマラン内容になるだろう。

要約: --- センテンスの定義は200もあり、 学校教科書には、相変わらず「ある、まとまった考えを表現する語の集まり」 という古臭くて役に立たない定義が載っている。
実際には 「ある、まとまった考え」の部分は無視する事が多い。 例えば、1ページにあるセンテンスの数を数える際には、文頭の大文字と文末のピリオドだけに注目する事になろう。

で、 いま本スレで人気の O先生にかかると、この当たり前の英文が 大江健三郎ふうの難解な哲学的(?)考察へと変身する。

> 問4:以下の日本語は、The Structure of English (C. C. Freis)の翻訳書『英語の構造』(xxxxx訳、文化書房博文社、p. 9)からの抜粋である。この文を手がかりに原文の英語を類推しつつ、まともな日本語に変えなさい。

II. 文とは何か ------ 200以上の異なった文の定義は英語の発話の構造を取り扱うことを引き受ける研究者に直面する。普通の学校文法は「文とは完全な思想を表す語の集まりである」というありふれた定義を繰り返し続ける。もっともこの古い定義(それは西暦およそ500年のプリスキアヌスよりも先である)は全く明らかに、それによって文を認める、一組の実行可能な基準を与えないが。実際の習慣ではわれわれは基準として「完全な思想」を持つ定義をしばしば無視する。もし、例えば、読者がこれや印刷のいずれか他の頁に生じる文の数を数えようとするならば、彼は通例数えられたそれぞれの集まりが「完全な思想」を表すかどうか決定することをやめない。事実彼は材料のたった1つの語も読まないかもしれないし、また談話が何についてか発見しようとさえしないかもしれない。彼は単に終止符と、われわれの書く慣習において、われわれが文を始める大文字に注意を払うだけである。


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