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「本流復活派」板

1116慶應日吉店:2021/01/11(月) 14:45:07
ベルギーとの絆 - 夕刻版

2018/07/08 (Sun) 18:39:32

日本は何度もベルギーに助けられていた。2国の知られざる「絆」の歴史

         *Web:MAG2NEWS(2016.03.29)より抜粋
              伊勢雅臣『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

《日本・ベルギー交流史》

(1)関東大震災時(大正12年9月1日)、
   大震災の二ュースは世界各国に報道され、
   諸外国から援助の手が差し伸べられることになるが、
   群を抜く支援活動を見せたのがべルギーだった。

(2)9月3日に報せを受けたべルギー本国では、
   5日には「日本人救済べルギー国内委員会」が結成されて活動を開始。

   この活動の結果、約264万2,000フランを集めて日本に贈ったが、
   これはアメリカ、イギリスに次ぐ多額の援助金となった」
   (「文藝春秋」1997年4月)という。

   このときべルギー国内で配布された「元兵士へ」(1923年)と題する
   日本への支援を訴えた文書を見ると、9年前の第1次世界大戦の際、
   ドイツ軍の侵略と戦うべルギー軍兵士に対して数々の援助を尽くしてくれた
   日本人への賛辞が述べられ、べルギーの元兵士はこのときの恩義を
   今こそ日本に返そうではないかという趣旨が書かれているのである。


《苦難のべルギーを支援した大正日本》

(1)周知のように第1次世界大戦に際してロシアおよびフランスと戦う
   ことになったドイツは、フランスを一気に叩くためにべルギー領内を
   通過して攻め入ろうとした。

   当然、永世中立を標榜するべルギーはドイツ軍の無法に対して立ち上がったが、
   圧倒的優位を誇るドイツ軍の前に国内は蹂躙されていった。

   それでも、当時の国王アルべール1世は、フランス国境の
   フェルヌに近い寒村に踏み止まって抵抗を続けた。

(2)こうした連日の報道に接した日本人は、
   勇敢に戦い続けるべルギー国民を激励するために支援活動に立ち上がる。

   日本国内の新聞各紙をはじめ雑誌その他の刊行物を通じて、
   苦衷に立つべルギーへの支援活動が日本国内で熱烈に展開されていく。
   わが国の近代史に際立つ光彩を放っている史実である。


《虐殺事件の嘘を暴いたべルギー公使》

(1)そもそもべルギーと日本との本格的な交流は、
   1866年の日本国白耳義国修好通商及び航海条約の調印に始まるが、
   とりわけ明治26年から43年のあいだ日本公使を務めた
   アルべール・ダネタンが、敢然として明治日本の名誉を守った
   史実も特筆にあたいするものである。

(2)例えば日清戦争での日本軍による旅順港占領の際に、
   無事の住民に対する虐殺が行われたとする記事が
   諸外国の新聞に報道されたことがある。

   ダネタンは事の真偽を確かめるべく調査に乗り出し、
   結局米国記者によって捏造された「虐殺事件」が
   まぼろしだったことを突き止め、べルギー本国政府に対して
   注意を促す報告書を提出している。

(3)ダネタンは特命全権公使のまま日本の地で死去、
   雑司ケ谷墓地にこの日本の名誉を守った恩人の墓が立っている。

   (https://www.mag2.com/p/news/162826

        <感謝合掌 平成30年7月8日 頓首再拝>


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