したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

非武装信仰板

1669シャンソン:2019/04/17(水) 13:03:05
   マネジメントが忙しかった宗祖は短命だった

 浄土系以外の鎌倉時代の宗祖たちを見てみましょう。
禅には道元が開いた曹洞宗と、栄西が開いたとされる臨済宗があります。
共通しているのは座禅や公案(難しい問いを出して、それを修行僧に考えさせるもの)などを
中心とした修行の実践です。

 これまで、修行が長寿に結びついてがいるのではないかという話をしてきましたが、
禅宗を開いた道元(享年五三)と栄西(享年七四)が、法然・親鸞に比べて長命ではなかったのはなぜでしょうか。
一つは、浄土宗のように「すべてを委ねる」という信仰ではなかったことがあげられますが、もう一つは、禅宗では修行する弟子たちを
食べさせなければいけないという現実的な問題があったからではないでしょうか。

 修行をしている人は修行に専念しているわけですから、経済活動はしません。そうすると、いかにお金を集めてくるかが重要になってきます。
そのため曹洞宗では、密教など、禅以外のさまざまなものを取り入れていきます。
現在の仏教式葬儀の原型をつくったのは曹洞宗ですが、それも、人を葬ることで布施が入ってくる仕組みをつくろうとしたからです。

 日蓮の場合は、個人が救われるというよりも、正しい仏法が広まった社会をいかに実現するかを目標としていました。自らの考えを『立正安国論』にまとめて、
鎌倉幕府の前の執権である北条時頼に進言したりしましたが、受け入れられず、逆に伊豆と佐渡に流されました。伊豆はまだよかったのですが、冬に流された佐渡で過酷な生活が待っていて、
掘っ立て小屋のようなところで寒い冬を越さねばなりませんでした。

 佐渡の流罪を許された日蓮は見延で生活することになりますが、これも実質的には流されたようなものだという説が有力です。見延には弟子たちがやって来ましたが、それが何十人にもなったため、日蓮は
「たくさん来すぎる」と嘆いています。
 日蓮の手紙はたくさん残されていますが、物をもらったときのお礼状が大半です。
必ず、「何をいただきました、ありがとうございます」から始めて仏法について説いていくという書状です。私がすごいと思うのは、日蓮はどの手紙にも同じ話題を使っていないことです。
中国の故事を引いたり、仏典から引いてきたりしていますが、同じネタを使わない。手紙を出す相手はいろいろなところにいますから、同じことを書いてもわからないでしょうに、全部違う話をするのです。

 息子を亡くした母に宛てた涙ものの書状もあります。それは日蓮の優しさを示すものではありますが、一方では、たくさんの弟子たちを食べさせなければならないという苦労の証でもあります。
そうすると長生きできるわけもなく、晩年は下痢など体調を崩し、六〇歳でこの世を去りました。
また、僧侶は文章を書くことができましたから、日蓮は、現在でいえば弁護士のような役割を頼まれまれることもありました。

 日蓮が世話になった人物が領地争いに巻き込まれたときなどはその人に加担し、訴訟に勝利をおさめます。
ところが、勝訴したがゆえに相手から逆恨みされて、襲われ、日蓮自身が斬られるという体験もしています。そうしたことは、仏教では「法難」と呼ばれますが、日蓮ほど多くの法難を経験した僧侶もいません。

  『なぜ宗教家は日本でいちばん長寿なのか』 島田裕巳 著


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板