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『「生長の家」の教義について議論する』板

49a hope:2016/05/10(火) 07:07:44 ID:xVBwxesw

かなり以前から白鳩会総裁の谷口純子先生は、「神想観」というお言葉の代わりに「瞑想」という言葉を使われています。

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生長の家白鳩会総裁 FBより
昨日 5:51 ·
今週のことば--
自分では生活を改善したい、こうありたいと願っても、中々思うようにいかないのが現実の生活だ。それは意識して自分の潜在意識を変えようとの努力があまりなされていないからだ。朝の瞑想は、そのような心の習慣を毎日軌道修正するものだから、人生を有意義に楽しく生きたいと思う人には、是非お勧めしたいことである。
   
 普及誌『白鳩』№65、9〜10頁
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ですが、「瞑想」という表現では語義が広すぎてかえって人々を混乱させてしてしまいます。


○瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9E%91%E6%83%B3


なぜ、純子先生は「神想観」というお言葉を使われないのでしょうのでしょうか?


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