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2652
:
シャンソン
:2015/05/24(日) 18:43:09 ID:LSGZ6qOU
人間のなかに隠れよう
10代のころに、誰かからこんな寓話を聞いたことがあります。
昔々、神様は地上にいたそうです。その神様のところに大勢の人間たちが来て、悩みごとを相談したり、
欲しいものをおねだりしたり。いつも、長い長い行列ができて、さすがの神様も大変だったようです。
あるとき、神様はたまりかねて、お弟子さんたちに「よし、わしは月にでも行ってしまおう」と言いました。
すると、弟子たちは「いやいや、月に行かれても同じですよ。人間はいずれ月にも行くようになりますから」と止めました。
「じゃあ、どこへ隠れようか」となって、神様は最終的にいいことを思いつきました。「そうだ、わしは人間のなかに隠れるとしよう。
自分のなかに私がいることを見つけられるくらいの知性の持ち主だったら、わしにくだらない相談事を持ち込むまい」
おもしろい話だな、と思いました。
当時のぼくは、まったくの自己流で瞑想らしきことをしていたら、頭がすっきりして、何だか気持ちいいなと感じた。そのくらいの経験しかありませんでした。
それでも、この寓話はぼくの心に響きました。「そうか、神様は自分のなかにいるんだ」と、本気で信じることができたんです。
瞑想に本格的に取り組むようになったのは30歳になってからですが、10代のころに漠然と得心したことは確信になりました。
いま、「神様」という言葉を使いましたが、「仏様」も同じです。
人間は困ったことに遭遇すると、「神様、仏様...」って神仏にすがるでしょ?
あれは自分のなかにいる神様、仏様、あるいはスピリチュアル的に言うと宇宙的自己、大いなる自分に知恵を借りよう、そしていいほうに導いてもらおうとしているわけです。
禅では「衆生本来『仏』なり」って言います。
よく死んだ人のことを仏様って言いますが、ここにある「仏」はブッダという意味です。2500年前の釈迦を指す場合もあるし、真理に至った人、あるいは悟りを開いた人、覚醒した人を意味することもあります。
いずれにせよ、生きとし生けるものはすべて、本来はお釈迦様と同じ仏様だということ。
勉強しなくても、修行しなくても、人間はもともと無条件に仏様なのです。
もしかしたら。沖縄の「童神」って言葉も、これにすごく近いかもしれません。
生まれたときはみんな、ピカピカに輝いているでしょ?それに、自由だし、活発だし、エネルギッシュだし、しかも2人として同じ人はいない。
まさにダイヤモンドですよ。ところが、人生で苦い経験をするたびに、自分を「こうするべきだ」っていう枠にはめて、自分で輝きを遮断してしまう。
ダイヤモンドを覆うその黒い影が、まさに自我の一部となります。
それを人間はいつしか、自分だと思っちゃうわけです。でも、いいですか。本当は黒い影なんてなかったんです。
生まれたときは誰もが「童神」だし、「衆生本来『仏』なり」で、ダイヤモンドなんですから。
そのことをもう一度思い出すのが、とても大事なのです。
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