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部室板/4
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トキさま
観戦記を寄せていただき、ありがどうございます。
>初心者様は、人間中心主義を否定するひとつの信仰体系を作り上げようと
考えておられたようです。わたしの印象では、その試みは今の時点でうまく
行っていないと思います。また、うまく行かないとも感じています。
人間中心主義をことさらに否定しようとは、わたしは考えておりません。真理によって言葉を支えるようなやり方はもはや古い、ということをいいたかっただけです。人間中心主義の批判にことよせて、生長の家はもちろんのこと、あらゆるイデア的な思想はもはや時代おくれである、ということをいおうとしたのです。
こちらでなんどもいっておりますように、イデア的なものの考え方は、すでにソシュールによってそれが成り立たないことが示されています。あなた方はソシュールを、そしてイデア論の本質を理解しておられないために、そのことがわかっておられないだけなのです。
わたしは20年まえにこのことに気づき、ソシュールを乗り越えようとしてきましたが、それが不可能であることに気づかされました。つまり、イデア的な思想は真理としては成り立たない、ということを認めたということです。
イデア的思想のあとにくるものはなにか。それもわかっております。答えはソシュールのなかにありました。それに気づかされたのは、ある哲学者の業績が関係しています。トキさんは「うまく行かない」といっておられますが、この方法はすでに一般化しています。「うまく行かない」どころか、大勢の人がこれを実践しています。
「イデア論のあとにくるもの」の理論的な体系もすでに完成しています。実践の方法もわかっております。のこる課題は、運動としての体系や思想をいかにしてつくりあげるかということです。いまは、じっさいに活動しているグループや個人の情報を集めている段階です。
それは、まだほとんど世に知られていない最新の哲学理論なのです(実践と哲学はべつです)。もちろんここで手のうちをあかすわけにはまいりません。そのために、説明はあいまいなものとなってしまいました。ギリシャの哲学は、もちろんカムフラージュです。
こんかい気づきましたのは、総裁がなさっておられことに矛盾はないということです。生長の家の教えを説きながら人間中心主義を批判しようとするのは矛盾以外のなにものでもないからです(両者に構造的な違いはありません)。
わたしは、総裁の正当性を示すために人間中心主義を批判いたしましたが、わたし自身は人間中心主義に興味はまったくありません。トキさんにはいろいろと述べていただきましたが、わたしとはまったく関係のないことばかりです。
ただ、わたしもこちらで「人間知」であるとしてさんざんたたかれましたから、総裁のお気持ちはわかる気がしています。総裁を擁護したい気持ちはとうぜんのごとくあります。それでも、宗教とのかかわりはできるだけ早くたちきりたいというのが本音です。時代おくれの思想を批判したところで意味などないのはわかっております。
ではこれにて。
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