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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2870トンチンカン:2017/08/13(日) 23:37:53 ID:IIMV1pVY

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『教団を軽視するな・・ との<ご忠告>を受けました』〜〜

≪唯物論の総裁≫ 率いる・・ 「今の教団」側から・・・?!
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<谷口雅春先生に帰りましょう・第二>
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《教団関係者への投稿》唯物論が服を着た総裁。それを支える本部講師たち。私は教団の圧力に屈しません! (7346)
日時:2017年08月13日 (日) 23時01分
名前:しろうさぎ


教団を軽視するなとのご忠告を受けました。 「みんな見ていますよ」って書かれていましたが、みんなに見てもらうつもりで投稿しています。


「蒼いウサギ」さんから始まり、何が言いたいんだか、嫌らしい投稿をされますが、私は屈しませんから!


総裁は講習会で、キリストについて「聖母マリアは処女懐妊であると言われていますが、科学的にどう考えても処女懐妊などできるはずない。 これは、キリストの父親である人の子を身籠った、いわゆる、私生児ということです。


釈迦も私生活では大変孤独だった。 歴史に名を残す宗教家は不遇な人生を歩む人が多いですね。」  そのように言われました。


 総裁のおっしゃるように、確かに科学的には処女懐妊などあり得ないのかもしれません。唯物論の総裁にとってはですね。 でも、科学的根拠がないからと言って、聖母マリアさまと、マリアさまからおうまれになったイエスキリストをそこまで落とす必要があるのでしょうか?


それから、これは26年秋の総本山団参における、前総務の講話の中での一幕ですが、 「観世音菩薩讃歌」の一部分を引用され、(観世音菩薩讃歌等、総裁ご夫妻の著書はすべて処分しましたので、手もとになく全文すべて正確に覚えておりませんが)


『幼児歩行途中に倒れたりとも悩み苦しまず…歩くことが自己の本性にして…幼児倒れても、再びよろこび失わざるは常に歩行している自己の実相を親の歩行の中に見て、自己が歩行できることを疑わざるなり…」


(講話記録ノートに書き留めているだけですので、讃歌に書かれている文字と比べて違うところがあるかもしれませんが…)


この部分を前総務は読み上げられて、「この幼児というのが、われわれ弟子である信徒です。 私たちが人生の歩行途上で困難なことに見舞われ、倒れたとしても、また、再びよろこんで立ち上がっていくんですよ! ということを現総裁先生はお説きくださっているんです! ですから皆さん、弟子として師の指し示す方向を、「ハイッ!」と言って一緒に向かせていただきましょうよ。 それが弟子の使命でしょう!?


そう力込めてお話されました。 会場は感動に包まれていましたが、私はこのとき、ハッキリと「この教団は危ない!いつまでも居てはいけない…」そう確信いたしました。


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