したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

トーキングスティックボード

4996:2014/12/07(日) 19:29:55 ID:oeUx5MQw

    『君民同治の神示』


 國は人間生命の外延である。それは身體が人間生命の外延であるが如くである。

人間生命が神より生れたる神聖なるものであるといふ自覚が、その外延であるところの國をも神より生れたる國であるとの神聖性を要求するのである。
この要求が神によつてその國が造られたのであるとの神話を創造するのである。

しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要請するのである。
観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

身體も國も共に観る者(主體)から反映せられる世界(客體)である。
観る心の要請が身體に於ては脳髄の存在となり、國に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。
即ち観る主體(民)が神聖であるから、観らるる客體である天皇が神聖なのである。

観る主體(民)の神聖性が包まれ蔽はれて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽はれて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。

人間は自己自身の神聖性のゆゑに神造の國家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。
天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。

されば民が主であり君は客(かく)である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一體であり、君民同治である。

天皇は絶対者にましますとは、観る主體たる人間(民)の絶対性より来る。

民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として國の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが國家大権、天皇大権の一時中断の形をもつて現れたのである。 (十二・二八 午後十二時)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板