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トーキングスティックボード

4630:2014/10/03(金) 17:16:12 ID:oeUx5MQw

(使い棄て精神は、いけない、という事が書かれている『神 真理を告げ給う』79頁より抜粋させて戴きました。)


 「更に、人間は万物の霊長であるから、単に人間同士が相愛して、互いに傷つけるような事を慎まなければならないのは無論であるが、あなたは天地の万物に対しても“愛”をもたなければならないのである。

今まで多くの人間は、自然界の動植物を、自分の利益のと快楽とのために利用し得る間は、好き候に利用しつくして、あとは棄ててしまって顧(かえりみ)るということをしなかったのである。

所謂(いわゆ)る“使い捨て”精神で、万物の生命をおろそかにし、それに感謝することを忘れ、折角の美しきものを醜くして、悪臭芬々たる状態にして流し棄てていたのである。

現今、“公害・公害”といって騒がれているのは、結局、人間自身が自然界の万物に対して“愛”をわすれて使い棄てにしていた報いである。

人間でも、美しく元気で役に立ったり、楽しむことが出来る間は、利用し慰みものにしながら、年老いて醜くなり弱ってしまって来たならば、“使い糟”として棄ててしまうというようなことは、人間の心に“愛”が目覚めている限りは出来ないことであり、また、してはならない事なのである。

人間に対してだけではなく、自然界の一切の事物も、ことごとく「神の生命」の自己顕現であるから、人間と兄弟姉妹の関係にあるのであるから、美味しいところだけを利用して、あとは醜い姿にして棄ててしまうようなことをしてはならないのである。

自然界の万物も、みな“わたし”の生命の顕現であるから、もっと尊敬し、愛し、醜く廃れたものでも何でも生かして使ってやろうという行きとどいた愛念をもって万物を扱うならば、あなたは廃物と見えた煤(すす)の中にも輝くダイヤモンドと同質のものが秘められていることを発見し、そこから金剛の光を発することが見られるであろう。

善きものの発明や発見はそのような心構えから出て来るのである。
万物はすべて愛念をもってその實相を見るならば、そこには廃物というものはひとつもないのである。

愛念をもって廃物に接すれば、その廃物の内に潜む宝庫を見出し、その宝庫の扉をひらくにはどうすればよいかの智慧もおのずから湧き出て来るのである。

使い棄てにして万物のいのちを大切にせぬものは、その報いをみずからの生活で収穫しなければならないのだ。」


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