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トーキングスティックボード
3957
:
縹
:2014/06/22(日) 13:02:19 ID:oeUx5MQw
続き
日本を救ふは、深々たる龍宮海より発祥した日本の教へでなければならない。
仏教ならば住吉大神が龍樹と顕はれて、大乗佛教を示された以後の教へでなければならないのである。
さて其處まで来ると、佛教者にして眞にこの住吉大神直授の大乗日本佛教を本當に知つてゐるものがあるか如何(どう)か、試みにあらば挙げて看よといふのが「這裡(しゃり)に到つて、合(まさ)に作麼生(そもさん)。試みに擧す看よ」である。
併し、そのやうな大乗佛教を悟つてゐる佛教者が必ずしもないことはないと、次に實礼を擧げたのが本則である。
小乗佛教と大乗佛教との根本的相異は、先にも述べた通り、この世を穢土と観じて遠離しようとするのが小乗であり、此の世をこのまま實相世界と観じて實相成就のために一大勇猛心を揮ひ起して努力するのが大乗である。
(中略)
大凡大乗佛教は何のためにあるかといふと、自分が救はれるためにあるのではない。
人を救ふためにある。
あまりにも醜しい現実の様相を見て、それを救つて、地上に龍宮城の荘厳を実現せんがための一つの布石に過ぎないのである。
唯物論者の物質的生活がラクになるためだけの利己主義的闘争ではないのである。
第一に、神が世界連邦創造の聖理想を此世に實現したまふための中心核となるべき聖國家として日本國の實相顕現のためである。
・・・・・・・・・
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