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トーキングスティックボード
3423
:
縹
:2014/05/03(土) 00:27:20 ID:oeUx5MQw
続き
「この『華厳経』が、釈尊が宇宙の真理をお悟りになった第27日目に、対人的方便法ではなく、真理の實相講演としてそのままの真理をお説きになったものであるだけに、最も尊い最も勝れたお経だということができるのであり、
その真理というのは、宇宙の中心座に、そして事物の存在の中心には、必ず大日如来(毘廬遮那佛―――日本語的表現を用いれば天照大御神)がましまして、その存在の秩序を支えてい給うということである。
その中心帰一的形相は、あたかも蓮華の花弁が、蜂巣(の形をした子房)を中心にすべて帰一しているようになっているのであり、
そしてこの實相世界は、そのような霊的設計構図(理念)を内に蔵している世界であるから、“蓮華蔵世界”または“蓮華蔵世界海”と呼ばれるのであり、
そしてその中心座に大日如来“天照大御神”が坐し給うのである。これが釈尊悟後の第一声の説法であったのである。」
『如意自在の生活365章』275頁
とこのように、東大寺の大仏は、大切な存在なのですが、それを御建立下さったのが、聖武天皇様でした。
707年7月18日に、7歳でお父様であらせられます文武天皇様と死別され、724年3月3日に御即位されました。
大仏造立の詔の二年前の天平13年(741年)に詔されて、国ごとに国分寺・国分尼寺を造る事をお命じになられ、東大寺は、大和国の国分寺であると共に「日本の総国分寺」という位置付けになったそうです。
以下は東大寺のHPからの抜粋です。
「天平15年(743)10月15日に「盧舎那大仏造立の詔」を発せられる。
聖武天皇は、人々が思いやりの心でつながり、こども達の命が次世代に輝くことを真剣に考えられ、動物も植物も共に栄えることを願い、さらには造像にあたっては、広く国民に「一枝の草、ひとつかみの土」の助援をよびかけられた。
つまり、大仏の造立は皇室や政府の事業のみならず、国民に結縁を求め、助力によって完成しようとした点に、従来の官大寺建立とは明らかに異なるものがある。
いわゆる大衆を知識(協力者)として造立を果たそうとしたもので、この精神は各時代の再興や修理にあたって、現代に至るまで常に相承されてきている。
発願の詔が出された四日後には、すでに民衆から人望が厚く仏教伝道に実績のあった行基が、弟子たちを伴い勧進行脚に出発している。」
http://www.todaiji.or.jp/contents/history/
「しかしこの盧舎那大仏造顕という国を挙げての難事業は、「若し朕が時に造り了るを得ざるあらば来世に於て身を改めて猶作らん」とまで述べられ、
また自らを「三宝(”さんぼう”、或いは”みほとけ”)の奴(やっこ)と仕えまつる天皇(すめらみこと)」とさえ称された、聖武天皇の熱意と信仰心が原動力となってはじめて可能であったともいえる。」
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/04syoumuki.html
続く
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