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トーキングスティックボード
2363
:
縹
:2013/12/05(木) 23:37:31 ID:oeUx5MQw
『碧巌録解釈』 谷口雅春先生 43〜44頁
「熱が出ても、熱が引いても、下痢しても、便秘しても、どちらでも「これは困る」と思ってゐるやうな事では、其処に極楽浄土が現前し、大用が現前してゐても判らぬ。」
「これは病気ぢゃない、日面佛月面佛のはたららきだ」
「病気に面して病気を見ず、死に面して死を見ないのが、自己生命の實相であり、日本精神であり、大和魂である。死んで往くのではなく、生きて往くのである。」
「病気が治つたから悟つた意になつて慢心してゐたら、是れ何物ぞである。吾々は日面佛月面佛を悟らねばならないのである。
病気が治りたいなどといふやうなケチな心で生長の家に来る人もあるが、さういう人が治る過程は、どうして治るかといふと、病気に於いて病気を見ず、馬大師にやうに其処に「日面佛、月面佛」を見得る心境にまで導かれることによってである。この心境になるにはどの位苦辛したことであらう。」
「二十年来曾て苦辛す。君がために幾度か蒼龍窟に下る」
「この蒼龍窟に下るには、身を捨てる覚悟が要るのである。肉体の無を悟らねばならないのである。「生きんと欲する者は死せ」である。ああ苦しかった。その苦しみは書くに耐へないほどだといふ」(中略)「悟りといふものは、机上の空論ではない。
身を捨てることが必要なのであるから、ただ本を読んだだけで悟った、解ったと思ってゐたら間違いである。捨身の実践をしなければならなぬといふことを警策せられたものである。
尚、附記するが大和魂(日本精神)とは、この「捨身の生命行」である。敢て「捨身の心」だとは言はないのである。身を惜しんで、心で身を捨てる観念の遊戯をしてゐるやうなことでは大和魂ではない。身を捨てる行そのものの中に昭々として両面の鏡相対して映像なきが如く照り輝くのが大和魂である。
そしてその大和魂とは、人間精神高揚の一種の作用だと思ふ人があるかも知れぬけれども、實は「大和魂」とは「人間」そのものなのである。
だから「大和魂」が生きたときに、はじめて其人の「人間」が生きたのであり、そしてその大和魂とは「肉体」を見ず、「死」を見ず、常に日面佛月面佛のみを見るところの人間の極致である。」
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