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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

2868トンチンカン:2017/01/26(木) 00:04:54 ID:IIMV1pVY

(つづき)
                   ○

 日本の歴史は、記紀(『古事記』・『日本書紀』)の神話から始まる。それは、

≪天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)
は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日(たかみむすび)の神。次に
神産巣日(かみむすび)の神。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身
(みみ)を隠したまひき≫


 から始まる。この 「天之御中主神」 というのが、「久遠の今」 なる、時空未発の中
(ちゅう・みなか)なる本源神なのである。われら日本人の祖先は、一切(すべて)が天
之御中(あめのみなか)なる 「一」 から出発したことを直感認識していた。だから自然
も、人間も、みな本来 「一(ひとつ、一体)」 であり神であるという自覚が民族の超在
意識に流れているのである。

 それ故、天之御中主神から発した日の大神(太陽神) 天照大御神の御神勅

 「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、これ
吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみ
ま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さ
か)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし。」


 という御神勅から始まった日本国は、君は民を大御宝(おおみたから)と拝み給い、
民は君を 「大君は神にしませば」 と拝み奉り、君民一体、君民同治のすがたをあらわし
てきた。日本国は信仰共同体であり、国民が契約を結んで人工的に作った国ではない。そ
して祭祀主である天皇は、国民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。

 これが日本肇国以来の国柄であり国体である。つまり、日本の歴史と伝統は、契約思
想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法よりはるかに優れた、類(たぐい)なき人類の
宝なのである。
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