したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

エホバ系

18 名無しさん :2021/01/31(日) 13:55:32
6.悪魔サタンが、友達や家族などを通じて、エホバの証人を辞めさせようとするかもしれないと警告される。

実際そうなると、やはり教えは真実だった・・・と思いこみ、家族や友人をサタンの手先とみなすようになる。

7.現代社会で希薄な、人のぬくもり、友情、 全体主義的一体感〈侵略戦争中の日本軍のような〉が、彼らを包む。

“楽しくないカルト”は存在しません。
破壊的カルトの生活は厳しいながらも、メンバーが助け合うなかで「暖かさ」「思いやり」「純粋な人」
といった対人魅力や、「われら」という仲間意識をもった集団の雰囲気が形成される。
こうした集団のまとまりの良さを示す概念を集団凝集性というが、それを高めるものは、自己愛(ナルシズム)に満ちた優越感や誇りである。

「仲のよいモルモン教会」

他のカルト脱会者の話を聞くと、やはりそうした暖かい教会の雰囲気に魅かれて入会したという話を聞きます。
ある統一協会の脱会者は、入門コースとして教会のビデオセンターに連れていかれたとき、
誘った信者がいつも入り口のところで自分のことを待っていてくれたのにとても感激して、とても世間で言われているようなカルトというイメージではなかったといいます。

これは、カルト特有の閉鎖的で密な人間関係がもたらしているもので、
外をサタンの世界、内を神の世界に二分する排他的思想が影響しているもので、
とてもキリストの説く普遍的愛に基づくものとはいえないでしょう。

モルモンが楽しいからカルトではないという主張をよく耳にしますが、それは正確ではありません。
むしろ社会心理学者たちは、現代社会にカルトが蔓延するのは、人間関係が希薄になっている社会の病理だと指摘しています。
人は人との強いつながりを求めて、むしろカルトに引き込まれるのです。

※ここではっきりと申し上げておきますが、カルトの個々のメンバーはとても親切です。
カルトは居心地がよいところなのです。しかし、それは上辺だけのものに過ぎません。
人間関係の心地よさからずぶずぶと深みにはまっていき、気が付くと、地下鉄でサリンを撒いていたりするのがカルトなのです。

「カルトが恐い」というのは、オウム真理教のように外の社会に対してテロ行為を働くといったことだけではなく、
実はメンバーをカルトの組織に縛り付けるといったところに現れるのです。
「エホバの証人」や「モルモン教会」は、「私たちは、テロなどしませんからカルトではありません」
などと釈明していますが、簡単に入れる一方で、辞めようとすると「地獄に落ちる」などと脅すわけで、
やはり立派なカルトといえるでしょう。
そんなことを繰り返しているから、当然、被害者団体も結成されるわけです。
カルトというところは、「行きはよいよい、帰りは恐い」という「とおりゃんせ」の世界を実践しているのです。

※モルモン教会と接触しているのであれば、例えば、エホバの証人の被害者団体のサイトを覗いてみましょう。
そして、そこに書かれていることを読んで下さい。
エホバの証人特有の用語があったりして少々読みにくいかも知れませんが、じっくりと読みましょう。
すると、「輸血拒否」の矛盾などエホバの証人の問題点について書かれているにもかかわらず、
何かモルモン教会にも当てはまるような話があちこちに出ているはずです。
ある意味、それは当然なのです。カルトという点においては、モルモン教会もエホバの証人も何ら変わるところがないのですから。

あからさまに、“組織を抜けると罰が下る、それも家族に”などと “ストッパー” が掛けられます。
それを振り切りやめたとしても、不幸が起こると、“やっぱり” と思い、舞い戻ったりしてしまいます。

(身内が死なない人はいません。 統計をとれば分かることなのです)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

■ したらば のおすすめアイテム ■

ふともも写真館 制服写真部 - ゆりあ


この欄のアイテムは掲示板管理メニューから自由に変更可能です。


掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板