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資料集

715アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2011/10/01(土) 21:15:00
>>714

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.16

【阿部】
88年夏より原が阿部を囲い込んだ。無許可で工事して、事務局に請求書が回ってきた。半年間折伏してたから、阿部は抜け出せなかった。うちの人としては道連れになったのは阿部一人。原は阿部を幸福の科学に対する担保でとっていた。阿部は過去世が阿難で、よう切れんと思っていた。阿部をつかんでいるかぎり、幸福の科学に憑依していれると思っていた。関谷は阿部に嫉妬していた。原は関谷の代用物で阿部を囲い込んで、実年齢が20代の人と競争していた。原が阿部をたてて、たてて、増上慢にしていた。僕らの認識では阿部は実務ができないということで、一致していた。会社では絶対に出世しないタイプだった。答案も20代の人にしてはよく書けているというだけで、それが出来たら、何でもできると思うのは、思う方が悪い。すごい増上慢だった。ああいうのが独覚に相当する。みんなと一緒にやらない。声聞にならない。性格的には問題があった。人がどうみているか、経験が足りなかった。部分をほめられたら、全部ほめられたと思って実務が出来ないということで、オコゼになった。最初はワープロができるということで、すごいと言われたが、最後は先生の原稿は自分しか直せないと言い出したので、仕事が出来ないことを自覚してもらうため、しごきに入ったら、潰れた。阿部を担いで、ヨガ教室で別派をつくるつもりでいたんだと思う。編集においておいて、校正させてたら、いつのまにか自分が書いたという雰囲気になっていた。原に囲われて、乗せられて、大事にされていた。高橋先生のすすめで、結婚していたら、抜けれていた。
彼は、もう一つ、マザコンで、京都の母ちゃんから毎日電話がかかってきていた。それと原の二人の女性がかかってきて、 縛りあげられた。89年2月地下の事務所に入った。88年9月原はさらに青年局長室をつくった。主宰をそこに入れる自己実現を阿部でした。




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