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資料集

32エル・バカターレ ◆QE5knZpQ6Y:2010/06/13(日) 21:51:10
◆ 「『マッカーサーの霊言』講義」 ⑥ ◆

イギリス支配下のインドを攻めたインパール作戦では、物資輸送を山越えのルートを牛を使ってやろうとし大失敗しました。
牛に荷物を積んで山を登らせ、越えたらあとはその牛を食べたらいいと、
やってやれないことはないと強行手段に出たところ、牛は崖から落ちるは、逃げるはで、自画自賛の作戦が大失敗になりました。
これが日本の弱いところです。

補給、継戦能力を軽視する傾向があります。負けたときの勉強が出来ていない証拠です。
アメリカは負けても発想が次から次に出てきます。
将軍の力が大きいのですが、空爆でも飛び石作戦を取って、
日本は夢にも思っても見なかったサイパンを押えられてしまいました。
そして中国に着陸されたことは衝撃的でした。
また、空母で潜水艦を沈めるという日本の秘策も、直にアメリカにお株を取られてしまいました。
当時イギリスの浮沈戦艦と呼ばれたレパルスとプリンス・オブ・ウェールズを沈め、
イギリスの皇太子はショックで立ち上がれなかったといいます。

一方アメリカは、ランチェスターの法則にのっとり、3機で1機のゼロ戦を攻め打ち落としました。
山本五十六がラバウルから南方諸島へ飛ぶことになっていたことも、暗号がアメリカ軍には解読されていました。
山本五十六がガダルカナル島からパラレ島へ視察に行くということは、
なんとルーズベルト大統領まで稟議が上がっていました。
そして、敵将を個人攻撃したことが過去あるかどうか調べるまでの余裕を持って、
ルーズベルト大統領はゴーサインを出し、日曜日ブーゲンビリア島で打ち落とされました。
アメリカ軍が暗号を解読したと気づかれないように、それまでの毎週日曜日、
同じ時間にその辺りを監視と称して飛行までしていたのです。
ミッドウェイ海戦では、戦艦ヤマトが500キロも遅れてやってきましたが、遅すぎます。作戦上いただけません。




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