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108質疑応答
1014
:
もぎりの名無しさん
:2009/03/21(土) 14:48:24 ID:doUtXFGY0
>>1007
愛することに対する制限は、たとえば子供の頃にテストの点数が50点だと親が怒って
60点だと怒らず、70点だと喜ぶとか、そういった記憶に支えられていると思います。
つまり最初は他人から自分が認められるかどうかだった基準が自分の中に取り込まれて
自分の基準となり、それによって自分や他人を評価して愛したり愛さなかったりする
ようになるということです。もちろん自分独自で作った基準もあると思います。
で、こういった基準は何のために作られるのかというと、自分の都合の良いように世界を
コントロールするためです。実際には見た目のコントロールしか出来ませんけどね。
警察官のパトロール回数を増やせば犯罪を抑止できるというのと考え方は同じです。
原因はそのままにして結果だけを変えようとする方法です。原因はそのままなので
筍のように抜いても抜いても出て来ていくらやっても切りがありません。つまり、一時しのぎ
にしかならなくてあまり良い方法ではないんです。降りかかる火の粉は避ける必要は
あっても、そのままでは火の粉の発生源の火を消してはいないので終わりません。
終わらせるためには根本原因を突き止めて滅する必要があります。
たとえばテストで50点だったなら、なぜ50点だったのかを解明して60点にしたいなら
60点になるように次回は気をつけるとか、そういう冷静な判断や対処が必要という
ことになります。つまり、問題を解決するのに怒りは不要です。むしろ結果にだけ
執着してすぐに怒ってしまうと原因究明やそれに対する対処が遅れてしまうのが
普通でしょう。だいたいの問題は怒ると長引くんですよ。問題を早く解決したいなら
愛がないとうまく行かないということです。
まあ、それ以前の問題として、なぜその現象を問題視して変更したくなるのかという
のもありますが…。
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