したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

瞑想スレ 2

77幽体かもしれない名無しさん:2013/11/22(金) 23:51:39 ID:Z67RzD8A0
禅定と幽体離脱が無関係とは言わないですが
経典の定義では初禅はかなり高度な精神状態ですから、入るのは非常に困難です。
初禅とは五蓋を恒久的に滅した状態で入れる精神状態です。経典では初禅に入れば現世の悩みが全て消えてしまうような状態とされます。
ネットで初禅は初級レベルの瞑想だと解説するサイトがありますが、あれは経典を読まないひとの嘘です。初禅は無欲の歓喜と言われ、欲界における全ての欲が消えないと入れないとされます。
なぜ初禅で喜びが生じるかというと、苦受の原因である貪欲蓋が滅せられるからです。欲や快楽に基づく喜びではなく苦悩から開放される喜びです。

いずれにせよ掉悔が集中や瞑想の集中の妨げになることには違いありません。
瞑想の真髄は自己同一化している対象からの自我意識の乖離であると言えます。つまり五蘊非我です。
初禅では尋と伺が残っているとされます。つまり、受動的思考と能動的思考が残っている状態です。それでいて五蓋が無く、喜びで心が満たされている状態です。
二禅では尋と伺が止まるので、無心状態であるといえます。そこから四禅まで進んでいくのですが長くなるので説明飛ばします。
ここから本題なんですが、五蓋をなくさなくても尋と伺の停止は可能なんです。
仏教が他の宗教体系と一線を画しているのは五蓋の滅を体系化して、五蓋を徹底的に滅してから瞑想状態に入ることで瞑想の状態を深化させている事です。
ようは五蓋を減らせば減らすほど瞑想の質は深まるということです。五蓋を滅する直接的方法は四念処です。これ以上書くのは面倒なので仏教の禅定の話はこのくらいにします。
仏典の翻訳はネット上のものだといい加減なのでできれば図書館でちゃんとしたのを借りてください。

リンク先のテキストを読みました。これの通りに実践を続けて日々瞑想時間を延ばしていけば、いつか満足のいく変化が得られるはずです。
横になる瞑想はヨーガや気功には存在しますが、応用技術なので当分する必要は無いと思います。
それらの瞑想は集中力が高度に鍛えられていないと眠ってしまいます。
また立禅は下丹田の鍛錬及び気功以外ではあまりメリットが無いように思います。ジャイナ教の開祖のマハーヴィーラが立禅をしていた話がありますがあれは特異な例でしょう。
貴方の性格だと、呼吸にひたすら集中する瞑想を中心にやるのが良いと思います。人中にあたる風の感覚にだけ集中するタイプのアーナパーナサティが良いです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板