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みんな死んでいく・・・

330ボリニャック伯夫人:2024/02/10(土) 10:08:51
妥協許さぬ生涯 世界中から「セイジと音楽がしたい」と慕われ 小澤征爾さん死去
2/9(金) 21:56配信


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産経新聞
食道がんの治療療養から復帰し、公開リハーサルを行った指揮者の小澤征爾氏=2010年8月、長野県山ノ内町の奥志賀高原ホテル

大きな目を見開き、音楽家たちに目配せをして、息を深く吸ってタイミングを示す。ひとたび手を振り下ろすと、圧倒的な音色と響き、リズムがあふれ出して止まらなかった。音楽に献身し、音楽を極め、そして音楽に愛された人生だった。ただ、決して才能だけで舞台に立ち続けたわけではない。妥協を許さない学びを生涯続けたマエストロだった。

【写真】「スター・ウォーズ」91歳のウィリアムズさん指揮、小澤征爾さんも舞台に

譜面の読み方、指揮の振り方、オーケストラとの対峙の仕方。指揮者となるための基礎はすべて師、斎藤秀雄にたたき込まれた。渡欧してカラヤンやバーンスタインら巨匠に見いだされると、彼らからも学び続けた。米ボストン交響楽団の音楽監督を経て2002(平成14)年、オーストリア・ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就いたときもなお、毎朝5時に起きてスコア(総譜)の勉強を続けている、と語っていた。10(同22)年、75歳を迎えるころ、食道がんの治療で指揮活動を抑えざるを得なかった時期でさえ「今は時間がいっぱいあるから深く勉強ができる」と、音楽の深化を期待した。

率直で明るい人柄も加わり、世界中で多くのファンをとりこにしたが、音楽づくりの現場ではしばしば厳しい姿を見せた。今から10年ほど前、指揮者を志す若者のためのセミナーを京都で開いたときのことだ。スコアに記された1音1音、記号に託された作曲家の意図をどう考えるか参加者に問い、答えが出てこないのを許さなかった。「音楽は緻密な芸術で、そこには厳格さがある。僕らはそれを基礎と呼んでいるが、それがなければ指揮をするのは危険なこと」と話していた。

後年は若い音楽家の育成に力を入れた。「教えていると僕も変わっていく」と変化を恐れなかった。一方で方法論は持たなかった。「僕はこうあるべきというものを持たず、その場で耳で聴いて教えるのがいいんじゃないかと思う」と言っていた。「音楽は一人一人違うもんだから」

他者を寄せ付けない才能をたゆまず磨いた。その音楽は唯一無二だった。多くの音楽家の霊感の源となり、「セイジと音楽がしたい」と、晩年まで世界中からその周りに人が集まった。小澤征爾こそが良き音楽そのものだった。


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