"I believe in Christ, without being a “Christian”, I believe in Buddha, without being a “Buddhist”, I believe in many concepts of the old Indian religions, without being a “Hindu”, I believe in God without being “religious” in a formal sense, I believe in myself without being “selfish”…"
"Our senses are limited only to the extent that we limit our Selves. Transcend the merely physical aspect of your existence, and your inner senses will grow."
「自分自身の内なる声を聴け。ほかの声には惑わされるな。」
"Do not follow any one but the voice of your own true Self."
90年代半ばの彼の躍進は、ヒップホップが商業化された世界的な現象とリンクしており、そのなかでもDMXはポップさとは対極にあるアグレッシヴさで人気を得た。彼はまた、Def Jamレーベルを活性化させ、ジェイ・Zのブレイクにも貢献。また俳優業にも挑み、『Belly』、『Romeo Must Die』、『Exit Wounds』などで役者としてのキャリアを築いた。
しばらく不遇の時代を過ごし、80年に名前を「ユキ」として、ロックに転向。ボニー・タイラーの「Sitting on the Edge of the Ocean」のカバー曲「哀しみのオーシャン」がヒット。カーリーヘアを振り乱し、ハスキーな声でシャウトするエネルギッシュなステージは評判となり、“女ロッド・スチュワート”の異名もとり83年には「ボヘミアン」大ヒット。レコード売り上げ約40万枚を記録する自身の代表作となった。
◆水木一郎(みずき・いちろう)1948年(昭23)1月7日、東京生まれ。「マジンガーZ」「バビル2世」「侍ジャイアンツ」「仮面ライダー」シリーズ、「がんばれロボコン」「ゼブラーマン」など数々の主題歌を歌い、持ち歌は1200曲以上。76年から3年間、NHK「おかあさんといっしょ」の2代目うたのおにいさん。半生が小学3年の道徳の教科書に掲載された。18年に歌手デビュー50周年記念アルバム「Just My Life」を発売。血液型O。
英国コヴェントリーで誕生したホールは、1977年にジェリー・ダマーズ、リンヴァル・ゴールディングらが結成したバンドに加入した。バンドはのちにザ・スペシャルズと改名し、1979年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムを発表。全英4位に輝いた。70年代終わりから80年代初めにかけ「Gangsters」「A Message To You Rudy」「Rat Race」「Stereotype」「Do Nothing」「Ghost Town」など多くのヒット曲を生み、2トーン&スカの代表的バンドとなった。
ホールは1981年にザ・スペシャルズを脱退した後、リンヴァル・ゴールディング、ネヴィル・ステイプルとファン・ボーイ・スリーを結成し、「'Tain't What You Do (It's the Way That You Do It)」「Really Saying Something」「Our Lips Are Sealed」などをヒットさせ、その後もThe ColourfieldやVegas、ソロで活躍した。ザ・スペシャルズを再結成してからは、2019年に18年ぶりの新作『Encore』で全英1位を獲得。昨年秋、通算9枚目のスタジオ・アルバム『Protest Songs 1924-2012』をリリースしていた。
コールドウェル氏は51年ニューヨークで生まれ、22歳の時にリトル・リチャードのバンドに参加し、76年「ザ・ハウス・イズ・ロッキン」でデビュー。78年のシングル「風のシルエット(What You Won't Do for Love)」がヒットし、AORの新星として注目。のちにボズ・スキャッグズと並んで“ミスターAOR”と呼ばれる。86年にはピーター・セトラとエイミー・グラントに提供した「Next Time I Fall」が全米チャート1位に輝いた。87年公開の市川昆監督作品「竹取物語」の「ステイ・ウィズ・ミー」の作詞、作曲もしている。
2021年9月に体調を崩し、精密検査の結果肺がんと診断されたが、病名を公表せず長期療養を続けていたPANTA。今年2月に緊急入院し、一時は危篤も告げられるも症状が落ち着いて4月に退院していた。6月14日には東京・渋谷duo MUSIC EXCHANGEで行われたライブ「夕刊フジ・ロック 5th Anniversary“THANKS”」に出演したが、これが最後のステージになった。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行われ、後日お別れ会が開催される。
2010年に公開された映画『ふたたび swing me again』で、主演の財津さんの孫役で鈴木が出演していた。今度は、実孫の優太郎と鈴木が、日曜劇場で教師と生徒役で共演。そんな“2人の孫の共演”を財津さんも楽しみにしていたが、放送の前日に息を引き取った。さぞ心残りではあっただろうが、天国では孫たちに向けて「頑張ってチョーダイッ!」と応援しているに違いない。