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献血供給事業団なんでもコーナーⅡ

123日下 一男:2009/04/12(日) 11:48:35
「辰巳橋」さんに対する反論を、私は持っていないです。ですから自分にも責任はあります。これは率直に認めなけばなりません。
しかし木村さんの退治に腕を貸しては居ません。これは木村さんと昨年お会いした時にこう話しました。「青木の巧妙な策略に日下君は見事に引っかかったのだ。余りにも人を信じる心を利用されたのだ」と。
ですから間接的に私にも責任があります。
要するに、退職してから復帰するまでの空白の時期に事業団で何が起きたのか今でも把から無いのです。
退職する時点では笹川氏は事業団の運営には全く関っていません。復帰した時には会長として絶大な権限を持っていたのです。
既に記してますが「木村さんが理事長になるべき」と当時の竹内理事長に抗議したのも事実です。それも3回も。
次期の理事長になった田中明氏を甘く考えていたのです。私がその折に話した事の重大さをもっと深く考えなければならなかったのです。
復帰してからの親睦会の旅行でも私は一度も青木部長と呼びかけた事もなく、青木と呼び捨てにしたので職員から苦言も出た事もあります。
職場においては常に「○さん」と話しかければ良いのでは、青木に話したのですが採用されませんでした。
また事業団が日赤と共同共存する道は「在宅医療の分野」であった事は今でもその信念に変化はないです。
この纏めた文書は部長会に提出しないで、青木が隠したと思われます。木村専務理事や田中理事長から一度もこの文書について話題になった事はないです。あるいは田中理事長は知ってるのに、木村さんを追い落とすのに夢中だったので、木村さんに話していなかった、と思います。
財)日本血液研究所が軌道に乗って、業績が上がる事を妨害したしか考えられません。木村さんは本当に職員の事を考えていましたから。その思いが私にも理解出来たので、最高とも言える文書をかいたのです。
この「在宅医療」の論文は実現すれば、全国展開出来ろものでした。勿論、日赤にとっても事業団にとってもメリットは沢山ありました。
当時、副社長の近衛さんも青木が持参した別の綿密な文書を読んで驚いていた、話してますので。全ての血液センターも黒字の文書です。
田中ー青木(克)−青木(繁)のラインには驚くばかりです。


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