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芸能・演劇ネタ

45korou:2021/04/19(月) 10:06:47
☆K-POP理解のための米国でのボーイズグループ事情

1978年、ボビー・ブラウンなどを創設メンバーとする黒人R&Bグループ。ニュー・エディション(NE)が結成される。
1981年、ニュー・エディションはモーリス・スターに見出だされ、ジャクソン5風の音楽に電子音楽を足したサウンドとして
1983年頃にシングル曲をヒットさせる。しかし、メンバーとモーリスとは不仲になり関係を解消。モーリスは、同じような
試みを白人ボーイズグループで再現しようとして、メンバーを探し、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(NKOTB)として
デビューさせる。NEのほうは、その後、ボビー・ブラウンが素行不良で解雇されるが、ソロになり大成功を収める。

NKOTBは1986年にデビュー。1988年にブレイクする。彼らのツアー・マネージャーにジョニー・ライトが居た。
周到なマネージメントによりファンクラブの充実、マスコミへの露出は最高潮に達したが、あまりにも人気が出過ぎた反動で
1991年にはもう人気は急降下となり、1992年には口パク疑惑まで起きて(ミリ・ヴァニリの同様な事件を連想させたようだ)
1994年には解散してしまう。

このような経緯により、1990年代前半にはボーイズグループというジャンルにおいてはスター不在の状況となったが、そんな
なかで、ルー・パールマンの企みが始まる。パールマンは、NKOTBというビジネスモデルにインスパイアされ、同じようなこと
をフロリダでメンバー募集から始める。集まったメンバーをバックストリート・ボーイズ(BSB)と名付け、1993年にデビュー
させる。

そしてヨーロッパで人気を高めた後、1997-98年頃には全米でも人気を爆発させた。・・・ところが、パールマンは、どういう
意図か知らないが、同じようなグループをもう1つ作って、同じように欧州で人気を蓄えさせて、ほぼ同じ時期に全米で
デビューさせていた。イン・シンク、まさにBSBのライヴァルなのだが、問題はその両者が同じプロデューサーの手になることで
しかもBSBのメンバーにはそれを知らされていなかったことだった。かつてNKOTBで手腕をふるったジョニー・ライトは、両者
の共通のマネージャーになっていた。BSBのメンバーは、パールマン相手に訴訟を起こし、ライトの事務所からも決別する。


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