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スポーツ雑談スレ

1korou:2005/12/20(火) 22:48:02
スポーツ一般については
「スポーツなんでもTV観戦記」スレを先に設けているのですが
こちらでは、実際にTVで観戦した感想を除く”スポーツに関する雑談”をしたいと思います。

153korou:2006/04/12(水) 12:51:17
平沼亮三は横浜では有名な人ですね。

陸上競技の優れた指導者に授与される「平沼賞」というのもあります。
以前、岡山県北の津山のあたりの先生が受賞されたので
津山出身の平沼騏一郎の関係かと思ったら
平沼亮三という聞き慣れぬ名があったので
それ以来覚えている名前です。

Wikipediaの記述は、この項については間違いないと思います。
横浜市長であり、日本における市民スポーツの父であり、
戦前のロサンゼルス、ベルリンなどの五輪選手団の団長でもありました。
体操協会のほうでも大物だったんですね。
石坂浩二の祖父とは知らなかった!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B2%BC%E4%BA%AE%E4%B8%89

たしかに実業家といいながら、何をしていたのか全然分からない人です。
手がかりはないこともないので、ちょっと調べてみましょう。

154マルコ:2006/04/12(水) 20:41:30
ああ、わかりました。
ギャル付きとなればご一緒しないわけにはいきませんね(笑)。
都合的には今のところ、どちらでも良いです。
たぶん広島戦の方がガラガラでしょうけど。

あとはメールで連絡ください。(携帯ですが。ご存知ですよね?)

155korou:2006/04/12(水) 21:06:18
平沼亮三の実業家としての正体、調べるのは思ったより難航しました。
どの本を見ても、初期の経歴として神奈川県会議員くらいしか載ってなくて
平沼亮三本人が書いた「スポーツ生活六十年」(昭和18年発行・慶応出版社)を
探すしか手がない!
その本にしても、山口昌男「挫折の昭和史(上)」第三章”スポーツの英国”で
かなり引用されているにもかかわらず
ほとんどスポーツ界の大御所としての記述ばかりです。

しかし、ある人名辞典で、やっと手がかりを見つけました。
実家が、横浜でも有名な素封家で、醸造業を営んでいたそうです。
この人名辞典は大出版社のものなので、恐らく間違いないものだと思われます。

平沼家では、代々当主は「九兵衛」を名乗っていたそうで
こちらのページでは塩田王として紹介されています。

http://www.sotetsu-group.co.jp/kawaraban/144/ekimei.html

156korou:2006/04/12(水) 21:12:05
塩田王というのは、上記山口本でも平沼本から引用されているので
これも間違いない・・・となると
塩田で財産を築いた平沼家でしたが
明治になって採算がとれなくなり(このあたり岡山県倉敷市児島の塩田王である
野崎家とよく似ている。野崎家はかつて小西得郎の父増太郎の仕えた家として
別スレで紹介しました)醸造業に本腰を入れたと推定できます。

横浜で醸造業といえば、明治屋が始めた麒麟麦酒を想起します。
明治屋の始祖である磯野計は、岡山県津山出身で、松平藩士の次男。
磯野は、社業である貿易の拠点として横浜を選び、ビールを取り扱い
その銘柄を"キリンビール”として売り出します。
そして、平沼亮三の初期の肩書きは、何と麒麟麦酒重役なのです。
このあたりは醸造業つながりではないかと思うのですが、確証はありません。

ただ、三菱人脈で固められた明治屋において
その姉妹会社である麒麟麦酒でも同族経営が展開された状況において
(麒麟麦酒の始祖である米井源次郎は磯野のまたいとこ)
ただ単に地元の名家の跡取りというだけで重役に名を連ねれたかどうか?
やはり、平沼亮三の実業界の足場としては
醸造業というのがメインであっただろうと推測されます。

かなり話題が「スポーツ雑談」ばなれしましたが、もう少し。
山口本を再読してみて、平沼亮三のような人はもう二度と現れないだろうと痛感しました。
とにかく、家、広すぎです(笑)
塩田王のときに土地を独占していたので、実家の大きさは三千坪以上もあり
野球ができる芝生が600坪、ローン・コートとクレイ・コートが一面ずつあり
ほかにも相撲場、剣道場、ローラー・スケート、ローラー・ホッケーし放題といいますから
明治・大正・昭和という時代にあっても破天荒な広さです。

157korou:2006/04/12(水) 21:19:36
亮三の父は、横浜市議会副議長でもあり、亮三は父の跡を継いで
早くから政治家として名を成したようです。
「実業家」というより、衆議院議員、貴族院議員としての経歴をみれば
その権力の源は「政治家」と見るべきでしょう。
一応、24歳のときの横浜市議当選が、最初のキャリアということで
今でいう二世議員の走りかもしれませんね。

>マルコさん

”ギャル付き”で心動かされましたね(笑)
ウッズ。さんともども楽しんでくださいませ。

158大河ーウッズ。:2006/04/13(木) 00:15:00
>マルコさん

いちおう後日携帯確認のメール出させていただきます。メモが残ってましたので。
広島戦にしましょうか。たしかに観戦しやすそう。
ギャルは日程が早いほど喜んでくれるので13日の広島戦を第1候補としましょう。
さっそくギャルに打診しておきます。
お楽しみに〜(^^)w

159小女子:2006/04/13(木) 03:31:17
Korouさん素敵!!!!
こんなに早く回答(しかも調べていただいて)!!!
ありがとうございます、ありがとうございます。

塩、そして酒ですね!!

何故気になったかと言うと、
日本にアイスホッケーの道具を最初に持ち込んだのが彼のようで、
(大正8年、1915年ごろ)
その後のスポーツの経歴もみると、
Al Spaldingに似てるなと思いました。
Spaldingは、National Leagueの創設とその後のバックにいたことで有名ですが、
スポーツ用品店(今もゴルフで有名Spalding)、スポーツのハウツー本&記録本の出版、
オリンピック委員長などもやってて、当時はスポーツ全体を牛耳ってるから(笑)。

ってか、アメリカの野球の19世紀のリーグ、
オーナーが殆ど酒造屋さんか酒場の運営者だったAmerican Associationのあだ名は
「The Beer and Whiskey League」ですし(笑)。
その後もNatinal League、American Leagueともに
ビール屋さんのオーナーはちょろちょろいますよね。
(アルコールと関係の深い、氷製造や冷蔵業もね)

当時はスポーツとビールが新しいものだったんでしょうかね?
あー、面白い!

160小女子:2006/04/13(木) 03:59:39
あ、スポーツと政治、
19世紀の終わりから20世紀はじめは
土地と警察と政治と交通と酒といろいろ絡んで、バンバン係わり合いありましたよね。
KorouさんのところにはNYの件が詳しいですよね(あんな感じで)。

ブラック・ソックスの件で有名なオーナーCharles Comiskeyのパパは、
Chicagoで、力のあった市会議員です。
ALと合併した当時のRedsのオーナーのさらに後ろには、
当時のOhioを牛耳ってるおっさん(つまりアメリカを牛耳ってる)がいました。
Ohioから大統領が多いことと、
RedsのオーナーがNLとALのプレジデントに加えて3人コミッションにいたことは
このおじさんは関係あります(笑)。
あとCubsで監督やってたCap Ansonも引退後は
市議会の何かの役職(←良くわかってない、笑)やって
ファイナンシャル・スキャンダルの容疑が晴れないままやめてます。
Spalding自身も晩年、上院議員の選挙(カリフォルニア)で落選してます。
他にも沢山ありますが、覚えていて面白かったものです。

その昔のあれ荒れの時代は、
政治は酒場で行って、日本だと料理屋(芸者さん来たりする)でしょうか?
酒、政治、スポーツですね(笑)。

161大河ーウッズ。:2006/04/13(木) 09:02:37
korouさんと小女子さんとのグレードの高い御話の合間に割り込んでしまってますがマルコさん、席は当日で内野S席(3900円)で良いですよね?
4人くらいだとゆったり良い位置での観戦確保はSがちょうど良いかと・・。
今ギャルと交渉中です。理想は、ギャル・マルコさん・ギャル・僕のような座り方がGOOD。
ギャルは西岡選手とかに関心があるのでイケメン&野球トークでフォローしてあげてください。

162korou:2006/04/13(木) 12:38:31
それでは、当方も「グレイド」が高い(ホンマは単に物好きというだけのことかも)話を
一方的に続けます(笑)

日本の醸造業の大物の話。
日本のビール王と言えば、戦前においては馬越恭平を措いて他に居ないでしょう。
この方も岡山県出身で、こちらのほうは年配の岡山人なら
結構岡山県人であるということが知られています。
ビール業界の祖である磯野計は、故郷岡山県でもほとんど知られていませんが。

馬越恭平は、プロ野球などのスポーツ界への参入は全く考えていなかったようです。
彼の事業を受け継いだ形の高橋竜太郎は「高橋ユニオンズ」のオーナーになりましたが。

また、日本酒の世界もプロスポーツには無縁のよう。
灘の生一本の嘉納一族からは、嘉納治五郎が出て
それこそワールドワイドな活躍を見せましたが
これは嘉納治五郎個人な話で、嘉納一族の財力がスポーツに影響したということではなさそうです。
実は、嘉納一族は地味に閨閥を展開して、それなりに財界に人脈を築いているのですが
皆控えめな財界活動に終わっています。

名古屋の醸造の名門、盛田家も、ソニーの創始者の一人にはなりましたが
スポーツ界とは縁はなし。

米国とはやや事情が異なるようです。
平沼亮三は偉大なる例外かもしれません。

163マルコ:2006/04/13(木) 19:35:58
>>161
うーむ、まぁ成り行きが面白くなっちゃってるので逆にアレですが、
要はですね、ウッズさん、そういう事をメールで下さいと言ってるわけです(^_^;)
必ず返答しますから、お願いしますね。

164大河ーウッズ。:2006/04/14(金) 00:41:16
スンマセン。妄想モードに酔ってました。
なんせ1ヶ月先の話ですからねぇ。
メールにします。m(_ _)m

165小女子:2006/04/14(金) 06:41:03
私は実はこっそり(答えてないけど)、
間にあるウッズさんとマルコさんのやり取りを面白がってます(笑)。

日本酒はスポーツ観戦で飲むってイメージがあまりありませんねぇ。
そういう風な売り方もしてなかったのでしょうかね。

ビール業で設けた人が野球チームを持つのは、球場でビールが売れるからです。
19世紀後半のSt Louisあたりは、ドイツ移民が多く、
広場にビールを飲む店が沢山あって(ドイツみたいに)、
その酒場のオーナーが、
野球がある日に客の入りが変なことに気がついて、
(試合前と後が多くて試合中がガラガラ)
だったら、チームを持って、そこで売ってやる!って人がいました。
(元祖St Louis Browns(つまり今のCardinals)のオーナーです。面白いんですこの人)

あとは、氷製造業なんかやってたオーナーがチームをお買い物いしたら、
チームを仕切ってたのが超堅物のBranch Rickeyで
速攻追い出したってのがあったり(笑)
Rickeyさんは、辻演説で禁酒支持をやっていて
当時St LouisやOhioあたりでそれが超有名、
そのまま政治家になるとも言われていました。

ホッケーのBoston BruinsはRed Soxと仲が良いですが
(一緒にケーブルのTV局持ってます)
Bruinsのオーナーがもってる一族の会社は、
球場へ食べ物や飲み物をサービスする会社からスタートしていて、
今は病院、空港、NASA(シャトルとかね)、
国立公園なんかも手がけてる超大手です。
http://www.delawarenorth.com/AboutDNC/KeyMileStones.asp
↑会社の簡単歴史表

166小女子:2006/04/14(金) 07:38:52
”平沼九兵衛”の名前がわかったのも大変ありがたかったです。
ある程度話が出てきます。
横浜港と鉄道が繋がりそうです。

ビール屋さんの歴史も気になりますね。
(企業の歴史を見るのも好き、笑)

日本の人名事典が欲しいな!(笑)
お金を出せばネットで見られるのかしら。

167大河ーウッズ。:2006/04/14(金) 08:58:25
>マルコさんへ
メールでは軽い落胆モードに陥ってましたが、
>今のところ大丈夫だと思うのですが、ちょっと待ってもらっていいですか?
>早めに確認してメールしますー!!!
という返事をいただきました。オレまた急に元気モード!ヨロシクッス!!

168korou:2006/04/14(金) 13:00:44
わはは。
ただ今、二元中継でこのスレをお送りしています。

さて、”醸造業は野球と縁深いぞ”チームの実況に戻りますが
我がチームはなかなか簡単には書き込めないので(笑)
小女子さんへのレスは本日夜となりそうです。

169korou:2006/04/14(金) 22:56:16
”平沼九兵衛”で検索するという手がありましたね。
なぜか頭の中で「平沼」と「九兵衛」が分離していました。
少し引用してみましょう。

横浜の総合サイト。
http://freett.com/yokohema/

これに「横濱市町名沿革誌」(昭和14年)のテキストデータがあります。
昭和14年という年代は、郷土史の分野では非常に価値のある年代で
もうこのレベルでの生きた江戸後期〜明治史を語ることは
現代では不可能に近いです。
その意味では、大変貴重なものをWeb化して下さっています。
そのなかの「神奈川区」のところで
スクロールバーの下側を10数回クリックすると「平沼町」の項目が出てきます。
http://freett.com/yokohema/tname/tname.htm

それによると、平沼家の事業の最初は新田開発で(亮三の祖父の時代)
亮三の父にあたる九兵衛が塩田事業にも手を染め
さらに横浜開港時に新田内に道路を通じさせ、財を築いたようです。

別のサイトによれば、1839年に新田開発の埋め立てが完成し
横浜開港は1859年の出来事となっています。

170korou:2006/04/14(金) 22:57:10
Wikipediaの「横浜駅」の記述を見ると
当初、横浜駅は今の桜木町駅の位置にあったらしいです。
そのあたりも本来海だったようですが
これは明治の初めに高島嘉右衛門らが埋め立てを行っています。
地図を見ると、そのあたりに高島という地名もありますね。
で、高島嘉右衛門自体も相当面白い人物で、あの高島易断の人でもありますが、以下割愛。

その後、桜木町駅はいろいろな意味で不便になり
現在の横浜駅に近い場所に「平沼駅」を設置して、むしろこちらのほうが
横浜の主要駅となっていきます(1901年)
その後、2代目横浜駅(現在の高島町駅付近)、3代目横浜駅(現在の横浜駅)と
歴史は刻まれていきますが
いずれにしても、こうした公共事業の関係で
地元の大地主であったはずの平沼家は、巨万の富を築いていったのではないでしょうか。

171korou:2006/04/14(金) 22:57:48
さて、日米野球事業家の比較ですが
やはりビール販売でのメリットという点で言えば
その球場の売店収入までも球団が支配していたという米国ならではの形態が
大きいと思われます。
日本のプロ野球球団は、球場を持っていないので、そうしたメリットがないわけです。

球場を持っていない
 ⇒ゆえに、財政的に自立できない
  ⇒球団は単なる宣伝媒体でしかない
   ⇒宣伝を必要とする事業関係がオーナーとなる
    ⇒鉄道沿線の娯楽(→鉄道)、庶民に受ける紙面作り(→新聞)

といった図式については、多くの人が指摘している通りだと思います。
(おおまかな言い方でかなり乱暴ではありますが)

ビール屋さんの歴史は結構調べた時期がありました。
郷土人物史に凝っていたときに、岡山県人が妙にこの業界に関わっていたのを発見したので。
まあ、1980年頃までは、すごくのんびりした業界だったように思います。
やはりアサヒスーパードライ以降でしょうね、厳しい生存競争が始まったのは。
そんな業界のトップであった馬越恭平。
実業家での知名度は抜群なんですが
いろいろな逸話で判断する限りでは、人物としてはたいしたことなさそうです。
まあ、仮に野球界に手を出していたとしても
正力松太郎からみたら、赤子の手をひねるようなものだったでしょうね。

172大河ーウッズ。:2006/04/15(土) 01:41:26
korouさんから横浜話が聞けるとは思わなかったです。
たしかに今の横浜駅はターミナル化してますが、あくまでも交通上の便宜であって横浜駅=繁華街とはなっていません。
横浜の街をというなら桜木町や関内になりますからね。あと石川町。
今度ナポさんの案内で横浜行ってきますが(といっても元地元なんですけどね)また横浜を味わいたくなりました。
最低1年に一回は行かないと気が済みません。
しかしハマスタでは生ビール売りがいません。がっくりです。だからコンビニから缶を持ちこんでいます。

173大河ーウッズ。:2006/04/15(土) 01:44:08
しかし平沼橋とか高島町とか懐かしい名前の由来がオンパレードでした。
あぁ!横浜。されど横浜。

174korou:2006/04/16(日) 20:39:02
>>172-173
一応、横浜というところは
全く行ったことのない土地ではないので
少しだけイメージはあります。

20数年前に、仕事で上京したついでに
新幹線で新横浜で降りて、ものすごく長い地下通路を通って外へ出た記憶があります。
(どういう経路でそうなったのか全く覚えていません)

あの頃は、公務員も出張しやすい環境だったので
何かと理由をつけては
<内緒>MLB関連の本購入目当てで</内緒>
東京方面へ出かけたものでした。

横浜方面の公務員も、当時は羽振りが良くて
出張先では、ちょっとここでは書けないほど面白い体験をさせてもらったのですが
まあ、スレの本題とは関係ないので割愛します(^^)

175korou:2006/04/16(日) 21:29:41
(以下、メモです)
日本スポーツ放送の歴史。

日本におけるラジオ放送の歴史。
東京放送局(現NHK。以下NHKと表記)が1925年3月22日に試験放送開始。
本放送は同年7月12日に開始。

日本におけるラジオ放送の普及は、結果として軍部が指導したことにもなった。
国民の士気鼓舞にラジオを利用したためである。
そのきっかけとなったのは、二・二六事件での「兵に告ぐ」放送だった。
軍部は、事件の早期解決に果たしたラジオの役割を評価して
情報局を設置して放送によるプロパガンダに取り組むことになる。
(戦後のテレビ普及では皇太子成婚が最も大きな原因となったことと対照的)

その時点で、知名度の高いアナウンサーなどは
軍人でさえ最敬礼して迎えるほどの社会的名士となっていた。

176korou:2006/04/16(日) 21:30:58
二・二六事件で「兵に告ぐ」の原稿を読んだ中村茂。
早慶戦の中継で「夕闇迫る神宮球場、ねぐらへ急ぐカラスが一羽、二羽、三羽・・・」の名描写を行い
人気を博した松内則三。
べルリン・オリンピックでの「前畑がんばれ」で有名になった河西三省。
ラジオ草創期の三大アナウンサーといえば、この三名である。

昭和11年に職業野球が発足。
しかし、一般大衆からの評判は芳しくなかった。
六大学野球の中継の途中で、職業野球の試合の途中経過を放送したりすると
すぐに抗議がきたほどである。
「大学野球の中継の合間に、職業野球のような(くだらん)興行のスコアをしゃべるとは何事か」
というものである。

当然、六大学野球の中継には松内などの御大が居座り
当時NHKに入局したばかりの志村正順などが
野球中継の練習という名目で、職業野球の中継をするという位置づけとなった。
放送がプロ野球を支えるなどというレベルではなく
プロ野球は新人アナの練習の場でしかなかったのである。
逆に、すでに球場が超満員になるほどの大人気であった六大学野球については
ラジオ放送開始の頃からずっとキラーコンテンツであり続けていた。
そして、前述のような松内の名描写が、新しい野球ファンを開拓していったという好循環となり
エンタツ・アチャコの「早慶戦」のような漫才ネタまで
大衆娯楽として幅広い支持を得るまでに至っていた。
(続く)

177korou:2006/04/19(水) 12:06:16
>>176の続編は(早くて)今週末とします。

で、昨夜、スポーツ雑談に格好の話題を提供してくれたのがシンジョー選手。
ナンボなんでも34歳の社会人が、誰にも事前に言わずに
一方的に自分の人生をアナウンスするのはなかろうというのが第一印象。
そういうことを許した球団の姿勢も批判されるべきですが
2006年の日本では、そういう非難じみた論調は一切ないですね。
私は大いに疑問を持っていますが。

決断そのものは納得できます。
ファンとしては、新庄のプロ野球選手としての能力以上に
プラスアルファ部分に期待する部分が大きいので
何も辞めなくても、と思うしかないですが
こればかりは本人の信念、気持ちが最優先でしょうから仕方ないところです。

最近、かつて書いたNPBベストナインを自分で読み直すことがあったのですが
リアルタイム編で新庄を選んでいたのには、自分で驚きました。
それを書いた2002年頃には、彼のベストパフォーマンスが見られたのでしょうが
意外と早く打撃がダメになったので、少々考え直しています。

178小女子:2006/04/21(金) 04:04:39
ビールの話、テレビ(ラジオ)の話ありがとうございます。
保存版です。大事にします。
いろいろ質問もあるのですが、
ちょっと、ホッケーの方が佳境で他のことが書けません!
プレーオフです!!わお!!(←ちょっとテンション高くなります、笑)

ネイティブ・カナディアンの子供で
スケートが下手だけどスコアリング能力(特に決勝点)があるという
不思議な選手がいて、これまた凄いパッサーのパートナーを得て、
今季とうとう得点王になりました。

もしかしたら凄いスーパースターになるかもしれない選手の
NHLのキャリア初めから途中経過を見てるかもと思うと
ちょっと武者震いが(笑)。

目つきが明らかに普通の選手と違うときがあり、たまに怖いです。まだ25歳↓
http://editorial.gettyimages.com/source/search/details_pop.aspx?iid=56775290&cdi=0

179korou:2006/04/21(金) 08:24:44
サンホセ・シャークスの選手ですか・・・姉妹都市の岡山市なんですが
全く情報なしです(苦笑)
そもそもNHLのチームがあること自体が知られていない、というか
私も一昨年までは知りませんでした(^^;;

たしかに尋常でない目つきですね。
プレーぶりを見てみたいところですが
我が環境ではムリのようです。
頼みの綱のBS1は、米国スポーツ事情とか新番組を始めたのに
NHLだけ見事に抜けてますし(他の三大スポーツはフォロー)

180korou:2006/04/21(金) 23:50:47
(軍部と日本放送界)
戦前におけるアナウンサーの第一人者は誰か。
実は、前出の中村、松内、河西という大御所3人のうちの誰かというわけではない。
断然、和田信賢ということになる。

和田は明治45年、東京生まれ。
早大在学中にアナウンサー試験に合格。
そのまま大学は中退してNHKアナウンサー学校第1期生となる。

和田は、映画俳優も真っ青の美男子であったばかりか
天才としか言いようのない見事な即興のアナウンスの名手であり
さらにNHK経営の才も見せた多才の人。
三十そこそこでNHKを牛耳っていた偉材である。
昭和天皇が終戦を告げた玉音放送のとき
その放送を仕切ったのは若干33歳の和田であった。

しかし、あまりにも才に任せて突っ走りすぎたのが災いして
戦後、周囲の情勢が一変するや、和田はNHKから追放される。
NHKの内部抗争であるが、事情を知らない一般視聴者のことも配慮され
以後、嘱託としてNHKの放送に関わっていく。
そして、ヘルシンキ五輪のメインキャスターとして渡欧した後、パリで客死。
享年40歳。あまりにも早すぎる死であった。

181korou:2006/04/21(金) 23:51:21
ここで和田信賢の話を書いた理由は
実はこの頃のラジオ放送の歴史が急激に軍部主導になっていったということを
明らかにしたいがためである、
和田は、軍部におもねることなく、自らの信じる通りにアナウンスし
逆に軍部から信頼を勝ち取ったという戦前では稀な人物でもあった。
放送のジャーナリズムは、和田一人の手によって守られたといっても過言ではない。

182korou:2006/04/21(金) 23:51:54
昭和13年秋、靖国神社で戦死者の霊を慰霊する招魂式が行われ
NHKでは和田がその中継放送を担当した。
通常ならば、予定された原稿を読むだけのアナウンサーであるはずなのに
和田は、遺族の心情を慮って、痛切な朗読を開始する。
戦死者の霊が、故郷で田んぼを耕している遺族に向かって語りかけるという形式で
和田は即興とは思えぬ名調子で、笙と篳篥の音に重ねて語りかけたのである・・・
「お母さん、元気かい。今年の米の出来はどうだろう。人手不足で大変だろうねえ。
 俺が居ないので、刈り取りも思うようにいかないだろう。しかし、お母さん、嘆いては
 いけないよ。おれは護国の英霊となって、永遠にお国のために生きているのだから、
 お母さん、元気を出して、強く生きていっておくれ。弟よ、兄さんの代わりに倍も働いて、
 お母さんを助けておくれ。おれも陰ながら見守っているよ。それはさようなら、さようなら・・・」

この放送は凄まじいまでの反響を惹き起こした。
息子のことを思って号泣した母親の手紙が放送局に届いたりして
放送関係者は「空前絶後の名放送」と絶賛したのだが
軍部としては面白くなかったようである。
あまりにも悲壮すぎて国民の士気を阻喪させるという理由で
和田のアナウンスは厳重な注意を受けた。

183korou:2006/04/21(金) 23:52:26
それから5年後、明治神宮外苑陸上競技場において
「出陣学徒壮行会」が敢行されたとき
和田は、自分が実況アナに指名されたにもかかわらず、悩みに悩んだ末
どうしても軍部のいいなりに実況できないと判断。
本番1分前になって急きょ実況アナを辞退し、後輩の志村正順アナに実況を任せた。
志村も志村で、そんな土壇場になって突如このような国家的大行事の実況を任されたにもかかわらず
後世に残る名実況を、即興で行ったのであるから、たいしたものである。
しかし、和田は、実況終了後、志村にこんな苦言を呈していた。
「放送の締めくくりに一言いってほしかった。”壮士ひとたび去ってまた還らず”と」
志村は驚く。そんなことを言ってしまえば、たちまち軍部から大目玉を食らうことは必定。
しかし、和田の信念の強さにもまた感嘆したというのも事実であった。
あそこで「もう彼らは生きて帰ってはこないでしょう」などと放送し得るアナウンサーは
和田以外にはいない、と。

軍部は、和田の存在には手を焼いたが、それ以外のアナウンサーには高圧的な態度を取った。
ある日、情報局の軍人がNHKに乗り込み、アナウンサー10数名に集合するよう命じ
「鬼畜米英」とマイクの前で言うよう命じた。
アナウンサーが普通に「鬼畜米英」と喋ると
「なっとらん!もっと敵意をもって喋れ」と命令し
声のおとなしいアナウンサーなどは徹底的にしごかれた。
名アナウンサーとして評判を高めていた志村アナでさえ、情報局軍人の罵倒に遭い
志村はよほど悔しかったのか、戦後になってもなお「あの**だけは一生涯許さん」と
怒っていたという。

184korou:2006/04/21(金) 23:54:18
軍部にとって、戦争さえ始まってしまえば、かつての最敬礼はどこへやら
NHKのアナなど、召使のようにあしらった。
戦争が始まるまでは影響力の大きい有名人として接していたものの
いざ戦争開始となると、もう自分たち軍人が主役であるので
アナウンサーは単なる宣伝部隊に過ぎないという扱いであった。

スポーツも同じで、戦争開始までは鷹揚に対処していたものの
開戦後は基本的にスポーツ全般の意義を認めない方向で弾圧していくのである。
プロ野球はそうしてつぶれていき、六大学野球でさえ特別扱いされなかった。
唯一、大相撲だけは、対外的な宣伝に利用された。
つまり「まだ相撲興行ができるほど国力に余裕はあるのだぞ」という意味あいで
戦争末期まで続行されたのである。
しかし、実際には相撲を行う場所もなかなか確保できず
大衆のほうも、相撲を見るという心の余裕が失われていきつつあった。
昭和20年夏場所は、そういう状況のなかで行われた「非公開場所」であった。
観客も誰もいないのにこの場所は開催され、それはラジオ放送を通じて海外にも電波は飛び
軍部の意向が貫かれた。
戦後すぐに街頭録音番組で人気を博した藤倉修一アナが、この夏場所の実況を担当したが
「国内では誰も聞いていない相撲放送を、客が一人もいない空っぽの国技館で、口角泡を飛ばして
 しゃべっていた私は、悲しいピエロみたいなものだった」
と後に述懐している。
なお、この夏場所は双葉山が最後の一番を取った場所としても知られているが
天下の大横綱双葉山の最後の取り組みが、客を締め出した場所で行われたというのも
戦争がもたらした悲しいエピソードである。

185korou:2006/04/21(金) 23:55:12
これほど軍部の意向に左右された草創期の日本放送界。
昭和20年8月15日に、和田信賢の指揮のもと「玉音放送」が流され
状況は一変する。
今度は軍部に代わって、GHQが日本放送界を支配するのである。
(続く)

186korou:2006/04/22(土) 22:43:47
結局、「日本スポーツ放送史」メモとして
HPのコンテンツとしました。
半年ぶりのHP更新です・・・っつうか、自分、HPを作っていたんですね(爆)
もうすっかり忘れていました・・・ってのはウソですが。

http://ww1.tiki.ne.jp/~sisho007/column/sportsnhk.htm
(長文でかつまとまりがないのでご注意ください<笑>)

187korou:2006/04/23(日) 11:00:47
↑のネタ本は、尾嶋義之「志村正順のラジオ・デイズ」(新潮文庫)です。
ただし、またしても現在入手困難な本です。
たかだか5年前に出た文庫本で、こんな貴重な本が入手しにくいのも困ったものですが・・・

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101280312/qid=1145757484/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-5471605-7090744

188korou:2006/12/04(月) 21:17:51
小笠原、ヒゲがないと誰か分からんなあーー
ふと昔の選手名鑑を引っ張り出して確かめてみた。
1998年・・・何と彼は捕手だったんですね。
しかもヒゲはない(2年目だからそんな大胆なことは出来ないよなあ)

この年、古田のバックアップとして周囲から惜しまれていた実力派捕手の野口が
日ハムにやってきて、さっそくレギュラー捕手になっています。
小笠原は野口の出現で一塁コンバートになったんでしょうか。
それにしても、ヒゲがないだけで威圧感が随分落ちたような・・・

http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20061204-OHT1T00213.htm

189korou:2007/02/04(日) 20:59:09
明日はスーパーボウル。
パッツが負けて、ボストン関連のHPでの注目度がぐっと落ちて
ここんとこ情報が入手できない状態の私(BOSOX情報と同時進行だったので)
いずれにせよ、QBマニングのコルツが決勝進出を果たしたことで
2007年2月のスーパーボウルはそれだけで意義深いものになりました。

にもかかわらず、明日の午前中は結構忙しい予定で
とてもチェックできそうにもない状況。
本来なら年休をとってでも見るんですが・・・残念!

190korou:2007/02/05(月) 19:50:50
何と録画失敗!
嗚呼。

191korou:2007/02/18(日) 20:51:18
有森裕子、ラストラン完走。
でも、後続のランナーと足がぶつかって転倒するような状況でのラストランというのも
どうかなあと思います。
市民ランナーと一緒に走るのであれば、山陽女子ロードレースをラストランにして欲しかった!

彼女の人生はまだまだ波乱万丈ですが、どうか初心を貫いてほしい。
彼女ほど誤解されているアスリートは居ないのだから。
少なくとも、今の姿勢を貫くならば、私は応援しようと思います。
まずは、もっと世界のいろいろなところに行くことですね。
カンボジアだけでは世界が狭いです。
まあ、1万分の1の確率で会って話をすることもあるかもしれないので
(自分が県の文化施設に転勤し、そこで県出身の著名人として彼女を招くということは想定できない話ではないし)
そのときは、いろいろと伺いたいものです。

192korou:2007/03/01(木) 18:25:28
反町ジャパン、五輪予選第一戦。
昨夜の対香港戦は、3対0で勝ったものの
試合中盤のダレ具合がひどくて、監督も選手も納得できない様子。
それ以上に、観客がまばらで、この不人気はどうしたことか。
ジーコジャパンなどの人気は
単にスター選手だけの人気だったのかもしれない。

200korou:2007/08/26(日) 20:59:53
スポーツ報道の乱れが著しい今日この頃。
今日は、これを取り上げてみよう。

http://www.sanspo.com/sports/top/sp200708/sp2007082604.html

この「ファンに胸触られ」という見出しは間違いでしょう。
これは単なる若い女性に対する猥褻行為であり、犯罪である。
触った男が確定できないだけであって
確定できたなら即交番へ連行である。
それを”ファン”と書くのは、本当のファンに対しても失礼な記事である。

たまたま、その女性が人気アスリートであるから
こういう記事にして話題性を煽ったのかもしれないが
犯罪まで援用して記事を書くのは邪道ではないか?
浅尾さんが可哀そうである。
記事末尾の
”アイドルには、コートの外にも敵がいる。川合コーチは
「彼女の宿命だから耐えてほしい。見られることでうまくなる。
 見る方もレベルを上げてほしいですけど…」と無念そうに語った”
なんてあり得ない。
若い女性の胸をどさくさにまぎれて触ったら犯罪である。
”宿命だから耐えてほしい”ということにはならないはず。

男性の私が力説すると一見違和感があるが
実はそうではない(これはジェンダーの話ではない)
この話題を配信したmixi、Yahoo!などのメディアも含めて
ジェンダーとしてでなく
『犯罪かどうか』というところに視点を置いて
考えてほしいと思ったのである。

201花眼(旧korou):2007/08/27(月) 12:48:50
なんとも残念なニュースが続くこの週末、週明け。

ラグビーの大畑が、またアキレス腱断裂をやってしまった。
この年頭に痛めてしまった足と反対側のほうである。
Aマッチでの国際記録まで持ちながら
肝心のWカップでの試合では、不運続きである。
もう一人、主力選手も手痛いケガで出場不可能となったらしい。
いかにカーワンが有能な監督でも
直前のこのアクシデントではどうにもなるまい。

それから、世界陸上での為末大の予選敗退。
久々に言葉を紡げるアスリートの登場に(スケートの清水以来)
私などは非常に関心を抱いていたのだが
肝心の競技本番で大失敗しては元も子もない。

今日は、幅跳びの池田久美子も予選落ちしたらしい。
大会の前人気を高めるために、彼ら彼女らは相当ムリしていたのではないか。
それが一概に悪いとは言わないが
期待を不自然なほど高めておいて、その期待に全くそぐわない不振が続けば
あまり良いことは起こらないように思うのである。

202korou:2023/12/20(水) 18:08:58
野球スレがないなあと思っていたら、こんなスレが下のほうにあった!
週ベで今年の故人が一覧してあったので転記。
(2023年に亡くなったプロ野球選手)
中西太、門田博光、杉下茂、北別府学、中利夫、古沢憲司、ロベルト・バルボン、入来智、横田慎太郎


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